ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -5ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。


今年作っているピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンですけども以前はこんな感じでした。




まだ表面を仕上げる前の画像です。

ちゃんと手作りでノミで彫っています。

グァルネリ家の渦巻には特徴があります。基本的にはアマティが元になっています。しかし仕上げが綺麗ではなく刃の跡などが残っていることがあります。特にデルジェスの父ジュゼッペⅠ(フィリウス・アンドレア)のスクロールにはノミの刃の跡が残っていることが多くあります。デルジェスのスクロールも父が作っていたので刃の跡が残っています。
息子のベネチアのピエトロⅡもそれを踏襲しています。ピエトロの方が規則的に刃の動きの跡が残っているのに対して、ジュゼッペⅠは規則性がまちまちです。したがって臨機応変に彫っていたということですね。木目の向きによって木材が割れたりします。そこであらゆる角度から刃を入れてみてチョコチョコ削っていたのでしょう。
今まで上手くいかなかった部分でもありますが、新しいノミを今回購入しました。丸みの加減が微妙で今回のものならグァルネリ家のスクロールに合ってそうです。ピエトロⅠの方はもう少しきれいに仕上げられていて刃の跡が無くなっています。それでもケースバイケースです。
いずれにしてもグァルネリ家は仕上げの入念さには興味が無かった方です。

仕上げの入念さについては弟子に指導するのは比較的簡単です。仕上がっていない欠点を指摘すれば良いのですから。
しかしノミで彫っていくのはノミを使えていることと、刃が砥げること、そして造形センスが問われるので教えるのは難しいでしょう。
現代の楽器とオールド楽器の違いでもありますね。

つまりグァルネリ家はスクロールに完璧さを求めていませんでした。中では一番腕の良いのがピエトロⅠですが、それでも完璧さとは程遠いものです。でも癖があります。毎回同じではありませんがなんとなく癖はあります。

もっと言うとオールドの時代にはそんなに完璧さを求めていなかったとも考えられます。常識的な人が楽器を作るとしたら、スクロールなんてどうでもいいので渦巻になっていれば良いと考えるでしょう。音楽家も同様ですから、消費者の求めるものを作るならスクロールなんてどうでもいいです。

それに対して若い頃のストラディバリは、「渦巻になっていれば良い」というレベルでは決してありません。目で見て美しい丸みやバランスになるように入念に作ってあります。単にささっと作業を終わらせただけではありません。アマティやストラディバリが変態なのでしょう。

つまりオールド楽器にもいろいろあり、アマティやストラディバリなどほんのわずかな職人は美しさを求めて入念に作っていて、それ以外のほとんどの職人はただ渦巻になっていれば良いとそれくらいで作っていました。

イタリアの作者のラベルがあり、いい加減でアバウトな手作り感のあるスクロールがついていると本物じゃないかと思えるのは、ほとんどのイタリアの楽器がやっつけ仕事で作ってあるからです。

そういういい加減なイタリアの楽器と同様なものを我々は作るのは難しいです。
酒を飲んで作ったら良いんじゃないかと私は考えていましたが、10歳くらいでヴァイオリン作りを学んでそのまま上達せず生涯を終えればそんな楽器が作れるのではないかと思いつきました。

つまり子供が描くような絵をどうやって描くかということです。ピカソなどはわざとに子供が描くような絵を描いていますが、しかし計算されすぎています。そうじゃなくて絵が苦手で練習していない人は子供と同じレベルのものが大人でも描けます。それ以上上達しなければ子供のような絵が描けます。要するに絵が得意ではない普通の人が絵を描くと自動的に子供のような絵が描けるわけです。

イタリアの作者の多くはこのように子供が作るような楽器を作っていました。職業人として訓練するともうそのようなものは作れません。これがイタリアの楽器の独特な所です。
ただし、同じようなことがほかの国ではないということはありません。1000万円を超えるようなもので子供が作ったようなものはイタリアのものだけというだけです。特にオールドの時代には基本形がアマティではないだけで同じようなものです。

造形的なセンスが無い普通の人が、向上心を持たずに単に仕事として作ると、イタリアの楽器のようなものができるのではないかと思います。それでも音は良いかもしれません。

それでフランスやドイツの量産品などと見分けることができます。
アマティの時代から遠ざかるとその特徴も無くなります。向上心や造形センスのない人の方が多数派ですから、イタリア以外にも同じような楽器を作った人がたくさんいて、偽造ラベルが貼られています。そんな楽器ばかりを買ってしまうセンスのないコレクターもいます。

高価な値段がついている楽器でも、職人から見るとこんな感じです。

「これこそがイタリアの楽器だ!」と考えると、アマティやストラディバリはダメになってしまいます。近代でも美しい楽器を作ったイタリア人もいます。規則性が言えません。


最近はユーザーの側に立って「音」に関心を置いて記事を書いてきています。アマティやストラディバリは音だけを考えて楽器を作っていたわけではないということで、それらの魅力は「お客様は神様」という視点では理解できません。

このような刃の跡がうっすら残っている所にニスを塗って、汚れが付着します。擦れてニスが剥げてくるとくぼみに汚れやニスが残って刃の跡が浮かび上がってきます。それが300年経ったグァルネリ家の楽器です。
アンティーク塗装でも同様でその間に起きた変化を人為的に起こせばいいのです。この時ノミのチョイスを間違えていると全然違う感じになってしまいます。これが古い楽器を模して作る難しさです。音には関係ありません。

音については、楽器で振動していない所はありません。スクロールも例外ではありません。しかし狙った音にするために人為的に形や彫り方を変えるなどということはできません。音がどう変化するかなんて分かりようが無いからです。

例えば「見た目が雑なのは音を重視したため」などということはあり得ません。何も考えずに作っても何百年後に音が良いということが十分起きると思います。それがヴァイオリンというものです。

そういうことを理解するのに私も時間がかかりました。いかに現代日本人が何かの思想を信じ込まされているかということです。帰国してNHKなんて見たらまだこんなこと言ってるかと思います。

別の光で



ノミだけでもきれいに彫ることができます。これでもきれいにやり過ぎです。

この後は軽くスクレーパーなどで仕上げます。



次は別の楽器製作の話です。
これとは別にもう一台ヴァイオリンを作り始めました。


なぜか暗く写ってしまいました。画像に処理するのもフェイクなのでそのまま載せますが、写真なんてそんなものだということを理解下さい。
これから作るヴァイオリンは15000ユーロでオールド楽器を模したものではなく新品の楽器として作ります。当ブログではこのようなヴァイオリンの製作を取り上げるのは初めてです。
一年に一本くらいは作れますので興味のある方は参考にしてください。ユーロが相変わらず高いので割高感は否めませんが。

モデルは私が15年前にデザインしたものです。それ以来は作ってなかったというわけです。その後オールド楽器の研究を通して身に着けた感覚を取り入れたいと思います。多少モディファイをします。

コピーの元としてオールド楽器では理想的なサイズの楽器を探すのも難しいです。多くは幅が細く小型のものです。
一方で胴長が長いと演奏はしにくくなります。
アーチの高さや板の厚み、見た目の美しさやキャラクター・・・理想的なお手本を見つけるのは至難の業です。
アマティはミドルバウツのくびれが大きく窮屈な構造になってしまいます。フランチェスコ・ルジエリなら理想的に近いですね。しかし仕事の質がアマティよりも落ちます。ルジェリのコピーを作ると見た目には下手くそなアマティのコピーに見えてしまいます。なんか残念ですね。ルジェリになると資料も少ないです。

じゃあ自分で設計しちゃえよというわけです。

木材はオーソドックスに整ったものですが古い木で社長もいつ買ったかわからないくらいのものです。3代続く老舗なのでいつ買ったかもわかりません。以前に木目に欠点のある古い裏板でヴァイオリンを作ったことがありますが、確かに音色は暗く新作楽器らしからぬものでした。たくさんの工房を回って楽器を探していたお客さんが購入しました。その中にはヴァイオリン製作コンクールで優勝した人もいましたが、音色の暗さにひかれてその楽器を購入しました。
それは家族の都合により退社した先輩が半分くらいまで作ったものを、私が受け継いで完成させたものです。

欠点のある裏板をアンティーク塗装でごまかすというミッションで、アンティーク塗装を始めた最初の楽器でしたね。

裏板の古さは音色に影響があるのではないかと考えられます。それも興味深いですね。
また裏板自体が音色に影響することも考えられます。裏板の役割について考えることにもなります。

これからも製作の模様を取り上げていきましょう。


こんにちはガリッポです。

この前は、職人に話を聞くと、板や楽器をトントン叩いてどうなっていると音が良いとか、厚みがどういうシステムになっていると音が良いとかそんな説明する人が多く自分の楽器が一番音が良いと言います。しかし、それは何ら検証がなされておらず信じてはいけない、音は必ず弾いて試せという話をしました。
ブログを休んでいた間就職活動で多くの工房を訪ねた若い職人に会って話をしましたが、どこの職人もみなそうだと言っていました。
職人の世界ではそういう人が多数派で、また自分で独立して経営している人はそうやって自分の楽器をアピールする人が生き残っているとも言えます。そういう人は平凡な職人です。

特に厄介なのは物理学のような話をする人で、理系や物理学の経歴を持ち本人は本気で信じていても、結果的には「〇○水」のようなニセ科学になってしまいます。真の科学者であれば許せないものです。
つまりヴァイオリン職人の世界では「UFOを見た」くらいの信ぴょう性で音について語られているということです。それが多数派です。
UFOを見たという人が本当にUFOを見たかもしれませんから絶対に間違っているかもわかりませんが、確かなことを発表するには機体の一部を採取したとかそれくらいの物証が必要でしょう。画像や映像はインターネットの世界ではいくらでも出てきますが、信用できるものは皆無です。未確認の知識を披露するのは技術者としてはひどいレベルです。それが主流のヴァイオリン職人です。未確認の情報を元に楽器を選ぶのは選択肢を狭めて損です。

特に西洋ではもっともらしい説明をして相手を屈服させることが、日本人よりもはるかに重要です。私のように、「知らない」とか「わからない」とか言ったらその時点で負けです。常に日頃から様々な話題で議論をし、ボクシングのスパーリングのように練習を楽しんでいます。詭弁合戦は古代ギリシャの時代から続いています。それに対して日本人は議論が苦手で感情が出てすぐにケンカになってしまいます。プレゼンテーションとも言いますね。ビジネスマンの非の打ちようのない見事な説明を聞くと、「上手だな」と思うだけで信用しません。ヴァイオリン職人ももっともらしい理屈を言って相手に打ち勝って楽器を高い値段で売ることが生きていく方法です。


私は、そんなくだらない争いに人生を賭けたくありません。本当にどうなのかを知りたいです。


さてドイツの一流のモダンの作者の一人ケアシェンシュタイナーのヴァイオリンの修理の模様をお伝えしています。一流なのに誰も聞いた事が無いかもしれません。

ネックが長すぎるという問題がありました。なぜ長くしたのかはわかりませんが、職人はそれぞれ考えがあります。そこまで統一されていません。

長すぎるので切ってしまいます。
このままでは短すぎます。

継ネックは業界として確立した修理法です。継ネックを必要とするのは様々なケースがあります。今回もその一つです。

ペグボックスの中も彫ります。

ネックの加工も仕事の量が多いです。

濃い赤いニスなので補修が大変です。

穴を開け直します。

修理完了。ニスもピカピカになりました。

こちらが修理前。痛々しい傷も目立たなくなりました。右側の上下のコーナーも修復しました。

大きなf字孔はヴィヨームのようですね。当時はヴィヨームが世に知れ渡っていたということです。イタリアの作者は眼中にありません。

裏板は柾目板と板目板の間の一枚板です。ボタンの三角っぽいのは流派の特徴でもあります。

スクロールはガルネリモデルかどうかはよく分かりません。


正面から見るとかなり変わっています。渦巻にブレシア派の特徴が見られます。本で同じ作者の楽器を見てもこのようなものは見られません。

量産品とは明らかに違います。マイスターの作品です。

ガルネリモデルですが大型でそっくりそのままのコピーというわけではありません。板は厚めで1900年くらいから見られる当時の流行です。現在でも主流の考えですから先人として尊敬される職人ですね。


アーチは平らでネックのニスの補修もマッチしています。
赤いニスでフラットなアーチ、大型のガルネリモデルでフランスの楽器のような雰囲気もありますが、フランスの作風は曖昧になっていますのでフランスの楽器ではありません。
ドイツの伝統は全く感じられずヴィヨームなどを見る機会もあり影響を受けたのではないかと思います。
しかし板の厚さを測ることができなかったのか、それより厚い板が流行し始めたのかフランスのモダン楽器とは違うものになっています。フランスでもこの時代には厚めのものが作られるようになっています。

値段は相場を改めて調べてみると、世界的な相場では15,000ドルとなっています。これは新作楽器の値段と同じくらいです。120年も前のモダンドイツの一流の作者の楽器が新作楽器と同じというのはおかしいですね。晩年の作品なのでは19世紀後半のドイツを代表する作者です。それくらいドイツの作者は世界では知られていないということです。新作でも物価高で2万ユーロ以上つける人もいるのでこの楽器が2万ユーロでも私はおかしいと思いません。
ちなみに高すぎる値段の新作楽器を買うと売るときにはずっと安くなります。気を付けてください。

果たして音はどうでしょう?

日を置いて何度か弾いてみましたが毎回印象が違いました。なぜでしょう?
最後に弾いた印象では音が軽く出て豊かな響きが広がりました、高音はかなり鋭い音がします。つまり明るくて鋭い音です。日本人好みの音でしょうか?
それはイタリアの作者に限らずドイツの作者でもこの時代には普通ですね。
厚めの板が流行したので、生産国は関係ありません。

私は板の厚みや作者の評価などを知っているので、先入観無しに音だけを感じることができません。板が厚いことを知ってるので、低音が特別強くなく、楽器が底から響いてはいないように思います。しかし重くダンピングされたような音ではなくフワッと出ます。
ただし、まれにあるとびぬけてよく鳴る楽器ではありません。

明るくて輝かしい音は現代のヴァイオリンとしてはごく普通の音ということが言えますが、現代風の楽器の中では最も古いということでその分音は出やすくなっているのでしょう。値段は新作と変わらないのですからこちらの方が良いですね
しかし、他の無名の中古楽器に比べて特別優れていることはありません。はるかに安価なものも含めてたくさん試せばもっと鳴るものがあります。

ドイツのモダンの一流の作者でも音は無名な作者の普通の楽器と変わらないです。
これはドイツに限りません、弦楽器とはそういうものです。それを知っていることが知っているという事であり、有名な高価な作者の名前を知っているだけでは完全な無知なのです。

明るくて輝かしい音のケアシェンシュタイナーですが、同様の音を同じ時代のイタリアの作者の中から探せば、値段は1000万円くらいざらでしょう。怖くて最新の値段を私は見ていないのでイタリアの作者は全く分かりません。

ブランドにこだわると1000~2000万円はすぐに溶けていきます。

この感じならあと200年もすれば板の厚みは関係なくなることでしょうね。作りなんてなんでもいいんですよ。好き嫌いの問題です。
現時点で高音は鋭いのでオールド楽器とは全然違います。特別鳴るわけでもありませんが、人によっては厚い板の楽器を容易に鳴らせる人もいるのでしょうか?私にはわかりません。

名前を伏せて音だけで判断すればそれほどパッとしないと思いますが、なぜそのような作者が一流と認められているのでしょうか?それは、音で評価しているわけではないからです。現在の主流の考え方で作られているので専門家から悪く評価されるわけもありません。

日本人向きの音かもしれませんが、こちらでは難しそうです。私はコレクター向きだろうなと思っています。ドイツの一流の作者のコレクターがどれだけいるかですけども・・・。




こんにちはガリッポです。

普通のブログのようにプチ更新です。

こんなところに行っていました。たまにはこちらも音楽家のお客さんにならないといけません。
20世紀初めの建物なんですけども当時としては古典主義ですね。まさにクラシックです。でも明治時代末期ですからそんなに古くもなく、こちらでは現代建築のホールに人気があるようです。

ともかくオーケストラの音楽を堪能しました。

この前の続きは近いうちに

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリン職人の世界ではあきれるほど論理的なものの考え方ができる人が少ないです。みな自分の作る楽器の音が良いと言うものです。そういうものだと思ってください。

胴体をトントン叩いて音がどうなると音が良いとか、板の厚みがどうなっていると音が良いとかそういう話を先人から聞くとすぐに信じてしまい多くの楽器を試して検証することはありません。
板の厚みの理屈を言う人でも、私のように多くの楽器の板の厚みを測っている人は皆無です。実際には世に存在する楽器の板の厚みを知らずに理屈を言っているのです。このような話を聞く経験はよくあり、またかとあきれるほどです。

しかしながら、根拠のない理屈で作られた楽器の音が悪いかと言えばそうでもありません。
そもそも音が悪い楽器をわざと作ろうと思っても作り方もわからないものです。ですからでたらめな理屈でも音が悪い楽器ができるわけではありません。

ずらりと10本20本とヴァイオリンを並べて弾き比べるとどれも音が違うのはわかりますが、順位を付けるのはとても難しいと感想を言う人が多いです。半分くらいはすぐに除外できてもそれ以外は紙一重で人によって異なる結果となるでしょう。

同じ作者の楽器でもよく鳴るものとそうでないものがあります。日ごろから使い込んでいるかも差になることでしょう。

その程度の差なので、有名な作者の名前がついていると良い音に聞こえる人も出てきて、楽器が売れるので商業では最も重視される項目となります。


そもそも音が良いとはどういう事でしょうか?
二つのケースが考えられます。
①音楽の道具として使いやすいもの
②聞く人に感銘を与えるもの

これらは大きく違うもので、演奏者が良いと選んだ楽器でも聞いている方には耳障りに感じることが多くあります。

演奏者同士でもテクニックを重視する人と美音を追求する人がいるかもしれません。このように定義することが難しく、さらにそれを測定値に表すことはもっと難しいです。その違いを作り分ける方法など夢のまた夢です。

現代の産業であればマーケティングという概念で音の特徴を表現しそれに近づける方法を蓄積していくでしょう。現実にはそのような論理的な思考ができる職人は皆無でまずお目にかかることはありません。


このためうわさを聞きつけトントン叩いて楽器を選んだり、職人の言い分、販売する専門家の話を聞いて楽器を選ぶのではなく、実際に演奏してみて楽器を選ぶ方がましだと説明してます。職人の意図とは関係なく音には個性があるので好きなものを選ばないといけません。

楽器をトントン叩いてその音で判断するよりも、弓で弾いた音で判断する方が微妙な音の違いが判るでしょう?そんな単純なことも理解できないのです。

しかし職人もマニアも初心者はそういう話が大好きで自分からよろこんで間違っていきます。何も知らない方がましだというわけです。

経験豊富な職人は初心者の職人やマニアの素人好みの願望を厳しく否定しなくてはいけません。
それを聞くと年長者の保守的な古い考えと思うかもしれません。


実際に全く音に違いを作り出すことができないかとなるのですが、私はそれに取り組んでいます。職人の間でこう作ると音が良いと言われていることの逆や、音が悪いと言われているものを作ってみればもしかしたら違う音ができるかもしれません。そのような試みをする頭のおかしい人はわずかでしょう。実際にやったこともなく先人から学んだだけです。

ヴァイオリン職人の世界はそんなレベルです。

もう一つは過去数百年の間に数えきれないほどの楽器が作られて来たので、それらから学ぶということもできます。一人の人が創意工夫するよりもはるかに多くの試作となります。

そうすると音が悪いと言われている楽器の作り方で作ってみて、やりすぎなくらい違う音を出すことができれば、いつでももう少し普通の音にすることはできるわけです。

それでもいまだやりすぎるほど変な音にはなっていません。

つまりヴァイオリンというのはヴァイオリンのようなものを作るとなぜかわからないけどヴァイオリンのような音がするのです。ですから、才能だとか上達だとかそいうことは無いんです。
初めて作ったときからすでにヴァイオリンのような音になります。職人が腕を上げてそれ以上精巧に作ってもさほど変わりません。好みの問題で弾いた人によっては音が悪くなったと感じることもあるかもしれません。速く作れるようになれば生産コストが下がるというだけです。生産コストを下げ売り物として成立し、何らかのきっかけで有名になると名工となっていきます。

腕に自信がなく「私は何より音に興味を持っています」と話す職人がいます。しかし変わったものを作ったことが無く普通の方法で作っているだけです。つまり楽器に興味がないのですが、事実を突き付けて論破することもできません。また興味があるから音が良い楽器が作れるという理由にはなりません。その人が嘘ばかり言う人だとしても、身内の何十年と連れ添ったよく知っている人にしかそれが嘘だということはわかりません。虚言癖のある人は本人もわかっていないんでしょう。



こちらは以前紹介したドイツのモダンヴァイオリンです。作者はクサファー・ケアシェンシュタイナーで1904年とラベルにあります。相場に名前が出ているほどでドイツのモダン作者では一流ということになります。
しかし残念なのは表板に割れがあります。
バスバーのところと、よく見ると魂柱のところにもあります。右の上下のコーナーも傷んでいます。

裏板は板目板と柾目板の間くらいでしょうか?一枚板です。

ネックの長さが長すぎます。指板の先端は130mmであるべきですが、134mm近いですね。それだけではありません。
指板の位置で長さを測るなら指板の位置をずらして接着することもできますが…

すでにペグボックスに対してかなり遠くになっています。
正しいのは次の楽器の写真です。この前修理したホルンシュタイナーのものです。

指板の先端の位置がペグボックスの裏側のヒールの位置に来ます。
絶対に演奏しにくいとは言えませんが、指が当たる所はニスが剥げていますから、位置をずらせば持った感じは変わってきます。

ネックが長すぎるので継ネックが必要です。短すぎるネックなら木材を継ぎ足すこともできる場合があります。しかし長すぎるものを短くするには、ネックを根元から新しくしないといけません。

近代ドイツモダンの名器ではあります。それでも修理はかなり必要です。値段は修理が済んで状態が完璧なら2万ユーロ(320万円)くらいです。同じ時代のイタリアの楽器に比べればはるかに安いものですが、修理する価値はあるでしょう。しかし売れるかどうかは音にかかっています。資産価値がいくらあろうと音を気に入る人が来なければお金に変わる事はありません。こういう珍しい楽器は社長の趣味のコレクションです。

一応バスバーの縁で割れたところは修理してありました。

修理はしてありましたが傷が目立っていたので接着しなおしました。


魂柱のところに割れがありますが貫通はしていません。強く衝撃が加わったため、魂柱が表板にめり込んだようです。

魂柱のところは内側をくりぬいて木材を埋め込んで補強します。

接着した後削って厚さをオリジナルと同じにすることができます。


バスバーの位置を見直し付け直します。

裏板は無傷で表板の修理が完了です。


ライニングが太く素材もシナでしょうか?コーナーのブロックの形状も個性があります。

一見して1900年頃のドイツのモダン楽器の特徴はありますが、他の国のものとのハッキリとした違いはありません。ハンガリーのものだと言われればそうも見えます。
基本的にはフランスの楽器製作が元になっていて尖った大きなf字孔のガルネリモデルはよくあります。
ヴィヨームのイル・カノーネのコピーが有名です。そのようなフランスの楽器製作の影響があります。
ニスも赤く古いドイツの楽器とは全く違います。
アーチも平らでオールドのドイツの楽器とは全く違い、フランス的なものですが・・・。

板の厚みはかなり厚めです。1900年くらいから厚めの板の楽器が作られるようになると話していますがまさにそれです。
寸法は実際のデルジェスとは違い大型です。デルジェスをイメージしたモデルというだけで型を写したわけではありません。このようにストラドモデルやガルネリモデルでも作る人によって個性があるのです。

板は厚めに作られていますが見事に真っ二つになっています。厚く作っても壊れてしまいます。
修理の経験によって私は薄い板でも修理して何百年でも使えると学びましたが、この頃修理の経験からもっと板を厚くするべきだと学んだのかもしれません。同じ経験から違う結論を導くことがあり得ます。理屈なんてそんなもんです。

修理後はどんな音になるのでしょうか?
来週は用があるので休みです。その次の週くらいに続きます。記事を書く時間もありません、コメントに返事などはできません。
こんにちはガリッポです。

初めはアメリカのヴァイオリンの話です。
アメリカから来た演奏者が持っていたのはミネアポリスで1950年代に作られたというラベルの付いたものでした。一見してごく普通のヴィオリンでヨーロッパのものと違いがありません。マルクノイキルヒェンのマイスター楽器をアメリカに輸出して、アメリカの作者や店のラベルを貼って売ることがあったそうです。しかしマルクノイキルヒェンの作者ほど手慣れておらず手作り感がありました。
私の話を無視して関係の無いことに興味を持つ人が出そうなので残念ながら写真は掲載しませんが、ニスは色を得るために顔料が使われています。顔料というのは色のついた粉末で、絵の具になっているものです。それに対して染料というのがあります。これは色が液体に溶けているもので、ニスに溶け込んでいる色素です。見た目の違いがはっきりとあります。染料の方が透明度が高く、このヴァイオリンでは顔料が使われているのでパフリングなどがぼやけてハッキリ見えません。アンティーク塗装の手法で顔料を用いるのは今日でも流行している方法です。それがこの時期のアメリカにすでにあったということは興味深いです。ほとんど油絵の具の様な感じです。イギリスと関係のある作者なのでしょうかね?今でも流行に敏感でインターナショナルな知識を持っている人がやりたがる方法です。ストラディバリのニスはこの顔料だといううわさを聞くことがあります。でも顔料でやると私はちょっと古い楽器とは違うと思います。実際ストラディバリのニスの顕微鏡写真でも顔料は多用されていないそうです。わずかに使われているのは補助的なものなのか、乾燥剤として使われているのかもしれません。そういう意味では20世紀後半以降のニスということですね。
板は20世紀的な厚めのもので、とてもよく鳴っていました。ビャーっと硬めで引き締まり響きの豊かさは抑えめです。同じころに作られたミッテンバルトのホフマンと同じようによく鳴っています。音色にはなぜかわからない個体差があります。70年もすれば何でも鳴って生産国などは関係ないのです。


ほかにも外国からの観光客なのかTシャツ短パン姿の男性が来ました。ヴァイオリンを探しているというので聞くと150万円位の予算だそうです。
用意して試奏してもらうと次々と有名なコンチェルトを弾いていきます。姿を見ず仕事をしながら聞いてた私はパガニーニがやって来たかと思いました。
音だけ聞いていても、肩当を付け直して調弦して、ヴァイオリンを持ち換えたのはわかります。面白いのはさっきと同じ曲を弾くのではなく、持ち替えたヴァイオリンで次々と違う曲を弾いていくのです。私は技術者として考えると同じ条件で比較した方が良いと思うのですが、音楽家は発想というか頭の仕組みが違います。全く違う種類の人間ですね。我々にはわからないので、何が良いヴァイオリンか決めつけない方が良いでしょう。
それだけ弾ける人が150万円のヴァイオリンも持っていないのでしょうか?
私でも上手いか下手かはわかります。先生ならごく普通の楽器を持っていればうまい人だということが分からないはずはないでしょうね。


次の話は、クレモナのヴァイオリン製作学校で5年間学んだ人がインターンで働いていました。3週間じゃほとんど何も学ぶことができません。材料として購入したチェロの指板を仕上げる作業をやってもらいました。

出来上がったものを見てみると、工場の量産品と変わらないレベルでした。手作業で二日かかって量産品のレベルです。私が継ネックの修理をするための準備をしてもらったことになりますが、この指板では使えません。削りすぎているため私が新しい指板をやり直します。
黒檀は貴重でチェロの指板は卸値で今では2万円くらいしますからそれが無駄になったわけです。もったいない話です。捨てることはなく安価な量産品の格安修理用に使うことができるかもしれません。

こんなレベルでは手作業で作ったからと言って量産品と同レベルのものを高い値段で売ることになります。これがクレモナの方針なのか個人の問題なのかどうなんでしょうか?

なぜこんな問題が起きてしまったのかです。
うちの職人はみな自分の仕事があって、教えている暇がないというのが一つ。
既に5年もやっているのでできるだろうと甘く見ていたのが一つ。
大きな問題は、本人が自分は既にできると思っているのが一つです。

正しくは一つ一つの作業ごとにチェックを受けて、OKが出てから次の工程に移るべきでした。それを自分で判断して「できた」と思って次の工程に進んでしまったのが問題です。学校でどんな教育を受けていたのかわかりませんが、学校でもそうするように教わっていなかったのでしょう。一つ一つの作業で正しい状態になっているかチェックを受け、できるまでやらせるといつまでもできないので、そこまで教えていないのでしょう。

師匠に指摘されなければ、不完全であるということがわかりません。
5年間勉強してもその程度なのが普通なのです。

何ができていないかと言えば、カンナで黒檀を削るというシンプルなことができていません。できていないものをやすりやスクレーパーでごまかして余計に大惨事になっているのです。指板削りを見れば十分な腕前か分かるのです。指板の加工なんて個性以前の問題です。個性的な指板じゃ弾きにくくてしょうがないでしょう。
指板は私も未だによく分かっていなくて試行錯誤をしています。

私は分からないことを分からないと認めることが重要だと考えています。
専門家でもそんなものですから、噂レベルの知識を学ぶことはほんとにやめた方が良いと思いますよ。


作っているヴァイオリンの途中経過です。お馴染みのピエトロ・グァルネリのモデルです。現在の作業は一番左のネック部分にかかったところです。

毎回うまくいかないf字孔ですが、型を作り直しました。うまくいかないのが常なのでこの程度で満足です。これ以上を目指すと余計に大惨事になってしまいます。広げ過ぎたf字孔は本当に無様なものです。ニスを塗る作業で毎日見ると後悔してもしきれません。

オールド楽器ではf字孔の幅が狭すぎて作られた当初の状態では現代の魂柱が入らないことがよくあります。現在では6mm以上の直径の魂柱が使われています。年々太くなっていて今では6.3mmくらい使う人が少なくありません。ストラディバリのf字孔では5.5mmくらいしか幅がありませんし、フランスのモダン楽器でも5.8くらいでしょう。

アーチが高いと丘の向こうにf字孔がある感じです。

崖にf字孔があります。

穴の幅はちゃんと6mm以上ありますが、斜面になっているので

垂直に見ると5.6mmくらいしかありません。f字孔の型では6mm以上あるのに、立体にすると5.6mmくらいになってしまうのです。それで今までは型を無視してさらにf字孔の幅を広げていました。それで穴がでかくなりすぎて大惨事になるわけです。
平らなアーチではf字孔の幅がそのまま穴の幅になります。しかしオリジナルが5.5mmくらいしかないストラディバリを忠実にコピーすることができないのはこのためです。

それでも古い楽器は意外と魂柱が入ります。変形や摩耗によって広げられているからです。f字孔の外側は表板が変形して下がってきます。f字孔も太めの魂柱を無理やり入れることで広がってきます。300年のうちにちょっとずつ太くなったなら入るようになっています。

6mmの魂柱を入れてみましたが不思議と入ります。5.6mmしかないはずなのにです。
今回の発見です。
この後はアンティーク塗装とともに摩耗したようにするのでさらに余裕ができることでしょう。

魂柱が入るか入らないかだけの話ではありません。入りさえすれば良いというのであれば形を無視すれば良いのですけども、そこだけ太かったら形が変でしょ?

オリジナルのピエトロ・グァルネリではストップが長すぎるので、f字孔の位置を変えています。オリジナルに忠実だから良いというのではありません。実用上重要な部分は手直しが必要です。
グァルネリ家はストップの長さに無頓着でした。演奏上問題なくモダンフィッティングが可能な状態でピエトロ・グァルネリらしさをいかに表現するかが目標となります。真上から見れば5.6mmのf字孔の幅もらしく見えるギリギリです。魂柱を入れない左はもうちょっと細いです。

型も納得いかないので毎回モディファイして作り直しています。かなり信用できる型になったのでアドリブでいじるよりも、型に忠実にする方がマシです。作業も早くなりました。


バスバーは気持ち小さめにしてみました。高いアーチではアーチ自体に強度があるのでG線側の沈み込みが少ないのです。ホルンシュタイナーの修理で試したことです。若い木の新作楽器でどっちに出るのかなのですが、わかりませんね。


板はいつものような厚さ(薄さ)です。
この前のマックス・ホフマンのようなグラデーションとの違いは、表板についてはどこも薄いということです。グラデーションの場合には厚い所、中間、薄い所が同心円状に広がっています。これはほとんど全部薄くて魂柱のところだけ中間の厚さになっています。
裏板も4.5mmから3.5mmまで1mmの差が短い間隔で急激に薄くなり、2.5~2.0までは0.5mmしか差がありませんが広い面積を占めています。
一番厚い所から急に薄くなって、薄い所が広いのです。ですから均等なグラデーションではありません。特に面積が少ないのは3.5~2.5mmの中間的な厚さのところです。
厚みの差を地形に例えると、小さな山があってふもとに広い平地がある感じです。
グラデーション理論は高い所から低いところまで一つの傾斜にすることです。

高いアーチの特徴をリジットと説明しました。
日本語にすると・・・
堅くて曲がらない、硬直した、こわばった、厳格な、厳重な、厳密な、精密な、堅苦しい、融通のきかない、厳しい

あまり良い特徴とは言えません。
このため近代ではフラットなアーチになったのです。
フラットな方が当たり外れは少ないでしょうし、乱暴に弾いても音が潰れません。

表板を持って曲げてみてもほとんどしなりません。古い楽器よりは若干弾力があります。古い楽器ではもうすぐに割れそうです。
板の厚みを決めるのに、ゆっくり力をかけて曲げてみる方法があります。どのくらい柔らかくなっているかで板の厚みを判断するのです。これはフラットなアーチでは機能しても、高いアーチでは全く機能しません。いくら薄くてもびくともしないのです。

そうなると板に力を加えて曲がり具合で板の厚みを決めるという方法自体が法則性として成り立たないということです。高いアーチの楽器は作ってはいけないという前提の方法です。

高いアーチはカチコチなんです。
そのため極力板は薄い方がベターでしょう。今回は周辺部分を特に薄くしてあります。バスバーを小さめにしたのも同じ理由です。一方高いアーチでは表板の中央が陥没するリスクが高いのでアーチの形状には注意が必要です。



材質は今回のような板目板の方が柾目板よりも柔らかいでしょうが、極端に柔らかい板ではありません。表板は柔らかい方です。

アーチも高さの割にはなだらかな膨らみで癖は少ないものです。アレサンドロ・ガリアーノではもっとボテッとした丸みがあります。見た目はオールドらしさという点では印象が強くありませんが硬直した部分は少ないでしょう。

トータルではオールド楽器のような柔らかさが出ることを期待しています。

リジッドで良い部分はダイレクトであるとか、抜けが良く音に味があるとかそういう部分です。私のようになぜか音が柔らかい癖のある人では、メリハリが効いて、弾いてる本人には手ごたえが感じられるでしょう。鋭い音の楽器を作る人には高いアーチは向かないかもしれません。しかし他に作る人がいないのでデータがありません。

つまり楽器の作りよりも、なぜかわからないその人の癖の方が音の影響が大きいのだろうということです。アーチが高くても低くても「その人の音」の方が特徴として大きく、作りの違いはスパイスくらいのものです。

高いアーチの楽器の良い所は、弾いてる本人に手ごたえがあって、離れて聞いてもきれいな音がすることです。

よくあるフラットな楽器で本人に手ごたえのあるものは、離れて聞いている人には耳障りに聞こえます。聞いてる人にきれいな楽器は本人は柔らかすぎてしまいます。

高いアーチでも扱いにくくならないようにするのが課題です。そのノウハウをずっと研究しているというわけです。19世紀には極端にフラットなアーチで板が薄く極限まで性能が追及されました。
それに対して20世紀以降はもう少し高さのあるややフラットなアーチで厚めの板厚にするというのが主流となりました。それでも板は硬くなります。私は逆に高いアーチに薄い板の組み合わせにして音に個体差以上の違いが生み出せないかと考えています。

まあ、これらは期待であって本当にそうなるかはわかりません。
しかし、常識から全くかけ離れたものを作ることでようやく個体差ではなく意図して音を作ることができるでしょう。細かなこだわりは意味がないのではないかと考えています。

作業自体が難しいのはもちろんですが、作業に没頭する時間を確保するのがそれ以上に難しいです。やりたくてもやれないもどかしさがあります。コメントなどに返事はできませんのでよろしくお願いします。





こんにちはガリッポです。

またまたミッテンヴァルトのヴァイオリン。


写真では違いがわからずどのヴァイオリンも同じように見えてしまいます。普通のヴァイオリンに見えます。

これだけでは産地は全く分かりません。

ミッテンヴァルトと書いてあるので分かります。「手仕事」と書いてありますが機械を多用した量産品です。GEWA(ゲヴァ)ではないかと同僚は言っていました。
2000年以降GEWAは中国に生産拠点を移していますが、他の会社でも同様ですのでそれより前の製品ということが分かります。大雑把に1990年ぐらいでしょうか。
20世紀末の量産品では伝統も失われブーベンロイトでもマルクノイキルヒェンでも違いはわかりません。
ニスはラッカーのように見えますが、乾燥してひび割れを起こしています。ラッカーの耐用年数が30年くらいと言われていますからそれくらいのものでしょう。
それに対して1900年前後に作られた量産品のラッカーは今でもいい状態を維持しています。エレキギターの世界ではそのようなラッカーは高級品とされるものです。

見た目はさほど悪くありません。中を覗いてみても、戦前のような仕事の粗さは見られません。しかし厚みを測ってみるととんでもなく厚いです。チェロの厚さです。

私のように楽器があればすぐに板の厚みも測るという人は多くはありません
楽器を開けずに板の厚みを測るには特殊な道具が必要で、測っていない業者も多いと思います。昔にはそのような道具もなく、これまで言われてきた知識には含まれていないのです。板の厚みに関するウンチクには実情とは異なるものが多いのもちゃんと測ってすらおらず、想像で語って来たからでしょう。
f字孔の部分から表板の厚みを見る方法が知られていますが、極めて不正確なものです。


前回は弦楽器の音は好みの問題で、客観的に評価できないという話でした。
弦を張ってはじいて調弦してみると明らかに鳴りません。30年くらい経っているにもかかわらずです。
こういうものはまれです。
弓で弾いてみても印象は変わりません。
これなら10人中10人が音が悪いと言うかもしれません。
3/4のヴァイオリンでもこれよりましですから、1/2くらいの鳴り方です。
私もここまで音が悪い楽器はめったに出くわしません。

GEWAで販売されたおそらく中国製のとても安価なチェロも来ていました。10万円もしないようなチェロでしょう。それでも、音は大きくてやかましく聞こえます。うちの工房のスタッフにするとひどく安物の音と感じますが、音が大きいので好みの問題と言えます。むしろ安い物の方がやかましく感じるくらいです。音の大きさを優先する人はどちらかと言うと多数派です。それに対してこのヴァイオリンは重いミュートを付けたような音です。近所への騒音の心配がある人には良いかもしれません。

つまり、ミッテンヴァルト製、ドイツ製よりも中国製の方が音が良いというわけです。前回のホフマンもホルンシュタイナーもどれも全く音が違いますので、産地で音のキャラクターなどはないということが分かってもらえたでしょうか?

まとめると、板の厚みは薄すぎては壊れてしまいます、厚すぎると全く鳴りません。その間であれば、多少厚めでも薄めでもそれは楽器のキャラクターになるので、好き嫌いの問題となるのです。
作りや経年変化など他の要素もあるので厚みの数字にこだわる必要はありません。
このためこの厚みが最高という具体的な数字があるのではなく、幅があるのです。その範囲になっていれば好みの問題で大丈夫なのです。それくらい大雑把に弦楽器は理解しないといけません。試してみて好きな音のものを買わないといけません。

1900年以降は厚めの楽器が多く作られるようになったので、薄めの楽器は選択肢として少ないのが実情です。音を試せといっても楽器自体が無いのでは無理です。
それは常識として厚めのほうが良いと広まったからでしょう。しかし古い楽器では何百年も持っていますからもうちょっとギリギリまで攻めても大丈夫じゃないかと私は考えています。

以前ミッテンヴァルトの戦後の量産品を取り上げました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12861513963.html
板が薄めに作られていて、他のチェロと比べると低音の響きが圧倒的に豊かで個性の違いははっきりとわかります。しかし低音が響くことが重要かどうかは好みの問題です。

国ごとに音の違いができるには品質管理が徹底していないといけません。実際はバラバラなので音もバラバラです。弦楽器の製法が法律で定められているわけではありません。日本人に生まれた限り全員寸分たがわぬ同じ楽器を作らないといけないという決まりはありません。時代ごとに流行があり国境を超えて広まります。国名は何の意味もなさいというわけです。

それから板が厚いとサイズが小さな楽器のような音になるという例が得られました。フルサイズのヴァイオリンなのに1/2のような音になることがあるということは、楽器の大きさだけでなく板の厚さが重要だという事でもあります。大きくてもダメな楽器があるということです。

これは弦楽器全般にとって有益な知識です。4/4のヴァイオリンについて考える時も、大型や小型のモデルがあります。しかし他でカバーができるという事でもあるので必ずしも大きさの寸法にこだわる必要が無いということです。

ビオラについては特に重要です。こんなことも理解されておらず、現代では厚めのものが多く作られます。チェロでも異なるモデルがありますが、モデルがなんであるかよりもトータルでどうかという話で、結局弾いてみないと分からないということが確かになるだけです。

さらに言えば、ストラドモデル、ガルネリモデル、モンタニアーナモデルなどモデル名で音の特徴は言えないということです。

もう少し詳しく考えると、高音はそれほど弱いという感じがしませんが特に低音が全く出ません。やはり楽器ごとに音域が違うのでそれに適した厚みがあるのです。これくらい大雑把に考えるとうまく説明ができます。

板の厚みは振動する周波数と関係があり、つまり音域に関係してくるのでしょう。楽器で演奏する音域と板が振動して音が出る音域が一致している必要があります。ですから正しくは厚いから鳴らないのではなく、ヴァイオリンの音域が出ないということです。薄いほど鳴るというわけでもないでしょう。逆に極端に薄くしてヴァイオリンよりも低い音域で振動できてもエネルギーの無駄になります。ただしその低音は音色には影響があるかもしれません。



ラベルには「手仕事」と書いてあります。

世の中で様々な職種があります。
例えば事務職であれば書類やコンピュータでデータを扱う仕事が多いでしょう。
仕事場もオフィスや店舗、施設などいろいろあります。人とコミュニケーションを取ったり、言葉で説明したり段取りの仕事もあります。人に指示したり管理する仕事もあるでしょう。

その中で工場や現場で物や構築物を作る作業の仕事のことを「手仕事」と理解すれば良いと思います。日本ではガテン系とか言いますね。

同様のラベルはたまに見ることがあります。このラベルがあれば、機械で作られた大量生産品と考えて良いと思います。

それに対して、職人が一人で手作業で作ったものはマイスター作品と呼ばれるものです。前回の話でした。マイスターの楽器にはこのラベルは貼られていません。ホフマンと今回のものでは音の差が明かでしたが、必ずそうなるとは限らないでしょう。


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こんにちはガリッポです。

弦楽器の音について客観的に評価する方法がありません。電気製品なら粗悪品は電源が入らなかったり音が出なかったりして、うんともすんとも言わなくなるかもしれません。しかしアコースティックの弦楽器では、弦を張れば音が出ます。音が出さえすれば、だれにとっても音を良いとか悪いなどということはできません。音が出ない原因は弓の毛に松脂がついてないくらいです。

例えばAとBの二つのヴァイオリンがあるとします。多くの人に弾いたり聞いたりしてもらいます。その時、メーカー名や生産地、値段を言わずどちらの音が良いと思うか聞いたとします。この時10人中10人がどちらかを良いと言うことはよほどのことです。現実には意見が分かれることでしょう。
もし6対4でAの方が多数だったとしてAの方が音が良いと決めて良いでしょうか?

4の人にとっては自分が間違っていると考えを変えなくてはいけないでしょうか?
そんなことはありません、4の人にとってはBの方が音が良いのです。

8対2だったらどうでしょう?
これも同じです。2の人が間違っていてAの方が音が良いと認めるまで牢屋に閉じ込めて拷問することができるでしょうか?
2の人にとってはBの方が音が良いのです。

またホールや聞く距離によっても音が違ってきます。別の環境で試せば全く違う結果になるかもしれません。

もちろん商売であれば言いくるめてしまう方が良いかもしれません。仕入れを絞れば費用を削減できるからで、それが現実の世界です。つまり、自分で音を評価することを放棄すれば、売り手の思う壺というわけです。安く手に入りやすいものを音が良いですよと言って高く売るわけです。
日常ではそのようなことが多くあり、ファッションでは今年はこれが流行ですよとか、この曲がヒットしてますよと買うように勧めてきます。それも違法ではありません。

しかし、正しい知識ではありません。個人の自由も侵害しています。

技術者としては音が出るか出ないかは言えても、良いか悪いかは言えません。
音の良さの基準が定まっていないからです。
先生やプロの演奏者が良いと言ったとしても、別の先生は違うことを言うかもしれません。また先生と同じように演奏はできないかもしれません。

表板や裏板が合板つまりベニヤ板で作られた楽器の音が良いと感じた人がいたときに「あなたは間違っています」と指摘することはできません。私に言えることは安く作るための手法で作られているものは安い値段で買うべきということと、壊れても修理はできないということです。

ペグの具合が悪く調弦できなかったり、ビリついて異音がする楽器を売ったのなら、無料で修理などをしないといけません。買ったけど音が好きではないという場合には商品の欠陥ではなく売り手に責任はありません。
だから必ず自分で音を確かめないといけないのです。

戦後のミッテンヴァルトのヴァイオリン


この前からマティアス・ホルンシュタイナーのヴァイオリンの修理の様子をお伝えしました。持ち主の教授は楽しんで弾いているようです。
ミッテンヴァルトではオールドの時代から弦楽器製作が続いています。しかし現代のものはそれらとは何ら共通点を見出すことができません。産地で物を考えることは意味がありません。
日本人にとって特別なのは、東京でヴァイオリン製作を教えた師匠にはミッテンヴァルトで修行した人が重要な役割を果たして来ました。
無量塔 蔵六こと村田 昭一郎氏が東京バイオリン製作学校を設立し多くの職人を育成しました。そのつてで優秀な職人がミッテンヴァルトで学んで西洋の弦楽器製作を伝えたのでした。東京もミッテンヴァルトの流派ということもできます。日本には何が伝わったかということです。


このヴァイオリンは1956年にミッテンヴァルトで作られたものです。ラベルにはマックス・ホフマンという名前が書かれています。
この作者については文献を調べてもどこにも見当たりませんでした。しかし加工のクオリティが高くニスもオイルニスなので、量産品のようなものではなくマイスターの作品と考えて良いでしょう。この作者のものと考えて良いでしょう。
まず見てニスが鮮やかなオレンジ色です。オールドのミッテンヴァルトとは全く違います。20世紀の流行の色ですね。
ドイツのモダン楽器では量産品にはラッカーが使われ、高級品には柔らかいオイルニスが使われました。これは19世紀後半以降の考え方です。今でもラッカーが安物でオイルニスが高級という考え方が残っています。音については冒頭で説明したようにどちらの音が良いかは言えません。

裏板も質の高い一枚板です。ニスは実際の使用で一部剥げています。楽器自体にダメージはほとんどありません。
ミッテンヴァルトは木材の産地ですが、植林によって成長の早い木材ばかりを植えました。表板の材料はたくさんあっても、裏板のメイプルは枯渇しています。ミッテンヴァルトでもボスニアなどのバルカン半島の木材が使われています。

モデルは忠実なストラディバリモデルという事でも無いようです。オールドの時代から続くノイナー家のルドビヒが1870年頃ヴィヨームの下で修業しフランス式の楽器製作をミッテンヴァルトにもたらしました。
ミッテンヴァルトのモダン楽器といえばフランス的な作風が特徴です。しかしこの楽器ではもはやフランス的な特徴は分からなくなっています。ヴィヨームの「メシアモデル」も失われています。
今のように実物大の印刷物などもなく、当時の職人は標準化された寸法を元に自分でデザインしたり、師匠から受けついだりしたことでしょう。その意味で言うと独自のモデルとして個性もあります。
このヴァイオリンでは表板や裏板の一番上がわずかに尖っています。ちょっとコントラバスっぽい感じもします。高いポジションの演奏をするときに手の邪魔にならない効果があるかもしれません。
それを意図的に行ったのかは知る由もありません。

ヘッド部分もきれいに作られています。
渦巻の中心の丸い所が小さい感じがしますがそれも個性ですね。丸み自体はきれいに作られています。


明らかに量産楽器とはランクが違います。ペグボックスにはボヘミアの特徴があります。それ以外にはボヘミアの特徴はありません。

ピシッとして際まできちっと加工されています。

アーチも現代的です。表板や裏板の上下の中間地点ではなく、駒のところが頂上になっているようにも見えます。何かしら考えがあって理屈っぽいです。
70年近く前の楽器なのに、ネックの下がりなどは無く駒の高さは新作楽器のようです。何故かはわかりません。

教科書通りのヴァイオリン


ミッテンヴァルトではヴァイオリン製作学校があって、戦前にもすでに教育が行われていました。まさに教科書通りの楽器というそんな感じです。その中にも多少の個人差があり、それが微妙な個性となっています。

板の厚みも測ってみました。1900年頃から厚くなっているという話でしたがまさにそれです。
中でもグラーデション理論に基づいているのが分かります。グラデーションというのは板の厚みについて、中央が一番厚く周辺に行くにしたがって薄くなっていくというものです。当時はそれが何か優れたものだと考えられていたのでしょう。

長年使われていなかったようで消耗部品を交換する修理をしました。指板を削り直し、ペグ、駒、魂柱、テールピース、あご当て、弦を交換するとともに、ニスの補修を行いました。柔らかいニスだったので表面は亀裂が入り汚れが付着していました。それもピカピカになりました。アンティーク塗装ではない楽器で70年経ってこんな感じです。使っていなかった時期がかなりあるようです。

出来上がって弾いてみると、とてもよく鳴ります。音色も深みがあり高音も鋭すぎるというほどではありません。パーンとよく鳴る感じです。
新作楽器では全く敵わないでしょう。これでも作者名は知られておらず、値段も新作楽器よりも安いです。このようなものがあれば新作楽器を買う意味がありません。

無名な作者の楽器なのによく鳴るということはどういう事でしょうか?
誰も調べていないということに他なりません。このように特別知られていない作者は無数に存在し、音は決して有名な作者に劣りません。
作者は無数に存在し、音は意見が分かれるような微妙な違いがあるだけで、すべてを網羅して音を評価し値段を付けることなんてできません。見ず知らずの楽器との一生に一度の出会いにどう反応するかだけです。偏見を持っていると相手を理解することはできません。


楽器の製法も同じ時代の常識に基づいて作られているので有名な作者と差がありません。値段が大きく違っても職人から見ると同等の楽器です。

板はオールドからすると厚めになりますがよく鳴っていますので何も問題はありません。低音も楽器自体が鳴るので出ます。低音が特別他の音よりも強いということが無いだけです。

一方でホルンシュタイナーと何か共通する独自の音があるかと言えば特にないですね、「ミッテンヴァルトの音」や「ドイツの音」なんてものはありません。

オールド楽器のネチャッとした柔らかさはなく元気よく強い音がします。非力な演奏者にとっては音が良いと感じられるでしょう。上級者にはその硬さが自由な演奏を妨げ足かせになるかもしれません。

教科書通り普通に作っておけば、70年もすればよく鳴るようになっていることは珍しくもないということです。当時の教科書も間違ってはいないし、天才だとか名工だとかそんなのは関係ありません。
前回の話のように最後まで楽器を作る労力の方がとにかく重要で、天才のひらめきなどは無いのです。

特別高価なものを買わなくても音が良いものがあるということです。

ヨーゼフ・カントゥーシャについて


私たちにとってはたくさんいる現代の作者の一人でしかないカントゥーシャでしたが、どうも日本(のマニアの間)では有名人なようです。
日本人の弟子が何人もおり、尊敬する対象として伝えられたようです。しかし同じ産地の別のマックス・ホフマンでもちゃんとよく鳴るのですから、個人を崇拝する必要はないですね。
カントゥーシャは1940年代にミッテンヴァルトのヴァイオリン製作学校で学び、さらにマイスターの下で修業しています。
戦後に独自のモデルを作ると、2000年代に亡くなるまで全く同じ形の楽器を作り続けました。日本で亡くなる寸前に作られたヴァイオリンを見ましたが、晩年は弟子も後継者もおらず90歳代とは思えない驚異的なものでした。
そのため見ればすぐに本物かわかります。真贋を知りたいなら日本には弟子がいるので見てもらえば確実です。新作に特化しかなりの数を作り、日本人の弟子が作ったものも含まれていることでしょう。
ストラディバリのように毎回バラバラで違うようなものを作っていたのとは違います。


カントゥーシャもホフマンも共通の基礎があることが分かります。カントゥーシャもその時代の常識をひっくり返すようなものではありません。
カントゥーシャのモデルは独特でかなり変わっています。オールド、モダン楽器には全く興味がなく、標準的な寸法でカーブがなめらかになるように自分で設計したのでしょう。ただしミドルバウツの幅が異常に広いです。運弓の妨げになるリスクがあります。なぜそうしたか私にはわかりませんが、直線距離での幅が、アーチをまたいで測った場合の寸法くらいになっています。これらを混同したのでしょうか?

形で言うと上が平らで四角くく下が丸くなっています。この楽器の逆ですね。ビオラでは体とのフィットではどちらかと言うと不利な形になります。

もう一つ大きな特徴は周辺の溝が極端に深く彫られていることです。トレードマークと言ってもいいほどですが、オールド楽器などは全く無視した姿です。

それでも品質は高く精巧に作られているので立派なマイスターの楽器です。ホフマンや一般的なものと比べて変わっている所は個性であり好みの問題としか言えません。


なぜそのようにしたかは、私よりもその流派の方の方が詳しいでしょう。
楽器を調べてみるとよりグラデーション理論が厳密に行われていることが分かります。

模式図で示すとホフマンのヴァイオリンでは上の図のようにグラデーションがほどこされています。
真ん中が厚くて周辺に行くにしたがって薄くなる様子です。しかし一番端に向かって再び厚くなっています。
エッジ周辺は測定が難しく下の図のように寸法の品質管理が難しい所です。

Aのように内側をくりぬいて作られている楽器もあります。
それに対してカントゥーシャはBのようになっています。これで理論通り完璧なグラデーションにすることができるわけです。
これなら毎回全く同じ楽器が作れるし、弟子にも作らせることができます。

ストラディバリやアマティのようなアバウトな楽器作りとは全く正反対ですね。
オールド楽器ではCのように周辺が大きく彫ってあるのでそもそも薄くなっています。このように全体が薄いのがアマティ派の典型です。
矢印で示したようにアーチのカーブが裏側のカーブにも表れてきます。

これが改良となるためには、「中央を厚く周辺に行くにしたがって薄く作ると音が良い」というグラデーション理論が正しくなくてはいけません。

果たして「グラデーションになっていると音が良い」というのは本当でしょうか?

実際にオールド楽器やモダン楽器では厳密なグラデーションにはなっていないものが多くあります。リュポーやヴィヨームのヴァイオリンでは表板の厚さがすべて同じになっています。グラデーション理論が正しいならこれらの楽器の音が悪くなければいけません。
しかし実際には悪いどころかソリストに愛用されています。
オールド楽器でも厚みにはばらつきがあり法則性がはっきりしません。デルジェスでは表板の中央よりも周辺の方が厚いものがあり、私はコピーを作ってみましたが、ヴァイオリン教授に絶賛されて教え子が使っています。全く正反対にしても音は悪くなりませんでした。

大雑把に言えば中央を厚めにした方が壊れにくいということは言えます。昔の人はそのように考えた事でしょう。その結果300年経った今でも健康な状態を維持することで良い音を出すことができます。特に裏板の中央は薄すぎると変形してしまいます。しかし音についてはよく分かりません。壊れやすい所が厚めになっていればそれで良いのでしょう。
一方でホフマンのように良く鳴っていますから間違ってもいません。音は好みの問題で作りは何でも良いということですね。

このため改良と信じていたことも客観的にはさほど意味が無いことだったのかもしれません。

グラデーション理論に基づいて作ると、厚い部分と薄い部分、その中間の部分を作るために、全体的に板が厚めになってしまいます。広い範囲で薄く作ったものや全体を薄く作ったものより厚くなるのは当然です。ただ単に厚めの楽器というだけです。差をつけるためにカントゥーシャではホフマンよりもさらに表板の中心が厚くなっています。中古楽器なら買い取るのをためらうような厚みです。

一方周辺部の厚みは、私の経験上結構重要で、自作や量産の楽器を改造して周辺部分を薄くすると、板全体を薄くしたのと同じような効果が得られるようです。

このためカントゥーシャの楽器は中央の厚みの割には弊害が少なくなっているのではないかと思います。
結果オーライで現代の楽器としては普通の音の楽器になっています。好みの問題です。見た目でもそうですが音もオールド楽器を目指しているわけではないようです。

いずれにしても、板は多少厚めでも薄めでもグラデーションがあろうとなかろうと好みの問題で何でも良いのでしょう。細かいことを気にしてもあまり意味がないのです。

ホフマンのように改良前の楽器でも十分鳴るので音は好みの差でしかありません。ホルンシュタイナーのように全く違う音も好みの問題です。

ニスについても70年もすればそんな差はどうでもよくなるようです。厚いニスは音が良くないという人がいますが、この楽器ではニスの厚みをもろともしないくらいに鳴ります。


法則性や規則性はほとんどわからないので何も知る必要はないということを知る必要があります。職人が何を考えていようと理屈を聞く必要はありません、実際に音を試せばいいだけです。マニアのような人たちの多くは頭の方が先で、音もそう聞こえるようです。そうなると一般の人の方が音が良い楽器を選べるでしょう。
私が書いたようなことも全くの見当違いかもしれません。

とかく人が知らないことを知っていると偉いような感じがしますし、知らないと不安になります。「多く知っていることが勝ち」という知識争いになります。ネットなどで語るには揚げ足取りの神経質な指摘を受けないように武装する必要があります。武装合戦はカルチャーを間違った方向に向かわせてしまいます。

とかく細かいことを知っていると説得力が出ます。オールドの時代には何となくこんな感じと作っていたのが、0.1mmまで規則性を定めると混沌とした世界に神が降臨したように思えるでしょう。しかし実際には、その寸法から外れても十分音が良い楽器がいくらでもあります。具体的な数字ではなくオールド楽器のように「何となくこんな感じ」を知っていることが重要なのです。こうなると安い楽器と高い楽器に明確な違いが無く、教えるのも難しいです。このため数世代もすると作風は失われてしまうのです。親子でさえ伝わらないことが多くありました。

そんなのは職人の勘の話ですから、ユーザーとしては先入観を持たず、ウンチクよりも音で選ぶ方がましだということを知っていることの方が偉いのです。製造コストに関わる品質については職人のチェックを受ける必要があります

自分が作っているものは完璧だと考えると、間違いが見つかるととても恥ずかしいですね。私は音については分からないと正直に打ち明けたほうが楽になると思います。
自分を全知全能と設定すると嘘を重ねることになります。人間はみなアホだというスタンスで見たほうが真実に近いと思います。

技術的な内容は一般の人には理解は無理です。
いつものように質問などには時間が絶望的に無く答えませんので。
こんにちはガリッポです。

よく忙しいと言っていますが、現代のビジネスマンのそれではありません。オールドヴァイオリンの時代は江戸時代くらいです。さほど昔ではないですが、それでも現代とはまるで違います。

東京から京都に行こうと思えば、歩いて行っていました。どうも歩いていくと2~3週間くらいかかるそうです。しかしヴァイオリンを作るのはそんなに短い期間ではできません。
一台のヴァイオリンを昔ながらの方法で作るには山口県の下関から青森県の大間埼まで歩いていくくらいの日数がかかるでしょう。

そんなことする人は今ではほとんどいないでしょう。自動車や鉄道を使うかもしれません。それと同じことはヴァイオリン製作でも行われていて、機械で生産されているものです。飛行機や新幹線を使うなら、中国製のヴァイオリンに自分のラベルを貼って売れば同じようなことです。他の産業では当たり前のことです。

徒歩でもリレー方式にしたらどうでしょうか?それは分業による昔の大量生産です。自転車に相当する手動の機械はローマ時代からあります。弟子に回させたこともあるでしょう。

江戸時代の暮らしをしているので時間が圧倒的に足りないのです。歩いて本州縦断するような無茶なことをしようとしているので時間が足りないのです。こんなことをしようと思うのは私がまれに見る暇人だからです。暇人であり続けないと楽器は作れません。

徒歩で下関から青森まで手紙を届ける仕事を頼まれたら、みなさんはいくらだったらやるでしょうか?それが楽器の値段です。

これがチェロになると、少なくとも2往復です。150万円でチェロを作れば飛ぶように売れますが、150万円で本州縦断2往復をやるでしょうか?

例えが正確ではありませんがいくらか想像しやすくなったでしょうか?

弦楽器製作は天才的なひらめきではなく地道な作業なのです。才能などは必要なくやり遂げさえすれば誰が作っても称賛に値するのです。


仕事以外の時間で楽器を作ろうとすると一日に平均して6kmくらいずつ進めるとします。体調不良や用事があれば平日に6km進むのも簡単ではありません。映画もサッカーの試合を見ることもできません。

人に呼び止められ話しかけられてしまうと場合によっては3kmしか進めなくなってしまいます。
それを次の日に取り返すことはできません。道に迷って進めない日もあります。

このペースでは8か月あってもゴールに到達できるかもわかりません。そのもどかしさに苛立ってしまうのです。

ブログの記事を書くのに10km以上進むのを犠牲にしています。それすらとてももどかしく思います。
あくまで日々の仕事の中であったことを書くだけです。そのために何かの準備はできません。
仕事中にも写真を撮れる時は限られています。仕事中ですから。


何か記事を書くと、それについて疑問が生じます。ある程度までなら疑問が出るであろうことを予測することができますが、あえてそれは書いていません。
なぜかと言うと生じるであろう疑問について説明を書くと、今度はその説明に疑問が出てくるからです。
説明すればするほど疑問が多くなります。

そうなると文章が複雑で分かりにくくなり、素直な読者の気が散って知るべきこととが伝わらなくなります。

どっちにしろ書いてあるのに間違って理解して疑問が出てきます。私にはどうにもできません。

人それぞれ自分の暮らしをしていて自分の興味関心があります。関連する記事が出てくると思い出します。自分の関心ごとで頭が一杯になり書いてあることはそっちのけになります。それに答えるのは無理ですので。
私の内情は書きたくないこともあります。

先週は無理して日曜日の夜に記事を書いて、睡眠が上手くとれずに疲労感で先週の平日はブレーキになってしまいました。神経が図太くていつでもどこでも眠れるのならそんなことにもならないでしょうが作るものも違ってきます。音も違うかもしれません。

無謀なチャレンジをしている最中なのでそれだけで精一杯です。
それでも、私のブログでは実体験に基づいた記事を書いています。本やネットに書いてあることを写しているわけではありません
読む価値があるかどうかはご自分で判断してください。


機械ではなくノミで彫って厚みを出します。
こんにちはガリッポです。

前回の記事の最後に追記をしましたが、修理が終わって週明けにもう一度マティアス・ホルンシュタイナーのヴァイオリンを弾いてみたらずっと魅力的な音になっていました。低音もだいぶ出るようになり、反応は鋭敏でそれでいてつややかで美しい音です。
性能を犠牲にした室内楽用などと考える必要はなく、音色の美しさだけではなく性能面でも同じくらい高価な現代の名工にも負けないことでしょう。現代の職人たちの語るウンチクなんて当てにならないのです。
ドイツの音楽は重厚で物憂げなイメージですが、イタリアの音楽の天上的なエレガントさも表現できると思います。私は弾いてて思わず笑みがこぼれてしまいした。

実はこの楽器の持ち主はコレクターのヴァイオリン教授で、本人に返却すると後日、見た目が美しくなったことと音についてもとても良いと言ってしました。情報としての問題はこの人が弾くとどんな楽器でも良い音がしてしまうことです。

私は何が音の良さなのか答えは言いません。皆さんそれぞれが考えてください。他にも優れた楽器はたくさんあることでしょう。他人の感じることは予測不能なので理性によって、そのような可能性を閉じることはしません。

100人いれば100通りの音の良さがあります
このような考え方は天と地がひっくり返るくらい革命的なものです。あたかも世の中にはすべてに精通した専門家がいて彼らが価値を評価し値段に反映されているという先入観があります。
誰か専門家が名器や名工を評価してその評価に誰もが従うというものでした。しかし人生の主人公はあなたです。

権威を持った専門店が世界にはいくつかあってマフィアと揶揄されていました。それも今では単にオークションによって値段が決まるようになっているようです。無知な人でも名前を知っているような作者の値段が上がるということです。

しかし現実にオークションで楽器を買ったという人は多くないでしょう。一般のアマチュアや、学生、プロの演奏者でも全く違う世界の出来事です。証券や為替の金融市場でやり取りされているお金と、普段の生活の買い物で使っているお金くらい違う使い道です。

私もできるだけ公平にしたいとは思いますが、古典主義者であるということは隠せません。もし革新性を重んじるならそもそもクラシック音楽なんてやるなって話です。
古典を知る良さは、自分たちがどれくらいなのか知ることができるということです。過去を知らないで、自分で考えたり工夫して音が良い楽器を作れたつもりになってうぬぼれているということを私は反省しています。

希少性や珍しさという点でやはり古いものは違います。
どんなにユニークは自由な発想の持ち主でも、時代が違う人の発想まで飛躍することはできません。それが私は面白いです。

特に日本のように西洋分化の歴史の浅い国だと、ある一時期に考えが広まってしまい固定してしまう危険があります。一過性ではなく美ということにより普遍性を求めるなら先入観を捨てることです。古典はそれに役立つことでしょう。かつて国王などがあと取りに芸術文化の教育を施したのは今にとらわれて国を滅ぼさないために必要な視点を身につけさせる意味もあったことでしょう。


発想を転換することで物事の見え方はまったく変わってきます。料理を食べておいしいと思うように、「耳においしい音」という概念を持ったらどうでしょう。こうなると機械のようにスペック性能が優れているという評価はできなくなります。難しい顔をして分析の結果高得点で優れた音だというのではなく、思わず笑みがこぼれてしまうことがあります。
スペックにこだわるのは機械の分野のマニアでも初心者です。何が究極的な目標で、技術が何に役立つのかを考えないといけません。
自分たちが正しいと信じている理論とは全く違うように作られた楽器が現実に機能しているわけですから、理屈は文学のフィクションのレベルです。

アレサンドロ・ガリアーノの続報です。弓の修理が完了したので持ち主のコンサートマスターが取りに来ました。弓もちょっと何年か前なら30万円台くらいの戦後のものです。弓の値段の感覚には日本の方々とかなりギャップがあるようです。修理の間、代わりの弓を貸し出していましたが、常連さんなので、店にある弓なら何でも持って行って良いと試奏して選んでもらいました。何百万もするような弓を師匠は薦めていました。修理が出来上がると「この弓でないとダメだ」と言っていました。弓は自分の体の一部です。高価な弓も彼にとってはコレクターのアイテムにすぎません。

ガリアーノは低音が出るようになっていて、反応のシャープさがありすごい迫力で味わい深いものでした。中音から高音は相変わらず美しいですが、強さもあります。修理前とは全然違う音に変わりました。ただ柔らかいだけだったのが、しっかりした音になりました。

修理したての頃は低音が出てなかったので、修理に失敗したかと心配になりました。持ち主はいい人で気を使って満足しているように言ってるだけかとも思いました。しかしその心配は杞憂だったようです。
オールド楽器でさえ修理直後はそんな様子ですから、新作楽器ができてすぐの音は最低です。実用的に音が良い楽器が欲しい人は新作楽器はやめたほうがいいと思います。私が10年位前に作ったもので日本で使われていたものも、前回の帰国でもだいぶ良くなっていましたよ。新作楽器の場合最低から始まって右肩上がりですね。
作られてすぐよく鳴るとか音が強いと感じられるものは、将来は耳が痛くなるような鋭い音になることでしょう。実際にそうなった相談はよくあります。モダン楽器でも普段弾いていない売り物の楽器では同様です。

尖った音が低音では有利に聞こえ、高音では不快に聞こえるのではないかと思います。同じ性格の音が音域によって異なった効果をもたらすのです。チェロでは低音にスピルコア、高音にラーセンの弦を張るというコンビネーションが考えられたことでも明らかなことです。

尖った鋭い音の楽器は近代以降も現代でもいくらでもあります。でも同時に耳が痛くなるような嫌な音が伴います。ガリアーノにしてもホルンシュタイナーにしても、反応が鋭敏なのに、嫌な音がしないのがミラクルですね。深みや暖かみもあります。「耳においしい音」というわけです。
どうやってそんな楽器を作ったのか、なぜそんな現象が起きるのか興味を持っています。


それに対して鋭い音の楽器でも、その楽器にあった弾き方を身につけると何とかなります。持ち主が弾くとビックリするほど柔らかい音を出すことがあります。
学生などは現実的にそんな楽器を買って励んでいることがよくあります。
むしろよく売れる多数派の優れた楽器です。それも否定はできません。

さらに安価な楽器でも鋭い音のものがよくあります。
そのような音が好きならば高いお金を払う必要もありません。特にチェロでは古い量産品の修理なども重要な仕事です。
お金は十分にあってそのような音が好みなら、職人が見ると安価な楽器にクオリティーや作りが似た高価な楽器を買うことになるかもしれません。現実的にはお金を持っていて高い楽器だけを試奏して良いものを買ったと満足していればそれで良いでしょう。

しかし正しい知識としては安い量産品でも名工が作ったとして売っている高いものでも鋭い音のものはたくさんあり、それがよくある普通の弦楽器の音ということです。50年もすれば鳴るようになります。実際音大を出たような演奏者や先生でも、音が良いと選んだ楽器がとても安価な量産品だったことはよくあります。


こうなると私は音については「何でも良い、好みの問題」としか言えません。
それに対して修理不能なほど傷んでいるとか、高額な修理代が必要だとか、演奏上の欠陥があるとか、作者が偽られているとか、値段が高すぎるとかそういう問題を指摘しています。実物を見ないと写真などではわかりません。


19世紀に真っ平らなアーチで薄い板で作られた楽器は、凝ったものでなくてもとりあえずよく鳴ります。低音は豊かで暗い音がします。うちでは間違いなく売れるものです。現代ではそんな楽器も作られることが少ないので希少です。

人間というのは不思議なもので過去より自分たちが優れていると考え何か工夫したくなります。まっ平らで板を薄くすれば音が良い楽器ができるのに余計なことをしたくなるものです。
20世紀になると板の厚みを増す工夫をしました。

こちらは1900年過ぎのドイツのモダン楽器です。ニスの色が19世紀的です。f字孔もデルジェスのパガニーニが使ったイル・カノーネのようです。ヴィヨームがコピーを作ったことで有名です。その影響を受けたものマネのモノマネというわけです。
しかし板の厚みはかなり厚めになっています。
1900年くらいから板が厚くなっていることが多いです。

ニスは柔らかめのオイルニスでドイツやイギリスの楽器にも見られます。アンティーク塗装ではなく実際に古くなってこのようになったのでしょう。人工的に古くしたものとはだいぶ違います。柔らかい赤いニスが120年経ってこんな感じでに見えます。

ドイツの楽器の特徴は無く、時代の影響の方が大きいです。もしラベルが剥がされてしまえば、ハンガリーの楽器と鑑定されてしまうかもしれません。似ているイタリアの作者の偽造ラベルを貼ればそのようにも見えることでしょう。
この楽器についてはまた修理の様子を紹介できるかもしれません。

我々職人が正しいと信じている理屈がどうやってできて来たかもわからない所でもあります。いつ頃から出て来た考えかは楽器を調べることで分かります。


それに対した全く別の方法を試しています。高いアーチで板が薄いというものです。
高いアーチの楽器についてどんな音のイメージを持ったらいいかですけども、日本語では説明が難しく英語で言うとリジッドが良いと思います。日本語の意味は・・・

 堅くて曲がらない、硬直した、こわばった、厳格な、厳重な、厳密な、精密な、堅苦しい、融通のきかない、厳しい

だそうです。
まさに高いアーチの特徴を表現しています。
ふわふわと柔らかいぼんやりとしたものとは正反対です。

それの良い所を生かして、悪い所は少なくするのが作るうえで目指していることです。クッションが無くダイレクトですから超絶技巧のような速い曲にもあっていることでしょう。

ただいま製作中のヴァイオリンです。


今回はフルサイズのピエトロ・グァルネリモデルで今までにもいくつか作ったものと同じです。それでも微妙な違いや木材によってでどれくらい違いが出るかも興味深いです。
同じものを作っても少しずつ変わってくるものです。

何か考えを持って作っているわけではなくその場の成り行きです。頭でこねくり回して考えたようなものにあまり魅力を感じません。ガリアーノのようにザザッと作って良い音がするのが理想ですが、なかなかそうはいきません。



木材は板目板取りです。


アーチの高さは表板で19mm裏板で18mm弱となりました。表板はオリジナルよりも若干高いくらいです。オリジナルも陥没はしておらずきれいな状態を保っていますが、高いアーチの楽器ではきれいな弧を描くようになっていないと陥没してしまいます。オールド楽器では現在の状態にはとても大きな差があります。うまく作られている楽器は長持ちする分だけ音が良いというわけです。

週末も疲れて寝てしまい時間が全然ないです。返事はできません。















こんにちはガリッポです。

マティアス・ホルンシュタイナーの修理の続きです。

おもしろいことがあります。
レッスンを受けている学生で先生が変わると楽器を買い替える人がいます。先生が変わると「音の良さ」の概念が変わるのです。生徒は小さな世界を生きています。

一見壊れていないように見えても、弦楽器専門店の店頭に並ぶ状態にするには多くの修理が必要です。それができていないものを買うと後で大きなお金がかかります。今回のホルンシュタイナーのヴァイオリンはオールド楽器にしてはかなり状態が良いです。それでも修理を始めたころの写真の日付は11月になっています。途中休暇があったとはいえ修理が終わったのが3月です。同様の価格帯の楽器が一度に10本も20本も入らないのです。また修理が終わらないことにはどんな音かもわかりません。

天才だの巨匠だのではなくても、一人の職人が修行して勉強して技術を身に着けて一人前になりまじめに作られた「普通の楽器」が傷んだり、壊れる寸前になっているものを「普通の状態」にまで直します。それでようやく「普通の音」が出るようになります。普通の楽器を上手く演奏すれば良い音が出ます。それでも音は様々で好みの問題です。普通以上の音の楽器が欲しいなら私はわかりません。もっと良い店に行ってください。・・・その結果として普通以下のものを買ってくる人が少なくないですけども。


もっとひどい状態なら断ることもあり得るということです。直しているそばから他が壊れてしまい、直しているのか壊しているのかわからない状態になります。表板を開けたら最後いつ終わるかわからないもので損しかしません。作業時間を計算したら現実離れした修理代になります、悲しむ顔や怒る顔を見たくなければ請求もできずに損するだけです。それに懲りた経験から傷が開いたら接着剤を流し込むという対処療法しかしてもらえないこともあります。

一つの楽器が店頭に並ぶまでにはどれだけ大変な事かというわけですが、楽器を買おうという人はそんな苦労は知らずに、パッと弾いては「なんかもう一つ」とか「ロクな楽器が無い」と帰って行ってしまいます。



ネックの話です。
このヴァイオリンの胴体のストップが192mmほどになっています。ストップとはf字孔にある内側の刻みで駒を立てる位置の目安になるものです。胴体の上の端(ネックの根元)からストップまでの距離を言っています。
195mmが標準ですからちょっと短いです。トータルでも弦長がちょっと短くなります。

そこで弦長を標準にするためにネックを3mm長くすることが考えられます。
一方でネックとストップの比率を重視するなら逆にネックも短くするという考え方もできます。ネックとストップの比率が2対3が標準なのでネックが128mmとなります。

弦長を正しくするのか、比率を正しくするのかどちらが良いでしょうか?


量産楽器ではネックの長さがまちまちでしたが130mmです。

私は駒を立てる位置を192.5mmとしネックの長さを130mmとしました。
これくらいだと弾いた時に「少し楽だな」と感じるくらいです。楽というのは指を伸ばさなくても良いという意味です。
これでネックまで短くすると音が外れてしまいます。

胴体のストップの方がちょっと短いのはそれほど問題にはならずむしろ楽に感じられるでしょう。逆にストップが長い楽器は困りものです。ただし手の大きさなどによって個人差があります。

192~3mmのストップはフランスのモダン楽器にはよくあります。欠陥品というほどではありません。


ネックの継ぎ目も目立たなくなりました。


ペグの穴は過去の穴の位置を尊重しています。
このオールド楽器で特徴的なのは4つの穴が均等に空いているのではなく、上の二つと下の二つが寄っています。これはなぜでしょうか?

ペグを取り付けたときに上下のペグの間隔が広くなるからです。写真では左側のD線とG線のペグの間の間隔です。

指を入りやすくするためです。このように昔の人は実用的なことを考えて楽器を作っていたということです。かと言って何もかも実用に特化したものではないというのが弦楽器のしゃれたところです。
これが現代の工業製品との違いです。
今でも実用的な製品が開発されるとそのうちデザインに差をつけ始め、実用性が無視されるというのが繰り返されています。
このようなシンプルなタイプの上質なペグの入手が難しくなってきています。

こちらは長年使用されているヴァイオリンです。使っているうちに摩耗しペグの穴が大きくなっていきます。ペグも摩耗したり曲がったりするので削り直します。ペグが摩耗してくると弦が止まりにくくなってしまいます。ギュウギュウ押すとさらに穴が大きくなるというわけです。張力の強いE線では顕著でE線のペグ穴が他よりも大きくなっていることが多いです。

そうするとどんどん中に入って行って短くなっていきます。今回新しく取り付けたペグに比べると短くなっています。次に交換するときにはもう少し太いペグを取り付けます。どんどん太くなって限界になると穴を埋めて開け直します。
少なくてもネック側の二つの穴は埋めないと継ネックができません。二つだけ埋めると新しく入れるペグの太さがまちまちになるか、せっかく埋めた穴を大きくすることになります。今回は4つ全部の穴を埋めて開け直しました。
ペグは細いほど、弦を巻き取る速度が遅くなるので微調整がしやすくなります。太くなりすぎたペグは見た目に窮屈であるばかりか実用上も理想的なものではありません。
このような音とは関係ない部分も修理にはあります。音が良いと楽器を買っても修理がされていなければ、後で相当なお金がかかります。中古楽器はこのような修理箇所があちこちにあります。足していくとすごい金額になります。


高いアーチの楽器で難しいのはネックの角度です。ネックの角度は駒の高さに影響します。指板と弦との間隔を正しくするからです。指板と弦の間隔は近すぎると振動する弦が指板に触れて異音が出ます。離れすぎると抑えるのが大変になります。ネックの角度によって付けられる駒の高さが決まるのです。
駒が低くなりすぎると弓の可動範囲が狭くなります。

駒が低くなりすぎたチェロが持ち込まれました。

弓が表板の端にぶつかって傷ついています。

演奏しやすい状態にするために駒は高さが十分にないといけません。さらに一般的に駒を高くしたことで元気よく音量が増す経験を多くしています。

ネックの角度は使用しているうちにどんどん弦に引っ張られて下がってきます。専門店として楽器を販売するには修理ができている状態で売らないといけません。個人売買で買うと買った後で修理が必要になるかもしれません。特にチェロで継ネックが必要だとなればかなりの費用になります。量産品の多くは楽器の価値よりも修理費が高くなります。

問題になるのは高いアーチの楽器です。

修理を終えたホルンシュタイナーに弦を張った状態です。
弦には駒を頂点とした角ができます。この角度が問題になります。
角度が急であるほど表板を押し付ける力が強くなります。ちょうど弓矢を射る時に、大きく弓を引いた方が強い力がかかるのと同じです。
駒の高さを標準にするために、ネックの角度だけを急にすると表板を強く押し付ける力がかかります。
200年経っても無事な楽器ならそれで壊れることはないでしょうが、音の点で疑問があります。どちらかと言うと高いアーチの楽器こそ細く窮屈な音になりやすいので弱めの圧力で豊かに鳴らしたいところです。

そこで

ネックの根元の高さを考えます。

今回は7mmほどにしました。通常は5~6.5mmです。
普通は新作楽器の製作を最初に学ぶので教えられた寸法ですべての楽器をやろうとしてしまいます。ルールのようになってしまうのです。

このようなルールはオールド楽器には当てはまりません。
理屈で考えてみると標準よりもアーチが高い分だけここの部分も高くしないといけません。前回お話ししたサドルも同じです。
フランスやイタリアの19世紀のモダン楽器ではもっと低く数ミリしかないためネックはとんでもなく斜めになっていました。フランスでは戦前までそのようなネックのものが作られていました。ミルクールの楽器を見分けるポイントにもなります。

しかし高くするのは限界があります。単純計算では高いアーチでは8mm,9mmまたはそれ以上になることもあります。見た目にも明らかに不自然だし、ネックの角度が浅いとネックが下がりやすくなります。下がったときに、指板の下に板を入れて角度を調整することもできません。既に高いのがもっと高くなるからです。

ともかく結果的に駒のところを頂点とする弦の角度を測ってみたところ158度になっていました。これは新作楽器やモダン仕様としてはごく標準的なものです。157度くらいでもOKですので、むしろ少し平らな方です。
ただし、これが本当に音にとって最善かどうかはわかりません。後でサドルを低くすることもできます。

この角度は弦を張るまでわかりません。サドルの高さやネックの取り付けに気を付けてやった結果です。予想がどんぴしゃりと当たりました。

高いアーチの楽器では、ネックの根元が低いと指板が表板すれすれになったり、サドルが低いとテールピースやアジャスターが表板に触れてしまうことがあります。
高すぎるサドルは弦の力で引っ張られて倒れやすくなります。オールド楽器のメンテナンスをするとサドルが外れかかっていることがよくあります。


コントラバスではこんなものがあります。コントラバスでは表板にすごい力がかかって変形や割れなどの故障が多いからです。木ネジで止めてあるのに倒れそうになっています。高すぎると弦の力に耐えられません。

知られていないことではありませんが、ヴァイオリンの修理で意識している人は多くありません。
ちょっとの工夫でモダン仕様のヴァイオリンとして理想的な状態にすることができました。このヴァイオリンはオールドではありますが、極端にアーチが高いというほどではないということです。ストラディバリでもこれくらいのものはざらにあります。
本当に高いアーチの楽器では困ったものです。


これは合板のコントラバスですが表板が陥没しています。

本来アーチは膨らんでいるはずです。このようなコントラバスも意外と音は悪くありませんが、再び売り物にはならない「使い捨て」の品質です。使い捨て前提で現代の工業技術で設計したほうが音が良いかもしれません。買い替え需要も生まれて他の産業分野のようになるでしょう。自動車などは実用化して100年以上なるのに未だに耐用年数が10年くらいしかないのですから。耐用年数を伸ばすような開発は行われず、たくさんの車が売れるように壊れやすい車を開発しています。

ネックの根元の高さをどうやって調整するかですが、胴体に彫りこまれた溝はV字というかハの字の逆さになっています。この左右の面を広げるとテーパー状になっているネックが下がっていきます。左右の面を削って広げることで下がっていきます。下がり過ぎたら戻せません。
また左右の傾きによってネックも傾きます。指板の高音側や低音側が高くなったりします。

ともかく理想的な状態として売りに出すことができるようになったというわけです。高いアーチの楽器ではネックが下がりやすいですが、多少下がっても直ちに音が悪くなるということではありません。むしろその方が相性が良いかもしれません。アーチと駒を含めた高さで考えることもできます。下がってもまだまだ高いのです。
その時は駒の脚の幅の狭いものを取り付けます。そうすると縦横比の関係で見た目でそんなに駒が低く見えません。それを想定してバスバーの位置を決めてあります。

修理は何十年という単位にで考えています。ゲームで言うとライフや残機、クレジットが満タンの状態です。

表板のエッジに板を張り付ける修理もしました。ニスの補修を終えればそれほど目立たなくなったことでしょう。
ネックの方も他の部分と違和感が無いようにしました。またどうせに使っているうちに手が触れる所はニスがはがれ汚れがついて行きます。


上の図のようにエッジは摩耗して厚みが薄くなります。古い楽器では薄くなっていることが多いです。
また横板との接着面は開けたり閉めたりを繰り返すうちに傷んでいきます。
傷が平らになるまで削り直したところに新しい木材を貼り付けます。
どれくらい傷んでいたか写真を撮ったつもりでしたが見つかりません。他のヴァイオリンのものです。

これは作られてまだ2回開けられただけでしょう。ホルンシュタイナーはもっとひどかったので、修理を決断しました。

厚い木材を貼り付けてから削り落として薄くします。薄い木材は水分を含むと変形してしまうため、接着するときにグニャグニャになってしまうからです。
効率が悪いようですが仕事の正確さを重視した贅沢な方法です。

最終的に加工するとこうなります。


他の部分です。

摩耗していたコーナーは

このようになりました。ニスも光沢があります。

こういうのは演奏者は気にしない人も多いです。自分の所有物なのだからぐちゃぐちゃのボロボロになっても音さえよければ良いと言えます。多数派でしょうね。そもそもコーナーなんて無ければ良いのです。そのようなものは19世紀に発明され特許も取られていますが普及しませんでした。

しかし文化遺産でもあります。大事にすることで愛着を持つことなどは楽器の機能を追求することとは違いますが、人生にとっては意味があるかもしれません。

f字孔にはシュタイナーの特徴がありドイツのオールド楽器全般の特徴でもあります。フィレンツェやベネチアなどイタリアでもいくつかの産地ではシュタイナーを真似たものが作られました。
そのため「シュタイナーモデル」の印象が強いですが、この楽器では形はシュタイナーそっくりではありません。

形はかなり独特で個性的です。ミッテンバルトの特徴でもあるし作者の特徴でもあるでしょう。ウィーンのものの方がシュタイナーに忠実なように思います。それで言うとミッテンバルトの作者にはイタリアの作者と同じように個性があります

時代が1750~1800年ころでシュタイナーやアマティなどよりはだいぶ後の時代です。すでにモダン楽器への進化の動きがあります。ミッテンバルトの楽器はすぐにストラドモデルにするのではなく、ドイツのオールド楽器の特徴を持たせたまま、新しい時代の楽器を創作しています。フランスのモダン楽器とは全く違う方法でモダン化が進んでいました。それも19世紀になると見よう見まねでフランス風になり、正式にヴィヨームの下でルドビヒ・ノイナーが修行してフランス風の楽器製作に転換しています。20世紀にヨーゼフ・カントゥーシャなどはそれさえも学ばず、ストラディバリの特徴もフランスのモダン楽器も理解していません。もちろんオールドのミッテンバルトのものとはなにも類似点がありません。
楽器製作というのは数世代も経つとすぐに忘れられるものです。他の作者はオーソドックスにストラドモデルとガルネリモデルを作っていたことでしょう。他の20世紀のミッテンバルトのヴァイオリンがあるので調べてみます。

ホルンシュタイナーに話を戻すと、古典的なシュタイナー型の南ドイツのオールド楽器よりも構造的にモダン化が起きています、1800年頃になってくるとミッテンバルトでも見た目もストラド的になってきます。それでも完全なコピーではなく、要素として織り交ぜていく感じです。それで言うとオールドとモダンの中間的なものとも言えます。創造的で個性的です。イタリアの楽器の値段が高いのは個性があるからだというのはおかしいですね。嘘ばっかりでセールスマンのレベルの理屈です。


裏板の上から3分の2の部分は黒っぽくなっていて下の方がニスが剥げ落ちて無くなり、保護のニスが塗られています。
上の黒っぽい所のほとんどは私は後の時代に塗られたものだと思います。実際にはほとんどのニスが剥げ落ち、オリジナルのニスがあるとすればミドルバウツの溝にわずかに残るだけだと思います。すべてを保護のニスだけにしていればイタリアの楽器のような黄金色になっていたことでしょう。
まるでアンティーク塗装で新作楽器を作るように黒いニスを塗ったようです。なぜそんなことをしたのかは謎です。修理人のセンスとしか言えません。

考えられるとしたら表板が汚れで黒くなっていて、他が明るい色なのはおかしいということでしょうか?
オレンジなど修理したその時代の新作楽器のニスの色に塗られているよりはマシです。

コーナーは摩耗していますがとても繊細な仕事です。

横板の黒い部分も後の時代に塗られています。
古い楽器なのに古い楽器に見せかけるような塗装をしているのが不思議ですね。

ミッテンバルトの特徴の一つは横板のロワーバウツのところが一枚の板でつながっていることです(継ぎ目がない)。クレモナも含めてオールド楽器ではよくあるものですが、ミッテンバルトでは毎度のことです。ブロックを交換するとともに横板の穴も埋めて開け直しました。位置が下になりました。表板に近い方に穴が開いているのもこの時期のミッテンバルトの楽器に見られます。修理によって横板が真ん中で切られていることもあります。表板や裏板の縁が摩耗したり乾燥して小さくなると横板が合わなくなるので切って縮める修理があります。
前回話した裏板や表板の合わせ目を削り直しても同じです。

アーチは現代の楽器ほどフラットではありませんが、そんなに高くもありません。時代がモダンに近づいています。


極端にドイツ的な四角い台地状のアーチにはなっていません。癖はそんなに強くありません。ただしミドルバウツの溝からの「えぐれ」が深いです。

ドイツのオールド楽器が過小評価されていると言ってきていますが、厄介なこともあります。魂柱を立てる(取り付け)のが難しいのです。アーチが綺麗な弧を描いていればセンターの辺りは中の空間が縦に広く、外側に来るほど狭くなっていきます。センター付近で魂柱を起こして外側に引っ張るときつくはまっていきます。魂柱の上下の面を表板と裏板の内側の面に合わせて加工していきます。
ちょっときつめに入れて隙間以外のところを削ります。そうすると面とあってきて少し緩くなります。それを繰り返して適切な位置にピッタリ合わせます。

これが台地状のドイツのアーチだと、駒の脚の下の範囲ではどこまで行ってもきつくならないのです。さらに古い楽器では変形して魂柱のところが一番空間が広くなっています。こうなると理論上不可能です。それを何とかするのが仕事ですが時間はいくらかかるかわかりません。魂柱交換くらいは価格表にのっとって代金を請求するかもしれませんが大損です。

この楽器はましな方ではありますがやはりかなり苦労しました。イタリアのものでもオールドはやはり苦労します。通常の倍くらいはかかっています。魂柱も2本目を入れて成功しました。それでも倍の料金を請求はできません。このように損していることの方が多いですね。

他にも大変なケースは表板や裏板に魂柱の角でくぼみができているものです。合わない魂柱に弦の張力がかかればくぼみができます。一度できると二度と魂柱を上手く合わせることはできません。
マニアのような演奏者が自分で魂柱を入れたり動かしたりすれば、表板や裏板にダメージがあり、二度とカッチリと魂柱を入れることができなくなります。

別の楽器ですが

魂柱の角でくぼみができています。
演奏者は魂柱調整で音が良くなって満足したり・・もう少し、もう少しとなかなか満足せず何度もやることがありますが、やればやるほど、魂柱は不安定になっていきます。ちょっと動かすだけで音が大きく変わるということは、魂柱の角だけで接地しているということです。角で接地しているということは凹みができる原因ですし、圧力がかかって凹んでいって音が変わることもあるでしょう。動かした瞬間は角で接地していて音が変わり、埋もれていくと接地面積が増えます。魂柱調整をした後はキリっとしたような音だったのが、後でいつもの音に戻ってしまうというわけです。

表板を開ければ、水を染み込ませて温めたりすると凹みは戻りますし、にかわ水を入れたりもできます。それでもわずかに残る凹みは軽く削ってなだらかにできます。
魂柱パッチのような修理では完全に直せます。

板の厚みとサイズです。ラベルも多少厚みがあるので位置を書いておきました。
ドイツのオールド楽器の特徴はセンターの合わせ目が厚めになっていて左右外側に行くにしたがって薄くなるものです。センターの接着面積を大きくする効果があるかもしれませんがそれでも合わせ目が開いていました。
表と裏が同じ厚さであることもよくありますが、この楽器では表板の方が薄くなっています。20世紀の楽器に比べるとやはり薄くなっています。
裏板の中央は3.5mmですが、魂柱に押された大きな変形のトラブルはなく無事です。表板には割れがいくつかありますが、板の厚みが原因とは言えないでしょう。これくらいの割れは厚い楽器でもいくらでもあります。

サイズはやや小型です。ミドルバウツはストラディバリと変わらないくらいあるのでそこまで窮屈ではないでしょう。ドイツの楽器は小さい割にはくびれは大きくありません。ストラドモデルからすれば上下の幅は6mmくらい小さいです。裏板の全長も354mmなのでそこまで小さくはありません。

弦を張った写真を取り忘れていましたが、弦を張ってみました。

弦にはいつものようにオブリガートを張ってみました。あとで変えることはできます。
いつも使っている弓が無かったので同じ比較にはなりませんが、現代の楽器と同じように弾くと、ギャッと当たりの鋭敏さを感じます。少し加減すればマイルドな音で嫌な音はありません。それでも音がもやっとこもっているのではなく、外に向かって飛び出てくる感じがします。高音はこの前のザクセンのオールド楽器ほど柔らかくありませんが、しっとりとして鋭さは無いです。極端に低音が強い暗い音ということもなくどの音もはっきりと出てきます。モダン楽器ならもっととがった音の楽器はありますが、耳障りさも伴います。これは嫌な音は全然ないです。
全体的にすごく個性的ではなく、ごく真っ当な感じです。印象はそれほど強くありませんが、同じ音が新しい楽器であるかと言えば難しいでしょうね。オールド楽器としてはごく普通のものです。

以前試したニコロ・ガリアーノに近い感じがしました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12842836520.html
板の厚みも似ています。同時に弾き比べたら違いが分かるかもしれませんが、明らかなイタリアの音とかドイツの音とか全くわかりません。オールド楽器はそれぞれが音が違うとしか言えません。
ましてや現代のドイツの楽器とオールドのドイツの楽器に共通する音の特徴なんてわからないし、イタリアのオールドと現代のイタリアの楽器に共通する特徴もわかりません。
それよりもオールドに共通する特徴、現代の楽器に共通する特徴の方が分かると思います。つまりオールドのイタリアとドイツの楽器が似ていて、現代のイタリアとドイツの楽器のほうが似ているのです。

国よりも時代でカテゴリーを分ける方がマシかと思います。

イタリアの楽器は華やかでドイツの楽器は地味な音がしてほしいかもしれませんが、分からないですね。見た目は黒くてそんな感じもあります。音はわからないです。これは音を職人が意図的に作ることが難しいからだと思います。バロックや古典派の時代にイタリア人とドイツ人の作曲家で曲が違うか同じかも難しい所です。ボッケーリーニとモーツァルトで違うかと言うと分かるという人もいるかもしれません。ただの個人差なのか国の違いなのかもわかりません。私はバロック音楽好きなのでテレマンとタルティーニは違う感じがします。

それに対して教会の建築や装飾、宗教画などはイタリア語とドイツ語圏とでは同じカトリック教会でもはっきり違いがあります。それに対して美意識に違いがあっても、音の違いを作り出すのは難しいのです。ヴァイオリンも見た目でははっきり違いがあるのに、音の違いはよく分かりません。音でイタリアのものかドイツのものか聞き分けるのは無理だと思います。でも値段は10倍は違います。見た目ならはっきりわかります。楽器の売買は音ではなく見た目で判断しているのです。


この楽器の値段ですけども、相場としては最大25,000ドルまたは25,000ユーロとなっています。計算が合いませんが相場は見方が複数あります。
円安の現在でおよそ400万円位と考えて良いでしょう。通常なら350万円位です。
一方イタリアの小型のオールドヴァイオリンなら4~5000万円位はするでしょう。ゼロが一個多いですね。
ホルンシュタイナーがソリスト用として最高のものとは言えないかもしれませんが、イタリアの小型のものでもそれは同じです。オーケストラ奏者や教師、もちろんアマチュアなどが使うには魅力的でしょう。

世の中の物価の上昇を考えるとドイツのオールド楽器だけが据置というのもおかしいです。オークションでは誰も興味を持たれないというだけです。全体の楽器の売買のわずかな割合を占めるオークションが値段を決めるすべてだというのもおかしいです。3万5000ユーロで売ってもイタリアの楽器に比べたら上昇率は穏やかなものですし、もともとが安すぎます。これは持ち主が決めることです。



アレサンドロ・ガリアーノでも修理してからどんどん音が良くなってきているということですから、修理したてよりも使い込んだ方がさらに良くなっていくことでしょう。低音ももうちょと出てくるかもしれません。

また変化やうまい人が弾くようなことがあれば追っていきたいと思います。

さらに週明け再び弾いてみると音がだいぶ変わっていました。
反応のシャープさは増し、低音も出るようになっていました。弾いていて思わず笑みが出るような楽しさです。これぞオールド楽器という魅力にあふれていました。それでいて滑らかでつやが出て美しいです。
ニコラ・ガリアーノとはまた違う音になりました。

もはや性能を犠牲にした趣味趣向だとか室内楽的なオールドヴァイオリンという断わりは要らないでしょう。音色が美しいだけでなく現代の楽器にも負けないと思います。