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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

梅雨です。
北海道をのぞく全国的に。



さて、梅雨とは関係なく、「20」について。

「20」という数は、拙作「トモルオン」の骨格です。

やはり拙作のおとぎ話、「夜の石は天に昇り空行く星に会えた」の章立てが基になっています。

「20」は「トモルオン」の中では次のような図であらわされていて、人生の見取り図ということになっています。



中心の「0」から始まって、また中心の「21」へ戻る物語です。

肝(キモ)は、「10」から「11」へと、知ってか知らずか、もといた「中心」をかすめて「11」へと反転するパスで、人生でいうなら「魂の闇夜」「中年の危機」のプロセスにあたります。

以降「11」~「20」は、前半の「1」~「10」と対を成し、歩んできた前半の人生を「回収」していく期間になります。

あるいはまた、闇夜や危機を乗り越えて(くじけるな! いや、ちがう! くじけろ! ちゃんと、くじけよう!)、新しい眼で己の人生を振り返る期間といってもいいかもしれません。

この図は「トモルオン」の中では「Map of Life」と描かれていますが、最近は、ぼくにとってこの図は「Master of Life」と言った方がいいような感じになっています。

   ☆

ところで、本を作るときはだいたい威沙(文庫本組み版ソフト。フリーです。すごいですね)を使っているんですが、ときどき一太郎も使います。

で、一太郎の中には「折り本」を作れる楽しい機能もあって、その機能を使って、「20」を、上の話とはまた別の角度からとらえた、エッセンスめいた話を書いた「折り本」を作りましたので、よければご覧いただければうれしいです。

→こちら(PDFへの直接リンク)

「折り本」というのは、一枚の紙を縦横蛇腹に折って、一冊の本のようにしたものです。

下の画像をみていただいた方が早いですね。

一太郎の折り本印刷設定画面のスクショですが……勝手に載せたら怒られるのかな。まあいいや。

 



一太郎は好きでずっと使ってるんですが、一太郎でなくても「折り本」作成専用のフリーソフトもあるようです。

興味のある方は探してみて、ご自分でも作ってみると楽しいかもしれません。

おもしろい本が出来たら教えてください。

それではまた。

【Played by Nina】

 ニナが奏でる
 何かでがなる

 ニナが奏でる
 名が出る中に

 ニナが奏でる
 七二が出るか

 何が生るかで
 何でもござれ

 後は

 野となる
 山となる

 

退く。
退却。退出。引退。

   ☆

仕事を退く。
役割を退く。

そして、肉体を退く。
一体、何が退くのか。

何かを残すことなどできるのだろうか。
できたとしても、残してどうするのか。

残すとか。
退くとか。

そもそもそんな区別などないのかもしれない。
考えてもしかたのないことなのかもしれない。

が。気になる。

そんなことを考えてみるのも悪くない。
考えてもしかたのないことだからこそ。

そんな時だからこそ。

カミさんと映画を観に行った。
ずいぶんと久しぶりのことだ。

「銀河鉄道の父」。
なかなか良かった。
原作は読んでない。

劇中父政次郎が神保町(多分)の本屋を訪れるシーンがある。
「春と修羅」「注文の多い料理店」が山積みになっていた。

ちょうどこの頃か、この何年か後。

おそらくは映画に出てきた書店にほど近い、通神保町(*1)にある宮田紙店(*2)で帳面を買い込んで占術書を書いた人がいる。和紙製の蛇腹折りの帳面に筆で書いた。サイコロを振って回答をもらう、日常的なウラナイの本である。

何年も前に須田町にお住まいの高齢のお客さんから譲ってもらった。もらってきた他の古書と一緒にしばらく放ってあった。
占術書のタイトルは「小槌の神秘」という。


【もらった本】

このゴールデンウィークに復刻してみようと思い立った。
文フリで頒布してみたら面白いかと。

他愛ないオミクジみたいなものだと言ってしまえば、それまで。
でもよく読んでみると、オミクジとはまたちがって、味がある。

縁起物としての打ち出の小槌とその中に入っているサイコロ。
サイコロを振り出す拳は、どことなく小槌の様でもある。


【もらったサイコロ】

天、人、地。三分冊の原書を文庫本一冊にまとめた。

巻末に解説代わりのエッセイをつけた。
ちょうどいいボリューム(70頁余)になった。

古い物を捨てる。

一見簡単なことだ。

しかし古い物を本当に切り離してしまうことなどできない。

新しい物は必ず古い物を基礎にしているからだ。

新しい物の出現により、今まで新しかった物は古い物になり、今度は新しい物を支えるという、新しい役割を担うようになる。

そうして物語は、連綿と続いていく。

--------
*1
現在の神保町一丁目

*2
現在のミヤタ文具店
 

まずは御礼です。

当日来場していただいたのたくさんの方々。
並びにスタッフ、出展者の皆さん。

そしてもちろん、
K-11遊星出版のブースに立ち寄ったり、お買い上げ頂いた方々。

皆様に厚く御礼申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

   ☆

還暦過ぎおじさん3度目の文フリ出展。

3回も出てればイイカゲン慣れる……事もなく、会場に着いたはいいものの、来場者様方の列に並んで、おかしいな~おかしいな~と思いながら(気づけよ)、30分も過ごすというマヌケもやらかしましたが、何とか無事、お店を広げました。

トシはとりたくないもんです。



今回は……すごかったですね。

いや、何がすごいって、16時頃だったかなあ。
来場者数が初の10000人突破(2000人余の出展者人数を含む)。
来る者は拒まずの1600ブース越え。
持って行った20冊くらいの本がマサカの完売。



ブースに見えた方々とも沢山お話ができてよかったです。このブログ「ぼくは占い師じゃない」の話をしたら「実は占い師なんです」なんて方も。

でも、隣の「文豆茶屋」のヒトリシズカ氏と、おじさんふたりでしゃべってた方が長かったかも。同じような世代だったので、思わず盛り上がってしまいました。

こんな出会いもあるんですね。

病気、入院、怪我がなければ(この歳になると冗談になんない)7月は大田区のイベント、11月はまたこの東京文フリに出る予定です。

またよろしくお願いします。
 

文学フリマ東京36」に出展します。

ブースはK-11、「遊星出版」でございます。

webカタログは → こちらです。

カタログに載せていない本も持って行きます。

よろしくお願いします。

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文学フリマ東京36
2023/5/21(日)12:00~17:00
入場無料
東京流通センター(東京都)第一展示場・第二展示場Fホール

 

変わらないこと。

   ☆

易は別名「変化の書(Book Of Changes)」と呼ばれるが、「恒」は「変化しない」ことを意味する。

八卦を二進数に観たて、番号順に並べると「乾兌離震巽坎艮坤」の並びになるが(先天数)「震」「巽」は真ん中になる。この並びの[中核|コア]になるふたつの八卦から「恒」という卦はできている。
易の卦は全部で64あるが、「恒」が32番目にあるというのもおそらく偶然ではないのだろう。

変わらない物事などない。
しかし中心にある法則は変わらないのだ。

感じること。
反応すること。

   ☆

生きている限り「生きている感じ」がしているはずだ。
億年単位で構築された仕組みは休みなく働き続けている。
生命と呼ばれる想像を絶するこの仕組みは、間断なく「生きている感じ」をもたらし続けている。

足指(拇)、ふくらはぎ(腓)、股、胸(思)、ノド、頬。

混乱したり迷ったりしたら、身体感覚にフォーカスしてみるといい。
体が全部知っている。
往くも帰るも、YESもNOも。


 

火。明るさ。
離れる。付着する。

   ☆

光あれ。

と最初に神様はそういったそうだ。
それまでは暗闇だったのか。

いや。それとも。

光と同時に暗闇もあらわれたのかも。
それまでは光も暗闇もなかったのかも。

ただ神様だけがいた。
そして今も神様だけがいる。


※ 下手なりに始めた経文の筆写。
  ようやく上経が終わりました。
  二年近くかかってしまいました。

水のようになる。

   ☆

「坎」。
土が欠けると、穴。
暗闇、陰湿、陰気、はまって動けない。

穴の中の穴に落ち込むだの(初六)、にっちもさっちもいかないとか(六三)、縄で縛って茨の野っ原に放り出されるとか(上六)……厳しい言葉が並ぶ。

でも。

「坎」は悪くとらえられ過ぎている気もする。

この卦の本質は「水」なのである。

水はカタチを変えて、たいがいのものに浸透、親和する。

そうかといってまったくのフニャフニャではなく、芯は強い(外柔内剛)。

水は高いところから低いところに流れる。
これがまた悪くとらえられることもある。
水は法則にしたがっているだけなのに。

水は、素直で純粋なのである。

卦辞は決して悪くはない。
誠心があり、心は[亨|とお]り、[尚|たっと]ばれる、とある。

大樹がそびえ立っているのも、水によって養われているからではなかろうか。