神憑りのヒメ | サイキックちゃんとあきこの神仏に会いに行こう

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13歳の神仏が視える、聞こえる男の子、サイキックちゃんのママであるあきこが書いているブログです。

こんにちは。

あきこです。

 

 

今日は、出雲関連の講座

二コマの日で、ただいま3時間半の空き時間です。

 

 

人混みを避けようと思って

ホテルでご飯食べて、ロビーで休憩中なんですが

駅前と違って全然人がいません・・

 

 

 

さてさて、一週間ほど前に書いた

 

 

のブログを覚えていらっしゃいますでしょうか?

 

 

 

大物主を降ろして(神憑りになって)ご神託をしたり

夢で大物主からのメッセージを伝えたり・・

ということをした

第七代の孝霊天皇の皇女である

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が

出てきました。

 

 

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↑大神神社の写真

 

 

 

ここで出てくる倭迹迹日百襲姫命は

あまり知名度は高くないけれど

古代の霊的なパワーを持つ女性の中でも

かなり強い能力を持っていた女性なんじゃないかと

わたしは思っています。

 

 

上のエピソード以外にも、

反乱を予言したりしています。

 

 

 

他にもこういった神憑りの巫女的な女性というのは

日本書紀は古事記に出てきますが

その中でも彼女は抜きんでているような感じがします。

 

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この倭迹迹日百襲姫命だけではなく

アマテラスの御杖代となった

豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)や倭姫命、

そして、倭大国魂神を祀ろうとして失敗した

渟名城入姫命(ヌナキイリビメノミコト)は

全て皇女であり、巫女的な役割をしています。

 

 

 

 

 

時代が下って、神功皇后などもそうですよね。

(神功皇后は皇女じゃないけれど・・)

 

 

 

この当時の政治というのは、

祭祀と切り離すことが出来ませんでした。

 

 

 

神と繋がることができる

天皇に近い存在の女性というのは

大変重要な役割をしていたのでしょう。

 

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さらに倭迹迹日百襲姫命は

後に、大物主と結婚までします。

 

 

 

神様と結婚。

神婚

というやつです。

しかも、大和に絶大な力を及ぼす

あの大物主と・・です。

 

 

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さて、倭迹迹日百襲姫命が日本書紀に出てきたのは

第十代崇神天皇の御代です。

 

 

第七代の天皇の娘ということは年齢は???

って思ったりしたのですが

当然この時代の人なので年齢は分かりません。

 

 

沢山の奥さんに、沢山の子供を生ませていたので

上から下まで年齢は様々であったでしょうしね。

 

 

 

 

 

倭迹迹日百襲姫は、崇神天皇の代で

沢山の神憑りのご神託をして大活躍した後、

大物主と結婚します。

 

 

 

まあ、当時なんで、

結婚式をしたというのではなく、

大物主がヒメのもとに通ったのです。


 

 

昼は姿を見せず、夜しか来てくれなかったため

自分に通ってくる大物主の顔を

見たことがありません。

朝、姿を見せてほしいと頼みます。

 

 

大物主は、

「それは、まあそうだね。

翌朝、あなたの櫛笥(くしげ)に入っていましょう。

わたしの姿を見ても、決して驚かないでほしい。」

と言います。


 

ヒメが朝、櫛笥(くしげ)の中をみると、

蛇がいました。

 

 

それを見た倭迹迹日百襲姫は、

叫び声をあげてしまいます。

 

 

大物主はそれを恥じて、

倭迹迹日百襲姫をなじって、

去ってしまいます。


 

 

倭迹迹日百襲姫は、

大物主に恥をかかせてしまった自分を悔いて、

なんと「陰部」を箸で突いて、

自殺してしまうんです・・・

 

 

 

倭迹迹日百襲姫のお墓は

箸墓古墳(はしはかこふん)と呼ばれています。

 

 

↑箸墓古墳と鎌田東二先生

 

 

大物主の声を皆に伝える役割だったのだろうと

鎌田先生も仰っていました。

 

 

 

大和という土地にとって、

重要で偉大な神である大物主という神の声を伝えるということは、

当時であれば、宗教的な意味だけではなく、

政治的な意味合いも持っていたでしょう。

 

 

鎌田先生は倭迹迹日百襲姫が

卑弥呼であったと思っておられるそうです。

 

 

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神と結婚する神憑りの巫女的な皇女である
倭迹迹日百襲姫命。

 

 

墓も日中は人が作り、夜は神が作ったとも

伝えられています。





 

それほどまでに力があった・・

ということなのでしょうね。