56:渙
43:豊
TP21:リセット
☆
「渙」。
漢字の構造としては、つくりの部分が分娩のカタチだそうだ。
分娩、分散、盛流、設文解字では「散りて流るるなり」とあるという(「字統」白川静より)。
思うに、凝(こご)っていたものが満を持して、一気に放散される……そんなイメージなのではあるまいか。
なにが「散る」かによって、いい意味にも悪い意味にもなる。
伝統によれば、下卦坎=水面を、上卦巽=風が吹いて、水を吹き散らす象(カタチ)。
あるいは王が船(上卦巽=木)に乗り、海(下卦坎=水)をわたるように難局をのりきっていくカタチ。
ゼンタングル(易タングル)の方は水が散らされるイメージに引っ張られて、こんなカタチになった。
波と、その波頭がくだけて宙に舞った、滴(しずく)。

【56:渙】
☆
「豊」。
これはもう、そのまま受け取ってかまわない。
豊かなことである。
かかえるにしても両手にあまる豊かさだ。
大成卦も上卦=震で、にぎやかで、エネルギーに満ちあふれている。
だが、ただアホみたいに豊かさに惚(ほう)けているわけではなくて、明晰に状況を見通す明知も(下卦=離)ある。

【43:豊】
タングルの方は、ぎっしりつまったティップル(Tipple. ゼンタングルでいう、○が集まったおなじみのパターン)でもって、その「豊かさ」をあらわしたつもり。
「明知」は、ゼンタングルでいう「サイム(Cyme)」という花に似たパターンであらわしている。
上卦=震のエネルギーという表現が見あたらない。
「震」はどこへいったのかというと、下部に描かれた「波」のパターンと、その波頭から散った「滴」のパターンであらわされる「動き」そのもの、これが「震」のエネルギーなのである。
☆
ゼンタングルは原則、絵ではないのだけれども、こうなってくるとどうしても「なにか」にならざるを得ないところで、描いていてもクルシイ。
いやまあ、
クルしがらずに描けばいいのだけれど。
ゼンタングルは、絵になってはいけない!
ルールを守らない者にはきついオシオキが……
てな、
おそろしい戒律もなさそうなので(たぶん)。
ささやかな葛藤をかかえながらも旅は続く。
「渙」は散るだけではなくて、離散「集合」をあらわすと観てもいいだろう。
散りっぱなしではやがて世界は平衡状態に達してしまう。
あっちで散り、こっちで集まり、そんなことをただただくりかえす。
そう言うことが許されるなら、この動きそのものが「真理」であり「神」だ。
この運動が「豊」、豊かさを生む。
永遠に。
他には何もない。
☆
「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想——はじめに」を参照してください。