61:需
38:晋
TP09:時間
☆
「需」は待つこと。
または、待たされることである。
上卦が坎、水で雲をあらわす。
下卦は乾、天だ。
天の上に雲がある。
この雲は雨雲で、
恵みの雨(災害の雨ではない)をもたらす雲だが、
乾ききった大地に雨はまだ降らず、またされる。
「晋」は進んでいくこと。
上卦は離、この場合、
火ではなくて太陽をあらわす。
下卦は坤、大地であり、
大地にようやく陽が昇り始めたカタチである。
さあ、これから!
といった感じがする。
このふたつの大成卦がツイストペア(*1)になっているのはおもしろい。
待たされて、進む。
何を「待たされて」、
どこへ、「進んで」いくのだろう?
……という、お話にもみえる。
待つことと、進むことの間には時間がある。
時間という意味では、主に待つことの方にウエイトがかかるとは思うが、進みたいのに進めない、そして待たされている。
もともとこの易タングル(ゼンタングルの手法で易の大成卦を表現したもの(*2))では、○に中心点を打ったパターン(*3)を「個人」をあらわすものとした。
この「個人」の旅ということで、シリーズが展開していく……
という、あるような、ないようなモチーフを仕込んだつもりだった。

【61:需】
「需」のタングルの真ん中にあるのは、その単独のティップル、「個人」だ。
この個人は、じっと待たされている。
太陽のシンボルの様に黒い三角が取り囲んでいるが、このパターンはゼンタングルでネース(Knace)と呼ばれるパターン。
この「ネース」でもって外へ広がろうとする力をあらわしているようにみえる。
中心点は動きたくて仕方ない。
ひょっとしたらこの「ネース」は、広がろうとする衝動ではなくて、境界をつくりだして、個人というものを規定する枷(かせ)のようなものかもしれない。
外縁部の波のようなパターンはシャタック(Shattuck)と呼ばれるパターンで、これを描いた時は上卦の坎=水、めぐみの雨をあらわしているつもりだった。
恵みの雨は外縁部にある。
至福は遙か彼方にあって遠い。
しかし「必ず」時は満ちる。
いつとはいえない。
計画することも、
予期することもできない。
よく「恩寵」などと呼ばれる
その瞬間に様相は反転する。

【38:晋】
中心に縮こまっていた「ネース」は一気に外縁部に拡大する。
と、同時に「シャタック」は中心部に縮こまる。
単独の「ティップル」はなくなってしまったようにみえるが、そうではない。
この易タングル全体がひとつのティップルになってしまったのである。
今まで分離した単独の個人だと思われていたものは、その枷が崩壊して、いまや「すべて」になってしまった。
無限の広がりをもって個人を圧倒していた「シャタック」であらわされていた空間は、今や「すべて」の中心にかすかに残るだけ。
恵みの雨は降ったのである。
降って、自然のプロセスの中でその役割を果たし、いまや消え去ろうとしている。
さて、一連の易タングルで描いてきた個人……「ティップル」の旅はこれで終わりなのだろうか。
いやいや、描かれていない大成卦は残っているので、お話はまだ続く。
晩のおかずをスーパーに買いに行くような日常生活も続いていく。
反転がなんだ。
反転したって、
別にエラくなったわけじゃない。
とはいえ、個人の旅は、
一応ここでひとつの節目を迎えた、
ということになるのだろう。
そういや、
トイレの洗剤もきらしていたっけ。
☆
(*1) ツイストペア
各爻が陰陽の反転関係にある大成卦の対。
「易システム」の用語。
「易システム」は筆者独自の易解釈。
(*2)「ゼンタングル(タングル)」と「易タングル」は同じ意味で使っています。
易タングルはゼンタングルの特殊なもの(サブセット)という位置づけです。
あまり気にしないでください。
くわしくは「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。
(*3) ○に中心点を打ったパターン
ゼンタングルでいうティップル……のうちの、ひとつの○。
「ティップル」は大小複数の○から成るパターン。