ステージから降りた訳
〈原稿ページ5枚分くらいあります。本を読むぐらいの感覚で辛くならない程度にお読みください〉2023年1月17日ステージから降りた訳「有名なシンガーソングライターになりたくて、ステージの上で歌う為にアルバイトでお金を稼いでいた」20代。30歳を超えるあたりからたくさんの事を考えた結果、私はステージで歌うことを辞めました。人間、始める事も難しかったりしますが、辞めたり諦めたりする方がもしかしたら難しいのかも知れません。私もそのうちの一人です。”25歳までに有名に慣れなかったら音楽を辞める”と誓っていた私だったのですが、25歳になった時スパッと辞めることがとても難しかった。実際にたくさん頑張って活動してたし、頑張って100人集客のライブをしたりもしていたので、有り難いことに私をファンだと言ってくれる人ができていたり、応援してくれてる人もそれなりにいてくれてた。その人達に、「もう音楽辞めます。」なんて告白するのはとても胸が苦しかった。し、そこそこの実績も積んでいたので、有難いことに商業施設や野外イベントのライブステージの依頼も月1以上でいただける様になってきたりと、きちんとギャラを貰ってライブができる状況にもなっていた。し、25歳の2015年11月に「Amuseum」のEPを発売する事もあって、CDをたくさんの人達に届けなければならないということもあったり、25歳で見切りをつけるのは私にとってはとても難しい事だった。(「Amuseum」の挫折話も今度したい。)そうやって迷いながらも活動していたら、ビーサン跳ばし協会のテーマソングの話が舞い込んできて、制作の話が進み2016年8月ビーサン跳ばし協会テーマソング「サニーデー」をリリースでき(この時代、ちょうど音楽の配信サービスが始まるぐらいで、CDが売れない時代に差し掛かり、CD派かデジタル派かみたいな、音楽業界がなかなか厳しい時代だったな。)その後、第11回湘南国際マラソンのテーマソングのコンテストに参加してみよう!ということになった。この経験が私の人生を変えてくれたと言っても良いかもしれません。(これもまた別に話をしたい。)結果なんとまさかのグランプリ受賞。2016年12月第11回湘南国際マラソンのテーマソングに「描いた花」が輝いた。CANTANFU株式会社の話も進み、”また頑張らねばいけない”と心にモヤモヤを抱えながらまたシンガーソングライター宮林愛美のライブ活動を続けたのだった。その頃の私は、ニートだった。音楽でお金を稼ぐ意外お金は無い、が時間がある。どうやったら音楽でお金が稼げるのか模索していた。野外ステージの依頼だって貰えても最高1万円ぐらい。それが月に1回。ラジオの出演なんて0円、むしろ交通費がかかってマイナス。ライブハウスは、基本的に2000円のチケット5~10枚ノルマとかで、場所によってはお金を払わずに出演させてくれたところもあるけれど、結局は10人以上お客さんが来てくれないと黒字にならない。交通費ももちろんかかっている。だから物販でどれだけ黒字にできるかとなってくるのだけれども、物販も初期費用がかかるのでお金がなければ作れないし、売れなければ赤字だった。手っ取り早く現金を稼ぐのは路上ライブだった。CDの売り上げの他におひねりも貰える。交通費ぐらいしかかからないので路上ライブは定期的に頑張った。しかし、毎度上手くいく訳もないのが人生。全然立ち止まって聞いてくれなかったり、CDを一枚も買ってもらえなかったり、おひねりも100円しかなかったり、寒くて全然上手く歌えなかったり、警察から止められることもしばしば。こうして交通費と体力だけ奪われて帰宅する事もしばしばあった。最終手段は最寄駅での路上ライブだった。交通費もかからずプラスしかなかったが、お客さんに自分の住んでいるところがバレてしまうことがリスクでなかなかたくさんはできなかったし、最終的に目をつけられてすぐに警察が来てしまう様になった。そうなると、せっかくそれ目当てに来てくれたお客さんにもがっかりさせてしまって申し訳なかった。そんなこんなな生活を送りリボの支払いが70万円を越えた。「私は、何をしているんだろう?」正直病みました。笑”こうして人は死んでいくんだ”と経験しました。笑こうしてようやく、私は”ミュージシャンになる事”を真剣に見つめ考えさせられました。何の為に歌うのか、何の為にライブをするのか、音楽って何だろう、歌って何だろう、上手いってなに?、人気ってなに?、私ってなに?もうここまで来たら落ちるとこまで落ちてやろうととことん沈みました。当時の私は「音楽で食ってい」けるように頑張っているけど結局、住む場所、光熱費、生活費、食費は家族に甘えていて自分は支払えてない状況、路上ライブに行けば「また迷惑なミュージシャンめ」とミュージシャンの印象を悪くしたり(もちろん全てが悪ではない)して警察とやり取りがあったり、「そんな警察ざたになったりもする職業って,,,何?それって胸張って誇れなくない?しかも、全然社会に貢献できてない。そりゃ世間一般的から見たらミュージシャンっていい印象ないよな。自ら、ミュージシャンの印象を下げてしまっているよな。」と思った。自分で住む場所、光熱費、生活費、食費全てを音楽で稼ぎ自分で支払えるようになって初めて「音楽で食っていく」と言えるのだと頭の悪い私はやっと身をもって”責任”を理解しました。それを理解してから、音楽ってそもそも”与える”もので、今の私はみんなから”与えてもらってる”なと思って、与えなくては!と思考がやっと正面に向いてくれた。そして、根本的に私ってライブがしたかったの?と言う疑問が浮かび上がってきた。そう、そもそも私はSPEEDが大好きでテレビっ子だった。昔あった「うたばん」や「Mステ」に出演したい!それが本心だった。まあその下ずみでライブ頑張ったらテレビに出れると信じて活動していたのかもしれません。しかしどうだろう?もう「うたばん」は無いし、「Mステ」は当時のようなSPEED、安室ちゃん、ラルク、ジュディマリみたいな内容とは時代が変わりアイドルが主流になっている。もう私が夢見て追いかけていたものはとっくの昔に無かくなっていたんです。「あれ?私、何の為に頑張っていたんだろう、じゃあ、もういいじゃん。」って、いつぐらいだったかな~、、、アルバイトを探し始めたぐらいなので2017年~2018年ぐらいかな?やっと、私の肩の荷が降り始めました。ライブの依頼も、断る理由がやっと「逆にこんな気持ちでライブを引き受けたら企画側にもお客さんにも失礼だな」とはっきりして、やっと私は諦めがつきました。だけど1つだけ、どーしても辞められないことがあった。「曲を作ること。」これだけは、止めろと言われても止められない、なぜだか辞めたくないって思えた。(もしかしたら”湘南国際マラソンでグランプリを取った”という成功体験があったのは理由のひとつかもしれません。)そして幸運にも時代は流れていて、ライブはしなくても、ネットの環境で音楽を聴いてもらうことができる。今までもできたけど、世の中がそれに慣れてきて手段が増えてきていた。これならば、今まで私のことを応援してくれたお客さん達に引き続き、音楽で何か与えられることができる、繋がっていられるんじゃないかと真新しい希望が見えました。また実は、今までCDを作ってきたけど、もちろんお気に入りの曲達を届けてきたけど、正直、中にはアレンジに納得いってないものもあった。「もし自分で出来たらこういうアレンジにしたかった」と考えることがあった。もちろん、人と協力して作ることは、いろいろなアイデアが生まれてより良いものが生まれるパターンがある事も知ってる。けれどやっぱりその後悔が拭えないのもあった。し、今思えば「Mac持ってるならLogicでDTM使えるよ、やってみなよ」とESPの一戸先生にセットしてもらったこともあった。DTMというものに前々から縁があったんだけど、”難しそう”と思ってDTMを知るのに時間を使おうとしなかった。それよりピアノを練習するのに必死だったのかも知れません。でももう何も急かされることも無くなった私は「また1からスタートしてもいいかも、むしろ今やっておけば40代になった時自宅で音楽作ったり、いや、むしろこの先の30年以上ずっと死ぬまで音楽できるじゃん!ライブだと、自分を若く見せるために美容とかファッションに気を遣わないといけないかも知れないけど、自宅で見た目も気にせずパソコンで好きなように音楽作って自由気ままにアップロードしてって出来たら最高に幸せじゃん!趣味になったとしても最高じゃん!」って素直に思ったんです。そうやって2019年からDTMを調べ始め、触り、訳分からなくなり、2020年1月から水島康貴氏のレッスンを受け始め教えてもらうようになり、コロナになり、追い風が吹き、DTMを黙々と学び、四苦八苦、2023年33歳今、曲を作る為に勉強しています。”活動休止”みたいな発表をしようかなと思った時もあったのですが、”音楽を届ける”っていう点は変わらないのかなと思って、しませんでした。たまに「ライブやらないの?」っていう声を届けてくれた人もいてくれたから、きちんとお話をしなければなとは思っていたんだけど、どうやったらうまく伝わるのかな、どうしたら理解してくれるのかなってずっと考えてはいました。何より自分自身がまだ落ち着いていなかったのもあってなかなか話がまとまらなかったのですが、ようやくこうして言葉にして文字にして伝えられるようになりました。正直辛い数年間でした。笑 ここに書いてる以上にたくさんの出来事と感情が細々(こまごま)とあります。そのおかげでたくさん知れたし、今の私がいます。私と出会ってくれた人たち、たくさんの事を教えてくれて、ありがとう。今の私は、ゆるりと私のペースで無理しない範囲で地味~に音楽を楽しくやっていますので、どうか今後とも見守っていただけたら嬉しいです。地味~にたま~に音楽を届けるかも知れないのでキャッチしてもらえたら嬉しいな。最後まで読んでくれてありがとうございました。実は、過去に書いていた記事があって、今なら言ってもいいかな~って思うのでさらっとまたブログにアップしようと思います。また、今回こうして記事を書いたように、また新たに書いた記事もあって、順々にアップしていくのでお暇な時に読んでもらえたら嬉しいです。宮林愛美