48:豫
51:小蓄
TP07:呼応
☆

【48:豫】
わーい、ばんざい!
ノーテンキなストリングである。
ストリングと呼ばれる、ゼンタングル内の輪郭線は、まず最初にタイル(ゼンタングルを描く正方形の画用紙)の四隅に点を打って、点と点の間を自由に線でつないで描かれる。
「豫」と「小蓄」のストリングは、その正式なやり方に則って描かれてはいるのだが、このペアのタングルは、どうしたってヒトにみえる。
この「ヒト型」にはモトネタがある。
最初の頃に自分で描いたゼンタングル。
こんなものだ。

【最初の頃に描いたヒト型ゼンタングル】
これもなんだかよくわからないサイクロップス。
元来ゼンタングルに意味はない。
おもしろかったり、たのしかったり、まあちょっと瞑想的な気分になって落ち着いたりすることがあれば、それでいいのだ。
別にそんなことがなくてもいい。
それはそれで。
「豫」は「わーい、ばんざい!」でいいのかもしれないが、「小蓄」の方は、なんだか変なボールが「わーい!」をじゃましているようにもみえる。

【51:小蓄】
「小蓄」と関連のある大成卦で「大蓄」というの易卦があるが「大蓄」の方にはおなじボールでも大きなボールを描いた。
「大」の字のとおり。
「大蓄」の方は次回ご紹介する予定。
☆
「豫」は「予想」の「予」である。
「あらかじめ」の意味もあるが、ここでは「よろこび」の意味にとる。
「小蓄」の「蓄」は「蓄財」のような「ためこむ」意味だが、ためこむというより「とどめおく」感じ。
流れをせき止めて「待つ」意味である。
「小蓄」だから、「小さく」「待つ」。
とどめおくといっても一時的なこと。
互いの爻の陰陽を反転した関係になる大成卦の対を、筆者独自の易解釈である「易システム」では、「ツイストペア」と呼んでいる。
「豫」と「小蓄」はツイストペアで、易システムではツイストペア自体にも意味を付けている。
このペアには「呼応」という意味を付けた。
「呼応」はCalling、呼びかけるものとそれに答えるものの意味である。
拙作の「易システムハンドブック」見てみると、なぜ「呼応」なのかという説明に、動き続けるものの中で立ち止まる(「小蓄」)ことによって得られるよろこび(「豫」)という、なんだか、こじつけがましい、苦しみまぎれの理由が書いてある。
とはいえ、
それに続く「農作業(動き続けること)の手を休めて(「小蓄」)空を見上げる農夫……」
というイメージは、ベタだが、なかなか詩的でもある(自画自賛)。
「呼応」というのは、よびかけとそれにこたえるもの、つまり祈りのことなのである。
祈りに答えがあれば、それはよろこばしいことだ。
問いかけとそれに対する答えという構図は、易の文法そのものである。
易を学ぼうと思えば、まずはその経文をひもといていくのが正攻法だろうが、その「正攻法」も、「問いと回答」という文脈でみるならば、ナンセンス……
とまではいわないが、
片手落ちのような気もしないでもない。
なぜなら、
易はまずもって占術の書であり、経文は問いに対する答えだからだ。
経文「だけ」にフォーカスすることは、答えの部分だけをみて対話全体を想像するようなもので、どうしても無理があるのではないか。
日常的、具体的な問題と対になって、はじめて経文は生きてくるのではないか。
システムは使わなければ意味がない。
立ち止まって、祈ることだ。
「占う」ということは。
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「ゼンタングル(タングル)」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。