六十四卦雑想——はじまりはおもいがけないであいから | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

15:コウ(「女后」→「女」へんに「后」(*2))
84:復
TP32:出会い

いずれも、最初の爻である初爻、易のシンボルである大成卦の一番下の線(爻)だけが、他の5つの爻とその陰陽を異にする卦である。

タングル(*1)のストリングスはひし形をしているが、真ん中の四角い穴が、「15:『女后』(コウ)」では黒く、「84:復」では白く、さらに中にちいさな珠が浮かぶ。


【15:コウ(女后)】


【84:復】

「15:『女后』」は初爻が陰、上五つは陽爻である。

「84:復」は陰陽反転で、初爻が陽、あとは陰爻。

陰を黒、陽を白として、タングルでは、まんなかの四角を初爻にみたてている。

易システム(筆者独自の易解釈)の中で「レガシー」と呼んでいる伝統的な易の解釈では、「15:『女后』」は出会い、「84:復」は帰ること、である。

易システムでは、各爻が陰陽逆の関係にある大成卦どうしの対を「ツイストペア」と呼び、このペア自体にも意味をつけている。
「15:『女后』」と「84:復」のペアには「出会い」という意味をつけた。
「15:『女后』」の方の、卦名の意味(邂逅)を代表して、ペア全体の意味とした。

   ☆

レガシーにおける「15:『女后』」の解釈は、出会いは出会いでも、予期しない出会いであり、それも、あまりよくない出会いとされる。

なぜよくないかというと、初爻だけが陰爻で、残りの5つの爻が陽爻といことは、女がひとりで男が5人だからである。

なんじゃそれ?

と思われるかもしれない。

でもレガシーでは、ひとりの女が5人もの男を相手にすることなど、ケシカランというわけだ。

この卦がでるといつも思い出すのは、山本リンダ、「じんじんさせて(1972)」という歌の中の

「だれもかれも花をかかえて戸をたたく」

という一節である。

扉の向こうには、5人の男が花束をかかえて列をなす。

1972年の歌だ。

1972年からみると、はるか古代のレガシーの解釈では、ハシタナイ!ケシカラン!のである。

爻辞もそれらしいことが書かれており、結婚にはよくない卦とされる。

このあたりになってくると、時代的にも考え方的にも、なんだかもう、ぜんぜん、はずれてしまっている。

だが、伝統というものは、よくもわるくも、集合的無意識に根を下ろした複合体のカタマリなので、無視するわけにもいかない。

伝統のすごいところは、「ドンピシャ」ということが、ままありえることだ。
「複合体」のなせるわざだろうか。

これも伝統を無視できない理由のひとつである

一方、「よくない出会い」「結婚にはNG」ということを、キャッチフレーズ風にとらえてしまうと、固定観念、紋切り型の占断につながってしまうおそれがある。

だからまあ、レガシーの解釈はアタマのスミにでも置いておいて、希釈して使うくらいでちょうどいいのかもしれない。

易システムとしては、いい、わるいは別にして「思いがけない」というところにウエイトをおきたい。

   ☆

「84:復」は、レガシーでは「帰る」ことである。

どこに帰るのか。

「復」の字のとおり、もといたところ、もとの状態に帰る。

「復帰」する。

「回復」ととらえたいのが人情だが、卦全体としては実はあまりよくない。

それっ!と飛び出していく。
だが、
道半ばで引き返す。
もといた場所に戻る。
あるいは誰かに引き戻される。
初爻から離れれば離れるほど戻りづらくなる。
やりなおしがきかなくなっていく。

家出人の占などではいいのかもしれない。
道半ばで考え直し、アタマを冷やして戻ってくるという解釈も成り立つ。

「84:復」は、全陰の「88:坤」の初爻が、やっと陰から陽になった状態にも観える。

その観点(十二消息卦)から、冬至の卦とされる。

早稲田の穴八幡で冬至に配られる一陽来復のお守りには、毎年、善良な老若男女が殺到する。

この「一陽来復」の一陽は、易的には、全陰の「88:坤」の初爻に飛び込んだ陽(復の初爻)のことだ。

「来復」の「復」はこの卦のことである。

凍てついた全陰の大地に、一筋の「陽」が射す。

気の運行としては「春の訪れ」だが、12月20日ごろの冬至では、体感的には冬はまだ始まったばかり。
気の運行は空気の(大気の)運動に先行する。

   ☆

「出会い」と「復(か)えること」。

このふたつを「ツイストペア」として、どうやって統合するのか。

「帰ること」は新しい周期の始まりということでもある。
「引き返す」というよりも、周期をあらわす十二消息卦の、あたらしい周期のスタートとして観たい。
そもそもの基点に戻ったということだ。

そこに、「出会い」が重なる。

それもただの出会いではなくて、「思いがけない」出会いである。

新しい周期は、いつも思いがけない出会いから始まる。
ツイストペアの意味としては、いちおう、こうしてキレイに(?)まとまるのである。

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*1
「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーーはじめに」を参照してください。

*2
「女后」←1文字(女へんに后)だと思ってください。この文を打っている環境(昔のポメラ)では出ない字です。あいすみません。