ウィーンのモダンヴァイオリンの修理 その2 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ウィーンのモダンヴァイオリンを現代仕様に改造する修理をしていました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12748928852.html

ネックの長さが異常に短ったのでネックを継ぎ足しました。バスバーも現代風に太いものに変えました。やや小型のヴァイオリンですがどうなるでしょうか?

隙間なく接着できてないといけません。

継ネックには様々な継ぎ方があります。これは最もシンプルなやり方ですが、意外と3次元の立体で接着面を理解するのが難しいです。わかるでしょうか?接着が確実なら一つの木材と強度は変わりません。


胴体に取り付けるのも精度が必要な仕事です。

新しく足した木は何十年も保管してあったものでも色が違います。オリジナルの部分と色を合わせるのが難しいです。ペグの穴を埋めた部分は木目の向きが違うためさらに難しいです。うまく継ネックをやると一見わからないようになります。ザクセンの量産品では古い楽器に見せかけるためダミーとして継ぎ目をひっかいて描いてあることがあります。わざとらしいのです。

これは正当な修理なので私はことさらに継ぎ目を隠そうとはしていません。でもニスの修理のセンスでこれくらいにはなります。「修理済み」であることを売りにしたいなら地味すぎますね。商売に結びつけようとするとろくなことはないのです。

いつものように普通に演奏できて演奏者が修理してあることに気付かなければ修理としては成功なのです。

修理完了


ヨハン・パーデベッドの1840年代の作品です。

アマティ的なモデルでサイズは小型です。しかしミドルバウツはさほどくびれておらず、サイズの割に窮屈にならないのではないかと思います。7/8のチェロでもこのような特徴があるとフルサイズに近いものになるでしょう。寸法としてのサイズだけではなく楽器の中央付近は特別な意味があると思います。
f字孔は独特で楽器に対して大きく見えます。表板の材質は荒い木目の安いものです。本来楽器用には使わないもので密度が低く柔らかいものです。
表板の目止めには失敗していて、ニスの色が木材に染み込んでしまっています。普通針葉樹の柾目板では年輪の断面が木目として縦縞の線になります。
年輪は夏の時期に成長している部分は密度が低く明るい色となり、冬に成長が遅くなっているところは硬く濃い線となります。
夏の部分はニスが染み込みやすく染まっているのに対して、冬の部分は色が入っていません。このため木目が自然の状態と逆転して見えます。つまり本来なら濃い線になるべきところが明るくなり、明るくあるべきところが濃い色になっています。素人がDIYで何か作ると汚らしくなってしまう原因で、オシャレっぽく見せている安価な木工製品でもよくあります。
本来の木目を生かしながら白い木に色を付けるのはとても難しいのです。

裏板はトリッキーな木目です。完全な柾目板ではなく斜めに取ってあるようです。
オリジナルのニスも剥げて来ています。もともとのニスはウィーンのオールド楽器にも見られる典型的な色です。濃い赤茶色でしょうか。
ニスが剥げている所をコーティングしようと思ってニスを塗っていたのですが、なぜか弾いてしまいなかなか塗れなかったです。何週間も進展がありませんでした。ニスの仕事というのは難しいものです。

アーチはウィーンのオールド楽器とは全く違います。モダン楽器らしいものですが、20世紀のペタッとしたものとも違います。

スクロールは丸みに神経を使って作られています。ニスの色は典型的なウィーンのものです。

胴体と同様にスロールも小ぶりです。

フランス的なストラドモデルとも違いますが、オールドのドイツ系のものとも違います。

お手本通りのストラドモデルやガルネリモデルのモダン楽器ではありません。その意味では個性があると言えるでしょう。しかしなぜかイタリアの作者だけが個性的だと思われているようです。

多くの人は値段が高いことと美しいことを混同しているので、値段が高い楽器の特徴があると美しいと考えてしまいます。頭のほうが感性よりも優位なのです。そしてお金に興味が強いです。

この楽器もサイズも小さいしレアな作者なので相場はよくわかりません。でも200万円くらいするのは当たり前でしょう。1840年代のモダンヴァイオリンとしてはそれでも安すぎるかもしれません。

気になる音は?

小型で板が薄く、表板は安い材料です。現代の職人はこれらを音が良くない特徴と考えるのが常識です。

実際に弾いてみるとまず豊かに太い音が響きます。音は鋭さが無く柔らかいものです。柔らかくてボリューム感があるので、耳障りで音が強く感じるものとは全く違います。このようなものはとても珍しく私もお目にかかる機会は10年で数えるほどでしょう。
やはり大型のモダン楽器のようなスケール感はありません。しかし、新作などは問題にならないくらいに鳴りますし、並みのオールド楽器よりもゆとりがあります。音色も渋く味があります。

どんな有名な作者でも主流派の現代の楽器では絶対に出てこない音ですし、モダン楽器でもやかましいものが多いでしょう。ヴィヨームでも鋭さがあります。戦前のモダン楽器よりもずっと「古い音」がします

滅多にない小型のサイズのモダン楽器としては2度と手に入らないものではないかと思います。サイズが小さかったために眠ったままになっていた楽器ですが、修理したことで、好みによってはプロの演奏者でも使えるレベルの楽器として活躍する準備ができました。


われわれが常識として頭で考えていた理屈がまたまた覆されました。このようなことがたくさんあるので、初めから理屈なんてあてにしない方が良いのです。


表板の木目の粗さと音の関係ははっきり言えません。ただし、材質として硬い方が明るく鋭い音になって、柔らかい方が暗く柔らかい音になるのはあると思います。ものすごく細かい木目の木材は柔らかいものですが、このような粗いものも柔らかいものがあります。見た目ではわかりにくいです。
粗い木目で年輪の線がとても硬いものは、材質としても硬くなると思います。
同じように荒い木目に見えても硬いものと柔らかいものがあります。細かい木目のものは柔らかいものが多いですが、それでも硬いものがあります。

このため見た目ではわかりません。

一方木材の値段は見た目で決まるので値段が音と一致しないのです。音も好みや作風との相性で何が理想の木材ということも無いのです。

また古い木材になるとどんな見た目でも柔らかくなっていますし、カサカサになっています。古くなるとますます何でも良いことになります。

今回の木材は標高が低い所で育った楽器用には使われないものでしょう。ヨーロッパでは「ユーロパレット」というフォークリフトなどで使われるすのこ状の板があります。日本語でも木製パレットと言います。
それに使われているようなものです。
勤め先では薪ストーブを使っているので燃料がパレットごと届けられます。それを廃材としていろいろなものを作ったりします。もちろん楽器用には使いません。しかしこのパーデベッドではそのレベルの木材が使われています。比較すればそっくりです。

温暖化によってこのような木材が増えても直ちに音が良い楽器ができなくなるということはないでしょう、むしろ小型の楽器では音が良くなるかもしれません。古くなれば何でも柔らかくなりますし、また音の変化には予測不能な個体差があるでしょう。

オールドの名器が最高だという思い込みから、温暖化で木材の成長に影響があると即音が悪くなると考えるのは単純すぎます。
理屈などは理屈に過ぎないのです。
マニアや専門家ほど陥りやすい間違いがあります。

一方で音だけでチェロを選んで200万円を無駄にした話もしました。知るべき知識もあります。知らなくていいことばかり知識を集めてウンチクを語っているのは我々には滑稽なものです。

板が薄い楽器は初めは鳴るけども、そのうち鳴らなくなる…なんて本気で語っている人がいます。1840年代の楽器がよく鳴っているんですから笑ってしまいますね。人間は理屈が好きなんでしょう。