ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -6ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。

こんにちはガリッポです。

※操作ミスで同じ記事が2度投稿されてしまいました。
コメントももらっているので消すわけにもいきません。

はじめに、中古品のヴァイオリンの方が鳴りが良く値段も安いので新作楽器は仕事としては成立しなくなっています。何度も書いていますが、読み飛ばされるようです。これは深刻なことです。50年前の職人が今の職人に比べて劣ってることはありません。現代の物価の上昇を価格に転嫁すると新作楽器が高すぎます。
亡くなった職人はアピールができないというだけで実力では現在の職人に劣っていません。新作楽器が優れているのはプレゼンテーションだけかもしれません。音だけで選ばれたら太刀打ちできません。


A・ガリアーノの続報から。
ますます音が良くなってきているとのことですが、駒がずれていたので直しました。するとまたきれいに演奏できるようになったとのことです。
E線側の駒の脚がずれE線の弦長が長くなっていました。
なぜ起きたのかはわかりません。移動などで開けたらズレていたということもあります。
弦長だけではなく魂柱との位置関係もあります。そうでなくても音は理由が無く何かが変われば変わります。駒が少しずれるだけでも音は変わります。
その話はまた改めてするとして、音は低音の量感が増して音が暗く暖かみが増していました。高いアーチらしいダイレクトさもあります。今回は「クラシック弓」と呼んでいるバロックとモダンの間のような弓を使っていました。それも音の違いかもしれません。
ともかく修理前のやたら柔らかい音とはだいぶ違う音になってきました。オールド楽器の音は修理によっても全く変わってしまいますね。
傷んでいて柔らかい音がするのが「オールドの音」というわけでもないのです。高いアーチの表板は持ってみると強度が高くて柔軟性がありません。音も本来ならダイレクトでクッション性を感じないはずです。言ったら高級車と言うよりもレーシングカーのようなものです。それを柔らかいクラシック弓で見事に演奏するのはさすがに上級者ですね。


マティアス・ホルンシュタイナーの修理の続きです。
ホルンシュタイナー家は南ドイツのミッテンバルトを代表するメーカーです。近代まで続いて量産メーカーのノイナー&ホルンシュタイナーとしても知られています。
さらにマティアス・ホルンシュタイナーも何人もいました。

マティアスでもさらに地名などによって区別されているようです。「ミッテンバルトのホーフシュミード」と書いてありますが、これが一番有名なホルンシュタイナーです。それなのに本に写真などはわずかしかなく、私が見ても本物かはわかりません。有名なドイツの鑑定士が認めたそうです。


横板には割れがありライニングを切り取って厚みを増す修理がしてありました。

1.2mmくらいの横板に厚みを増して3mmほどになっていました。
ガリアーノでは横板を切り取って新しいものにしましたが、そこまで大破していません。

ライニングを新しくしてピンポイントで補強しました。以前よりはオリジナルの状態に近いでしょう。これくらいは音への影響はわずかでしょう。

下側のブロックはひどく傷んでいたので交換しました。エンドピンのぐらつきもエネルギーの損失となるでしょう。
こちらも横板に割れがありました。あご当ても原因の一つです。テールピースをまたぐタイプのものをお勧めします。あご当てを安価なものにしたために高額な修理代がかかります。
開いていた裏板のセンターの合わせ目も接着しなおし、木片で補強しました。


こちらは修理前

そして修理後

合わせ目が開いていて羊皮紙でつながっているだけだったので、魂柱からの力に対抗できなかったはずです。これもエネルギーのロスになるでしょう。アコースティックの楽器では動力源は人力なので、エネルギーの損失はまずいですね。
多少は音色などの個性になりますけども、割れとか剥がれなどは大きなロスです。
古い楽器なので完全に接着することは不可能です。合わせ目を削り直すと幅が小さくなってしまいます、よほど重症でない限りはやりません。しかしあからさまに隙間が空いていることは無くなりました。
またニスがはがれたところは、黄金色になっています。イタリアの楽器だけが何か特別なのではなく、ドイツの楽器でも古くなれば黄金色になります。
木材に強く着色したり、薬品などで処理すれば違ってくることもあります。着色はイタリアの作者でも行われてきました。
クレモナのオールド楽器にニスの秘密があるのではなく、特別なことを何もしなければ黄金色になるということです。

表板のコーナーは摩耗が進んでいます。

特にまずいのは右上のここです。
わかりますか?
修理で新しい木材が足されてますが、オリジナルのパフリングが無くなっていて、線を描いてあるだけです。


新しくパフリングを作っていれました。

そのあと普通のコーナーの修理です。

裏板も同様です。過去の修理で失われていました。
完成の様子は次回です。

やはり新作楽器が作れないと修理はできません。単に自分のスタイルで楽器を作るのではなく他人のやり方を学ばないといけません。ホルンシュタイナーも細かい細工が綺麗にできていて、マイスターのクオリティであることが分かります。パフリング細部の丸みについてはイタリアの楽器以上のクオリティです。このため新作楽器が下手なので修理に転向するということはできません。


ネックはモダン仕様にします。プロの演奏者でも十分使えるものとします。

穴が開いていますが今回は釘は使いません。モダン式では胴体ができたところにネックを取り付けるので釘を打つことができません。
モダン式では、彫りこんだ溝でネックの角度や長さが決まります。胴体ができてからネックを取り付けるのでより正確に取り付けることができるわけです。バロック仕様では先にネックをつけてから胴体を完成させます。この時指板の厚みで角度を調整します。駒の高さに指板を合わせるとネックの根元側が厚い傾斜した指板になります。

モダン仕様では、ネックを取り付ける溝の加工で傾きや長さが決まります。傾きは駒の高さだけではなく、3次元すべての方向があります。量産品のように作業時間を短くすることを重視して作られたものは、指板が楽器の中心を外れていたり、E線やG線のどちらかが高かったりします。ネックの長さもバラバラです。

たまたま手元にあった量産品のネックの長さを測ってみました。

指板の先端が130mmになっているのが標準です。このヴァイオリンでは133.3mmほどになっています。

別のものでは127.5mmくらいですね。指板も黒檀ではなく白い木を黒く染めたものでした。
戦前の量産楽器ではこのように低い精度で作られていました。
なぜこのような誤差が出たかはわかりません。経営者や工場のマイスターは正しい寸法を知っているはずですが、安い値段にするために目をつぶって売っていたということですね。

技術的に解説すると胴体に溝を彫る時に、深さが足りないとネックが長くなり、深すぎると短くなります。慎重に作業を進めると失敗しませんが時間がかかります。急いでやると彫りすぎてしまったり、足りなかったりします。
またネックを加工する方も同様です。ネックをのこぎりで切断するのも慎重にすると長くなり、失敗すると短くなってしまいます。時間をかけて良いなら少し長めに切って、カンナで仕上げればいでしょう。ある程度は胴体の方で調整できますがそれ以上の誤差があれば取り付けもできなくなります。
別の人が担当していたのならば、ネックを取り付ける係の人は「ネックを切断した人が悪い、私は悪くない」、ネックを加工する人は「ネックを取り付ける人が悪い、私は悪くない」と意見を主張することでしょう。
人の言う「意見」などは聞いてもしょうがないですね。私は結果しか興味がありません。

この長さは演奏上重要になってきます。2~3mm違えば複数の楽器を所有した場合に同じように使えません。長さが正しいと数学的に理想で音が良いというのではなくて、指板上の指で押さえる位置に影響してきます。弦長が長ければ抑える間隔が広くなります。
胴体の駒までの距離(ボディストップ)とネックの比率も重要です。
ネックが短いと親指をネックの根元に当てたとき、指を伸ばさないといけなくなります。
初心者などはそんな音は使いませんし、違いも分からないので滅茶苦茶なまま売られていたわけです。ネックの長さが間違っている場合、継ぎネックの修理が必要になります。継ぎネックの費用がヴァイオリンの値段よりも高くなるのでゴミということです。いくら安い値段で買っても損というわけです。我々が楽器を買い取るときは選別しますが、一般の人が中古品を買うことがいかに危険かということです。

弦楽器の場合には寸法などの重要性に優先順位があります。

初心者用の楽器で最優先されたのが「値段の安さ」でした。演奏上重要な項目さえも無視されたのです。

古い楽器を修理する場合も同様です。お客さんが高い修理代を払う覚悟があるなら継ネックを施します。初級の練習ができれば良いとなれば、目をつぶります。高額な修理をするよりも、今後も続けるとなったときにまともな楽器を買う資金にしたほうが良いからです。
チェロでは大きな問題で、200~300万円クラスの古い量産品でも問題だらけです。様々な応急処置も現実には行われています。

オールド楽器では寸法が定まっていないのでそれこそ滅茶苦茶です。ネックは継ぎ足されていることがほとんどです。言い換えれば継ぎネックの費用よりも安い楽器は使い捨てということです。初心者用の楽器とはそのような使い捨てのものです。今では中国が最大の生産国です。19世紀にはミルクール、その後ドイツやハンガリー、日本で使い捨ての初心者用の楽器が作られました。

これにも問題があって、ミルクールのものになると「フランス製」ということで値段が高くなり、使い捨てレベルの楽器として作られたものが今では結構な値段をしています。

量産品では見えない所は徹底的に手を抜いています。外見よりも中はもっと低いクオリティです。フランス製だろうと中国製だろうと同じです。むしろ機械化が進んでいない古い時代の方がひどいです。かつて安価であった楽器の修理もめちゃくちゃでした。外見がチープなものは中身はそれ以上にめちゃくちゃになっています。外見が綺麗でも板が厚すぎる楽器がよくあります。外見が上等なのは最低条件ですね。
安価な楽器では表板や裏板を作る時に薄い平らな板を曲げて作った「プレス」という製法があります。最も安価な製品ではありますが、無垢材で雑に作られて板が厚すぎるよりも音が良いということは十分あり得ます。

ネックを接着する前にすることがあります。ニスの補修です。ネックと指板がついてしまうと作業がしにくくなります。
ニスがはがれているところが分かるでしょうか?使用で手が触れる部分では先にニスがはがれてきます。白っぽくなっているところがニスが無い所です。

ニスのメンテナンスには「コーティング」と「ポリッシュ」などの手法があります。ニスに光沢があるのは、表面が滑らかになっているからで、細かい傷や凹凸、皮脂や松脂、汚れにおおわれると光が乱反射して光沢が無くなります。
新しい楽器ならニスの厚みがあり、磨き直すことでピカピカになります。
古い楽器ではニスがはがれて木材が露出したり、残っているニスも風化してボロボロになっているので磨いても光沢が出ません。
そのため上に何かニスを塗ります。失われたところだけに塗ることもできますが、新たに塗ったところだけがピカピカで差が出てしまいます。そこで楽器全体に特に無色や薄い色のニスを塗るのがコーティングです。

コーティングは大きな修理などの時にすることが多いでしょう。指板があるとできないからです。

古い楽器ではまずオリジナルのニスの表面が残っていることはなく、何かを上から塗ってあります。これはオールドだけではなく20世紀初めのモダン楽器でも少なくありません。何度もコーティングがほどこされています。

それに対してポリッシュは、アルコールで薄く溶いたアルコールニスを布につけて磨きながら塗っていくものです。私は表面にニスが無くなっていたヤコブ・シュタイナーの表板に施したことがあります。家具やギターの製造で用いられる方法でもあります。19世紀の銘木を用いたピアノの製造でも使われたことでしょう。フレンチポリッシュとも言います。
ポリッシュで塗るニスの厚みはハケで塗るのに比べるとはるかに薄いものですから、回数を多く重ねなくてはいけません。シュタイナーくらいであればコストは考えずにやってみました。5年経っても光沢は保たれていました。

しかし普通はそんなに厚くフレンチポリッシュを施すことはなく、その場しのぎのものです。次のメンテナンスの時に汚れを落とすとポリッシュの層も落ちてしまいます。また新たに施すわけですが、毎回やらないといけません。またポリッシュを施す下の層が滑らかでないと、アルコールが蒸発すると層が薄くなり光沢が無くなります。

それに対してコーティングでしっかり層を作ってあれば、ただ磨くだけで済みます。これらは別々の概念ではなく、耐用年数の問題です。ハケでニスを塗ってコーティングを施すには時間と費用がかかります。指板を外している時の方がやりやすいです。

コーティングが古くなって光沢が無い所が出てくると、フレンチポリッシュで補います。それにも限界が出てポリッシュを施しても光沢が出ません。毎度毎度やるならコーティングを施したほうが経済的です。光沢の持続時間もコーティングの方が長く、ポリッシュでピカピカなのは修理直後だけかもしれません。一生懸命やって次の日には光沢が無くなっていることもしばしばです。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ると楽器がピカピカなのはそのために専属の職人が直前に磨いているからです。
それを持続させるためにはしっかりした滑らかなニスの層が必要です。

裏板もオリジナルのニスが残っている部分はわずかです。過去に修理で何かしらニスが塗られています。無色透明なものだけではなく、緑っぽい暗い色のニスが塗られています。

画像中心付近の横板のコーナーの近くが黒くなっていますが、これは汚れではなくその色のニスが塗られています。よく見るとハケの跡が見えます。後の時代に塗られたものでオリジナルではありません。

同じものが裏板の上部全体に塗られています。緑がかった灰色に見えます。茶色いオリジナルニスの色とは違います。

ニスの表面には傷や凹みが無数にあります。オールドイミテーションで見るような黒い傷ではありません。

写真にとるのは難しいですが、コーナーの付近は光沢が無くなっています。フレンチポリッシュを試みても無理でした。何かを塗って磨かない限り光らせることはできません。

コーティングは新作楽器の製造時に行われることもあります。色のついたニスを塗った後で無色のニスの層を作ります。多少擦れても色が薄くならないようにするためです。より光沢を出したり、手入れがしやすいニスを表層に塗ることも考えられます。特に量産品では上から無色なニスを分厚くスプレーで塗ってあります。一番ピカピカなのはこのような量産品です。このためピカピカすぎてもかえって安っぽく見えます。
性質が違うニスを塗ったことでニスに亀裂が入る原因になるかもしれません。オリジナルのニスが多く残っているモダン楽器などではよく見られます。コーティングが原因になることもあるでしょう。

古いドイツの量産品ではニスに多くの場合ラッカーが使われています。マルクノイキルヒェンのものは今でも被膜がしっかりしていて磨くと光ります。通常ラッカーの耐用年数は2~30年で、乾燥してひび割れしてボロボロになりますから驚異的に優れたラッカーです。
ハンドメイドの楽器では天然樹脂のニスが使われ、そこまで丈夫ではありません。表面に粘着性があり汚れが付着しやすく光らなくなっているので事故などの修理の時にコーティングがほどこされていることが多いです。つまり汚れの上からコーティングされているのです。ポリッシュでも汚れの上から施され汚れも擦り込まれて行きます。

これがラッカーの場合には汚れが綺麗に取れて作られた当初のようになります。100年経っても味が出ないのです。これもラッカーを見分けるポイントです。

これでネックが取り付けられます。


ペグは穴を埋めたので開け直します。この位置も難しいものです。過去に開いていた穴と同じ位置に穴をあける方法と理想的な位置に開ける方法があります。
過去の穴を無視して穴をあけると、新しく足した木材ともともとの木材の境目に穴が来ます。そこは欠けやすくなります。硬さも差があるでしょう。
過去の穴と同じところに穴を開ければ継ぎ足した木材の中に小さな穴が開くことになります。ただし、位置がおかしいと弦が引っかかったり、手の邪魔になります。
今回は過去に埋めて穴をあけたときに、多少ズレて穴をあけてあったのでそれを埋めるので、オリジナルの穴とはずれた位置で穴埋めをしています。違う位置に2度穴埋めをしています。
昔の穴の位置と、現代の我々が理想と考える位置の中間ぐらいに開けました。

そのような妥協が必要です。
オリジナルの穴の位置が機能的におかしいなら無視して現代の理想の位置に穴を開けます。過去の穴の位置も機能的に問題なければ同じ位置に開けても大丈夫です。何もかも先輩に教わった寸法にしなくてもいいのです。それが修理です。

こちらでは「目測」という言い方をよくします。寸法はだいたいでいい加減です。日本人以外はそんなもんです。
教わる方は理不尽に感じます。それに対して日本での話を聞くと、わりと細かく定めた寸法などを先輩から教わるようです。いろいろなことを考慮し(机上の空論で)目安となるような寸法の測り方を決めるとそれが独り歩きして実際の古い楽器では当てはまらなくなります。マニュアル人間だと、部分によって矛盾する場合が出てきて、そのケースではどちらが重要か判断しなければいけません。

楽器には優先順位があり、すべて定められた通りになっていなくても「使える」ようにしなくてはいけません。はるか昔はそのように楽器が作られていましたし、ヴァイオリン以前の楽器もそのように進化してきたはずです。

耐久性、値段、演奏技術、見た目の美しさ・・・音はその一つの要素でしかありません。演奏しにくい楽器で音が良くてもダメですし、なぜか300年でも使えないといけません。製造コストも重要です。

我々が勘違いしやすいのは、何か数学的な理想があって、それから少しでも外れると音がくるったり、性能が発揮できなくなるという発想があります。特に音楽と数学は近い所がありそういう事が好きな演奏者がいます。職人が数学的な理屈を語ると飛びつきます。
実際はアバウトに楽器は作られていて、音楽家はたまたま手にした楽器ごとにコツをつかんで何とかだましだまし使っているそういうものです。

サドルも新しくします。表板の厚みを増したので古いものは合わなくなります。古いサドルにも厚みを増す改造もできないことは無いですが新しいものにしましょう。
この時、高さを限界まで高くしました。アーチが高い楽器では理屈上サドルも高くしないといけません。しかしあまり高くすると弦の張力に耐えられず倒れやすくなります。接着面の加工をやり直しすとともに、妥協点を探します。
高いものを後で低くすることはできます。
ネックも同じで高いアーチの楽器ではとても難しいです。

写真が撮れてなかったのでそれはまた次回にしましょう。
ネックは新しく足した木材ですので色が違います。うまく着色して古い木材と違和感が無いようにします。
上手くやればネックの継ぎ目もほとんどわからなくなります。安価な楽器ではフェイクの継ネックがあります。こちらは継ぎ目が目立つようになっています。

続きます。
こんにちはガリッポです。

はじめに、中古品のヴァイオリンの方が鳴りが良く値段も安いので新作楽器は仕事としては成立しなくなっています。何度も書いていますが、読み飛ばされるようです。これは深刻なことです。50年前の職人が今の職人に比べて劣ってることはありません。現代の物価の上昇を価格に転嫁すると新作楽器が高すぎます。
亡くなった職人はアピールができないというだけで実力では現在の職人に劣っていません。新作楽器が優れているのはプレゼンテーションだけかもしれません。音だけで選ばれたら太刀打ちできません。


A・ガリアーノの続報から。
ますます音が良くなってきているとのことですが、駒がずれていたので直しました。するとまたきれいに演奏できるようになったとのことです。
E線側の駒の脚がずれE線の弦長が長くなっていました。
なぜ起きたのかはわかりません。移動などで開けたらズレていたということもあります。
弦長だけではなく魂柱との位置関係もあります。そうでなくても音は理由が無く何かが変われば変わります。駒が少しずれるだけでも音は変わります。
その話はまた改めてするとして、音は低音の量感が増して音が暗く暖かみが増していました。高いアーチらしいダイレクトさもあります。今回は「クラシック弓」と呼んでいるバロックとモダンの間のような弓を使っていました。それも音の違いかもしれません。
ともかく修理前のやたら柔らかい音とはだいぶ違う音になってきました。オールド楽器の音は修理によっても全く変わってしまいますね。
傷んでいて柔らかい音がするのが「オールドの音」というわけでもないのです。高いアーチの表板は持ってみると強度が高くて柔軟性がありません。音も本来ならダイレクトでクッション性を感じないはずです。言ったら高級車と言うよりもレーシングカーのようなものです。それを柔らかいクラシック弓で見事に演奏するのはさすがに上級者ですね。


マティアス・ホルンシュタイナーの修理の続きです。
ホルンシュタイナー家は南ドイツのミッテンバルトを代表するメーカーです。近代まで続いて量産メーカーのノイナー&ホルンシュタイナーとしても知られています。
さらにマティアス・ホルンシュタイナーも何人もいました。

マティアスでもさらに地名などによって区別されているようです。「ミッテンバルトのホーフシュミード」と書いてありますが、これが一番有名なホルンシュタイナーです。それなのに本に写真などはわずかしかなく、私が見ても本物かはわかりません。有名なドイツの鑑定士が認めたそうです。


横板には割れがありライニングを切り取って厚みを増す修理がしてありました。

1.2mmくらいの横板に厚みを増して3mmほどになっていました。
ガリアーノでは横板を切り取って新しいものにしましたが、そこまで大破していません。

ライニングを新しくしてピンポイントで補強しました。以前よりはオリジナルの状態に近いでしょう。これくらいは音への影響はわずかでしょう。

下側のブロックはひどく傷んでいたので交換しました。エンドピンのぐらつきもエネルギーの損失となるでしょう。
こちらも横板に割れがありました。あご当ても原因の一つです。テールピースをまたぐタイプのものをお勧めします。あご当てを安価なものにしたために高額な修理代がかかります。
開いていた裏板のセンターの合わせ目も接着しなおし、木片で補強しました。


こちらは修理前

そして修理後

合わせ目が開いていて羊皮紙でつながっているだけだったので、魂柱からの力に対抗できなかったはずです。これもエネルギーのロスになるでしょう。アコースティックの楽器では動力源は人力なので、エネルギーの損失はまずいですね。
多少は音色などの個性になりますけども、割れとか剥がれなどは大きなロスです。
古い楽器なので完全に接着することは不可能です。合わせ目を削り直すと幅が小さくなってしまいます、よほど重症でない限りはやりません。しかしあからさまに隙間が空いていることは無くなりました。
またニスがはがれたところは、黄金色になっています。イタリアの楽器だけが何か特別なのではなく、ドイツの楽器でも古くなれば黄金色になります。
木材に強く着色したり、薬品などで処理すれば違ってくることもあります。着色はイタリアの作者でも行われてきました。
クレモナのオールド楽器にニスの秘密があるのではなく、特別なことを何もしなければ黄金色になるということです。

表板のコーナーは摩耗が進んでいます。

特にまずいのは右上のここです。
わかりますか?
修理で新しい木材が足されてますが、オリジナルのパフリングが無くなっていて、線を描いてあるだけです。


新しくパフリングを作っていれました。

そのあと普通のコーナーの修理です。

裏板も同様です。過去の修理で失われていました。
完成の様子は次回です。

やはり新作楽器が作れないと修理はできません。単に自分のスタイルで楽器を作るのではなく他人のやり方を学ばないといけません。ホルンシュタイナーも細かい細工が綺麗にできていて、マイスターのクオリティであることが分かります。パフリング細部の丸みについてはイタリアの楽器以上のクオリティです。このため新作楽器が下手なので修理に転向するということはできません。


ネックはモダン仕様にします。プロの演奏者でも十分使えるものとします。

穴が開いていますが今回は釘は使いません。モダン式では胴体ができたところにネックを取り付けるので釘を打つことができません。
モダン式では、彫りこんだ溝でネックの角度や長さが決まります。胴体ができてからネックを取り付けるのでより正確に取り付けることができるわけです。バロック仕様では先にネックをつけてから胴体を完成させます。この時指板の厚みで角度を調整します。駒の高さに指板を合わせるとネックの根元側が厚い傾斜した指板になります。

モダン仕様では、ネックを取り付ける溝の加工で傾きや長さが決まります。傾きは駒の高さだけではなく、3次元すべての方向があります。量産品のように作業時間を短くすることを重視して作られたものは、指板が楽器の中心を外れていたり、E線やG線のどちらかが高かったりします。ネックの長さもバラバラです。

たまたま手元にあった量産品のネックの長さを測ってみました。

指板の先端が130mmになっているのが標準です。このヴァイオリンでは133.3mmほどになっています。

別のものでは127.5mmくらいですね。指板も黒檀ではなく白い木を黒く染めたものでした。
戦前の量産楽器ではこのように低い精度で作られていました。
なぜこのような誤差が出たかはわかりません。経営者や工場のマイスターは正しい寸法を知っているはずですが、安い値段にするために目をつぶって売っていたということですね。

技術的に解説すると胴体に溝を彫る時に、深さが足りないとネックが長くなり、深すぎると短くなります。慎重に作業を進めると失敗しませんが時間がかかります。急いでやると彫りすぎてしまったり、足りなかったりします。
またネックを加工する方も同様です。ネックをのこぎりで切断するのも慎重にすると長くなり、失敗すると短くなってしまいます。時間をかけて良いなら少し長めに切って、カンナで仕上げればいでしょう。ある程度は胴体の方で調整できますがそれ以上の誤差があれば取り付けもできなくなります。
別の人が担当していたのならば、ネックを取り付ける係の人は「ネックを切断した人が悪い、私は悪くない」、ネックを加工する人は「ネックを取り付ける人が悪い、私は悪くない」と意見を主張することでしょう。
人の言う「意見」などは聞いてもしょうがないですね。私は結果しか興味がありません。

この長さは演奏上重要になってきます。2~3mm違えば複数の楽器を所有した場合に同じように使えません。長さが正しいと数学的に理想で音が良いというのではなくて、指板上の指で押さえる位置に影響してきます。弦長が長ければ抑える間隔が広くなります。
胴体の駒までの距離(ボディストップ)とネックの比率も重要です。
ネックが短いと親指をネックの根元に当てたとき、指を伸ばさないといけなくなります。
初心者などはそんな音は使いませんし、違いも分からないので滅茶苦茶なまま売られていたわけです。ネックの長さが間違っている場合、継ぎネックの修理が必要になります。継ぎネックの費用がヴァイオリンの値段よりも高くなるのでゴミということです。いくら安い値段で買っても損というわけです。我々が楽器を買い取るときは選別しますが、一般の人が中古品を買うことがいかに危険かということです。

弦楽器の場合には寸法などの重要性に優先順位があります。

初心者用の楽器で最優先されたのが「値段の安さ」でした。演奏上重要な項目さえも無視されたのです。

古い楽器を修理する場合も同様です。お客さんが高い修理代を払う覚悟があるなら継ネックを施します。初級の練習ができれば良いとなれば、目をつぶります。高額な修理をするよりも、今後も続けるとなったときにまともな楽器を買う資金にしたほうが良いからです。
チェロでは大きな問題で、200~300万円クラスの古い量産品でも問題だらけです。様々な応急処置も現実には行われています。

オールド楽器では寸法が定まっていないのでそれこそ滅茶苦茶です。ネックは継ぎ足されていることがほとんどです。言い換えれば継ぎネックの費用よりも安い楽器は使い捨てということです。初心者用の楽器とはそのような使い捨てのものです。今では中国が最大の生産国です。19世紀にはミルクール、その後ドイツやハンガリー、日本で使い捨ての初心者用の楽器が作られました。

これにも問題があって、ミルクールのものになると「フランス製」ということで値段が高くなり、使い捨てレベルの楽器として作られたものが今では結構な値段をしています。

量産品では見えない所は徹底的に手を抜いています。外見よりも中はもっと低いクオリティです。フランス製だろうと中国製だろうと同じです。むしろ機械化が進んでいない古い時代の方がひどいです。かつて安価であった楽器の修理もめちゃくちゃでした。

ネックを接着する前にすることがあります。ニスの補修です。ネックと指板がついてしまうと作業がしにくくなります。
ニスがはがれているところが分かるでしょうか?使用で手が触れる部分では先にニスがはがれてきます。白っぽくなっているところがニスが無い所です。

ニスのメンテナンスには「コーティング」と「ポリッシュ」などの手法があります。ニスに光沢があるのは、表面が滑らかになっているからで、細かい傷や凹凸、皮脂や松脂、汚れにおおわれると光が乱反射して光沢が無くなります。
新しい楽器ならニスの厚みがあり、磨き直すことでピカピカになります。
古い楽器ではニスがはがれて木材が露出したり、残っているニスも風化してボロボロになっているので磨いても光沢が出ません。
そのため上に何かニスを塗ります。失われたところだけに塗ることもできますが、新たに塗ったところだけがピカピカで差が出てしまいます。そこで楽器全体に特に無色や薄い色のニスを塗るのがコーティングです。

コーティングは大きな修理などの時にすることが多いでしょう。指板があるとできないからです。

古い楽器ではまずオリジナルのニスの表面が残っていることはなく、何かを上から塗ってあります。これはオールドだけではなく20世紀初めのモダン楽器でも少なくありません。何度もコーティングがほどこされています。

それに対してポリッシュは、アルコールで薄く溶いたアルコールニスを布につけて磨きながら塗っていくものです。私は表面にニスが無くなっていたヤコブ・シュタイナーの表板に施したことがあります。家具やギターの製造で用いられる方法でもあります。19世紀の銘木を用いたピアノの製造でも使われたことでしょう。フレンチポリッシュとも言います。
ポリッシュで塗るニスの厚みはハケで塗るのに比べるとはるかに薄いものですから、回数を多く重ねなくてはいけません。シュタイナーくらいであればコストは考えずにやってみました。5年経っても光沢は保たれていました。

しかし普通はそんなに厚くフレンチポリッシュを施すことはなく、その場しのぎのものです。次のメンテナンスの時に汚れを落とすとポリッシュの層も落ちてしまいます。また新たに施すわけですが、毎回やらないといけません。またポリッシュを施す下の層が滑らかでないと、アルコールが蒸発すると層が薄くなり光沢が無くなります。

それに対してコーティングでしっかり層を作ってあれば、ただ磨くだけで済みます。これらは別々の概念ではなく、耐用年数の問題です。ハケでニスを塗ってコーティングを施すには時間と費用がかかります。指板を外している時の方がやりやすいです。

コーティングが古くなって光沢が無い所が出てくると、フレンチポリッシュで補います。それにも限界が出てポリッシュを施しても光沢が出ません。毎度毎度やるならコーティングを施したほうが経済的です。光沢の持続時間もコーティングの方が長く、ポリッシュでピカピカなのは修理直後だけかもしれません。一生懸命やって次の日には光沢が無くなっていることもしばしばです。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ると楽器がピカピカなのはそのために専属の職人が直前に磨いているからです。
それを持続させるためにはしっかりした滑らかなニスの層が必要です。

裏板もオリジナルのニスが残っている部分はわずかです。過去に修理で何かしらニスが塗られています。無色透明なものだけではなく、緑っぽい暗い色のニスが塗られています。

画像中心付近の横板のコーナーの近くが黒くなっていますが、これは汚れではなくその色のニスが塗られています。よく見るとハケの跡が見えます。後の時代に塗られたものでオリジナルではありません。

同じものが裏板の上部全体に塗られています。緑がかった灰色に見えます。茶色いオリジナルニスの色とは違います。

ニスの表面には傷や凹みが無数にあります。オールドイミテーションで見るような黒い傷ではありません。

写真にとるのは難しいですが、コーナーの付近は光沢が無くなっています。フレンチポリッシュを試みても無理でした。何かを塗って磨かない限り光らせることはできません。

コーティングは新作楽器の製造時に行われることもあります。色のついたニスを塗った後で無色のニスの層を作ります。多少擦れても色が薄くならないようにするためです。特に量産品では上から無色なニスを分厚くスプレーで塗ってあります。一番ピカピカなのはこのような量産品です。このためピカピカすぎてもかえって安っぽく見えます。

古いドイツの量産品ではニスに多くの場合ラッカーが使われています。マルクノイキルヒェンのものは今でも被膜がしっかりしていて磨くと光ります。通常ラッカーの耐用年数は2~30年で、乾燥してひび割れしてボロボロになりますから驚異的に優れたラッカーです。
ハンドメイドの楽器では天然樹脂のニスが使われ、そこまで丈夫ではありません。表面に粘着性があり汚れが付着しやすく光らなくなっているので事故などの修理の時にコーティングがほどこされていることが多いです。つまり汚れの上からコーティングされているのです。ポリッシュでも汚れの上から施され汚れも擦り込まれて行きます。

これがラッカーの場合には汚れが綺麗に取れて作られた当初のようになります。100年経っても味が出ないのです。これもラッカーを見分けるポイントです。

これでネックが取り付けられます。


ペグは穴を埋めたので開け直します。この位置も難しいものです。過去に開いていた穴と同じ位置に穴をあける方法と理想的な位置に開ける方法があります。
過去の穴を無視して穴をあけると、新しく足した木材ともともとの木材の境目に穴が来ます。そこは欠けやすくなります。硬さも差があるでしょう。
過去の穴と同じところに穴を開ければ継ぎ足した木材の中に小さな穴が開くことになります。ただし、位置がおかしいと弦が引っかかったり、手の邪魔になります。
今回は過去に埋めて穴をあけたときに、多少ズレて穴をあけてあったのでそれを埋めるので、オリジナルの穴とはずれた位置で穴埋めをしています。違う位置に2度穴埋めをしています。
昔の穴の位置と、現代の我々が理想と考える位置の中間ぐらいに開けました。

そのような妥協が必要です。
オリジナルの穴の位置が機能的におかしいなら無視して現代の理想の位置に穴を開けます。過去の穴の位置も機能的に問題なければ同じ位置に開けても大丈夫です。何もかも先輩に教わった寸法にしなくてもいいのです。それが修理です。

こちらでは「目測」という言い方をよくします。寸法はだいたいでいい加減です。日本人以外はそんなもんです。
教わる方は理不尽に感じます。それに対して日本での話を聞くと、わりと細かく定めた寸法などを先輩から教わるようです。いろいろなことを考慮し(机上の空論で)目安となるような寸法の測り方を決めるとそれが独り歩きして実際の古い楽器では当てはまらなくなります。マニュアル人間だと、部分によって矛盾する場合が出てきて、そのケースではどちらが重要か判断しなければいけません。

楽器には優先順位があり、すべて定められた通りになっていなくても「使える」ようにしなくてはいけません。はるか昔はそのように楽器が作られていましたし、ヴァイオリン以前の楽器もそのように進化してきたはずです。

耐久性、値段、演奏技術、見た目の美しさ・・・音はその一つの要素でしかありません。演奏しにくい楽器で音が良くてもダメですし、なぜか300年でも使えないといけません。製造コストも重要です。

我々が勘違いしやすいのは、何か数学的な理想があって、それから少しでも外れると音がくるったり、性能が発揮できなくなるという発想があります。特に音楽と数学は近い所がありそういう事が好きな演奏者がいます。職人が数学的な理屈を語ると飛びつきます。
実際はアバウトに楽器は作られていて、音楽家はたまたま手にした楽器ごとにコツをつかんで何とかだましだまし使っているそういうものです。

サドルも新しくします。表板の厚みを増したので古いものは合わなくなります。古いサドルにも厚みを増す改造もできないことは無いですが新しいものにしましょう。
この時、高さを限界まで高くしました。アーチが高い楽器では理屈上サドルも高くしないといけません。しかしあまり高くすると弦の張力に耐えられず倒れやすくなります。接着面の加工をやり直しすとともに、妥協点を探します。
高いものを後で低くすることはできます。
ネックも同じで高いアーチの楽器ではとても難しいです。

写真が撮れてなかったのでそれはまた次回にしましょう。
ネックは新しく足した木材ですので色が違います。うまく着色して古い木材と違和感が無いようにします。
上手くやればネックの継ぎ目もほとんどわからなくなります。安価な楽器ではフェイクの継ネックがあります。こちらは継ぎ目が目立つようになっています。

続きます。
こんにちはガリッポです。

また仕事以外の余暇時間にもヴァイオリンを作り始めたので時間が不足します。
仕事と家事と休息を除くと一日に2時間製作時間を確保するのがやっとです。楽しいからと夜遅くまでやってしまうとダウンしてしまいます。長期戦なので無理は禁物です。コメントなどに返事できませんのでご了承ください。
なんとか作り出せる時間が2時間で、考えたり調べたりして返事などを書くと1時間くらいすぐに無くなってしまいます。

いろいろなことが進行中です。
楽器には安価なものから入念に作られたものまでランクの差があります。その違いを見分けることが大事だと当ブログでは語ってきています。
素人には難しいので信頼できる専門家が必要です。

残念なことにこの業界はお金を儲けるためにありとあらゆる努力がなされてきました。知識などは何も信用できません。

私が楽器を見ると本に書かれている職人の師弟関係が疑わしく思えることがあります。〇〇の弟子と本に書いてあるのに、楽器を見るとまるで似ていないのです。これは怪しいなと思っていて、新しい本を読むと、師弟関係が否定されていたり記述が削除されていたり、より詳しく本当の師匠が書かれていたりします。
それとて未来には変わるかもしれません。言葉で言われていることは信用できないということです。
それに対して楽器の作風やクオリティを見ることで本当の事がよくわかります。
例えば弦楽器を始めて習うには楽器の良し悪し以前に身に着けることがたくさんあります。そのため値段が安いことを最重要課題として作られてきました。それに対して何もかもきちんと作るとコストが高くなります。これが上等な楽器です。その差を見極めることが大切です。つまり平凡な楽器というのは、コストを安くするためにまじめに作られていないのです。上等な楽器は全力で作ってあります。それでも必ずしも音が良いとは限りませんので試奏して選ばないといけません。
しかし、それ以上の天才などは私にもわかりません。天才と言われている作者と同じようなものが他にいくらでもあります。作風を見ても間違った師弟関係に気付かない販売者がなぜ天才だとか評価できるのでしょうか?

少なくとも高価な楽器を職人たちが皆「これはすごい」と思って見ているわけではないということです。「なんでこんなのがそんなに高いの?」と考えていることも少なくありません。弦楽器とはそういうものだと知ってください。

そんなことでは無くてほんとうに楽器の良し悪しについて理解を深めていただきたいです。そこで安い楽器は何が違うのか調べていきます。

他にこんなこともしています。

昨年から修理をしているのがこちらのマティアス・ホルンシュタイナーです。

継ネックの様子も以前お知らせしています。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12876971851.html


もともとついていたネックはいろいろ継ぎ足されています。
過去には様々な時代に何度も修理がされています。困ったことにどれも修理のクオリティが低く雑に行われています。うまくやれば継ぎ目が見えないくらいにできるはずです。修理されているとしてもこれでは修理されていないのと同じです。


表板を開けてみると過去の修理も見られますがとても小さなバスバーがついています。

高さは8mmほどです、現在では12mmくらいです。

太さは4.6mmほど、現在では5~6mmです。

上と下の端からの距離は上が61mm下が56mmあります。
今は40mm程度です。
もしかしたらオリジナルのバスバーかもしれません。バロックヴァイオリンについて知る貴重な情報になります。そのままの状態で残っているのも珍しいですが、モダン楽器としてはめちゃくちゃのバランスになります。
この楽器をバロックヴァイオリンとするのが最も低コストな修理法です。

上部のブロックにはネックが釘で固定されています。ネックは継ぎ足されているのでオリジナルの状態ではありませんが、このネックにバロック指板を取り付ければ簡単にバロックヴァイオリンにできます。

そこで持ち主に相談するとモダン仕様にしてくれとのことでした。持ち主はこの楽器を売りたいため、売れる可能性の高いモダン仕様に改造修理することを希望しました。

ということは読者の方にもチャンスはあるかもしれません。しかしなかなか持って帰るのはタイミングが難しいです。

過去の修理では割れにうすい羊皮紙を貼っています。これは私があまり好きではありません。一つは湿度によって伸びたり縮んだりすることです。音が変わる可能性があります。また縮むことで板を変形させたり割れたりする原因となります。
かなりの強度にはなりますが、力の方向によって強度が違います。
裏板のセンターの合わせ目にも貼られていましたが、完全に開いていました。これでは裏板が折り畳み式のように羊皮紙でつながっているだけです。
これも全部やり直しです。


表板の周辺は開ける時に傷つきます。何度も修理をしているとボロボロになってきます。
アレサンドロ・ガリアーノの修理では過去に周辺に厚みを増す修理をしてありました。

これと同じ修理をします。

部分的にダメージの大きなエッジだけ直すこともありますが、全体をやってしまう方がある意味楽です。
それはカンナを使ってエッジ全体を削ることができるためです。


傷ついたエッジをカンナで削って平らにしたところに新しい木材を貼り付けます。1mmくらいはオリジナルの木材を削り取って新しい木材を足した後で加工して損傷を受ける前の状態を再現するわけです。しかし今後も修理を繰り返すことになるのでそれよりも多少厚くしました。
周辺部分は板の強度に大きな影響があります。音にも変化があるかもしれません。どちらかと言うと厚い板のような傾向になるでしょう。つまり明るい音になるということです。修理前は十分以上に暗い音だったので大丈夫でしょう。
もともと痛みが激しくネックもバスバーも正しくなかったので修理前の音がどれくらい変わるか予測もできません。
健康な状態に直してはじめてどんな音の楽器か分かるというわけです。


バスバーをモダン仕様に交換し開いている割れを接着しなおして木片で補強します。私は羊皮紙よりも振動が伝わりやすいし湿度による変化も少ないと思います。
修理の方法自体は古典的でなものです。これがガリアーノのようなイタリアの楽器ではちゃんとやってあるのに、ドイツのオールド楽器では安上がりな方法で修理されていることが多いです。これでは楽器の実力もわかりません。問題は楽器の値段です。イタリアの楽器と同じような修理を施していたらほとんど儲からなくなってしまうのがドイツのオールド楽器です。

ドイツのオールド楽器は投機対象になっていないせいか過去5~10年でも値段が全く上がっていません。もはや値段が物の良し悪しを表しているというのではなく、経済の原理で決まっているとしか考えられません。これまでも、国によって格差はありましたが鑑定士は歴史的な価値を考慮していました。今はお金の数字しかわからない金融業者のようです。

誰も興味がなくお金にならないドイツのオールド楽器に詳しい人が少なく、鑑定も難しいし、資料も白黒写真のようなものしかありません。

20世紀初めのモダン楽器なら修理も消耗部品の交換やルーティーンの修理だけで済みます。簡単な修理で同じかそれ以上の値段になるので、業者はドイツのオールド楽器を扱いたくないですね。優秀な職人を雇わなければいけませんが、職人が働きたいと思うような会社でしょうか?利益を追求するなら修理は最低限しかしないことでしょう。新作楽器でも同等以上の値段になるならその必要もありません。本人から買えば鑑定の必要もありません。

過去に酷い修理がされた楽器を直すのは、壊れたての楽器を直すよりもはるかに困難です。多くのドイツのオールド楽器は悲惨な状況になっています。チェロでは絶望的であることが大半です。そのような楽器の修理の依頼に手を出すと職人は損しかしません。痛い目に遭っているので、やってくれる職人も見つからないというわけです。そんな楽器は買ってはいけないということです。

私の感覚ではドイツのものを含めてもオールド楽器はモダン楽器の20分の1くらいしかありません。量産品も入れれば100分の1くらいです。その中の大半は当時安ものとして作られた粗悪品です。状態がひどく悪いものが多く修理代のほうが楽器の値段よりも高くなってしまいます。安上がりな方法で修理されていて直すのは困難です。
仮に上等な楽器で、修理を施したとしても音は細く窮屈な鳴り方のものが多くあります。チェロではサイズも今日のものとは違います。ビオラは作られた数が少なく自分の求めるサイズのものを手に入れるのはまず無理です。

音まで気に入るオールド楽器を探すのは困難です。モダン楽器ならとりあえず良く鳴って学生にも最適です。

そんなオールド楽器の作者名のラベルが貼られた楽器を専門店以外で入手することがあります。我々が手を出さないようなものがほとんどです。確かに専門店で買うよりも安いでしょう。大半は1900年前後に作られた量産品に偽造ラベルが貼られたものです。

我々は手を出してはいけないと痛い目に遭って厳選した楽器だけを扱っているのですが、素人が手を出せば同じ過ちをすることになります。

この楽器でも、もしも持ち主から個人売買で買うことになったらその後、修理を頼むと過去の修理のずさんさが明かになります。駒交換に持って行ったら、大修理が必要と言われるのです。この楽器は修理可能ですからやる価値があります。多くは修理する値打ちもなく応急処置に駒を交換するだけとなるでしょう。

修理はまだまだ続きます。

こんにちはガリッポです。

記事が長くなると書くのも大変なので分割すると前の記事を読んでない人も出てきてしまいまた同じことを書かないといけません。コンパクトに行きましょう。

一つ目のヴァイオリン



こちらのヴァイオリンから
いわゆるガルネリモデルですね。大きなf字孔が特徴的です。テールピースが珍しいです、作られた当時のものでしょうか。このような付属部品は楽器売買の世界では少しでも売れるようにとその時代の流行の新しいものに変えられて行くのでオリジナルのものが残っていることはめったにありません。商売の方が優先で来ました。

左右も対象でカーブの丸みもきれいですね。近代のガルネリモデルというのは、実物をそのままに型を起こしたものではなくガルネリをイメージしてデザインされたものが多いです。
例えばフランスの19世紀のものでもデルジェスとは大きさが全く違って大型に拡大されています。さらに粗い仕事や歪んだ形は修正され完成度が高くなっています。これは近代の楽器作りの考え方でイタリアでも同じです。デルジェスの問題点は近代の楽器からするとクオリティが低すぎるのでそのまま作るとただの低級品になってしまうのです。
19世紀のフランスの楽器製作ではストラディバリを改良してさらに完全にするという目標で作られていましたので、デルジェスでは全くクオリティが低すぎるというわけです。そこでデルジェスをイメージした独自のデザインの「ガルネリモデル」が作られました。
この楽器でも丸みが綺麗にできています。実際のデルジェスではあり得ません。

渦巻きもとてもきれいで丸みに歪みが無く理想的に見えます。

ラベルもついています。

C.A.ヴンダーリッヒと書いてあります。
マルクノイキルヒェンの近郊の地名が書かれています。

どれくらいの価値のあるヴァイオリンでしょうか?


私が見てすぐに思うのは楽器の雰囲気がチェコのボヘミアの流派の感じです。加工のクオリティが高く、チープな粗悪品で無いことが分かります。
一方でニスの質感は、量産品の雰囲気がします。ラッカーのようなものが分厚く塗られています。ということは量産品です。木材も上等なものではありません。

ボタンも形が整っていて少し3角形の様な感じです。これもボヘミアの特徴です。

ラベルに製作年は書いてありませんが、1943という数字が手書きで裏板に書いてあります。西暦だとすると作風に対しておかしくは無いです。だとすると楽器はほとんど使われていなかったようです。
古い楽器なのに修理の必要がほとんどありません。古い楽器の価値を見る時に特に重要なのは状態です。量産品の場合修理代が楽器の値段を超えてしまうことがよくあります。その場合1万円で買っても高すぎます。職人もよほどひまでない限り新品の楽器を仕入れたほうが楽です。欠陥だらけなので安い楽器の方が修理は大変です。

ネックの持つところは黒っぽく強く着色されています。これも量産楽器ではよく見られます。ミルクールでも現代のものでもあります。これはニスを塗る前に着色したのではなく、ニスが塗り終わってから、ネックの部分を削って木の地肌を出したところにステインで着色しています。ニスが塗ってあるところの下地はそんなに強く着色されていません。

弓とセットで未修理の中古品を1000ユーロで買ったそうです。うちで弾けるように修理を依頼されたというわけです。
弓の方はプレッチナーの分家のものでそれだけでも最低2500ユーロはするでしょうね。ヴァイオリンも量産品の上級品であることからすれば3000ユーロくらいでも全く問題ないでしょう。3000~4000くらいでしょうか。レベルからすれば弓の方が格上です。H.R.プレッチナーの工房で働いていた一族が独立して自分のイニシャルで売ったものだからです。本家のプレッチナーならプロの人が使っていてもおかしくないレベルですが、そこで弓を作っていた人です。

おかしいのはマルクノイキルヒェンのメーカー名で作風がボヘミア風のことです。このメーカーは自分で作ったのではなくて下請けから買っていたのではないかということが考えられます。ニスを塗る前の半製品として卸すこともあり得ます。またはボヘミア出身の職人が移住してきたことも考えられます。

だからラベルのメーカー名よりも作風で見るとより本当の流派や産地が推測できます。しかし一般の人にはわかりませんので販売者のマルクノイキルヒェンのメーカーのものというのが公式な見解となるでしょう。中国で製造されているiPhoneを中国メーカーの製品と考えますか?
そもそもマルクノイキルヒェンとボヘミアはフォクトランドという一つの地域で戦争が終わる前ならドイツ領だった地域もあります。

いずれにしても買い物としてはかなり得したことになりますが・・・。

音を試さずに買ったということはリスクがあります。板の厚みを測ってみるとかなり厚いですね。ボヘミアの楽器は表も裏も同じ厚みのものがよくあります。これは表は厚めで裏はさらに厚くなっていますからトータルではかなり厚い楽器です。外見を重視したものです。

弾いてみるとあの懐かしい感じがします。板の厚い楽器の響き方です。とはいえ音が出ないわけではないので好き嫌いの問題としか言えません。このように量産品として品質の高いものは量産品らしい音がすることがあるように思います。これが粗悪品なら、音も一か八かです。

「量産品らしい音」って何かとなるわけですが、様々な種類のらしさがあることでしょう。
感じ方は個人差があるでしょうし、言葉にするのは難しいですね。
音は出るけどもある種の奥ゆかしさが無いように思います。ダ・ビンチの絵なら陰影のグラデーションが微妙に施されていますが、漫画のように輪郭が直線で描かれているようなダイレクトに簡略化されたような感じです。
富士山でもイラストでは簡略化されていますが、本当の富士山を見るとはるかに情報量が多く、空気もかすんでぼんやりとして見えます。
音と無音の間、1と0の間があるということです。

また別の言い方をすれば骨があって強い音は出ますが、肉付きが無いので厚みやふくよかさが無いと言ったらどうでしょう。
厚いラッカーのニスが響きを抑えてペタッと張り付いたような感じでもあります。

3000ユーロ以上の価値があっても3000~4000ユーロのたくさんの楽器から試奏して選んだほうが音はもっと好みに合うものがあるかもしれません。弓も立派なものだとしてもしっくりくるかはわかりません。


二つ目のヴァイオリン


次のヴァイオリンです。

これも大きなf字孔ですがガルネリモデルと断言するほど特徴的とは思えません。

裏板のランクはさっきのものよりもずっと高いです。ニスも天然樹脂のような雰囲気ですので、個人の職人のハンドメイドの楽器と考えて良いでしょう。違いが分かりますか?写真ではなかなか難しいです。全体的にきれいな印象がします。
ストラドモデルがガルネリモデルかと言われればガルネリのほうが近いかもしれませんがどちらとも言えません。自分流にアレンジしたか作者独自の個性があるモデルといえるかもしれません。

ボタンはとんがったまるでボヘミアの感じです。

エッジに丸みを持たせるのはボヘミアの特徴です。1900年頃にミラノなどでも流行しました。さっきのは量産品としてはランクの高すぎるスクロールがついていました。当時はスクロールだけを専門に作る職人がいました。

手書きのラベルがついていてよく読めません。本で可能性のある作者を調べてみましたがわかりませんでした。産地はマルクノイキルヒェンと書いてあるようです。作風は明らかにボヘミアなので移住した職人でしょうか?
職人というのは自分が習った時に身に着けた作風は根強く残るものです。

現代的な常識の範囲内で作られています。

アーチの立体造形もきれいですね。フランスの楽器ではもっと表面の歪み無くすように入念にカンナで仕上げてありますが、それよりは面がグニャグニャして柔らかい感じがします。カンナという道具は台からわずかに刃が出ていて、それが当たる所だけを削り取っていきます。多用すると凹凸が無くなっていきます。形を作るというよりは凹凸をならすための道具です。

モダン楽器でボヘミアの作風はフランス的かイタリア的かと言えばイタリア的な方です。ドイツの一流のモダン楽器ではよりフランス的です。ハンガリーもそうです。
一つはかなりの速さで作っていたことが理由です。ハンドメイドではありますが、ストラディバリをさらに完璧にするという究極の理想を追求したのではなく、ハンドメイドの楽器を買いやすい値段で作っていたということです。これはイタリアでも同じです。私からするとフランスの楽器の方が完成度が高いと思います。それなのに天才とはあまり言われないですね。完ぺきではないこの楽器でもたくさん作った職人の手慣れた感じはあるし量産品との差はあります。

板は表と裏が同じような厚さになっています。ボヘミアの楽器にはよくあるばかりか、オールドのドイツ系(チェコ~オーストリア)の楽器にも見られます。実際のオールドのものに比べると全体的に少しずつ厚くなっています。持っても重いですね。

時代は書いてありませんが戦前くらいでしょうね。戦後はチェコ・スロバキアになって西側への輸出がストップし購買力が低下しハンドメイドの楽器は衰退したのかもしれませんね。

値段は無名なボヘミア出身のマイスターの楽器として8000~10,000ユーロくらいつけても良いんじゃないですかね。

弾いてみると割とよく鳴る感じがしました。高音はかなり鋭いです。元気よく鳴る現代的な音の楽器です。低音も極端に多くはありませんがちゃんと出ます。前回の説を過剰に受け止めないでください。改造の前後を比較するとそうなったというだけです。ちゃんと音は出ます。特別変わった趣味趣向が無ければ実に優れた楽器です。それが150万円位なのですから、新作楽器よりも安いですね。新作楽器の方が値段が高いのに鳴りの良さではかなわないでしょう。同じような現代的な音なら古い方を買った方が良いですね。現代人の生活にはなにかとお金が必要で、過去の職人に対して価格競争力がありません。
東京で名工や巨匠と呼ばれているものでも、これより音が良いのでしょうか?比較対象が無ければ分からないままです。
それに対して「鳴れば良いというものではない」と好きなようにウンチクを言うことができます。鳴る以上の魅力のある音なのでしょうか?

デザインには個性もあります。一人前の腕前の立派な職人の作った楽器です。不勉強な我々に知られていないというだけです。


三つ目のヴァイオリン


最後です。

明らかに雰囲気が違います。

私も聞いた事のないベネチアの作者のオールドの時代のようなラベルが貼られています。マイナーなオールドの作者のラベルを貼ると資料が無く検証のしようがありません。

これはすぐにあれだと分かります。

近代のものとは全く違うのでオールドの感じです。

アーチは平らですね。

これまでも紹介したものではホプフ家のものに似ています。ホプフ家はマルクノイキルヒェンの出身でクリンゲンタールという所に一派を築きました。同じ町で作られたものをまとめてホプフとして売っていました。それにも似ているように思います。しかしダビッド・ホプフそのものではないようです。四角いモデルにフラットなアーチ、巨大なf字孔が特徴です。f字孔は今回のものはドイツ的な特徴があまり見られません。イタリアの楽器に見せかけるために改造されたかもしれません。
しかしもともとフラットな楽器はマルクノイキルヒェンで作られていました。ホプフが最初ではありません。ストラディバリやデルジェスよりも古い時代にあったのかもしれません。むしろ、アマティ以前のヴァイオリンはフラットなアーチだったのかもしれません。ブレシア派もそうですが、マルクノイキルヒェンではアマティよりも古い特徴が残っていたのかもしれません。アマティもフラットなアーチのものを作っていて、その弟子たちの方がはるかにアーチが高いです。高いアーチの方が1600年代の流行でストラディバリ以前の一時的なことかもしれません。

マルクノイキルヒェンでは安価な楽器としてもフラットなものが作られていました。シュタイナーのような凝った造形よりも作るのが簡単ですから。

クリンゲンタールのホプフ家のものに似ていますが断定まではできません。広くはザクセン派のオールド楽器です。f字孔にドイツ的な特徴が薄くなっているのは後の時代に改造された可能性を言いましたが、もう少し近代のものである可能性もありますが、すごく大雑把に1800年前後くらいのものでしょう。ニスの損傷もオールドにしては少ないですからモダン時代への移行期かもしれません。
このヴァイオリンも一番安いとまでは言いませんが、決して最高級品ではありません。値段にしたら5~6000ユーロくらいのものでしょう。100万円もしません。

荒々しい作りのフラットなオールド楽器なのでさぞかしい力強い音がするのではないかと思って弾いてみると意外とおとなしいものです。繊細で音色は暗すぎず複雑な響きがありオールド楽器らしい雰囲気はあります。
それに対して、E線はびっくりするような柔らかく豊かな音です。弾いた瞬間に「何だこれ」という感じです。これはモダン楽器や現代の楽器では絶対にない音です。現代の名工にこれと同じものを作ってくれと言っても無理でしょう。

E線にはエヴァピラッチのセットのスチール弦ですが、金属とは思えない音です。こうなるとE線の銘柄やゲージにこだわるのがバカバカしくなるくらいです。
もし尊敬する世界的な演奏者や先生がオールド楽器を使っていて、使っているE線をマネしても全く意味がないかもしれません。

楽器が勝手に鳴るような感じではありませんが低音でもツボにはまると急に鳴り出す感じがします。その時はオールドらしい良い音がするなと思いました。これで練習したら腕も上がりそうです。

100万円もしないもので、オールド楽器の片鱗が楽しめるのは面白いですね。イタリアのモダン楽器に1000万円出してもボヘミアのマイスターの楽器と同じ系統かもしれません。

現代の職人たちはこんな楽器を自分たちの競合相手としてちゃんと認識してるでしょうか?知らないで理屈を語って自分たちは優れていると思い上がっていないでしょうか?

ドイツの(オールド)楽器がこういうものだと語られてきたものとも全く違います。アーチは平らでニスは黒くなくイタリアの楽器ならゴールデンオレンジなどと言われるでしょう。

30年くらい前にうちで大掛かりな修理を終えています。それ以降他店でネックの取り付け部の修理が行われたようです。それが外れて表板も損傷し緊急入院です。長く愛用されていますね。

総括


最初の二つはマルクノイキルヒェンのメーカー名がついていますが、流派としてはボヘミアの感じがします。木工のクオリティ以上に木材とニスの質感が大きく違います。とくにニスの印象は楽器の印象に大きな影響を与えます。始めの量産品を塗り替えたらもっと高価な楽器に見えるでしょう。ニスはそれほど大事です。
ラッカーか天然樹脂かというわけですが、見た目ではっきりわかるものとそうでないものがあります。ザクセン派のラッカーには独特の匂いがあります。

ボヘミアではランクによってクオリティの差がありましたが、イタリアのモダン楽器では、ニスはラッカーのようなものはあまり使われていませんが、木工のクオリティはかなり低いものがあります。スカランペラやガッダなどはその代表です、もし高いクオリティで作られていたらニセモノです。イタリアの楽器の場合にはクオリティではなく知名度で値段が決まっています。

このような違いによって2番目の楽器が一人前の職人による立派な楽器だと分かります。勤勉に楽器を作っていた彼をどうしてバカにすることができるでしょうか?バカにされるべきは勉強不足な我々です。個性もあります、かなりの速さで作っていたとすればこれ以上の天才とは何なんでしょうか?かと言って完成度の高いフランスの作者も天才とは言われません。そんなものはフィクションではなく実在するのでしょうか?私にはフィクションだろうと何だろうとその楽器を語る物語が定着している楽器の値段が高いと思えます。楽器そのものではなく付いている物語にお金を払っているようです。誰かの弟子だとかいう話は最新の専門書では記載が削除されていることも多いですが、コレクターなどは未だに古い知識で競り合っているのでしょうね。私は楽器を見比べて似ていないので嘘だと分かります。昔はやたらこじつけて値段の高い作者の弟子にしてたものです。最新の本を読めば良いということではありません。その本の知識もまた変わります。言葉で知るのではなく作風に共通点が無ければ師弟関係は疑わしいです。同様に他の作者と変わらないのに特定の作者を天才などと言うのは理解できません。


最後のものは決してクオリティが高いものではありません。しかし音は全然違います。クオリティが高いほど音が良いというわけでもありません。人前で弾かなくても極上の高音を独り占めして楽しんだらさぞかし気持ちがいいでしょう。ヴィオリンは高音楽器ですから曲のクライマックスでヴァイオリンの美しさが発揮されるのは高い音にあります。
もっと張りのある強い音もありますが、それでもオールド楽器の高音は明るいだけの音とは違うような気がします。それに低音が何らかの影響を与えているかもしれません。高音は研究テーマとして手掛かりさえないです。

それに対して同様のクオリティのものがイタリアのものなら今なら5000万円以上します。5000万円するからと言っても当時はマルクノイキルヒェンと同様に安くするために急いで作った今で言うと量産品のようなものでした。同じ時代の高級品例えばアマティやストラディバリに比べると確かに安価なものです。「たった5000万円?安いね」と言ってみたいものです。


今回はいずれも売り物ではありません。
買おうと思って買えるものではないです。
実際に使われている楽器は売っているものよりもよく鳴ることも多いです。同じものが店頭にあればお薦めしたいのですが…。

こんにちはガリッポです。

日本ではかつて社会人の常識と考えられていたことが一転して許されなくなっているようです。力を持った偉い人に媚びて取り入って便宜を図ってもらうというやり方です。

弦楽器の業界は楽器の購入に絶大な影響力を持っている先生や教授に媚びて楽器を売るということが「社会人の常識」として行われています。店頭で接客するよりも楽器店の営業マンのメインの仕事です。
高校生がこれから受験する音大の教授にレッスンを受けに行き、教授に薦められる楽器を購入して受験に臨みます。普通に考えたら賄賂ですよね。一般の大学でそんなことをしていたら解雇でしょうけども。

そうでなくても小遣い稼ぎのために先生が転売をしたり、業者からリベートをもらったりしています。業者間で接待合戦もあるかもしれません。偉い立場の人がそんなせこいことをしないとやっていけないという日本の音楽業界の貧しさに切なさを感じます。これはどこの国でも起きえることで楽器店を教授が紹介することを禁止している国もあります。そこまでしないと楽器が売れないという演奏者の少なさもありますね。

このようなことは「社会人の常識」として社会人なら誰もが知っていることでしょう。皆が自分の業界で心当たりがあるということですね。恨みの代償行為としてやり玉に挙げやすい所を攻撃するのではなく、それぞれが自分の業界を改革するために尽力した方が良いと思います。私はそんな大それたことをするよりも、腐敗は悪い商品やサービスが出回る原因になるのですから、良いものを知った人だけが得すれば良いと思います。


話はそれましたが、もちろん中には本当に生徒のために良い楽器を使わせたいという本心で助言している人もいることでしょう。どこの世界でも同じです。
ただし先生が本当に良い楽器や弓と思っても、骨格などの違いもあり生徒にとっては使いづらくて嫌でしょうがないことがあります。音大の先生に薦められた弓を購入し、音大を卒業すると同時に売りに来た人がいます。情熱的な音楽家にはありがちです。
先生の中には生徒本人に選ばせるように仕向ける理解のある人もいます。ぜひ読者で先生をなさっている方、将来先生になる方には気にかけていただきたいです。


そんなこともありますが、セールスマンが「立派な社会人」として職務をしているということも話してきています。
「明るい音」という謎のワードが日本では頻繁に聞かれることでしょう。これは誤解や混乱を招く原因です。明るい音という言葉は日本の弦楽器業界を30年は停滞させていることでしょう。

ユーザーであれば誰しも経験するでしょうが、自分が売ろうとしている製品を何でもかんでも「明るい音」と紹介しています。もはやよくわからない概念となってしまって、何を形容しているのかもわかりません。
食品業界で何でもかんでも「甘い」と言って売ったらどうでしょう、塩味のせんべいで「これは甘いですよ」と売り子が言っていると明らかに嘘であるだけでなく、甘くないお菓子が欲しい人が購入を避けてしまいます。こんなのが知識なんて言うのですから知性を笑ってしまいます。一度嘘をつくとつじつまを合わせるための嘘を重ねる必要になってしまいます。何も信頼性がありません。

「明るい音=良い音ではなく・・」とそんな情報も当ブログ以外でも見識のある人たちに語られるようになってきたことでしょう。言葉から自由になると楽しみは広がると思います。

板を薄くする修理



申し訳ありませんが、時間が限られた休暇の日本滞在中に修理するということで、ブログの企画として考えていたわけではありません。何が大変かと言えば、目の前の作業をするだけでも難しいのに、それを分かりやすく見せるというのが余計な負担なのです。普段コンピュータを使う仕事はしていません。ユーチューバーなどを見ていても、毎回面白いアイデアを考えて撮影してめんどくさい編集をして、追い詰められて苦しいんじゃないかと思います。このブログでは広告はついていますがそこから私は収入は得ていません。コンピュータの知識のない私が無料でブログを作成するためのものです。

ブログに載せるなら修理を始める前にどういう楽器か写真を撮っておかないといけないのでしょうけども全然やってませんでした。
時間が限られていたので、板の厚みを計測し試しにちょっと弾いてみた後すぐに表板を開けました。

楽器はベルギーの量産品でアンリ・デリルというメーカーの2008年製のヴァイオリンです。同社のものはうちの店でも扱ったことがありある程度は知っています。工場は中国にあって塗装はベルギーでやっているようなことを聞いていたと思います。チェロのネックなどを見ると木材の感じが中国のメイプルのように見えることもありました。胴体は違う感じでした。製品のランクなどによって違うのかもしれません。

ベルギーの楽器製作というのは伝統的にはフランスの影響が強い流派と言えます。量産品にしては品質が高くその意味でフランス的な考え方が多少は残っているようにも思えます。
とはいえフランスの一流のモダン楽器のクオリティや特徴があるとまでは言えず、近代の楽器製作は皆フランスが起源ですからそれよりクオリティが劣れば、ただの普通のヴァイオリンでしかありません。

もともとある程度よくできている楽器なので、板を薄くする余地があるかと実物を手にするまでわかりませんでしたが、厚みを測ってみると1900年以降主流の普通の厚さになっていました。量産品としては現在正しいとされている厚みに正確に加工されているということです。19世紀のフランスのものとは違いますのでその意味でも別物です。

裏板を削るためには指板を外さないといけません。これも上手くいかないと指板が割れてしまうことがあります。幸いにも指板は簡単に外れました。接着面には黄色い接着剤がついていました。接着力はさほど強くないようでした。量産品の場合には木工用ボンドのようなものを使っていて全然取れないものがあります。無理やり剥がそうとして指板が壊れると指板を新しくしないといけません。もっとひどいのはネックの方が壊れることで、継ネックが必要になります。
そういうリスクがあるために修理がどれくらいの日数かかるかはあらかじめわからないのです。それが一番気にしていたことで、ブログの記事にするために用意はしていません。


表板は全体的に0.5mm程度薄くしました。隅っこの削り残しをちょっと削る程度ではなく結構ガッツリ行かないといけませんでした。

裏板は中央付近はそのままで上と下の部分を削りました。

魂柱の来るとこを帯状に残しています。また大きく削ったところと段差ができないようになだらかにしました。
小さなヴァイオリン製作用のカンナではなく、ノミでザクザク削っています。削った量が微量ではないということです。
これがカンナだけでは一度に削れる厚みがが何十分の一ミリで作業が進まず途中で嫌になってしまいます。働いた割には薄くならず薄くしたつもりでも大して薄くなっていません。ノミを使って削る時に手元が狂うことが怖いので豆カンナを多用するのです。ノミを使うのは初心者にはとても難しく、神経を使うので集中力がない人はできません。
現代の職人が豆カンナを多用することも板の厚い楽器が作られる原因の一つです。私のようにギリギリまでノミで削る人は少ないでしょう。オールド楽器ももしかしたらザクザク遠慮なく削っていたのかもしれません。その結果薄すぎる楽器もあります。

表板はバスバーの交換も必要です。


裏板の表面も仕上げた後に剥がしてあったラベルを貼ります。ラベルはうまく剥がせることもありますがそうでない時もあります。持ち主にはラベルが損傷するかもしれないと伝えたところ、無くなっても良いとのことでしたが、量産品でも製造者の真のラベルがあることは出所がはっきりするのであった方が良いと思います。量産品であっても、メーカー名がはっきりしていると後の時代にはどんなものかはっきりします。もちろんハンドメイドの楽器と偽って売るなら別ですが…。
これが高価な作者の偽造ラベルを貼ってしまうとノーラベルと同じことになりますし、メーカーにはそんなつもりは無いのに邪悪なニセモノと扱われてしまいます。

オリジナルの指板を貼り付けてから表板を付けます。ネックの角度を見るためです。指板を削り直し、駒と魂柱を新しくします。

見た目の雰囲気も量産品にしては良い感じですね。

修理後の厚みです。

修理前の厚みも計測しておけばブログのネタとしてもわかりやすかったのですが、そんなことを考える余裕がありませんでした。

気になる音は?


修理前に弾いてみましたが、まったりとしたにぶい音で覇気がなくどんよりとしていました。量産楽器によくあるような荒々しい音はせず、するどいとは正反対の音です。明るいという感じもしません。弦にはラーセンのツィガーヌとE線にピラストロNo.1が張ってありました。
付属部品にはローズウッドが使われ、音にはローズウッドの材質のイメージとも一致しています。ローズウッドは黒檀に比べると柔らかい素材です。ツゲと比べる重く暗い音のイメージです。


修理後は、すぐに低音が強くなったことが分かりました。低音のボリュームが増大しG線の一番低い音から豊かに鳴ることがはっきりわかりました。音色は全体的に暗くなりました。もともと明るいという感じではありませんでしたがさらに暗くなりました。レスポンスが向上し、キリっと切れのある音になりました。ヴァイオリンらしい音ですね。高音は特別柔らかいことはありませんが耳障りというほどではないでしょう。
修理後音色が暗くなってもこもった音にはなっていません、修理前の方がこもった音でした。音の暗さとこもりは別の現象ですね。暗くて抜けが良いということがあり得ます。

本人に楽器を渡した後に感想をいただいても、同じようなことを感じたようです。
それに加えて楽器がよく響くようになったと感じたそうです。D,G線の高いポジションの音が出やすくなったそうです。量産楽器では得にくい高いポジションで弾く意味が感じられるようになったようです。

さらに音程が分かりやすくなったということも言っていました。音程が聞きやすいということもありますし、外れているのがより分かってしまうということでもあります。

依頼主の好みの方向性に音が変わった上にそれ以上のプラスの効果があったようです。私はほっとしました。

板を薄くする効果



板が薄くなると何が変わるのでしょうか?

物理的に考えると低い周波数の振動が多くなったということだと思います。低音が強くなったことにも表れていますし、音色にも影響しています。
低音が振動することで楽器全体が振動しているような感触が得られます。歌手に例えると腹の底から声が出ているような感じです。楽器が底から響いている感じがします。
したがって音量が増したとかそういう事ではなくて、低い周波数で音圧が増したということです。一方高い方の中音域では減ったために音が暗く感じられたことでしょう。低い周波数で振動していることで弾いている人にはビリビリと振動が伝わってきます。

音が明るいとか暗いというのは私は音色のことを言っています。
弦楽器は音程の音(基音)だけでなく同時に様々な音域の音が出ています、これが音色を作ります。この時低音が勝ったバランスの音を暗い音、高音が勝った音を明るい音と普通は考えます。難しい解釈は要りません。
人によって感じられるかどうかはわかりませんが、私には音が光のように明るく聞こえたり暗く聞こえたりします。中低音に厚みがあれば暖かみを感じます。

低音が勝っているか高音が勝っているかが音色となって表れているのでそこには良いとか悪いとかはありません。ただの物理現象を人間が感じているだけです。

それを音楽として、音楽をするための道具としてどう評価するかは別の問題です。

また音色は好みの問題で、人によってどんな音色が好むかは個人の自由です。
弦楽器の音について音色を重視するかどうかも個人の自由です。

その上でうちではお客さんに「明るい音と暗い音のどちらが好みですか?」と聞くと暗い音のほうが好きと答える人が多いです。私も暗い音に魅力を感じます。
うちの師匠は日本人やアジア人は自分たちとは音の好みが全く違っていて明るい音を好むという知識を持っているようです。私のことは「暗い音を好むはじめての日本人」と言っています。暗い音を好む私は日本人ではおかしいのでしょうか?

特にオールド楽器で暗い音のものが多く、魅力的な音を感じます。

日本でも営業マンはそんな楽器を売るときには「ダークな音」と言うようです。「明るい音=良い音」という嘘をついてきたせいで、暗いという形容詞を使えないのです。ダークは暗いという意味ですから同じことです。なぜ日本語の「暗い」は悪い音で英語の「ダーク」は良い音なのでしょうか?
ファッション用語でも日本語で呼んでいたものを急に英語にすると格好よく聞こえるというのがありますが、間抜けなことに英語を勘違いしていて誤訳していて本国では通じないことがよくあります。
商業というのはそんな知的レベルです。
同じことを英語で言うとカッコいいってそれが知識と呼べるものでしょうか?


根本的に考えてみると歌の発声法についても西洋とは違います。
教会の音楽やオペラと日本の民謡や演歌と違いますが、私はポップミュージックやロックでも同様の違いが未だにあると思います。洋楽のファンの人なら欧米の一流のアーティストの歌唱力が高いと感じているでしょうが、発声法も違うと個人的には思います。英語圏の歌手ははるかに柔らかく声を出しているように聞こえます。日本人でも英語の歌を歌う時は割とそんな感じで遜色ないのに、日本語の歌になると急に硬く感じます。発声法に言語との関連性もあるのでしょうか?一方巻き舌調で日本語の歌を歌うのは全く英語圏の歌唱法とは全く違うように聞こえます。

またリラックスして自宅やお風呂で歌を歌うとうまく歌えているように思えて、人前で歌うとなるとドヘタクソになります。緊張感や恥ずかしさが身体の機能に影響して発声を妨げているようです。

お風呂で気持ちよく歌えるのは部屋の響きもあります。
教会の音楽とお寺のお坊さんでは発声法が違います。教会では音が反響するのでより響かせるような歌い方になり、日本の建物では障子やふすまで壁らしい壁もなく、床も畳で音を吸収するものばかりです。民謡や伝統芸能なども、フワッと響かせるような発声ではなく、はっきりとした声を出すというのが日本の家屋で聞こえやすいということでしょうか?

このようなことも日本人独特の「明るい音」ということになってくるのかもしれません。低音や高音など音域ののバランスではなく、響かない日本の建物で通るはっきりした声が明るい声ということになります。

これが未だに生きているとしたら音の好みは全く違うこともおかしくありません。
明るい音を良しとしている人もいるかもしれませんが、世界では珍しい変わった音の好み、・・・少なくともクラシック音楽の作られた西洋とは違う音の好みということになります。


話を板の厚みに戻すと、板を薄くした結果、楽器が底から響くような感じが得られました。私が厚い板の楽器を弾くと懐かしい感じがします。昔習っていた時に使っていた量産楽器や最初の頃に作っていた楽器を思い出すからです。楽器全体が振動するのではなくて、表板の一部だけが振動している感じがします。

厚い板の楽器ではマリオ・ガッダやその工房のものがありました。
日本の読者の方にも80年代にマリオ・ガッダを当時は80万円ほどで買った人がいて、あまりにも鳴らないので日本人の職人に板を薄くしてもらったという人がいました。A・ガリアーノを使う馴染みのコンサートマスターは同様の楽器を「弦しか振動してない」と言っていました。これは極端な例ですが薄い方が楽器全体が響いている感じがするのです。

ともかく音量があるとか無いとかというよりも、振動する周波数が厚さによって変わるということです。
これは音響工学的な考え方で音楽だけをやってきた人には思いつかない発想かもしれません。録音やオーディオとかの話です。
板を削りながらタッピングをして叩いてみると音の高さが変わっていくことはわかります。厚い時は高い音がして薄くなるほど低い音になることが分かります。しかし音楽家の発想では音程で考えてしまいます。絶対音感があるという職人では叩いた時にこれは何の高さの音か言い当てます。叩いて440HzのAの音になっていると良いと言う人もいます。ですから叩いた時に板が薄いほど低い音になることは皆経験します。

それに対して周波数ごとの音圧でとらえることを「周波数特性」と言いますが、板の厚みについてそのような説明を先輩などから聞いた事がありません。音楽家には無い発想でしょうね。

古い時代ほど録音技術が低く、低音から高音まで幅広い音域で録音することが難しく、再生することも難しかったはずです。昔の蓄音機はレコードプレーヤーの上にラッパのようなものを付けて音を聞こえやすいようにしていました。
電気を使うスピーカーで、最もシンプルなものは、一つのスピーカーユニットで作られています。それを高音用と低音用に口径の違う二つのユニットを組み合わせることでより高い音、より低い音を再生できるようになりました。口径が小さい方が高音再生能力に長け、大きい方が低音再生に長けているからです。さらに高音用中音用低音用の三つユニットを組み合わせた3ウェイスピーカーがあります。音域はさらに広くなります。さらに増やして4ウェイの巨大スピーカーもあります。ただカーオーディオや素人だましの製品ではやたらスピーカーの数を増やしますが口径の大きさに差が無ければ意味がありません。
基本的には低い音から高い音まで均等に出ることがオーディオの世界では高音質ということが言えます。

スマホやパソコンに内蔵のスピーカーで音楽を聴くと低音が出ないために聞いていて耳障りに感じます。ちょっと離れると全く低音が聞こえなくなるので他の人がスピーカーで音を出していると不快です。急に大音量で広告の動画が流れて焦ることがあります。同じようなことは町内放送や選挙カーのような拡声器でも感じます。大型のスピーカーですが、音量を重視する代わりに音域がとても狭いです。音楽を演奏するものではなく人の声が聞こえて、少ない電力でメッセージが理解できればいいからです。これがスタジアムやポピュラー音楽のライブで使われるスピーカーでは音量があるだけではなくずっと音域が広く音楽も聞きやすいだけでなく人の声でも心地良く聞こえます。アンプの出力もはるかに大きいものです。

弦楽器でも同じように広い音域を持っていれば上質で心地良く、透明感のある音に聞こえるかもしれません。拡声器のようにとにかく音量があれば何でも良いと音域が狭ければ美しい音とは違うかもしれません。弦楽器はアコースティックですから弦と弓が擦れて生じるエネルギーは同じでどの音域の音になって表れるかということですから、狭い音域に音を集中させれば音量は最大になるでしょうし、幅広い音域で音が出れば静かな感じがするでしょう。
楽器を選ぶ時に音色を重視するか音量を重視するかも人によって違います。拡声器のような音でも不満が無い人の方が多いのかもしれません。オーディオについても同じことでほとんどの人は音域が狭くても気にせず音楽を楽しんでいます。マニアだけが音域が狭いことを不満に思っています。理屈で考えればコントラバスの音が出なければ本来のオーケストラの音楽を楽しむことができないはずですが、メロディだけでも楽しめないこともないということです。

このように音域が広いことをオーディオの用語では「ワイドレンジ」と言います。しかしヴァイオリンの世界ではそんな用語はありません。何もかも一緒くたにして語っています。音について具体的なことは語らずに値段が高いとか安いとか作者が天才だとか巨匠だとかそんな話をしています。要約すると値段が高い楽器ほど明るい音がするそうです。ボキャブラリーが何も無いですね。

オーディオマニアの世界では皆に共通する「良い音」というのがあるのでしょうか?
あるカリスマスピーカーの製作者は3ウェイや4ウェイのように音域の違うスピーカーユニットを組み合わせた大手メーカーのものは自然な音がしないと言います。継ぎ目ができておかしくなるからです。一つのスピーカーユニットだけでスピーカーを作ったほうが「本当の音」が聞こえると言います。自分自身もギターを弾いていて、自作のスピーカーの音はそれに近いと熱弁します。さすがカリスマ設計者、説得力がありますね。
そのスピーカーの音を聞いた人はガラクタのような古いステレオの冴えない音のようだったと語っています。思い込みの激しいヴァイオリン職人にもありがちな性格です。

それくらい音っていうのは個人差があります。その人が異常に気にする一面についてはそのスピーカーが本物の音に近くでも、他の部分では全く似ても似つかない音になっていることがあり得ます。

またコンサートホールで音を聞く場合と部屋で脇に抱えたギターの音を聞くのでは違います。


ともかく共通理解として音域が広いか狭いかそんなことも何も語られていないのが弦楽器の世界です。共通理解になっていればワンドレンジ系の音だとかナロー系の音だとかそういう分類もできるようになるのです。エレキギターのマニアではオーディオ用語を借用してだいぶ語られる語彙が多いようです。プチオーディオマニアみたいで悪い所を取り入れている感じもします。趣味というのは下手な人がいるものです。
ギターやギターアンプもオーディオ技術とともに進化して来たのでビンテージギターの当時の雰囲気を出すにはナローな特性を持たせるとかそんなこともあるでしょう。

今ではコンピュータで音楽制作をすると作曲から録音まで手掛けることになります。音楽家でも同じようなことが録音用語として語られるようです。

厚めの板のヴァイオリンの方がナロー系で、薄い板の方がワイド系ですね。そんな言い方をするのはこれが初めてです。




板が薄いことには他にもメリットがあって軽さによってレスポンスが向上するということもあり得ます。今回はもともとがにぶい音だったので改善しました。しかし厚い板の楽器でもギャーと鋭い音の楽器がありますから、今回のように薄いものほどするどい音というわけではありません。音の鋭さにはほぼ関係が無いと考えた方が良いでしょう。薄い板でも厚い板でも鋭い音のものがあり、柔らかい音のものがあります。


ともかく物理的には板が薄くなると低い周波数での振動が大きくなるということが言えます。これを人がどう感じるか、音楽にとってどうか、音楽の道具としてどうかは、人それぞれ各自が評価することです。

板を薄くするデメリットは?


板を薄くすることを職人が嫌う理由は何でしょうか?

前回は作業の手間が増えるとか、手元が狂って失敗する恐怖感があるとかそんな話をしました。恐怖感は他にもあります。

楽器が壊れてしまうのではないかという不安です。
売った製品が製造上の欠陥で壊れてしまうと買った人と金銭トラブルになります。頑丈なものを作っておけば壊れにくくなると考えるのは普通でしょう。世の中で高級品と言うと頑丈に分厚くできています。安いものはペラペラでふにゃふにゃです。頑丈で分厚い楽器を作って見た目も美しく「高級品」と大変満足している職人もいるかもしれません。

しかし弦楽器にとっては頑丈すぎるものは音が芳しくないことが少なくありません。華奢に作られバリバリに割れた古い楽器で良い音がして驚くことがあります。このような高級品は楽器のことが何もわかっていません。

一方でハイテク弦が開発され年々強まっている弦の張力に耐えられるか不安があります。衝撃などでも簡単に壊れてしまってはいけません。特に子供用の楽器こそ板を薄く作ったほうが小ささを感じないでワンサイズ大きな楽器のような鳴り方になるでしょう。しかし、楽器の扱いが荒い子供ではすぐに壊してしまうかもしれません。そんなこともあって子供用の楽器はサイズ以上に音が犠牲になっているとも言えます。


ところで、古い楽器が何百年経っても大丈夫なのになんで新しい楽器は板を薄くしたらダメなのかも不思議ですね?
板が薄い楽器は壊れるので作ってはいけないという嘘をつくと、このような矛盾が出てきます。古い木材の方が強度が上がるという次の嘘をつかないといけません。古い木材の方が丈夫なら木造建築は無限ですね。

古い楽器でも本当に板が薄すぎてダメになっているものを研究してどこまでやったらダメなのかを学ぶ必要があると思います。


ただし、もともと弦楽器は西洋のものなので、日本の場合には高温多湿という想定外の環境があります。新しい楽器では不安定で変形などが起きやすいということもあり得ます。ヨーロッパで使うなら板を薄くしても大丈夫だけども日本ではダメということもあるかもしれません。特にネックが下がったり、表板が陥没するなどの変形が考えられます。

今回のヴァイオリンは過去にネックの下がりを直す修理を受けています。当時は板が厚かったですが、それでも起きています。もっと厚くすれば起きないでしょうか?そんなに厚くしたら楽器としての機能、つまり音が犠牲になるでしょう。


なぜ低い周波数の音が出るようになるかと言えば素材としての柔軟性が増して大きな振幅の振動が起きるようになるということです。太鼓の皮や弦の張りが緩くなると同じでしょうか?このことは演奏者の感触としても感じられるかもしれません。弓の硬さに好みがあるように、楽器の柔らかさにも好みがあるかもしれません。楽器が沈み込むような感触もあるでしょうね。チェロでははっきりとあると思います。そういう意味では初心者向きではないかもしれません。
音についても厚い板の楽器と比べると音域が広がることでエネルギーが吸い込まれるような底なし沼のような感じがするかもしれません。
薄い板のオールドやモダン楽器はアマチュアの人がいきなり弾いても鳴らなかったりします。高価な楽器なら自分の演奏が未熟だと考えるでしょうが、現代の職人が作ったものなら楽器が悪いと言われてしまいます。

今回の改造について


板の厚みは振動する周波数、つまり音域が変わると考えています。このことが道具としての使い勝手や音、音楽性にどんな影響があるかはその先のことです。

音色が暗くなるということを今回の依頼者は好ましいと感じたようです。ヨーロッパではそのような音が好まれる傾向があります。しかしこれは好みの問題であり明るい音のほうが好きという人もいるかもしれません。ヨーロッパでもインターナショナルな大都市になるほどヨーロッパ人特有の好みは薄まります。若い人でもそうかもしれません。弦の新製品ではヨーロッパから見て海の向こう(海外)向けの製品のように思えます。

それ以外にも今回の改造では2次的に多くのメリットがあったと思います。
レスポンスが向上し、楽器の響きが増大し、高いポジションが改善し、音程もわかりやすくなりました。弓の使い方を学ぶにも良いでしょう。
明るい音や暗すぎない音が好みであったとしても即座に厚めの板のものが最適というのではなく薄い板の楽器の中で明るい響きの多めのものを探しても良いのではないかと思います。音を明るくするような弦などはいくらでもあります。逆は少ないです。魂柱を駒に近づけることも有効です。しかし現実には薄い板の楽器自体が少ないです。


今回はもともとすごく明かるい音ではないヴァオリンだったのでかなり暗い音になりましたが、すごく明るい音の特徴を持ったヴァイオリンの板を薄くしてもそこまで暗くならないでしょう。暗い音にしたい場合には不十分な効果になってしまいます。

一方音を暗くしたいなら板を薄くする以外の方法では十分な効果は得られないと考えた方が良いでしょう。


最終的には厚すぎず薄すぎなければなんでも良いということです。それが具体的にどれくらいかは職人の経験によります。具体的な数字を言うと数字に固執してしまうので厚めだとか薄めと今後も私の基準で語ることも多いでしょう。

大雑把なイメージとしては板が薄いほど低い音が出やすくなるので、楽器の音域に板の厚みが合っていれば良いと考えてください。多少は音の個性になります、しかしあまりにも厚すぎるとヴァイオリンの音域の音が全く出なくなり、薄すぎてヴァイオリンの音よりも低い音域が振動しても無駄になります。1/2のビオラの弦を張ってビオラにした方が良いかもしれません。

チェロの場合には低音のボリュームが増すので板が薄ければ低音楽器としては魅力的ですが、薄すぎて強い音が出ないということがあります。音色が素敵だけども音が柔らかすぎるということがチェロでは起きます、また高音側が弱くなってしまいます、一長一短です。
小型のビオラでは薄めに作ることでワンサイズ大きなビオラのような効果が得られメリットはさらに多いことでしょう。

子供用の楽器こそ、隅々まで丁寧に薄く作るのが良いのですが、手間暇は変わらないので大人用とほぼ同じ値段になってしまいます。使う年数が限られているので私も作ったことがありません。


最後にオールド楽器の中でも暗いばかりではないものがあります。低音が極端に強い楽器も個性的で魅力的ですが、一般的にはどの音域も均等に出るほうが優秀でしょう。アーチなどの楽器の作りや楽器の健康状態も影響してきます。オールド楽器ばかりを集めた中では明るい音ということです。新作楽器はそれよりもはるかに明るい音がするものが多いです。新しい木材の硬さも低音が出にくい原因です。

オールド楽器ばかりを集めた中で明るい音というのは、新作楽器に比べるとはるかに暗い音で、新しい木材でその音を再現するには極力薄くして暗い音の新作楽器を作らないといけません。

またカーオーディオでもやたらズンズンと低音がうるさい車が通ることがあります。
低音と高音を強めた音をオーディオや録音の用語では「ドンシャリ」と言います。音楽に重要な中音域が抜けているわけですから高音質とは言えません。
度が過ぎるのは一般の人が首を傾げますが、趣味としては下手くそです。

楽器が振動する音域が広いか狭いかという見方も今回しました。板の厚みによって明るい暗いの「音色」が変わるということを説明しましたが、「音域の広さ」と見ることもできるかもしれません。

遠鳴りとの関連性もあります…話は尽きません。
こんにちはガリッポです。

良い楽器を買おうと弦楽器について知識を集めるほど理解から遠のいていきます。
知らなくても良い作者で頭が一杯になり、たいしたことが無い楽器を買うために大金を投入してしまいます。
熱心な人ほど良い楽器から遠ざかっていきます。何も知らない人の方がマニアよりもマシということです。

それは根本的なことが分かっていないからです。
一つは職人から発せられる情報が欠如しているいこともあります。

0.1mmまで正確に仕事をしている職人に対して、楽器店の営業マンの語る知識は極めて粗雑です。なぜか営業マンの言うことは信用して職人の言うことには耳を傾けません。職人はその人が一流かどうか気にするのに、営業マンをその人が一流かどうかを気にする人はいません。

一方職人の方も、常識として知識を学んだだけで、実際に試したことが無い知識が多くあります。検証が不可能な知識も多く、多数派の意見に従うしかないことも少なくありません。職人は木材を決められた寸法に加工するプロであり、音についてはよく分かっていません。その寸法がなぜ決まったかはわかっていないのです。

そういうものだということを知ることが第一です。勝手に「プロならわかっているはずだ」と考える人がいますが、ファンタジー(空想)で物を考えているのでは理解はできません。


最近では世界的なインフレと、円安、弦楽器が投資対象となったことで値段について考えることが不可能となってきました。

ギルドの伝統を持つ西洋の職人の間では、物の値段を、材料や製品の品質によって考えてきました。品質の高いものを作るには材料費や手間暇が必要なので値段が高くなるということです。具体的には材料費+工賃×作業時間となります。
これは日本人にはまるっきり抜け落ちている考え方かもしれません。こちらでは小学校の社会科見学で教えるレベルの話です。
日本人は特に職人の作るものは知名度で値段が決まると思い込んでいます。つまり市場原理で、有名な作者のものは欲しがる人が多く、値段が高騰するのです。それは経済の原理であって製品の良し悪しとは関係がありません。とかく日本人のものの考え方は商人気質であり、ギルドの伝統を持つ西洋の職人の考え方は理解が難しいでしょう。



一方弦楽器は一般の工業製品と違い、製品の寿命がとても長く、古い楽器がずっと使用できます。新品の楽器を作者や楽器店がいくらで売るかは自由です。自由主義社会だからです。新作ヴァイオリンを1000万円以上で売っている作者もいます。その値段でも何年も待たないと買うことができない状態になっています。これに対して、弦楽器について理解が深い人はそれほどのお金を払う価値は無いと考えます。もし新作楽器に1000万円以上払うなら、同じ予算で古い楽器も試奏してみるべきだと考えます。
それが面倒な人は1000万円を無駄に払うことになります。自分では演奏ができない、または腕に自信がない、弾き比べても音が分からないという人が多くいます。このような人たちは何でもない中古楽器の音が良いという簡単な事すら理解できません。なぜか無名な作者の楽器の音が悪いと決めつけているようです。勉強不足です。

ニューヨークでサンドイッチを買うと20ドル以上するようですね、さらにチップも高騰していて接客サービスの無いテイクアウトにも20%以上払うようになっているようです。サンドイッチは3500円以上になります。東京ならどうでしょうか?コンビニなら300円台でしょうか?おしゃれな店でも7~800円位でしょう。そうなるとサンドイッチの値段が4~5倍違うことになります。
こうなると弦楽器の値段が4~5倍違ってもおかしくありません。そうでなければ昼食にサンドイッチを買うことができません。
東京でも飲食店は駅の傍の店と数百メートル離れた店では値段が違うかもしれません。今は値段というのは商品の質によって決まるのではなく、売られている場所によって違うとも言えますね。日本のスターバックスでは、店の場所によって値段を変えるという方針を発表しました。
東京で200万円の楽器がニューヨークで1000万円していてもおかしくありません。

もう値段で価値を考えることに意味がないと思いませんか?

われわれ職人は伝統的に物の価値を、「材質+品質」で考えています。個性などは客観的に評価しようがありませんし、も同じです。買う人は自分が好きだとか嫌いとか感情も出てきます。お気に入りのものとなんとなく弾く気にならないものが出てくることでしょう。しかし職人はそのことを客観的に評価することができません。好き嫌いの問題であり、第三者的な格付けなどはあり得ません。

職人がつけた値段で評価をできるのは「無名な流派、無名な作者の楽器」のみとなります
職人から見て値段について納得できるのは無名な楽器だけということになります。そして無名な楽器は全体の99%以上を占めます。ほとんどすべてです。


このため有名な作者を知ることは99%の楽器を無視する事であり、99%わかっていないということになるのです。有名な作者について学ぶとほとんど何もわからなくなってしまうということです。


この西洋の職人の考え方でも生活費の高騰によって楽器の値段は上昇するばかりです。生活に必要なものの値段が上がっているからです。

おそらく、日本ではイタリアの有名なモダン作者の名前を中国製の楽器に貼り付けたものが出回っていると思われます。作者が死んでいれば訴訟にもならないでしょう。一般のブランド品のように商標権が無いので、違法でも何でもありません。名前について学んだせいでそのようなものを買うことになります。名前を学んでいなければそんなことにはなりません、こちらではイタリアの作者をだれも知らないのでそのような中国製品が出回ることが少ないでしょう。
戦前のドイツの量産品にもイタリアの作者の名前が貼られていることがよくありました。
日本でお会いした方にも何人か、そういうイタリアの作者のラベルがついた中国やドイツの量産品と思われるものを持っている人がいました。なんと説明したらいいでしょうか?
お店の人が嘘をついているということ認識しなくてはいけません、そもそもただの量産品であるという事実を認めないといけません。高いお金を払って買ったものにその現実を突きつけるのは心が痛みます。お父さんは家族や知り合いに高価な名器だと自慢しているのですから認めるのは難しいでしょう。

名のある名品が欲しいと思って買った楽器が、並の職人のものどころか、ただの量産品だというのが現実です。それが職人には見分けられます。
鑑定書がついた「本物」を買っても職人から見ると評判が独り歩きしているだけで名工でも何でもなくただの普通の腕前かもしれません。職人から見ると品質が高いわけでもなく「こんなのがなんでそんなに高いの?」と思うかもしれません。トラブルが起きて修理のために職人のもとを訪れると「こんなの買ってバカじゃないの?」と裏で笑われているかもしれません。高価な名器を買って自慢するほど恥をかくというわけです。
だからそのような知識を学ぶほど粗悪品を買うことになるのです。


一般の人には楽器を見ても違いが判らないということですね。だから中国製の量産品を有名なイタリアの作者のものだと偽っても気付かないのです。何を勉強するべきかと言えば、中国製の楽器を見分けることです。ところが中国人でも個人レベルではイタリアの作者と何も変わりません。特に中国人は他の国よりもクレモナの楽器に似ていることを目指しているはずです。実際にクレモナで学んでイタリア人よりも中国人の方が腕が良いかもしれません。しかし大量生産になるとそのレベルのものは作られません。したがってどこの国の人が作ったものかというよりも、量産品の製法やクオリティを見分けることが重要です。現代ではどこの国の人が作ったかなんて見てもわからないのです。ヴァイオリン奏者の演奏を音だけ聞いてどこの国の人が弾いているかわかりますか?楽器の音で作者の国を聞き分けることができる人がいるでしょうか?そもそも違いなんて無いのです。

量産品と高級品を見分けるのも簡単なことではありません。私がしているのはそのレベルの話です。天才だとか名工だとかそんな話をしているわけではありません。そんなことは考えても空想の話で意味が無いからです。そう言うと人々が普段している世間話も、ネットの話題もほとんど根拠がない空想の話です。そんなことを語るのに意味がないと思う私は無口な職人です。

楽器の値段は1%以下の有名な作者のものは値段がどんどん高騰し、それ以外の99%のものは品質によって値段がついているということです。つまり無名な作者のものだけが値段が楽器の良し悪しを表しているということです。

それも売り手が良心的な職人の場合のみです。


今回の帰国で一つ依頼があったのは、量産ヴァイオリンの板を薄く改造して欲しいという物でした。限られた期間でやるのは気が気ではありませんでしたが、何とかなりました。私は個人の作者が作った楽器は私とは異なる考え方を持つ作者の意図を尊重するために改造したりはしません。その点量産品であればどうでもいいというわけですが、高額な改造をする値打ちがあるかという問題になります。

現実の問題として板が厚い楽器が多くあります。これは量産品に限りません。だいたい1900年くらいから板が厚めの楽器が多く作られるようになってきました。多くの楽器を手に取って調べていると分かります。持った瞬間に重さを感じます。逆に1700年代や1800年代のものは薄めに作られていることが多くあります。しかし数百年も経てば、木材は朽ちてあちこちに損傷があり、もはや板の厚みの違いも音に直結しなくなってきます。一方新しい楽器ほど、板の厚みの違いは音にシビアに反映されると感じています。
今回お会いした方のヴァイオリンでも裏板が薄めのチェロくらいの厚さのものをいくつか見ました。

20世紀以降職人たちが板を厚めにしてきたことはその方が音が良いと信じていたからでしょう。私はその考えには懐疑的で、そうでない可能性を認めています。疑う事すら許されないならそれは宗教です。
職人も20世紀の楽器製作理論をまじめに学ぶほど現実からかけ離れてしまいます。理論や数字で示されると一見科学的なようですが、ヴァイオリン職人の知識の実態は宗教のようなものです。何も知らずに薄くしたら音はどうだろうと考えてやってみれば良いのです。

今回はそんなケースですが、板を薄くしてほしいと依頼する段階で日本の多くの職人には「そんなことをしたら音が悪くなる」と怒られてしまいやってもらえないことでしょう。じゃあやったことがあるのかというと、そういう風に先輩から教わっているというだけかもしれません。それが専門家というものですね。どこの業界でもそういう先輩が普通でしょう。

板の厚みについては、1900年くらいから厚めに作られるようになったと説明しましたが、なぜどうしてそうなったかは私もわかりません。バロック楽器からモダン楽器に変わっていく中で、弦の張力が強められ、弓も硬く重くなり、強い圧力に耐えるために板も厚くするべきだと考えたのかもしれません。その時点では机上の空論にすぎませんが、職人とは決められた寸法に正確に加工できることが評価されます。現代の工業では設計をするエンジニアと製造する工員では異なっています。職人はエンジニアよりも工員に近いものです。偉い師匠が厚めの板厚が良いと教えればその通りにできる人が優れた職人なのです。だから職人の評価なんてあてにならず、音を試してみないといけないと言っているのです。

実際作業すると分かることは、板を薄くするのは不安があります。板が薄くなりすぎてしまうのが怖いです。一か所でも穴が開いてしまえば製品は売り物にならずそれまでの作業が無駄になります。それに対して厚すぎても音を試して楽器を買う人が少なければ問題になりません。作業では厚いものを削って段々薄くしていくのですから、薄いものを作る方が手間がかかります。オールドやモダンのような厚みにするには2時間くらい余計にかかります。それがめんどくさくなってまあいいかとなってしまいがちです。その時もっともらしい理屈を唱えると正当化されてしまいます。


偉い師匠が一度もっともらしい理屈を唱えてしまうとその流派は全滅になってしまいます。中には師匠の教えを無視する不届き者も出てくることでしょうが。だから腕が悪い職人の方が音が良いこともあり得ます。
日本という国単位でそのようになってしまっていることが多々あると思います。このため知識を学ばない方が良いと私は言っています。こちらの人は予備知識を持たずただ楽器を弾き比べて選ぶだけです。

板の厚みはその典型の話で、知らない人は幸いです。

私は板の厚みについては、厚すぎず薄すぎなければなんでも良いと考えています。音は客観的に評価の出来ない好みの問題だからです。
厚めの板の楽器でも誰もが必ず音が悪いと感じるわけではありません。50~100年くらい経っている楽器では少なくとも店頭では大きな音に感じられることもあります。
様々な要素の組み合わせが偶然一致すれば楽器として機能することがあり得ます。

したがって厚いからダメとか薄いからダメということは言えません。

量産品の中には極端に板が厚いものがあります。昔手作業で作っていた時代には薄くすると作業時間がかかるためです。これらも店頭で弾いた場合に必ずどの人も音が悪いと感じるとまでは言えません。この手の量産品は刺激的な音がすることが多いのでそれによって音を強く感じることもあるでしょうし、子供用のヴァイオリンのような音の出方になることもあります。小さなヴァイオリンの方が音がはっきりくっきり聞こえます。音の好みは人それぞれですから。子供用のヴァイオリンのような音が好きという人がいるかもしれません。

このためこれらの楽器に、有名な作者の偽造ラベルが貼ってあれば「これが良い音なのか」と思う人もいるでしょう。知識が先行すると音の聞こえ方が違って感じられます。偽造ラベルが貼られても気付かないわけです。

これはオーディオマニアにもよくある現象です。とかく理系の趣味は知識先行で、客観性が無いという点で科学とは正反対のことが多いものです。趣味は面白ければいいので、興味がわく好きな理屈を信じて「音が良くなった」と喜んでいれば良い甘い世界です。一般の人でも、評価が高い有名なメーカーの製品と聞いたら音が良いと感じるものです。そういうマニアや理系の人が喜ぶ理屈で商売すればお金儲けになります。
そのように趣味の世界には上手い人と下手な人がいるものです。下手な人を取り上げてこの趣味は頭がおかしいと批判するのも見当違いです。私はある程度俯瞰してモノを考えられることが重要で、自分自身の美意識を持っているのが上手い人だと思います。その時代の主流派の考えの中で最高を極めようと極限まで追求する人も上手いとは思いません。値上がりが著しいものに他の人より多くのお金をつぎ込むコレクターもその例です。私からすると彼らの知識は50年くらい前のものです。
興味の持ち方が下手なのです。

実際チェロのような厚さのヴァイオリンを使っている人は少なくありません。それに対して薄すぎて音が良くない楽器を使っている例は数えるほどしか経験していません。音というよりも裏板の中央が薄いと魂柱に押されて変形してしまいます。

私は厚めの板の楽器を気に入って使っている人や、試奏してたくさんの楽器の中から選んだ人に「あなたは間違っている、厚い板の楽器の音が良いはずがない」と説教することはありません。好みを尊重します。私は人に対して敬意を持っているからです。そこまでおせっかいでもありません。

ただし「板が厚い方が音が良い」という理屈に対しては「根拠がない」と否定します。あくまで厚すぎず薄すぎなければ良いというだけです。じゃあそれがどれくらいかと言うと1900年以降考えられているものよりは薄くても大丈夫だろうというものです。板が薄いモダン楽器やオールド楽器があってもぜひ試してほしいと薦めると思います。

厚い板の方が音が良いという理屈が信じられているなら、古い楽器はダメで、新しい楽器の方が音が良いということになります。自分の楽器を売りたい職人にとってはその方が都合が良いですね。しかし私は音については各自の自由だと考えています。新しい楽器の方が音が良いと思う人はそれを買えば良いし、古い楽器の方が音が良いと思うならそれを買えばいいのです。

ただし、古い楽器は高価な場合があって買うことができませんね。
そういうものが現実に買えるにはどうしたらいいかも私が興味を持っていることです。私にできることは無名な作者の古い良品を発見することや、自分が古い楽器に近いものを作ることです。

現実には厚い板の楽器はいくらでもあるので、厚めの楽器の音が良いと感じるなら特別有名な作者の高価なものではなくても値が付かない中古品がワゴンセール並みにいくらでもあります。私が作る必要はありません。

板を薄くする具体的な作業について次回です。
今年もよろしくお願いします。




余談ですが、世の中で様々な議論があります。
私は「なんでそんなことに興味を持つのか?」と思います。そんなことで頭をいっぱいにするよりほかに考えるべきことがいくらでもあるのではないでしょうか?
違う国に住んでいると同じ世界共通の話題でも興味の持ち方が全然違います。
なんでそんなことを気にしているのだろうと不思議に思います。




























こんにちはガリッポです。

年末に帰国するという話をしています。スケジュールは固まってきていますが、1月中は運が良ければ日程が合うかもしれません。この機会を待っていたという用のある方は問い合わせください。
お問い合わせはこちらから

楽器の値段や相場などの話を当ブログでもずっとしてきました。しかしそれらがすべて過去の知識となるかもしれません。
最新の相場を知ることができるようになりました。

初めに謝らないといけません。
ここのところアレサンドロ・ガリアーノの話をしてきました。値段は最高で5000万円位と言っていたと思います。最新のデータによると1億2000万円以上でした。謹んでお詫び申し上げます。アレサンドロ・ガリアーノがそれだけ上がるのは「ストラディバリの弟子」という古い誤情報が未だに広まっているのでしょうかね?私が見ると何一つストラディバリの特徴が無いように見えます。
4000万円と言っていたヴィヨームは5000万円位です。ヴィヨームは若い時だけ本人が作っていて、私も見たことがありますが、リュポーそっくりの楽器でした。晩年は弟子や下請けの職人に作られせていました。かつては本人が作ったものは値段がずっと高いという考えもありましたが、今はそのような区別はなくヴィヨームと名前がつけば何でも4500万円は超えてくるということだそうです。

ミッテンバルトのマティアス・ホルンシュタイナーのことも書きました。こちらは400万円位と書きましたが正しくは400万円位です。・・・つまり何も変わっていません。物価上昇を考えると下がっていることになります。

イタリアの楽器が倍以上になっているのに対してミッテンバルトの楽器は値段はそのままです。

つまり最新の相場では知名度が高く値段が高い楽器がさらに高くなり、ちょっと無名だと何も値段が上がらないという感じです。
オランダのオールド楽器も以前紹介しましたがこれもお値段据置です。


一方マルクノイキルヒェンのパウル・クノアは200万円位と紹介しましたが、400万円位です。マルクノイキルヒェンの近代の作者では有名な人です。他のマルクノイキルヒェンの作者では名前すら出ていません。楽器自体はきれいではありますが他の近代の楽器とさほど変わらず音も鋭い強い音がしました。

ボヘミア近代のマティアス・ハイニケでも300万円以上になりました。これは当然の値段だと思います。今までが安すぎました。

私が仕事を始めたころはフランスの一流の作者のチェロが800万円くらいすると驚いていましたが、そのうち同じ値段でミルクールの量産品しか買えなくなるでしょう。今は一流のフランスのチェロは3000万円位ざらです。

値段の上がり方の速度がとんでもないです。5年くらいで倍以上です。ミッテンバルトでもクロッツ家になるとちょっと上がっていて、ホルンシュタイナーでは全く上がっていないということで、作者の職人としての格は全く関係なく、金融商品として値段が上がっているようです。

ミッテンバルトの作者で見てみるとヨーゼフ・カントゥーシャが700万円近い値段になっています。ドイツ系のオールド楽器ではシュタイナーに次いで有名なクロッツ家のゲオルグ・クロッツと同等でミッテンバルトを代表するホルンシュタイナーよりも高い値段になっています。
またヴィヨームの弟子でミッテンバルトに近代的なヴァイオリン製作をもたらしたルドビヒ・ノイナーが380万円位です。見事な腕前でまさにヴィヨームそのものでしたが19世紀の楽器でドイツのモダン楽器の中でも最高水準の楽器です、カントゥーシャの半分の値段というのはおかしいですね。ヴィヨームと変わらないだけでなくロッカよりもクオリティは上、現代のミッテンバルトの楽器製作を世界のトップレベルまで引き上げた郷土の英雄で一番偉い職人です。そのような歴史をだれも知らないので、現代の作者の方が有名で値段が高くなっているというおかしな状況です。カントゥーシャのヴァイオリンはいくつか見たことがありますが、音はやや鋭く明るい音でごく普通の現代の楽器の音でした。
アマティは曲線に特徴があり、ストラディバリはその特徴が控えめになっていて分かりにくいですが近代の一流の職人は理解しています。
カントゥーシャはアマティやストラディバリのエレガントさがまったくありません、過去を勉強しないと失われてしまうのです。形が独特でどれも全く同じ形、変な形なので弟子以外は真似をしないでしょう。そのため鑑定はしやすいです。見た目は変わっていても音は普通の新作楽器でした。普通と違う音なら意見が分かれるでしょうがよくある普通の音というのが一番つまらないです。当地ミッテンバルトではすでに忘れられているようです。クレモナでも同じですがその後同等以上の楽器を作る職人が増えたということです。
今までの相場は同じ産地の中で古いものほど高価でした。オークションの価格を参考にしながらもヴァイオリン製作の歴史上の重要度や歴史的な価値を考慮した値段のつけ方だったのが、ただ単にオークションの結果になったようです。


また、私はよくヴァイオリン製作学校の生徒よりも劣るヴァイオリンという話をしますが、イタリアの戦後の作者でまさにヴァイオリン製作学校の生徒よりも劣るようなものが800万円以上します。


グランチーノやテストーレと言ったミラノのチープなオールドヴァイオリンでも8000万円位です。億に届くのは時間の問題でしょう。

ガリアーノのように明らかに音が違う楽器を求めるなら、1億円くらいはするということですね。
極端な話逆に1億以下は50万円でも音は個体差や好みの範疇です。
少なくとも100万円でも1000万円でも音のレベルはそのくらいの価格差じゃ変わらないということです。それくらいちょっとでも有名な作者の楽器がガーンと値段が上がって、同じ流派でそっくりな楽器を作っていても無名だと全く値段が上がらないという状況になっています。

かつては流派ごとに格段の差はあったものの、同じ流派の中では、職人の腕前や重要度によって差がついていました。今はめちゃくちゃで一部の人だけが極端に値段が上がりそれ以外は同じくらいの腕前の職人でも全く値段が上がらないという状況になっています。

つまり職人の技量とか全く関係なく「名前」が知られているかで値段が決まるようになってきたということですね。一つはリーマンショック以降金融資産として考えられるようになったからです。その前は、銀行に楽器を買わせて音楽家に貸与するような話を持ち掛けても、楽器の値上がりは年率では少なすぎて資産運用のレベルには無いと断られていました。今は、ビジネスを起こしてお金持ちになると音楽に全然興味がない人までヴァイオリンを買うことが「儲け話」として時流に敏感な人たちに知られています。音や姿はどうでもよくリストから名前を見て購入を決めているのではないかと思うほどです。つまり弦楽器に詳しくない人が買っているということですね。

日本だけではなく中国や香港、台湾、他の新興国もみな弦楽器のコレクターに名乗りを上げてきました。むしろヨーロッパや日本の方が購買力が無いくらいです。西洋音楽の歴史の浅い人たちが銘柄で買っているでしょう。

ハッキリ言って音楽家が名器を買う時代は終わったのかもしれませんね。デビット・ギャレットのように「ポップスター」として有名になったり、日本でもテレビタレントとして活躍でもしない限り音楽だけを勉強して来た音楽家が自分で名器を買うというのは無理ですよ。

それこそ作者不明の値段がつかない楽器の中から音が良いものを探さないといけません。これはすでに前からそうですけども、音楽家の人が本当に良い楽器が欲しいならそうするべきだと思います。プロは無名な楽器を買い、弾けない資産家が名器を買うのです。


一方でこの相場というのが現実離れした出来事だとも言えます。ニュースでは聞くことでも自分の身の回りとは関係のない出来事のようです。例えばフランスで自国製モダンの名器を持っていた人が高齢で楽器を手放す時が来たとします。音大生やオーケストラ奏者などが欲しがることでしょう。お店に置いていて音大生やオケ奏者が買える値段は相場よりもずっと安いです。このため楽器の販売が成立する値段が世界の相場よりははるかに安い地元の相場というのが存在することでしょう。地元で楽器が巡っている時と、世界市場に流れ出たときで値段が全く違うのです。

これは日本でもあり得ます。90年代くらいからたくさんのイタリアの楽器が輸入されました。世界の相場に値上がりすると日本人は買える人がほとんどいなくて中古市場に余るということが考えられます。こうなると値引きせざるを得ず世界の相場よりもずっと安い日本の相場ができるかもしれません。
10年以上前に400万円で買った楽器が今の世界の相場では1000万円を超えているかもしれません。持ち主は喜ぶかもしれませんが、日本でそれを買う人がいるかというとその程度の楽器に1000万円も出して買う人はいないでしょう。売るのはとても難しくなります。500万円で良いと言えば売れるかもしれませんがそれが日本ローカルの相場です。うちのお店でもたくさんある楽器の値段が抜き並み上がっているのですから資産価値は倍増です。しかし、高い楽器を買えるお客さんは増えていません。値段を付け替えるとそのまま売れ残るだけです。

つまりヨーロッパや日本は世界の弦楽器市場から脱落するということです。名器の売買には全くついて行けなくなることでしょう。世界の相場とローカルの相場が全く違うということになって、「価値って何?」となります。世界では1000万円の価値のあるヴァイオリンですがヨーロッパや日本での実売価格は500万円ですとかよくわからないことになります。
ヨーロッパでも経済水準の低いイタリアでは当の昔にそうなっていて音楽家が自国の名器を買うことができません。

もっと言うと音楽家がやってくる楽器店のような店と、資産家がやって来る金融業者のような店で値段が違って来るのではないかということです。自分で演奏する人が買いに来た場合は音や使い心地がが気にいらないといくら価値があろうと楽器は売れません。わざわざ音が悪い楽器を何千万円も出して買うかということです。資産家はどんなに音が悪くても鑑定書が確かならかまいません。

もう値段について書くのが馬鹿らしくなるくらいの状況になっています。
初めて弦楽器を知って買う資産家と違って、ベテランの演奏者や先生などはだいたい値段のイメージを持っているものです。ありふれた物だと思っているものを不動産のような値段で買うことを良く思わないでしょう。


うちで現実に起きている変化は、初心者用の楽器さえも買わずにレンタルしようというお客さんが増えています。足元では生活費に追われて楽器に数十万円でもお金を用意できません。ヴァイオリン屋さんならたくさんヴァイオリンがあるからひとつくらい貸しくれてもいいじゃないかというくらい図々しいです。親戚のおじさんじゃないんですから。相場と音楽をやる人がかけ離れていきます。


バブルのような状況になっていますが今までは楽器の値段が下がったことがありません。

私は職人ですから、できるだけこのような茶番には関わらないことでしょう。弦楽器について知ることは人間について知ることになりますね。


高価な楽器の続報


1600万円で買ったというコントラバスの応急処置の修理が終わりました。コントラバスは部屋中が振動してそこかしこかビリビリ鳴ることがあります。それに比べると柔らかい音で迫力はありませんでした。柔らかいガット弦を張っているということもあるでしょうけども、1600万円の音とは思えませんでした。やはり傷んだ楽器の音でしょうか。

アレサンドロ・ガリアーノもコンサートマスターが調整に来ました。修理直後よりも少しスケールが大きくなったように思います。
その場で調整をすると音が太く豊かになり柔らかくなりました。低音も響くようになりました。それでも修理前のようなやたら柔らかい音ではなく、しっかりした音です。
修理前の音は、はっきりしないつかみどころのないよくわからない音でした。以前から知ってる楽器でしたが音の特徴を記述してきませんでした。それがいかにもオールド楽器らしい音になりました。まさに私の好きな音です。滑らかで潤いがあって美しい高音、深みのある暗い音色に、枯れた暖かみのある低音、そして堅苦しさのない伸びやかさ・・・。修理後は迫力も増したようですが、一通り弾き終わると静かな美しい曲をずっと弾いていました。音楽性にも影響があるようです。

音は人それぞれ好みがあって信じられないくらい個人差があります。音を調整する時でも、こちらは耳をふさぎたくなるくらい鋭い音で満足して帰っていく人もいます。技術者なのであくまで持ち主の要望に応えるのが仕事です。

ガリアーノの音はまさに私の好きな音です。他の人にはピンと来てないのでしょうかね?
もう一つ不思議は、無造作に作ってあるのに、ピンポイントで私の好む心地良い音になっていることです。
ああでもないこうでもないと加減をして音を作った作為的なものを感じません、ザザッと作ったらもうその音なのです。


それとも私が修理したから私の好きな音になったのでしょうか?
私は、ただ壊れている所を直して理屈通りに正しくしただけです。音がどうなるかは分からないままで作業していました。
おそらく楽器本来の音が出るようになっただけだと思います。それが私の好む音だったのです。修理で音を作っているわけではないので私がほかの楽器を修理してもオールド楽器の音にはなりません。

普段から私の趣味趣向はちょっとマニアックで変わっている方だと思っていますが、オールドの名器の音が好きなのですからむしろ王道です。
現実に楽器を買う人がそういう音を知らないで、比較して他よりも勝っていると思うものを選んでいたり、日本人のようにウンチクを信じて音を確かめずに楽器を買っているようです。



それから試験のために150~300万円位のチェロを短期間借りようという学生が来ました。「ちょっとの期間なんだから貸してくれてたっていいじゃないの?」という発想になっていますね。弦楽器店はボランティアなんでしょうか?

200万円のチェロで月のレンタル料を2万円とすると、元を取るのに8年4か月かかり
ますが、再び売るために駒や弦の交換をし、傷を補修するのに10万円では済みません。弦だけで5万円くらいするのですから、短期間でも全く得にはなりません。その間チェロを買いに来た人がいても試奏することもできません。


一通り楽器を試すと二つのチェロを気に入っていました。一つは以前紹介したミッテンバルトの1980年代のラインハルトのチェロです。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12861513963.html
私が修理した1982年の量産品ですが板がちゃんと薄くなるまで作ってあって低音が鳴り響きました。
もう一つはマルクノイキルヒェンの戦前の上級品で低級品にありがちな荒々しい耳障りな音は無く、豊かに明るく響きました。しかし低音は控えめです。この時代のものは手作業なので板を薄くする膨大な作業を節約しています。板がかなり厚いものが多いです。一方機械化が進んだ西ドイツのものは極端には薄くありませんがちゃんと薄く作ってありました。やはり板の厚さと低音の出方には関係があるようです。
100年もすれば低音に深みが増して来るでしょうがそれにも限界があります。
板の厚み次第でチェロでははっきりと低音が得意なものと、低音は諦めて高い方の音が得意なものがあります。
低音を捨てればマルクノイキルヒェンのものは鳴りがよく豊かに響きますが、低音が深く出ると魅力的ですね。学生本人も美しい音と言っていました。値段は半分くらいですからコスパが良いですね。西ドイツの量産チェロなども面白いですね。

他にはハンドメイドのチェロもありました。普通はハンドメイドではレンタル料を払うにしても予算オーバーですが、ハンドメイドでも安上がりに作られたものがあります。これは頓珍漢でバランスが悪く気持ちの悪い音でした。何とか手作りでチェロを作り上げたというだけで、音は量産品以下です。多くの人が買える値段でハンドメイドのものを作っても中途半端になって売れ残ってしまうことがあります。


それに対して無造作に作ってあるのに何とも言えない心地の良い、いかにもオールド楽器らしい音がするガリアーノは不思議です。前回したように、ただその時代の普通の楽器を作っただけでそんな音になるということでしょうね。

例えばストラディバリでも私も職人になる前は、科学的な知識が無くても試行錯誤をして良い音の楽器を作り出したと予想していました。しかし今考えると、教わって初めて作ったときからオールドらしい音の楽器を作れたのではないかと思います。師匠や先輩がみんなそんなものを作っているからです。
初めから私の好むような良い音の楽器が作れて、ずっと作り続けていくうちに手慣れて自分の癖が出来上がっていったと思います。もちろん1690年代に細長いものを作ってまたそれ以前のものに戻しているので試行錯誤はあるのですけども。
でも徐々に「良い音」を作れるようになっていったのではなくて、習った時から良い音がする楽器の作り方だったと思います。さらに癖が加わって近代の時代に万人受けしたのだと思います。アマティの癖が取れたと言った方が良いかもしれません。

試行錯誤をして世代ごとにだんだん音が良くなっていったのではなくアマティがヴァイオリンを作ったときにすでに「良い音」になっていたのではないかと思います。それが私にはとても面白い所です。もちろんバロック仕様のその時の音はまた違うでしょう。


私が作る楽器も系統としては近いものだと思います。多くの人は音を聞いているのではなくて、楽器の値段を聞いているのでしょう。そのような音を多くの人は高い値段だと言われないと良い音だとは思わないのかもしれません。
また音楽の道具として使いやすさというのは違うということもあるでしょう。

いずれにしても不思議なことに私が好きな音とオールドの名器の音が一致するのです。あくまで私の個人的な趣味にすぎません。他のものを気に入る人もいるという前提で考えないといけません。


最後に、ガリアーノを愛用するコンサートマスターが言っていたことです。ヴィヨームは全く弾き方が違うので、そのための弾き方を身につけないといけないと言っていました。それは1か月やそこらの話ではないそうです。
今回の修理後もまた半年から一年くらいかけて掘り下げていくと言っていました。それくらい別の楽器になった部分もあります。私はとても心配していましたが、修理後の楽器をとてもうれしく思っていると言っていました。バスバーの交換などは50年単位の修理なので数十年くらいでピークを迎えるでしょうし、ネックの角度=駒の高さももう少し下がって来るでしょう。私の感覚だと10~20年くらいでちょうどこなれてくるくらいと思っての修理です。その頃には楽器を弾いているかわからないと言っていましたが、まだまだクラシックの音楽家の中では若く見えます。

一度の試奏で楽器を選ぶのが難しいということでもあります。楽器との出会いは運命のようなことがあるでしょうね。

ちなみ張っていた弦はトマスティクのペーター・インフェルトにピラストロの金メッキのE線(オブリガート)でした。D線の金属がほつれていて今にも切れそうです。物理的な寿命を超えてもまだ使っているようです。近いうちに弦を交換すると言っていました。これだけボロボロの弦なら交換したらずっと音が良くなることでしょう。

今年はこれで仕事納めです。
休暇を頂くのでしばらく休みにします。
2025年はどうなるんでしょうか?よいお年を


弦楽器にあまり詳しくない無知な人でも知っている作者ほど高価ということですね。
一番無知な人でも知っているのがストラディバリです。
音楽や芸術、楽器の音や姿の美しさを本当にわかっているのでしょうかね?
こんにちはガリッポです。

まずは連絡から。
年末に帰国します、1月中は日本にいます。ただし、修理の依頼などもあり時間が十分にあるかわかりません。
この機会を待っていた方がいるかもしれませんのでどうしても御用の方は連絡をください。
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またできることが分かり次第お知らせします。


前回は1600万円ほどで買ったというコントラバスの話をしました。

あらためて見ても陥没がひどいですね。陥没は必ずしも音が悪くなるというわけでもありませんが、力強い音は出にくいと思います。弦の力に耐えきれていないという状態であることは間違いありません。したがって修理する方法があるかどうかも定かではありません。可能性としては石膏で型を取って、型を加工しそれに押し付けて板を薄くします。表板のの中央部分に板を張り付けて厚みを増します。理屈の上ではそうですが、実際にできるかどうかはわかりません。少なくとも型を持ち運ぶのに2人の人が必要でしょう。

数えきれないほどの割れ傷があり、虫食いがかなり酷そうです。虫食いは割れと違って直すのは困難です。
横板もひどいですね。

というわけで今回は応急処置のみということになりました。応急処置の費用は50万円ほどです。

駒だけでも高価なものです。
5弦用バスの駒を高さを指定して駒メーカーに特注で作ってもらいました。
ヴァイオリンの駒に比べると大きいですね。
これだけで通常の小売価格(消費者の払う値段)にすると500ユーロくらいになります。7~8万円ほどでしょうか。
これだけ買っても演奏はできませんから取り付けの工賃が別に必要になります。総額ではプロの演奏者のために最高品質で行えばさらに倍になります。

高品質なエンドピンです。見るからにしっかりしています。これも工賃抜きで3万円弱です。今回は穴が大きくなりすぎているのでそれを埋めます。

古い楽器を買うということはそれくらいのリスクが常にあるということです。
このバスでは5本の弦の力に耐えられていないです。上記の方法で直してもまた陥没するかもしれません。

中古楽器の場合には修理や付属部品が交換されているかいないかが大きな差になります。リサイクルショップや総合楽器店やギター店などには修理されていない中古楽器が売られていることがあります。もちろん、買ったけどすぐに挫折してほとんど使っていないというケースもあるかもしれませんが、修理済みのものが高い値段になるのは買った後に同じ費用が掛かるからです。

自分が修理した経験があればこれがいかに大変な作業か分かりますが音楽家は気楽なものです。確かに見た目は新品のものとは全然違って趣きがあるようにも見えますけども、楽器が汚れて傷んでるだけです。


古い物にはいろいろな幻想を持つわけですが、私がヴァイオリン職人を志したのも古い名器に憧れたことがあります。私のような人は少なくて、古い楽器に何も興味がないという職人が多いですね。師匠の教えや現在の流行の楽器を作る人が圧倒的に多いでしょう。
このため古い楽器について言われてきた知識も本当に調べたり見て言ってるのではなくてまた聞きの知識が多いようです。

日本語の文献でそういうことを言うのは私くらいのものでしょう。古い楽器についてよく見ていくと、何千万円やそれ以上するようなイタリアのオールド楽器でも当時は安価な楽器として右から左へとさっさと作られていたということが分かってきました。

何しろセールスマンは売ろうとしている品物を褒めてすごいものであるかのように思わせるようにします。神様のような名工が何もかも分かりきっていて音を作っていると思わせたいですし、そう思いたい弦楽器ファンも多いことでしょうし、職人でさえも例外ではありません。

しかし残念ながらそれは事実ではありません。本当に興味があるなら、名工を全知全能の神様として崇拝するのではなく、リアルな姿を知る方が面白いでしょう。

ドイツのオールド楽器について観察していると、シュタイナーに匹敵するクオリティのものがありません。皆がシュタイナーを尊敬し、それに近づけるように競い合っていたなら同じようなレベルのものが作られるはずです。実際にはそんなことは無く、一つ一つかなり違います。つまり個性があります。
イタリアでも全く同じで、アマティにそっくりで匹敵するものがありません。ストラディバリについても同じです。
アマティについては弟子のフランチェスコ・ルジエリの息子のビチェンツオなどはかなり高いクオリティのアマティ型の楽器を作っていますし、アントニオ・グラナーニは少し後の時代なのにアマティ的な高いクオリティの楽器を作っています。しかしそんなのはほんのわずかで皆が同じものを目指して競い合っていたというほどではありません。

これはあくまでその時代の人にとって「ヴァイオリンというのはこういうもの」というイメージに従って楽器を作っていたということだと思います。アマティやシュタイナーは目指すべき目標というよりも、ヴァイオリンとはこういうものだというイメージに影響を与えたと思います。そのイメージに基づいて、王侯貴族のような顧客に恵まれなければ厳密に考えずに安上がりな楽器を作っていたようです。ストラディバリの影響も1750年くらいから広まっていきますが完全なコピーを目指したのは近代になってからです。

今でもヴァイオリンの歴史を何も知らない中国の人が、たまたま近所にできたヴァイオリン工場に就職して作るヴァオリンのイメージは近代以降のヴァイオリンになっています。

つまりオールドの時代に「普通のヴァイオリン」と考えられていたものがオールドの作風であり、また地域によっても違いがあります。

職人たちは音がどうとかこうとか考えて作っていたのではなく、他の職人がするのと同じように「普通のヴァイオリン」をただ作っていただけではないかと思います。それが今になって独特の音があったりなかったりするのではないかと思います。

かつては、生活用品や仕事の道具などは何でも手作業で作っていました。今日ではそのようなものは殆どなくなりました。職人が手作りで作っても機械で作っても同じなら、機械で作ったものを売ったほうが儲かるからです。大量生産の技術が進歩したことで、庶民でも購入できるようになったということでもあります。現代の工業製品は機械で作ることを前提に発明されています。学校で習った産業革命というものです。

また現在の貨幣経済が浸透した西欧社会では高い生活費を維持するために高い生産性を求められます。一時間あたりにどれだけのお金を生み出すかが厳しく求められます。手作業で物を作るとなるととんでもなく高価になります。政治活動の勝利が物作りを難しくしました。
労働環境が劣悪な物価が安い国に移住しないといけないかもしれません。

それで職人の仕事が高級品に限られるようになり、我々のイメージする「職人」というのが高級品を作る人に偏っているように思います。しかし昔は、特別情熱や才能、こだわりのあるわけでも無い普通の人が仕事として、または農業ができない季節に作業をしていただけです。
多くのオールド楽器もそのように作られていたはずです。

ということはそのようなものは今では決して作られないということでもあります。アマティやシュタイナーのようなヴァイオリンのイメージを持っていて、生活の糧のために右から左へと作業をこなしている人なんていないのです。200年間洗練されてきたモダン楽器の製造法に比べ、オールド時代の楽器は製造上の「無駄」があるようです。

オールド楽器は手作りで雑に作られているものが多いですが、その時代の「ヴァイオリンとはこういうもの」というイメージが近代以降とは違います。それなので見分けがつきます。近代以降にも雑に作られた楽器はたくさんあります。

近代以降に雑に作られたものは雑さがイタリアのオールド楽器になんとなく似ていることがあると偽造ラベルが貼られます。しかし似ているのは古く見えるということと雑だというだけです。近代風の楽器を雑に作っただけです。ちゃんと勉強していない人や師匠の教えを守っていない人は近代風の楽器にもなっていませんがオールド風を理解しているわけではありません。
傷んで酷く汚れたりしていると実際よりも古く見えます。琥珀色のニスもオールドっぽく見えるかもしれません。真贋があやしい楽器があったときにオリジナルの作者について調べてみると、実は丁寧に作る人だったりします。そうなると何一つ似ているところがありません。しかしそのようなものでも一般の人は見分けがつかず、雰囲気でオールドっぽく見えるのでお金に興味がある業者にとっては「興味深い楽器」ということになります。

そうではなくて近代でもドイツやフランスでシュタイナー型のものが作られていました。シュタイナーは弦楽器の歴史的に重要な作者でマジーニなどともに、ストラドモデルに飽きて変わった趣向で作られました。しかしほとんどはひどく安価なもので似ても似つかないものです。

これは一見するとオールド楽器のように見えます。


アーチは高さがあるだけでなくドイツのオールド楽器のようにうまく再現されています。


こういうものはとても珍しいです。

ニスの色がドイツのオールド楽器という感じではありません。スクロールまでは再現していないようです。素朴さはありますがオールドの形ではありません。

継ネックをしているように見せかけてります。継ぎ目はひっかいて線を付けているだけで実際には木材は継ぎ足されていません。これをよく行ったのはマルクノイキルヒェンの量産品です。

パフリングはマルクノイキルヒェンで量産されていたもので真ん中の白い線がとても細いのが特徴です。

板の厚みを測ってみると現代的な厚めになっています。全体に0.5mmくらいは厚くなっています。

シュタイナーモデルの楽器としてはまれに見るよくできたアーチです。20世紀初めでこれほどのものはまず見たことがありません。それでも全体としてはチープなもので、近代の量産品の特徴があります。
ラベルなどは貼られておらず、特に贋作でも何でもありません。量産品の中では特殊な製品だったか、量産工場出身の職人が大都市などで古い楽器の修理の傍ら手作りで作っていたのかもしれません。オールド楽器に新しい表板がついていることがあります。そんな感じです。

それでもオールド楽器の音を再現するというには程遠いでしょう。もうちょっと高い完成度で作ってあればそれがたぐいまれな見事な楽器であると言えるでしょう。オールド楽器を模したものであっても、クオリティの差が分かる人には分かるのです。それでも音は好みの問題でしかありません。


ヴァイオリンなどの弦楽器が好きで、興味を持って本などを読みあさってきた人もいるかもしれません。
本にはイタリアにはストラディバリやデルジェスなどの天才がいて、それだけではなくて負けず劣らずの才能を持った巨匠たちが君臨した・・・。などとそんなことを書いてしまいます。富豪のコレクターたちはストラディバリやデルジェスをいくつか買うとそれ以外のものにも興味を持ち始めます。彼らに次ぐ天才は誰かというわけです。

それに対して私はデルジェスでさえも安価な楽器を雑に作っている職人だったと考えています。このことは本にも書かれていますが、読んだ人は深刻には受け止めず、国王クラスの顧客を持っていたストラディバリに比べれば安いだろうというくらいの受け止め方かもしれません。伝説ではパガニーニがギャンブルでベルゴンツィを失うとそれを案じた人からデルジェスをもらったそうです。当時ほんとうにただの安い楽器だったなら驚くほどの話ではありません。
それくらい安上りに作られています。スクロールは自分では作らずにお父さんが作っていました。大してこだわりも無かったからです。それがスクロールの彫り方ひとつで音が変わって、デルジェスのスクロールが雑なのは見た目ではなく音を作るためだったと考えるような人は病院に行ったほうが良いでしょう。

平凡な腕前の職人が雑に作っていたものが今では数千万円かそれ以上するのですが、それがすごく興味深い所です。

つまり、職人の動機や情熱などと結果としての音にはあまり関係が無いのではないかということです。

努力、挑戦、才能、根性、情熱、執念、夢…そのような現代の日本人が好きなイメージと全然違う世界があったのではないかと思います。それを本気で信じている人には理解できない世界でしょうね?

わたしだって若い頃はそうやって考えていたのが、そうじゃないということをオールド楽器に教わったのです。理解するには葛藤がありました。

修行を始めたときには先生や師匠から細かいことを注意されます。何年かしてようやくそのようなものが作れるようになったとき、オールド楽器を見る機会がやってきます。資料で調べることもできます。高価なオールド楽器は師匠が指摘した失敗をことごとくしているのです。

じゃあ適当でもいいんだと自分に都合のいいように解釈してオールド楽器のコピーとして売っている人が多くいます。でもそれは私から言えば現代風の楽器を雑に作っただけです。「反現代風」とも言えるかもしれません。しかしオールド風ではなくて師匠の教えに逆らっただけの反現代風なのです。

最初は雑に作るということを大げさに考えすぎてしまいます。売り物にならないレベルのものを作ってしまうこともしばしばです。近代以降もこのようなわざとらしいニセモノというものがあります。そうかと思えばオールド楽器でもアマティのように現代の職人でも油断できないクオリティのものがありそれを受け継いでいるものもあります。何でもかんでも雑というわけでもありません。ドイツのオールド楽器でも細部の細工は精巧にできていたりします。腕の良い職人が全力でやっても再現できるかわかりません。

そうじゃなくて本当の自然なオールドの「普通」というのが身に着くのが難しいですね。

職人が古い楽器を見たときの反応はいろいろあります。多いのは自分が作っているものとは全く違うのに「素晴らしい」と絶賛する人です。いざ自分が楽器を作る段階になるとオールド楽器からは何一つ取り入れません。値段が高いものを良いとする商人の価値観と現代基準の品質で評価する職人の価値観を時と場合によって使い分ける2枚舌タイプです。自分のことは棚に上げて政治家や芸能人のことを批判する時、自分が同じ立場にいたらできるだろうかとは考えないのと同じです。失言どころか私なら緊張して頓珍漢なことを言ってしまうでしょう。見た人は自分がもしその場にいたらとは考えずに「こいつはバカだな」と思うわけです。

頑固な職人では自分の楽器のほうが良くできていると古いものを全く認めない人もいます。自分の方がストラディバリよりも腕が上で、「当時にしてはよくできてるね」と上から言う人もいます。

ストラディバリと自分の楽器を同じだと思い込む人もいます。20世紀の主流派の偉い師匠です。

他には、「こんなのがなんでそんなに高いんだ?」という反応もあります。当時の安物ですからもっともです。
しかしお客さんにはこのようなことは言わないです。そのような楽器を手にするお金持ちの社会的地位の高い人に対して失礼があってはいけないと考えます。
その気遣いが滑稽な結果を生み出します。下手くそな職人の楽器をお世辞で絶賛するとそう思い込んでしまいます。

愛用のアレサンドロ・ガリアーノについてコンサートマスターの人は言っていました。ヴィヨームのほうが見た目は美しいが音は好みではない。見た目は「残念」だけども音ではガリアーノでないとダメだと言っていました。音楽家でもちゃんと職人として腕が良いわけでも何でもないガリアーノの音が良いということが分かっていらっしゃいます。代わりにヴィヨームの楽器を作っていた職人は当時の超一流の腕前だったことでしょう。
理屈上はヴィヨームの楽器の構造が正しいはずです。19世紀にはそう考えられていましたし、今でも主流派でしょう。しかし音は理屈の通りにはなりません。もちろんアインシュタインのような理論物理学者もいるので理論で考えるのがダメだとは言えません。しかし実際の音に興味がなく美しい理屈で満足しているのは別の趣味です。私にはその理屈すら納得できませんが・・・。

一方フランスの楽器も、ソリストやプロの演奏者の手で見事な演奏を聴くことができます。演奏技術を学ぶ学生などにはもってこいです。間違っているとも正しいとも言えません。ヴィヨームの愛用者に「ヴィヨームでは良い演奏ができるはずがない」とケンカを売るつもりはありません。あくまで好みの問題です。


これは面白いことでもありますが、職人に音を期待することが無理であるということでもあります。職人の間で正しいと信じられていることも音についてはあてになりません。

私は真空管のオーディオアンプを持っていますが、プリアンプには最初は中国製の真空管がついています。これを変えたら音が良くなるかというわけです。今では作っていないものですから、50年以上前に作られた真空管のストックを探して買うわけです。なぜか知らないけど欧米のマニアの人たちはアメリカのものの方がソ連のものよりも優れいてると信じている人がいます。イタリア製の楽器を求めるのと似ています。アメリカの人たちがそう考えていてそれを西ヨーロッパの人も踏襲しているのでしょうか。
日本ではソ連製が良いという人が結構多くいて、日本のマニアの人たちは中立な立場でもっと客観的なようです。日本の弦楽器マニアも同じような好奇心があると思います。


ソ連製の真空管をブルガリアから購入しました。もともと飛行機などにつける軍用の製品で備蓄されていて使われずじまいになっていました。耐久性に優れ民生用よりも寿命が長い仕様です。郵便で送っても壊れることは無いだろうというわけです。

中国製と取り換えてみると、中国製は昔のラジオみたいな音だったのに対してソ連製ではずっと自然な音になりました。それでも耳障りな音がしていました。真空管はこれも不思議なものでしばらく鳴らし込んだ方が音が良くなるというのです。アンプの説明書にも書いてありました。しかし鳴らし込んでも鋭いままでした。
予備として余分に買ってあったので一つ取り換えてみると耳障りな音が激減しました。測定値の揃ったものを買ったのですが、たまたまハズレ球を最初に使っていたようです。ソ連製の同じ銘柄のものでも一個一個音が違うのでしょう。そもそもオーディオ用に作られたわけではありません。様々な無線機や兵器などに使われたものです。この銘柄だから音が良いとか悪いとかそういうものではなく電子部品として定められた電圧や電流などの性能を持ったものというだけです。

音の好みやスピーカーなどの機材との相性の問題でもあります。私のスピーカーは制動が効きすぎているようです。一般的には緩すぎることが多いでしょう、一般に「高音質」と言われている事とは真逆の特性が私には求められます。このため評判の良い高いアンプほど良いというわけではありません。それで真空管アンプとしては「ローエンド」の一番安いものを使っています。安いと言ってもマニア以外向けの製品は無いジャンルなので家電製品からしたら高いでしょう。同様の機能は今の技術なら小さな半導体チップ一枚でしょう。

真空管は半導体によってとって変わられました。大きな電力を必要とする割には小さな出力しか得られないからです。故障も多く品質はバラバラで、サイズも大きく小型の製品を作る妨げになります。そんな理由で使われなくなってきました。しかし今になって独特の音があると見直されてきています。真空管が現役だった当時は音が良いと選ばれたのではなくそれしかありませんでした。半導体のトランジスタが主流になっても根強いファンがいて、デジタル時代の今に愛好家が増えています。
真空管マニアの世界もカルト宗教染みてくるところもあるので私は「結果としての音」だけを重視しています。真空管はなぜ音が良いのかという理屈も誰かが言い出した謎の理屈を聞きかじって専門家ぶっている素人が多いようです。趣味の入門知識はみんなそんなのです。

弦楽器もそれに似ています。現在の工業製品の考え方では理解できません。
弓でこすると音が出て、弦を抑える位置で音程が変わるように作られています。それ以上のことは職人には何も保証できません。音とは関係なく品質が高いかどうかだけです。真空管と同じように近代以降作られなくなったタイプの弦楽器にも魅力的な音があるように私は思います。一方品質はバラバラで別のガリアーノ家のものでは表板が陥没し強い音やスケールの大きな音が全く出ないものがありました。


アーチが作られる理由も、弦の圧力で壊れないようにするためと、弓が表板の縁にぶつからないように駒を高くするためだったかもしれません。しかし後の時代にそんなに高くなくても大丈夫だと分かりました。平らなアーチのほうが機能的で量産に向いています。真空管も時代とともに小型化していきますが、音で失われたものがあるようです。高いアーチのほうが力のかかり方が複雑で陥没のリスクがあります。
音については本当にどうなのかはわかりません。


当ブログでは正しく弦楽器を理解することで日本人の職人の過小評価を分かってもらうのも趣旨の一つです。現代の職人は世界中変わらないということを日本の外から伝えています。

技術者の地位が低いということは日本ではよく言われていますよね。弦楽器業界でも同じです。それが値段にも表れています。前回の記事のコメント欄で解説しました。

ビジネスでは安く作ることが何よりも求められるので、実験して売り物にならない楽器を作る余裕がありません。職人の間で信じられてる理屈の通りに作るしかないのです。


うちの店は社長含めて働いているのは皆職人で営業の仕事もしています。

営業マンの言ってることはある程度以上思慮深い人には納得できないと思います。当ブログの読者の方に実際にお会いすると「うすうす気づいていたことを語ってくれている」とおしゃってくれる方がよくいます。当ブログで技術者のお墨付きとなれば皆さんも自分の考えを信じる自信となることでしょう。


こんにちはガリッポです。

私が近ごろ心を痛めていることがあります。こちらではモノの値段が滅茶苦茶になっていることです。当ブログでも当初の頃に言っていた値段は全く今では意味を成しません。

一昔前では50万円位のヴァイオリンが今では200万円になっていてもおかしくありません。安物と馬鹿にされていたヴァイオリンの価値が認められ今では高価なものですが、それは私が安すぎると指摘したことが是正されたことでもあります。

一方で新品の値段は異常に上がっているようです。生活費も上がっているからです。いかにもニスは人工樹脂で機械を多用して作られたただの量産品というものが100万円近くになっています。ハンドメイドが250万円くらいですから100万円でも量産品の安物というわけです。弦楽器に限らずネット時代になって、当初は安いものが大量に出回りました。消費者は買った商品をすぐにゴミに出した経験をしたことでしょう。そこでブランド名が物を言う時代になって来たようです。有名メーカーの商品の値段がどんどん上がっていきます。弦楽器はそういうものはむしろビジネス目的の商品であり個人の職人が作るものが上等と考えられてきました。ネット時代には専門家と直接会うこともなくそんなことも知らずにウンチクの「ストーリー」がついていると500万円でも1000万円でも買う人が出て来てしまっています。
ヨーロッパでは電気自動車を推進しましたが、電気自動車がエンジン車よりも値段が高いのがネックでした。そこでヨーロッパ最大手のフォルクスワーゲンは「電気自動車の方が安い」とアピールしましたが、エンジン車の値段を高くしただけです。ベーシックな1500㏄ガソリン車のコンパクトカーが500~550万円にもなりました。前のモデルは220万円~でした。さすがに販売不振で工場閉鎖も決定されました。やることが極端ですね。
賃上げや再生エネルギーの推進などもコストの増加に影響しているはずです、工場はコストの安い国に移されて行きます。製造業は壊滅です。
一方サービス業はそれを受けるために外国まで出向くわけにもいかず国際競争が生じません。
外食でスパゲティのミートソースを食べようものなら水を付けたら最低2000円です。
我々も楽器の製造ではなく修理や販売に専念するしかないのかもしれません。

300円位だったウィットナーのE線アジャスターも1000円を超えています。オンラインショップでは価格改定が遅れている業者は500円以下ですから、最近倍くらいの値段になったのでした。ウィットナーの製品はベーシックなものでマニアたちはバカにしてもっと高価なものに交換するものでした。そのうちウィットナーも高級品とみなされることでしょう。アジャスターひとつで1000円にもなるのですから、古い楽器を修理に出して部品を交換なんてすればすぐに10万円ですよ。


①インフレ
日本では長らくデフレに悩まされていましたが、世界は右肩上がりに物価が上がっていました。こちらでは毎年ストライキが紛糾し電車の運賃は年に2度くらい値上げされています。日本に帰ると20年前と運賃が同じでビックリします。
ガソリン代が上がると鉄道の利用者が増えることでしょう、まるで利用者が増えないようにするために鉄道会社は運賃値上げで対抗しているようです。仕事は楽にして収入は増やそうと日本人には無い天才的な才能があります。
特にウクライナで戦争がはじまると食料品などの値段が高騰しました。ウクライナがチェルノーゼム土の穀倉地帯と学校で習ったのが懐かしく思います。
小麦が値上がりするのは分かりますが、それにつられて米の値段が上がりました。ヨーロッパではスペインやイタリアでお米が作られていてあきたこまちやコシヒカリなどの品種を寿司用の米として生産しています。私も「イタリア産のコシヒカリ」を買っていましたが値上がりが滅茶苦茶でした。10㎏で5000円位だったのが今は5㎏で5600円を超えます。今年に入って日本産のほうがイタリアやカリフォルニア産よりも安くなっています。輸出量も急増したことでしょう。これが日本でのコメ価格の上昇に影響したかどうかは分かりません。


つまり、楽器の値段についても原理原則が崩壊しています。
古い考え方のままの業者なら驚くほど安い値段で売られていることもあるでしょうね。こんなものは50万円位だという考えと時流に敏感で200万円でも買う人がいると異なる考え方の店が同時に存在することになっています。



自己主張の強いヨーロッパの人たちは賃上げや値上げをためらわずに行うため賃金が上昇し工場が安い国に移っていきます。増えた給料で中国製品を高い値段で買って暮らすことになります。今日において幸せなのは粗悪品に満足できる無神経な人でしょう。見た目がカラフルで派手ならSNS映えするものです。値段は倍でも飛ぶように売れます。ブランド名やストーリーで値段が何倍にもなります。


②円安
私は経済の専門家ではありませんが、ここのところ投資家のように円相場を見ています。ヨーロッパでは8%を超えるようなインフレがあり、その時日本の人たちは値上げをためらっていました。
酷いインフレに対してヨーロッパ中央銀行は金利を上げて対策をしています。その結果ユーロが買われてユーロ高になっているとのことです。アメリカも同じです。
欧米の方はインフレは少し落ち着いてきて、日本の方が今は我慢が限界を超えて来たことでしょう。経常収支は黒字が増加していますが国内消費は減退するとのことです。欧米でもインフレは油断ならない状況で目に見えて商品の値上げが続いています。

今年ユーロは過去最高を記録し170円を超えました。100円以下だった時もあります。100円位の頃は計算が楽でした。物価の値上がりも入れると120万円くらいだったハンドメイドの新作楽器の値段が250万円になります。中古楽器は鳴りが良いのにメーカーにアピールされないのではるかに割安です。

今週は下がり始め160円を切っています。それでも2023年の水準に戻っただけです。
毎年年末は下がって、年の後半に高くなるようですから、どっちに行くはわかりません。トランプ政権も円相場にどんな影響を与えるでしょうか?憶測が飛び交って値動きしています。


こんな状況で私の身の回りで起きている変化は楽器を買わなくなったことです。
子供用の楽器ではレンタルをする人がほとんどになってきました。買う人がまずいません。最近は大人用のフルサイズでもレンタルの問い合わせが多くなってきました。もはや若い世代には物を買うという考え方自体が古いのかもしれません。

③有名メーカーの値上がり
リーマンショック以降金融資産の価値が暴落することがあると気づいた人たちが、古物を投機対象にするようになっています。ここで重要なのは値上がりする「銘柄」であって楽器の質や音とは関係ありません。このことはブログでも再三取り上げてきました。コロナの時も暇な時間が増えたせいか、古物を買いあさる動きが出てきたように思います。様々なジャンルで古物の値段が上がっているようです。

名前が有名であると何倍ものお金を払うことになると「賢い楽器購入法」を指南してきましたが、現在の問題は普通の商品の適正価格でさえ青天井なことです。


これは1980年代の西ドイツのブーベンロイト製のビオラです。

メーカーはアロイス・サンドナーで今でもあります。初代の職人はチェコのシェーンバッハで修行し終戦後西ドイツに移り1950年代にはジャズギターの製造に力を入れていたようです。
西ドイツ製と言ってもボヘミアの流派ということです。いかにも量産品という感じです。

スクロールはこれはいかにも戦後の量産品という感じで機械で作られたものです。もう少し昔なら量産品でもスクロールだけを専門に作る職人の作ったものを使っていました。現在では機械の性能が上がっています。鈴木バイオリンなどと同様で西ドイツでは近代的な大量生産によって安価な製品が作られていました。しかしドイツや日本のような工業国の時代は終わりました。高級ブランドと業務用製品に特化するしかありません。
かつてはそうではなく安価なものが作られていました。日本に輸入されたドイツ製の楽器のほとんどはこのようなものでドイツの楽器が安物だという認識が広まりました。

同じメーカーの現在の製品を見て見ましょう。


ニスは光沢が無く、木材は低級で強く着色されています。そのため杢に奥行き感がありません。
もはやボヘミアの特徴も無くなっています。裏板を見比べれば80年代の製品の方が美しいことは分かるでしょう。

ドイツのメーカーですが生産地については書かれていません。工場は中国にあるのではないかと思います。今でも安価な製品で10万円にも満たないものから高くでも30万円台です。したがって80年代のものは当時安ものであってもそれ以上しないとおかしいですね。

この楽器はヴァイオリンのサイズなのですが子供用のビオラになります。違いは横板の高さです。1/2のビオラでは4/4のヴァイオリンよりも横板が高く作らています。それが音に意味があるかは疑問です。実際手元にヴァイオリンがあるならそれにビオラの弦を張ればわざわざ買う必要はありません。
大きさが揃っているのがこのメーカーの強みですが、チェロに至るまで形はどれもそっくりです。コンピュータ上で拡大縮小をして製造しているのでしょうね。

安いものを作るために合理的に生産された西ドイツの量産品ですが、まだ弦楽器の美意識がありました。今は中国製になってなんでも良くなっています。

前回は修理では損傷を受けて失われた部分を再現するのも修理の仕事だということを述べました。これはその当時の人と同じ美意識を共有することで失われた部分を想像することができます。修理の仕事は楽器が作れるだけでなく異なる時代の人たちと美意識を共有できるかという問題でもあります。従て我が強い人には難しいでしょう。現実にはヴァイオリン職人を志しても新作楽器の製造は難しすぎるので習得できずに修理の仕事をしている人が多いでしょう。修理のほうが難しいと思います。
前回から話しているマティアス・ホルンシュタイナーの修理です。

ペグボックスの形が独特ですが過去の修理によって失われているところがあります。指板を取り換える時にペグボックスまで削ってしまうのです。

今回モダン仕様にするため継ネックをします。この時に切り取ったオリジナルのネックを失われた部分に貼り付けました。

ネックはオリジナルのバロック時代のものに木材をつけ足して長さを長くしてありました。上にも板を足して角度を調整して、下にも足してあります。それでも角度が低すぎるのでもはや限界です、継ネックをする以外では正しい角度や長さにできません。

作られた当時の様子がこれに近かったのではないかと思います。カーブが不自然になっていました。本に別のホルンシュタイナーのビオラが出ていたのでそれも参考にしました。この方が自然になります。

さらに継ネックを施します。


これで継ネックをしただけでなく過去の修理で失われた部分を復元しました。同じ木材を使っているのでつけ足した部分の違和感がありません。それに対して継ネックした部分は新しく見えます。オリジナルのネックが残っていないとできない手法です。

もちろん古くなって自然と摩耗した部分は戻せませんが、過去のがさつな修理によって失われた部分は再現されました。
こんな違いも誰が分かるかと言えばおそらく誰も分からないでしょうね。
過去の弦楽器の美意識を共有していない中国の楽器や現代の作者のものを修理できるかわかりません。




これはオールドのコントラバスです。5弦になっています。10万ユーロ(1600万円)で購入したものだそうです。

当然横板はバキバキです。

表板はひどく変形しています。アーチは膨らんだカーブのはずですが、画像に線を引いてみるとこんな様子です。
これを修理しようものなら百万円単位の修理代です。
開けたら最後何百万円かかるかわかりません。こんな状態の楽器に1600万円も出して買ってしまうなんて職人には信じられません。世界に知られたオペラ劇場のバス奏者です、さすがに裕福ですね。音楽家とは頭の仕組みが違うのかもしれません。それくらい演奏者と職人では楽器の評価が異なります。


工業製品というのは人類の英知の結晶であり人生を共にする相棒でもあります。
それに対して現代の有名企業の製品がいかに高い値段で売れるかということを考えて作っているように思います。かつては良いものを作るにはコストがかかり、製造コストが値段を表していたものです。自分が消費者となると物を買うのがバカバカしくなります。


生活コストが上がることで私たちも作業の対価として頂く代金も上昇します。継ネックの作業のように古い状態を再現するように手間をかけると数万円修理代が上がってしまいます。自分がやっていることが職業として成立するのかというのが疑問になってきました。それに気づかないがさつで適当な職人のほうが「仕事ができる」ということになるでしょうし、消費者もクオリティに気付かない方が幸せです。

ヨーロッパの生活費が高くなってしまうと私はベストを尽くして仕事ができなくなっていきます。日本は貧しくなったと思っている人もいるかもしれませんが、諸外国が数字上所得が高くても高額な粗悪品に囲まれて暮らしているだけかもしれません。

修行僧のような暮らしをするしか仕事を全うできないかもしれません。