六十四卦雑想ーーAt the first oracle, I inform you. | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

23:革
76:蒙
TP20:純粋さ

   ☆

互いの爻が陰陽反転の関係にある大成卦どうしを、筆者独自の易解釈である「易システム」では「ツイストペア」と呼んでいる。

「23:革」と「76:蒙」はツイストペアで、易タングル(ゼンタングル)では、共通の境界線(ストリング)で描くようにしている。

易システムではツイストペア自体にも意味をつけている。
今回のツイストペアの意味は「純粋さ」という意味がつけられている。

「つけられている」などというと、いかにも他人事のようだが、「易システム」とつきあいだしてから9年もたってしまうと(最初のハンドブックのリリースは2010年)、無責任なようだが、書いた人間は、自分ではないような感じになってくる。

なぜ「純粋」という意味をつけたのか……ということなど、とうの昔に忘れてしまっているのだ。

   ☆

最初は、「76:蒙」の意味を代表させてツイストペアの意味にしたのかな、と思った。

蒙は、何かにおおわれて暗いという意味で、暗いことはすなわち無知で、無知を啓(ひら)く(啓発する)ことを「啓蒙」という。


【76:蒙】

無知を啓(ひら)くには、啓かれる側に未知のことを受け入れる純粋さが必要で、それを「76:蒙」の卦辞は、幼い子供が眼をきらきらさせて、「ねえなんで」ときいてくる、あの純粋さにたとえる。

「76:蒙」の卦辞には、もうひとつ、チョー有名な一節があってそれは次のようなものだ。

初筮告、再三汚、汚則不告。利貞。

意訳すると、

「最初に答えは出ているだろうが。同じ問いで何度もやりなおすな。まじめにやれ」

てな感じになるか。

あることを占って、その結果が気にくわないので、もう一度やり直す。

卜占の場合、占をたてる方法が簡単であればあるほど、だれしも、ついやりたくなることではある。

「う〜ん、もう一回!」

人情だ。

それは、わかる。
わかりすぎるほど、わかる。

しかし、状況が変わったのならともかく、そうでなく、答えが気にくわないからやり直すというのでは、占う意味がない。

「気にくう」結果がでるまで、サイコロをふりつづける、あるいは筮竹をさばきつづける、はたまた、コインをなげつづける、いいカードがでるまでカードをひきつづける……

のだろうか。

システムに「お伺いをたてて」いるのだ、という「純粋さ」に欠けているのである。
謙虚さと敬意にも、欠けている。

純粋さがあったり、なかったり。

いやもちろん、あった方がいいに決まっている。

五爻、童蒙、吉。

とある。

童蒙は、眼をきらきらさせて「ねえなんで」ときいてくる純粋な子供のことである。

爻辞には、この五爻のように極端に短いものがある。
どことなく、

「わかってるだろ。これ以上言わなくても」

的な雰囲気がただよう。

   ☆

「23:革」。

「23:革」はあらためること。

革命の革である。


【23:革】

このチェッカーフラグのような布は革命の旗。

先生の本(*2)によると、西欧近代の革命は民衆(下)から起こるが、古代中国では天の意志による上からの革命を意味したそうだ。

上意下達。

人為的なものというより、「かわる」という自然の理法なのである。

タングルの革命の旗もその市松模様の色がかわりつつあるところを描いている。

よって、君子(天子=王)はその理法に則り、すばやく自らをあらためる。
これを「君子豹変」(上爻)という。

「豹変」というと、一般的な現代の用法では、手のひらは何度返しても減らないんだぜ……

といったような、あまりいい意味にはとられないが、「君子豹変」の豹変は、理法のきざしを読み、豹がその毛皮をあらためるように、すばやくあらためるということで、いいことなのである。

君子豹変のあとには、「小人革面」とある。

小人(ちっぽけな人間。まあぼくも含めてたいがいの人間ということ)は「面(ツラ)」、表面(おもてヅラ)だけあらためて(革)、かわったフリをするが、実際にはなにもかわってない、ということ。

つまり……純粋さに欠けるのである。

どこか、こすっからい。

目先の損得で右往左往する。

駆け込み乗車する。

上爻の下、五爻の爻辞には「大人虎変」とある。

大人(「だいじん」。「おとな」ではない)は、君子ほどではないにしろ、小人よりははるかにできた人間のことである。

「虎変」はあまり聞かないが、「豹変」ほどではないにしろ、トラの毛皮くらいには、すばやく、あらためることである。

五爻は大成卦の爻の位の中ではもっとも尊い位置で、尊位などと呼ばれることもある。

それより上の、「豹変(上爻)」は超人的なステイタスであり、現実的には「虎変」あたりがMaxということだろう。

現実的とはいっても、大人(だいじん)らしい大人(おとな)はめったにいない。

たぶん大人(だいじん)は、駆け込み乗車はしない。

   ☆

このツイストペアにどうして、「純粋」という意味をつけたのか、ということから始まって、いろいろ書いてきたが、自分が書いたハンドブックがあるのだから、それで確認すればいいじゃないか、ということに今頃気づいたりしている。

よいしょ、っと、見てみる。

こういう、ちょっとしたことを、メンドクセエと思うのは歳とった証拠だそうだ。

ハンドブック、曰く。

『「蒙」で自分が何も知らないことを知り、「革」であらためる。』

あ、シンプルなお話になってるんだ。

『いったん、自分が何も知らないことを知れば、そのとたんに、新しい知識は奔流のごとく流れ込む。自分を空にできないと、自分が清流になることも、清流の活動に参加することもできない』

それで、純粋さが必要、ということになっている。

タングルでは「蒙」も「革」も暗闇に布のようなものが浮かんでいる構図になっている。

そのように意図したわけではないが、ひょっとしたら同じ旗の裏表なのかもしれない。

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*1
「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーーはじめに」を参照してください。

*2
「現代の周易」笠原維信 プロスパー企画 2008
過去、二年間ほどお世話になった。