典型的なモダンドイツ、K.A.ギュッターのヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

音は個人差が大きいと再三言ってきています。
先日も駒が曲がってしまったチェロを持ってきたお客さんがいました。駒の交換が必要です。その時どんな方向に音を変えたいかということも聞かないといけません。音を柔らかくしたいという事なので、もともとついていたベルギー型の駒を変えたほうが良いかしれません。
実際に本人が弾くのを聞くと、全然鋭い音ではなく、ルーマニア製の量産品とは言っていましたが、落ち着きやゆとりがあってバランスは取れているようでした。

今の音大生はこんな音を好むと方向性を提案しても、全くそんな音は興味がないそうです。
ベルギー駒にスピルコアのC、G線、ラーセンのD、A線が張ってありました。一時大流行したものです。スピルコアを現代のスチール弦に変えれば柔らかくなるし、ラーセンも劣化して金属的な音になっているので交換すれば良いでしょう。

我々がどう思うかではなくて、お客さんの希望に応えるのが職人の仕事です。
このように音の評価なんてものは無いんですよ。

趣味ならなおさらで、最近は「ガチ勢」と言うようですね。SNSのようなもので情報を発信するとなると、相当なレベルでないと恥ずかしいですね。しかし、他に仕事があって普段の暮らしがあって、その中で癒しや安らぎを得たいという人もいるでしょう。道具に求められるものは変わってきます。そういうのはバランス感覚が重要で「趣味が良い」なんて言葉もあります。極端なものが情報として流れやすくなっているのは悪趣味だと思います。

マルクノイキルヒェンのマイスターのヴァイオリン


昨年に修理をしていたマルクノイキルヒェンのマイスターのヴァイオリンの修理が終わりました。
以前出てきました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12827370275.html

表板に割れがあること、作られてからだいぶたっているので表板を開けてバスバーも交換することにしました。コーナーやエッジにも損傷がありました。実際に使われていた楽器なのでしょうがない所です。新品のような状態で保管されていたものはコレクター向きですが、音は良くないこともあります。


目が良い人なら手抜きで作られた安物ではなく見事な楽器であることが分かるでしょう。
作者はカール・アルノ・ギュッター(1894~1991)で、マルクノイキルヒェンの職人の一族です。ベルリンなど他の場所でも修行しています。

この楽器は年代は書いてありませんが、1930~1950年頃のものではないでしょうか?本にいくつか楽器が出ていて酷似しています。本物と考えて良いと思います。

1900年前後のドイツの楽器製作の典型的なものです。教科書通りのストラディバリモデルに、分厚くオレンジのニス、コーナーは丸く軽いアンティーク塗装が施されています。
ドイツではクラシック音楽が盛んで、マルクノイキルヒェンやミッテンバルト以外の各都市にもヴァイオリン職人がいました。1900年頃にはそれらの作風がとても似通っていてドイツ独自のモダン楽器のスタイルがあると言えます。もはやフランスの楽器のマネという域を超えています。

これはドイツの特徴というだけでなく、20世紀の世界的な流行でもあります。ハンガリーやイギリスでも同様のものがあります。基本的な考え方は今でも通用します。ストラド型で軽いアンティーク塗装は今でもよくあります。赤やオレンジのニスもそうですね。
専門書の記述では、ストラディバリやガルネリモデルで作っていた作者は「古のマエストロをお手本にし・・」とそのことを高く評価しています。つまり商業上、職人が自分独自のものをめざすよりも、ストラディバリとの関連性を匂わせるほうが有利だったのでしょう。商業上の宣伝文句とは違い当時はストラディバリモデルで作るのが当たり前でストラディバリとは関係のない普通のモダン楽器でした。いずれにしても人のマネは悪いことで個性的であることを良しとする現代の日本人が擦り込まれて持っている考え方は西洋でも弦楽器業界でも絶対的ではありません。粗悪品ではない楽器を購入できるだけでも幸運です。


ドイツの楽器の特徴と言ってもオールドの時代のものは何も残っていません。世界共通の作風になっています。

アーチも現代のフラットなもので、板も厚めになっています。現在の常識とも変わっていません。実際1991年まで生きていましたからそんなに昔の人でもありません。指板も交換し、駒の高さも万全です。修理済みでなければさらにかかる費用が全く違います。量産品ではこのような修理さえもためらわれます。

現代風の作風の中では70年くらいは経っていますから新品よりも音は出やすくなっていることでしょう。作者はオークションで値段が上がるほど有名ではありませんが立派なものです。この辺の楽器はあまり知られておらず新品よりも値段が安いくらいです。

スクロールも丸みが綺麗に出ていて、本に出ている楽器とも同じ形で仕事が正確だったことが分かります。

とはいえ完全に完ぺきというわけでも無く歪みや癖もあります。完璧だからつまらないとも言えません。


特にきれいなのは裏板の木目とアーチのカーブです。着色の処理も見事です。一枚の板は立体感が見やすいのでとてもきれいに見えます。ストラディバリのような柔らかなカーブが出ています。仕上げはそれ以上に滑らかで近代的な美しさがあります。

f字孔は肉眼で見るのとこうして写真にしたので違う印象を受けます。肉眼では両眼で見ているからでしょう。こうやって見ると形も整っているし、カーブもきれいです。
表板のコーナーは損傷を受けていたので4つとも私が直しています。作者の特徴を留めないといけません。

ペグは交換しましたが、穴はそれほど大きくなっておらず、新作とほとんど変わらない太さのものを入れることができました。ペグは軸が太くなると弦を巻き取るスピードが速くなるので微調整がしにくくなります。そういう意味では完全に近い状態ですね。
こういう古い楽器では、それがあったとしても、修理が済んでいるかどうかが大きな差となります。表板もこれまで開けられたことが無いかもしれません。

ネックも下がり駒も低くなっていることがほとんどです。修理を終えて完璧な状態になっています。バスバーも交換し、付属部品もすべて交換しています。

ネックは分厚過ぎたので加工しなおしました。根元の部分は高いポジションを弾くときに左手の親指が来ます。ここが削り足らないと指が届きにくくなります。楽器の製造とはちょっとノウハウが違うので、腕の良い職人の楽器でも十分ではないことがあります。現代の職人でも経験が豊富なら直すことができますが、作者のオリジナリティを損なうと気にしなくても良いです。また有名な作者でも、そういうことは知らなかった場合もあります。

音は好みの問題

マルクノイキルヒェンでは安価な量産品が大量に作られていました。しかし、ランクは様々で高級品も作られていました。これはフランスでも同様で、一人前の作者本人の楽器もあれば、工場で量産されたものもありました。それらははっきりと差別化されていたので、分かりやすいですね。

したがってザクセンの量産品よりははるかに高い値段がつきます。それでも1万ユーロ(約160万円)以上をつけるのはなかなかの事です。
しかし、一人前の作者の見事な楽器でもヴァイオリンの値段とはそれくらいのものだと知るべきです。

現代と同じような作風で、70年くらい古くなっているので、同様のレベルの新作楽器ではかなわないことでしょう。新作にそれ以上出すことが常識外れで、新作楽器を作る意味もありません。

とはいえ「音は好みの問題」です、必ず皆が気に入るとは限りません。
うちでは板が薄めの楽器の方が売れているので、厳しいかもしれませんが、日本なら厚い板を好む人がいて、その中では鳴りも良いことでしょう。500~1000万円出してイタリアのものを買わなくても同じような音のものはあるでしょう。

音については日本人好みといえるかもしれません。
しかし日本ではこのようなドイツのマイスターの楽器が存在することが知られていません。輸入されてきたのは大量生産品か、とても素早く作って来たマイスターのものです。

知られていないので買いに来る人がおらず、店に置いても売れないので、仕入れないということになります。売っていないので誰にも知られません。日本の楽器店は世界の一流品を集めているわけではないと思ってください。バブルの頃の日本人はそのような好奇心がまだあったと思います。オールドならドイツのものに興味を持った人もいた事でしょう。モダンは全く知られていないことでしょう。
しかし現代の楽器の作風はどこでも変わらないので、各国の一流品なんてものは定まっていません。何でも弾いてみるしかありません。
これにイタリアのモダン作者の偽造ラベルが貼ってあれば興味を持つ業者も出てくるでしょうが…。

古い楽器は入手が新作よりも難しいので手に入れる機会も少ないでしょう。弓でもマルクノイキルヒェンの古いものは日本では手に入りにくいようです。ドイツのオーケストラ奏者の多くが使っているものです。

音は作者の腕前とは関係が無いということを言っています。それは楽器自体に興味がない音楽家がどう思うかという反応です。
楽器を作るには音とは関係のない木工作業がほとんどです。それができていなければ粗悪品や欠陥品、不良品となります。すべてをきちっとやるとこんな楽器になります。修理は作業をセオリー通り丁寧にやるだけで良いので楽です。これが粗悪品になると故障以前の状態には直せても、演奏はしにくく欠陥だらけのままでまたいつ壊れるかわかりません。それも高額な修理は施せないのでやっつけ仕事でやらなくてはいけません。音以前の問題があります。たいがいは見た目のほうがきれいに作ってあるので、見た目が綺麗でも中がぐちゃぐちゃの楽器はあります。中はきちんと作ってあって、外がぐちゃぐちゃということはまず無いです、品質については外側が綺麗なのは必要条件です。

しかし、手を抜こうと考えるような人は外側も「悪くはない」という程度にしかできません。一定以上の水準であれば中もきれいに作ってあります。
これらは音以前の話です。


オークションで値段が高騰するのはほんの一部であり、腕の良い職人でも知られていない人の方が多いです。腕が良い職人が作った高級品が欲しいという人はこのような楽器も豊富にあるのでその中から音が気にいるものを選ぶこともできます。
音だけで選んでもこれを気に入ることもあるかもしれません。
しかし量産品が絶対に音が悪いとすべての音楽家が思うとは言えません。

量産楽器で始めて、本格的に音大で学びたいとか、一生の楽しみとしたいという人は粗悪品は避けて、こういうランクの楽器の中から音が気に入るものを探すというのは手堅い行動です。好きな音のものを選んだ後で板の厚みも測ってもらえば良いことでしょう。

私も修行時代に学びましたが「〇〇だから量産品は音が悪い」というような理屈は非科学的だと分かるようになりました。

一方板が薄い楽器は初めは鳴るけどもそのうちダメになるという日本特有の理屈も嘘であることが分かっています。私が作った薄い板のものでも、新品よりも過去に作ったもののほうがよく鳴るようになってきています。

嘘の理屈が多いので、知識は学ばないほうが良いと思います。今回のような楽器の存在を知って、先入観を捨てるように努めてください。