ネックの折れたヴァイオリンと職人の仕事 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。


ネックが折れたヴァイオリンでした。

新しいネックを継ぎ足す修理をしていました。

これでは音が良いも悪いも無いですね。まだ演奏ができません。

ネックを入れる溝を彫ります。
この時三つの面を加工します。それぞれの面の角度によって3次元でのネックの傾きが決まります。また深さによってネックの長さも決まります。
このために正確に加工する必要があります。

角度が決まっても終わりではありません。ネックを加工します。

楽器は量産品でも修理のネックはハンドメイドになります。作業がしやすいこの段階で95%仕上げておきます。

接着も簡単ではありません。せっかく角度を合わせて加工しても、接着でずれてしまえば終わりです。とても緊張するものです。

持った時に違和感がないようにと裏板のボタンの部分にピッタリになるように加工します。とはいえ、私の好みにするわけにはいきません。

つなぎ目が難しいですね。隙間なく接着ができています。

こちらもピッタリです。

新しい木材は白いので着色します。修理では古い木材の色を再現するのが基本的な仕事になります。

ニスの補修で特に難しいのはペグの穴を埋めたところです。作業に最も長い日数を要してしまうのはこれです。


穴を埋めた部分は木材の向きが違うために全く見えないようにはできません。この向きでないと加工が難しいからです。

ペグボックスの中は黒く塗られているように見えていましたが、よく見ると茶色が濃く塗られていることが分かりました。表面の光沢が失われ汚れがつくと黒く見えていました。
量産品のために塗り方も汚いですね。

穴を開けます。この時四つのペグの穴が等間隔になっているのではなく、先端の二つと根元の二つが近づいています。これはペグを持つ手を入りやすくするためです。

穴をまっすぐにあけるのは難しいです。不規則な形をしているので卓上ドリル(ボール盤)では加工できません。

上からの角度も見ないといけません。

ペグにはテーパーがついているので専用のリーマーという工具を使って穴を大きくします。

右のリーマーが少し下がっているようですね。写真にするとまた肉眼とは違って見えます。カメラも斜めになっているようです。

穴が大きくなってきたらペグを入れてみます。まだ穴が小さいので奥まで入りません。この段階ならまだ傾きを微調整できます。

目の錯覚がいろいろあってまっすぐにペグを入れるのはとても難しいです。20年以上やっていますが未だに完璧になったことがありません。

ペグがつくと穴を埋めた跡は目立たなくなります。継ぎ足した部分も違和感がないように塗装をします。

これでネックの修理ができました。これは正式な修理なので、これで楽器の値打ちが下がることはありません。ストラディバリなどのオールド楽器にも施されています。
今回が珍しいのは量産楽器に施すことがめったにないことです.修理代が高額だからです。
量産楽器にこのような修理を施すとネックだけはハンドメイドになります。

ネックを取り付け直すと駒と指板の関係が合わなくなります。修理前のものに対して新しく作った駒ではE線は低くなり、G線は高くなりました。作られたときはネックが傾いていたのでした。理屈ではE線がマイルドになり、G線が力強くなるのかもしれません。しかし壊れた状態で持ち込まれたので違いは分かりません。それよりもG線側の指板が低くなっていると腕をひねらないといけなくなりますので気持ち楽になった感じがするかもしれませんね。
魂柱もおそらく楽器が作られたときに入れられたものでしょう。ザクセンの量産品に独特なものです。これも交換しました。
ネックが折れたときに指板が表板にぶつかって傷をつけていましたのでそれの補修も行いました。表板のエッジにも損傷がありました。持ち主はネックが折れたことに意識が集中してエッジの痛みには気が回っていないことでしょう。放っておけないですが、見積もりに無いため簡易的な修理でサービスです。

これで再びヴァイオリンとして使用できるようになりました。
木工作業ばかりで、音楽にしか興味がない人にはつまらないことかもしれません。そのつまらないことをやっているのが職人です。

これはコントラバスです、表板を開けてみると接着する部分の加工がひどいですね。


横板にはライニングという部材がつけられ裏板との接着面を広げています。しかし隙間があって裏板と密着していません。これならライニングがついている意味がありません。このコントラバスは外側にもライニングがあるのですぐに壊れることは無いでしょう。しかし意味のない部材を取り付けるなら取り付けないほうがコストが安いでしょう。接着には伝統的なにかわではなく木工用ボンドのようなものが使われています。動物性のにかわは接着力が弱く、隙間があるとくっつきませんが、木工用ボンドは強力な接着力があり、隙間を合成樹脂で埋めてくれます。そのためさらに仕事が粗くなり、ボンドでさえトラブルが起きます。一方修理の時に開けようとすれば木材よりもボンドの方が強いため表板が裂けてボロボロになってしまいます。

「高級品は天然にかわが使われているから音が良い」なんてことを言えばイメージは良いですが、実際に音への影響は分かりません。いかにも高級品の商売をするセールスマンが言いそうなウンチクであり、職人としても保守的な考え方を正当化する理屈にすぎないのかもしれません。むしろカッチリ作りすぎていると音は良くないかもしれませんね。

コーナーブロックも入っていますが密着していません。外から見えない所は手を抜いてありますね。コストを削減するには作業を早くすることです。作業を早くするためには、品質チェックを行わないことです。チェック項目が多くなるほど作業に時間がかかりコストが増大します。
今回の修理では40万円は請求することになります。為替のこともありますので高く感じますが、楽器全体の値段を考えるとネックだけで40万円もするのはおかしいと思うでしょう。量産工場では修理してくれませんし、この楽器が作られたのは戦前です。
40万円でもコンピュータや自動車の修理や医療、弁護士に比べたら一時間当たりの単価は半分以下です。

ユーザーは音にしか興味が無いので、木工作業に対する対価を軽く考えていることでしょう。ブログのやり方を見て自分でやってみてください。

半月かかってようやく修理が終わったと思ったら・・・

あちゃーです。