六十四卦雑想ー呼応 | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。


27:咸
72:損
TP27:問いかけ

   ☆

ゼンタングルでパターン(描き込んでいく模様)を区切る境界線をストリングというが、この「六十四卦雑想」で紹介している大成卦のペアは、それがペアであることが判るように、ストリングの描き方に共通性を持たせてある。

共通性のあるストリングでも、この「27:咸」と「72:損」のゼンタングルではずいぶんと様子がちがってみえる。


【27:咸】


【72:損】

このペアには「問いかけ」という意味を付けているが、描かれているのは問いかけとそれに対する呼応である。

「27:咸」は「打てば響く」状況であり、比較的いい卦とされる。

縁談や契約取引のようなことには反応、レスポンスがいいということでとくに吉とされるが、反応のよさに依存しすぎてしまうと、それにつまづいてしまうこともあるので要注意だ。

「反応のよさ」が占的にどう響くか、それこそ、占者に反応(判断)のよさが求められる卦でもある。

占術書みたいなことを書いたところで、ゼンタングルの説明をすると、このタングルは白黒の矢印のパターン(「シュウェイ(Schway)」と呼ばれる)がメインだ。

シュウェイは非常によくできたパターンで、黒い矢印を描いていることが同時に白い矢印を描いていることでもあり、夢中になって描いているとたちまち瞑想的(催眠的?)な状態になってくる。

図と地の関係を利用したパターンだが、「黒」は即刻「白」であり、「白」は即刻「黒」であり、この関係を反応のよさにみたてた。

もう一方の「72:損」にはピラミッド様の構造物の頂に花のようなものがあってそこからなにやら光のようなものが放射されているが、これは別に「高みからすべてを監視する支配者」をあらわしているわけではなくて、描いたつもりなのはその逆のことだ。

ピラミッドの頂上にあるバラの花のようなパターンはゼンタングルで「ディーバダンス(Diva dance)」または「ロックンロール(Rock'n Roll)」と呼ばれる。

「72:損」のタングルではディーバダンスは支配者ではなく、下から上へ献上されたなにかをあらわす。

ピラミッドの両サイドにあるアクセサリのようなパターンは「オーナマト(Onamato)」と呼ばれる。

オーナマトと、ディーバダンスから放射される光は、献上されたものに応えて天からふりそそぐ「恵み」をあらわしたつもり。

「損」の卦が出たときは「損して得とれ」ともいう。

大成卦のカタチからいうと、損はもともと泰からきたという観方がある。
交代生卦というが、この観方では、泰の三爻の陽が上爻位にあがって損になったと観る。
泰の三爻の陽爻が上爻に「献上」されたわけである。

「こないだ買った宝くじ当たるかなあ、占ってみてよ」
といわれて、サイをふったら、この「損」の卦が出たことがあった。

「あ、だめです」
「一枚も?」
「そうですね」
「なんでそんこと言うのよ」

「なんで」って言われても……

宝くじはお上のやる富くじである。

そもそも胴元がもうかるようにできている上に、高額当選する確率は、そこらへんを歩いていて上からモノが落ちてきて当たる確率より低い(*1)。

「はずれだ」といっておけば、占わなくたってまず当たる。

何枚買ったか知らないが、彼女は宝くじにつぎ込んだお金を立派にお上に献上したのである。

今回のタイトルは「呼応」である。
つぎ込んだお金に見合った「呼応」はあったのだろうか。

それはこんど彼女に会ったときに聞いてみるしかない。

   ☆

(*1)宝くじが当たる確率
検証したわけではない。聞きかじったことをテキトーに書いただけ。

「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。

「ゼンタングル」のパターンについては次の本を参考にしています。

「はじめてのゼンタングル」
さとういずみ著 自由国民社 2014年