六十四卦雑想——グラウンディング | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

65:井
34:噬<口盍>ゼイゴウ
TP24:内面と外面

   ☆

このふたつのゼンタングルは大小の正方形が共通のモチーフ(ストリング)になっている。
大きい正方形(全体の枠)が小さい正方形を取り囲み、簡単な入れ子状になっている。

小さい方の正方形が意味するものは、「65:井」と「34:噬<口盍>ゼイゴウ」ではまったく異なっている。まあ、違う卦なのであたりまえなのだが。

   ☆

「34:噬<口盍>ゼイゴウ」は障害物をかみくだく象(カタチ)だ。

どこがそうなの?という話については易卦の象を見た方がわかりやすいかも。

初爻と上爻だけが陽で、間の4つの爻がすべて陰の易卦を「74:頤(い)」という。

「74:頤」はアゴ。
ぱかあっと開かれた口。

「34:噬<口盍>ゼイゴウ」は「74:頤」の4爻だけが陽になった卦だ。


【「74:頤」と「34:噬<口盍>ゼイゴウ」の易卦】

つまり「34:噬<口盍>ゼイゴウ」は、ぱかあっと開かれた口「74:頤」に異物(4爻の陽爻)が投げ込まれた象なのである。

こんなよけいなものがあったのでは、口を動かすこともままならない。

キモチワルイので、邪魔モノはさっさとかみ砕いてしまうに限る。

これが「34:噬<口盍>ゼイゴウ」の大意。

目の上のタンコブならぬ、口の中の異物。


【34:噬<口盍>ゼイゴウの易タングル】

でまあ、やっとタングルの話になるのだけれど、「34:噬<口盍>ゼイゴウ」のタングルでは中心にある四角がなんだかもやもやしたもので埋められている。

これはこれで「アメイズ(Amaze)」というれっきとしたゼンタングルのパターンなのだが、うにゃうにゃモヤモヤしている。

これが「障害物」。

障害物は両側のポップな黒い稲妻で打ち砕かれようとしている。
この黒い稲妻は「チャーツ(Charts)」というゼンタングルのパターン。

実際の占断ではこの「障害物」を何にみたてるかが軸足になるだろう。

いやな上司?
ライバルの同業他社?

それとも、自分自身か。

まあなんにしろ、障害物はかみ砕かれるか、時間に浸食されるかして、いずれは消えてなくなる。

たぶん。
かならず。

易そのものが変化にフォーカスしたシステムであることを忘れてはいけない。

吉凶は相対的で、変化するものが悪いものである時は吉であり、いいことが変化するとそれは凶ということになる。

いい悪いは、時代により人により状況により千差万別。

よくも悪くも「変わらない」というのは幻想なのである。

「34:噬<口盍>ゼイゴウ」という卦自体は、やむにやまれずではあるが、障害を「かみ砕く」ことを薦める。
変化のことわりに従うなら、黙っていても、いずれは消えるのだが。

で、消えてなくなったあとは、ぱかあっと開かれた「74:頤」になるのだろうか。

「74:頤」は「虚無」という感じでつかみどころがない。

各爻が互いに陰陽反転しているペア(ツイストペア)ごとに紹介しているこのシリーズでは、そうはならない。

「34:噬<口盍>ゼイゴウ」で、いかにもどうしようもなかった「障害」が失せた後(反転させた後)にあらわれるのは虚無ではなく、静寂をたたえた深みである。

   ☆

「65:井」の易タングルで、真ん中の正方形が示すものは「井戸」だ。


【65:井の易タングル】

「65:井」の爻辞は初爻から積み上げ式によくなっていくお話になっていて、大成卦の上を初爻〜上爻にむかって流れる時間に沿っている。

「11:乾」と同様、比較的わかりやすい。

易経というドキュメントの定石として、上爻までいくとたいがい「やりすぎ」といったニュアンスになって、上爻辞はあまりいいコメントでなかったりする。
「11:乾」などでは、龍が天高く舞い上がったまではいいが、上爻では昇りすぎて後悔し、用九に至っては群をなした龍どうしが相争う始末。

ところがこの「65:井」の爻辞は、最初は掘っても出てくるのは泥水で、誰にも見向きもされなったものが、苦労して泥をさらい、石垣をつくって(四爻)ようやく冷たい水を皆が飲んでくれるようになって(五爻)……

さて上爻では、より多くの人々に水を行き渡らせるため、その井戸にフタをするなとある。

孚<まこと>あり、元より吉。

元吉。

そもそもそれは、よきことなのだ。
そもそもそれは、そこにあったのだ。

「変わらないというのは幻想だ」と前の方で書いたけど、それはたしかにそうなんだけど、それでも変わらないものがここにある。

矛盾しているようだけど。

初爻辞に「旧井」の文字が見える。

古い井戸。

ということは、ここで描かれている井戸は、ストーリーの主人公が新しく掘った井戸ではなくて、そもそも最初からそこにあった井戸を、主人公がリペアしただけのことだった……のかもしれない。

卦辞に「邑<ユウ>を改めて井を改めず」とある。
「邑」は村、集落のことで「集落は変わっても井戸は変わらない」ということだ。

人生をかけてあちこち探し歩いてはみたものの、「変わらない」井戸は、深く静かに冷水をたたえて、ひょっとしたらいつもそこにあったのかもしれない。

そこ。

あなたの足下に。

   ☆

「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。