またまたオールドヴァイオリンの話から


以前私が修理したレオポルト・ヴィドハルムです。ドイツのニュルンベルクの作者で1700年代中頃以降のものです。
これもこの前から話しているヴァイオリン教授の所有物です。
なぜかドイツの作者ではヨーロッパ大陸から見て海外でも知られていて知名度があります。最新の相場では最大で7万ドル、今の為替では1000万円ほどになります。息子のマーティン・レオポルトでも値段はそれほど変わりません。品質にはばらつきがありますが最低ランクでも55,000ドルですから800万円にもなります。
日本の観光地でも海外で知られている所には外国人が殺到し、知られていない所には誰も来ません。なんでこんなところに大量の外国人が来るんだろうと首をかしげることもあるでしょう。それと同じで、イギリスも含めヨーロッパ大陸の「海外」でなぜか有名な作者は値段が高騰し、同じような見事な楽器であってもそれ以外は据え置きとなっているのが今の値段の動きです。物価上昇を考えると実質マイナスですらあります。
日本の醤油ではキッコーマンは世界に進出し知名度があります。
キッコーマンの醤油はヨーロッパではオランダに工場があり、今私の所では1Lが9ユーロで売られています。今の為替相場では1500円ほどになります。つまり世界的に評価が高く値段の高い醤油です。
日本人からするとキッコーマンの普通の醤油は大量生産のベーシックなもので特別高級品ではないですよね。200円台だったものが300円を超えたようです。
醤油生産国の日本ではライバルが多く値段も安いのに対して世界では名前が知られているのはキッコーマンだけなのでそんなに高いのです。キッコーマンは世界一有名な醤油です。
日本と世界とどちらが醤油の良さを評価できるでしょうか?
醤油は英語ではソイソースと言います。ソースと言うので寿司を食べる時こちらの人はフランス料理のソースのようにたっぷりつけます、ドボンと寿司を醤油に浸して食べています、日本人が見たら「分かってないね」と思うでしょう。
海外の人たちが日本中の醤油の中からキッコーマンを味が良いと選んだのではなく、キッコーマンが営業努力をして海外進出を果たしたのでみなブランドを知っているのです。
日本の楽器店で言われる「世界的な評価の高い作者」ということもこれに似ています。
キッコーマンと同じように他にいくらでも素晴らしい楽器を作っているメーカーがあっても、ドイツの量産メーカーもイタリアの職人も国外に進出した有名なメーカーは全体のうちのわずかです。イタリア以外にも職人がたくさんいるのに売ってさえもいません。
日本から見ると私のところは海外ですが、私から見ても楽器の売買がどこか遠い海外で行われているように思います。英語で語られている話は人々の暮らしや文化に根差しておらず上辺の建前だけで理解しているように聞こえます。
それに対してローカルでは弾けなくなったり遺品として出て来た楽器がまた地元の人たちの手に渡って巡っています。
「日本対海外」というのではなくて、海外にもそれぞれのローカルがあってそんな例をブログでは紹介しています。
物の値段はニューヨークの値段と世界の他の都市の値段が違ってもおかしくないです。サンドイッチが3000円するとなると楽器も高くて当然ですね。
したがって国ごとにローカルな値段があると思います。例えばフランスの楽器がフランス国内では音楽家や音大生が買える値段よりも高すぎるため、実際に店頭で売られている値段は世界の相場よりもずっと安いです。国内でもさらに地域によって差があることでしょう。
現在は2重の異なる相場があるという不思議な状態になっています。
1000万円と言えばかなり高価な楽器ですが、20世紀の楽器で1000万円を超える作者は歴史的な価値を考慮すると明らかに高すぎると思います。我々の同業者の間でそんなものだろうと共有されているのではなく、どこか世界の遠くではそんな値段がついているとしか思えません。
以前ひどく傷んだ状態の楽器を私が修理しましたが、過去の修理でオールド楽器には似つかわしくないオレンジ色のニスを剥げたようにわざとらしく塗り分けられていたので境目をあいまいにしました。

作風はシュタイナー型と本には書いてあります。実際のシュタイナーとはだいぶ違います。仕事ははるかに大味ですが、ゆるい造りは窮屈ではなく音にはプラスかもしれません。
アーチもとんでもなく高いのが特徴で近代や現代の楽器とは見た目の印象が全く違います。オールド楽器の典型と言えるでしょう。アーチはきれいな丸ではなくやや四角く台地状になっておりドイツのオールド楽器の特徴です。
このようなアーチの楽器は現代では全く作られることはなく、一度や二度試してみたくらいでは作り方を理解するのは難しいでしょう。クレモナの学校では「悪い例」として教わるそうです。作っていはいけない悪い例として教わるわけです。
本当に音が悪いのでしょうか?
実際に弾いてみると、尖った音という印象を受けます。例えるなら一般の力学で力の圧力は狭い面積に集中すると強くなり、広い面積では分散して弱くなります。あくまで感覚的なもので文学的な表現ですが、音のエネルギーがギュッと集中しているように思います。高いアーチの一般的な特徴でしょう。柔らかくてフワッとした音とは正反対の締まった強い音です。
そのようなことを頭で考えなければ何とも言えない心地良さがあり音がとても気持ちいいです。「ああ良い音だなあ」としんみり思いました。
もちろん仕事で音響条件の悪い会場で多くの人に演奏を聴かせなきゃいけないとなれば、断念しないといけないのかもしれませんが、自分が楽しむだけなら誘惑に負けそうです。アマチュア、オーケストラ奏者、教師などなら問題ないでしょう。反応はシビアで音の出し方を学ぶこともできるでしょう。
尖っているとはいえ、抑え込まれたような鳴らない感じではなく素直に響きます。ですのでオールド楽器の中で極端に暗い音ではないでしょう、この前から話している暗い音のグランチーノより明るいです。
イタリアのオールド楽器とも変わらないです。
第一印象では細い音でも、ちょっと探るだけでも鳴り方が変化しますので細い音というのは気にならなくなります。
それに対してA線から高音になるにつれて驚くほどしなやかなになってきます。これはもう官能的な美しさです。
尖った音の楽器はフラットなモダン楽器にもよくあります。しかし高音になると低音以上に鋭さを感じます。低音で枯れた良い音がして全体として力強い音の楽器では高音になると耳が痛くなってごまかす調整を依頼されます。あらゆる手を駆使しても鋭さをごまかすので限界です。高音を気にせず強い音のする楽器をえらび弾きこんで鳴るようになるとさらに高音がきつく感じられます。
弦楽器とは普通低音が柔らく感じられ、高音が鋭く感じられるものです。このためチェロでは低音にメタリックな音の弦、高音に柔らかい音の弦を張ることが流行したくらいです。
それがこの楽器になると正反対ですから、近現代の楽器ではこんな音のものはまあ無いです。例外は私が作ったもので、ここまでではないものの高音にしなやかさがありました。
見た目も明らかに現代のものとは違うし音も全然違います、それがオールド楽器ですね。
このブログは幅広く一般の人に弦楽器の知識を知らせるという役割もありますし、私自身の趣味もあります。人生を楽しむために趣味に徹しちゃっても良いかなと思いますが・・・。楽しむほどごく一部の人の役にも立つはずです。
もちろんモダン楽器を上手い人が弾いていて音が悪いなんて思うことはありません。文句のつけようのない音なのですが、オールド楽器にはそれ以上の魅惑的な音があるように私は思います。
イタリアやドイツについてイメージがあります。イタリアといえば明るく陽気、情熱的、享楽的、快楽主義、・・・
ドイツは真面目、規律正しい、勤勉、合理主義、・・・などのイメージがあるでしょう。
イタリアの職人たちはそれぞれ個性を発揮したのに対して、ドイツ人はシュタイナー型で画一的な楽器を作ったと私も知らない時はそんな先入観を持っていました。
しかし一つ一つの楽器を見ていくと全員が決まった形のものをきっちり作っていたわけではないようです。シュタイナーそっくりを目指して忠実なものを探すほうが難しく、ウィーンの流派が比較的シュタイナーに近いかなと思います。
シュタイナーを理想として崇めていたというよりは、当時のドイツの職人たちがイメージするヴァイオリンとはそういうもので、それを後の時代の人が大雑把にまとめてシュタイナー型と呼んだのでした。
音についてこの楽器では官能的でさえあります。まあドイツ人でさえも日本人に比べればはるかに明るく陽気で開放的、ビールを大量に飲んでは大騒ぎする人たちですし、一方古代ギリシャから西洋の人は理屈っぽいです、ドイツ人だけでなくフランス人の理屈っぽさも有名ですがイタリア人も例外ではありません。
じゃあ日本人が好む音はどんな音でしょうか?
弦楽器では明るい音が良いと言いますが、日本の歌謡曲などは世界で見ると暗く悲しみの表現に価値を置いているようです。
20世紀には理屈を語って有名になったドイツの作者もいるようですが、出身地は地中海の方だったりします。
20世紀の西洋の社会では理論的なことを言った方が受け入れられやすいということはわかります。それが私が現代の楽器について疑問を持っている点です。
前回のべニア板のチェロの話もありますが、私は弦楽器は思っているよりもめちゃくちゃに作っても音は悪くならずこのような現代では規格外になるような楽器でも弾いてみたら魅力的な音がするのではないかと考えています。職人もクレモナにいたら周りも新作ばかりで気づかないでしょう。常識や慣習に従っているイタリア人にも官能的な音は作れません。
こういうことは私はとても面白いと思っていて、音も魅惑的だと思います。どうしてそんな音がするかも面白いですね。
それに対して、値段でしか楽器の価値を分からないというのは面白くないと思います。ギャンブルやお金などが好きな人いますから、それも独特な魅力があるんでしょうけども弦楽器である必要はありません。
工房を訪れた弦楽器について全く知らない人に「音を良くするためにこのように作っています」と職人が材料や工程について説明すると納得して喜んで帰っていきます。
しかし私の説明では「ヴァイオリンのような形のものを作ると、なぜかわからないけどヴァイオリンのような音がする」というものです。論理的には納得できないでしょう。
その「ヴァイオリンのようなもの」というイメージが時代によって違うので、その時代に普通のものを作った結果今になると、とても珍しく魅惑的な音に感じるようです。
現代人は普通こう考えます、何か理想があってそれを実現するために努力してまたひらめきや幸運に恵まれてついに念願が達成されると。その人を天才と呼ぶのです。
しかし弦楽器について詳しく見ていくと細かいことにこだわらずにただヴァイオリンのようなものを作っただけで魅惑的な音がするものがあるのです。
合理主義の現代の西洋人でも、日本人の道徳倫理観でも全く理解できないです。
どちらかと言うとフランスのモダン楽器は合理的です。板が薄くて平らなアーチで100年経ってればとりあえず鳴るものは多いと思います。組織的に音に改良を加えたほとんど唯一の例と言っても良いでしょうね。それでオールド楽器が廃れたのですから。
そのような合理主義は乱暴で切り捨てられたものがあるかもしれません。オールドの時代は我々とは全く違う発想だったというのも面白い所です。
作り方の一つ一つを考察していくと、やはり実用的で効率よく作る方法を考えていた事でしょう。しかしフラットなアーチの近現代よりも無駄が多いのが面白いです。それ以前のヴィヨール族の楽器に比べるとシンプルになっています。
木材の産地などを気にする人がいるかもしれませんが、内陸のニュルンベルクでアルプスなどから運ばれた木材で作られたヴァイオリンが実際に現代のものと弾き比べれば魅惑的な音がして、その原因は何ですか?
またよく鳴って音量があることを良しとすると、どこの産地の楽器にも鳴るものがあります。同じ産地の楽器でどうしてそのような違いがあるのでしょうか?
私の考えではオールドの時代の人がイメージするヴァイオリンを作ったら、今頃はオールド楽器のような音になっているということですが、理系趣味の人にはピンとこないでしょう。残念ながら「知る快感」を得られるような論理や数値ではないんです。奥が浅くて面白くないので趣味としては他のものに興味を持った方が良いでしょう。
ちょっと考えだすとすぐに見当はずれの方に行き過ぎてしまうのが奥の浅さで、現実を素直に受け止め思い込みや偏見に気付く必要があると思います。
弦は持ち主の教授に何が良いかを聞くと「なんでも良い」と言うのでエヴァピラッチで良いかと聞くとそれで良いということになりました。E線は標準装備のスチールのものです。それで驚くような高音です。
つまりあまり物事を気にしないことで、規格外の楽器でも偏見もなく楽しめるというわけです。高いアーチの楽器を苦にしないのは教授の技量でもありますが、音楽家には典型の自分で弾いただけで音を判断しているように思います。私にはこの教授の評価する楽器の傾向はさっぱりわかりません。
作ってる楽器もこれ以上ニスを塗ると真っ黒になってしまいます。


このあたりで良しとしないといけません。写真が上手くとれていないので実際のほうが良く見えます。中国の製品の写真と逆です。

現在ではだれも作らないような規格外れの楽器ですが、ヴィドハルムに比べるとおとなしいものです。このようなものも世の中に残していかないと音の可能性がこの世から消えてしまいます。
記事を書くだけで精一杯です、コメントに返事などできませんのでよろしくお願いします。
初期のころは好きなように思ったことを書いていましたが、読む人が多くなると読んだ人に不快感を与えないか考えなくてはいけなくなります。わずかな文章でも表現を見直すだけで多くの時間を必要とします。
記事タイトルなどは検索で出ても興味をひかないように淡白にしますのでご了承ください。
















































































































