モダントリノ派の始祖? アレサンドロ・デスピーネのビオラ | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。


イタリア製の冷凍豚まんを買ってきました。パッケージには漢字で猪肉と書いてありましたが豚肉のことです。中身が少なめですが日本の肉まんと味はほぼ同じです。こんなのが買えるようになるとは渡欧した当初とは変わったものです。
こういう蒸し饅頭は世界中にあるようで中身がいろいろ違います。韓国や台湾製のあんまんもあります。


今回はトリノのヴァイオリン製作の話です。
現在はイタリアのピエモンテ州の州都で、自動車産業など工業都市となっています。

トリノのヴァイオリン製作では一番古い時代にはジオフレド・カッパ(1644~1717)がやってきました。誰の弟子かははっきりしませんが、この人はアマティ的な楽器を作った人で一派を形成します。
同じ流派には南ドイツのフュッセンから来た、エンリコ・カテナリがいて、カッパの弟子にはスピリト・ソルサーナ、ジョバンニ・フランチェスコ・チェロニアティなどがいます。

その後、ジョバンニ・バティスタ・グァダニーニ(1711~1786)がやってきます(以下G.B.グァダニーニ)。この人はヴァイオリン職人ロレンツォの息子でピアチェンツァ、ミラノ、パルマなど各地を転々としたのちに、最後はトリノで生涯を終えます。イタリアオールドの作者の中では後の方の時代で、ヴァイオリンの値段は2億円にもなります。
G.B.グァダニーニには息子が何人かいますが、ヴァイオリン職人を継いだのはジュゼッペですがその前に独立していてトリノには来ていないようです。

トリノに残った息子のカルロとガエタノはギター職人です。
このため父のG.B.が1786年亡くなるとトリノにはヴァイオリン職人がいない空白期間になります。

その後1810年頃に、アレサンドロ・デスピーネ(1782-1855)とニコラス・レテがやってきます。
デスピーネはスイスで生まれフランスで育ちパリで医学を学び、ヴァイオリン製作も学びます。医者の家族とともに1810年頃トリノに移り、自分は歯医者として働きます。顧客には王家の人たちもいて高い地位を持っていたようです。アマチュアのヴァイオリン職人としては最も高価な作者でヴァイオリンなら3000~4000万円位になっています。裕福な人たちと交友関係があり、職人と顧客を結びつける役割も果たしたことでしょう。

同じころに、フランスのミルクールからレテ家のニコラスがやってきます。レテ家はミルクールでも力を持っていて様々な楽器の販売を手掛けていました。販路を築くためにヨーロッパやアメリカの各地に拠点を持って進出していました。ニコラスは妻とともにトリノに「レテ・ピレメン」という会社を作ります。ミルクールの楽器や古い楽器を販売するとともに、修理と製造も行いました。主力はオルガンで、小型のものですが、ギターや擦弦楽器も扱いました。ギターについてはカルロとガエタノのグァダニーニ兄弟に協力を得ていたようです。カルロの息子、ガエタノⅡとフェリーチェには擦弦楽器部門つまりヴァイオリンを作らせるように仕向けたそうです。

レテとデスピーネとグァダニーニ家はとても親密な関係にあって、大規模な楽器ビジネスを展開していたようです。

レテはミルクールから従業員として人を呼びます。少なくともヴァイオリン職人だけでも数十人規模だったようです。他の楽器や営業職やその家族も含めるともっと多いわけです。レテ・ピレメンでは主にオルガンの製造を主力としていました。ギターはグァダニーニが携わるというわけです。ヴァイオリンも作っていて、ミルクールから来た職人が安価なものも量産していたようです。イタリアには量産工場は無かったと言われているかもしれませんが、実はトリノに工場がありました。当時トリノはフランスの支配下にあり、当時はフランスだったとも言えます。ミルクールで途中まで作ったものをトリノで仕上げたことも行われていたようです。トリノでは、レテ・ピレメン社が楽器業界の中心だったようです。

ニコラス・レテが亡くなると、会社はオルガンと擦弦楽器に集中するようになります。ガエタノⅡとフェリーチェのグァダニーニ兄弟とレテ・ピレメン社の関係が続きます。ジョバンニ・フランチェスコ・プレッセンダはこのレテ・ピレメン社でミルクール出身の先輩らにヴァイオリン製作を習います。プレッセンダは古い本にはクレモナでロレンツォ・ストリオーニに師事したと書かれていますが、2000年以降の本ではこれが否定されています。もともと農業をしていたプレッセンダは40歳くらいになってレテ・ピレメン社でヴァイオリン製作を学んでいます。

のちのプレッセンダのヴァイオリンとガエタノⅡ・グァダニーニのモデルがとても似ていることからも、この3社の関係が密であったことが分かります。さらにデスピーネも関わっています。

プレッセンダは独立後もフランス人の職人を弟子や従業員として何人も使ってフランス的な楽器を作っていました。さらに弟子にはジュゼッペ・アントニオ・ロッカがいます。

このように、トリノでは一度ヴァイオリン製作が途絶えてしまい、フランスから弦楽器製作がもたらされました。このためトリノのモダン楽器はフランスの影響が強いことが特徴です。私も実際にロッカのヴァイオリンを見たときにはフランス的な楽器だと思いました。

このようなことも最近の複数の本には書かれています。
19世紀にはフランスが弦楽器界をリードしていたということです。

このようにかつてはプレッセンダはストリオーニの弟子で、ストラディバリ以来の伝統を受け継いで、ストラディバリに匹敵する才能を持ち、楽器が古くなれば次世代のストラディバリになると誤解されたため、値段が高騰しました。
ストラディバリに楽器が似ているのは、フランスの楽器製作の基礎を学んだからです。しかしよく見ると、ガエタノⅡ・グァダニーニのモデルによく似ているように思います。ガエタノⅡのモデルはG.B.のものを元にしているようです。これを当時のフランス的な考え方でモディファイし、近代的なヴァイオリンに作り変えました。このため祖父のものとは全く雰囲気が違うフランス風のものになっています。

フランスでは量産品と一流の職人の楽器とではランクの差をつけてあると説明してきましたが、トリノではグァダニーニブランドのものと量産品と差別化をしていたようです。このためイタリアの楽器には珍しく、フランス的な精巧さで作られています。

このようなガエタノⅡのヴァイオリンのスタイルが確立するのに、フランス出身の職人たちの影響が大きいはずです。グァダニーニ家の従業員については記述はありません。しかし、ミルクール出身の職人の果たした役割が大きいことでしょう。その後、アントニオ・グァダニーニの時代になるとさらに典型的なフランスのヴァイオリンになります、作っていたのはフランス人の従業員だと分かっています。ミルクールで途中まで作られたものを仕上げたものも売っていたそうです。

1975年の本にはプレッセンダがストリオーニの弟子だと書かれていますから、30年もしないうちにそれが否定されました。しかし楽器の値段は高騰を続け、今では、5~6000万円位になっています。ミルクールの流派の楽器としては異例の高値ですね。笑ってしまいます。

このように知識は変わっていきます。
今の知識も未来には変わってしまうかもしれません。そのため大事なのは「言葉」によるイメージではなく、楽器そのものだと思います。職人は流派の特徴や作風、クオリティが分かります。しかし音は自由です、音楽家であれば、セールスマンの話すことではなく音に耳を傾けるべきです。

ですので、トリノの歴史についてこれ以上詮索することは意味が無いでしょう。
モダンのトリノ派は単にフランスの流儀で始まった流派だとすればいいでしょう。


こんな子がいました。
うちのお店には、エンリコ・マルケッティという作者のヴァイオリンがありました。異常なヴァイオリン熱を持った家族がやってきて、コンクールの地方予選を控えた息子のためにそのヴァイオリンを購入しました。マルケッティはグァダニーニ家で修行して、初めはわりとまじめなフランス的なものを作っていましたが、晩年はやっつけ仕事でいい加減な楽器になっていきました。当時でも500万円くらいして驚いたものですが、今では800万円もします。両親は身なりも地味で特別お金持ちという感じではありませんでした。
息子はいかにも理系タイプの中高生という感じで、インターネットで調べてマルケッティがあのグァダニーニの弟子だということを知り、喜んでマルケッティを購入しました。音はギャーと賑やかな感じで量産楽器のような鳴り方でした。それまで使っていた量産楽器と音の出方が近いので弾きやすいのかもしれないと私は思いました。

でも歴史をもう少し知っていると、G.B.グァダニーニの伝統は途絶えて、ミルクールの職人によってヴァイオリン製作が再開されたことがわかります。楽器のクオリティが分かると、仕事はいい加減になっていて、見事なフランス風のモダングァダニーニのレベルには無いことが分かります。同じ値段なら一流のフランスの楽器が買えました。

その後大学に進学するとヴァイオリンの演奏を全くやめてしまいました。

こういう中途半端な知識なら無い方がましだというのがいつもの話なのですが、理系の人というのはものに興味が強いはずなのに、意外と言葉に弱いことがよくあります。だったら、音楽にしか興味がない人の方がまともな買い物をすることがあります。中高生で汚い商業の世界を知ってるわけもないので無理も無いんですけども。


また別の理系の人は「良いヴァイオリンの弦は何だ?」と聞くので何かのはずみでエヴァピラッチゴールドの名が挙がりました。そうすると自分はヴァイオリンに詳しいと思っているのか、それ以来自分や家族、知人の楽器にはみなエヴァピラッチゴールドを張らせていました。新作楽器、古い上等な量産楽器、オールド楽器何でもかんでもエヴァピラッチゴールドです。
そしてまた新たに知人の楽器のメンテナンスをすると何の弦を張るかということになって「エヴァピラッチゴールドは良い弦か?」と聞いてきました。その質問に対して「そうです、良い弦です」と師匠は答えました。しかしそれはピラストロ社の高級弦の一つであるという意味です。ナイロン弦のセットでは最も高価なものです。

理系で頭が良いなら、楽器や演奏家ごとにマッチする弦が違って試してみなければ分からないということがなんで分からないのかと不思議に思います。同じような経験を理系の分野ではしたことが無いのでしょうか?それとも「美」という概念は理系の経験では全く相いれないものなのでしょうか?
その人は理系の世界でも複雑な思考は嫌い、手っ取り早く正解を聞きかじってきて知ったかぶりをしている人なのかもしれません。

デスピーネのビオラ



デスピーネ1825年製のビオラです。胴体は40cm、弦長は小型のビオラよりも短いものです。
一見してもフランスの一流の職人のようなカッチリした感じが無く甘い感じがします。しかしオールド楽器とは全く違いモダン楽器になっています。モデルはストラディバリとは関係なく、注意深さはありませんがその後のトリノ派の感じはあります。

ニス自体はオレンジのものですが、木材が古く汚れもたまっているので茶色に見えます。実物は大きいので大味な感じがします。ニスはガエタノⅡ、フェリーチェのグァダニーニ兄弟に塗らせることもあったそうです。それとて、多忙な経営者本人なのか従業員なのかもわかりません。

アーチは駒の来る中央は比較的高さがあり、上と下はかなり平らになっています。フランスの楽器の特徴でもあります。

ネックは継ネックはされておらず、継ぎ足して長くしてあります。しかしそれでも長さが短く弦長はかなり短くなっています。
有名なイギリスの楽器商から買ったものだそうですが、修理の仕事がいい加減です。

スクロールの仕事には繊細さが無く、アンバランスです。



全体にアバウトで自由な感じです。一流のフランスの作者のようなカチッとした感じがありません。ストラディバリの特徴もありません。エッジの縁が黒く塗ってあることだけが、フランス流ですね。

不思議なことに「イタリアっぽさ」を感じます。フランス式の楽器製作を学び、仕事が甘いとイタリア風に見えるのでしょうか?
フランスでは一人前の職人とはみなされないレベルがイタリア風ということでしょうか?

これが3000~4000万円すると考えると、値段について何の法則性も見出せません。何の情報もなく楽器を見ただけなら、さほど腕の良くない人が作ったビオラでしかありません。


板の厚みはアバウトできちっとした規則性が見出せません。全体としては厚すぎることは無いため、問題はないと思います。

アマチュアが作った中ではうまい方でしょうかね?それが4000万円もするのは技術面からは意味が分かりません。

少なくとも職人が見たときには、並みの職人にはまねのできない名工による渾身の作品では決してなく凡人が作った楽器という感じがします。

過大評価?


デスピーネよりもはるかに腕が良いもミルクールの職人たちは全く無名なまま、なぜかこの作者は有名になっています。当時も、高い地位を持っていて、自分よりもはるかに腕が良い職人たちよりも偉い立場にあったことでしょう。
職人でも腕が良い人が偉くなって出世するとは限りません。下手な人が支配的な立場になることもあります。職人よりも高い地位を持っていたことで上から目線で職人たちに接していたことでしょう。

人間の社会は、職人の技能に対して特別な尊敬を持っているわけではありません。

またトリノのモダン楽器製作の歴史を見ると、現代のアパレル産業のような「ビジネス」の要素があります。それを現代になってストラディバリの再来と勘違いした人たちによって値段が高騰しました。


音は自由なのでこのような楽器の音が値段に見合っていると思う人がいるなら職人としては文句は言いません。しかし何千万円もするから音が良いと初めから思い込みを持っていて楽器が人生にとって大事なものだというのなら注意を喚起します。

このような高価な楽器を持っていても職人たちは「天才による見事な作品」とはこれっぽっちも思っていないということを知ってください。お金持ちのお客さんにこびへつらっているだけで、親身になって語ってはいません。


それに対してトリノ派でもプロの職人はフランス的な高い品質になっているものもあります。プレッセンダなどは値段も高価であり「イタリア的」な要素は少ないです。
イタリアにはフランスとはまったく違う美意識や価値観があり、フランス的なものは過剰なものとか邪道だと考えられているわけでも無いですね。イタリアのモダン楽器の中ではフランス的なものが高い値段になっています。でも本家のフランスの楽器の方が安いのです。

つまりイタリアのものならフランス的な作風を目指しても高い値段となり、そのレベルに達しないものも高い値段になるのです。

値段の付き方は産地や流派によって基本の値段があり、その中で腕が良いとか時代が古いとか差がつくという規則性がある程度見えてきます。イタリアという時点でまず価格帯がぐっと上がり、モダン楽器の中ではトリノが一番高い流派となります。その中で時代が新しい手抜き職人でも800万円になるというわけです。作者が不明(フランス人が作った)としてもトリノ派とかプレッセンダ派とか言って売られたり、偽造ラベルが貼られて売られてきたことでしょう。

このフランス的な作風は現在でも国際ヴァイオリン製作コンクールの基準となっています。クレモナで行われているものも例外ではありません。時代が現代に近づくほど、イタリアの優秀な作者の楽器は他の国の優秀な作者のものと酷似しています。フランスの楽器製作はトリノだけではなく、世界の楽器製作の基礎となっています。今の職人はそのことを知らないだけです。


私はこのような楽器に対しても興味津々で面白く、音は各自の自由です。
職人はどう思うかという事実を言ってるだけです。ご自分で考えてください。