西国三十三所観音霊場の和泉国にある槇尾山施福寺の紹介3 最終回 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。
今日は槇尾山施福寺の本堂からの紹介です。


桜と本堂の写真です。桜の時期で本堂の御開帳が特別に
ありました。

秀頼が再建した本堂と、金箔で修復した仏像は、江戸時代に
本堂だけが火事で焼けて、仏像は僧侶が安全な場所に移動
して無事でした。秀頼の修復した金箔がきれいに残っていまし
た。
本堂内は撮影厳禁なので写真はありません。なので、私
が記憶していた仏像安置図を描きました。

施福寺は、かつては真言宗の寺として栄えたとされますが、
江戸時代初期には江戸幕府の保護があったので、寛永寺の
末寺となり、天台宗に改宗したようです。 本尊も当初、弥勒
菩薩であったのが、後に、行基の弟子である法海が観世音
菩薩を刻んで本尊としたといいます。 現在、本堂に安置さ
れている本尊は、法海が刻んだという証拠はありませんが、
秘仏になっており、年に1回5月だけ開扉されています。
ただし、住職さんが去年までに、本堂内を整理して、
きれい
に安置されたので、桜の時期の今も、本堂内を公開されて
います。数年前までは本堂中央にまとめて安置してあった
そうです。理由は、江戸末期に再建された本堂は秀頼の
再建本堂より一回り小さく、仏像が大きいので屋根の高い
中央部分にしか置けなかったそうです。それを仏像の台座
を低くして、きっちりと配置したと、住職さんから聞きました。


本堂の仏像配置図です。ご住職さんが案内してくれました。
拝観順があって馬頭観音足守像から時計回りに、文殊菩薩・
弥勒菩薩・千手観音と拝観して次に方違い観音と拝観する
そうです。馬頭観音足守で元気をもらって拝観するといいそう
です。(拝観料は500円です)

現在の本堂は、1845年の焼失後、安政年間(1860年頃)
に復興されたものです。本尊は弥勒菩薩で、両脇に千手観音
と文殊菩薩を安置し、このうち千手観音が西国三十三所の
札所本尊となっています。西国札所巡礼の中興者とされる
花山法皇を馬が道案内をしたと伝えられており、本尊の後ろ
に馬頭観音足守(足の裏が見える)が安置されています。
徳道上人によって創始された西国霊場を再興した花山法皇
が、粉河寺からこの施福寺に向かっていたとき、日が暮れ
道に迷って困っていると、馬が現れ花山法皇を道案内した
という伝説があります。馬が崇められているのはこのためと
思います。本堂にも日本唯一の足の裏が見える、馬頭観音
(足守)が安置されています。

 近くに三国山があり、そのために方違い観音さまを安置し
ているとのことで、堺市の三国ケ丘の近くにも方違い神社
があります。三国とある所には方違いがあると、悪い方角を
良い方角に変えてくれるので縁起がいいそうです。


特別拝観の立て看板です。





本堂正面です。

拡大すると


この本堂の裏手には本坊があります。







本坊ですが、不便なためか日常的には使用されていません。
里坊の方に住まわれているようです。


この本坊の右手には


境内には高台があり、そこには神社があります。
階段を登ると


神仏混交時代の神社です。

この神社の丘を回り込むと大きな欅の木があります。


この欅の大木から先は神の領域だということで、
一般人は入れないことになっていたそうです。
この木の後ろの子院は


この子院が施福寺では一番格の高い子院だそうです。
ここもイベントなどの時以外は使わないそうです。


さらに歩くとまた子院がありました。


少し低い所にありました。土蔵もある立派な子院ですが、
ここも普段は空き家のようです。

最後に本堂前の桜の花





帰り道で階段の横に咲いていた花


これで槇尾山施福寺の紹介は終わりです。
明日からは大和郡山城と桜の紹介です。

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