六十四卦雑想——「愛」が足りない | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

71:大蓄
28:萃
TP07:資源

   ☆

【71:大蓄】

「大蓄」は大きくとどめる。
または大きくためこむことである。

「小蓄」のゼンタングルで飛び跳ねようとしていたサイクロップスの邪魔をしていた小さなタマは、今度は大きなタマになって、タングルの真ん中、山の中心にどっかり座りこんでいる。

ためこまれたエネルギーは巨大な山になり、天より高くそびえ立つ。

「大蓄」という大成卦は、下卦=乾(天)、上卦=艮(山)でできている。

山が天より上にある。

天よりも高くそびえ立つ山。


【山天大蓄】

一方、ペアのもう片方である「萃」は、山よりも動きがある。

ゼンタングルもにぎやかな感じだ。


【28:萃】

中心の円には花が咲いている。

周囲からその花に向かって、数限りない財、チャンス、時間、人材……

とにかく、ありとあらゆるものが吸い寄せられるように集まってくる。

人が集まるということで、商売にはいい卦とされる。
ため込まれたエネルギーにしろ、
集まってくる人々にしろ、
それらは無限のリソース、資源である。

××が足りない!

といった嘆きは、ほんとうにそれらのものが足りないというより、エネルギーはさまざまにカタチを変えるものであるということを見失っているせいで、一見、足りないようにみえるだけの話であることが多いのではないだろうか。

お金が足りない!

だけど、たくさん……ではないにしろ、時間には恵まれていないだろうか。

お金はわかりやすいポテンシャルだが、時間だってエネルギーだ。
あなた独自のすきま時間があるのではないか。

お宝はカタチを変え、分散しているのでちょっと見には判らないだけかも。

情熱が足りない!

やっぱり、時間も足りない!

だけど、そんなあなたをサポートしてくれる人はいないだろうか。

兄弟は?
従兄弟は?
親は?
友人は?
幼なじみは?
先輩は?
同期は?
あのとき、あの時代のクラスメートは?

注意して。

まわりをよく見て。

エネルギーはカタチを変える。

愛がたりない!

というとき、たぶんそれは「愛」じゃない。

愛は不足したり過剰になったりすることはない。
あげたりもらったり、やりとりできるものでもない。
(そうみえることもある)

もひとついうと、

特定の個人とはほぼ関係もない。
(そうみえることもある)

宇宙は、わたしたちがふだん思うよりはるかに気前がいい。

なぜならそれは「愛」でできているからだ。
あらゆるものは、そのひとつのものがカタチをかえたものだ。

え、じゃあ、「愛」ってぜんぶってこと?

そうかもしれません。

だから足りなくなることも、過剰になることも、
特定の個人との関係も……「ない」。

そうみえることはあるかもしれない。

だけどそれは、
一時的なことなのである。

   ☆

「ゼンタングル(タングル)」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。