楽器を見る訓練 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

まずはミルクールのヴァイオリンから


かつてこの楽器を買った人の領収書はミルクールのJTL(ジェローム・ティブヴィル・ラミー)のものと書かれています。
どこを調べても名前や印はありません。私にはJTLのものであるかどうかは分かりません。
しかしミルクールのヴァイオリンであることはすぐにわかります。

なぜこれを見てミルクールのヴァイオリンと分かるのでしょうか?
「ミルクールのヴァイオリンの特徴を挙げよ」と質問されたときになんと答えるでしょうか?

ストラディバリモデルでアーチはフラットです。
でもそれだけでは、他にもたくさん同様のものがありそうです。
エッジの仕上げ方に特徴がありますが、言葉でなんと説明しましょうか?

スクロールの縁が黒くなっています。しかしこれだけでミルクールの楽器とは断定できないでしょう。

つまり言葉では説明できなくても、楽器を見ることによってこれがミルクールの量産品であることが分かります。逆に言えば楽器がどのようなものであるかは楽器を見ないと分かりません

量産品であるということがなぜわかるかと言えばクオリティが、一流の職人のハンドメイドのレベルには無いからです。しかしながら、他の国のものを含めれば高級品に匹敵する高い水準で作られています。とはいえ量産品、中よりも見た目のほうが美しくできているでしょう。板の厚みはやや厚めで、フランスの一流の作者のものとは違うようです。
その代わりにプレス(平らな板を曲げてアーチを作ったもの)では無いようです。無垢材というわけです。

JTLは当時ミルクールでは大きな企業であり、自社だけでなく他の工場からも買って販売していたことでしょう。したがって、どこの工場のものなのかはよくわかりません。しかしミルクールのものであることは明らかです。

マルクノイキルヒェンのマイスターヴァイオリン



これも見た瞬間に上等なものだと分かります。

ラベルは無く「K.A.ギュッター」という焼き印が押されています。楽器のクオリティからハンドメイドのヴァイオリンだと分かります。作者を調べるとマルクノイキルヒェンの作者ということが分かりました。


裏板の材質も高級な一枚板であるだけでなくアーチのカーブがとても美しく立体造形のセンスがあることが分かります。このため職人の腕前としては一流であることが分かります。
エッジには丸みがつけられています。古い楽器の雰囲気を出すためで、オールドイミテーションの一つです。これは1900年頃には流行し、イタリアのモダン楽器にも見られる特徴です。現在でも主流で19世紀フランスのようなものの方が珍しいです。今ではそれがオールドイミテーションの手法とは知らずに作っている職人が多いことでしょう。

一流の腕前の職人の楽器に、ギュッターという名前が押されているのでおそらく本物と考えて良いでしょう。
一般の人は私とは逆です。一流の作者の情報をどこかで聞いて、その名前がついているとその楽器が一流の職人に作られたものと認識します。この方法だとどこかで聞いた評価が怪しいですし、名前がついていても偽造ラベルだったり、作者が弟子や工場で作らせたものかもしれません。腕の良い職人でも知られいていないことが多いです。

本には1978年にヴァイオリン製作コンクールで金賞を取ったと書かれています。この楽器は戦前のものでしょう。1991年まで存命だったそうです。
にもかかわらず日本でこの作者を知っている人は皆無でしょう。腕が良い職人でもマルクノイキルヒェンの作者は日本では注目されないのです。評価というのは一体何なんでしょうか?・・・ザルですね。

スクロールも丸みが綺麗に作られていますがニスにも特徴があります。


赤くて柔らかいニスです。同様のニスはドイツの19世後半から戦前にかけてのモダン楽器に見られるものです。フランスの楽器製作を元にしながらドイツ独特のスタイルが確立されています。もはやフランスのまねではありません。北ドイツのハンブルクから南のミッテンバルトまで作風が酷似しています。それでも作者ごとに微妙な違いがあり個性ということができます。

マルクノイキルヒェンでは量産品には硬いラッカーが使われ、独特なアンティーク塗装が施されました。


それに対してグレードの違いがあり、高級品には柔らかいオイルニスが分厚く塗られています。

コーナーとパフリングの仕事もきれいです。

柔らかいニスなので実際に剥がれたところもあるでしょうが、オールドイミテーションがほどこされていたのではないかと思います。


ひび割れなどは人工的につけられたものでしょう。
バスバーのところに割れがあります。これが安価な量産品なら致命的な損傷となるでしょう。この楽器はマイスター作品であることが明かなので修理する値打ちがあります。作られてから大きな修理は受けて無いようなのでちょうどオーバーホールでフルレストアする時でしょう。修理が済んでいるか済んでいないかも値段や音に大きな違いとなることでしょう。ですから試奏するときには注意が必要です。

この楽器は見たところで上等なドイツのモダン楽器であることが分かります。そこに焼き印があるので作者名が分かります。高いクオリティで作られているのでおそらく本物であろうと思います。さらに本で調べてみると形が酷似しています。

これも実際に楽器を見ることによって量産品ではなくマイスターのハンドメイドの楽器だと分かりました。文章で特徴を記述してもわかりません。実際に楽器を見ないといけません。

この楽器も板を測ると厚めに作られています。
しかし100年くらいは経っているので、同じような厚さで作られた新品の楽器よりはよく鳴ることでしょう。厚めの板で作るのは1900年以降は多くなります。それが手抜きのためなのか、それが音が良いと考えていたのかはわかりません。

私は板の厚みは音の個体差を生み出すので、好き嫌いの問題だと考えています。厚めの板の音が好きな人は、わりとたくさんあるので容易に入手できます。それに対して薄めの板の楽器は少ないのでそれが好みである場合には入手は苦労します。

この楽器はストラディバリモデルで赤いオイルニス、フラットなアーチです。しかしそれをマルクノイキルヒェンの特徴とは言えません。他の産地でも同様のものがたくさんあります。フランスやイタリアにもあります。

どうして量産品とマイスター作品との違いがわかるのでしょうか?
それはクオリティの違いであり、訓練されていれば見ればわかります。写真ではちょっと怖いです。現物を見れば一目瞭然です。


「マルクノイキルヒェンの楽器の特徴は?」と問われた場合の知識について考えてみます。

(正解)マルクノイキルヒェンではシュピールマン式のネックで作られ、木枠を使わないで横板が作られ、コーナーブロックが入ってない。


これが分かっていれば「知識がある」と言えます。
シュピールマン式が何か分かっている人は相当知識があることでしょう。
しかしこの楽器はシュピールマン式のネックではありませんし、おそらく外枠か何かの木枠を使ったことでしょう、コーナーブロックも入っています。
知識として学ぶことと、実際の楽器が違うのです。上記のような特徴はマルクノイキルヒェンのオールド楽器に見られる特徴です、モダン楽器ではもう変わっています。

ヴァイオリン製作学校の留学生の話をしましたが、このような知識を学んでいるところです。しかし現実の楽器とはかけ離れていて、学校では実物を見る機会もありません。
ヴァイオリン製作学校で何年も知識を学んだあと、実務経験を積んでそれが現実とは違っていることを学ぶことができます。
ですから、弦楽器について知識を学ぶと一旦、現実から遠ざかります。そしてさらに現場で勉強するとそれが間違っていることを学べます。この時「理論家」であると現実を受け入れることができません。

当ブログでも知識を教えると、学んだことによって現実から遠ざかってしまいます。知れば知るほど理解から遠のいていくのです。私が教えてしまっていることに罪を感じます。日本ではその機会すら難しいですが、先入観を捨ててできるだけいろいろな楽器を弾いてみてください。


先日、レンタルのチェロを使っている子の家族が4/4の初心者用のチェロを購入しようと来店していました。師匠は「値段は手作業の量が多いほど高くなる」と説明していました。うちですべて手作業で作ると4万ユーロになると言っていました。しかし4万ユーロ分音が良いというわけではなく、手作業で作るとそれだけのコストがかかるからその値段です。音で値段がついているのではありません。

4万ユーロなら今の相場では640万円ほどになります。
こちらの消費税込を抜くと520万円程度になります。日本に輸出する場合には日本の消費税がかかりますが、全額に対してかかるわけではなく現地で買うよりも~15%くらい安くなるでしょう。

ともかく師匠はコストで値段を説明しました。
さらに「音については主観です」と説明すると、お客さんは「じゃあ、音は好みの問題ですね」と自分から言ってきました。私がいつも言っているようなことがすんなりと理解されました。これが日本人には理解できないようです。

日本ではまったく違う説明がなされることでしょう。
営業マンはまず製造国がどこであるかから始まって、その楽器がいかに優れているか説明します。

しかしうちでは「値段は製造コストで決まっていて、好きな音のものを選んでください」というだけです。

日本の営業マンは必要ないことしか説明していません。
それを入社して先輩から学ぶのでしょうから、真面目に働いているわけです。
むしろ製造コストはうやむやにして、製造コストによって値段が決まるという概念自体を消費者の頭から消し去りたいようです。


このため楽器について知識を得ることは意味がないことになります。
それどころか知るほど現実から遠ざかっていきます。プロの職業人を育てるヴァイオリン製作学校でも例外ではありません。学校で学んだことが、職場で間違っていることに気付けるかということです。職場も様々で、師匠が自分の楽器を作っているだけの工房なら、師匠の楽器しか知らないままです。演奏家のお客さんと接し、いろいろな楽器を目にして行くと学んだ知識と現実が違っていることに直面するでしょう。理論家という人は頑なに現実を受け入れません。

そういう中で音大生や音大を目指す人たちがどんな楽器を求めているかを知っていると、今回出てきたような楽器が注目されます。

知識を勉強するとまず、アマティ、ストラディバリ、デルジェス、シュタイナーなど古い名器を学びます。「100年くらい前の普通の楽器」の価値が分かるのはずっと後です。一方新作楽器であれば、宣伝やメディアへの露出があって知られています。マニアで詳しい人はこの両方には詳しいかもしれません。ヴァイオリン職人でも19世紀のフランスの楽器に興味がある人はとても少なくなります。1900年頃のドイツの楽器ともなると誰も知らないという状況です。オークションでも注目されません。しかし楽器自体が現代のものと変わらないので同じ系統の音で新作楽器よりも鳴りが良くなっています。

楽器マニアではない学生と親は限られた予算の中で作者名を見ずに試奏して音が良い楽器を選ぶとこれらの楽器を購入するわけです。マニアでも何でもない人たちに選ばれるので我々は注目しているのです。このあたりの楽器が分かるということは相当詳しいということですね。でも作者名を知っても意味がありません。名前を伏せて選んだ結果、どの作者だったかということです。見て量産品なのかマイスターの作品なのかクオリティが分かることが重要です。楽器を見分けるのはそのレベルの話であって、作者が天才かどうかは私にもわかりません。


このような感じですから、言葉で言われていることは全くあてになりません。
言葉で物事を理解したいというのが「人間の性(さが)」でしょうね。しかし実態とは違っています。
そういうことを常に経験しているので私は言葉なんてものは全く信用していません。