米沢城(続日本100名城) 6 春日神社 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

前回の続きで、

今回は春日神社です。

 

下図⑭の南側にある庭園の滝です。

⑭の所に戻りました。

 

上が北の地図です。

 

上図⑭から⑮の方に行きます。

白い校倉造りの建物は祭器庫です。

 

⑯付近に行くと

 

春日神社の石碑があります。

昭和56年に信仰会により建てら

れた石碑です。地域住民の守護神

として尊崇されています。

 

上に春日神社があります。

由来板を拡大すると

 

春日神社の由来板です。

上杉謙信(当時は長尾影虎)が名を

継ぐことになった、関東管領上杉家

は藤原氏の子孫でした。

 

上杉家家系図です。

 

藤原冬嗣から続く上杉家ですが、

もとは藤原氏でした。

足利尊氏の母は上杉家の娘でした。

 

藤原家の氏神は春日神社だったこと

により、上杉謙信が大和の春日大社

より分霊して、越後の春日山城に創

建したことに始まります。

謙信亡き後、上杉家は越後から会津

を経てここ米沢へ移ることになり、

これにともなって春日神社も米沢へ

移されました。当初、同じく越後か

ら米沢へ移った林泉寺の境内に鎮座

していたそうです。

林泉寺は以前に春日山城で紹介して

います。

上杉鷹山(治憲)は、藩主となる直前

に、決意表明を記した誓詞を春日神

社に奉納しました。その内容は

「民の父母の心構えを第一とする
 学問・武術を怠らない
 質素・倹約を忘れぬ
 賞罰は正しく行う      」


この誓詞は鷹山が亡くなった後、

誓詞の存在が公に知られたのは、

慶応元年(1865年)に林泉寺学

寮の火災で、神器を延焼から守る

ために運び出した時でした。

林泉寺火災などがあり、昭和56年

に本丸南西に鎮座しました。

 

上が北です。

 

⑰付近から春日神社方向です。

 

解説板の拡大です。

今では上杉家の祖神として、

地域の氏神となっています。

 

下図⑰より本殿方向です。

 

上が北です。

 

春日神社本殿です。

 

今回はここまでで、次回につづく

 

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