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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

時間はエネルギー。
待つことは力。

   ☆

芽は伸びるが、そう簡単には大きくならない。
でも、ただ待っているのはつらい。
その間はなにもできない。

わたしたちは「努力して手に入れる」ということをあたりまえと思いすぎているのかもしれない。
目的のものは「なにかしないと」「なにかを頑張らないと」手に入らないと思いこんでいる。
この思いこみがじゃまになることもある。

ただ、待つ。
よけいなことはしない。

ただ待つことが力になるというだけでなく、実はそれが最善のことである場合もある。

初筮に告ぐ。
再三すれば汚る。
汚るれば告げず。

   ☆

ふざけてやっているのでない限り、そんなことをする人はいないと思うが、占って回答を得たとき、その回答が気にくわないからといってやりなおしてはいけない。
ただ、人情からいうと、その衝動にかられることはたしかにある。

経文はいう。
やりなおしは不純な行為であり、汚れた行いから正しい回答を得ることはできない。

なぜ占おうと思ったのだろう。

芽はまだ出たばかりで、あたりのことはさっぱりわからない。

暗闇である。

不安だ。

だから占ったのかもしれない。
葉をひろげる前に。

正しい回答を得るには純粋でなければならない。
自分の好みを優先させないこと。

終わりよければ……という話もあるが、最初も肝心である。

硬く冷たい大地を破ろうとする新芽。

   ☆

天空と大地という舞台がととのったところで、タネは芽を出そうとする。

大地はやわらかくて、すべてをつつみこむイメージもあるが、表面は硬く、冷たい。そうでなければ万物を支えることはできない。

なんであれあらゆるものは大地から産まれてくる。
なにかかが産まれようとする時、大地は、硬く冷たい表面にすきまをあける。

ほんのちょっとだけ。

周囲の援助もあるが、新芽は基本、自力でのびなければならず、甘やかすわけにはいかない。

きびしい母親である。
 

「静寂<しじま>ノート」を買ってみた。



実物を手にとって買ったわけではないので、ほぼほぼ、コンセプトを買ったようなものだ。

そのノートを広げると、自ずと静けさが立ち上がるような……ということらしい。

16センチ四方のなんのかざりけもないノートだ。

スクエア型というのが、変わっているといえば変わっている。

無線綴じでページを切り離せるようになっているが、ふつうにノートを使うようにも使える。

パタンと水平に開くこともできる。



色は、ぼくが買ったのはグレーでページは黄色。
どちらもおさえめの色調である。

表紙はPVC(塩化ビニール)製。
ぬれてもふやけないし、汚れが落としやすく、クセがつきにくいので、ぼくはいいと思ったけど、ここはちょっと、好みが分かれるかも。

あまりにシンプルすぎて、モノとしてはこれ以上コメントしようがない。

それがウリなんだろうけど。

最初はそのつもりはなかったんだけど、これって、そのコンセプトからしても、アクティブ・イマジネーション(モバイル・イマジネーション(モバイマ))の記録用にぴったりなのではないか、と思いついた。

でまあ、モバイマ専用にしてみようかと。



ノートとしては高価だ。1760円。

だけど、環境を特別なものにすると、潜在意識はよろこぶ。
手間をかけることが、潜在意識に敬意をはらっていることになるからだ。

知人から八ツ橋をもらったので(酒のつまみにしてすぐ食べてしまった)、その空き箱を使ってスリーブをつくってみたりして。



静寂文具。

静寂ノート。

ネーミングに心ひかれたのでしょうね。

世の中には、ぼくの知らないイイモノが、まだまだたくさんありそうだ。

大地はなにもいわない。
声高に主張することもない。

   ☆

食べ物の九割以上は土からとれるものだという。
現在地球の人口は七〇億を越えているという。
ひとりあたりの食べ物をまかなう大地の面積にはかぎりがあって……

と、ここまで考えたところで大地から離れようとしていることに気がつく。

わたしたちの体は食べ物から造られているともいう。ということは、わたしたちというモノは、実は大地であるともいえるかもしれない。
九割以上は大地が形を変えただけのモノだと。

どうしてこんなにヘンな形の「大地」ばかりふえてしまったのだろう。

あわててそばにあった水晶のカケラなどを握りしめてみたりするのだけれど、石はなにも言わない。声高に主張することもない。

持続可能とはいうけれど、わたしたちはいったいなにを持続させようとしているのだろう。