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ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

年末に帰国するという話をしています。スケジュールは固まってきていますが、1月中は運が良ければ日程が合うかもしれません。この機会を待っていたという用のある方は問い合わせください。
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楽器の値段や相場などの話を当ブログでもずっとしてきました。しかしそれらがすべて過去の知識となるかもしれません。
最新の相場を知ることができるようになりました。

初めに謝らないといけません。
ここのところアレサンドロ・ガリアーノの話をしてきました。値段は最高で5000万円位と言っていたと思います。最新のデータによると1億2000万円以上でした。謹んでお詫び申し上げます。アレサンドロ・ガリアーノがそれだけ上がるのは「ストラディバリの弟子」という古い誤情報が未だに広まっているのでしょうかね?私が見ると何一つストラディバリの特徴が無いように見えます。
4000万円と言っていたヴィヨームは5000万円位です。ヴィヨームは若い時だけ本人が作っていて、私も見たことがありますが、リュポーそっくりの楽器でした。晩年は弟子や下請けの職人に作られせていました。かつては本人が作ったものは値段がずっと高いという考えもありましたが、今はそのような区別はなくヴィヨームと名前がつけば何でも4500万円は超えてくるということだそうです。

ミッテンバルトのマティアス・ホルンシュタイナーのことも書きました。こちらは400万円位と書きましたが正しくは400万円位です。・・・つまり何も変わっていません。物価上昇を考えると下がっていることになります。

イタリアの楽器が倍以上になっているのに対してミッテンバルトの楽器は値段はそのままです。

つまり最新の相場では知名度が高く値段が高い楽器がさらに高くなり、ちょっと無名だと何も値段が上がらないという感じです。
オランダのオールド楽器も以前紹介しましたがこれもお値段据置です。


一方マルクノイキルヒェンのパウル・クノアは200万円位と紹介しましたが、400万円位です。マルクノイキルヒェンの近代の作者では有名な人です。他のマルクノイキルヒェンの作者では名前すら出ていません。楽器自体はきれいではありますが他の近代の楽器とさほど変わらず音も鋭い強い音がしました。

ボヘミア近代のマティアス・ハイニケでも300万円以上になりました。これは当然の値段だと思います。今までが安すぎました。

私が仕事を始めたころはフランスの一流の作者のチェロが800万円くらいすると驚いていましたが、そのうち同じ値段でミルクールの量産品しか買えなくなるでしょう。今は一流のフランスのチェロは3000万円位ざらです。

値段の上がり方の速度がとんでもないです。5年くらいで倍以上です。ミッテンバルトでもクロッツ家になるとちょっと上がっていて、ホルンシュタイナーでは全く上がっていないということで、作者の職人としての格は全く関係なく、金融商品として値段が上がっているようです。

ミッテンバルトの作者で見てみるとヨーゼフ・カントゥーシャが700万円近い値段になっています。ドイツ系のオールド楽器ではシュタイナーに次いで有名なクロッツ家のゲオルグ・クロッツと同等でミッテンバルトを代表するホルンシュタイナーよりも高い値段になっています。
またヴィヨームの弟子でミッテンバルトに近代的なヴァイオリン製作をもたらしたルドビヒ・ノイナーが380万円位です。見事な腕前でまさにヴィヨームそのものでしたが19世紀の楽器でドイツのモダン楽器の中でも最高水準の楽器です、カントゥーシャの半分の値段というのはおかしいですね。ヴィヨームと変わらないだけでなくロッカよりもクオリティは上、現代のミッテンバルトの楽器製作を世界のトップレベルまで引き上げた郷土の英雄で一番偉い職人です。そのような歴史をだれも知らないので、現代の作者の方が有名で値段が高くなっているというおかしな状況です。カントゥーシャのヴァイオリンはいくつか見たことがありますが、音はやや鋭く明るい音でごく普通の現代の楽器の音でした。
アマティは曲線に特徴があり、ストラディバリはその特徴が控えめになっていて分かりにくいですが近代の一流の職人は理解しています。
カントゥーシャはアマティやストラディバリのエレガントさがまったくありません、過去を勉強しないと失われてしまうのです。形が独特でどれも全く同じ形、変な形なので弟子以外は真似をしないでしょう。そのため鑑定はしやすいです。見た目は変わっていても音は普通の新作楽器でした。普通と違う音なら意見が分かれるでしょうがよくある普通の音というのが一番つまらないです。当地ミッテンバルトではすでに忘れられているようです。クレモナでも同じですがその後同等以上の楽器を作る職人が増えたということです。
今までの相場は同じ産地の中で古いものほど高価でした。オークションの価格を参考にしながらもヴァイオリン製作の歴史上の重要度や歴史的な価値を考慮した値段のつけ方だったのが、ただ単にオークションの結果になったようです。


また、私はよくヴァイオリン製作学校の生徒よりも劣るヴァイオリンという話をしますが、イタリアの戦後の作者でまさにヴァイオリン製作学校の生徒よりも劣るようなものが800万円以上します。


グランチーノやテストーレと言ったミラノのチープなオールドヴァイオリンでも8000万円位です。億に届くのは時間の問題でしょう。

ガリアーノのように明らかに音が違う楽器を求めるなら、1億円くらいはするということですね。
極端な話逆に1億以下は50万円でも音は個体差や好みの範疇です。
少なくとも100万円でも1000万円でも音のレベルはそのくらいの価格差じゃ変わらないということです。それくらいちょっとでも有名な作者の楽器がガーンと値段が上がって、同じ流派でそっくりな楽器を作っていても無名だと全く値段が上がらないという状況になっています。

かつては流派ごとに格段の差はあったものの、同じ流派の中では、職人の腕前や重要度によって差がついていました。今はめちゃくちゃで一部の人だけが極端に値段が上がりそれ以外は同じくらいの腕前の職人でも全く値段が上がらないという状況になっています。

つまり職人の技量とか全く関係なく「名前」が知られているかで値段が決まるようになってきたということですね。一つはリーマンショック以降金融資産として考えられるようになったからです。その前は、銀行に楽器を買わせて音楽家に貸与するような話を持ち掛けても、楽器の値上がりは年率では少なすぎて資産運用のレベルには無いと断られていました。今は、ビジネスを起こしてお金持ちになると音楽に全然興味がない人までヴァイオリンを買うことが「儲け話」として時流に敏感な人たちに知られています。音や姿はどうでもよくリストから名前を見て購入を決めているのではないかと思うほどです。つまり弦楽器に詳しくない人が買っているということですね。

日本だけではなく中国や香港、台湾、他の新興国もみな弦楽器のコレクターに名乗りを上げてきました。むしろヨーロッパや日本の方が購買力が無いくらいです。西洋音楽の歴史の浅い人たちが銘柄で買っているでしょう。

ハッキリ言って音楽家が名器を買う時代は終わったのかもしれませんね。デビット・ギャレットのように「ポップスター」として有名になったり、日本でもテレビタレントとして活躍でもしない限り音楽だけを勉強して来た音楽家が自分で名器を買うというのは無理ですよ。

それこそ作者不明の値段がつかない楽器の中から音が良いものを探さないといけません。これはすでに前からそうですけども、音楽家の人が本当に良い楽器が欲しいならそうするべきだと思います。プロは無名な楽器を買い、弾けない資産家が名器を買うのです。


一方でこの相場というのが現実離れした出来事だとも言えます。ニュースでは聞くことでも自分の身の回りとは関係のない出来事のようです。例えばフランスで自国製モダンの名器を持っていた人が高齢で楽器を手放す時が来たとします。音大生やオーケストラ奏者などが欲しがることでしょう。お店に置いていて音大生やオケ奏者が買える値段は相場よりもずっと安いです。このため楽器の販売が成立する値段が世界の相場よりははるかに安い地元の相場というのが存在することでしょう。地元で楽器が巡っている時と、世界市場に流れ出たときで値段が全く違うのです。

これは日本でもあり得ます。90年代くらいからたくさんのイタリアの楽器が輸入されました。世界の相場に値上がりすると日本人は買える人がほとんどいなくて中古市場に余るということが考えられます。こうなると値引きせざるを得ず世界の相場よりもずっと安い日本の相場ができるかもしれません。
10年以上前に400万円で買った楽器が今の世界の相場では1000万円を超えているかもしれません。持ち主は喜ぶかもしれませんが、日本でそれを買う人がいるかというとその程度の楽器に1000万円も出して買う人はいないでしょう。売るのはとても難しくなります。500万円で良いと言えば売れるかもしれませんがそれが日本ローカルの相場です。うちのお店でもたくさんある楽器の値段が抜き並み上がっているのですから資産価値は倍増です。しかし、高い楽器を買えるお客さんは増えていません。値段を付け替えるとそのまま売れ残るだけです。

つまりヨーロッパや日本は世界の弦楽器市場から脱落するということです。名器の売買には全くついて行けなくなることでしょう。世界の相場とローカルの相場が全く違うということになって、「価値って何?」となります。世界では1000万円の価値のあるヴァイオリンですがヨーロッパや日本での実売価格は500万円ですとかよくわからないことになります。
ヨーロッパでも経済水準の低いイタリアでは当の昔にそうなっていて音楽家が自国の名器を買うことができません。

もっと言うと音楽家がやってくる楽器店のような店と、資産家がやって来る金融業者のような店で値段が違って来るのではないかということです。自分で演奏する人が買いに来た場合は音や使い心地がが気にいらないといくら価値があろうと楽器は売れません。わざわざ音が悪い楽器を何千万円も出して買うかということです。資産家はどんなに音が悪くても鑑定書が確かならかまいません。

もう値段について書くのが馬鹿らしくなるくらいの状況になっています。
初めて弦楽器を知って買う資産家と違って、ベテランの演奏者や先生などはだいたい値段のイメージを持っているものです。ありふれた物だと思っているものを不動産のような値段で買うことを良く思わないでしょう。


うちで現実に起きている変化は、初心者用の楽器さえも買わずにレンタルしようというお客さんが増えています。足元では生活費に追われて楽器に数十万円でもお金を用意できません。ヴァイオリン屋さんならたくさんヴァイオリンがあるからひとつくらい貸しくれてもいいじゃないかというくらい図々しいです。親戚のおじさんじゃないんですから。相場と音楽をやる人がかけ離れていきます。


バブルのような状況になっていますが今までは楽器の値段が下がったことがありません。

私は職人ですから、できるだけこのような茶番には関わらないことでしょう。弦楽器について知ることは人間について知ることになりますね。


高価な楽器の続報


1600万円で買ったというコントラバスの応急処置の修理が終わりました。コントラバスは部屋中が振動してそこかしこかビリビリ鳴ることがあります。それに比べると柔らかい音で迫力はありませんでした。柔らかいガット弦を張っているということもあるでしょうけども、1600万円の音とは思えませんでした。やはり傷んだ楽器の音でしょうか。

アレサンドロ・ガリアーノもコンサートマスターが調整に来ました。修理直後よりも少しスケールが大きくなったように思います。
その場で調整をすると音が太く豊かになり柔らかくなりました。低音も響くようになりました。それでも修理前のようなやたら柔らかい音ではなく、しっかりした音です。
修理前の音は、はっきりしないつかみどころのないよくわからない音でした。以前から知ってる楽器でしたが音の特徴を記述してきませんでした。それがいかにもオールド楽器らしい音になりました。まさに私の好きな音です。滑らかで潤いがあって美しい高音、深みのある暗い音色に、枯れた暖かみのある低音、そして堅苦しさのない伸びやかさ・・・。修理後は迫力も増したようですが、一通り弾き終わると静かな美しい曲をずっと弾いていました。音楽性にも影響があるようです。

音は人それぞれ好みがあって信じられないくらい個人差があります。音を調整する時でも、こちらは耳をふさぎたくなるくらい鋭い音で満足して帰っていく人もいます。技術者なのであくまで持ち主の要望に応えるのが仕事です。

ガリアーノの音はまさに私の好きな音です。他の人にはピンと来てないのでしょうかね?
もう一つ不思議は、無造作に作ってあるのに、ピンポイントで私の好む心地良い音になっていることです。
ああでもないこうでもないと加減をして音を作った作為的なものを感じません、ザザッと作ったらもうその音なのです。


それとも私が修理したから私の好きな音になったのでしょうか?
私は、ただ壊れている所を直して理屈通りに正しくしただけです。音がどうなるかは分からないままで作業していました。
おそらく楽器本来の音が出るようになっただけだと思います。それが私の好む音だったのです。修理で音を作っているわけではないので私がほかの楽器を修理してもオールド楽器の音にはなりません。

普段から私の趣味趣向はちょっとマニアックで変わっている方だと思っていますが、オールドの名器の音が好きなのですからむしろ王道です。
現実に楽器を買う人がそういう音を知らないで、比較して他よりも勝っていると思うものを選んでいたり、日本人のようにウンチクを信じて音を確かめずに楽器を買っているようです。



それから試験のために150~300万円位のチェロを短期間借りようという学生が来ました。「ちょっとの期間なんだから貸してくれてたっていいじゃないの?」という発想になっていますね。弦楽器店はボランティアなんでしょうか?

200万円のチェロで月のレンタル料を2万円とすると、元を取るのに8年4か月かかり
ますが、再び売るために駒や弦の交換をし、傷を補修するのに10万円では済みません。弦だけで5万円くらいするのですから、短期間でも全く得にはなりません。その間チェロを買いに来た人がいても試奏することもできません。


一通り楽器を試すと二つのチェロを気に入っていました。一つは以前紹介したミッテンバルトの1980年代のラインハルトのチェロです。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12861513963.html
私が修理した1982年の量産品ですが板がちゃんと薄くなるまで作ってあって低音が鳴り響きました。
もう一つはマルクノイキルヒェンの戦前の上級品で低級品にありがちな荒々しい耳障りな音は無く、豊かに明るく響きました。しかし低音は控えめです。この時代のものは手作業なので板を薄くする膨大な作業を節約しています。板がかなり厚いものが多いです。一方機械化が進んだ西ドイツのものは極端には薄くありませんがちゃんと薄く作ってありました。やはり板の厚さと低音の出方には関係があるようです。
100年もすれば低音に深みが増して来るでしょうがそれにも限界があります。
板の厚み次第でチェロでははっきりと低音が得意なものと、低音は諦めて高い方の音が得意なものがあります。
低音を捨てればマルクノイキルヒェンのものは鳴りがよく豊かに響きますが、低音が深く出ると魅力的ですね。学生本人も美しい音と言っていました。値段は半分くらいですからコスパが良いですね。西ドイツの量産チェロなども面白いですね。

他にはハンドメイドのチェロもありました。普通はハンドメイドではレンタル料を払うにしても予算オーバーですが、ハンドメイドでも安上がりに作られたものがあります。これは頓珍漢でバランスが悪く気持ちの悪い音でした。何とか手作りでチェロを作り上げたというだけで、音は量産品以下です。多くの人が買える値段でハンドメイドのものを作っても中途半端になって売れ残ってしまうことがあります。


それに対して無造作に作ってあるのに何とも言えない心地の良い、いかにもオールド楽器らしい音がするガリアーノは不思議です。前回したように、ただその時代の普通の楽器を作っただけでそんな音になるということでしょうね。

例えばストラディバリでも私も職人になる前は、科学的な知識が無くても試行錯誤をして良い音の楽器を作り出したと予想していました。しかし今考えると、教わって初めて作ったときからオールドらしい音の楽器を作れたのではないかと思います。師匠や先輩がみんなそんなものを作っているからです。
初めから私の好むような良い音の楽器が作れて、ずっと作り続けていくうちに手慣れて自分の癖が出来上がっていったと思います。もちろん1690年代に細長いものを作ってまたそれ以前のものに戻しているので試行錯誤はあるのですけども。
でも徐々に「良い音」を作れるようになっていったのではなくて、習った時から良い音がする楽器の作り方だったと思います。さらに癖が加わって近代の時代に万人受けしたのだと思います。アマティの癖が取れたと言った方が良いかもしれません。

試行錯誤をして世代ごとにだんだん音が良くなっていったのではなくアマティがヴァイオリンを作ったときにすでに「良い音」になっていたのではないかと思います。それが私にはとても面白い所です。もちろんバロック仕様のその時の音はまた違うでしょう。


私が作る楽器も系統としては近いものだと思います。多くの人は音を聞いているのではなくて、楽器の値段を聞いているのでしょう。そのような音を多くの人は高い値段だと言われないと良い音だとは思わないのかもしれません。
また音楽の道具として使いやすさというのは違うということもあるでしょう。

いずれにしても不思議なことに私が好きな音とオールドの名器の音が一致するのです。あくまで私の個人的な趣味にすぎません。他のものを気に入る人もいるという前提で考えないといけません。


最後に、ガリアーノを愛用するコンサートマスターが言っていたことです。ヴィヨームは全く弾き方が違うので、そのための弾き方を身につけないといけないと言っていました。それは1か月やそこらの話ではないそうです。
今回の修理後もまた半年から一年くらいかけて掘り下げていくと言っていました。それくらい別の楽器になった部分もあります。私はとても心配していましたが、修理後の楽器をとてもうれしく思っていると言っていました。バスバーの交換などは50年単位の修理なので数十年くらいでピークを迎えるでしょうし、ネックの角度=駒の高さももう少し下がって来るでしょう。私の感覚だと10~20年くらいでちょうどこなれてくるくらいと思っての修理です。その頃には楽器を弾いているかわからないと言っていましたが、まだまだクラシックの音楽家の中では若く見えます。

一度の試奏で楽器を選ぶのが難しいということでもあります。楽器との出会いは運命のようなことがあるでしょうね。

ちなみ張っていた弦はトマスティクのペーター・インフェルトにピラストロの金メッキのE線(オブリガート)でした。D線の金属がほつれていて今にも切れそうです。物理的な寿命を超えてもまだ使っているようです。近いうちに弦を交換すると言っていました。これだけボロボロの弦なら交換したらずっと音が良くなることでしょう。

今年はこれで仕事納めです。
休暇を頂くのでしばらく休みにします。
2025年はどうなるんでしょうか?よいお年を


弦楽器にあまり詳しくない無知な人でも知っている作者ほど高価ということですね。
一番無知な人でも知っているのがストラディバリです。
音楽や芸術、楽器の音や姿の美しさを本当にわかっているのでしょうかね?
こんにちはガリッポです。

まずは連絡から。
年末に帰国します、1月中は日本にいます。ただし、修理の依頼などもあり時間が十分にあるかわかりません。
この機会を待っていた方がいるかもしれませんのでどうしても御用の方は連絡をください。
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またできることが分かり次第お知らせします。


前回は1600万円ほどで買ったというコントラバスの話をしました。

あらためて見ても陥没がひどいですね。陥没は必ずしも音が悪くなるというわけでもありませんが、力強い音は出にくいと思います。弦の力に耐えきれていないという状態であることは間違いありません。したがって修理する方法があるかどうかも定かではありません。可能性としては石膏で型を取って、型を加工しそれに押し付けて板を薄くします。表板のの中央部分に板を張り付けて厚みを増します。理屈の上ではそうですが、実際にできるかどうかはわかりません。少なくとも型を持ち運ぶのに2人の人が必要でしょう。

数えきれないほどの割れ傷があり、虫食いがかなり酷そうです。虫食いは割れと違って直すのは困難です。
横板もひどいですね。

というわけで今回は応急処置のみということになりました。応急処置の費用は50万円ほどです。

駒だけでも高価なものです。
5弦用バスの駒を高さを指定して駒メーカーに特注で作ってもらいました。
ヴァイオリンの駒に比べると大きいですね。
これだけで通常の小売価格(消費者の払う値段)にすると500ユーロくらいになります。7~8万円ほどでしょうか。
これだけ買っても演奏はできませんから取り付けの工賃が別に必要になります。総額ではプロの演奏者のために最高品質で行えばさらに倍になります。

高品質なエンドピンです。見るからにしっかりしています。これも工賃抜きで3万円弱です。今回は穴が大きくなりすぎているのでそれを埋めます。

古い楽器を買うということはそれくらいのリスクが常にあるということです。
このバスでは5本の弦の力に耐えられていないです。上記の方法で直してもまた陥没するかもしれません。

中古楽器の場合には修理や付属部品が交換されているかいないかが大きな差になります。リサイクルショップや総合楽器店やギター店などには修理されていない中古楽器が売られていることがあります。もちろん、買ったけどすぐに挫折してほとんど使っていないというケースもあるかもしれませんが、修理済みのものが高い値段になるのは買った後に同じ費用が掛かるからです。

自分が修理した経験があればこれがいかに大変な作業か分かりますが音楽家は気楽なものです。確かに見た目は新品のものとは全然違って趣きがあるようにも見えますけども、楽器が汚れて傷んでるだけです。


古い物にはいろいろな幻想を持つわけですが、私がヴァイオリン職人を志したのも古い名器に憧れたことがあります。私のような人は少なくて、古い楽器に何も興味がないという職人が多いですね。師匠の教えや現在の流行の楽器を作る人が圧倒的に多いでしょう。
このため古い楽器について言われてきた知識も本当に調べたり見て言ってるのではなくてまた聞きの知識が多いようです。

日本語の文献でそういうことを言うのは私くらいのものでしょう。古い楽器についてよく見ていくと、何千万円やそれ以上するようなイタリアのオールド楽器でも当時は安価な楽器として右から左へとさっさと作られていたということが分かってきました。

何しろセールスマンは売ろうとしている品物を褒めてすごいものであるかのように思わせるようにします。神様のような名工が何もかも分かりきっていて音を作っていると思わせたいですし、そう思いたい弦楽器ファンも多いことでしょうし、職人でさえも例外ではありません。

しかし残念ながらそれは事実ではありません。本当に興味があるなら、名工を全知全能の神様として崇拝するのではなく、リアルな姿を知る方が面白いでしょう。

ドイツのオールド楽器について観察していると、シュタイナーに匹敵するクオリティのものがありません。皆がシュタイナーを尊敬し、それに近づけるように競い合っていたなら同じようなレベルのものが作られるはずです。実際にはそんなことは無く、一つ一つかなり違います。つまり個性があります。
イタリアでも全く同じで、アマティにそっくりで匹敵するものがありません。ストラディバリについても同じです。
アマティについては弟子のフランチェスコ・ルジエリの息子のビチェンツオなどはかなり高いクオリティのアマティ型の楽器を作っていますし、アントニオ・グラナーニは少し後の時代なのにアマティ的な高いクオリティの楽器を作っています。しかしそんなのはほんのわずかで皆が同じものを目指して競い合っていたというほどではありません。

これはあくまでその時代の人にとって「ヴァイオリンというのはこういうもの」というイメージに従って楽器を作っていたということだと思います。アマティやシュタイナーは目指すべき目標というよりも、ヴァイオリンとはこういうものだというイメージに影響を与えたと思います。そのイメージに基づいて、王侯貴族のような顧客に恵まれなければ厳密に考えずに安上がりな楽器を作っていたようです。ストラディバリの影響も1750年くらいから広まっていきますが完全なコピーを目指したのは近代になってからです。

今でもヴァイオリンの歴史を何も知らない中国の人が、たまたま近所にできたヴァイオリン工場に就職して作るヴァオリンのイメージは近代以降のヴァイオリンになっています。

つまりオールドの時代に「普通のヴァイオリン」と考えられていたものがオールドの作風であり、また地域によっても違いがあります。

職人たちは音がどうとかこうとか考えて作っていたのではなく、他の職人がするのと同じように「普通のヴァイオリン」をただ作っていただけではないかと思います。それが今になって独特の音があったりなかったりするのではないかと思います。

かつては、生活用品や仕事の道具などは何でも手作業で作っていました。今日ではそのようなものは殆どなくなりました。職人が手作りで作っても機械で作っても同じなら、機械で作ったものを売ったほうが儲かるからです。大量生産の技術が進歩したことで、庶民でも購入できるようになったということでもあります。現代の工業製品は機械で作ることを前提に発明されています。学校で習った産業革命というものです。

また現在の貨幣経済が浸透した西欧社会では高い生活費を維持するために高い生産性を求められます。一時間あたりにどれだけのお金を生み出すかが厳しく求められます。手作業で物を作るとなるととんでもなく高価になります。政治活動の勝利が物作りを難しくしました。
労働環境が劣悪な物価が安い国に移住しないといけないかもしれません。

それで職人の仕事が高級品に限られるようになり、我々のイメージする「職人」というのが高級品を作る人に偏っているように思います。しかし昔は、特別情熱や才能、こだわりのあるわけでも無い普通の人が仕事として、または農業ができない季節に作業をしていただけです。
多くのオールド楽器もそのように作られていたはずです。

ということはそのようなものは今では決して作られないということでもあります。アマティやシュタイナーのようなヴァイオリンのイメージを持っていて、生活の糧のために右から左へと作業をこなしている人なんていないのです。200年間洗練されてきたモダン楽器の製造法に比べ、オールド時代の楽器は製造上の「無駄」があるようです。

オールド楽器は手作りで雑に作られているものが多いですが、その時代の「ヴァイオリンとはこういうもの」というイメージが近代以降とは違います。それなので見分けがつきます。近代以降にも雑に作られた楽器はたくさんあります。

近代以降に雑に作られたものは雑さがイタリアのオールド楽器になんとなく似ていることがあると偽造ラベルが貼られます。しかし似ているのは古く見えるということと雑だというだけです。近代風の楽器を雑に作っただけです。ちゃんと勉強していない人や師匠の教えを守っていない人は近代風の楽器にもなっていませんがオールド風を理解しているわけではありません。
傷んで酷く汚れたりしていると実際よりも古く見えます。琥珀色のニスもオールドっぽく見えるかもしれません。真贋があやしい楽器があったときにオリジナルの作者について調べてみると、実は丁寧に作る人だったりします。そうなると何一つ似ているところがありません。しかしそのようなものでも一般の人は見分けがつかず、雰囲気でオールドっぽく見えるのでお金に興味がある業者にとっては「興味深い楽器」ということになります。

そうではなくて近代でもドイツやフランスでシュタイナー型のものが作られていました。シュタイナーは弦楽器の歴史的に重要な作者でマジーニなどともに、ストラドモデルに飽きて変わった趣向で作られました。しかしほとんどはひどく安価なもので似ても似つかないものです。

これは一見するとオールド楽器のように見えます。


アーチは高さがあるだけでなくドイツのオールド楽器のようにうまく再現されています。


こういうものはとても珍しいです。

ニスの色がドイツのオールド楽器という感じではありません。スクロールまでは再現していないようです。素朴さはありますがオールドの形ではありません。

継ネックをしているように見せかけてります。継ぎ目はひっかいて線を付けているだけで実際には木材は継ぎ足されていません。これをよく行ったのはマルクノイキルヒェンの量産品です。

パフリングはマルクノイキルヒェンで量産されていたもので真ん中の白い線がとても細いのが特徴です。

板の厚みを測ってみると現代的な厚めになっています。全体に0.5mmくらいは厚くなっています。

シュタイナーモデルの楽器としてはまれに見るよくできたアーチです。20世紀初めでこれほどのものはまず見たことがありません。それでも全体としてはチープなもので、近代の量産品の特徴があります。
ラベルなどは貼られておらず、特に贋作でも何でもありません。量産品の中では特殊な製品だったか、量産工場出身の職人が大都市などで古い楽器の修理の傍ら手作りで作っていたのかもしれません。オールド楽器に新しい表板がついていることがあります。そんな感じです。

それでもオールド楽器の音を再現するというには程遠いでしょう。もうちょっと高い完成度で作ってあればそれがたぐいまれな見事な楽器であると言えるでしょう。オールド楽器を模したものであっても、クオリティの差が分かる人には分かるのです。それでも音は好みの問題でしかありません。


ヴァイオリンなどの弦楽器が好きで、興味を持って本などを読みあさってきた人もいるかもしれません。
本にはイタリアにはストラディバリやデルジェスなどの天才がいて、それだけではなくて負けず劣らずの才能を持った巨匠たちが君臨した・・・。などとそんなことを書いてしまいます。富豪のコレクターたちはストラディバリやデルジェスをいくつか買うとそれ以外のものにも興味を持ち始めます。彼らに次ぐ天才は誰かというわけです。

それに対して私はデルジェスでさえも安価な楽器を雑に作っている職人だったと考えています。このことは本にも書かれていますが、読んだ人は深刻には受け止めず、国王クラスの顧客を持っていたストラディバリに比べれば安いだろうというくらいの受け止め方かもしれません。伝説ではパガニーニがギャンブルでベルゴンツィを失うとそれを案じた人からデルジェスをもらったそうです。当時ほんとうにただの安い楽器だったなら驚くほどの話ではありません。
それくらい安上りに作られています。スクロールは自分では作らずにお父さんが作っていました。大してこだわりも無かったからです。それがスクロールの彫り方ひとつで音が変わって、デルジェスのスクロールが雑なのは見た目ではなく音を作るためだったと考えるような人は病院に行ったほうが良いでしょう。

平凡な腕前の職人が雑に作っていたものが今では数千万円かそれ以上するのですが、それがすごく興味深い所です。

つまり、職人の動機や情熱などと結果としての音にはあまり関係が無いのではないかということです。

努力、挑戦、才能、根性、情熱、執念、夢…そのような現代の日本人が好きなイメージと全然違う世界があったのではないかと思います。それを本気で信じている人には理解できない世界でしょうね?

わたしだって若い頃はそうやって考えていたのが、そうじゃないということをオールド楽器に教わったのです。理解するには葛藤がありました。

修行を始めたときには先生や師匠から細かいことを注意されます。何年かしてようやくそのようなものが作れるようになったとき、オールド楽器を見る機会がやってきます。資料で調べることもできます。高価なオールド楽器は師匠が指摘した失敗をことごとくしているのです。

じゃあ適当でもいいんだと自分に都合のいいように解釈してオールド楽器のコピーとして売っている人が多くいます。でもそれは私から言えば現代風の楽器を雑に作っただけです。「反現代風」とも言えるかもしれません。しかしオールド風ではなくて師匠の教えに逆らっただけの反現代風なのです。

最初は雑に作るということを大げさに考えすぎてしまいます。売り物にならないレベルのものを作ってしまうこともしばしばです。近代以降もこのようなわざとらしいニセモノというものがあります。そうかと思えばオールド楽器でもアマティのように現代の職人でも油断できないクオリティのものがありそれを受け継いでいるものもあります。何でもかんでも雑というわけでもありません。ドイツのオールド楽器でも細部の細工は精巧にできていたりします。腕の良い職人が全力でやっても再現できるかわかりません。

そうじゃなくて本当の自然なオールドの「普通」というのが身に着くのが難しいですね。

職人が古い楽器を見たときの反応はいろいろあります。多いのは自分が作っているものとは全く違うのに「素晴らしい」と絶賛する人です。いざ自分が楽器を作る段階になるとオールド楽器からは何一つ取り入れません。値段が高いものを良いとする商人の価値観と現代基準の品質で評価する職人の価値観を時と場合によって使い分ける2枚舌タイプです。自分のことは棚に上げて政治家や芸能人のことを批判する時、自分が同じ立場にいたらできるだろうかとは考えないのと同じです。失言どころか私なら緊張して頓珍漢なことを言ってしまうでしょう。見た人は自分がもしその場にいたらとは考えずに「こいつはバカだな」と思うわけです。

頑固な職人では自分の楽器のほうが良くできていると古いものを全く認めない人もいます。自分の方がストラディバリよりも腕が上で、「当時にしてはよくできてるね」と上から言う人もいます。

ストラディバリと自分の楽器を同じだと思い込む人もいます。20世紀の主流派の偉い師匠です。

他には、「こんなのがなんでそんなに高いんだ?」という反応もあります。当時の安物ですからもっともです。
しかしお客さんにはこのようなことは言わないです。そのような楽器を手にするお金持ちの社会的地位の高い人に対して失礼があってはいけないと考えます。
その気遣いが滑稽な結果を生み出します。下手くそな職人の楽器をお世辞で絶賛するとそう思い込んでしまいます。

愛用のアレサンドロ・ガリアーノについてコンサートマスターの人は言っていました。ヴィヨームのほうが見た目は美しいが音は好みではない。見た目は「残念」だけども音ではガリアーノでないとダメだと言っていました。音楽家でもちゃんと職人として腕が良いわけでも何でもないガリアーノの音が良いということが分かっていらっしゃいます。代わりにヴィヨームの楽器を作っていた職人は当時の超一流の腕前だったことでしょう。
理屈上はヴィヨームの楽器の構造が正しいはずです。19世紀にはそう考えられていましたし、今でも主流派でしょう。しかし音は理屈の通りにはなりません。もちろんアインシュタインのような理論物理学者もいるので理論で考えるのがダメだとは言えません。しかし実際の音に興味がなく美しい理屈で満足しているのは別の趣味です。私にはその理屈すら納得できませんが・・・。

一方フランスの楽器も、ソリストやプロの演奏者の手で見事な演奏を聴くことができます。演奏技術を学ぶ学生などにはもってこいです。間違っているとも正しいとも言えません。ヴィヨームの愛用者に「ヴィヨームでは良い演奏ができるはずがない」とケンカを売るつもりはありません。あくまで好みの問題です。


これは面白いことでもありますが、職人に音を期待することが無理であるということでもあります。職人の間で正しいと信じられていることも音についてはあてになりません。

私は真空管のオーディオアンプを持っていますが、プリアンプには最初は中国製の真空管がついています。これを変えたら音が良くなるかというわけです。今では作っていないものですから、50年以上前に作られた真空管のストックを探して買うわけです。なぜか知らないけど欧米のマニアの人たちはアメリカのものの方がソ連のものよりも優れいてると信じている人がいます。イタリア製の楽器を求めるのと似ています。アメリカの人たちがそう考えていてそれを西ヨーロッパの人も踏襲しているのでしょうか。
日本ではソ連製が良いという人が結構多くいて、日本のマニアの人たちは中立な立場でもっと客観的なようです。日本の弦楽器マニアも同じような好奇心があると思います。


ソ連製の真空管をブルガリアから購入しました。もともと飛行機などにつける軍用の製品で備蓄されていて使われずじまいになっていました。耐久性に優れ民生用よりも寿命が長い仕様です。郵便で送っても壊れることは無いだろうというわけです。

中国製と取り換えてみると、中国製は昔のラジオみたいな音だったのに対してソ連製ではずっと自然な音になりました。それでも耳障りな音がしていました。真空管はこれも不思議なものでしばらく鳴らし込んだ方が音が良くなるというのです。アンプの説明書にも書いてありました。しかし鳴らし込んでも鋭いままでした。
予備として余分に買ってあったので一つ取り換えてみると耳障りな音が激減しました。測定値の揃ったものを買ったのですが、たまたまハズレ球を最初に使っていたようです。ソ連製の同じ銘柄のものでも一個一個音が違うのでしょう。そもそもオーディオ用に作られたわけではありません。様々な無線機や兵器などに使われたものです。この銘柄だから音が良いとか悪いとかそういうものではなく電子部品として定められた電圧や電流などの性能を持ったものというだけです。

音の好みやスピーカーなどの機材との相性の問題でもあります。私のスピーカーは制動が効きすぎているようです。一般的には緩すぎることが多いでしょう、一般に「高音質」と言われている事とは真逆の特性が私には求められます。このため評判の良い高いアンプほど良いというわけではありません。それで真空管アンプとしては「ローエンド」の一番安いものを使っています。安いと言ってもマニア以外向けの製品は無いジャンルなので家電製品からしたら高いでしょう。同様の機能は今の技術なら小さな半導体チップ一枚でしょう。

真空管は半導体によってとって変わられました。大きな電力を必要とする割には小さな出力しか得られないからです。故障も多く品質はバラバラで、サイズも大きく小型の製品を作る妨げになります。そんな理由で使われなくなってきました。しかし今になって独特の音があると見直されてきています。真空管が現役だった当時は音が良いと選ばれたのではなくそれしかありませんでした。半導体のトランジスタが主流になっても根強いファンがいて、デジタル時代の今に愛好家が増えています。
真空管マニアの世界もカルト宗教染みてくるところもあるので私は「結果としての音」だけを重視しています。真空管はなぜ音が良いのかという理屈も誰かが言い出した謎の理屈を聞きかじって専門家ぶっている素人が多いようです。趣味の入門知識はみんなそんなのです。

弦楽器もそれに似ています。現在の工業製品の考え方では理解できません。
弓でこすると音が出て、弦を抑える位置で音程が変わるように作られています。それ以上のことは職人には何も保証できません。音とは関係なく品質が高いかどうかだけです。真空管と同じように近代以降作られなくなったタイプの弦楽器にも魅力的な音があるように私は思います。一方品質はバラバラで別のガリアーノ家のものでは表板が陥没し強い音やスケールの大きな音が全く出ないものがありました。


アーチが作られる理由も、弦の圧力で壊れないようにするためと、弓が表板の縁にぶつからないように駒を高くするためだったかもしれません。しかし後の時代にそんなに高くなくても大丈夫だと分かりました。平らなアーチのほうが機能的で量産に向いています。真空管も時代とともに小型化していきますが、音で失われたものがあるようです。高いアーチのほうが力のかかり方が複雑で陥没のリスクがあります。
音については本当にどうなのかはわかりません。


当ブログでは正しく弦楽器を理解することで日本人の職人の過小評価を分かってもらうのも趣旨の一つです。現代の職人は世界中変わらないということを日本の外から伝えています。

技術者の地位が低いということは日本ではよく言われていますよね。弦楽器業界でも同じです。それが値段にも表れています。前回の記事のコメント欄で解説しました。

ビジネスでは安く作ることが何よりも求められるので、実験して売り物にならない楽器を作る余裕がありません。職人の間で信じられてる理屈の通りに作るしかないのです。


うちの店は社長含めて働いているのは皆職人で営業の仕事もしています。

営業マンの言ってることはある程度以上思慮深い人には納得できないと思います。当ブログの読者の方に実際にお会いすると「うすうす気づいていたことを語ってくれている」とおしゃってくれる方がよくいます。当ブログで技術者のお墨付きとなれば皆さんも自分の考えを信じる自信となることでしょう。


こんにちはガリッポです。

私が近ごろ心を痛めていることがあります。こちらではモノの値段が滅茶苦茶になっていることです。当ブログでも当初の頃に言っていた値段は全く今では意味を成しません。

一昔前では50万円位のヴァイオリンが今では200万円になっていてもおかしくありません。安物と馬鹿にされていたヴァイオリンの価値が認められ今では高価なものですが、それは私が安すぎると指摘したことが是正されたことでもあります。

一方で新品の値段は異常に上がっているようです。生活費も上がっているからです。いかにもニスは人工樹脂で機械を多用して作られたただの量産品というものが100万円近くになっています。ハンドメイドが250万円くらいですから100万円でも量産品の安物というわけです。弦楽器に限らずネット時代になって、当初は安いものが大量に出回りました。消費者は買った商品をすぐにゴミに出した経験をしたことでしょう。そこでブランド名が物を言う時代になって来たようです。有名メーカーの商品の値段がどんどん上がっていきます。弦楽器はそういうものはむしろビジネス目的の商品であり個人の職人が作るものが上等と考えられてきました。ネット時代には専門家と直接会うこともなくそんなことも知らずにウンチクの「ストーリー」がついていると500万円でも1000万円でも買う人が出て来てしまっています。
ヨーロッパでは電気自動車を推進しましたが、電気自動車がエンジン車よりも値段が高いのがネックでした。そこでヨーロッパ最大手のフォルクスワーゲンは「電気自動車の方が安い」とアピールしましたが、エンジン車の値段を高くしただけです。ベーシックな1500㏄ガソリン車のコンパクトカーが500~550万円にもなりました。前のモデルは220万円~でした。さすがに販売不振で工場閉鎖も決定されました。やることが極端ですね。
賃上げや再生エネルギーの推進などもコストの増加に影響しているはずです、工場はコストの安い国に移されて行きます。製造業は壊滅です。
一方サービス業はそれを受けるために外国まで出向くわけにもいかず国際競争が生じません。
外食でスパゲティのミートソースを食べようものなら水を付けたら最低2000円です。
我々も楽器の製造ではなく修理や販売に専念するしかないのかもしれません。

300円位だったウィットナーのE線アジャスターも1000円を超えています。オンラインショップでは価格改定が遅れている業者は500円以下ですから、最近倍くらいの値段になったのでした。ウィットナーの製品はベーシックなものでマニアたちはバカにしてもっと高価なものに交換するものでした。そのうちウィットナーも高級品とみなされることでしょう。アジャスターひとつで1000円にもなるのですから、古い楽器を修理に出して部品を交換なんてすればすぐに10万円ですよ。


①インフレ
日本では長らくデフレに悩まされていましたが、世界は右肩上がりに物価が上がっていました。こちらでは毎年ストライキが紛糾し電車の運賃は年に2度くらい値上げされています。日本に帰ると20年前と運賃が同じでビックリします。
ガソリン代が上がると鉄道の利用者が増えることでしょう、まるで利用者が増えないようにするために鉄道会社は運賃値上げで対抗しているようです。仕事は楽にして収入は増やそうと日本人には無い天才的な才能があります。
特にウクライナで戦争がはじまると食料品などの値段が高騰しました。ウクライナがチェルノーゼム土の穀倉地帯と学校で習ったのが懐かしく思います。
小麦が値上がりするのは分かりますが、それにつられて米の値段が上がりました。ヨーロッパではスペインやイタリアでお米が作られていてあきたこまちやコシヒカリなどの品種を寿司用の米として生産しています。私も「イタリア産のコシヒカリ」を買っていましたが値上がりが滅茶苦茶でした。10㎏で5000円位だったのが今は5㎏で5600円を超えます。今年に入って日本産のほうがイタリアやカリフォルニア産よりも安くなっています。輸出量も急増したことでしょう。これが日本でのコメ価格の上昇に影響したかどうかは分かりません。


つまり、楽器の値段についても原理原則が崩壊しています。
古い考え方のままの業者なら驚くほど安い値段で売られていることもあるでしょうね。こんなものは50万円位だという考えと時流に敏感で200万円でも買う人がいると異なる考え方の店が同時に存在することになっています。



自己主張の強いヨーロッパの人たちは賃上げや値上げをためらわずに行うため賃金が上昇し工場が安い国に移っていきます。増えた給料で中国製品を高い値段で買って暮らすことになります。今日において幸せなのは粗悪品に満足できる無神経な人でしょう。見た目がカラフルで派手ならSNS映えするものです。値段は倍でも飛ぶように売れます。ブランド名やストーリーで値段が何倍にもなります。


②円安
私は経済の専門家ではありませんが、ここのところ投資家のように円相場を見ています。ヨーロッパでは8%を超えるようなインフレがあり、その時日本の人たちは値上げをためらっていました。
酷いインフレに対してヨーロッパ中央銀行は金利を上げて対策をしています。その結果ユーロが買われてユーロ高になっているとのことです。アメリカも同じです。
欧米の方はインフレは少し落ち着いてきて、日本の方が今は我慢が限界を超えて来たことでしょう。経常収支は黒字が増加していますが国内消費は減退するとのことです。欧米でもインフレは油断ならない状況で目に見えて商品の値上げが続いています。

今年ユーロは過去最高を記録し170円を超えました。100円以下だった時もあります。100円位の頃は計算が楽でした。物価の値上がりも入れると120万円くらいだったハンドメイドの新作楽器の値段が250万円になります。中古楽器は鳴りが良いのにメーカーにアピールされないのではるかに割安です。

今週は下がり始め160円を切っています。それでも2023年の水準に戻っただけです。
毎年年末は下がって、年の後半に高くなるようですから、どっちに行くはわかりません。トランプ政権も円相場にどんな影響を与えるでしょうか?憶測が飛び交って値動きしています。


こんな状況で私の身の回りで起きている変化は楽器を買わなくなったことです。
子供用の楽器ではレンタルをする人がほとんどになってきました。買う人がまずいません。最近は大人用のフルサイズでもレンタルの問い合わせが多くなってきました。もはや若い世代には物を買うという考え方自体が古いのかもしれません。

③有名メーカーの値上がり
リーマンショック以降金融資産の価値が暴落することがあると気づいた人たちが、古物を投機対象にするようになっています。ここで重要なのは値上がりする「銘柄」であって楽器の質や音とは関係ありません。このことはブログでも再三取り上げてきました。コロナの時も暇な時間が増えたせいか、古物を買いあさる動きが出てきたように思います。様々なジャンルで古物の値段が上がっているようです。

名前が有名であると何倍ものお金を払うことになると「賢い楽器購入法」を指南してきましたが、現在の問題は普通の商品の適正価格でさえ青天井なことです。


これは1980年代の西ドイツのブーベンロイト製のビオラです。

メーカーはアロイス・サンドナーで今でもあります。初代の職人はチェコのシェーンバッハで修行し終戦後西ドイツに移り1950年代にはジャズギターの製造に力を入れていたようです。
西ドイツ製と言ってもボヘミアの流派ということです。いかにも量産品という感じです。

スクロールはこれはいかにも戦後の量産品という感じで機械で作られたものです。もう少し昔なら量産品でもスクロールだけを専門に作る職人の作ったものを使っていました。現在では機械の性能が上がっています。鈴木バイオリンなどと同様で西ドイツでは近代的な大量生産によって安価な製品が作られていました。しかしドイツや日本のような工業国の時代は終わりました。高級ブランドと業務用製品に特化するしかありません。
かつてはそうではなく安価なものが作られていました。日本に輸入されたドイツ製の楽器のほとんどはこのようなものでドイツの楽器が安物だという認識が広まりました。

同じメーカーの現在の製品を見て見ましょう。


ニスは光沢が無く、木材は低級で強く着色されています。そのため杢に奥行き感がありません。
もはやボヘミアの特徴も無くなっています。裏板を見比べれば80年代の製品の方が美しいことは分かるでしょう。

ドイツのメーカーですが生産地については書かれていません。工場は中国にあるのではないかと思います。今でも安価な製品で10万円にも満たないものから高くでも30万円台です。したがって80年代のものは当時安ものであってもそれ以上しないとおかしいですね。

この楽器はヴァイオリンのサイズなのですが子供用のビオラになります。違いは横板の高さです。1/2のビオラでは4/4のヴァイオリンよりも横板が高く作らています。それが音に意味があるかは疑問です。実際手元にヴァイオリンがあるならそれにビオラの弦を張ればわざわざ買う必要はありません。
大きさが揃っているのがこのメーカーの強みですが、チェロに至るまで形はどれもそっくりです。コンピュータ上で拡大縮小をして製造しているのでしょうね。

安いものを作るために合理的に生産された西ドイツの量産品ですが、まだ弦楽器の美意識がありました。今は中国製になってなんでも良くなっています。

前回は修理では損傷を受けて失われた部分を再現するのも修理の仕事だということを述べました。これはその当時の人と同じ美意識を共有することで失われた部分を想像することができます。修理の仕事は楽器が作れるだけでなく異なる時代の人たちと美意識を共有できるかという問題でもあります。従て我が強い人には難しいでしょう。現実にはヴァイオリン職人を志しても新作楽器の製造は難しすぎるので習得できずに修理の仕事をしている人が多いでしょう。修理のほうが難しいと思います。
前回から話しているマティアス・ホルンシュタイナーの修理です。

ペグボックスの形が独特ですが過去の修理によって失われているところがあります。指板を取り換える時にペグボックスまで削ってしまうのです。

今回モダン仕様にするため継ネックをします。この時に切り取ったオリジナルのネックを失われた部分に貼り付けました。

ネックはオリジナルのバロック時代のものに木材をつけ足して長さを長くしてありました。上にも板を足して角度を調整して、下にも足してあります。それでも角度が低すぎるのでもはや限界です、継ネックをする以外では正しい角度や長さにできません。

作られた当時の様子がこれに近かったのではないかと思います。カーブが不自然になっていました。本に別のホルンシュタイナーのビオラが出ていたのでそれも参考にしました。この方が自然になります。

さらに継ネックを施します。


これで継ネックをしただけでなく過去の修理で失われた部分を復元しました。同じ木材を使っているのでつけ足した部分の違和感がありません。それに対して継ネックした部分は新しく見えます。オリジナルのネックが残っていないとできない手法です。

もちろん古くなって自然と摩耗した部分は戻せませんが、過去のがさつな修理によって失われた部分は再現されました。
こんな違いも誰が分かるかと言えばおそらく誰も分からないでしょうね。
過去の弦楽器の美意識を共有していない中国の楽器や現代の作者のものを修理できるかわかりません。




これはオールドのコントラバスです。5弦になっています。10万ユーロ(1600万円)で購入したものだそうです。

当然横板はバキバキです。

表板はひどく変形しています。アーチは膨らんだカーブのはずですが、画像に線を引いてみるとこんな様子です。
これを修理しようものなら百万円単位の修理代です。
開けたら最後何百万円かかるかわかりません。こんな状態の楽器に1600万円も出して買ってしまうなんて職人には信じられません。世界に知られたオペラ劇場のバス奏者です、さすがに裕福ですね。音楽家とは頭の仕組みが違うのかもしれません。それくらい演奏者と職人では楽器の評価が異なります。


工業製品というのは人類の英知の結晶であり人生を共にする相棒でもあります。
それに対して現代の有名企業の製品がいかに高い値段で売れるかということを考えて作っているように思います。かつては良いものを作るにはコストがかかり、製造コストが値段を表していたものです。自分が消費者となると物を買うのがバカバカしくなります。


生活コストが上がることで私たちも作業の対価として頂く代金も上昇します。継ネックの作業のように古い状態を再現するように手間をかけると数万円修理代が上がってしまいます。自分がやっていることが職業として成立するのかというのが疑問になってきました。それに気づかないがさつで適当な職人のほうが「仕事ができる」ということになるでしょうし、消費者もクオリティに気付かない方が幸せです。

ヨーロッパの生活費が高くなってしまうと私はベストを尽くして仕事ができなくなっていきます。日本は貧しくなったと思っている人もいるかもしれませんが、諸外国が数字上所得が高くても高額な粗悪品に囲まれて暮らしているだけかもしれません。

修行僧のような暮らしをするしか仕事を全うできないかもしれません。
こんにちはガリッポです。

今度の修理はミッテンバルトのマティアス・ホルンシュタイナーです。

信頼のできる鑑定があるので間違いないそうですが、マティアス・ホルンシュタイナーというヴァイオリン・リュート職人が同じ時代に3人は本に名前が出ています。ミッテンバルトには同じ苗字の人がたくさんいたようです。村には一族ばかりが住んでいたということです。
住所など自宅の場所で区別していたようです。日本で言ったら3丁目の鈴木太郎さんみたいなことですね。
それで言うと一番高価なマティアス・ホルンシュタイナーで最大2万5000ユーロの相場になっています。今の為替なら400万円ほどです。
よくドイツのオールド楽器はシュタイナー型と言われますが、形はよく見るとそれぞれかなり違います。これもかなり独特な形をしています。

ミッテンバルトのものはシュタイナーに完全に忠実に作られているのではなく独自性があります。ウィーンのほうがシュタイナーに近い感じがします。
この楽器と同じような形のマティアスのものは本で見ても出ていませんし、クロッツ家やホルンシュタイナー家の他のものでも出ていません。
私は何となく下の3分の2はコントラバスやヴィヨールの様な感じもします。コントラバスの上の3分の1は水滴ように尖っています。
こういうタイプのものはミッテンバルトのものにしばしみられます。最近はビオラやチェロでも見ましたが、いずれもやや小型のものでした。

ヘッド部分も特徴があります。私は思うにペグボックスの部分は型みたいなものがあったのに対して渦巻のところは設計図のようなものは無くてフリーハンドで作っていたのではないかと思います。ミッテンバルトの作者のものは、スクロールの形が様々なのにペグボックスはほぼ同じ形をしているからです。流派の特徴を見る時は渦巻きではなくペグボックスに注目すると良いでしょう。
渦巻は丸みの滑らかさに力を入れていて丁寧に作られていますが、形のバランスはあまり考えていないようです。フュッセンも含めて南ドイツの上等な楽器では渦巻の形がアンバランスで仕事が丁寧というのがよく見られます。
アマティやストラディバリとは違う所です。

画一的ではなく意外とアバウトで創造的です。ドイツのオールド楽器には業界でも誰も興味が無いので違いが分からないというだけです。

一見壊れていないように見えますが、これの修理は大変です。イタリアの楽器と違って過去の修理が、ヴァイオリン職人ではなくて大工さんが直したんじゃないかと思うほどです。

1700年代の後半になるとアーチもそんなに高くありません。ドイツのオールド楽器はかなり個体差が大きいのでひとまとめにして語ることは意味がありません。

状態や修理についてはヴァイオリンでさえそうですからこれがチェロになったらとんでもないです。古いチェロというのは100年程度古いものでも膨大な修理が必要になることがあり、200年も前のものになると誰も修理をしたがる人がいないケースも少なくありません、ずっと応急処置がされ続けるだけです。実際にそのようなチェロを演奏者は音が良いと絶賛することがよくありますが、頼まれても修理するかどうかは分かりません。

修理については直すのは厄介な仕事ばかりで、作業が大変ですし、請求するお金もかかります。直さなくて済むところはできるだけ直しません。音を良くするための改良などはしません。
バロック楽器をモダン楽器にするのは200年のノウハウがあり、業界で広く知れ渡っている規格に従っています。そうでないと規格外で売り物として通用しません。

修理をするのはそのままじゃどうしようもないからです。しかし楽器が傷んで危機的な状態になっていることも一般の人にはわかりません。このことを軽く見ています。

横板の部分には割れがあったため過去の修理で内側から木材を張り付けてあります。

横板の厚みを測ってみると1.2mmほどです。現在のものやアレサンドロ・ガリアーノと全くと言っていいほど同じなのは驚きです。1mm程度のものを接着しただけではほとんど強度がありません。そのため内側に木材を貼り付けたのでしょう。

補強された部分を測ってみると2.9mmあります。オリジナルよりもかなり厚くなっています。ガリアーノでも同様の修理がされていましたがそれでもまた板が割れていました。補強の効果が十分ではなかったのはスプルース材ではそれほど強度が無いのです。

私はこの程度の違いは音にはほとんど影響しないと考えますが、チェロやコントラバスになるとさすがに影響が出てくると思います。

古いコントラバスではこんなになっています。これはましな方です。

ロワーバウツの横板は新しいものに交換されています。上のような修理法ではもはや直しきれなかったのでしょうね。これも大変お金のかかる修理でやらなくて済むならやりません。どうしようもないからやるのです。
わたしならニスをもうちょっと他の部分に近づけてやることができますが、過去に経験があり、このような修理の大変さは知っているので文句を言う気にはなれません。

これはフランスの古いバスで19世紀のミルクールのものでしょう。裏板は平らで中央にスプルースの板が橋のように張ってあります。これも修理で新しくされたものです。楽器の強度という点ではこれで十分です。フランスのモダンヴァイオリンなどは魂柱の来るところだけ横に帯状に厚く作られていて、それ以外はごっそり薄くなっています。
コントラバスはヴァイオリン族の楽器ではなく、ヴィヨール族の楽器です。
ヴィヨール族の楽器はイタリアではすぐに廃れたのがフランスではヴァイオリン族よりも高級なものとして長く使われていたようです。
ヴァイオリンがなぜそのような作りになっているか、なぜそのような製法だったのかを考えるうえでこのような楽器はヒントになります。0.1mmにこだわっていると見えてこない楽器の本質にかかわる部分です。

ともかくガリアーノの修理ではしょうがなく横板の一部を新しくしました。酷く壊れて過剰な補強をするよりもオリジナルに近づけるためです。覆水盆に返らずで、そもそも壊さなければ良かったのですが、金庫にしまっておくよりも演奏で使った方が世のためになるでしょう。

ガリアーノの修理が終わりました



今回の修理の目的は、長年ビリつきがあって応急処置で軽減したような気はしましたが、完全に無くなってはいませんでした。気候や天候の変化によって酷くなる不安が常にありました。そうこうしているうちに弦高が高くなるというトラブルが起きました。弦高とは指板と弦との隙間のことです。これが高くなると弦を抑えにくくなります。
駒を低く加工すれば弦高は直ります。しかしネックが不安定で弦の力に耐えられずに下がっているので根本的な解決にはなりません。
日本を含めアジアでも演奏活動を行っていて、ヨーロッパとは違う気候の旅先でトラブルが出る不安がありました。

直さなくていいなら修理はしませんがさすがに限界でした。
せっかく表板を開けるなら直せるところはすべて直そうというわけです。

酷く傷んでいた表板の四つのコーナーも直しました。

まだ残っている裏板を参考に直しました。
形はかなり変わっています。新しい木材を足した後で加工しなおすのですが、気を付けなくてはいけないのは分かっていたのに、失敗して先端を削りすぎてしまい、もう一度やり直しました。右側は目測を誤って木材を貼り付けた時点で貼り付けた木材が足りなかったのでやり直しました。下の左右のコーナーは二回修理しました。私のミスですから請求できないですが、完全にビジネスとして考えていたらできないことです。失敗したままでも誰も分かりませんから。


こちらが修理前です。
もう一度修理後を見てください。

コーナーは細長い感じでアマティ的な特徴があります。モダン楽器のストラドモデルとはだいぶ違います。分かっていても加工に失敗するくらい特徴的な形です。

裏板のほうがコーナーは摩耗せずに元の姿が残っています。新しく直した部分の違和感は少ないでしょう。復元したわけですが、全くの新品のようにするにはコーナーだけでなく縁の部分を全部直さないといけません。それはさすがにできないので他の摩耗した部分と合うようにいくらか摩耗したように仕上げます。やりすぎると修理した意味がありません。
このような復元で作者の特徴がより現れることでしょう。
しかしf字孔は改造されているのでオリジナルではありませんしエッジやパフリングがオリジナルでない所もあります。それに比べたら横板などは作者の特徴は現れない部分です。

ヘッド部分はニスの補修以外は何もしていません。摩耗がひどくもともとの形がよく分からなくなっています。調弦の時に握ったり、机などに押し付けることも原因です。チェロのほうがオリジナルの状態が残っていることがあります。
傷ついたエッジを過去の修理でやすりなどで丸くした可能性もあります。100年くらい前のある時期にはそのような修理が横行したのでしょう。イタリアのオールド楽器には角がやたら丸くなっているものがあります。コーナーも傷ついたところをやすりでさらに丸くしてあることがあります。これをすると直すのが余計に難しくなります。壊れてすぐに直したほうが費用も少なくきれいにできます。

角を丸くすることが1900年頃に流行したのでしょう。イタリアのモダン楽器では当時作られたものでもよく見ますし、チェコのボヘミアでもそうでした。ストラディバリのメシアやフランスのモダン楽器では角という角が尖っていました。フランスのものも今ではさすがに摩耗しています。角が尖っている方がきちんと作らないといけません、角が丸い方が仕事が雑でもバレないと甘い考え方で作る人が多くいます。また現在ではそのような歴史を知らずにきちんとエッジを丸くする人がいます。

ニスも剥げていたところに薄いニスでコーティングしました。ニスの層があるので磨くとピカピカになります。今後しばらくはそれだけのメンテナンスで済むはずです。ニスが無い所は磨いても光りません。

本人が試奏


実用的に使用する上でトラブルが頻発したために修理をしました。ついでにいろいろな所を直したので音にも変化があるかもしれません。音に不満があって修理したわけではありません。

修理している間はJ.B.ヴィヨームを使ってもらっていました。
修理が終わって持ち主が工房にやってきました。ヴィヨームにつけていた自分自身のあご当てをガリアーノに付け替えました。ちなみにあご当てはよくあるような量産のガルネリというモデルのものです。ブランド名などは入っていません。ほとんどの人は楽器を買うとついているガルネリのあご当てで不満なく弾いていますが、気にしだすとしっくりくるものを探すのは困難です。
ヴィヨームにはオットー・テンペルの高価なアゴ当てを付けてありましたが、貸し出す時に自分の安価なものに交換していました。

弾くとすぐに「これは自分の楽器だ」と言っていました。
一か月くらい弾いていてもヴィヨームは自分の楽器にはならなかったようです。
私は硬い音だと感じましたが、演奏者の感覚としては自由自在にならないと言っていました。また特に弱い音で弾いた時に擦れるノイズが強く出てどうにもならないと言っていました。それがガリアーノでは何の苦労もなくすんなりと音が出るそうです。
音量がどうだとか音色がどうだとかは言っておらず、本人にとっては思ったように自由自在に演奏できるのがガリアーノの良さのようですが、聞いてる人にとってはオールドらしい味のある、またこの世のものとは思えない美しい音で聞こえてきます。

私が聞いた感想では修理前に比べて音がとてもクリアーになりました。そう言うと本人も同意しました。以前はもっともやっとしたような音でした。さらにずっと力強さが増しました。音が強くなっても金属的な耳障りな音は一切なくヴィヨームも含めてそこら辺の楽器とは別次元という感じがします。私はイタリアのオールド楽器がただ高いだけとは思いません。私はイタリアのオールド楽器の大ファンですが、「イタリア製」にこだわっている人たちのウンチクを聞くと良さが分かっているのか甚だ疑問です。

抜けが向上しもやっとこもった音が無くなって高いアーチの楽器特有の味のある音も出てきました。しかしカサカサの音ではなく驚くほどウェットで透明感がありつややかな音でもあります。
以前はあちこちに割れがあったせいかやたらふにゃっとくたびれた感じでしたが、剛性感が出てきました。調弦するためにはじいただけでも音が変わったことが分かります。それは弓から伝わる感触としても感じられます。楽器が形を保って崩れないようになったということを言っていました。もちろん本来の修理の目的であったビリつきは無くなったとのことです。

本人曰くE線とA線はすぐに本領発揮なのに対して低音の方はまだまだだそうです。バスバーも駒も魂柱も新しいので少しずつ馴染んでいくことでしょう。とても喜んでいたので私は安心しました。

アーチの形が独特でエッジがひどく摩耗しているのであご当てがうまく取り付けられません。あご当ての方を加工して付け直すとまただいぶ音が変わった感じがしました。つややかな感じはなくなりダイレクトに感じました。ちょっとしたことで音は変わってしまいます。今のこの音で修理の結果を判断するのではなくガンガン何年も使いこんで結果が出ることでしょう。大きな修理はそういうものです。

修理する前はとにかくやたら柔らかいふにゃふにゃの感じの楽器でしたが、修理したらだいぶしっかりしたように思います。割れを直したり、バスバーを変えたことによって強度が落ちている部分が直ったことでしょう。音が私の作る楽器にも近くなったところもあります。別次元までは行きませんが雰囲気は似ていると思います。

これだけ板が薄い傷だらけの古い楽器でもこの程度の修理でしっかりします。それに比べたら新作楽器なんて言うのはしっかりしすぎです。すべての部品が新品で割れもなく、木材も新しくさらに板も厚いのであればガチガチです。新作楽器の中で優れているように感じるためにはガチガチさを音の強さと思わせることでしょうか?私はその競争に参加しません。接合がグラグラのほうが新作楽器は音が良いかもしれませんね、しかしトラブルが起きる可能性が高いです。

目の前で聞いていてガリアーノが新作楽器よりも音量があるかというとそうでもないです。でも音自体が違うように思います。
特に新作楽器で低音がダイレクトで力強いものは使い込んで本領を発揮しだすと高音はとても耳障りになっていきます。同じキャラクターが音の高さによってはメリットとデメリットになって表れるのです。
以前使っていたモダン楽器では音量に不満がありガリアーノに変えたので音量不足ということはないはずです。

いまだにふにゃふにゃのヘナヘナなのはホルンシュタイナーです。修理は大変です遠い道のりですが手作業なので機械の乗り物が無い時代に移動したように一歩一歩前に進まないと修理は終わりません。


今回は記事を書きすぎてしまいました。
基本的な方針ですが時間が無いのでコメントに返事などはしませんので了承ください。








こんにちはガリッポです。

現在では流通業者を通さず作者から直接楽器を買うこともできます。様々な考え方の職人がいます。

私は基準として考えているのはヴァイオリン製作学校の楽器です。こちらでは伝統があるので公立の学校があります。

現代の職人の楽器は二分されるようです。一つはヴァイオリン製作学校の生徒の楽器よりも品質が落ちるものと、生徒の作品よりも何段階も完成度が高いものです。

どっちが多いかと言えば生徒の作品よりもはるかに品質が落ちるものの方が圧倒的に多いです。先生のチェックを受けなくなるとたちまち完成度が落ちるというわけです。そういう人は自己肯定感が強く自分を天才と思ってたくさん楽器を作ってしまいます。一般の人は自信あふれた態度に説得されてしまうでしょう。
コロナでもマスクをつけろと言ってもつけないヨーロッパの人たちですからそんなものです。それに対して理屈は立派なことを言います。

考え方はいろいろあります。
楽器というのは音楽のための道具で機能性が大事なので見た目の完成度はどうでもいいというものです。「なぜ楽器が美しく作っていなければいけないのか?」と言われれば筋の通った反論することは難しいでしょう。
お客さんである音楽家はこのような考えに賛成しやすいと思います。実際に美しく作ってあるかどうかに興味がなく楽器を選んでいます。そもそも見ても違いが分かりません。
消費者の求めるものと生産者の作るものが一致しているので売れるというわけです。
特にこちらではどこの誰が作ったものであるかに興味はなく、弾いてみて音が良いとその人が思う楽器を選んでいます。

生徒の楽器はかつてはヴァイオリンで35万円位の感じでしたが今は50万円位でしょうか?それでも完全ハンドメイドで先生のチェックを受けて作っているのでお買い得というわけです。しかし、接着部分に不完全なところがあってネックが外れるなどトラブルも起きるかもしれません。

生徒の作品以下の品質ならそれ以下の値段でなくてはおかしいと私は思ってしまいます。しかし世の中の人たちは「ハンドメイド=高級品」と考えているため、手作りであるだけで今なら200万円以上するのが普通です。生徒の作品以下の品質で200万円以上したら私は高すぎると思ってしまいます。中古品の方が値段が安く鳴りも良くなっているので新作楽器自体を作る経済的な合理性が無くなっています。

もちろん安い値段で機能的に優れた楽器であるならコストパフォーマンスに優れたものです。
現実にたくさんの楽器を見てくると、外観は悪くないのに開けると中がぐちゃぐちゃという楽器が多いです。外見は軽視して音に関わる部分と部品の接着面の加工だけきちんと作ってある楽器というのはまれです。外見がひどければ中身はそれ以上に酷いものです。普通くらいでも油断なりません。

品質という概念を持っている人といない人がいるでしょうね。子供の時から音楽を一生懸命やってきて学ぶ時が無いですからね。何か高級品のマニアにでもならない限り知らないままなのが普通です。モノについて強い関心がある人が少ないでしょう。

何をどう考えるかは自由です。

貴族社会の時代から高級品は美しく作られ、実用品は粗末に作られました。アマティ、シュタイナー、ストラディバリなどは明らかに造形センスがあって美しく作られていました。それ以外のマイナーな作者や、それらのラベルがついたニセモノは必ずそれよりもクオリティが落ちるものでした。
今紹介しているようなガリアーノなどは粗末なものを作っていました。

近代になるとフランスのミルクールで腕が良いと認められた職人はパリで一流の職人の下で修行し自分も一流の職人となりました。ミルクールで選抜が行われていました。量産品のほうが明かに品質が落ちるのです。ただ一流の職人では後の時代の方が完成度がさらに高くなっているように私は思います。知名度や値段とは違っています。

1900年ごろから戦前にかけてドイツのマルクノイキルヒェンでも安価な量産品から高品質なマイスター作品まで品質の差で細かくグレードが分かれていました。やはり腕が良い人が選抜されたということですね。同じ工房の弓でもグレードが分かれていて材料や装飾、マークについている星の数などが違います。

このような伝統があるので、戦後以降の楽器は私のところでは品質が高いものが製造コストもかかるので高級品だと考えて値段をつけています。戦前より前のものでも名前が有名でなければ同じです。1700年代のものでも同じです。


それに対して現代は「自由主義」の社会です。どんな製品を作っていくらで売るのも自由な世の中です。現代芸術と同じです。ダ・ビンチやラファエロよりもはるかに劣るクオリティの絵でも売ることが許されています。
かつてはフランスやドイツの腕の良くない職人はハンドメイドの高級品を作って売ることも許されていませんでした。それが現在では自由ですから、ヴァイオリン製作学校の生徒よりも劣るものがたくさん売られるようになりました。「これが俺の作風だ!」と言い張ればどんなものでも作ることが許されます。演奏がまともにできないものやニスがベトベトしてくっついてしまったり、耐久性が無くてアーチが凹んでしまうものでも売ることが許されています。
粗悪品を作っても音響工学のうんちくを語れば飛びついてくるお客さんもいることでしょう。職人でも音楽ばかりをやってきて「モノ」に興味がない普通の人がたくさんいます。


マンガでも漫画家と編集者というのがいて、漫画家が自分が好きな作品を描いても、それじゃ売れないだろうと編集者が注文を出して人気作品が生まれてきました。

そういう製作者とユーザーの間に立つ業者がどうかといえば、日本の場合には皆さんのご存知の通りです。
でも多くの人はそのような業者を信じてしまいそのような評価というものがこの世にあると信じています。
特に日本では自分に自信がないためか第3者的な評価で楽器を紹介することが世の中からは求められていることでしょう。業者はそのニーズを利用して商売しています、そんなものは無いということを皆さんは知らないといけません。

近代イタリアで作られたものはイギリスやアメリカに輸出されました。「イタリア製」であれば何でも売れると素人のような職人でも楽器を作ることができました。そのため高品質なものは少ないです。日本人が学んだ考え方です。

私は粗雑に作られたものは安く、丁寧に作られたものは値段が高いという伝統的な職人の考え方を身に着けていますが、職人出身でないと違いも分かりません。とにかく知名度で値段をつけている状態ですから我々とは全く違う価格設定になります。東京だけの知名度かもしれません。
値段が高いものが良いものだと子供のころから擦り込まれて育ちますから、「高いもの=良いもの」と思って買う人がいることでしょう。




修理して来たアレサンドロ・ガリアーノですがパフリングなどはグチャグチャです。ここまでぐちゃぐちゃなのは珍しいです。当然現在のヴァイオリン製作学校でこのようなものを作れば怒られることでしょう。


ぐちゃぐちゃというのは溝が綺麗に彫られていないことです。ナイフで切り込みを入れていくので失敗して余計な所を切ってしまうとラインが乱れてしまうのです。埋め込まれているパフリングの厚みもバラバラで、溝の幅の広い所と狭い所のムラもできてしまい隙間が空きます。安価な量産品では隙間にはパテを入れて埋めてあることがありますが、なぜかガリアーノ家では白い粉ではなく黒い粉を隙間に入れてしまったために余計にぐちゃぐちゃに見えます。

このため古そうな楽器でぐちゃぐちゃのパフリングの楽器があるとイタリアのオールドの作者の偽造ラベルが貼られて流通します。多くは近代以降に作られたものです。パフリングがぐちゃぐちゃというだけで楽器の作り方の基本がオールドのものとは違うので見分けることができます。スクロールなども同様です。19世紀の中ごろに作られた完成度の低い物にはそのような偽造ラベルが貼られることがよくあります。共通点はパフリングがぐちゃぐちゃだというだけです。

またパフリングがぐちゃぐちゃだとオールドの名器っぽく見えるというだけで、実際にその作者がぐちゃぐちゃでは無かったりします。オリジナルとは何の共通点もないニセモノがあります。それくらいいい加減な偽物でも一般人の目は騙せます。
これはオールドの時代にも安価な楽器の方が多く作られ、それらは粗雑に作られていたということです。イタリアのものはそれでも何千万円にもなっています。

一方ガリアーノ家やナポリ派のラベルがあったときは「ぐちゃぐちゃのパフリングになっているのが本物」です。産地の特徴というわけです。

ナポリは音楽の盛んな都市で今でも歌が好まれます。
この楽器が作られた時代にはアレサンドロ・スカルラッティが活躍していました。スペインに支配され派遣された統治者も歌を好んだようです。当時オペラでは最先端を行き音楽でもバロックと古典派の間のような作品があります。モーツァルトが自分で作風を考え出したのではなくこのあたりの人たちが作り出したものが流行したということです。それくらい音楽が進んでいたところですから楽器の需要もあったはずです。それでガリアーノ家では安上がりな楽器を量産していたということです。従業員の中にはドイツから来た職人もいてスクロールが南ドイツのものにそっくりだったりすることもあります。

このため品質は様々です。かつては安物として馬鹿にされていたようです。しかしイタリアのオールド楽器全体が値上がりしたためガリアーノでも今日では名器と考えられるようになっています。

そのガリアーノでもアマティの流れを受けたものです、そのため中にはとても美しい楽器もあるし、このアレサンドロのヴァイオリンでもアーチなどはきれいに保たれています。現代の作者でもっとひどいものもあります。

当時アマティとガリアーノならかなりの価格差があったことでしょう。現代では製作学校以下の楽器でも作者は高い値段を設定することができます。

伝統的な考え方では値段を品質でつけています。職人もそのように教育されてきました。しかし今ではそれも古い考え方のかもしれません。ヴァイオリン製作学校のレベルは高すぎる目標で高福祉国家では労働者にはそのような労働の厳しさを要求すべきではないのかもしれません。

音については品質に比例しません。品質で値段をつけていて音では値段はつけていません。音は弾く人によって違い感じ方も人それぞれだからです。主観でしかないので値段のつけようがないのです。
したがって楽器の先生と職人では全く違う楽器の評価をするということです。今回の話のように職人同士でも違うし、先生も人によって選ぶ楽器が全然違います。誰にでも共通する評価などはできません。


私は作りたいものを作るだけです。消費者のニーズに合っているからと言ってアマティやストラディバリのような職人のものよりはるかに劣るものを作るなら我慢なりません。私の楽器も世界一優れたものでも何でもありませんが作りたいものを作るだけです。私は粗雑な楽器を作るのは向いていません。集中力が無くて手先が不器用な人が向いています。

古代遺跡から何かが出土したときに、品々のクオリティに驚かされることがあります。縄文土器に比べて弥生土器はクオリティが上がっているように文明の水準を表しています。
「なぜ楽器が美しくなくてはいけないのか?」という主張が正論だとしても現在の我々の時代は未来の人から見たら1600~1700年代、1800年代よりも劣るとみなされることでしょう。それが古典を知ることです。
アンドレア・アマティが美しい楽器を作ったことで王様などにも求められ弦楽器の普及に貢献したことでしょう。王様に楽器を献上するなら職人はベストを尽くすでしょう、もし手抜きであると知られたら命も危ないですから。今のお客さんならベストを尽くさなくてもいいのかもしれません。
アマティ以前にもヴァイオリンはあったはずです。しかしそのようなものの実物を見たことがありません。わずかに知られてるのはガスパロ・ダ・サロなどのブレシア派のものです。それも私は見たことがありません。
こんにちはガリッポです。


この前はニスがこんな状態でした。

保護のためにクリアーのニスを塗ったわけですが、それだけではありません。なんとなくきれいに見えるように感覚で筆を入れています。絵画の修復と違って、楽器は実用品なのでこれまで幾度も修理の時に塗り重ねられています。新しく直したコーナーも目立たなくなりました。

古い楽器にしてはましな方です。

裏板の隅っこに割れが見つかりました。接着しなおしたことでくっつけることができました。完全に補強するには裏板を開けないといけません。今回は無理です。
この割れはパフリングの溝から割れたものです。パフリングの溝が深すぎることと、エッジから離れていることも原因です。パフリングの仕事がかなり粗いです。幸い魂柱の側ではないのでそれほど強度に影響はないでしょう。しかし修理前は割れがはっきりと開いていましたから、今回の修理が強度にも影響することでしょう。

ラベルはベネツィアのピエトロ・グァルネリとなっていますが偽造です。有名な楽器商の鑑定書もありました。しかし最新の鑑定ではアレサンドロ・ガリアーノになりました。さらに別のところに鑑定に出したら別の作者になるかもしれません。持ち主はこの楽器を試すと音を気に入っていましたが昔の鑑定に従うと高すぎてどうにもなりませんでした。もはや音楽家が買える値段ではありませんでした。その後新しく鑑定に出すと値段がずっと安くなって今愛用しているというわけです。
値段は鑑定によって半分以下になりましたが音はそのままです。当たり前です。値段で音が決まるわけではないからです。
このクラスの楽器にも偽造ラベルが貼られるのですからそんな業界です。

つまり楽器を買う立場からすると作者が無名な方が得ということです。

エンドピンの穴が大きくなっていたので埋めました。エンドピンは弦に引っ張られて徐々に穴が歪んできます。穴が歪んでエンドピンが不安定であることはエネルギーのロスになることでしょう。
穴を綺麗に削り直して新しく太いエンドピンを付ければ良いのですが、ここまで穴が大きくなると無理です。

上部のブロックの幅が現代の楽器に比べるとめちゃくちゃ広いのですが、アマティ派の楽器ではよくあることです。しかし釘の跡が無いのでおそらく後の時代に交換されたものでしょう。材質は柳のようです。すべてのブロックとライニングは後の時代に代えられていることでしょう。
過去には大修理が行われたようです。

現代の楽器には無い特徴としてはアーチのカーブが内側にも出ていることです。

現代とは立体造形の仕方がまるで違います。単にアーチの高さが高いとか低いとかの問題ではありません。
近代では平らなアーチが音が良いと考えられてきたためそれしか作ることがありませんでした。何世代も平らなアーチの楽器を作るのに適した作業工程や工具が改良されて行きました。平らなアーチの中で低級品と高級品の基準も出来上がりました。材料も買う時点ですでに厚みが足りません。そのため設計の寸法を変えるとかそんなレベルのことではありません。
それはストラディバリやデルジェスが平らなアーチを作ったときとの違いです。
このような違いが私はあると考えていますが、業界の常識としては気付いていないのが主流です。そのため現代の職人は自分たちはストラディバリやデルジェスと同じものを作っていると信じています。

横板の下の部分にも割れがありました。これは昔のあご当てはテールピースをまたぐものではなかったため横板をグニャリと曲げたり割れを生じさせたりしました。裏板にまで損傷を与えることがあります。今でもそのようなアゴ当てがありますが楽器を保護する意味ではすぐに使うのを止めた方が良いと思います。テールピースをまたぐものの方が千円くらい高いかもしれません。ケチらない方が良いと思います。


表板を取り付けるとまたヴァイオリンの姿に戻りました。

まだ塗装の修理は完成していませんが新しくつけた部分も目立たなくなりました。

ニスを塗る前はこうでした。新しくしたところも古びた感じにします。

アーチは現代の楽器とはだいぶ違います。

しかし駒のところが陥没していないのは驚異的です。アーチはきれいな弧を描いていないと弦の力に耐えられずに凹んでしまうことがあります。300年以上経っても見事なものです。

アーチというのは駒を支えるような形状になっていなくてはいけません。平らなアーチが主流の現在ではこのことをはっきりと認識してない職人がたまにいます。
最大限の強度になっているから音が良いということではありません。しかし300年経っても無事であればよい音が出ていることでしょう。それくらいのことです。
これもオールドの時代にはっきり認識されていたかというとそうでもなく、このガリアーノの息子でも陥没しているものがありますし、ジュゼッペ・グァルネリ・フィリウスアンドレアでも陥没しているものがあります。ストラディバリでもあります。
建築では橋などを作る時に重要です。古代から知られていたものですが、中世には忘れられた部分もあって、ドーム型の教会などはルネサンスに復活したものです。

現代のヴァイオリン職人も世代を重ねるとすぐに忘れられていきます。0.1mmにこだわる癖にこういう基本的なことが分かりにくいのです。

高いアーチの楽器では駒の脚のところが凹みやすいですが、この程度ならましな方です。ガリアーノの息子の楽器では表板が凹んだ上に駒のところがさらに凹んでいました。駒は不安定でいつ倒れてもおかしくない状態でした。

よく見るとf字孔の上の丸い部分が埋め直して新たに開け直してあります。

こちらもf字孔を改造した跡が見えます。もともとボディストップの位置が長すぎたため、f字孔を改造して短くしたのです。本にもアレサンドロ・ガリアーノのボディストップは長すぎると書かれています。
このため駒の位置が300年間一緒だったわけではないということが言えます。

サドルも新しくしました。幅がものすごく広くなっていたので表板に木材を足して小さくしました。パフリングも作っています。

表板は縮むのに対して黒檀で作られたサドルは殆ど縮みません。それが原因で表板に割れが生じます。特にサドルの角の所が割れやすいです。割れを修理したときにさらに幅の広いサドルにするとひびの部分に角が来なくなります。そんなことを繰り返していくうちに大きくなっていました。
エンドピンの穴も埋め直してあります。横板は過去の修理でセンターの部分が新しいものに代えられていました。マッチしていない塗装を私が直しました。

アーチが高いと理屈上はサドルも高くないとおかしいです。アーチが高い分サドルも高くなければいけません。しかし現実的にあまり高くすると弦の力に耐えられずに倒れてしまいます。オールド楽器ではよくあるトラブルです。
表板を押し付ける弦の力に影響します。特にコントラバスでは可変式のものがありますし、5弦のバスでは一本多い弦の張力で表板が壊れないように極端に高くすることもあります。
逆に低くすれば表板に強い力がかかることになります。実際に低くしながら音を試したことがあります。サドルを低くして試奏すると音が力強くなった印象がありました。もっと力強くしようとさらに低くするとそうはならず違う感じの音になりました。
たまたまそうだっただけで規則性ははっきりしませんでした。
持ち主も最初に低くしたときは音が良くなったと感じ、2度目はそうは思いませんでした。つまり1/2の確率ですから運ですね。
上手くいかなかったときも何度かいじれば音が良くなるかもしれません。

このような音の調整は運が良いと音が良くなった印象を受けます。たまたまそうなった場合にはその職人をすごいと信頼することでしょう。しかしそれは運かもしれません。

サドルは高くしましたが、正解かどうかも分かりません。

アレサンドロ・ガリアーノと言っていますが今はそうだというだけです。本に出ている1720年頃と思われるものに雰囲気は似ています。おもしろいことにその楽器にはニコラ・アマティの偽造ラベルが貼られているそうです。

塗装の修理は一か所始めると、光沢が無くニスが剥げ落ちた他の不完全な所と差が出ます。結局全部やらないといけなくなってしまいます。

修理によって楽器はだいぶカチッとしました。横にして置いた時もかつてはグラグラして転倒することがありました。それがしっかりと立っています。何が変わったのでしょうか?
表板や裏板の魂柱が当たっているところの凹みも直したので魂柱もガッチリとはまっています。
ひび割れがくっついて補強され、バスバーも新しくなり、楽器がだいぶ丈夫になったと思います。これが音にどう影響するかが楽しみですね。
鋭い音にはならないとは思いますが柔らかさは多少減るのではないかと思います。弱っていた音が健康的な音になることでしょう。でも嫌な音になるはずはないです。状態のいいオールド楽器は悪いものに比べて明るい音がするということです。しかし明るいほど音が良いということは無く新作楽器のような明るい音ではないでしょう。

言葉というのは常に独り歩きしますね。
こんにちはガリッポです。

アレサンドロ・ガリアーノの修理が続きます。

大きな問題点は横板がバキバキに割れていることです。これはとても古い時代に修理されていましたがいよいよ限界です。

裏側には柔らかいスプルースで補強されていますが、補強の意味が無いようです。
修理ではできるだけオリジナルの部材を残したいですが、トラブルが頻繁に起きるのでは困ります。難しい決断です。

新しい木材継ぎ足すことにしました。

これで不安なく演奏できることでしょう。

この部分は手が当たるためニスが剥げてしまいます。そのまま演奏を続けると汗などが浸透しカビが生えてしまうことがあります。この楽器でも黒くなっていました。長年そのように使用されてきたことも損傷の原因となったことでしょう。

表板もニスが無くなっています。残っているニスもオリジナルではなく修理で後の時代に塗られたものです。
指板が邪魔になって補修がしにくい所です。表板を外しているのでこの機会に補修しておきます。
次にチャンスが来るのは指板を交換する二十年後以降でしょう。

ヴァイオリン族の弦楽器では「ネックが下がる」という問題が避けられません。実際には何がどう変化しているかはよく分かりません。これを見ると水色のラインに対して黄色の線で示したように裏板の突端が曲がっているのが分かります。高いアーチで強度が高いので先端の部分に力が集中しているのでしょう。今回の修理ではこれをもう一度押し戻します。

板の厚みも測ってみました。羊皮紙のような厚いラベルが貼られていたり過去の修理で木材が足されたりしています。基本的には現代の常識よりも薄いです。オールド楽器ではよくあることですし、アマティ派の特徴も見られます。過去の修理などで表面を削ったりしていますし、表板の表面もニスがはがれて長年放置され、擦られて押しつぶされているかもしれません。

しかし同様の厚みのモダン楽器でも音が鋭いことがあり、音の柔らかさと板の薄さに法則性を見出すのは難しいです。

別のガリアーノ家のヴァイオリンでは裏板の中央が2.5mm程度しかなく表板の中央も陥没し力強い音が出ないものがありました。また別のものはやや鋭い強い音のものもありました。同じガリアーノの名前でも音は様々です。

大部分の修理は終わったので、もう一度ビリつきの発生源となるような小さな割れや剥がれが無いか探して表板を接着します。ニスの補修には一週間は必要でしょう。
こんにちはガリッポです。

まずはニセモノの話から。
外国の裁判所から鑑定の依頼が来ました。現地への旅費や宿泊代も支払われるとのことでした。送られてきた写真を見るとマルクノイキルヒェンの大量生産品です。評価額は状態によっては修理代を差し引くと宿泊代になるかどうかでしょう。ストラディバリのラベルがあり、アンティーク塗装がなされています。傷は人為的につけたものです。そんなことも頭のいい法律の専門家たちには分からないようです。

前回は、アレサンドロ・ガリアーノとヴィヨームの音の話をしました。ガリアーノが柔らかくて、ヴィヨームが硬いという物でした。私は技術者なので単に音の特徴と考えています。何が良い音かについては個人個人の問題です。

柔らかい音の楽器では貧弱で頼りなく感じる人もいるかもしれません。話しているコンサートマスターは柔らかい音の楽器に柔らかい弓で美しい演奏をしていますが、誰にでも同じことができるかはわかりません。

音の柔らかさは先天性か後天性か?

ガリアーノの音が柔らかい原因は何なんでしょうか?

まず二つの可能性があります。作られた当初から音が柔らかい特徴があったのか、その後300年以上経つうちに柔らかくなったのかです。それぞれ先天説と後天説としましょう。

後天説では木材が古くなることで朽ちて質が変わっていくいわば化学的変化と、弦の張力や使い込まれることで外から力が加わり、変形したり、損傷を受けて修理をしたりを繰り返す物理的変化があります。
つまり楽器が傷んで弱っているということでもあります。それにも取り方によってはプラスやマイナスの面があるはずです。バスやチェロのほうがマイナス面が出やすくヴァイオリンはひどく傷んだ楽器でも問題は少ないかなと思います。

物理的変化は使われ方や起きた事故などによって違いが出ると思われます。
化学的変化も置かれていた環境によって差が出るかもしれません。
したがって必ず200年、300年経ったらどの楽器でも音に同じ変化が起きるとは限りません。

いったい何が音を柔らかくしたのでしょうか?

ヴィヨームはすでに作られて150年ほどは経過しているでしょう。にもかかわらず音が硬いのです。これが本当にあと50年もするとよくあるオールド楽器のように柔らかくなるのでしょうか?

それはその時が来ないと分かりません。

ヴィヨームよりももっと古いフランスのモダン楽器ではニコラ・リュポーのものを知っています。私はかなり鋭い音だという印象を受けました。200年を過ぎています。楽器全体には硬さは取れているように思いますが高音には突き刺さるような鋭さを感じました。また180年くらい経ったモダン楽器でとても鋭い音のものがあります。新作楽器よりも鋭いくらいです。180年の年月は音を柔らかくはしていないようです。これも20年後には柔らかい音に性格が変わるでしょうか?

一方でオールド楽器にも鋭い音のものがあります。私は、どんな楽器でも古くなれば音が柔らかくなるのではなく、もともと柔らかい音を持った楽器が古くなってさらに柔らかくなったのではないかと考えています。

つまり先天説、後天説、科学的変化、物理的変化のすべてが起因してるのではないかと思います。

結果はモダン楽器が200年を超える数十年後に出ることでしょう。


過去の修理では補強などはあまりされていません。傷口が再び開かないように考えていただけのようです。
私が補強が必要と考える理由は傷口があかないようにするだけではなく、割れた部分を接着しても強度は落ちるだろうということです。また、そこが割れたのは全体の中で力が集中するウィークポイントになっているからでしょう。もともと他の部分よりも弱かったので力がかかったときにその場所が割れたということです。

まず短すぎるバスバーを交換しました。

さらに割れた場所や木材を足した場所に補強を施しました。
上部ブロックとの接着面は今回ネックが下がって来た原因とも考えられるので新しい木材を埋め込みました。
補強しすぎると弾力を失い、木片のすぐ横が割れてしまいます。わずかなものです。

このような補強をすることで新たな物理的変化をもたらすことでしょう。音の柔らかさにどんな変化が起きるでしょうか?たのしみです。

アーチの高さ



表板の特徴はアーチがかなり高いということです。裏板も同様です。

最初の裁判所の例のようにアーチの高さにも一般の人と職人では語っている内容が違うかもしれません。

職人は0.1mm単位で仕事をしているので0.5mmアーチが高ければかなり高いと思うかもしれません。1.0mm高ければ、まだまだ未完成の段階だと思うでしょう。しかし他人にとっては言われなければ分からない違いです。

一般の人や営業マンが高いアーチと感じる場合にはとんでもなく高いアーチの場合です。ストラディバリやデルジェスのアーチは平らだと知識としては習います。しかし実際には現在の標準に比べると1~2mm高いものが多くあります。ストラディバリに関しては多くがそうでしょう。デルジェスはバラツキが大きいです、厳密に高さを測っていなかったからでしょう。
ストラディバリの最も若い頃のものは極端に高いアーチのものが残っています。それ以降はバラツキがあり晩年になっても高いアーチのものがあります。これらを売る人は高いアーチと考えていないかもしれません。ストラディバリのうち高いアーチのものがダメだというのなら黄金期のものでも半分以上はダメです。

ストラディバリも職人からすればかなり高いアーチでも、一般の人からすればミディアムアーチということになります。表板は弦の力でへこんでいますので作られた当初はさらに高いアーチだったはずです。

我々からすればかなり高いアーチのこのガリアーノですが、演奏者はそこまでのものとは思わないかもしれません。

アーチの高さの認識にも個人差があるということです。

アーチには高さ以外にも違いがあります。横の断面が三角形に近いものなら印象としてはそれほど高く見えません。一方上が平らになっている台地状のものでは全体的に膨らんでいるように見えます。周辺の溝の彫り方によっても強調されます。

現代の職人の常識というものがいかに定まっているかということです。


それにしても表板を開けて見ると中には何も入っていません。5000万円の楽器でもびっくりするような変わったところは無いように見えます。
アーチのカーブが違うのでバスバーを取り付ける面も立体がだいぶ違います。接着面を合わせるのに通常の3倍以上時間がかかりました。

板をトントンと叩くタッピングをやっています。ボヨンと鈍い音がします。新作楽器を作っている時はもっとポーンとよく響きます。良く響けば職人は自分が作っている楽器の音が良いだろうと希望的観測で考えるでしょう。

木材の化学的な変化が原因だと思います。ボヨンと鈍い音がするのが正解と考えて新作楽器を作っている人がいるでしょうか?

じゃあよく響くのは悪い特徴でしょうか?
ポーンとよく響いた場合でも新作楽器のなかでは音量が無いとか音が悪いということはありません。

持って板を軽く曲げてみます。ガリアーノは全くびくともしません。硬くて曲がらないです。それ以上力を加えると割れてしまうでしょう。高いアーチの楽器ではアーチの強度が高くなるからです。フラットなアーチのものならふにゃふにゃです。
弟子が新作楽器を作っている時に厚みを出す作業をします。完成が近いと師匠に見せます。師匠はトントン叩いてみたり、曲げてみたりします。その時硬いと思うともっと削るように指示します。しかしオールドの名器でもとても硬いことがあります。

それでは硬い板の音が良いのでしょうか?また音の柔らかさの原因でしょうか?
ザクセンの量産品にもとても硬い表板のものがあります。修理を終えて音を試すと耳が痛くなるほど鋭い音がします。

つまり、タッピングで叩いてみたり曲げてみても分からないということです。

では高いアーチほど音が柔らかいのでしょうか?そうなら楽器を作る時にアーチの高さを+0.5mmとかマイナス1.0mmとかに変えることで音を自在に作ることができます。

私が作った場合にはアーチの高さを13mm、16mm、18mmとしたとき、16mmが一番柔らかかったですね。
他人が作ったものも含めると同じような高さのアーチでも様々な音のものがあります。オールド楽器で高いアーチのものでも鋭い音のものがあります。
したがって規則性は言えず、音をイメージして設計することはできません。

板自体の柔軟性についてはフラットなものの方があるはずです。高いアーチのものは強度が高くなるはずです。
演奏する場合でも「粘り」と感じられるかもしれません。高いアーチの楽器のほうが音が上手く出る弓の力加減の範囲が狭く、フラットな方が乱暴に弾いても大丈夫な範囲が広いでしょう。さっきの話のように一般の人が高いアーチと思うようなものではかなりシビアになるかもしれません。職人が決して作らない高いアーチでも一般人にはミディアムならそれほどシビアではないでしょう。古さによって柔軟性が出てくるのでこのガリアーノではコンサートマスターに愛用されています。

それに対して音の柔らかさについては規則性がありません。私が作ったら中間が柔らかかったですが、世の中にあるものでは同じような高さで鋭い音のものの方が多いです。

私はストラディバリモデルが特に柔らかい音になりますが、この世にはストラディバリモデルで作られた楽器が一番多くあり、鋭い音のものが多いです。そのヴィヨームもストラディバリモデルです。

板の厚みも測ってみますが、ヴィヨームも決してすごく厚いというものではありません。ガリアーノよりも薄いくらいです。薄い板の楽器でも硬い音の楽器はあります。

ヴィヨームは板は薄くアーチも高くないのですから柔軟性が高いはずです。しかし弾いてみると硬さを感じます。不思議です。

アレサンドロ・ガリアーノ


ガリアーノ家では一番古いアレサンドロですが、どこで修行したかもわかりません。古い本にはストラディバリの弟子と書かれていますが、ストラディバリの特徴は何一つ見出せません。
それに対して私はアマティの特徴があるように思います。またほかのクレモナ派の楽器と共通する特徴があると思います。

パフリングなどの仕事は雑なのにアーチにはアマティ派の法則性があるようです。見よう見まねのレベルではなく流派としてつながりがあるようです。

このような規則性を本当に理解しているかどうかは自分で同じものを作れるかどうかです。分かったつもりでも実際に作ってみると仕上げの段階になると「あれ?おかしいな」となります。そしてまたオールド楽器を見て、作ってみて‥を繰り返して理解度が高まっていきます。

コピーを作るというのはそれほど難しい物なのです。一つの流派の作り方を理解できるかどうかというくらいです。
アマティ派にもバリエーションがたくさんあります。ストラディバリもデルジェスもその一つです。
基礎を踏まえることで彼らのような個性的な楽器となるでしょう。
それに対して現代人が思いつく発想は限られています。

イタリアのモダン楽器には意外と高いアーチのものがあります。フランスやドイツに比べると教育が緩く自己流のものでも高値がついているからです。
それらも区別されることなく高価な値段になっています。アーチは高いだけでオールドのものとは違います。同じ高さでもアーチの形状は様々です。高いアーチならすべて同じではなく、高いほどより個体差が大きいと考えたほうが良いでしょう。

私のようなものは他に見ることが無いので新しい楽器でのデータが得られません。

音の違いは理屈で表すよりもはるかに微細な出来事なのかもしれません。
こんにちはガリッポです。


こちらは以前も出てきたアレサンドロ・ガリアーノです。
ビリついて異音が発生するという症状が度々ありました。ビリつきの主な原因は表板や裏板のどこかが開いている事です。横板と接着がはがれているということです。
そのような対応をすると軽減はするのですが完全にはなくなりません。
持ち主のコンサートマスターは日本を含めアジアなどでも演奏旅行があり旅先でトラブルが発生することに不安を持っていました。一方で長期の休みが無く本格的な修理ができないでいました。楽器が無いと仕事ができないのです。
そうこうしてると弦高が高くなったようでどうもネックが下がったようです、いよいよ表板を開けて修理することになりました。
修理の間代わりの楽器があれば良いのですが。このガリアーノと同じようなものはありません。J.B.ヴィヨームがあるのでそれを貸しました。アマチュアの高齢者が持っていたもので、遺族は形見として売る気はなくうちで保管しています。

アマチュアの持っていた楽器ではプロのレベルでは弾きこまれていませんし、持ち主が亡くなってからしばらく経っています。とりあえず弾きこんでもらいました。その後調整に来ました。

コンサートマスターがヴィヨームを弾いているのを聞くと「硬いな」というのが第一印象です。いつものガリアーノの演奏がとても柔らかいので、硬さを感じました。話を聞くとやはり、音が硬すぎるのでもうちょっと柔らかくしてほしいということでした。原理的には楽器のキャラクターなので柔らかくすることはできません。簡単な方法としては魂柱を駒から離せばダイレクト感は和らぎ、クッション性が生まれることでしょう、
魂柱は駒の真下にあるのではなく少しずれているので、そこでちょっとしたクッション性が生まれるのです。

このヴィヨームは前の持ち主の耳が遠くなっていたためにもっと高価なイタリアのオールド楽器を試した上で特別に希望にかなった音のものとして選んだものです。

ちょっとマニアのような人ならヴィヨームがストラディバリなどオールド楽器のコピーの名人として知っているでしょう。しかし実際にはイタリアのオールド楽器の音とは違うということです。
そもそもヴィヨームは若いとき以外は自分で楽器を作っておらず弟子や下請けの職人が作った楽器に自分の名前を付けて売っていました。今で言えばゴーストライターです。
ヴィヨームを作っていた人が何人もいるわけですから、音も様々であることが予想されます。ヴィヨームが音を基準にして弟子を選んだというよりもやはり職人の世界ですから、決められた通りきちんと仕事ができる工作機械として優秀な職人の作った楽器を売っていたはずです。職人の世界はそのような考え方です。ユーザーの希望で解釈してはいけません。

つまり規格化された楽器を高い工作精度で組織化した職人たちに作らせていたというのがヴィヨームの楽器です。ですから、オールド楽器のようにアバウトで気まぐれに作られたものとは全く違います。典型的なフランスの上等な近代の楽器です。ヴィヨームの名前以外で売られたものと違いがありません。

そこまで知らないと何も知らない方がマシです。

フランスの楽器でも普通の作者ならそこまで高価ではないので近代や現代のイタリアの楽器に対して試奏を検討するように勧めています。フランスの楽器にも音には個体差がありますし、演奏スタイルや音の好みによってはマッチする人がいるかもしれません。近代のものだけではなくイタリアのオールド楽器でも比較対象になります。オールド楽器では個体差がさらに大きく音も様々ですから、古くて高いから何でも良いというのではありません。見た目や肩書では魅力的に見えても弾いてみるとフランスのものの方が良いという意見もあるでしょう。ソリストや教授などにも愛用者が多いものです。しかし私は別にフランスの楽器を崇拝しているわけではありません。あくまで候補として考えるべきだと言っているのです。これは職人も例外ではなく現代の職人たちはフランスの楽器を知らない人が多く、自分たちのルーツやレベルも分かっていません。フランスの楽器のモノマネを受け継いでいるのに元ネタを知らないのです。ヴィヨームのような考え方は現在でも生き残っています。現代の楽器が皆似ているのはこのような状況だからです。モノマネをしている事すら知らず売る方も「作者の個性がある」として売っているのですから笑ってしまうものです。

鋭い硬い音の楽器は近代のものには多くあります。ヴィヨームの名前がついて3000万円しても普通の近代のものと音は変わらないということです。

じゃあなぜガリアーノは柔らかい音で、ヴィヨームが硬い音なのでしょうか?こんなことも職人にも分かりません

弦楽器というのは作ったらこんな音がしたというだけで作者がすべてを意図して作ることは現実からはかけ離れています。そういうものだと知ってください。したがって天才や名工のイメージなどは空想の産物だということです。
自宅の工房で楽器を作るばかりなら他の楽器と比較することもなく、自分の楽器の音が相対的にどうであるかもわかりません。製造に特化した職人は自分以外の楽器を見ることも少ないのです。

ガリアーノの初代アレサンドロは、最大で4000万円ほどするヴィヨームよりもさらに高く最大で5000万円にもなります。しかしこの楽器にはそこまでの状態の良さは無いでしょう。古くから多くの修理を重ねています。したがって同じような価格帯ということになりますが音は全く違います。値段に数値化して音の良さを表すことができません。

したがって必ず音を試して選ぶべきです。うちでは通常10日間は試奏のために貸し出しますが保険会社の手続きの問題で延長も可能です。このような楽器を買うようなお客さんには、仕事で実際に使ってもらって試すことも普通です。
日本の方で巨匠だの天才だの言うばかりでろくに弾かせてもらえずにビソロッティを購入したというヴァイオリン教師の話も聞きました。じっくり試されたら都合でも悪いのでしょうか?今はフランスの楽器を使っているそうです。今では店に楽器が無く作者名で注文してクレモナの作者に作ってもらうそうです。これが世界一流の販売者でしょうか?

音が重要であるならホールなどで仲間とともに試してください。

ヴィヨームを使うようになってからコンサートマスターもおもしろいもので音の調整のための試奏で弾く曲が変わったように思います。ガリアーノの時は交響曲のメロディを弾いていましたが、この前はコンチェルトのソロの曲を弾いていました。超絶技巧もちゃんとできる人だと再認識しました。
楽器が音楽性に影響を与えることもあるんですね。そういう意味でも重要ですが、運命みたいなところもあるでしょうね。


まずは傷んだコーナーを直しました、これは音には関係ありませんが、良い機会ですから。それ以外は過去の修理の様子です。縁には厚みを増す修理が行われていますこれもすでに古いもので戦前より前のものかもしれません、バスバーはそれに比べると新しく40~50年前のものでしょう。この楽器は名門オケの演奏者が使っていたもので、遺品として売りに出されたものです。指板とペグや駒などの付属品を変えただけで売りに出されました。その時点では異常はありませんでしたが、今になってトラブルが起きています。ここで完璧に直しておこうというわけです。

見るとバスバーはとても短くバロックヴァイオリン以下です。これも不思議です。ビリつきの原因と考えられるのは過去の修理で接着されていた部分が開いていました。新しい割れなどはありません。


これから修理を続けながらなぜ音が柔らかいのか考えていきたいと思いますが、分からないという結論になるかもしれません。

これからブログは書くことがたまったら書くことにします。不完全なことを書くと誤解を広めるだけですので余計な記事は書かないようにします。

暑い時期も終わって自分の楽器も作り始めています。とにかく時間が足りないのでコメントに返事などはしません。短い文章で誤解ないように気を使って書くのはより多くの時間を要します。









こんにちはガリッポです。

前回は音楽学校に寄付されたマルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンをバロックヴァイオリンに仕上げる話でした。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12869275705.html

できあがりました。シンプルな指板とテールピースですが、実用的なバロックヴァイオリンです。見るからに現代のヴァイオリンと違います。弦は大手メーカーで入手しやすいピラストロのコルダです。G線は3種類あってこれはシルバーの巻き線のものです。他に銅を巻いたものとガットのみのものがあります。重さがあるので金属巻のほうが細くなります。マニアックな方々は専門のメーカーで様々な仕様があります。
バロックヴァイオリンで気になるピッチは演奏する人や楽団が決めることです。Aの音は415Hz~440Hzくらいですかね。教会でオルガンとともに弾く場合にはオルガンに合わせないといけません。作られた時代によって違うかもしれません。クリスマスの時には寒さも調弦に影響するそうです。でも教会は空調が無い建物としては比較的温度差が小さい建物です。


アーチはそんなに高くないばかりかいわゆるドイツ的な台地状の四角いアーチではありません。丸くなっています。このようなイタリア的な要素を持ったものもたまにあるのでオールド楽器というのは当たり外れが大きいのです。
板の厚みは典型的なドイツ式でした。これは表と裏が同じような厚さなのも特徴です。したがってイタリアのものに比べると表板は厚めになり、裏板の中央は薄めになります。しかし200年以上経っているので数字にこだわっても意味が無いでしょう。
おもしろいのは南ドイツの楽器と厚みが共通していることです。何かしら交流があったことでしょう、逆にザクセンのネックが南ドイツ、さらにオーストリアからイタリアに伝わったかもしれません。

このことはこの楽器が決められた設計に対して正確に作られていてそのままの状態で残っているということが言えます。つまり雑に作ったのではなく高品質なのです。これがミラノのグランチーノやテストーレならもっと雑に作られています。
マルクノイキルヒェンでももちろん雑に作られたものがありました。このため、産地で判断するのではなく、一つ一つの楽器を見なくてはいけません。特にオールド楽器は作りが様々です。

ナットも象牙などで作られることもありますが、今回はシックに黒檀です。現在ではプラスチックの模造品があります。プラスチックは刃物を痛めるので手入れを考えると黒檀にしました。
ペグは本当のバロックの時代のものではないように見えます、でも誰も知らないことでしょう。少なくとも見慣れたものとは違う感じがするでしょう。他に入手できるものがありませんでした。
黒檀は信頼性が高いです。


アーチは四角い台地的なものではなく素直な丸みがあります。

こういうものがマルクノイキルヒェンでもあるというのが驚きです。しかしこのような特徴の作者などは知られていません。誰も興味が無いので研究もされていないことでしょう。値段は1万ユーロくらいでしょう。それでも160万円ですから音楽学校に寄付された楽器としては破格です。200年以上前に丁寧に作られたものが新作楽器と同じかそれ以下の値段なのですから安すぎます。値段が上がらないのも誰も興味が無いからです。

バロックヴァイオリンに適した楽器とは?

オールドヴァイオリンの中にはとても音が柔らかいものがあります。特に高音の柔らかさは近代以降のものと次元が違います。そんなものがたまにあるので私は知っています。しかし一般の人はそんな音を体験したことも無いでしょう。手持ちのヴァイオリンにさらに輝かしい強い音のE線を張って喜んでいる人も多いことでしょう。知らないのはある意味幸せかもしれません。特にアジアでは強い高音が好まれるようです。これには何か理由があるのでしょうか?

楽器を買う時にはよく分からないで成り行きで買ってしまうことも少なくないでしょう。したがって、多く売っているようなものを使う人が多いわけです。買ってから、使っていて高音が気になってきてそれからどうにかしようとそんなことです。

私は買う前にしっかり試しておくべきだと言いますが、後で言っても遅いです。音で楽器を選ぶのは実際にはとても難しいことです。しかし、値段や作りなどで音を保証できるような規則性はありません。音は弾く人によっても違いますし、聞く人の感覚もきまぐれで、客観的な評価などはできないあやふやなものです。しかし耳で聞く以外に他に音を保証するものは何もないということを言っています。

今回の修理の最大の目標は「修理代の節約」です。学校には予算があまりないからです。前回バロックとモダンの違いを説明してきましたが、バロックとモダンで違う点がもう一つあります。それはバスバーです。バスバーは短く細く低い物でした。それがどんどん大きくなってきています。1900年頃よりも今の方が太いものをつける人が多いでしょう。魂柱も同様です。オールド楽器ではf字孔が細いので細い魂柱が入っていたことは間違いないでしょう。ストラディバリなどを真似て作ろうとしてもf字孔に魂柱が入りません。魂柱が入るように広げるともうストラディバリのf字孔には見えないというわけです。実際のオールド楽器はf字孔の外側が変形して下がっていて、f字孔も魂柱を入れる作業の繰り返しでぐりぐりと広げられているので細いはずのf字孔に現代の魂柱が入ることが多くあります。楽器によっては後の時代の人がナイフで削って広げているものもあります。クレモナ市の所有のジュゼッペ・グァルネリなどは後の時代の人が広げて大失敗しています。
今回は3/4のヴァイオリンのものを入れています。太さで音がどう違うかというと、ケースバイケースでやってみないと分からないとしか言えません。法則性などを言うのは難しいです。細い魂柱は倒れやすいので安価な楽器やレンタルの楽器では私はできるだけ太いものを入れます。

本来ならバスバーも交換が必要です。この楽器では過去にモダン仕様のバスバーに代えられているからです。しかしそうなると表板を開けなくてはいけません。修理としてはルーティーンのものですごくお金がかかるというほどではありませんが、少しでも出費は抑えたいはずです。よく20世紀の量産楽器にバロック駒とガット弦でバロック風にすることがありますが、ひどい耳障りな音になります。バスバーを小さくしないとバランスが取れないからでしょう。それが今回は唯一の心残りです。「本当のバロックヴァイオリン」と言い切れない所です。

したがって音が耳障りな酷い音になるのではないかと不安がありました。

出来上がって弦を張ります。ガット弦はどんどん伸びてすぐに調弦の音程が下がってしまいます。張ったその日に弾くのはかなり難しいです。落ち着くのには何日かかかるでしょう。

1週間くらいして弾いてみました。
低音はダイレクトでギーッというガ行の音が強く出ます。暗く暖かみのある音です。高音でも耳障りな嫌な音は少ないです。中音域は複雑な響きがあり豊かさもあります。思わずニンマリとするような良い音でした。普通は楽器の優劣というと鳴るとか音量とかそういう話ですが、全くそんなことは気になりません。はっきりした音なので耳元ではそれほど小さくは感じません。とても濃い味わい深さがあり、不快な音は無いですね。
そのあとモダン楽器を弾くと味気ない無味無臭の音に感じます。ミッテンバルトのオールド楽器ホルンシュタイナーでも普通に聞こえます。

バロックヴァイオリンがこんなに魅力的に感じられたのは初めてかもしれません。
音楽学校の先生が受け取りに来ました。自分のバロック弓を持っていて弾いているのを聞いても自分で弾いたのと印象は変わりません。先生もとても美しいと言っていました。先生の同僚には音大でバロック奏法を勉強した人もいるそうで、物珍しいというレベルではなくちゃんと使ってもらえそうです。
黒檀製の指板について説明すると演奏しやすいと言っていました。
隣の部屋で聞くとさらに刺激的な音は少なく滑らかで美しい音に聞こえました。何故か古楽のCDではとても金属的なメタリックな音になっていることが多いです。マイクの性能など技術的に難しいのか、古楽専門レーベルの録音エンジニアの耳が腐っているのかわかりません。古楽録音の世界にも、偉いカリスマエンジニアがいてその人のおかしな音を皆が崇拝しているのか、そういう音の流行が90年代の古楽ブームであったのかもしれませんね・・・わかりません。教会や宮殿の柔らかい響きの中ではそんな音には聞こえないでしょう。


それはともかくこの楽器がなんでこのような音になったかと言えば、ガット弦やバロック駒だけが原因ではないでしょう。楽器そのものが持っている音が重要な役割を果たしていることでしょう。耳障りな不快な音が出ないのはもともとすごく柔らかい音だったのではないでしょうか?弱い張力のガット弦の豊かな響きがあってもさらに暗い音になったのは楽器自体が音色を持っているからでしょう。これは現代の典型的な新作楽器をバロック仕様にしたのでは得られないと思います。中国製の量産楽器のバロックヴァイオリンでも無理でしょう。近代・現代の楽器を改造しても無理でしょう。

つまりこの楽器はもともと柔らかく、味わい深い音を持っているためにバロックにしてもそれが強く出てくるということです。したがってモダン仕様にしてもおそらくとても魅力的な音になるのではないかと思います。

普通ならこのようなものはモダン仕様に改造されてしまいます。モダン仕様で音が芳しくないものがしょうがないからバロックにして売っているものとは違います。むしろバロック仕様で良い音になる方が条件が厳しいのではないかと思うほどです。

しかしながら、その時代にはどうだったかと言えば、古くはなっていないのでそこまで味わい深い音や柔らかい音ではなかったかもしれません。チェンバロがピアノに進化したようにジャラジャラした金属的な音が、クリアーで済んだ音に変化してきたはずです。これは他の楽器も同様で19世紀的な価値観でしょう。
モダンや現代の澄んだクリアーな音に慣れている今の人にとってはこのような奇跡的なバロックヴァイオリンは受け入れやすいでしょう。当時の音とは違うかもしれません。

演奏についても同様です、現代の人は肩当やあご当てを付けて練習を始めたので、それらが無いことはマイナスでしかありません。現代の楽器で慣れた人が弾きやすいということも現実には考えないといけないでしょう。「正しいバロックヴァイオリン」というのではなくて「弾きやすいバロックヴァイオリン」というのは実際に使う楽器では重要になるでしょうね。博物館に展示するようなものとは違います。

これは私の楽器作りの基本的な考え方です。「正しい楽器」を主張する考えは私は嫌いです。魅力的でなくては弾いていて気持ちよくありません。私は快楽主義です。快楽主義は道徳では間違っていますので論争では負けるでしょう。


それにしてもこのような音をモダン楽器でも出せれば良いですね。そうなると多くの演奏者にも味わうことができるからです。私が掲げる目標は他の職人とは全く違う方向ですね。

ヴァイオリン職人が音をどれくらい意図的に作れるかというと、じゃあこのバロックヴァイオリンみたいな音のモダン楽器を作ってくださいと注文できるでしょうか?実際に作ることができるけどもモダン奏者には評価されないので作っていないだけなのでしょうか?

そんなのは到底無理です。
音を自在に作るのは難しいです。職人は0.1㎜単位で仕事をしているので作り方を変えた気になっていても音にはあまり違いが出ません。作り方を変えても思ったよりも音が変化しないのです。それに対して自分で考えて工夫したのだから音が良くなっているはずだと希望的観測で結果を評価する人が多いでしょう。自信に満ちたカリスマ性のある職人ほどそうでしょう。職人には科学者や世界の大手企業のエリート社員のようにそこまで客観的な考えができる人が少ないです。
何をどう変えたら何がどう変わるかもわかりません。
全く同じ寸法で作っても音は微妙に違うのでそれが作り方を変えたせいなのかもわかりません。これでは意図的に音を作ることなどできません。

現代の楽器製作では理屈としてセオリーを学びます。こう作るのが正しく、そうなっていないのは間違っていると教わります。間違ったものを作ったら音がどうなるかは誰も知りません。作ってはいけないと学ぶので誰も作ったことが無いのです。ヴァイオリン職人はそのレベルです。音が良いと考えられている作り方で皆が作るのでみな同じような音になります。しかしそれでもなぜかわからない個体差が音に出ます。このため楽器を買う人は、作者の意図や主張は無視して弾き比べて選ばないといけません。理屈を聞いてはいけません。

それに対して私はセオリー通り作ったものとは違う音を出す方法を探っています。それはつまりセオリーから外れたものです。今回のヴァイオリンもヒントになります。音を聞く前にそれが正しい作り方だとかそういう事を一切捨てることです。正しくない作り方で作ってみて、音が変わるかどうか試してみます。正しいとされている作り方では違う音にならないのです。
真面目な人は師匠に教わったり、現代のセオリーに忠実に「正しいヴァイオリン」を作ります。その結果音は似たり寄ったりになります。
不真面目な人は手抜きの楽器を作って言い訳をします。ビジネスで楽器を作る人はコストを下げるために手抜きをします。まじめに作られているだけでもレアなのです。



さて、ガット弦に近い人工繊維の弦は何かというのも難しい問題です。メーカーは皆カタログに「ガット弦に近い」と書いています。それでもいろいろな音ですね。

金属巻のガット弦は1980年頃には高級弦としてピラストロ社のオリーブやオイドクサが君臨しました。その後ナイロン弦のドミナントが受け入れられ一世を風靡しました。先生は生徒に「とりあえずドミナントを使っとけばいいよ」と教えた事でしょう。それを勘違いして絶対的なスタンダードと崇拝する人も出てきます。
一方で頑なに人工繊維を受け入れない人や知識がその時代で止まっている人がいます。
そんなガット弦の愛好者に評判が良いのは「コレルリ」でフランスのサバレスという会社のものです。特にアリアンス・ビヴァーチェが優れた製品で、新製品はさらにカンティーガやソレアというものが出ています。

また別の見方ではガット弦に変わって普及したドミナントの系統のトマスティクのものがガット弦に近いという人もいるでしょう。

張力の弱さという意味ではラーセンがあります。製品がいくつもあります。
張力が強いと一般には明るい音になる傾向があると思います。しかし表板を強く押しつけて、響きが消されてしまうことがあるでしょう。かえって張力が弱い方が明るい響きが広がって明るく聞こえるかもしれません。

暗く暖かみのある音ではピラストロのオブリガートが筆頭です。音はクリアーすぎるようにも思います。
訳も分からずに買ったり、たまたま安かったり親戚に譲り受けた楽器の音が明るすぎたり、やかまし過ぎたりする場合少数派ながらそのような需要があるようです。うちでは多数派です。うちの社長は育ちが良いので楽器が少しでも売れるようにと安価な楽器でもオブリガートを張りたがります。日本の楽器店はドミナント以上の高い弦を張るのを嫌がる社長も少なくないでしょう。
同系統はトマスティクのインフェルト・レッド、ラーセン・ツィガーヌなどで選択肢はわずかです。全体としてはパフォーマンス重視の明るい輝かしい音の製品が新製品としてどんどん出てきます。うちでは遠いアメリカやアジア向けの製品という印象を受けます。
それに対して暗い音のものは出てきませんから楽器自体が暗い音を持っていないといけません。

暗い音でハイパフォーマンスの弦を私は望んでいますがマニアックすぎるのか、原理的に実現不可能なのかありません。つまり最大限のパフォーマンスを生み出すには音色の味わいは犠牲になるということです。味わい深い音色にする場合は楽器が勝手に鳴ってくれる性能は諦めなければいけないということですが、本来当たり前のことでオールド楽器で素晴らしい音がするのは上級者が腕でカバーしているということでもあります。ただそれに興味がないユーザーが多数派ということですね。

いずれにしてもガット弦の要素を部分的に持っていて視点によっては似ているということにすぎません。ガット弦の魅力を再確認するという意味でピラストロ社からパッシオーネという製品が出ています。ガット弦の愛好家からも、現代的な音を好む人からも興味を持たれないものになってしまいました。


シックなバロックヴァイオリンになりました。この時代のものでは丁寧に作られていて趣きがあります。音も現在のセオリーで作られたものとは全然違います。
違うということは必ずしも優れいてるということではありません。しかし違いが無いと選ぶ方は難しいですね。違いが無いのに値段だけが違うのもおかしいですね。正しい楽器を作るのではなく、選びやすいものを作るべきではないでしょうか?
良し悪しをきめつけずにこのような安価な楽器もバカにせずに興味を持ったらどうでしょうか?数千万円するのが当たり前のオールド楽器で160万円は安いものですが、バカにするようなものではなく普通に考えれば相当なお宝です。東京の人たちに信じられている「現代の巨匠」には全く出せない音があることでしょう。

私は科学的な思考を楽器製作に応用するなら生物の進化に似ていると考えています。生物は何の意図もなく無作為に個体差のある子供が生まれ、生存に有利な形質が残ったのが進化というわけです。ダーウィンのようなずば抜けた科学者でなければ難しい考え方です。そのダーウィンも自分で進化論を思いついたのではなく恩師に教わっていたようです。そんな歴史も捻じ曲げて伝えられています。
しかし多くの人は、誰かの意図があって進化してきたと勘違いしています。高い所の葉っぱを食べるためにキリンの首が長くなったと未だに説明されています。ポケモンの進化も全く違います。たまたま首が長いのが生まれて高い所の葉っぱを食べて生き残れたと考えるべきでしょう。

我々が楽器に対しても天才職人が意図的に考えて音が良くなる製法を作り出したと思い込んでいます。それよりも無名な職人たちによって微妙に違う楽器がたくさん作られたのでその中には偶然まったく違う音が出るものがあるかもしれません。偉い師匠の教えよりも何でもない楽器のほうがはるかに可能性があります。

このように先入観や思い込みを捨てて、どんな楽器に対しても客観的に音を評価することが科学的な取り組みと言えるでしょう。音響工学の学者がストラディバリを研究するのも先入観に凝り固まっています。普通の楽器も研究するべきです。そんなのは科学ではなく話題性がお金を生んでいるだけかもしれません。
我々も修行の段階で先生や師匠から先入観を学びます。先入観を学んだことで自分は知識があると思い上がっています。専門家の言うことほど現実の音に当てはまらないのはそのためです。
このような業界ですから弦楽器については何も勉強しない方がまだましなのです。

現代のヴァイオリン製作の主流派からするとバロックヴァイオリンは全く理解されない存在です。音が悪いオールド楽器をバロックに改造するのは「バロックヴァイオリンなんてこんなので良いだろう」と心の底でバカにしている表れです。そうなると何も学ぶことはできません。

知るべきことは言われている知識などはあてにならないということです。ぜひ多くの楽器を実際に試してみてください。日本にいる時点で輸入した人のフィルターがかかっていることもお忘れなく。