昨日の続きです。
今回は東門付近です。
料金所があります。
氷とある所が下図⑦の東門前です。
上図レストハウスです。
右側の道は⑦から⑧の大日本史
完成の地に行く道です。
既にUPした⑧の写真です。
下図⑦の東門入口です。
門の左側にあるニセアカシアの木です。
一般にはアカシアの木と言われます。
大正13年には日本最大と紹介されて
いましたが、危険なので平成9年に、
途中で切除されました。
解説板です。
東門の中に入り振り向いて、
門の中に入ると
東門の中⑨から見た外にある
門前の水戸黄門茶屋です。
ここでかき氷を食べて休憩しました。
カメラを左に回すと
見晴亭です。
冷房付きで休憩が出来ます。
偕楽園の右側半分です。
見晴亭内にあった展示です。
斉昭は礼記にある「一張一弛」の
教えにならい、「一張」の弘道館
と「一弛」の偕楽園を造りました。
人は緊張が続くと休養が不可分
であると考えたからです。
1859年安政の大獄で、切腹に
はなりませんでしたが、水戸城
に永蟄居を命じられ、その翌年
1860年に謹慎中の城内で死
去しました。享年61でした。
子供の慶喜は父の思いを受け
止めていたので、幕府を続けた
いとの思いは強くはなかったの
でしょう。
上図⑨付近に展示の写真です。
早春の梅満開の写真です。
偕楽園は早春に来たいですね。
偕楽園とは
金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに、
日本三名園のひとつに数えられている
『偕楽園』です。江戸時代1842年に、
水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により、
「衆と偕(とも)に楽しむ場」として開設
されました。
徳川斉昭肖像画です。
偕楽園には約100品種3,000本の
梅が植えられ、かぐわしい早春を
告げてくれます。
茨城観光サイトからお借りしました。
写真上に好文亭が見えます。
好文亭前にある解説板です。
梅の別名が「好文木」から名
付けられました。
園内の中程に位置する好文亭は、
木造2層3階建ての好文亭本体と
木造平屋建ての奥御殿から成り、
徳川斉昭公が自ら設計したもの
といわれています。ここに文人
墨客や家臣、領内の人々を集め、
詩歌や慰安会を催したそうです。
水戸城中は管弦などの遊興が、
禁止だったので、偕楽園で遊ぶ
ために奥御殿も造っています。
好文亭は1945年の米軍空襲
で全焼しますが、1955年から
3年かけて復元されました。
偕楽園全体地図です。
今回はここまでで、明日に続きます。
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