美しき命、哀しき定め 冬ボタンの花①《徳川園/2021年1月9日》

 

 

 冬ボタン (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタン(ふゆぼたん/冬牡丹)の花

1月・2月に花を咲かせる様、ボタン(ボタン科の落葉低木)を温度管理して育てたものです。

 

 

 

 2021年1月9日(土)には冬ボタンを見に、この名古屋の日本庭園・徳川園に行きました。

 

 徳川園は、武家庭園(日本庭園)です。名古屋駅から車で15~20分程の距離にあります。JRの最寄り駅は大曽根(大曽根/中央腺で、名古屋から4駅目の駅)で、下車後徒歩10分程で園に着きます(バスなら、大曽根発の栄行きで2区乗車)。

 平成16年に庭園として整備されました。尾張徳川家の宝物を展示する徳川美術館が、隣接しています。

 

 自宅から20分程の場所に、徳川園があります(自宅から徒歩8分+JR1区3分+降車後徒歩10分)。庭園の花たちを見に、美術館(徳川美術館)の展示を見に、折々訪れています。11月3日にこの庭園を訪れた時には、ホトトギス・寒ボタン・ツワブキの花たちが迎えてくれました。

 

 小学生の頃(50~45年程前)、家も近かったので、この場所で遊んでいました。

こんな大きな池はなく(小さな池はあった)、どこでも見られる公園でした。驚くほどの変わり様です。

 

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【徳川園について(公式サイト掲載文)】

 徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。

 昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。

 

 

 冬ボタン 薬草写真館(加藤久幸)

徳川園(名古屋市 東区)の風景

北口から入るとすぐ、この風景が目に入ります。建物は観仙楼と、湖は龍仙湖と、名づけられています。

(入場は、この北口と、南口の2か所があります。/南口はグッズ売店併設)。

 

 

 ボタン園 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

徳川園・牡丹園(ぼたんえん)の風景

南口を入り右側に、牡丹園(ぼたんえん)があります。この時期の名古屋は、伊吹おろし(伊吹山から吹きつける寒風)が吹いてとても寒いので、こも囲いの中で暖をとるようにして、ボタンたちは置かれています。

 

 

 冬ボタン 徳川園 薬草写真館(加藤久幸)

牡丹園の風景

徳川園の開園時間は9:30、ちょうど10時頃の撮影です。見学者は、まだまばらです。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタン

1~2月頃には鉢植えの冬ボタンが配置され、きっと寒さに凍えているのでしょうが、美しい花を見せてくれます(徳川園・春花のリンク 夏花のリンク 秋花のリンク 冬花のリンク)。寒さよけのための こも囲いが、小さなお家の様に見えます。

4~5月には、地植えのボタンの花が美しく咲きます。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬 ボタン(冬牡丹/ボタン科 ボタン属 落葉小低木)

 通常、ボタンは4月半ば頃に花を咲かすものですが、これは冬ボタン(冬牡丹)と呼ばれるものです。人間が、新年近くに花を見たいと思うがため、温室でボタンを促成栽培したものです(4℃で約50日間置き、その後15℃で10日程置く事で春が来たと思わせる)。島根県・大根島での冬ボタン栽培が、有名です。

 

 1~2月に花咲かせているボタンのほとんどが、この冬ボタン(冬牡丹)です。

 自然の摂理に逆らって花を咲かせているため、命は削られ、多くは1年で枯れてしまいます。生き延びたとしても春咲きに戻り、以後冬に花を咲かせる事はありません。

 

 生命は、強さと弱さを併せ持ちながら、明日を目指すものです。しかし、他に先駆けて咲く事を強要された生命は、いったいどんな思いを抱くのでしょうか。

 

 見る者にとっても、それは美しく、そして哀しい花姿なのです。

 

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寒ボタン(かんぼたん/寒牡丹)とは

 ボタンは普通、年に1度、春に花咲きますが、寒ボタンは年に2度花を付ける変種です(開花は冬と春)。春からは葉を茂らせますが、冬の花期には葉をほとんど付けません。また生育に時間がかかり、花を咲かせるまで10年程も待たなくてはなりません。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花(品種名:百花殿)

1月5日頃でしたでしょうか。地元の中日新聞に、徳川園の冬ボタンが掲載されていました。展示期間は1月2日から、2月16日までです。この日は冷え込んだ事もあり、ボタンたちは総じて元気がありませんでした。その中でも、美しく咲くボタン花がありました。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花(品種名:百花殿)

この日は、この花が最も美しいと感じました。花との出会いは、その時限りのものです。それは、ひととの出会いと同じです。春に訪れるボタン花の命は、これとは異なるものです。近づきなから、そして離れながら、花を見つめていました。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花(品種名:百花殿)

 

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花

それぞれの品種に、それぞれの美しさがあります。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花(品種名:島大臣)

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花(品種名:島大臣)

赤紫色の花弁は、輝くドレス生地の様な質感です。深みがあります。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花(品種名:八千代椿)

淡いピンクの色彩。やわらかな、はかない命の作り出す形が、いま、確かなものとして存在しています。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花(品種名:連鶴)

品種名の札を見た後、改めて花を見つめれば、花びらの描く模様の中に、幾つもの飛び立つツルがいる様にも思えるのです。

 

 

 冬ボタン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬ボタンの花(品種名:連鶴)

花中央のしべは、清楚な姿をしています。

 

 

 徳川園茶室 瑞龍亭 (薬草の歳時記 加藤久幸)

茶室・瑞龍亭

徳川園内、西側の高台にあります。

 

 

徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

冬枯れの風景

茶室前の冬枯れ風景。

 

 

徳川園 龍仙湖 (薬草の歳時記 加藤久幸) 

茶室からの風景

柔らかな冬の日差しを映す湖面、龍仙湖。広角レンズを使って撮影しました。

 

 

 

 

⇒ 徳川園②(1月9日・2021年) に続く

 

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→ 徳川園、師走の花①(12月19日・2020年)をみる

 

→ 花嫁さんと、寒ボタンの花①(11月2日・2020年)をみる