湿っぽい話も、個人的な話も、ここではあんまり書きたくないな、と思ってました。
易のブログなので。
だけどこの、「六十四卦雑想」のテーマのシメでは、ちょっと前に他界した父親のことは、やっぱり書いておくか、という気になりました。
もちろん美談でもなければ、たいした話でもありません。
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成人して家を出てからというもの、ぼく自身も所帯を持ったということもあり、父親と会うのも年に数回程度で、父親が倒れるまでは何十年もそんな感じでした。
父親の具合が悪くなってから、父親が入った病院、それから施設へと、毎週通うようになりました。
時間的にも精神的にもちょっとだけキツくて、そのころ知ったゼンタングル(*1)を描きはじめました。
ところで、易の卦は六十四あります。
そのひとつひとつの自分なりのイメージを、ゼンタングルをつかって表現してみようと思い立ちました。
手慰みといってしまえばそれまでですが、たとえごく短い時間であっても、描くという行為そのものに没頭することは、ずいぶん心を軽くするものだなあ、と思いました。
もちろん人によると思いますが、けっこうな御利益です。なぜ心が軽くなるのかメカニズムはわかりませんが。
ゼンタングルは、「タイル」と呼ばれるコースター大の画用紙とペンがあれば描けます。
この手軽さも助けになりました。
スペースと、時間がちょっとでもあれば、どこでもできるからです。
実家でも。
病室でも。
施設でも。
父親が倒れてから他界するまで、足かけ2年の間に描いたものが、この「六十四卦雑想」でご紹介した、一連のゼンタングルです。
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毎週日曜日に父親に会う中で、特に印象に残っているのは、頼まれて持参した自分宛の年賀状を、ギャッチアップしたベッドの上で、一枚一枚いとおしそうに眺めていた姿です。
父親はネットとかパソコンとかはぜんぜんダメなので、毎年、手書きの原稿をぼくに送ってよこし、ぼくはそれを清書して年賀状に印刷して父親に送っていました。
父親は儀礼的な挨拶だけの年賀状ほどつまらないものはない、と常々言っていました。
なんていうことのない、たいしてうまくもない短文でしたが、年賀状にはいつも自分の近況やそのときの気持ちを綴っていました。
どうやら父親にとっては、年賀状を出すということは「出版」と同じ事のようだったのです。
正月前に倒れたので年賀状が出せず、施設に入ってようやく落ち着いたのが、春になってから。
年賀状を出すには遅い時期でしたので、「盛春雑想」と題して、近況報告みたいなものを、年賀状を送ってくれた人たちへの返礼として出してくれ、と頼まれました。
寝たきりで「原稿」はもう書けないので、施設の部屋にポメラを持ち込んでの口述筆記です。
「盛春雑想」は「これからも続きます、次号もまたヨロシク」というような文面で終わっていました。
しかし結局それが、最後の「出版」になってしまいました。
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いまここでぼくが書いているブログのテーマは「六十四卦雑想」ですが、「雑想」というワードは、父親の「盛春雑想」から拝借しました。
創刊号で即廃刊になってしまった「盛春雑想」に代わって、父親の書きたいものとは内容も体裁もメディアもぜんぜんちがうけど、ぼくなりに「後を継いで」書いてきたつもり……
とまあ、そんなワケです。
これをお読みになっていただいている数少ない読者様方には、直接関係のない個人的な背景です。
すいません。
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ぼく自身はまだ元気なので、アメブロという場を提供していただいているサイバーエージェントがどうにかならない限り、当面このブログは継続するつもりです(笑)。
これからもどうぞヨロシク。
う〜ん、しかしヨロシクとは書いたものの、次回からは何を書こうかな……
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*1
「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーーはじめに」を参照してください。