「
かぶく」という言葉があります。
この今日的な意味とは「共通プラットフォームの中での独自表現パワー」と捉えてみたいと思います。
本来のスタンダードな形を心得た上で、それをあえて崩すところに美意識や快感を覚えるわけです。
「かぶく」の本質は「枠組み(フレーム)を遵守したうえで、自由・多様な表現を追求する」ということではないでしょうか。
兜というと、戦場で頭部を保護する武具のはずですが、実のところ戦国時代におけるいわゆる「当世兜」は、その形状によって自己表現をする武士のおしゃれアイテムでした。
「愛」の字を飾った直江兼続の兜が話題になったこともありましたが、それなどはまだまだノーマルなデザインでした。一部のトンデモ兜の例を挙げてみます。
・伊達成実→ムカデ兜
・加藤嘉明→イカ兜
・黒田長政→水牛兜
・藤堂高虎→トンボ兜
・森蘭丸→南無阿弥陀仏兜
・加藤清正→スケルトン兜
・蒲生氏郷→ツバメ兜
・松平直政→キジ兜
…戦国武将たちはほかにも、カニ、ホタテ、エビ、サザエ、ウサギ、ナマズ、ナス、チョウ、クマなど、自由奔放なアドリブ系の兜に魅入られていたようです。
古代ローマのグラディエーター(剣闘士)のような機能的な兜とか、頭の上から槍が発射されるような攻撃的な兜とか、そういう方向に逸脱するのはルール違反だったようで(やろうと思えばやれたんでしょうけど)、あくまで装飾的な差異で競争するようなところがありました。
フレームは、遵守したんですね。

1980年代に「女子高制服図鑑」みたいなものがブームになったりしましたが、制服オシャレみたいなものも、かぶきの一種ですね。
漫画家の
杉浦日向子氏が、泉麻人氏との対談でこんなことを述べています。
「よく、校則が厳しい学校がありますね。その校則の中でうまく工夫して女子高生がそれなりにオシャレしています。ディテールにこだわるわけですが、それが江戸のオシャレに近いような気がします。」
「制服」はいまや、クール(キュート)ジャパンを象徴するファッションのようなことになっていて、「なんちゃって制服ショップ」は国内のみならず、海外でも続々と展開されているほどです。
男性向け制服ショップ、というのも現れました。
ただこれは、制服を着て皆同じだから安心ということではなく、制服という皆が参加できるプラットフォームを基盤にし、同じ土俵のうえで独自の個性を追求する遊びなのです。
これはかつて、数字の組み合わせだけでコミュニケーションを成立させたポケベル会話、キーボードの記号の組み合わせによって意志や感情を表現した顔文字、自ら入力することで携帯電話の着信音をオリジナルにしていった着メロ…など、いわゆる女子高生によるデジタル交流作法とも共通するものがあります。
制服同様、厳しい「縛り」がある中で、自分たちなりの表現を見出す面白さの追求です。プリクラの修正機能なんかもまた、その一部とみなしてよいかもしれません。
「ヘタウマ」「きもかわ」「ゆるキャラ」が許容されるのも、この「かぶき」の精神と通じるものがあると思われます。
「上手」「かわいい」「カッコいい」のスタンダードな像がなんとなく共有されていますが、そのままでは個性も面白みもありません。
そのスタンダードをあえてださく、きもく、ゆるく崩し、自由にかぶいた表現こそが愛されるというわけです。
与えられたフレームを甘受しながら、その中で多様な個性を発揮しようとする試みが「かぶく」精神といえましょう。
今日のマーケティングとは要するに、消費者の「かぶく」精神と創造力を射程に入れるということです。
企業が提示すべきなのは、自社製品や事業領域に沿った「楽しいフレーム」「皆が参加できる縛り」です。
コンテストなどを仕掛けなくても、動画サイトなんかでファンが勝手にやってくれる時代ですから、お題の出し方次第では、大きなリターンとなりえます。