ボタンの花の咲き始めと、春の花たち 《徳川園①/2021年3月28日》

 

 

 

ツバキ 徳川園 

ツバキの花咲く(徳川園)

雨の日、花を咲かすツバキ。

昭和歌謡のようですが、訳ありのルージュの色

 

 

徳川園 龍仙人湖

徳川園の風景

龍仙湖に、観仙楼(正面の建物)

 

 

 

 2021年3月28日(日)に、丸明(まるあき)という精肉店に、お肉を買いに行きました。

 その近くにある日本庭園・徳川園(名古屋市 東区)も訪れて、春の花を楽しみました。

 

 徳川園は、武家庭園(日本庭園)です。名古屋駅から車で15~20分程の距離にあります。JRの最寄り駅は大曽根(大曽根/中央腺で、名古屋から4駅目の駅)で、下車後徒歩10分程で園に着きます(バスなら、大曽根発の栄行きで2区乗車)。

 平成16年に庭園として整備されました。尾張徳川家の宝物を展示する徳川美術館が、隣接しています。

 

 自宅から20分程の場所に、徳川園があります(自宅から徒歩8分+JR1区3分+降車後徒歩10分)。庭園の花たちを楽しむため、そして隣接する美術館(徳川美術館)の展示を見に、折々訪れています。

 

 小学生の頃(50~45年程前)、家も近かったので、この場所で遊んでいました。

 園内に大きな池はなく(小さな池はあった)、どこでも見られる公園でした。驚くほどの変わり様です。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

【徳川園について(公式サイト掲載文)】

 徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。

 光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。

 昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。

 

 

 

 

 

 ツバキ 徳川園

ツバキ(椿/ツバキ科 ツバキ属 常緑高木)

 「ツバキは冬の花だよね」の印象があります(サザンカを見てそう言っているのでしょうか)。

 しかしツバキは、この時期に見られる花です。漢字を見ても、左側「木」へんに、右側「春」と書きます。この漢字は、(中国にはないため)日本で作られたものだとされています。

 

 美しい花色、美しい形。ほろりと、この形のまま花が落ちるのも、どう表現してよいのか迷いますが、風情があって良いものです。

 この、花びらが硬く、形が崩れない花は、「(まだ夜間は寒さ残るため、虫による受粉が出来るかどうか分からないので)鳥たちを呼んで受粉しよう」という、花の意思から形作られたものです。鳥にごほうびとして与える花蜜も、多く用意されています。

 ツバキの種子から作る油は、灯火用とされた時代もありましたが、現在は高級整髪油として有名です。

 種子をお茶にすれば消化不良(食積)による下痢を治療し、花は止血の効を持ちます(性味:甘微辛、涼)。

 乾燥花を刻んだもの茶さじ1杯分にお湯を注ぎ、甘味として砂糖適量を加え、健康茶として飲みます。美容に、滋養に良い健康茶になります。

 

 「山茶花」はサザンカの漢字表記とされていますが、本来はツバキの事を現しています。

 

 

 ツバキ 徳川園

ツバキの花

落花もまた美しく。

 

 

 

 

 

 ゴモンジュ 徳川園

ゴモンジュ(御門樹/スイカズラ科 ガマズミ属 常緑低木)

 ゴモンジュは、今が花の盛りの状態でした。西の茶室前で、見る事が出来ます。

 首里城の門前に植えられていた事から、ゴモンジュ(御門樹)と呼ばれる様になったとされます。葉の香りがゴマに似るから「ゴマ樹」が転化したという説もあります。南方系の樹で、日本では南西諸島・奄美大島・沖縄などで見られます。小さな花であり、花の直径は1cmに満ちていません。

 

 

 ゴモンジュ 徳川園

ゴモンジュの落花

 

 

 

 

 

 徳川園 茶室

茶室・瑞龍亭

敷地の西側にある茶室です。

 

 

 徳川園 龍仙湖

茶室からの眺め

瑞龍亭からの眺めです。やはり、雨降りの日は、晴れの日とは風情が異なります。目に映る色調は沈み、しっとりしています。

 

 

 徳川園 小径

茶室横の小径

まっすぐに伸びる小径。

 

 

 

 

 

 ボタン 徳川園

ボタン(牡丹/ボタン科 ボタン属 落葉小低木)

 ボタンの花が、咲き始めていました。徳川園では、たくさんの地植えのボタンがあります。それらが咲き揃う4月には、「牡丹祭」のイベントが行われます(2枚下画像が掲示ポスター)。

 

 これは、寒ボタン(かんぼたん/寒牡丹)の花です。ボタンは普通、年に1度、春に花咲きますが、寒ボタンは年に2度花を付ける変種です(開花は冬と春)。春からは葉を茂らせますが、冬の花期には葉をほとんど付けません。また生育に時間がかかり、花を咲かせるまで10年程も待たなくてはなりません。

 

 ボタンの根の皮を、薬にします(生薬名:ボタンピ)。血流を良くします。具体的な薬効は「肌のくすみを消す(肌つやをよく保つ)」「痛みを消す(固定性刺痛)」です。 もうひとつの薬効はクールダウンする事で、熱感不調(ストレス状況や熱病)を抑えます。

 

【ボタンピ(牡丹皮)  性味:苦・辛、微寒  帰経:心・肝・腎  効能:清熱涼血・活血化】

【ボタンピを配合する漢方薬  加味逍遙散(かみしょうようさん)・桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)

 

 

 ボタン 徳川園

ボタンの花つぼみ

もうすぐ咲きます。美しい花の見られる季節、楽しみです。

 

 

 徳川園 牡丹祭

徳川園・牡丹祭(ぼたんまつり)4月10日~25日

 

 

 

 

 

 徳川園 シャガ

シャガ(射干、胡蝶花など/アヤメ科 アヤメ属 多年草)

 白が基調のシャガの花。遠目には地味に感じても、近寄って、しゃがんで見れば、その印象が変わる事でしょう。

 白い花びらにはわずかに青色が乗り、黄色のラインを中心に、ブルーの星がたくさん散っています。

 

 シャガは中国原産の帰化植物、かなり古い時代に日本に入って来たのだと思われます。

湿地や水辺で目にする事が多いです。日本のシャガはすべて同一遺伝子を持つとの事、ひとつの株が分けられて、人里で大切に育てられていたのかも知れません。花を愛でる誰かのために。

 

 

 シャガ 徳川園

シャガの花

 

 

 

 

 

 フタバアオイ 徳川園

フタバアオイ(/ウマノスズクサ科 カンアオイ属 多年草)

 春に茶色い坪形の花を咲かせるフタバアオイ。日本の山野で見られます。

 

 これが、徳川家の家紋・みつばあおい(三つ葉葵)の、デザインのもとになった植物です。

 以前毎週放映されていたTVドラマ・水戸黄門で、印籠(いんろう)に描かれていたあの模様です。

 葉の外形をよく見れば、皆さんの心に思い浮かぶでしょう。

 

 そして、フタバアオイという植物はあっても、ミツバアオイという植物はありません。

 

 

 フタバアオイ 徳川園

フタバアオイの展示

葉の画像は、これを写しました。

 

 

 フタバアオイ 徳川園

説明の看板

美術館側の入口に、展示されています。

 

 

 

 

 

 徳川園 龍仙湖 観仙楼

徳川園・観仙楼

この日観仙楼の1階では、午後からの結婚披露宴の準備をしていました。

 

 

 徳川園

龍仙湖のコイ

 

 

 

 

 

 ミツバツツジ 徳川園

ミツバツツジ(三葉躑躅/ツツジ科 ツツジ属 洛陽低木)

 ミツバツツジの花は、また独特の色合いで、遠くからでも、ひとの目をひきつけます。

 ミツバツツジのオシベが5本である事が特徴、他のツツジは10本である事が多いです。

 

 

 ミツバツツジ 徳川園

ミツバツツジの花、美しく

 

 

 

 

 

オウバイ 徳川園

オウバイ(黄梅/モクセイ科 オウバイ属 つる性落葉低木)

 良く花姿を目にしはしますが、日本ではいまひとつ馴染みになり切れない植物、しかし中国では「迎春花」と呼ばれる縁起の良い花です。初春に花をつける事から、そう呼ばれています。

 画像は、牡丹園の入口にあった株です。

 

 花を煎じ、得られた液を服用し、利尿薬として用います。

 

 

⇒ 徳川園② 東海ザクラ冬ボタンの花 に つづく

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

⇒ 徳川園 、冬牡丹の花展示 最終日①(2021年 2月21日) をみる

 

⇒ 徳川園 、ウメとツバキと(2021年 2月9日) をみる

 

⇒ 徳川園、美しき命、冬牡丹の(2021年 1月9日) をみる

 

⇒ 徳川園 12月の花(2020年 12月19日) をみる

 

⇒ 徳川園 花嫁さんと、寒ボタンの花 (2021年 11月2日) をみる