セールスポイントを説明しないといけないという暗黙のルール | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

こちらではコロナも落ち着いて街には観光客も多くなってきています。市のパンフレットに見どころとして、固有名詞は避けていますがヴァイオリン工房も書かれています。うちは観光客向けにやっているわけではないので頻繁に見物客が来るようなら仕事の邪魔になります。
市のほうが勝手に観光地にしようとしてるのでしょうが、工房見学が常態化すると仕事になりません。
観光客はヴァイオリン工房自体が珍しく、古い街並みとマッチして見ると「なんて美しい!」と感激します。工房見学も団体で年に数回くらいなら対応できますが、毎日何回も数人規模で来られても困ります。

このような人たちは自分が弦楽器を弾いているわけではないので、適当な説明をすると分かった気になって感激して帰って行きます。知るというエンターテインメントです。どれだけ記憶に残っているかはわかりませんが。ヴァイオリンはお土産に買うようなものではないのです。私はこのような「知識のエンターテインメント」に弊害があると考えています。エンターテインメントだと分かって楽しむ必要があると思います。

それに対して「本当のお客さん」への対応は全く違います。
読者の方が日本から訪れれば、私が丁寧に説明します。

また初めてヴァイオリンを習ったり、お子さんの楽器を買うという方は全く何もわからない状態ですから毎回説明が必要になります。「私は全然わからないので教えてほしい」と素直に聞いてくる人は賢明です。演奏者と接している職人ならではの率直な事実をお知らせすることができます。

むしろ問題なのは経験が豊富な演奏者が何もわかっていないことです。彼らは「自分はすでに分かっている」という顔をしてくるので機嫌を損ねるわけにはいきません。実は全然わかってなかったりします。
ヴァイオリンを収集して弾き比べをして楽器に特別こだわりのあるマニアックなヴァイオリン教授でも、量産楽器と高価な名器の見分けもできません。そんなものです。

また職人には妙な持論を持っている人が多いです。以前世話になった職人の話を過大に信じ込んでしまう人がいます。例えば駒は古い木材のほうが音が良いとどこかで聞いてくると自分の楽器の駒が何十年も前のもので頑なに交換しようとしない人がいました。はっきり言ってそんなに気にするようなことではありません。ほとんどの人は古くなった駒や魂柱を交換すると「再び元気な音が戻った」と満足する人が多いです。ただし、その楽器本来の音が出るようになるわけですから、好きな音になるかはわかりません。職人にとって必要なのはどんな楽器でもわりと無難な結果が得られるやり方です。微妙に異なる駒を何枚も作って試して一つだけ選ぶようなことは普通はしません。何倍もの代金を払う人はいないからです。したがって私は「無難な結果が得られる」という程度の仕事しかしません。

またあご当てのネジを締め付けると音が響かなくなると信じてゆるゆるにしてあって、私が落下などの危険を指摘すると怒りだす人もいました。楽器全体的なことが分かっていないので、たった一つのことに異常にこだわってしまうのです。

また理系的な知識があり「自分は物の良し悪しが分かる」と思っている人が一番骨を折ります。事前に何かを読んで知識を入れてきて低学歴の職人よりも自分の方が頭が良いと考えているようです。そういう人が飛びつきそうな出版物などは私には「匂い」で分かります。「これはその手の人が好きそうだなあ」という具合です。技術的な知識を学ぶことは私も好きなタイプだったのでそれがいかに面白いかはわかります。でもはっきり言って日々多くの楽器を見て聞いて感じるものとはかけ離れた知識で、机上の空論の理屈を並べているだけです。趣味でそれが面白いというのであれば、それで良いとも言えます。机上の空論を楽しんで暮らせばいいです。その簡単に楽しみが得られる甘い世界を壊さないといけないので苦労します。
むしろ私には弦楽器のおもしろい所だと思います。混とんとして教科書が役に立たず法則性やルールが見えない状態が面白いです。

つまり自分は弦楽器について学んだ人、自分は詳しいと思っている人ほど理解から遠く、知れば知るほど現実からかけ離れていくことになります。

物を買う場合は事前に多少は勉強してから購入しようという人と、いきなり店に飛び込んで分からないままに買う人がいます。
どちらもメリットとデメリットがあります。

少なくとも弦楽器について独学でまともに学ぶことは困難です。
情報というのは真実ではなくて、人々が欲しているものが広まっていくのでしょう。

外国に住んでいるとよくわかります。
外国の人たちには日本人について「とても奇妙な人たちだ」と思いたいらしく、その心を満たす情報が求められています。日本についての記事では原宿の若者の写真を掲載して奇妙なファッションだと紹介します。日本人から見ても奇妙ですよね。どの国にも奇妙な服装な人がいます。
一方で武士道や禅など異常にリスペクトすることもあります。
「普通の日本人」についての情報は全く伝わりません、需要が無いからです。
外国についても全くその逆です。異常気象や自然災害のニュースは伝わるのに、平年並みの天候は報じられませんし、「今日は災害は発生せず!!!」とニュースになりません。災害が起きてない地域の方が多くても、災害だらけのように思えてしまいます。


商売としてはお客さんが欲しがっているものを用意すればお金になるわけです。普通のヴァイオリンについての情報は伝わりません。天才だの名工だの言われる職人の楽器も私たちプロが見ると普通のヴァイオリンでしかありません。「それが普通である」という情報は伝わりにくいです。
自分が買おうとしているものは何か特別優れたもので、それ以外は取るに足らないゴミクズのようなものであってほしいという願望があるからでしょう。それを嗅ぎ取る嗅覚を業者は持っています。業者の側からすると「お金の匂い」ということです。

しかし残念ながら現実は、あなたが買おうとしているものはよくある平凡なもので、それ以外のありふれたものも楽器としての実力はバカにできないものなのです。それが事実です。知りたくない事実です。

私はそれを知ってこそ「知識がある」「理解している」ということであり、弦楽器への理解を深めていくことだと思います。

日本人がブランド信仰なのは自分への自信の無さの表れでしょう。それは私自身も痛感しています。一方こっちの人はとんでもない安物を「音が気に入った」という理由でバカ高い値段で買ったりします。「自分がチョイスした」ということにものすごい自信がありますね。日本人は自分は良し悪しは分からなくて誰か専門家が絶賛したものを欲しいと思う人が多いようです。日本中がそうなっていることはたまに帰国すると気づきます。商売なら多数派にあわせないとやっていけないからそうなっていくのでしょう。

しかし弦楽器の世界では信用できる専門家はいません。
当ブログでは時々3者のプロの話をしています。
演奏家、楽器商、職人の3者のプロです。それぞれが選ぶものでさえ全く違います。同じ職業の人同士でも全く意見が分かれます。確実な良し悪しの基準などは無いのです。自分で分かるようになって自分で確かめないとカモにされるだけです。


我々業者は当然自分たちの商品を売るためにそれらを称賛します。弦楽器に限らずあらゆる産業でそうです。お客さんもそれが聞きたいです。酒蔵やワイナリーに行くと大量生産されスーパーで売っているようなものと何が違うのか説明を聞くと喜んで帰って行きます。それが求められているのはエンターテインメントの意味もあるでしょう。

我々職人も同じような説明をこれまでしてきました。
大量生産品はこうなっていて、自分はこんな考えで楽器を作っていると。
有名になってしまった職人が同じことをすると、神様のお告げのように聞こえます。

立派なことを聞いたのに実際に弾き比べてみると意外と大したことがないというのが現実です。でも「ありがたいお言葉」を信じているとそのように聞こえてしまう人もいるようです。頭のほうが耳よりも勝っているようです。個人差があります。
職人も自分の師匠に対して尊敬していると同じことになります。実は師匠の楽器の音は「普通」かもしれません。ほとんどの職人は自分の師匠やその師匠くらいまでしか知りません。そもそもはじめから師匠の楽器が優れていると思い込んでいて比較すらしないものです。比較して平凡な楽器に負けてしまったら怖いじゃないですか?じつは平凡では無く自分たち以外の楽器を知らないだけです。

師匠は弟子やお客さんに「こうなっているのが良い楽器」「こうなってるのはダメな楽器」といかに自分の楽器が優れているか説明します。そのまた師匠に言われたことです。
お客さんもそれを求めていると成立します。偉い職人の自信満々の作品が欲しいのです。このため有名な職人は音を比較されることなく常に注文が入ります。だから音は怪しいのです。

師匠も意味は分かっておらず師匠が言っていたことを繰り返しているだけです。全体的に見ると、20世紀にはヨーロッパ中で同じような考え方の流行があったようです。人間というのは何の根拠もなく自分の時代は過去よりも優れていると思い込んでいます。
師匠の師匠も当時の常識やトレンドを取り入れてその前の時代よりも優れたものになったと思い込んでいたようです。同じように修行した職人の中に支配者としての才覚を持ったカリスマ的な人がいて偉い師匠になります。そういう人は学んだ先については語らず何もかも自分が編み出したみたいな顔をしています。それがお手本となって同じようなものが大量に作られたので私には平凡な楽器に見えます。


弦楽器についておもしろいのは初めは技術的な事でした。しかし人間の方がはるかに占めるウエイトが大きいということが分かってきました。人間について理解することが先決の課題のようです。