不況になると口紅が売れる -7ページ目

不況になると口紅が売れる

~遊びゴコロで、世界を救おう!~

いまさら書くまでもないのだけれども、手塚治虫はその後のさまざまなマンガ作品に影響を与えてきた。

コマ割りなどの表現方法やキャラクターはもちろんのこと、ストーリーそのものを参考にしているとおぼしき作品も多い。

 

実際、「鉄腕アトム」「ブラックジャック」については、他の漫画家がリスペクトまたはパスティーシュ作を描いているのはご承知の通りである。

マイナー作である「魔人ガロン」にしても、永井豪が続編ともいえる作品を描いている。

 

 

以下のストーリー、いずれもどこかで聞いたことのある漫画かと思うのだが、すべて手塚のオリジナルである。


●いじめられっ子が、スイッチが入ると悪魔的な力を発揮する

→「三つ目がとおる」

●身体の一部を失った主人公が、元の体に戻るために戦いの旅に出る

→「どろろ」


●江戸末期の医師が、自分の意志に反して幕末の動乱に巻き込まれながらも活躍する

→「陽だまりの樹」

●古代ローマ人が何と日本にやってきていた!

→「鬼丸大将」

 

●主人公が世界を征服するために、悪魔と契約して強大な力を持つ

→「ネオ・ファウスト」


●拾ってきたロボットが何でもつくってくれて主人公の願いをかなえてくれる

→「ロップくん」

 

●一人のスーパーヒーローではなく、チームで悪に立ち向かう

→「ナンバー7」
 

ついでにいうと、

●父を失った子ライオンがジャングルの王になるために成長していく

→「ジャングル大帝」

 

 

もちろん手塚自身が、ゲーテやディズニー作品の換骨奪胎でストーリーを生み出したことを言明しているわけだし、これらをして「手塚が偉くて、他の追従者はモノマネにすぎない」などと野暮な話をするつもりはない。

大事なのは「これ、何かあるぞ」と感じた作品にインスパイアされて、そこから自分のオリジナリティに持っていく能力なのだろう。

 

 

というわけで、今年の冬休みの課題図書、読み終わりました。

 

 

東京五輪のエンブレムがようやく決まった。

予想通りというか、予定通りというか、野老氏デザインの市松模様である。





どう見ても、他の作品とは一線を画している。
見慣れてくると、余計に馴染んでくるデザインのように思える。
懐かしくて新鮮、というあたりだろうか。


この市松模様はなぜだか日本人に好まれる。
歌舞伎役者の佐野川市松が、1741(寛保1)年に衣装に用いた石畳の模様がその端緒といわれる。


実はこの市松模様、詰将棋の世界でもいくつか具現化されている。
なかでも有名なのは、徳川家治「将棋攻格」65番(35手詰)である。







なんと、天下の徳川将軍が詰将棋作家だったのである。
もちろん、その創作活動の支援にあたったのは当時の将棋家の連中であるのはわかっているが、しかしこのレベルは、単なる好事家や趣味の範囲を超えているのは明らかだ。
好きだからつくれる、というものでもない。
そして天下人の趣味として「詰将棋創作」というのは、あまりにも唐突にして異常なのである。

家治は田沼時代の将軍であり、つまりは政治から最も遠ざけられていた存在。
この頃から将軍は傀儡状態となり、幕臣がいいように政治を操っていく。
しかしこれらの作品を見る限り、彼の聡明さは歴代将軍の中でも群を抜いていたのではないか、と思われる。
聡明だからこそ、政治から距離を置いたのであろう。


今年は、家治公没後230年である。



遊里、特に幕府公認の遊郭・吉原は、現実世界と異なるルールに基づいたバーチャル空間を江戸の街に現出させました。
花魁たちは「ありんす」などに代表される人工的な言語(廓言葉)を使い、客たちも俗世の身分やしがらみを離れた恋愛演技を強要されました。
吉原もまた、のちに悪所として当局から否定・排除の対象になっていきますが、虚構の力によって現実世界を遊ぶ、というこの姿勢には、今日でも見習うべき部分も多いようです。

虚構というと、今日ではやはり、アニメやマンガなどのエンタテインメント・コンテンツの存在を指摘すべきでしょう。
この虚構(物語)の力で、現実世界を豊かにする方法として、アニメの聖地巡礼(アニメツーリズム、コンテンツツーリズム、とも言われます)が挙げられます。
アニメの舞台となった街を訪ね歩き、仮想と現実とを重ね合わせて楽しもうとするファン行為が広がり、対して地元側も、観光資源としてアニメなどを位置づける動きが出てきています。

「六義園」(東京都文京区)などの日本庭園には、ところどころに古典文学にちなんだメッセージが書かれた石柱が設置されています。
「かたをなみ」というメッセージは、この風景から山部赤人の「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」という歌を連想し、和歌の浦(和歌山県)を見立てなさい、という仕掛けとなっています。
能楽師の安田登氏は、こうした実風景から虚構を見出すそぞろ歩きの楽しみ方は、今日のロールプレイングゲームにも影響を与えたのではないか、と指摘します。
RPGでは、主人公が世界を歩き回り、仕掛けをクリアしてアイテムを手に入れることを繰り返します。
日本のRPGが世界で支持されるのは、日本庭園のウォークスルー的な文化が土台にあるからではないでしょうか、とのことです。

その安田氏によれば、300年前にコンテンツツーリズムを最も大胆かつ綿密に実行したのが俳聖・松尾芭蕉です。
芭蕉といえば「奥の細道」ですが、実はこの紀行文にはところどころに不自然な言動、辻褄の合わない記述、そして芭蕉がでっち上げたとおぼしき虚構が入り混じっています。
さまざまな場所で死者に出会い、怪しくも哀しい体験が語られるのは、能のストーリーを彷彿とさせます。
実は芭蕉の東北への旅は、かつて祟徳院の怨霊を鎮魂するために旅をした西行法師を真似た行為だったのです。
西行に倣い、源義経の鎮魂を果たすために平泉を訪れた芭蕉はそこで、「夏草や兵どもが夢の後」という名句を残しました。
つまり「奥の細道」は、義経の無念の物語を、芭蕉自らの足で歩きながら追体験していく半フィクションであり、単なる旅のドキュメンタリーではなかったのです。


虚構は現実を多層化することができます。
虚構を見立てることで、それまで生きてきた「ベタな現実」との距離を持った、オルタナティブな現実が仮設されるわけです。
それを原動力にしながら、また新たに別の現実をこしらえていく、というのが日本の創造技法「見立て」の素晴らしさなのではないかと思います。
日常の時空間から切り離され、より洗練された超現実を遊ぶことで、リアルが脱構築されていきます。
現実の変革というよりも、認識の組み換えによって現実を別の解釈で捉えなおすという、実に高度な大人の文化技法なのです。


虚構が現実をつくる、というような話をします。

非在のヒーローを、あたかも実在であるかのように扱った古典的(?)な例として、力石徹の告別式を挙げることができます。
これは1970年3月24日、「あしたのジョー・ファンの集い」と題して、講談社6F講堂特設リングにおいて開催されたイベントです。
喪主は詩人の寺山修司、東由多加などで、東京キッドブラザーズの劇団員によるパフォーマンスなども繰り広げられました。
ただし、読経する僧侶探しに苦労し、6軒目の寺でようやく引き受けてもらったというエピソードもあります。

人気アニメの登場人物が亡くなったときの葬儀にはその後、いくつかの事例が生まれています。

「北斗の拳」において主人公ケンシロウにとって最大のライバルだったラオウの告別式(「ラオウ昇魂式」)は、2007年に高野山東京別院にて執り行われました。
こちらの葬儀委員長は歌手の谷村新司氏で、激しく雨が降りしきる中、ファン3000人あまりが集まりました。

また、麻雀漫画「アカギ」でレジェンドだった赤木しげるの十回忌が、2009年9月に行われました。
1000人ほどが参列したほか、作者の福本伸行氏や一般参列者が卓を囲む「法要麻雀」も開催されたとのことです。
こちらはなかなか、濃い人たちが集まったようですね。

葬儀の次は泥棒の話です。
LUPIN STEAL JAPAN PROJECT」は、2009年11月~10年2月に実施された史上初の「窃盗イベント」でした。
まずは「ルパン三世」が、ソーシャルネットワークサービスmixiにおいて公認アカウントを獲得し、参加者から“ルパンに盗んで欲しいもの”を公募します。
その結果に基づいて、ルパンが各メディアを通じて犯行予告、その予告通りに渋谷のモヤイ像や、大阪のくいだおれ太郎などが盗み出されたことでニュースになりました。
これは「暗いニュースばかりが目立つ日本に、愉快・痛快な話題を提供して活力を与えよう」としたプロジェクトでしたが、このイベントを企画~推進するには協賛企業のみならず、自治体や施設管理者などが同じ意識にならなければなりません。
しかし、それを成立させたのは「ルパン三世」(モンキー・パンチ原作)という、誰からも愛されているアニメ作品の存在であった、ともいえます。

虚構はこうして、異なる立場の者同士が同じ方向を見る(共視)上での精神的な基盤づくりに寄与することがあります。
人々の連帯を生み出すうえで、虚構は「強烈なコンテクスト」を創りだす、大きな社会的資産にもなるのです。

ポストモダン・マーケティングの論者であるスティーブン・ブラウンは、19世紀の見世物興行師・バーナムの採った手法を再評価し、「親しみのあるだまし」「陽気なごまかし」「遊び心のあるペテン」こそが、今日におけるマーケティングにおいても重要だと述べます。
なぜならば人間は「巧妙で、創造的で、驚きを与えてくれる限り、ウソを歓迎するから」だからだそうです。

フィクションはこうして、現実社会の力強い補助線をつくりだします。


能の舞台では、一本の松で自然を見立てます。
井戸や船など、舞台の中で出てくる大道具は極めて簡素で、鑑賞者は白木や竹でそれらを見立てることを要請されます。

落語家に至っては、扇子一本でさまざまな見立てを披露します。
鑑賞する側には、そうした見立てを通じて、演者が表現しようとする情景を自ら想像する楽しみが残されているといえます。

都市開発も見立てでした。
京の都が唐の長安を模したのは有名ですが、山口、金沢、津和野、土佐中村、角館…などはその京都を見立てて、都市開発がなされました。
江戸も同じで、上野の山は比叡山、不忍池は琵琶湖の見立て。
愛宕山に至っては、そのまま名称と神社を勧請しました。
日本各地で散見される小江戸、小銀座、地域富士、○○八景…すべて、見立て型の都市開発といえるでしょう。

屏風や襖、枕屏風は、室内を仕切ることによって、そこに意味ある空間を見立てました。
屏風で仕切られた外側の空間で行われていることは、聞いても聞かないふり、知っていても知らないふりするのが、江戸という過密な都市生活の粋な習わしでもありました。
他者を察知し、慮るやさしさというわけです。

聖なる山・富士山に見立てられたのが「近江富士」「豊後富士」といった地域富士です。
この天空に力強く盛り上がりつつ、裾野が末広がりの有難い形は、慈照(銀閣)寺の盛砂や水前寺公園(熊本市)など、各地の庭園において模され続けます。

江戸時代に相当数つくられた富士塚も、富士山に登ったことにする見立て。
当時は誰もが富士登山を満喫できたわけではありませんから、近くの神社に富士山のミニチュアをつくって、頂上まで登った気分を味わえるようにしたわけです。
そしてさらに富士山そのものが、中国の須弥山の見立てでもありました。

見えないもの・ここにあるはずのないもの・存在しないものを見出すために、「別の何か」を仮設する(立てる)テクニックですね。

なぜこんなになんやかんやと見立てるのかというと、もともとは「あちら側(神の領域)を見るため」(山口昌男)であったのでしょうが、異界・虚構を現実界に取り入れることで、平板な日常に躍動感や遊びがもたらされる、といった効果が想定されます。
この一見呪術的な力を、日本人は庶民が、日常生活で使いこなしてきたのではないかと思います。

郡司正勝氏は、見立てとは「創造に関わる連想と飛躍」の働きであるとし、「根源の本物を予測させ、その時々の今様の発想で装うことによって、光り輝かせることである」としています。
要するに、形状的に似たようなものがあれば「ありがたいもの…ってことにしておこう」とする精神です。

つまり見立てとは「虚構を現実に取り入れる力」なのですね。