ヴァイオリンという商品を選ぶこと | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンを選ぶことがどういうことなのか想像しにくいかもしれません。
壁紙とかカーテンとか、布の生地を選ぶ時にも似ています。本のように束ねたサンプルの生地を見せられてその中から選ぶ場合です。すべての生地が少しずつ違うのですが何十枚も見ているとだんだんわかなくなってきます。楽器を弾き比べるのもそれと似ています。音もみな違いますが、それをどう把握するかも難しいです。

チェックの柄なんて面白いもので、色とか模様が無限にあります。音もそれに似ていると考えたらわかりやすいでしょう。こうなると機械のように性能とかそういうものではないと分かるでしょう。当然天才とか凡人とかそいうものでもありません。
何か特定の模様に限定すると探すのは困難です。かつて持っていたものと同じ柄を探すとなると製造していないとなって、時にはとんでもない高値になるかもしれません。柄の無い無地でも、生地の織り目が全く同じものを探すと、同じ機械で織ったものでなくてはいけないので手に入れるのは困難です。しかし他人からすればなぜその生地にこだわるのか謎です。ちょっと違ってもどうでも良いのではないかと思うかもしれません。

他の例えとしては、サッカーのワールドカップなどがあります。強豪国であっても、予選リーグで格下と思わるチームに負けて敗退してしまうこともあります。
個々の選手の能力は職人の腕前に例えられるかもしれません。一人一人が優れた選手でも、チームとして機能しなければ勝つことができません。弦楽器も、一つ一つの作業工程で、確実に正確な仕事をすると品質としては高くなり、値段も高くなります。しかし音でははるかに粗末に作られたものに勝てないかもしれません。そんなことはよくあります。
ましてや、サッカーならボールがゴールに入れば得点で、得点が多い方が勝ちという分かりやすいルールがありますが、さっきの布の生地の話のように、勝ったか負けたかさえよく分からないものです。

現代の職人は人それぞれ話を聞けば、いろいろな考えや理屈を話してくれるでしょう。しかし、いちいち相手にしてはいけません。画期的な音ではなくたくさんの音の一つでしかないからです。理屈を話すべきかどうかを私は迷っています。

ヴァイオリンというものはアマティ家によって形ができたときにはすでに完成していました。ですから少しずつ技術を解明して進歩してきたわけではありません。ヴァイオリンのようなものを作ったらヴァイオリンの音がしたのです。

料理のように砂糖を入れれば甘くなり、塩を入れれば塩辛くなり、酢を入れれば酸っぱくなるというふうに音を作ることができません。一つ一つの作業工程を完璧にやっていくと作業に時間がかかり値段が高くなります。
それに対して、大量生産品では何らかの方法で買いやすい値段にするように作ってあります。この時、音がどうなるかを分かっていてやっているのではなく、コストを下げつつ売り物になるものを作っています。
だからある部分をコストの安い簡易的なものに変更するとどのように音が悪くなると分かっていて作っているわけではありません。

そもそも音を良いとか悪いとか評価すること自体が難しいと冒頭で説明しました。誰にとっても共通するというのは難しいでしょう。

でも製品というのはみなそうです。
私は長時間立っていると足が痛くなってしまいます。それで靴にはすごくうるさくて見た目はきれいでも足が痛くなる靴はダメです。特にヨーロッパの靴はそうです。そんな話を現地の人にすると「軟弱だ」と言われました。靴の歴史が浅く、家では脱いでいる日本人は靴が苦手なのかもしれません。やたら日本人が幅広の靴を好むのも締め付けられるのが嫌なだけで、足自体の形ではないかもしれません。
つまり靴選びで私にとって重要な項目も他の人にとっては何でも無いことなのかもしれません。
立っていて痛くなるのは、足の裏の限られた箇所に体重が集中するものです。それに対して快適さが売りの靴にはクッションがついていたりします。それは私には関係ないです。もちろん値段の高い安いは関係ないです。

長距離歩くとなるとそれだけじゃなくて軽さや柔らかさが必要になってきます。でも柔らかいだけだと体重が支えられずに構造的に硬い所に体重が集中してしまいます。

体重がうまく分散すれば、一か所が痛くなることはありません。しかし素材が硬いと肌触りが硬く全体的に痛くなります。一方でふかふかのスポンジのような素材だと、履いた瞬間は柔らかいと思うのですが、体重でクッションが潰れ切ってしまうとそれ以上はクッション性が無くなるので意味がありません。

そうやっていい靴を見つけたと思っても10年後には同じものが見つからずまた振出しに戻ってしまいます。

店頭の試着程度ではわからないので買ってみないといけません、失敗するリスクを冒して未知のメーカーに手を出すか、夢の靴はあきらめて妥協するかです。


商品を選ぶというのはそういうものです。自分にとってしっくりくるものかどうかが重要なのです。

インソールとして売られているものは私にはゴミばかりです。不思議です、快適になるように研究を重ねているはずなのに、アシックスの靴に初めからついているものを超えるものがありません。工夫されているほど良くないようにさえ思えます。
アシックスの作業靴用のインソールを日本に帰ったときに買っておいてそれを加工すれば大概何とかなります。こうなると逆に見た目で靴を選べばいいというわけです。


一方消費者は誰か「専門家」に良し悪しを審査して格付けのようなことをして欲しいと思う人もいるでしょう。
なので、ヴァイオリン評論家のような職業を作って、その人の私見を発表すれば需要に応えてビジネスとなるでしょう。専門家が良いといったものと、何も言わないものでは実際は微妙な音の差しかなくても天と地の差があるような印象を受けることでしょう。
お金儲けしたければそんなことをすれば良いでしょう。

しかしそのことと、弦楽器の真実は全く別のことです。
消費者が物を購入するときは、私からするとはるかに軽率に行っていることが多いと思います。
そもそも「物」に関心が高い人が多くありません。なんとなく雰囲気で決めてしまうことが多いでしょう。そのため大企業は製品そのものではなく、イメージ戦略に多額の費用を費やしています。

それで買ったものに対して違和感も感じなければ幸せです。
世の中の人たちは忙しくて、いちいち身の回りのものの一つ一つに関心が無いことでしょう。何かイメージやセールス文句で良いものを買ったと思って疑わなければ良いのかもしれません。

楽器がそれほど重要なものなのかどうかそれが鍵になることでしょう。