神功皇后のお力 | サイキックちゃんとあきこの神仏に会いに行こう

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13歳の神仏が視える、聞こえる男の子、サイキックちゃんのママであるあきこが書いているブログです。

こんにちは。

あきこです。

 

 

 

 

最近、神功皇后の話が続いております。

 

 

もうしばらくお付き合いくださると嬉しいです♡

 

 

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宇佐神宮

 

 

神功皇后は、沢山の逸話を持つ女性です。

 

 

日本書紀の神功皇后の巻は

本当に長いです。

 

 

子供の応神天皇よりも長いです。

 

 

自ら天皇になっているわけではないのに

一つの巻があるんです。

しかも長いんです。

 

 

神功皇后は、ヤマトタケルの子である仲哀天皇の后です。

気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)という名です。

 

 

父は開化天皇の祖孫の息長宿禰王。

母は葛城高顙媛です。

 

葛城高顙媛は、古事記によると、天之日矛(アメノヒボコ)の子孫と書かれています。

 

 

アメノヒボコは新羅の王子で、日本にやってきたと

古事記や日本書紀には書かれています。

 

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さて、神功皇后はお腹に子供がいる間に夫である仲哀天皇が亡くなります。

 

 

 

神功皇后が神懸りになって得た神託を信じなかったせいで

仲哀天皇は亡くなったとされています。

 

 

神功皇后は仲哀天皇が亡くなった後

再度神懸りになって神託を聞き

三韓征伐に自ら出兵します。

 

 

出産を遅らせるために、お腹に石を巻いての出征でした。

 

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この他、すごく沢山のエピソードがあるのですが

その中には神懸りエピソードもいっぱいございます。

 

神功皇后は神懸りの人であったのです。

 

 

 

当時は、政治と祭祀は一体化していました。

日本書紀には天皇の近くに神懸りの女性がいる話が

たくさんあります。

 

 

 

 

 

さて、神功皇后は、

子であるホンダワケノミコトを守り育て、

天皇にするために

仲哀天皇の子供(自分以外の女性が生んだ子供ですね)と戦って勝利し

皇太子にします。

 

 

そしてホンダワケノミコトが、

応神天皇になるまで

70年間も摂政をしたと伝わります。

 

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宇佐神宮のHPには、

 

神功皇后は母神として神人交歓、安産、教育等の守護をされており、そのご威徳が高くあらわれています。

 

と、書かれています。

 

 

神人交歓の守護ってなかなかないですね・・・

 

 

そして教育・・・

 

 

わたしもサイキックちゃんを育てるにあたって

神功皇后のそういうお力で

たくさん助けて頂いてるんだなって

本当に今更ながら気づきました。

 

 

遅いってまた怒られそうですが・・・

 

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先週末もまた鎌倉に行きまして

改めて鶴岡八幡宮にお詣りをして

神功皇后に、お礼をお伝えしてきました。

 

 

鶴岡八幡宮には、神功皇后が神懸りになったときに

琴を弾いた武内宿禰さんのお社もあるんで

そちらもお詣りしました。

 

 

武内宿禰は景行天皇(第12代)から仁徳天皇(第16代)まで

五代の天皇に仕えたことが

日本書紀から分かります。

ものすごく沢山のエピソードがあり

賢明な忠臣であることが分かります。

 

 

神功皇后が、神懸ったとき、

武内宿禰が琴を弾き、

中臣烏賊津連が、

審神者(さにわ)をしたんですよね。

 

 

審神者(さにわ)というのは、古代の祭祀において

神意を解釈して伝える者のことです。

 

 

こちらにも書いてます↓

 

 

 

そして、琴は、神事において大変特別な役割をした楽器です。

 

 

上のブログにも書いたのですが、

(そして以下に再掲します)

 

 

古代における琴というのは

特別な意味を持っていたようです。

 

 

琴は大変古くから使われていたようで

弥生時代の遺跡から既に琴の一部が出土しております。

 

 

古墳時代の埴輪には、

男性が琴を弾いているものや

琴そのものの埴輪があります。

 

 

 

また、古事記、日本書紀では

神官的な役割の男性が琴を弾き

巫女的な女性がそれを聞いてトランス状態に・・

つまり神憑って神託を降ろし

それを審神者(さにわ)が神意を解釈して伝える。

というシーンがいくつか出てきます。

 

 

 

ちなみに琴を弾く男性と審神者が同一の場合もあります。

時代が下って平安時代には

神楽で琴を弾く人を「さにわ」と称したとの記載もあります。

 

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こういったことから古代では琴というと、

国のまつりごとに関することの神の宣託を受けるための

特別な楽器であったようです。

 

 

武内宿禰さんは、神功皇后から指名されて

ご神託を受ける際に

琴を弾いたことが日本書紀には書かれているんです。

 

 

ちなみに、日本書紀には、

神功皇后自身が神に言われて琴を弾いて

さらに神懸りになるというシーンもありますよ。

 

 


武内宿禰さんのお社では

わたしがサイキックちゃんをサポートすることに対しての

お力添えをお願いしてまいりましたよ。

 

赤ちゃん「分かったぞーって言ってくれてるよ。」

 

 

鶴岡八幡宮では、御本殿の左側に宝物殿があります。

宝物殿のすぐ前が武内宿禰さんのお社です。

 

 

回廊が宝物殿になっているので

宝物殿に入ると御本殿の横や裏に行くことが出来て

神様のすごく近くに行けますのでおススメです。

 

 

わたしが伺った際には

神功皇后に奉納された衣が展示されていて

とっても美しかったです。

 

 

ではでは!!