1 夏中地蔵供養塚=延命地蔵

⑴ 突然の、心の右パス。

急にパスを感じました。

 
 
 

⑵ お顔

お借りした資料によると、
「山の坊の人が、遭難者の供養、道中の加護を祈って安置したと言われている。」
「表情が明るくて良い。」
というコメントです。
 
夏中地蔵さまは、別名、延命地蔵です。
大木の下で、安心(安定)感が抜群。
良いっ!

お顔のアップ!

2 石造物群

そして、二度目の右パス。

 
あ、ここだ
いらっしゃった

-お借りした資料から-
「野口村の人が、四国霊場巡礼の折、請け帰り、この地に供養塚を安置したという。
地蔵のポーズもなかなかよく、歩く人に往時を語りかけてくる。
遠くの山々を背にし、往来の人を見送るこの地蔵に、何か心をひかれる。」

ナイスポーズ!

3 ところどころで

そして、先に進みますと、
ところどころ、塩の道が現れます。

 
 

私は、こんな舗装道を進みます。

 

4 分岐点を左折

このシチュエーションに出くわしたら、左へ曲がりましょう。

右の高浪の池は、巨大鯉の浪太郎君がいるという噂。

さて、次回は「難所」大峰峠へ参ります。

お気をつけて。
おみちよう!

さて・・・
草刈のあと、蕎麦を食べてきました。
新蕎麦の前ですが、それでもうまかった。

写真には、何やら「塩の道温泉」って書いてあります。

この場所は、塩の道「東廻り」の根知地区でして、温泉が面白いのです。
戸を開けた瞬間「なーんだ単純泉か」と思いきや
・・・実は・・・。
ご体験あれ。

天ぷらは、パリパリ

西回り、もうひとつの関所

⑴ 東山関所
集落の入り口にある関所でした。

 

お借りした資料によると、江戸中期以降に、繁盛していたようです。

なぜ繁盛したか。
西廻りに隠しルートがあって、荷駄(抜け荷)が運ばれることを知った糸魚川藩が、虫川関所を小滝に移して、抜け荷の取り締まりを行ったから人が滞留した、が要因です。

寛永二年(1625)の小滝村古地図には、東峰に関所が描かれているそうです。

 
 
 

しかし、そのうち、別の場所で番所を設けなければならなくなったようで。

⑵ 硫黄などの取り締まり

その理由ですが、「蓮華山の硫黄」の運び出しの取り締まりが必要になったからです。
糸魚川市には「蓮華山」という高い山があり、蓮華温泉という本格露天風呂(風景良し!)が素晴らしい。(自慢話)

それで、なんですが、実は「硫黄のあるところ=概ね銀のあるところ」らしいのです。
大所(おおところ)という場所に硫黄留番所が設置されると、この東山関所の役割が薄れ、虫川関所が復活します。

⑶ 鉱物

ちなみに、糸魚川には橋立金山があり、蓮華には銀山があります。
橋立金山は、コマツや早稲田大学理部の創始者である、竹内明太郎氏が所有者の中に名を連ねていらっしゃいます。

蓮華の銀山は、可能性がゆえに、いろんな方が所有することになりした。
上杉謙信、三島由紀夫の名前が、関係者として出て参ります。

歴史ロマンです。

おみちよう!

 

字切(朝霧)を越え、旧今井村から旧小滝村に移ります。
小滝は、ヒスイ峡、明星山があります。
山は大迫力です。

その前に、西蓮寺跡について記載します。

1 小滝地区の「岡(おか)」に西蓮寺があった。

 

⑴ 標高図メモ

現在、西蓮寺さんは市街地(西回り起点付近)にあります。
が、昔は、小滝地区にありました。
お借りした資料によると、その場所は、旧小滝村の「才知村」です。
原図が見にくいので、標高図をメモしてみました。

 

⑵ 現地は緩やかじゃない

図面を見ると緩やかそう。
資料にも「緩やかな傾斜地の「さいちの池」」の表示がある。
でもね、現地は、決して緩やかじゃないですよ~。

たぶん、これから行く大峰峠と比べて・・・緩やか、という表現になるのかな。

なお、「さいち」は現在山林です。

⑶ 「塩の道 西回り 08」の関連

08では、「中谷地の六地蔵から山手へ行くと「寺尾」という地名があり、昔西蓮寺があった跡が残っている。」 とありました。
「小滝の才知村」にあった西蓮寺さんは、歴史の中で、塩の道を辿って、移動されたと聞いています。
今は、西廻りの起点に近くにおられます。

塩の道ゆかりのお寺
小滝地区の方々の、想いです。

2 小滝の景色は、毎日、すご。

小滝地区公民館付近
 

「どこからでも明星山が見える。」
ド迫力を、感じていただけたら、ありがたいです。

私は市内に住んでいますけど、
何度も行っていますけど、
普段から、生活の中にこの景色って、凄いと思います。

バックは明星山
クライミングの聖地

小滝川の下流へ行かず、矢印の山腹を通過すると、結果的に川渡が楽になる、らしい。

今の車社会と違って、昔は、牛くんや歩荷先輩を中心とした「徒歩の合理的なルート」ですよね。(そりゃそうだ。)

現代からすると、ショートカットに見えるルート。
牛や人は、自然に、近くて安全な場所を通る。

ご紹介したい事はたくさんありますが、まず、左へ行きましょうね。

 

さて、この日は、これを持って出かけたのです。
紅はるかさんと、紅あずま君。
家庭菜園ものです。

ああ、うまかった。

 

おみちよう!!!

本日の掲載は、ここです。
看板は「朝霧沢」となっております。

 

1 不動滝から戻って林道岡谷線を進みます。

現在、こんな修繕箇所が数か所ありますので、
通行は注意願います。

 

次の写真です。
お察しのとおり、現地は良い風景です。
牛くんや歩荷先輩は、どう感じたんだろう。

爽快か?
見る余裕がないか?

爽やかテイスティー

2 字切 と 朝霧

⑴ 境界の橋

次に、ご紹介するのは、今井地区と小滝地区の境としている「字切(あざきり)川」に架かっている橋です。

⑵ 橋の名前

でも橋の名前は「朝霧(あさぎり)」大橋。

地元の資料を引用しますと・・・
・今井と小滝の境が、字切り橋である。
(平成8年、朝霧大橋となる)
・この橋を渡ると小滝村に入る。
・道はどんどん雑木林の坂をつづら折りに下って、
 谷底の字切り川で丸木橋を渡っていた。
・明星山麓からの水は澄んでいて冷たい。
・丸木二本、取り外し自在の橋である。」
※ 引用元
  西の松本街道ー古道案内ー  
  西回り塩の道の会

架け替えの時、おしゃれな朝霧としたのか・・・
昔から「字切り」「朝霧」2つの言い方があったのか。

もしくは、他の意味があったのか・・・

実は、不明案件です。
他の説もあろうかと思います。
どなたか知っている人がいたら聞きたい!状況であることを、当ブログで残しておきます。
すいません。

 
 

⑶ 谷の深さ

橋の上に立つと、怖いです。

昔はこんな立派な橋が無く、谷が深い。
つづら折りを下る。
牛くんと歩荷先輩の事がよぎります。

急な道を下ったとき、
川は狭くて逃げ場がない。
無事に渡っても、また登る。
日が暮れる前に・・・。
という気の焦りはありますよね。

うひょー

どこから見ても急です。
牛くん、よく頑張ったと思う。

 ⑷ 字切地蔵

橋のあと、数分の運転です。
この曲がり角に注目。

 

標柱は、尊い命が亡くなった証。

言い方が悪いですが、後世に伝える良い解説板だと思います。 

ご一読を

ここは、とてもとても雪深い。
ゆえに、耐雪の工夫あり。

二次製品

これも不謹慎かもしれませんが、二次製品はナイスアイデアです。
お地蔵様を守れます。

今日も通行者を守ってくださっています。
小滝地区の皆さんも、お地蔵様を守っています。

安全第一。
おみちよう!

「上杉謙信と武田信玄」的なお地蔵様

1 迂回、林道岡倉谷線へ

ここから林道岡倉谷線です。
右は通行止め。
左へ行きましょう。

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しばらく、こんな感じ。

2~3分すると、突然、次の景色が現れます。
きた~!

2 謙信公・信玄公的なお地蔵様

⑴ 写真のように、左へ。
ここからは、山道です。
看板近くに駐車してください。

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⑵ 進んで約30mほど!
中央あたりに

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おられました。
案外知られたスポットらしい。
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ほっこり後ろすがた!

3 2枚目の正面、右が上杉謙信公、左が武田信玄公という噂。

お借りした資料によると、
・旧道から移して、現在の場所におられる。
・銘は、無い。
・松本街道の繁盛は、2人の武将による。
・間屋ゃ商人たちが江戸時代前期に安置したものと思われる。
・集落の人の言い伝えは、右が謙信公、左が信玄公。
 らしい。

お地蔵さまは菩薩様ですから、お二人の像ではないようです。
が、感謝を込めて、謙信公、信玄公をイメージしたらしいのです。
 
お地蔵様は、左手に願いをかなえる宝珠を持っておられます。

二人並んだ「丸み」が、いいですよね。

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現在、ここです。

おみちよう!!!