ミケ様
にゃんこ先生です。
面倒なことは早くやってしまおうと、申告書書いてて、更新がちょっとおくれま……
お?
ゼーキン払わなくてもよかったんでしたか、猫って。
☆
ええと、「ひとつのもの」のお話の続き。
さっそく始めます。
「ひとつのもの」に再度ご登場いただきます。
【<fig001>ひとつのもの】
この○。
ひとつのもの。
このままじゃなにも起きない。
なにせ、ひとつのもの、だから。
なにもしなければなにも起こらない。
☆
まあでも、周りを見回してみると、
「なにも起こらない」なんてことはないよね。
ありとあらゆる多様性と変化に満ちている。
感動します。
陽の光にも鳥の鳴き声にも。
新聞配達のバイクの音にも。
早朝の電車の音にも。
それ以前に、周りを見回すことができる、ってこと自体、「ひとつのもの」がただあるって状態じゃないことは一目瞭然ですよね。
「ひとつのもの」がただある状態では、見回す者も見回される者もへったくれも、ないはず。
で、現状の様になるためには、根源的になにが起こっているのか?
そんなようなことを、原因をさかのぼって考察します。
☆
まずは、「ひとつのもの」は、「何かしたい」と思ったはず!
もしくは「今も」思ってる。
最初にこの衝動がなければなにも起きません。
眼に、皮膚に、音に、感覚に映る、めくるめく多様性は説明できない。
まず、それがなければ。
だけど、「ひとつのもの」には多様性がありません。
何かしたくても、材料がそれ自身しかない。
☆
「ひとつのもの」が、なにかしたい、と思ったら、どうするか?
材料は自分自身、「ひとつのもの」しかありません。
そのような状況下では、まずは、自分自身をふたつに分けて、それぞれに、「みるもの」と、「みられるもの」という役割を与えるしかないのではないでしょうか。
「なぜこの世界はこのようにあるのか」
その類の問いに対して、神は独りで食卓につきたくなかった、とか、寂しかったから、と答えるのは、その詩的表現です。
まず自分を分けた。
【<fig003>ふたつに分かれた「ひとつのもの」】
☆
「道(タオ)は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生じる」
「一を生じ」の「一」はこの境界線のことです。
あくまで、仮のものだけど。
辻麻里子さんの「宇宙時計」図形2も、同じコトを言ってるんだと思います。
「一を生じ」の「生じ」は、「なにかしたいと思った」ということなんじゃないかな。
この「思い」が「原初の衝動」とか「意図」とか、
にゃんこ先生が(エラソーに)言っているものです。
じゃなぜ、そう思ったの?
その質問には答えられません。
あまりに高次過ぎて。
この「原初の衝動」より高次の衝動というものも、たぶんあるんだと思います。
☆
「道(タオ)は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生じる」
「一は二を生じ」はもう明らかですね。
「ひとつもの(タオ)」に生じた、もしくは、タオそのものからできた、タオの二つの部分、もしくは側面。
ここでのポイントは、図を観れば判るとおり、境界線を引き終わると「同時に」ふたつの部分が現れる、ということです。
「同時」なんです。
くどいようだけど。
一、二、という順番じゃない。
数字にごまかされないで。
一を生じることは、同時に、
二を生じることなんです。
わかった、その「二」が陰と陽なんだね!
ちがいます。
ちかいけどね。
つづきはまた次回に。
☆