ans005_002四象 | ぼくは占い師じゃない

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易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

ミケ様

にゃんこ先生です。

梅雨です。
いかがお過ごしですか。

だからどうだってわけじゃない。
だけど天気の話題は不滅ですね。

   ☆

用語の説明。

ふりかえってみますと「爻<コウ>」ぐらいしか出てきませんでした。

切れた線が「陰」をあらわします。
「陰爻」ともいいます。

つながった線が「陽」をあらわします。
「陽爻」ともいいます。

陰と陽は「ひとつのもの」にあらわれた差異です。
「ans003_03音」あたりで、お話させていただきました。
その話で出た絵をもう一度載せます。

【fig004つつかれた境界線】

ちょっとおさらいします。

透明なジェルで一杯のマル。
真ん中には境界があって、それをつつく。
マルはジェルで一杯だから、つつくと「同時に」境界の別の所がでっぱる。

そんなイメージでした。

つついて、でっぱる。

この動きをもう少し詳しくみてみたいとしたら……

どうしたらいいでしょうか?

   ☆

ひとつの爻であらわしていた、つつくという動作と、それに応じて起こる、でっぱるという動作。

爻をふたつ重ねたシンボルをつくって、つつく、でっぱるというプロセスの中間状態をあらわしてみてはどうでしょうか。

上の絵は、下の絵のようになるんではないでしょうか。

【fig018 fig004をさらにくわしく】

陰爻と陽爻ふたつだけだったシンボルは、4つのシンボルになる。

これを四象<ししょう>といいます。
「象」はカタチ、シンボルのこと。

術として易を使う場合には、あまりこの単位で観ることはないのでスルーされがち。

けど、シンボルの数が4つになっただけで、易という言語はずいぶん雄弁になります。

本筋ではないのでとくに説明はしませんが、観たての例を下の絵にならべてみました。

【fig020四象であらわせるイロイロ】

   ☆

もうひとつ大事なことがあります。

変化をあらわそうとするとき、陰爻と陽爻ひとつづつしか表現する文字がないと、スイッチみたいに、パタパタ切り替わる様子しか観てとることができません。

だけど、中間状態が表現できるようになると、よりなめらかな周期をそこに観て取ることができるようになります。

これは根源的な「時間」の出現ともえいえるのではないでしょうか。

【fig019根源的時間】

だれが「観て取る」の?

絵の中に答えを書いちゃってるけど、人間の意識が「観て取る」。

易経は別名「変化の書」と呼ばれているのに、おかしなことを言うようだけど、四象は静的な状態で常に在る……と、イメージしてみてください。

いや、四象のみならず「すべては」そこに在ると。
(「ans004_08対話」、「アカシック」参照)

そうすると運動や周期は、時間という「観て取り方の一種」が引き起こす感覚になります。

動いているのは相手じゃなくてこちらのとらえ方。
ある意味、「反転」ですね。

「ひとつのもの」のサブセットである人間の意識が、時間や運動や周期として、四象であらわされる、これまた「ひとつのもの」の別の部分、サブセットを、そのように、観る。

スピ系の話では手垢の付いたたとえ、フィルムのコマと、スクリーン上の映画のたとえをここでくりかえすのはやめておきます。

もし、完全なすべてが整然とスタティック(といっていいのかわからないけど)にあったとしたら、変化や運動、時間といったものは人間の意識の創作物だということになります。

もしそうだとすると易の別名「変化の書」は、タイトルを改めなければならないでしょう。

「意識の書」と。


今日はこんなところで。
つづきます。

   ☆

LINKS

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「ans004_08対話」