ミケ様
お元気ですか。
にゃんこ先生です。
一昨日でしたか。
ミンミンゼミが鳴いてました。
一昨々日はヒグラシの声を聞きました。
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ちょっとブレイクが入りましたが、マスターマトリクスの話の途中でした。
マスターマトリクスです。再度掲載。

【fig027 マスターマトリクス】
これが「全宇宙」です。易的には。
前々回はこのマトリクスの対称性の話で終わりました。
その対称性が「世界は認識というものが起きる根源のレベルから、すべからく対称である(「ans003_03音」参照)」っていうことの、易システム的表現、ということになります。
でもつくづく思うけど……
「対称」ってすごいアイディアです。
「対」がなければ、おそらくなにも始まらなかったでしょう。
「何かしよう!」と思うでしょ。
即座に対が現れます。
というより、「何かしよう!」と思うこと自体、「対」です。
そこには何かするものと、されるものがあるからです。
そして「対」だからこそ、半分わかれば全部わかります。
人型が対称だからこそ、ガンダムのプラモデルは、半分の金型で製造できます(原理的には。実際はもっと複雑でそうはいきません。ミケさんは造らないね、ガンプラなんか)。
九九の表も半分ですみます(辻麻理子さんのパクリ)。思い返せばぼくも九九の半分はひっくり返して覚えた(ていうか覚え「なかった」)記憶があります。
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ところで現実の世の中を見ると対称じゃないものはいくらでもあります。
たとえば、全部反物質でできた「反宇宙」が見あたらないとか(現実の宇宙には反物質はあるケド(治療に使う陽電子とか)きわめて微量)、いつまでたっても彼女ができないスーパー裏のナマトラとか。
(ナマトラってのはにゃんこ先生の友達で、生半可なトラネコだから、ナマトラ)
こういうのを「対称性の破れ」といいます。
思うに、これはその部分が非対称になっているということではありません。
「破れ」って言い方が、「ほんとうは対称なんだけど」ってニュアンスを含んでいるように、にゃんこ先生には思えます。
相手がまだ発見(観測)されていないとか、ほんとうはすでにそこにあるんだけど、だれも気づいていないとか、探す場所がまちがってるとか、そういうことじゃないでしょうか。
つまり片割れが「存在しない」ということではないと思うわけです。
だから、にゃんこ先生は、スーパーの裏であお〜ん、あお〜んと叫んでいるナマトラを、こっそり励ましたりしています(うそ。ほんとはウルセーなあ、と、にらみつけたりしています。手(前足)は出しません。奴の方が若くてデカいからね。態度もデカイので生意気のナマでナマトラという説もあります)。
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下の絵は、マスターマトリクスの中心部分を取り出して描いたものです。

【fig034 マスターマトリクスの中心部】
「初期微動」と書かれているのが「何かしよう!」という「原初の衝動」です(「ans003_02まずそれがなければ」参照)。
震は「雷・動き・衝動」をあらわす大成卦で、巽は「風」をあらわす大成卦です。
何かしよう!という衝動があって、風が吹きます。
その動きは放射状に対称に広がっていきます。
マトリクス全体に。
宇宙全体に。
まあ……そのように観えるっていう感覚的な話ですがね。
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同じことを先天図の上で観てみると下の絵のようになるでしょう。

【fig032 八卦×2でできた六十四卦】
話は中心から始まります。
まず「初期微動」があり、震と巽があらわれます。
残りの八卦は次々と対であらわれ「最後に」乾と坤があらわれます。
乾と坤は、天と地。父と母。
「後天」と書かれた矢印は、最後にこの父と母が万物を産むということです。
この矢印の段階で六十四卦が生じます。
この図では六十四卦という万物は、乾と坤の交わりにより産まれた(八卦の組み合わせ)ということになります。
伝統的な観方の、古い方の観方です。
易システム的には乾と坤の交わりにより「ひとつのもの」の中に三次元時空という「泡」が産まれた……ということになります。
「泡」といってもはかないものだとは思わないでください。みんなの大事な作品です。
この辺の事情を球とトーラスという幾何学的立体を使って神話的に表現したのが「後天動因図」です。
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とまあコマーシャルが入ったところで、今日はこのへんで。
次回もマスターマトリクスの周辺事項の続きです。
ではまた。
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