「音が良い」と「良い音」 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

しばらく休暇でブログも休んでいました。
更新を止めれば閲覧者も減るものですが、今回はそんなに減ってきていません。
期待外れです。


ヴァイオリン職人でも音のことはよくわかっておらず自在に作るのは難しいということを説明しています。

作ってみたらこんな音になったという事でもありますが、出来上がって10年くらい使い続けるとまた違っています。したがって、何かの試みをしても結果が分かるのがいつになるのかもわかりません。

今回の休暇での一時帰国でも、新しく作ったヴァイオリンに比べると、10年位前に作ったものの方が音が出やすくなっていることが分かりました。したがって「鳴りの良さ」という部分は職人が作り出すというよりも、使うことによって引き出されるものだということができるかもしれません。できた当初は高いポジションの音が鳴りにくかったのが改善したという人もいます。

それに対して、新しい楽器でも魅力的に思える部分もあります。鳴り方はおとなしくても、「良い音だなあ」と感じることができました。私自身が楽器を作ってその音を「良い音がする」と感じていますが、それが個人的な感想なのか、誰にとってもそうなのかよく分からない所です。昔から風光明媚な所があって、古来より多くの人たちにその景色が愛されていることがあります。弦楽器にもそのような音があり、オールドの名器などはそのように多くの人達に美しいと感じられるものなのでしょうか?

そのような「良い音」をどのように言葉で説明していいかはわかりません。弾いてみないと感じることができません。今回の帰国では何人かの方にそれを感じてもらうことができ、私が感じていたのと同じことを共有したような体験ができました。

職人の私が音について語るのはまだそんなレベルですが、常識として語られていることではありません。
改めて弦楽器の音とそれを感じる人の不思議さを知ったくらいです。

「音が良い」と「良い音がする」と言葉で言うとそれぞれニュアンスが違ってきます。私は厳密には区別せずに語ってきたこともありますし、区別して使っているのを多くの読者の方は気づかないだろうと書いていることもあります。

私が音が良い楽器と言う時には、音響面が優れている楽器のことです。職人の腕前が優れているとか、工芸品として美しいとか、木目やニスが美しいとかそう言う事ではなく、音の面で優れているということです。楽器の品質が関係ないのなら値段も関係ありません。

我々職人や業者の間でも、「良い楽器」と言う時があります。英語なら「A fine ...violin」と鑑定書やオークションの目録に書かれていることもあります。この時はお金のことが含まれています。値段が高い楽器なら「良い楽器」であり、安ければ良い楽器ではありません。
業界では常識として語られてきたことです。
未熟な職人が雑に作ったものでもイタリア製なら「良い楽器」と言われることがあります。ただ古いだけのものでも「良い楽器」と言われることがあります。
職人の目で見て、良い楽器と業界で言われることの基準を分析してみると「値段が高い=良い楽器」になっていることに気付きます。私がムードに流されない頑固な職人だからです。職人として修業する時、師匠からどういうふうに作るべきか教わることと、商業取引される時の良い楽器の基準が矛盾することに気付いてしまいます。多くの職人は異なる物差しを器用にその時その時で使い分けています。オールドの名器を見たときに美しいと言っておきながら自分楽器を作る時には全く違う基準で作るのです。すごく頑固な人だと自分の作っている楽器の基準が正しく「ストラディバリは私のものよりも劣る」くらいに考えている人もいます。でも私は古い楽器と現代の楽器は別物だと思います。何が違うのかに興味を持っています。

私が「音が良い」と言う場合には、値段で楽器を判断しているのではなく、音でのみ評価していると考えてください。
30万円でとてもよく鳴る楽器があれば、奇跡の一台ということになります。しかし数千万円になってもただ鳴るというだけではその値打ちは無いでしょう。値段で期待される音というのはあるわけでコストパフォーマンスという意味では値段を気にします。多くの人はそれとは逆で値段を知らされると、初めから決めつけて評価することが多いです。

楽器の値段は音に対して、たとえば1dB当たりいくらと値段を決めているわけではありません。オークションなどで欲しい人が多くなれば値段が高くなるという経済原理だけのことです
このため値段とは関係なく音が良い楽器が存在するということを説明しています。

じゃあ、音が良いというのはどういうことなのでしょうか?
楽器の販売を商売としているのなら「売れる音」を察する必要があるでしょう。
商売で成功する秘訣ではあるでしょうが、客観的に音が良いと評価する事とは違うでしょう。
私の地域で売れる音と、日本で売れる音が違います。ですから相対的なものですね。日本で絶賛された楽器を持ってヨーロッパにやってくれば、誰にも見向きもされないということもあり得る、音というのはそれくらいのものです。

私は、先生やプロの演奏者が「音が良い」と言ったものは音が良い楽器と言うことができます。しかし先生も個人差があります。実務の経験でこれなら音が良いと思う人がいるかもしれないというそんなものです。

基本的には音が出やすいということが多数の人に評価されやすいものです。つまり「鳴る」ということです。

しかし、それに対しても、「弱い音が出しにくい」と評する人もいます。弓が触れたとたんアクセルがいきなり全開になってしまうのではなく、オンとオフではなくじわじわと音が出るほうが良いというわけです。「弱く弾いても音が消えない」ということを「発音が良い」ということもできます。そうやって個人個人の感じ方を聞いていくと一筋縄ではいかないことが分かります。

基本的には上級者であればどんな楽器でも鳴らしてしまうので、それほど「鳴る」ということを重視しなくなっていきますから、鳴りを重視するのは中級者までということになります。こうなると基準が変わってきますが、プロの演奏者でも音が出やすいことで「仕事が楽にできる道具」として評価する人もいます。

つまり私がニュアンスとして「音が良い」という時には音楽をするための道具として機能が優れているという意味になるでしょうか?

一方「良い音」という時は、音自体を心地よく、気持ちよく感じるというニュアンスが強くなるでしょう。同じ曲を演奏するのはピアノでもフルートでもオルガンでもコンピュータでも音楽としては同じかもしれません。同じ曲をヴァイオリンで聞いた時に他の楽器以上に気持ちよさを感じるとすれば、楽器そのものの音が好きということが言えるかもしれません。


このように様々な基準が人によって違うのが楽器の評価です。このため値段という一つの尺度で評価することはできません。

多くの人は「オールド楽器のような音かどうか?」という基準で楽器を評価することはありません。職人も同様で、オールド楽器の音に近いかどうかを全く考慮しない人の方が多いでしょう。鳴りが良く楽器としての機能が優れていれば音が良い楽器と言えます。そのようなものが売れるでしょう。

基準が一つ変わるだけで楽器の評価はまるで変ってしまいます。
このため自分で責任を持たないといけないのです。


私はブログでも、100年くらい前の楽器でよく鳴るようになっているものがあったときに「音が良い」と書いています。しかしオールド楽器のような音とは全く違うこともあります。私個人としては音そのものにはピンと来ていません。でも私情を挟まなければ、楽器の機能としては優れているということで「音が良い」と書いています。

つまり古くなれば大概、音が良くなるのです。
このため50年以上前に作られたものなら、音が良い楽器がゴロゴロあって、値段はただの中古品として新品よりも安いことが多いです。つまり、音が良い楽器というのは宝くじに当たるようなものです。宝くじは買う前に当たるかどうかわからないように、弾く前に音が良い楽器かどうか絞ることができません。手あたり次第いろいろなものを弾いてみないと音が良い楽器には当たらないのです。ウンチクを信じたり、値段が高いとか、職人の腕が良いとか関係ないのです。
こういうのは音楽家の楽器の選び方です。音楽には興味があっても、楽器には無頓着な人が多数派です。うちでは売れるのはこういう音が良い楽器です。職人は楽器の品質にこだわりが強く、ディーラーは楽器の素性に興味が強いですが、このような音楽家が評価すると全く違う楽器を選ぶことが多くありケンカになることがあります。ディーラーがコレクター向けに楽器を仕入れる時とは選ばれる楽器が全く違うのですからオークションでの値段などは何の意味もありません。


ただし「オールド楽器のような音」という基準になるとこれらでは叶えられることは少ないでしょう。普通は本当に古い楽器を探すことになります。モダン楽器でも、19世紀のものになると、20世紀のものよりはオールドのような音のものが見つかることでしょう。

「オールドのような音」となったときには運ではなくある程度楽器の作りに法則性があるように思えます。
それは何かといえばオールドのような楽器ということになりますが、新品でもそのように作ることができると考えています。実際にそのような成果が出てきているのが面白いです。ヴァイオリン作りをやっていて「良い音がする」のは最高に面白いことです。


「良い音」はオールド楽器のような構造にすることで、技術的に得ることができる。
「音が良い」のは、作られてから長年使いこまれること、または運によって得ることができるということが分かってきました。

こんな事さえ情報として知らされることは無かったでしょう。
とても有用な情報でしょう。
私も師匠や文献から教わったりはしていません。
私が研究をして今分かってきたことです。



不思議なのは、「なぜオールド楽器のような構造にすると良い音が得られるのか?」ということです。
アマティなどの昔の職人はそのような音を目指していたと考えることができるかもしれません。しかし、当時の職人はそのような方法しか弦楽器の作り方を知らなかったと考えたほうが自然でしょう。そうなると後の時代の人が、楽器を改良していった(つもり)ときに、「良い音」が失われて行ったということです。それに対して注意を払わなかったということです。

私の故郷でも、江戸時代には古い街があって、戦後には古い建物を壊して商店街に変えてしまいました。その後鉄道が交通の主役になると商店街は駅の近くに新しくできて寂れてしまいました。さらに自家用車が普及すると駅前の商店街もシャッター街になってしまいました。江戸時代のままの町を保存していれば今頃観光地として栄えていたことでしょう。そうやって古いものを保存していくのは難しいことなのではないかと思います。

アマティの時代に当時知りうる方法で作られた楽器が素晴らしかったために、楽器として普及し、クラシック音楽の主流の楽器となりました。その後改良(?)が続けられ音が変わっていったという事でしょう。

しかしアマティたちの時代にはガット弦が張られ、バロック仕様で今とは音が違っていたので、彼らの音の好みが現在のオールド楽器の音だったわけでもありません。

私はオールド楽器という「デバイス」が固有の美しい音というのを持っているのではないかと思います。別のデバイスでも性能は得られますが、音は変わってしまいます。私が研究して分かってきたのはこれくらいです。
具体的には表板や裏板がデバイスとなります。修理で分解してパーツを変えて組み立てても固有の音は変わりません。