パウル・クノアとザクセンのヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

今回は東ドイツのマルクノイキルヒェンなどザクセン派のヴァイオリンについてです。
1600年代から生産されドイツでは最も生産量が多く、アメリカにも輸出されていました。戦後ドイツが東西に分かれると、西側に向けての輸出は少なくなり衰退していきます。終戦後には一部が西ドイツ側のブーベンロイトに移住して新たな産地を形成し世界中に輸出されました。

今では中国製など(旧)共産国の製品が安価な量産品としては多くなりました。こうなるとかつては安物と考えられていた西ドイツの量産品も相対的に価値が高まります。ドイツが統一したのが1990年ですから30年以上前です。西ドイツ時代に作られたものは鳴りが良くなってくるころです。機械を多用した合理的な生産方法で量産品としての製造品質も高いものもありました。現在ドイツ製の工業製品などは庶民には買えなくなりました。何もかも中国製です。ヴァイオリンだけはドイツ製品が安物と考えるのはおかしいです。

ヨーロッパでも遺品や物置から古い楽器が出てきたというと多くが戦前のザクセンの楽器です。ストラディバリのラベルが貼ってあったりして、期待して専門店に持って行くと「ニセモノ」と言われてがっかりするものです。つまりザクセン=低品質な安物というイメージがついています。

しかし私は品質は様々であり、必ずしも値段に対して音が悪いということは無いと考えています。また弓も多く生産し、品質がさまざまです。マイスターの弓ならヴァイオリン用では20万円以上しますし、100万円を超えるものもあります。プロの演奏家でも使っている人が多いのは毛替えの仕事で分かります。

私が特に面白いと思うのは、マルクノイキルヒェン近郊のクリンゲンタールのホプフ家のオールドヴァイオリンです。四角いモデルでミドルバウツの幅が広く、オールドとしてはかなりフラットなアーチに巨大なf字孔がついています。ザクセンのガルネリウスと言ったイメージです。音もオールドらしいばかりか、地味一辺倒ではなく明るさもあり癖が少なく「ヴァイオリン教師」には愛好家も結構います。何千万円もするイタリアのオールド楽器と近いものがあると思います。

しかし品質や年代は様々で個体差も多くあります。
先日もヴァイオリン教師の所有するものをメンテナンス修理をしました。ヘッド部分は新しすぎて後の時代につけられたものでしょう。こうなると楽器の価値は激減してしまいます。本当のオールド楽器なのに100万円もしないでしょう。完璧な修理を施すと楽器の価値よりも高くなってしまいます。不完全なものが実力を発揮できてないとすると残念です。やはりヴァイオリン業界の値段の評価が大雑把で実力を表していないのです。

実際にメンテナンスを終えて試奏してみると、もちろん渋いオールドの音がありますが、開放的に鳴るという感じではありませんでした。D線の下の方だけが急に豊かに響いてアンバランスな感じがしました。それでも教師の方が試奏すると満足して帰って行きました。その人にとってはそれが普通なのでしょう。

ザクセンの楽器は品質が様々でとんでもなく酷いものがたくさん作られたのも事実です。昔の工業製品というのはみなそんなものだったようです。ミルクールでもミッテンバルトでもイタリアでも同じです。ただ数の上で圧倒的に多くの粗悪品がザクセンで作られたのも事実でしょう。

戦前の量産品では、オールドの名器の作者名を印刷したラベルが貼られることも多かったです。ストラディバリウスやガルネリウス、シュタイナーやアマティ、ルジェッリやベルゴンツィ、チェルーティなど何でもありました。業者はよく知らない消費者に期待を抱かせて楽器を売ってきました。200~500万円程度で売られていたら確実に本物ではありませんが、ザクセンの量産品としては高すぎるものです。音楽家同士の売買で「音が良い」と信じて買ってしまう人がいます。量産品は製造上の特徴があるので私が見るとすぐにわかります。しかし音楽家は音が良いと評価して買ったのです。

したがって安物だから必ずしも音が悪いということはなく、正当な値段で買えばむしろコストパフォーマンスに優れたものがあるかもしれません。
コストパフォーマンスという言葉は最近はだいぶ一般的に使われるようになったかもしれませんが、かつては理系趣味のマニアが語っていたものです。音楽家の思考が工業製品の愛好家である理系マニアとは全く違うので「安くて音が良い」ということを理解できない人も少なくありません。楽器を購入する人には、他に理系趣味を持っている人もいれば、全くそのような経験のない人もいます。理系趣味はマニアの間で一定の価値基準が出来上がっていて「〇〇であるほど優れている」というルールができているでしょう。それに対して一般の人はそれを共有していないので、マニアが絶賛するものでもピンとこないというわけです。マニアの間でも系統が様々に分かれていることもあります。価値の基準がジャンルごとに決まっているのです。
はっきりと趣味趣向が一般の人と違うので製品は初めからマニア向けに作られるばかりか、メーカー自体がマニア向けのメーカーと大衆メーカーに分かれている事さえあるでしょう。

弦楽器はマニアの世界ではないため、「音が良い」ということにルールが出来上がっていません。感覚としてその人が感じるしかありません。こうなるとどんなものが評価されるのかわかりません。数万円の楽器の音を気に入る人もいるかもしれませんし、数千万円の楽器を弾いてもピンとこないかもしれません。

またマニアックな人たちが満足するような製品開発もなされてきていません。
唯一マニアックな世界があるとすれば、弦だと思います。
弦メーカーは音が良い製品を求めて日々開発をしています。
いくつもいくつも試作品を作っては演奏家に試奏してもらい評価が高いものを製品化するということが行われています。そのようなことは楽器の製造ではないと思った方が良いでしょう。ヤマハくらい大きな企業になるとやっていますが、協力している音楽家がどれくらい本気なのか怪しい所です。代償としてヤマハから無料でヴァイオリンをもらうと教え子にあげてしまい自分は相変わらずオールド楽器を使ってる・・・そんなもんです。

ヴァイオリンはその時代の常識、トレンドやセオリーに従って作られているものがほとんどです。他の産業でも人々はみなそのように日々の生活や仕事をしています。いちいち検証や実験をして行動を決めていないでしょう。知識のよりどころとなる講師やコンサルタント、記者でさえ研究者ではありません。本を読んだだけで専門家のできあがりです。

常識やセオリーを学んで修行して一人前になるのでさえ難しく、零細企業の伝統産業なので現代の工業製品のような「開発」はできないと思った方が良いです。「画期的に音が良い製法を生み出した!」「ストラディバリを超えた!」などと弦楽器のことを全く無知な記者によってメディアなどに取り上げられて有名になることがありますが、作者の言い分を鵜呑みにしてはいけません。思い込みが激しく客観性が無い人が多いですから。
もし記事にするなら他の楽器と比較試奏した記事を載せるべきです。実際にはなんでもない中古の楽器を超えることすら困難です。何でもないと思っているのは無知なだけでその楽器も作った職人の人生がこもっています。今の人が思いつく工夫は100年前の人も考えていたのです。


それに比べると弦メーカーは大きな企業でハイテク素材、ハイスペック、高価な高級弦を開発して市場に送り込みます。
しかし多くの場合は認知されることもなく弦マニアだけが飛びついて需要が一巡して終わります。
ほとんどのユーザーは最新の製品を知ることなく、先生が薦めるものを使う人がほとんどです。楽器や演奏技術が違うことは全く考えませんし、先生も最新の製品をチェックしていません。


このため世の中には認知されていなくても価格の割に音が良い楽器があるかもしれません。古くから商業では品質が様々な製品を、売り手が選別して例えばマークなどをつけて売るということがなされてきました。これは面白いなと思います。

つまりヴァイオリン職人が古いザクセンの楽器のうち品質の良いものを選んで星の数などで等級付けして売ればユーザーにとって分かりやすいです。われわれがやっているのはそういう事で楽器に値段をつけています。ザクセンの量産品ならパッと見てこれなら2000ユーロだとか、4000ユーロとか値段をつけています。現在の工業製品ならメーカー名や型番で中古品の価格が決まると考えるかもしれませんがそれはできないのです。メーカー名がついてないものでも「職人が見て品質を評価した」ということにプレミアムな価値が生じることでしょう。さもなければガラクタとして見過ごされてしまいます。商人が評価したことはマイナスになるでしょう。根も葉もないデタラメな事ばかり吹いて回っているのですから。

パウル・クノアのヴァイオリン


ザクセンの作者は産地の中でほとんど有名な人がいないのが他の流派と違う独特なところです。普通は同じ産地の中で先駆者的な人がいて有名になり、細かく流派が枝分かれしていくものですが、マルクノイキルヒェンではだれが創始者なのか、誰がリーダー的な人だったのかも知られていません。
商人はザクセンの楽器を有名な楽器に対して悪いものだと吹いて回っているために、注目する人がいないのです。
ザクセンからはベルリンなど大都市に移ってマイスターとして活躍した職人も多く輩出しています。ザクセンから出たことで一人前の職人として評価が上がってくるというほど、産地としてマイナスイメージがついているということです。

そんな中珍しいのはパウル・クノアです。

お判りでしょうか?典型的なガルネリモデルで尖ったf字孔です。パガニーニが使ったイル・カノーネのようなf字孔ですが実際にはこのようなf字孔は多くありません。「モデル」として定着したのはこのようなもので、フランスの楽器製作の影響を受けていることが分かります。
ニスはアンティーク塗装ですが、リアルな感じはありません。クオリティも本当のデルジェスのような粗さは無く、製品として安定感があります。

教科書のような近代的なガルネリモデルです。実際のデルジェスに忠実にするのではなく、モディファイして欠点の無い完璧な丸みにします。これはフランスでもイタリアでも行われていたことで、パガニーニの故郷ジェノバでもこのようなものが作られました。

アンティーク塗装では周辺部分のニスが剥げたようになっていますが、実際にはこんなふうにはなりません。傷も黒くつけてありますが全体としてきれいすぎます。

ただいかにもザクセンという汚らしいものではないので、「アンティーク塗装で作られた質の高いモダンヴァイオリン」とみれば正当なものです。

アーチは現代のヴァイオリンとしても教科書通りでなだらかに中央が高くなり表面もデコボコが無いようにきれいに仕上げています。オールド楽器ではもっと手で彫った起伏があるのに対して、なだらかなものです。したがって明らかに現代の楽器でありオールドとは別の種目の競技です。

スクロールにはガルネリモデルの特徴は感じられません。

ストラドモデルと区別していなかったかもしれません。
実際にはデルジェスは父親が作っていたことが多いのでアマティ的なものが多いです。「典型的な」というと晩年の荒々しい作風のものをイメージする人が多いでしょう。

フランスのようなガチっとしたような感じはありませんがひどく粗悪な感じもしません。
継ネックがなされています。継ぎ目が見えます。

これはイミテーションとしてはじめからほどこされていたと思います。つまり白木の段階ですでに継ネックがされていて、それからニスを塗ったのです。というのはいくつかのクノアのヴァイオリンを比べると継ネックのやり方や位置が全く同じなのです。修理で行われたならそんなはずはありません。

傷をつけただけのダミーではなく、継ネックは実際にされています。
オールド楽器のイミテーションにこだわるなら施してもマイナスになることはありません。

パウル・クノアのラベルがついています。ラベルが無いものも多くあります。PKと焼き印が押してあるので分かります。
日本でもドイツの食品メーカーの『クノール』という商標で味の素から販売されているものがあります。同じ苗字ですね。
ラベルには1943年と書いてありますから、もはや現代の楽器ですね。見た目も新しいです。

クノアはヴィヨームのように弟子や下請けの職人に楽器を作らせてアンティーク塗装で売ったので数も結構多くあります。評価できるほどの量があるということもあってマルクノイキルヒェンのメーカーとしては高額で200万円ほどの相場となります。

音は80年経って強くなっています。力強く音量があると感じられるでしょう。一般の人はこの時代の楽器を手にすることが少なければ音が大きいというだけでも驚くと思いますが、私たちは音が大きく感じるようなものはこの時代のものなら普通だと感じています。100万円程度のマルクノイキルヒェンの楽器でも同じようなものはたくさんあります。したがってクノアだけが特別ではなく普通に作ってあるヴァイオリンなら珍しいことではありません。作者が考え出した特別な製法などは必要ありません。「イタリアのものではなくてはならない」と制限すれば同じ時代のものは500万円以上するのは当たり前です。しかし500万円するから音量があるわけではありません。

むしろ強烈な強さのものはもっと安いザクセンのものにも多くあります。クノアでは極端に耳障りではありません、むしろやや上品です。

200万円程度のクノアでも当然新作楽器よりも音量があると感じられます。
音が良いということをどう定義付けるかということですが、音が強いということを良い音だと考えるなら新作のイタリアの楽器でなくても良いことになります。
現代の楽器らしく明るくてこもったような音はありません。音に大きな違いが無いのに異なった扱いをするのはおかしいです。クノアでも現代の楽器と作風は変わらないので古い分だけ音の強さ、鳴りの良さで有利になります。現代の職人はこれとは違う路線を見出せなければ勝負になりません。

前回のパーデヴェットは明らかに違う音です。私にはそれが希少であることが分かります。どんな音を好むかは個人の自由です。現代的な音が好きならマルクノイキルヒェンのものなら安くて鳴りも良くなっています。

もっと古いザクセンのヴァイオリン



こちらは見るからに古いですね。

オールド楽器になると近代や現代のような「クリーンさ」が無くても高価なものがあります。それだけに雰囲気があります。
ただし、アマティやストラディバリ、シュタイナーなどはとても美しく作られておりオールドだから素朴だという事ではありません。素朴な楽器でも音が良いことがあります。イタリアの作者ならそんなものでも何千万円もしますが、さっきのクノアのようなものならきれいすぎるのでオールド楽器には見えません。この楽器のほうがオールドっぽく見えますが・・・。

私には単に安上りに作っただけのもののように思えます。アーチも周辺を薄くしただけで上が平らになっています。

もちろんイタリアのオールド楽器も安上がりに作られただけのものがたくさんあって特に違いはありません。

音は弾いてみるしかありません。

私はこの楽器はオールドほど古いとは思えません。ただし1800年代終わりころにはもっとフランス的な量産楽器が作られるのでそれよりは古いのではないかと思います。つまりきちんとした基準ができていないのです。

スクロールは残っているニスの色が胴体と全く違うのでオリジナルではないと思います。

値段は難しい所です。うちでは品質から最低ランクの安物とみなされ売り物にはならないとレンタル用に貸し出されていました。値段で言えば10万円もしないと考えていました。この前のチェロと同じような品質のものです。あれを260万円で買う人がいるならこれも100万円くらいしても良いんじゃないかとなってしまいます。

それは冗談としてもレンタルとしては渋い風格がありすぎます。他の子どもから浮いてしまいます。

このため指板を交換して売れるように修理をしました。弾いてみると音は期待外れでした。枯れた渋い音はするけども、出方がダイレクトで楽器全体が振動している感じがしません。量産楽器の音ですね。かつて考えていた評価であっていたかもしれません。でも音は基準がないので良い音だと感じる人がいるかもしれません。少なくとも「品質=値段」に見合ったもので古い分だけ味があります。

いずれにしてもこのような楽器は微妙なオールドの偽造ラベルを貼るとそのようにも見えてきます。怪しげな楽器として流通することもあるでしょう。量産品として一定のクオリティに達している方が量産品に見えて、それ以下のものの方が手作りに見えるのです。オールドの名器と紙一重です。当時のイタリアでも安価な楽器の需要があり、実用品として安上がりな楽器が作られていました。それが今では何千万円もするようになると「巨匠」と勘違いされています。何故かイタリアのオールドには初心者用のものがありません。イタリアには初心者や裕福ではない人はいなかったのでしょうか?そんなはずはありません。生まれながらにしてヴィルトゥオーソということはありえません。今では数千万円するものも当時は初心者用の安価のものとして作られたものだったりするだけです。

何千万円もするイタリアの楽器も品質は変わりません。しかし時代によってスタイルがあってアマティ派の楽器には基本となるものがあるように思います。


評価が低すぎるザクセンのヴァイオリン?


現在では音の好みが優雅で上品なものから、強くはっきりしたものへと変わってきています。こうなると伝統的に安物とみなされてきたザクセンの楽器の音が演奏者にとっては良い音ととられる可能性が増えました。実際店頭でお客さんの反応を見ていると多くの楽器の中にザクセンのものが混ざっていても特に否定的な評価が集中することはありません。むしろ自分の楽器は音量が無いことに困っている人には魅力的にさえ聞こえます。何世代か前の人たちにとっては魅力が無かったものでも、音量が増大しハイテク弦が開発されると状況は変わってきます。

値段が評価として現れるのはそれよりもはるか後のことです。イタリアのオールド楽器のような音が今でも演奏者に求められているのかも疑問です。

またチェロになると値段も高くなりますし、作られた数も少ないです。ザクセンのものでも貴重で学生などが試奏すると、音の強さを評価することが多いです。特にチェロは構造上強度が不足すると音が弱く感じられます。ガット弦が好まれたような時代には下品な音とされていたものがスチール弦全盛の現在では力強い音と評価されてもおかしくありません。
アメリカではかなり高い値段で取引されているようです。


繰り返しになりますが音の好みは各自の自由で業界として決まりはありません。
最近のお客さんの反応を見ていると強い音のものが好まれるようになってきており、ザクセンの楽器が通用することが多くなってきているように思います。値段はイメージの悪さから安くなっていますから最新の注目株ということになります。

はっきりと自分の考える「良い音」を定義づけてください。そうでないと楽器を薦めることも議論することもできません。「値段が高い楽器の音」という正体不明の議論になってしまいます。明るくて強い音ならザクセンのものにもあります。技術的には20世紀の教科書通り作るとそうなることが多いです。クレモナの人が作ろうがザクセンの人が作ろうが同じことです。