ナポリのオールドヴァイオリン、ニコロ・ガリアーノ | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。



知識として知るべきことは、有名な職人の名前ではありません。それをいくら知っていても弦楽器のことは全く分かっていません。むしろ知れば知るほど理解からどんどん遠ざかっていきます。知るべきことは弦楽器というのがどういう物かということです。

弦楽器というのはその時代の常識に基づいて作られています。でもなぜか一台一台音が違います。同じ時代の人たちは同じような考え方で作っていたので、個人の才能とかそういうものではありません。その職人が目指している音の特徴を出すために作り方を変えるというのは難しく、周りの職人が作っているのと同じようなものを作った結果、なぜかわからないけど音に違いが出るとそういう感じです。

現実には価格を安くするためや、職人の感性によっては雑に作られているものが多くあります。

つまり職人が生涯をかけて研究を重ね独自の音の境地に達し、一台一台全力で最善を尽くして作っているというのではなく、皆が作っているやり方を踏襲して、それが正しい作り方、音が良い作り方だと信じて作ってきたわけです。生活をしていくため売り物になるギリギリまで手を抜いて作っていた人もいるでしょう。産業とはそういうものです。

だから職人に話を聞くと音を良くするための秘訣をたくさん語ってくれるかもしれません。そのようなことは皆やっていることだったり、根拠が無いことだったりします。なので職人のしゃべることは信じずに音を確かめることが重要です。

最近よくマーケティング戦略を持ちかけて来る業者や個人がいます。今の若者はTikTokのような短い動画を見て情報を得ているので、長々として文章などはダメだと説明します。実際にデータで何パーセントの人がどんな行動をしているかを示すことも説得力があるでしょう。
ヴァイオリンを弾いている短い動画を載せて注目を集めて楽器を売れと言うのです。頭が古いと、そんな録音では実際の楽器の音は分からないのでダメだと考えるでしょう。
しかし特別な機材は必要なくスマホのカメラとマイクで収録すれば良いのです、なぜかというと見るほうもスマホで見るので音質などは関係ないのです。今の人はスマホが自分の目や耳、頭と同化しているわけですからそれ以外の世界なんて無いというわけです。スマホ上で良い音だと思えば良い音なのです。そんなバカなと思うかもしれませんが、見ている人の分母がけた違いに大きければそのような人も多くなるわけです。それがこれからの時代なのでしょう。

したがって面白い動画を作ったり、上手く自分をPRすることができれば職人としても知名度を上げて成功できるというわけです。

この時に職人は「〇〇だから音が良い」ということを語って人気を得ることでしょう。情報というのは実際にそうであるという事よりも、人々が求めているものが広まっていくのでしょうね。困ったものですね、

それに対して、私はいかに音を作るのが難しいかを熱弁しています。

頑固な楽器職人よりも、プレイヤーがやったほうが良いでしょう。音楽を演奏するよりも儲かるかもしれません。ヴァイオリン評論家とかテストプレーヤーいう新しい職業を作れば第一人者になれることでしょう。


ナポリの楽器製作の歴史


量産楽器のネックの修理とともにガリアーノのメンテナンスもしていました。

ナポリはイタリアの南部で、シチリアとともに古代から様々な勢力に支配されてきました。ヴァイオリンが作られる時代になってからイタリアが統一されるまでは、ほとんどの間はスペインの支配下にあったようです。スペインから統治するために副王が派遣されてきました。副王は城や宮殿を作っただけでなく、劇場や音楽学校を作り音楽の発展にも貢献しました。ベネチアと同様に男女の快楽の副産物(?)として生まれてきた子供たちを孤児院で育てて、音楽教育を施したのでした。優れた歌手やカストラートを輩出してヨーロッパでも有名になったようです。今の時代なら倫理感が滅茶苦茶ですが、芸術はそういう場所で生まれるのかもしれません。弦楽器も現代の人の常識で考えると理解は難しいでしょう。自分が納得できる理屈を求めるなら事実からは遠ざかっていくことでしょう。私はそれには絶対に応じません。めちゃくちゃなことがあって結果として美しい芸術が作られてきた歴史は私はものの考え方の基礎になっています。

カトリック教会=バロック芸術の総本山ローマからアレサンドロ・スカルラッティを招くとナポリ楽派の基礎を築きました。始めはベネチアから楽団を招いてオペラの演奏を行っていたのが、コメディのオペラを発展させ音楽界をリードするまでになりました。当時も音楽は殆ど歌もので、オペラや教会音楽です。演出や合間のために作られた弦楽器の曲はわずかにしか残っていませんが、とても美しいものです。バロックから古典派へと音楽が変わっていく「ミッシングリンク」のような作品も面白いです。
陸路の方が山賊が出て交通の便が悪かったようで、ヴェネチアなどと常に音楽家の行き来があったようです。


ナポリの弦楽器製作は、ガリアーノ家が重要な役割を果たします。
代表的な作者はガリアーノ家で占められてしまうでしょう。楽器製作は何世代も続き、近代のモダン楽器の製造法がなかなか伝わらなかった地域でもあります。オールドの時代とは変わっていて、なおかつ最新のものでもないという素朴なものが作られました。民族歌謡などの音楽も盛んでマンドリンを作っている職人が多かったようです。マンドリンの方がメインの職人もいた事でしょう。素人が作ったようなモダン楽器も作られました。

初代はアレサンドロ・ガリアーノで古い本にはストラディバリの弟子と書かれています。最近の本には何も書かれていません。楽器を見ても、ストラディバリとは全く共通点がありません。かなりフリースタイルで作っていますが、基本にはアマティがありそうです。アマティそっくりではありませんが漠然とその時代の常識的な楽器です。現代には決して作られないタイプのものです。私はコピーを作ったことがあって、ミラノのヴァイオリン製作学校の先生に見せたら目を丸くして驚いていました。

ナポリで生まれてナポリで亡くなったという以外にはどこにいたかもわからないのでしょう。ストラディバリどころかクレモナで修行したかどうかも定かではありません。ガリアーノ家の人の生まれた年や亡くなった年が本によってバラバラでよくわかりません。

研究が進むほど何もわからなくなっていくというのが弦楽器の知識ですね。より確かな知識というのは分からないということです。
アレサンドロ以前にもガリアーノ家やナポリの職人がいたのかもしれません。そうなると初代とさえも言えませんが、分かっている中では初代ということにしておきます。

アレサンドロの二人の息子が特に有名です、
ニコロ・ガリアーノとジェナロ・ガリアーノです。
ニコロはラベルはラテン語で書かれているので、ニコラウスとなっています。英語の本には二コラと書いてあるようです。いろいろな表記がありますが、アマティも二コラとかニコロでこれまでもあまり厳密に書いてきていません。同じ人だと思って下さい。
ニコロはさらにもう一人いるので二コラIと書かれていることもあります。二コラIIは孫です。

二コラIには4人の子供が職人として知られていてフェルディナンドとジュゼッペが有名です。
ジェナロはラテン語ではヤヌアリウスで同一人物です。


整理すると
(1世代)アレサンドロ
(2世代)ニコロ、ジェナロ
(3世代)フェルディナンド、ジュゼッペ

今回修理していたのは二コラI・ガリアーノです。
ニコロとジェナロの兄弟の作風は似ていて、区別は難しいです。
古い本にはストラディバリモデルで作られていたと書かれています。古い本ではf字孔も尖っていてストラディバリっぽい感じもします。しかし、アレッサンドロがフリースタイルだったのでその影響かもしれません。
何となくストラディバリに似てる感じもあります。フランスのモダン楽器のようなストラディバリモデルと言うほどは似ていません。
アーチは高くフラットではありませんのでモダン楽器の始まりとは言えないでしょう。

ガリアーノ家は家族経営の町工場くらいの感じで家族や従業員総出で大量に作っていたようです。そのため比較的数があるので私もたまに見ることがあります。木材は低質なものが多く品質は様々で雑に作られているものもあります。パフリングはぐちゃぐちゃで形は歪み左右は非対称だったりします。でも音は良かったり、逆に室内楽的でこじんまりしていたりします。裏板の中央が薄すぎて魂柱に耐えられずに変形していたり、アーチが不自然なために表板の中央が陥没しているものがありました。

そんな中最近の本ではアマティ型のとても美しいジェナロのものが出ていましたが、私も同様のものを何年か前に見てガリアーノのイメージが変わりました。本などで写真を見たり、実物をいくつか見たくらいで作者について分かった気になるのは危険だということです。何かのおまけに載っているくらいでストラディバリ以外は資料を探すのは難しいです。

父親のアレサンドロがアマティに似ていないのに、息子の二コロとジェナロがアマティに似ているものがあるというのは面白いですね。直接習ったというよりはマネして作ったのかもしれません。そうなるとストラディバリも真似た可能性はあります。昔はそれを「ストラディバリの弟子」として売ってきました。今でも楽器店の知識ではストラディバリの弟子なのかもしれません。

特にアマティの形のものが美しく作られているということは、それだけの能力があって、高級品があったのかもしれません。他のものは工房製というレベルなのかもしれません。したがって、ガリアーノでも美しく作られた楽器はあったのです。音については必ずしも見た目の美しさとは比例しないでしょう。余りに酷いと物理的に問題がある場合もあります。

フェルディナンドもニコロ・ジェナロ兄弟に近いもので、ガリアーノ家では美しいものも作っています。特に代表的なのはニコロ、ジェナロ、フェルディナンドでしょう。

値段は二コラとジェナロのものなら4~5000万円位にはなります。


ニコラ・ガリアーノのヴァイオリン



アマティの特徴がはっきりと表れています。ラベルには17までが印刷されていて50と手書きで書かれています。1750年と読めますが、50の方は後の時代の人が薄くなっていたものを上から書いたようにも見えます。

表板は左右で2枚物を張り合わせて無く、一枚の板ではないかと思います。木目も傾いているようです。
f字孔にははっきりとアマティの特徴があります。アマティを意識して作ったのは間違いないでしょう。

裏板もランクの低い木材で作られています。ニスは修理のために何度も塗り重ねられオリジナルはほとんど残っていないでしょう。表面も滑らかでヘコミなどもありません。普通は使っていると傷としてニスや木材が削れるほどではなくても、細かなヘコミが表面にはできます。それが無いので数十年前にも上からコーティングのニスが塗られていることでしょう。

イタリアのオールド楽器は黄金色だと知識では語られるかもしれませんが・・・

後ろにあるのがガリアーノです。茶色ですね。手前にあるのは東ドイツの量産品です。それよりも黒っぽいです。

形はストラディバリよりもアマティの特徴が強く出ています。

アマティに特有のカーブになっています。このようなカーブの特徴は二コラやジェナロのストラディバリ風のものにも見られます。したがって根底にアマティ的なものがあるように思います。少なくともガリアーノ兄弟はアマティを古臭い劣ったもの、ストラディバリを革新的な優れたものと区別していなかったようです。

パフリングもきれいに入れられていて、よくあるガリアーノのぐちゃぐちゃの感じではありません。やればできるんですね。

アーチにもアマティの特徴があります。


膨らみはかなりあります。オールド楽器らしいですね。裏板で18mmくらいありそうです。

表も17mmくらいありますが、駒の付近に陥没は無くきれいな状態です。アーチは力が上手くかかるようになっていないと駒のところが陥没してしまいます。そのような基本的なことも理解していない職人がいます。音が良いとか悪いとかではなく耐久性に影響してきます。250年経っても良い状態を保てていることで音にも良いというわけです。現代ではフラットなアーチが普通でそのようなこともあまり意識していないかもしれません。
音のことしか考えていないと楽器として基本的なこともわからなくなってしまいます。
横板も木材の質は低いですね。

スクロールはやや華奢な感じですが丸みが綺麗にできています。ペグの穴は何度か埋められていますが、4つの穴は均等ではなく上の二つと下の二つが近づいています。これはペグを持ちやすくするためです。このようなノウハウは音とは違って分かりやすいですね。

継ネックがされています。私が量産楽器に施したのと同じ修理です。



ガリアーノ家でも複数の人が働いたせいか、スクロールもいろいろです。トマソ・エベレーなどは現在のオーストリアのフィルスという所の生まれですぐ近くにはドイツの産地フュッセンがあります。ガリアーノに南ドイツのようなスクロールがついているものがあり、最初はニセモノかと思いましたが、そういう人も働いてたとすれば納得です。

厚みも測ってみました。
典型的なイタリアのオールド楽器の厚みです。現在の常識よりは薄いと思います。
実際にこういう楽器をよく目にするのですが、コメントでオールド楽器は薄くはないと怒られることがありました。不思議ですね。
裏板の中央が4mm以下だと現在は薄すぎると感じる職人が多いでしょう。3.5mmくらいなら何のトラブルもなく元気な音が出ている楽器がたくさんあります。

先日はひどく表板が変形している楽器が持ち込まれました。
石膏で型を取って押し付ければ直せるかもしれません、修理代を考えてその価値があるかどうかが争点となりました。しかし私が板の厚みを測ってみると1.5mmにも満たない部分が広くありました。1~1.2mmくらいでした。直してもそれでは耐えきれない可能性があるので、修理するには表板を新しくするしかないとなってしまいました。それは修理代が高すぎる上に、音は新品の楽器に近くなってしまいますし、骨董品としての価値も無くなります。

どれくらいが大丈夫な厚さなのかは、このような経験で知ることができます。

ボディーサイズも測っています。丸みのある楽器で幅は狭い感じがします。量産品と並べて置くと小さく見えます。
しかし中央はそれほどくびれておらず、ストラディバリと同程度で極端に窮屈ではないでしょう。

駒の位置を表す、f字孔の刻みをボディーストップと言いますが。196mmでした。
現在の標準が195mmですから、当時の測定器具などを考えるとかなり近いんじゃないでしょうか?

オールドらしいオールドヴァイオリン?

アマティの特徴が強いガリアーノでとても美しいものです。

先日はジュゼッペ・グァルネリ・フィリウスアンドレア(デルジェスの父)のヴァイオリンも見ました。こちらもアマティ型で高いアーチのものでしたが、きれいなものを作ろうという意識は感じられませんでした。当時のヴァイオリン作りの常識に基づいてただ作っていただけのようです。それはデルジェスにも受け継がれて唯一無二の楽器になったようです。もちろん古さによる美しさはありますし、普通の人は値段を聞くとそれを美しいと考えるでしょう。しかし造形的には凝ったものではありません。だからと言って近代や現代の楽器とは全く違います。時代によって常識が違うからです。
アマティも無駄な部分がかなりあるというか、もっと簡素化し楽器としての機能性が確保できるギリギリまで突き詰めてはいないと思います。完全には効率的では無いオールド楽器ですが、それでも作業を効率的にする方法を考えていたはずです。現在の価値では、10本も作れば一生暮らすのに十分でも、当時はそんなに高い値段で買い取ってもらえたはずはありません。それでも当時の人たちの生活からすればやはり高価なもので、安く作ることは求められていたはずです。
そのような名残がオールド楽器を目にすると感じられます。フィリウスアンドレアの楽器には隠さずにそのまま残っているのです。自分をカッコよく見せようという感じが無いのが面白いです。


1750年ともなると直接アマティの教えが残っていないかもしれません。しかしガリアーノの兄弟は理解していたようです。量産体制で雑に作られたものが多いので私も近年になるまでイメージが違っていました。
雑に作ってあってもまっ平らアーチではなく、むしろ大げさにもっと高いかもしれません。しかしアーチが上手くできてないと陥没などのトラブルの原因となります。

そんなわけで見た目はいかにもオールド楽器というガリアーノでしたが、弾いてみるとやはり音もイメージ通りです。私が作っているものともそんなに全然違う感じもしません。普通新作楽器はオールドとは全く違う方向性の音で、その中である種の硬さを音の強さと考え競い合っているようですが、それとは全く違う世界の話です。
持ち主が弾くのを聞くと、新品のエヴァピラッチゴールドを張ったせいもあってか、刺激的な音が含まれている感じがします。弦ももうちょっとすれば多少は硬さも取れるでしょうが、もっと弱い張力の弦が面白いかもしれません。それに対して高音は柔らかく同様のものは近代以降のものでは滅多にないでしょう。
私のものの方が弾いているのを聞くと透明感があってウエットな感じがします。それに対してドライということですが、言葉で書けばまたまた勘違いを招きそうです。



駒と魂柱を私が交換しました。持ち主は音が強くなったと感じたそうです。駒や魂柱は30年くらい前のものでしょう。私のやり方の効果ではなく、駒や魂柱はすでにヘタっていたことでしょう。古い楽器は鳴ると言っていますが、適切な修理をしていなければヘタって音も弱っているかもしれません。

この前のチェコのヴァイオリンの方が明るくよく鳴る感じがします。100倍近く値段が違いますが、鳴るという事では劣っていません。


私が20年近く前にまっ平らなアーチの二コラ・リュポーのコピーを作りましたが、長年コレクターのチェロ奏者が持っていました。当然弾いていませんでした。今は音大生が使っています。これもだいぶよく鳴るようになっています。板の薄さのわりに最初はそれほどではなかった低音も強くなってきたようです。私は個人的な考えとして、技術的な要素は最終的には裏切らないと思います。まあでも音楽家の言うことは私とは全く次元が違います。
本人も演奏を楽しんでいると満足しているようですが、音大生くらいになると弾きこみの効果も早く表れて来るようです。
薄い板の楽器ですが、初めよりも今の方が鳴るようになっています。「薄い板の楽器は初めは・・・」という理論が嘘であることがまた証明されています。

私はアーチは低くても高くてもなんでも良くて、弦の圧力で壊れないように作られていて、板が厚すぎなければ、使い込んでいけば鳴るようになってくると思います。それ以上の奇跡的な鳴りの良さは運としか言えないでしょう。普通にちゃんと作ってあれば、弾きこむことで鳴って来ると思います。だから音が良い楽器に何か特別な特徴があるというのではなく、普通に作ってあるだけです。

それに対して、楽器の性格は数十年や100年程度ではあまり変わってこないでしょう。職人が楽器に与えられるのは音の性格です。音の性格は意図するしないに関わらずすべての楽器で違いがあります。新作楽器ではそれで楽器を選ぶのが良いかなと思います。

音というのは不思議なもので、先生や家族などお客さんも複数の人がお店にいると、集団ごとに注目するポイントが変わってきて、音の評価も変わります。
お客さんの方は自分たちの感じていることが相対的なものだとは思っていないでしょう。弦楽器店で働いていると、集団によって全く違うことを経験します。
アジアからのお客さんが来ると多くのお客さんが普通に使っているE線を薦めると「弱すぎる」と言われることがあります。慣れのようなものも大きいでしょう。

私は音楽教育の専門家ではないので、むしろ先生に、国ごとに音の好みや弓の使い方に違いがあるのか研究してもらいたいと思います。教えるのが仕事の先生と演奏するのが仕事の演奏者でも求められるものが違います。

新作楽器は特有の硬さを生かせば、新作楽器同士で比べると音が強く感じられるかもしれません。しかしそれはオールド楽器とは全く違う競争で私は参加する気はありません。しかし音の良し悪しの基準はそれぞれ自由です。音は作られて何年後に評価すればいいのかもわかりません。