六十四卦雑想——離散集合 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

56:渙
43:豊
TP21:リセット

   ☆

「渙」。

漢字の構造としては、つくりの部分が分娩のカタチだそうだ。

分娩、分散、盛流、設文解字では「散りて流るるなり」とあるという(「字統」白川静より)。

思うに、凝(こご)っていたものが満を持して、一気に放散される……そんなイメージなのではあるまいか。

なにが「散る」かによって、いい意味にも悪い意味にもなる。

伝統によれば、下卦坎=水面を、上卦巽=風が吹いて、水を吹き散らす象(カタチ)。

あるいは王が船(上卦巽=木)に乗り、海(下卦坎=水)をわたるように難局をのりきっていくカタチ。

ゼンタングル(易タングル)の方は水が散らされるイメージに引っ張られて、こんなカタチになった。

波と、その波頭がくだけて宙に舞った、滴(しずく)。


【56:渙】

   ☆

「豊」。

これはもう、そのまま受け取ってかまわない。

豊かなことである。

かかえるにしても両手にあまる豊かさだ。

大成卦も上卦=震で、にぎやかで、エネルギーに満ちあふれている。

だが、ただアホみたいに豊かさに惚(ほう)けているわけではなくて、明晰に状況を見通す明知も(下卦=離)ある。


【43:豊】

タングルの方は、ぎっしりつまったティップル(Tipple. ゼンタングルでいう、○が集まったおなじみのパターン)でもって、その「豊かさ」をあらわしたつもり。

「明知」は、ゼンタングルでいう「サイム(Cyme)」という花に似たパターンであらわしている。

上卦=震のエネルギーという表現が見あたらない。

「震」はどこへいったのかというと、下部に描かれた「波」のパターンと、その波頭から散った「滴」のパターンであらわされる「動き」そのもの、これが「震」のエネルギーなのである。

   ☆

ゼンタングルは原則、絵ではないのだけれども、こうなってくるとどうしても「なにか」にならざるを得ないところで、描いていてもクルシイ。

いやまあ、
クルしがらずに描けばいいのだけれど。

ゼンタングルは、絵になってはいけない!

ルールを守らない者にはきついオシオキが……

てな、

おそろしい戒律もなさそうなので(たぶん)。

ささやかな葛藤をかかえながらも旅は続く。

「渙」は散るだけではなくて、離散「集合」をあらわすと観てもいいだろう。

散りっぱなしではやがて世界は平衡状態に達してしまう。

あっちで散り、こっちで集まり、そんなことをただただくりかえす。

そう言うことが許されるなら、この動きそのものが「真理」であり「神」だ。

この運動が「豊」、豊かさを生む。

永遠に。

他には何もない。

   ☆

「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想——はじめに」を参照してください。