i am in the vortex

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ヴォルテックスに入って「自分の夢を実現する」奇跡の体験をつづります

Amebaでブログを始めよう!

この十日くらいいろいろなことがありました。

 

「乗っていた電車が、駅にすべりこもうとしています。

 

陽の光が差しこむ電車のなかに

乗っているのは

いつのまにか自分ひとりになっていました。

 

扉が開いて、わたしは駅に降り立ちます。

 

そこは、どうやら終着駅のようで、

そこで終わり。

 

その先に線路は続いていません。

 

丘の上には小さな街が広がっています。

 

わたしは駅を出て、

 

街にむかってゆっくりと足を踏みだしました」

 

 

自分自身でもこの日々の意味がうまくつかめなくて

言葉にできない

そんな日々を送っていました。

 

線路がもう続いていない駅を降りてところに広がる街で

見てきたもの

聞いてきたこと

体験してきたこと

それは

まるで

眠ったさきでみた世界のような

宇宙の果てでのことのようで

今は、まだうまく書き出すことがでせそうにありません。

 

ただ

そのあいだに起こっていた現実を

すこしずつ書き出してみようと思います。

 

書き出すことで、

見てきたこと

聞いてきたこと

体験してきたことが

いつか何だったのかがわかるかもしれない、

そんな気持ちでいます。

 

 

 

中華系ポルトガル人に仕事を辞める話をした後に起こったいくつかのこと。

 

 

美容室に行きました。

やってもらったところが変になってきてしまい、

直してもらうことになりました。

直してもらうはずが

さらに不思議な髪になってしまい

鏡を見ると

ぐったりと悲しいきもちになってしまいました。

 

 

以前購入したライブのチケットが送られてきました。

送られてくる日はわかっていたので

それに合わせて

一番前の席ー!!

とウキウキとイメージしてきました。

 

届いたチケットにあったのは、

なかなか遠い席。

ズドンと落ちてしまいました。

 

 

お仕事に繋がるかもしれないという話があり

久しぶりに打合せにいくことになりました。

楽しく打合せが終わるー!!

新しいお仕事がはじまるー!!

そんなことをずっとイメージしていました。

 

結局...

 

新しい仕事の話になることはなく、

トボトボと帰ってくることになりました。

 

「なんでだ?イメージしてるのに」

「なにかがズレてる」そう思いました。

自分の意識がズレてる、

心もズレてる、身体もズレてる。

だから現実がすべてがズレてきている、と感じたのです。

 

どんどんと不安になってきました。

これまでやってきたこと、

すべて無駄だったのか?

 

 

それらがカウンターパンチのようになって

自分の身体のあちこちが痛くなってきました。

 

 

首が痛い。

頭が痛い。

腰が痛い。

夜中に何度も目を覚まして眠れない。

 

中華系ポルトガル人とのお仕事を辞めることになって

ようやく身体に痛みを感じることができるようになったのか。

 

 

自分でマッサージしたり、

足つぼマッサージしたり、

 

治る気配はありませんでした。

 

身体が重くなり

食欲が出てこない

さらには、気持ちを立て直そうと思うのだけど

そうする気力がまったく起きてきません。

 

これまでやってきたこと

なんだったんだろう、どんどん落ち込んできました。

やってもやってもダメなのか。

ここから出ることはできないのか。

 

 

気づいたときには

冬の空の下でまた身体を整えてもらっていました。

 

一度目の青空

https://ameblo.jp/iaminthevortex/entry-12547335442.html

 

 

木々のあいだを飛行機が飛んで行くのを

「渡り鳥みたいだな」と思いながら眺めていました。

 

すべての感覚が繋がりようやく気持ちが戻ってきたようでした。

 

痛みを取ってもらいながら

自分が前とまったく同じことを繰り返していたことに気づいたのです。

 

「支配者のような人の下で働く自分」

「つらい、苦しい」

ということに気づけない自分。

 

もう終わりにしなくてはいけない

 

と。

 

 

身体を整えてもらったつぎの日、

 

辞めるまでの最後の日々を消化するために

中華系ポルトガル人の仕事場へ行きました。

 

 

すると

 

話があるんですが、と切り出されました。

 

そして

 

「辞めるのやめてもらうことはできませんか?」

 

と言われたのです。

 

へ????

 

 

意味がわからなかった。

 

理由を聞くと

 

わたしと同じように働いていた人がいました。

わたしは、あまり行くことがなかったので

そのかたと顔を合わせたのは一度だけでした。

 

その方が身体を崩してしまい、

辞めたいと申し出をされたことを知りました。

 

二人同時に辞められると

とても厳しいので

もう少し続けられないか、

どうか考えて欲しい、とのことだったのです。

 

これまでのやりかたを本当に反省しました。

言い方、やりかたを気をつけたいから

どうか考え直してほしい、と。

 

 

へーーーー

 

と驚いてしまいました。

 

そのときにわきあがった一番の思いは安心感でした。

 

「自分だけじゃなかったんだ」

 

と心から安心したのです。

 

そして

 

なんだか、笑ってしまいました。

 

まるで

まったく同じ時期に

これが必然のように起こった出来事のように感じたのです。

 

 

ここ数ヶ月苦しんできたことが

ようやく溶け出したような気がしたのです。

 

 

 

もともと

 

ヴォルテックスにいる自分

ハイヤーセルフさんと繋がった自分

自分の軸で生きていく

 

これらが同義の意味だとしたら、

そこに自分をもっていくことで

生きたい未来にたどりつきたいと思っていました。

 

そう思って

自分と向き合うことをはじめました。

自分の気持ちに耳を傾けることをはじめました。

 

少しづつ気持ちが楽になっていきました。

誰かと自分を比べたりすることがなくなりました。

 

 

でも

一番の自分の癖である

 

「我慢してしまう」

 

ということをやっていたのかもしれません。

 

無意識のことなので、気づくこともできませんでした。

 

 

 

ここ数週間、

イメージしてもしてもワクワクすることが起きない、

むしろ悲しい方へ向かうような現実がつぎつぎと起こり

この数ヶ月やってきたことすべてゼロに戻るようで

もうやってもやってもダメなんじゃないか、

という気持ちになっていました。

 

 

自分の身体に痛みを感じることができた、

それはとても大きなことだったのかもしれません。

 

身体に痛みを感じてようやく気づいたこと。

どんなときも自分の声をきちんと聞いてあげるということでした。

あたり前のようにできるはずのことが

わたしはあまりできませんでした。

 

「お腹空いたよ」

「のどがかわいた」

「今、楽しいね」

「うれしいね」

 

それらの声は自分の意識を「自分の軸」に戻してくれます。

 

 

 

なにかを思ったり、

イメージしたり

 

例えば

ここになにかを書いたり

それだけでエネルギーが必要です、

エネルギー不足だと何もする気持ちになりません。

 

それをするには

心も身体も健やかであることがとても大切です。

 

心も身体と魂が一体になって「自分を楽しむ」ということ。

 

 

もう一度、

自分を信じて

自分の意識を創っていこうと思います。

 

イメージしていこうと思います。

大丈夫という感覚を取りもどしてあげたいと思います。

ワクワクを取りもどしてあげたいと思います。

 

「この世界は奇跡が起こる場所なんだ」

「この世界は奇跡にあふれる場所なんだ」

 

 

 

中華系ポルトガル人に

仕事を辞めること

いつ言おう

どう言おうとあれこれ考えていました。

 

決意したものの

この先どうしよう、という不安もあったと思います。

 

でも

すごい不思議な事件が起きて、

とてもすんなり伝えることができたのです。

 

というか

言わなくてはならないような状況に追い込まれた、

という感じかもしれません。

 

まるでその事件の力に背中を押されるように。

その事件そのものが理由となり

言うことができました。

 

 

次の日、

顔を見て話したいと言われたので

行ってみると

「これまできつく言い過ぎたこと申し訳なかったです。

とても反省したんです」

みたいなことを言われました。

 

根っから悪い人ではないのはわかっていたので

ここまで居たのだと思うけれど

なによりそんな感じで無事終わりを迎えることができました。

 

そんなことを思いながら

ふと自分のスケジュール帖をひらくと、

辞めたいと伝えた2020年2月11日のその日の欄に

 

「中華系ポルトガル人の仕事をやめられた!やったー!」

 

と未来の自分を想いながら書いていた文が

その日のスケジュールに書かれていたことに気づきました。

 

その日を意識して、意図して書いたわけではなくて

別の日の枠に書いていたのが

あれもこれもと書き切れなくなり、

枠をはみだして書いていたものでした。

そしてはみだした枠、それが、まさに2020年2月11日

わたしが意志を伝えたその日になっていました。

 

ほんとうは

次の仕事が決まったところで伝えようと思っていました。

でもその前に身体がどんどんおかしくなって

心にまで影響がでてきて

次の仕事も決まってないけど辞める決意をしました。

 

自分が書き込んだ

スケジュールの手帖の文字を見て、

直感は「いこう!」とゴーサインが出ているのかもしれない、と思いました。

うれしくなりました。

 

 

以前の自分だったら

次どうしようと

お金どうしようと

不安で悶々としていたと思うのですが、

この数ヶ月の鍛錬のおかげか

とても安定している自分におどろいています。

 

自分の人生は、自分によってどうとでもなるんだ、

よく本に書かれていたけれど

最近ようやく、ほんとうにそうなんだなと思うようになっています。

 

 

最近、こうやって

未来に向けて書いていたことが

ぽつりぽつりとその日に本当にそうなる、ということが起きています。

 

その日そのものがやってくる、という形ではなく

4、5日ずれてやってくることもあります。

 

 

 

昨晩、ふとつけたテレビの中でのこと。

 

ある実験の一貫で、

宇宙船のような

閉鎖された空間にいろいろな職種、年齢の人を集めてすごし

そこで起こったことを観察する、ということをやられている人がでていました。

 

実験で隊長となってる

インドネシアかどこかのアーティストさんと

テレビ電話で話す、という場面が映っていました。

 

(たまたまつけたら映っていたので

前後の内容がよくわからないのですが)

 

 

「大変なことも起こりますよね?」という質問に

 

その隊長の人は

 

「ぼく、何が起こってもワクワクしちゃうタイプなんです」

 

というようなことを答えていた。

 

 

なんかこの言葉が、

今の私へのすべての応えのような気がしてきました。

 

「どんな瞬間もワクワクワクワクしてること」

「自分がよろこびにあふれ、ワクワクしていること」

 

それがすべてなんだ、と。

 

 

未来を想像して、うれしくなるなら未来を想おう。

未来を想って手帖に書くときワクワクするなら書いてみよう。

 

 

ケーキを食べてワクワクするならケーキを食べよう。

 

テレビ番組「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」

を見てうれしくなるなら見よう。

 

ドラマを見てうれしくなるなら見よう。

 

ポテトチップス食べてワクワクするなら食べよう。

 

不安の波がちょっとでもわいてきたら

「大丈夫!いける!」とスポーツ選手のように自分を励まそう。

 

「ワクワクしていよう」

 

そういう気持ちを持ち続けようと思うこと、

それだけで大きな一歩を踏み出しているのかもしれません。

 

 

隊長の言葉はこちらの番組で見られます。

 

NHKの番組

又吉直樹さんの『ヘウレーカ!』 「狭い空間でも居心地良くなりますか?」

 

 

2020年2月14日(金)深夜

再放送があるみたいです。

もしよろしかったら。

 

明日、2月9日、満月を迎えます。

地球に満ちてくる黄いろい光を感じながら

この二日を過ごそうと思います。

 

あるところで

 

2月3日の節分

入れ替えの境界線

2月4日の立春

 

という図を見ました。

 

それは

春にむけての衣替えのように

 

「これまでまとっていた古い上着を脱ぎ捨てる」

「これまでまとっていた古いエネルギーを脱ぎ捨てる」

 

そんな感覚に近いのかもしれない、

 

立春の日、大きな「気づき」がありました。

それは、これまでの自分がまとっていた

「お金への不安」「人への恐れ」という古い服を脱ぎ捨てる、

そんな行為だったのかなと思います。

 

 

 

それまでまとっていた

自分の古い、着古したエネルギーによって映し出される現実は

舞台をかえながら、登場人物をかえながら

自分に訴えかけてるものは、

いつもずっと同じものでした。

 

自分のなかに蔓延していた

 

「お金への不安」「人の圧力への恐怖」

 

そういう波動によってつくりだされる

映写機のフィルターごしに映しだされる世界に

もう飽き飽きしていたのかもしれません。

 

 

つぎの新しい舞台を見に行こう、

今、そんな気持ちにいたっています。

 

 

 

写真家ホンマタカシさんのトークイベントに行ってきました。

ホンマさんが福島やチェルノブイリ、フィンランド、アメリカのストーニーポイントの森にはいり、そこに生息するきのこを撮影した写真集「Symphony その森の子供」の出版を記念したものでした。

 

「Symphony その森の子供」

Dover Street Market Ginzaにて

 

会場にはきのこを見立てた料理やお菓子が並んでいて

自由に食べられるようになっていました。

 

きのこのスープ

きのこのパン

きのこのお菓子

 

それらをほおばりながら

自分の体内に

「きのこ」が入っていくのを感じる。

 

 

もともとは、

東北の震災の後、

福島の森に入り、

生息していたきのこを撮影したのがはじまりだったそうで

本のなかには、美しいきのこたちが映しだされていました。

 

きのこが息を吸い、息を吐きだす

その呼吸とともに

その内部に

「高濃度の放射能」が蓄積されていく。

 

それが

 

こちらがわとむこうがわとのあいだに

見えない境界をつくりだしているようで

 

わたしはきのこの森にたたずんで

きのこたちがまとった

美しいフォルムをただただ見つめていました。

 

 

 

地面から見えるきのこのあの姿は、

ほんの一部であり

その地下にとてつもなく巨大なきのこの世界が広がっているといいます。

 

今、そこにあったきのこが、つぎにふりむいたときには消えてなくなっていた、

そんなことがよくあるそうです。

 

また

放射状に飛び出す菌糸は、

きのこが環になって生えてくる「フェアリーリング」をつくりだし、

それは天使たちが通ったみち、といわれているそうです。

 

「フェアリーリング」

 

 

 

撮影地のひとつストーニーポイントは

音楽家であり、

きのこ研究家でもあったジョン・ケージが住んでいた森。

 

ジョン・ケージさんもきのこにとりつかれた人のひとりだそうで

そんなことを思いながら、

4分33秒をすごしてみるのはどうかと考えたりしていました。

 

「4分33秒/ジョン・ケージ」

 

 

 

めくるめくきのこのお話。

 

いつのまにか、

きのこの森に迷いこんでいた。

 

 

ホンマタカシさん、

対談相手の写真評論家でありきのこ研究家でもある飯沢耕太郎さん、

 

ふたりはほんとうにうれしそうにきのこの話をする。

 

「すべての行動は、きのこから呼ばれてるんです」

 

といって笑っていました。

 

「今日、きてくださった方たちにも胞子をばらまいておきましたから」

と。

 

 

新しい舞台は

なぜか「きのこ」ではじまり、

そしてなんだか不思議な夜をすごして帰ってきました。

 

 

 

 

つぎの日、起きて。

目に入るものが、なぜかきのこに見えてくる。

まるまった紙。

ふくらんだタオル。

 

よくわからないまま

7ヶ月ぶりに髪を切りにいきました。

 

はじめていく美容室でした。

これまでずっと切ってもらっていた方が山梨に移住をされて、

これから誰に切ってもらおう、

でも髪はどんどんモシャモシャになっていく、

どうしよう、と思っていた、

そんなとき、

毎週読ませてもらっている「しいたけ占いさん」のページをふと開きました。

 

(毎週月曜日、ホームページにその週の星座占いがでます。

書いてある文章が面白くてときどき覗いてみています。)

 

 

自分の星座のところを読むと

 

「どうか今週、

髪を切る、あるいは頭をマッサージをしてきてください」

 

と書かれていました。

 

びっくりしました。

 

髪を切りたい切りたいと思っていたから

こんな言葉を引き寄せたのかな、と思い。

だったら、ちょっと乗っかってみようかなと

半年くらい前にたまたま聞いた

新しい美容室へ思い切って行くことにしました。

 

ある古いマンションの一室にお店はありました。

扉を開けると

そこはなんだか別の次元にある

空間に入り込んだような場所でした。

 

そのかたひとりでお店をやられていました。

 

はじめて会った人なのに

その人となぜか宇宙人の話ばかりしていました。

 

宇宙からきた人たちの話とか。

ワープする話とか。

(そういうお話をする人ばかりが集まるそうです)

 

そんな話をしながら

ふと、

部屋にふとぶらさがっていた灯りを見て、

「きのこみたい」

と思ってる自分に気づきました。

 

そして

「どうしてここにくることにしたのですか?」

という質問を受けて、

 

「しいたけ占い、」と答えようとして

しいたけ、

あっ、そっか、きのこか、と思い出していました。

 

ここにもきのこに導かれてたどりついたのかな、と。

 

 

その方にも、

そのお部屋にも

わたしがホンマさんのトークイベントで受け取ったであろう

きのこの胞子をそっとばらまきながら帰ってきました。

 

 

 

きのこに導かれて、

これからどこにむかうのか。

 

 

わたしの新しい舞台が

たぶんはじまりました。

 

立春をすぎて新しい年の流れがはじまっているのを感じています。

 

「中華系ポルトガル人」という名の

中国大陸を横断しようと思っていたけれど、

新型ウイルスの拡大と呼応するかのように

ついに自分の身体に異変が起きてきました。

 

後頭部が痛い。

のどがしめつけられる。

眠れない。

 

今週に入り

ついには、集中力が散漫になって

未来を想ったり

イメージする気力がまったくなくなっていました。

 

 

どうしたんだろう。

またもとに戻ってしまったんだろうか、

不安がやってきます。

もとあった思考がよみがえってくるようでした。

 

自分のなかにある痛み、違和感を

身体のすみずみにまで感じてみました。

そして、

あっこの感覚いつか感じたことがある、

と思い出したのです。

 

 

昨年の11月、前にやっていた仕事を辞めたあとのこと、

https://ameblo.jp/iaminthevortex/entry-12547335442.html​​​​​​​

 

それまで自分のなかに押し殺していたものが

身体からいっきょに噴き出されたように

声がでなくなり

咳で眠れなくなりました。

あのときの頭の重さと同じだ、と。

 

自分のなかに抱えてしまっていたものを

ようやく痛みとして感じられたあのとき。

 

整体師のさとう兄弟にほぐしてもらったのに

自分はまた同じことしてしまったんだと気づく。

 

さとう兄弟がいうには

わたしの場合、

威圧的な人の前で、すべてを押し殺してしまうところがある。

すると胸を閉じて、息ができてない状態になる、

胸が閉じられているので

頭だけで考えるようになり

頭がフル回転状態になる。

後頭部が痛くなる。

のどに言えないすべてをためることになるので

しめつけられるような感覚になる、

という癖みたいなのがある、とのことでした。

 

それまで気づくこともなかった

自分の癖をようやく自覚できたのかもしれないのです。

自分が無意識に持っていた波動というのでしょうか。

 

「抑圧的な人の前で恐怖から自分を押し殺してしまう」

「苦しいことを苦しいと気づけない」

「お金の不安からか、そこから抜け出せない」

 

お金に対しても

 

「楽しいことしてお金は稼げない」

「お金をいっぱいもらってはいけないんだ」

「自分を生かして、自分の意見を言うことなんてしてはいけない」

 

そういうものがずっとあったということに気づきました。

 

これまで会う会う人、

抑圧的な人が多く、

最後ボロボロになるまで気づかない、

このパターンを繰り返してきました。

 

今、思い出すだけでも四人くらいの顔が浮かんできます。

 

終わっていいんだ、これ。

そう思った瞬間

ようやく自分の感覚に蘇り繋がってきました。

 

中華系ポルトガル人はその最後の人。

 

こりかたまった頭をマッサージしてほぐしはじめる。

すると、頭だけではなく

身体のあちこちが痛いことに気づく。

腰、背中。

ずっとずっと痛かったんだ。

 

 

心が痛みを持ったとき

身体をゆがめて自分を一生懸命守ろうとしてくれます。

そうして身体のゆがみが

限界となり悲鳴をあげたとき

人はそれをはじめて「病気」として認識することになるのかもしれないです。

病気になってようやく人は

自分の奥にあった心の痛みに気ずくことになるのかもしれないです。

 

身体がどんどんゆがんでいくと

そのゆがみは、

また心に戻って

影響を及ぼしはじめます。

 

ずっとずっとワクワクしてきたのに

なぜかすべてがどうでもよくなっていました。

 

波動を高く保つ?!

未来を想う?

イメージする?

 

すべてが面倒に感じるようになっていました。

 

自分だけがどうしてこんな目にあうんだ、

と自分で自分を責めていました。

 

 

ホッとするはずの心が

ワクワクするはずの心がゆがみで押しつぶされていました。

 

 

前世で悪い大地主にこき使われていた記憶でもあるのでしょうか。

代官様にいじめられていた記憶でもあるのでしょうか。

 

そのような人たちから

逃れられないのは

いつもお金の不安からでした。

 

「お主も悪よのお」といってニヒニヒと笑っている

越後屋と悪代官の顔が浮かびます。

 

 

「わたしは心穏やかな人たちといたいんだ」

「わたしはほんとうに自分がやりたいことをやりたいんだ」

 

という心の声。

 

「お金も大丈夫なんだ」

「楽しいことしてお金稼いでもいいんだ」

「自分のやりたいことやってお金いっぱい稼いでいいんだ」

 

という思い。

 

お金についてもずっとずっと心配してきました。

 

「はたらけどはたらけど

なお我がくらし楽にならざり、

ぢいと手をみる」石川啄木さんの気持ちでした。

 

どうやったらいっぱい手に入るのかわかりませんでした。

今ある少ないお金をいかに守るか、そのことだけを考えてきました。

 

この数ヶ月、ヴォルテックスを感じたり

本を読んだりしながら、思ったのは

「お金」とは道で配ってるティッシュみたいなものなのかもしれません。

ティッシュが欲しいなと思ったら

道で配ってるティッシュが、ふっと差しだされる。

「ちょうど今、欲しかったところです。

ありがとうございます」

と心でいって受け取ります。

 

お金もそういうもののなのかな、と。

 

世の中に出まわってるお金がある。

お金が欲しいな、と思ったら

ほい、と

どこから差し出される、

そういうものなのかもしれないなと思うのです。

 

だから心配しなくてもいいんだ。

お金欲しいなと思ったらまわってくる。

そういうものなのかもしれないです。

 

そんな気持ちでお金とむきあってみようと思います。

 

 

身体からのサインをようやくしっかりと受け止めることができたのかもしれません。

自分のなかに残っていた癖に気づくことができたのかもしれません。

 

改めて未来へのイメージを描きはじめることにしました。

 

すべてはイメージから

未来を想う気持ちからはじまります。

 

もう大丈夫だよって。

 

 

新型ウィルスが大変なことになっています。

今、この時に広がったのも

なにかのメッセージかと感じながら。

 

大陸横断はべつの機会に

もっと楽しい形でやりたいと思います。

 

 

「中華系ポルトガル人との仕事を終わりにします」

 

立春を迎え

大きな決断をすることができました。

 

そして自分の心の声に、身体の声に一番に耳を傾けてあげること。

 

(このまま行くと中国大陸横断日記になりそうだったので

ちょうど良かったのかもしれないです。)

 

 

たくさんの雨が降ったあと

見上げた夜の空がとても澄んでいて、

こちらを覗きこむように

美しく光る三日月が見えました。

 

あっそうか。

 

と、4日ほど前に新月迎えたことを思い出す。

そして新月の願いをしたことを思い出す。

 

 

気づかないあいだに

月はいつのまにかゆっくりとふくらんでいたようです。

 

2月9日の満月にむかって月はさらにふくらんでいきます。

まるで夜の空にまるい光の扉が開いていくように。

 

新月の日に届けた祈りもゆっくりとふくらんでいくのでしょうか。

 

 

 

月の引力は、この地球の上にも届いています。

 

地球の上の広がる海水は

月の引力に引っ張られて満ち潮ができます。

 

海が満たされ

海がひいていく。

 

あんなにも大量の水を動かす月の引力。

 

月の引力によって

自分たちも大きく動かされていると思うのです。

 

さらにさきに行けば

火星があり、木星があり、土星があり、

その奥には、遠く、かすみのように天王星があり海王星があります。

巨大な星たちがわたしたちを遠くから引っぱります。

 

名前がついてない星でさえもわたしたちを引っぱってくれています。

 

 

 

 

自然や野生動物などの写真家であった星野道夫さん。

星野さんのエッセイを何冊も読みました。

 

本のなかに

アラスカの地で、

雪の下で眠っている小熊を掘り起こす場面が書かれていました。

生体を調査のために、

冬眠をしている熊を眠っているまま取りだし

そのあいだに体重などを測定して

またもとの穴に戻すという作業が行われているそうです。

 

木の根もと

土をかきわけると

穴のなかで小熊がまるまって眠っています。

小熊のやわらかな毛なみが上下にゆれて

静かな息づかいが聞こえてくるようです。

野生の匂いが漂ってくるようでした。

 

閉じた目のむこうでどんな夢を見ているのだろう。

 

そんなことを想いました。

 

 

『旅する木』の「もうひとつの時間」のなかで

星野さんは書いています。

 

「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。」

 

 

 

今、こうしているあいだにも

雪の下で眠っている熊たちがいて

やさしい春がくるのを待っています。

そこには熊たちの時間が流れています。

 

ここからは見えないけれど、それは「いる」。

 

 

見えない存在たち、

やはりそれは「いる」のだと思います。

 

 

 

空高く、

成層圏をぬけたむこう、

霧状の木星がゆったりとまわっています。

さらに遠くでは、土星が環をつけてまわっています。

 

 

銀河系のなかにある数えきれないほどの星たち。

そのなかには、自分たちと同じような生命をもった星があるかもしれません。

 

見えないけど、やっぱりそれは「ある」。

 

遠くにいてわたしたちを引っ張ってくれる存在がある。

 

 

そう思うことは、

わたしの心を豊かにしてくれます。

 

 

 

星まわりを読んでくれる人に会ったとき

2019年11月がわたしの人生のなかでも

とても大きな変化の時期にあったことを聞きました。

(2020年1月22日 )

 

そのときわたしは、

前職からの人の繋がりではじまったお仕事を終えよう、

と決意したときでした。

 

そのあと

声がでなくなったこと

さとう兄弟が突然現れて治してくれた話をしたら

(2019年11月22日)

 

それで良かったんですよ。

辞めるという選択は、違ってなかったですよと言われた。

 

さとう兄弟が現れたことは

なかなかすごい出来事だと思っていたけれど

なにか見えないものが動かしてくれたのかもしれません。

そしてそのことには、

大きな意味があったのかもしれません。

 

 

ここ三年くらい続いていた

さらには、

その前から続いていた流れが終わりを迎える、

そんな感覚を感じています。

 

 

生まれたときに広がっていた天体の図。

自分たちが持って生まれた星の図。

その星の図を自分の体内に埋め込むようにして

わたしたちはそれぞれの「生きる」をはじめます。

 

そのまわりでは

遠くにありながら

わたしたちを見守るように

押したり引いたりしながら動かしてくれる星たちがあります。

 

 

湖の水面に映った満天の夜の星を眺めるように

それぞれがもった星の図を読み解くことで

今の自分がどんな状態にあるのか

教えてくれるのかもしれません。

 

 

 

 

2月4日に立春を迎えます。

節分のつぎの日。

それまで引きずっていた前の年の流れが一新されるそうです。

 

壊れた携帯を、36回の分割払いで新しくしました。

いろんなものの引き継ぐのにかなり手こずりました。

バックアップというものをしてなくて

ここ数年の写真はすべて消えました。

年が明けてからは

まったく意図していないのに

四人くらいの人との人間関係が大きく変わることになりました。

 

 

豆で鬼を退治して

福を招き入れ

 

なにかが静かに変わってきているのかもしれません。

 

恐るべし大陸の力。

「中華系ポルトガル人」が勢力をぶりかえしてきました。

 

ふと気を抜くと

すごい罵倒がはじまります。

 

これまで自分がやってきたことを吹き飛ばすくらいの力。

 

まさに、大陸の風に吹かれて、です。

まさに、黄砂に吹かれて、です。

 

今のわたしは、きっと砂まみれでしょう。

 

 

何年か前に一度だけ、北京に行ったことがあります。

 

街にあるすべてが巨大でした。

空港、建物、道。

 

どうしてそんなに巨大なものを置く必要があるのだろうか、

と思うほど

石の塊のような置物が街にごろごろと転がっています。

ビル三階分はあるくらいの大きなもの。

わたしはそれらに囲まれてたちすくみました。

 

道路のむこうで待ってます、と言われても

そのむこうが見えません。

そしてそのむこうがわにどうやったら渡れるかも見当がつきません。

 

巨大な街を前にして

自分が小さな小人のように思えてきました。

まさにこれが大陸なんだ、と思いました。

 

果てしない広大な地。

歩いても歩いても土地は繋がる。

そんな土地の中で暮らす

人々の心も拡大していくのか、

人の声は大きく

車のクラクションは一日中鳴り止まない。

うかうかしてると

自転車にも、バイクにも引かれそうになります。

 

日本のように

隣の家との境界線をめぐって争いが起こる、なんてちっぽけな場所じゃない、

歩いていけば海がでる、そんな島国じゃない、

隣にいる人の気配を感じながら生きる、そんな人たちじゃない、

日本で感じる「わび、さび」などという感覚は、

もみくちゃにされて吹き飛ばされそうだ、と思った。

 

 

これまで「中華系ポルトガル人」の前では

自分の波動をだすこと

高い波動をだすことを意識してきました。

 

波動とはアナログなものです。

デジタルのスイッチのように

ON、OFFで切り替わるものではありません。

 

番号を入力したら

その波動が自分からでてくるというものでもありません。

 

だからこそ毎日毎日

鍛錬をつむしかない。

強い気持ちで。

集中する力が必要になります。

 

わたしの前に広大な大陸がたちはだかっている。

ここを越えたら

どんな人と対峙しても

振り回されることのない強い自分になれるのかもしれないです。

 

そして旅を続けるために

ワクワクする気持ちを持っていようと思います。

 

 

 

 

2020年1月25日(土)6時43分

今日の朝方、

今年はじめての新月を迎えました。

 

新月とは、

地球から見た月と太陽がまっすぐに重なる位置にくる日のことです。

 

星の図のなかでは、

今回は、水瓶座の位置で月と太陽が重なったようです。

 

 

太陽からひっぱられる引力。

月からひっぱられる引力。

それらが一直線に重なり、

地球にあるものをより強く

引っ張りあげてくれているのかもしれないです。

 

この日に種をまくと、

その芽は上へ上へとのびていくといいます。

植物たちは螺旋を描いて

上へ上へとのびていきます。

 

 

建築などに使う木材には

新月に伐採した木がつかわれているといいます。

 

香りをつくるのに使うハーブなど。

新月に採取した植物は、

満月の日に採った植物とは香りが違うといいます。

 

 

 

 

そんな新月の日にお願いごとをすると叶うといいます。

 

「新月のお願い」

願いごとを紙に10個書き出す、というものです。

 

「新月のお願い」についての本を読んだのも

今から10年ほど前でした。

これまで何年もやってきました。

 

叶ったこと、叶わなかったこと。

 

でも心のどこかに本当に叶うのかな、というのがあったと思います。

いつしか「新月にお願いをする」

ということにトラウマみたいなものを感じてやめてしまいました。

 

「叶わなかったときの恐怖」というのがあったのかと思います。

 

 

 

先日、台湾茶会で星を見る女の方に会ったとき

あらためて

「新月のお願い」についての話を聞きました。

「天体を味方につける」ことについての話を聞きました。

 

 

2020年はじめての新月。

改めてお願いを書いてみました。

 

1月23日の一粒万倍の日に買ってきた新しいノートを使って。

 

 

 

頭上遠く

月と太陽が重なりあいながら

地球にむかって光を放っています。

 

これまでの「恐怖」を「ワクワク」に。

これまでの「できない」を「できる」に。

これまでの「叶わない」を「叶う」に。

 

 

不安な波動をよろこびの波動に変換する、というのを続けています。

 

 

2019年11月からはじめたこと

これまでやってきたことをすこしだけまとめてみました。

 

 

それまでは

引き寄せようとしてもうまくいかないし

イメージもうまくいかないし

お月さまへ願いごともしたり

いろんなことをやってきた。

でもなんだか何かがうまく行かない、という日々でした。

 

7年ぶりくらいに読み返した

エイブラハムさんの本。

 

願いを現実化させたり、引き寄せるためには

Vortexにいることが何よりも大切なんだ、ということを改めて知りました。

 

そして

まず

 

自分の気持ちを「今」をなるべくホッとするということをはじめました。

 

 

「起こった感情を紐解きながら

自分がホッとするところまで書き換えていく」

 

ということをはじめました。

 

出てきたものを書き換え

出てきたものを光に換えて

を続けました。

 

日によって上がったり下がったりしながら

日々を過しました。

 

 

「中華系ポルトガル人」という姿をした

あまりにも強烈な波動を出す他人と関わることになりました。

 

日々の書き換えを続けながら

「他人の軸で生きていたのを自分の軸へ戻す」

 

というのをはじめました。

 

相手の同行に自分を合わせるのではなく

自分から波動をだす、ということを意識することで向き合いました。

(今も続行中です)

 

 

 

気持ちがだいぶ楽になってきました。

年が明けてから

なぜか嘘のように

やや、ややですが

「中華系ポルトガル人」がおだやかになりました。

 

 

ただ現実にはまだあまり変化はなく

「次へ進みたい」気持ちと「目の前の現実」との狭間で

どうしても「不安」が浮かんでくるようになりました。

 

そこで「不安な波動をよろこびに変換する」というのをはじめました。

 

不安な気持ちが浮かんできたら

その波動を意識して、

その波動に「うれしい」「楽しい」という気持ちを乗せていくというものです。

 

 

不安が、だいぶ出なくなりました。

出ても自分で対処できる、

という自信みたいなものも感じられるようになりました。

 

そんな中、

今度は、人間関係に

これでもかこれでもかと変化が起こるようになりました。

 

自分のなかに少しでも「?」という思いを抱いていた人との関係が

見事に終わっていったのです。

 

これは自分が意図したり、予期して起こったことではないので

とても戸惑いました。

 

ふと

こんなとき

自分には、自分の大いなる味方、ハイヤーセルフさんなるものが

いるではないか、という思いに至りました。

 

 

「ハイヤーセルフさんと繋がる」というのは

並木良和さんの言葉でいうと「統合されている」ということ

エイブラハムさんの言葉でいうと「Vortexにいる」ということ。

 

それによって

これから自分が行く方向を確認することができたらと思うようになりました。

 

 

自分の身体の内側で

地球と繋がりながら、

第一チャクラから第七チャクラへと螺旋の階段をのぼり

その上に光の存在がいる、その存在と繋がる、

というイメージを持つ、というのをはじめてみました。

 

 

そんな存在はいるのか、いないのか

そんな話は、ほんとうだ、ほんとうではない

そんなことはどうでもよく

そうイメージして自分が心地よいと感じるならばそれでいいんだ、

それこそが一番大切なんだ、と思うようになりました。

 

何よりもまずイメージすること、

イメージしたらそれは本当になるんだ、ということ。

 

そして「そこにいてくれている」

そう感じることが大切なんだ、と。

 

人間関係の変化は、

自分が変わってきていることの証なんだ、と思えるようになりました。

その人たちに替わって

新しい人たちと出会うんだ、と思えるようになりました。

それはとてもうれしい発見でした。

 

 

 

これが

この60日間くらいのわたし自身の身体も含めた気持ちの流れになります。

 

 

 

これらのことを踏まえて、

さて、

今の自分の、今の波動は

どんな感じになっているのか。

 

見えているこの世界は、

自分の波動が現実化したもの。

 

ということで

昨日起こった現実を振り返ってみる。

 

ふむ。

 

都内某所。

わたしは、人と待ち合わせをしていました。

その人のこともまた書けたらと思っていますが

とても面白い方で、

台湾へおもむき

ときには現地の人たちと混じりながらお茶を摘み煎じたりしながら

その季節、その時間、その場所を感じながら

お茶の葉を買いつけお茶会を開いている方です。

さらには

お茶を飲みながら参加した人たちが生まれもった星の図解きをくれるのです。

 

とても不思議な時間を提供してくれます。

 

会うには三度目です。

お茶会以外で会うのははじめてでした。

とても楽しみにしていた日です。

 

時間よりも前についてしまい

待ち合せをしていた場所の二階に

靴屋さんがあるとのことでそちらへを足を運びました。

 

小さなお店の

木の扉に手をかけたとき

「今は、ここを開けないで」

なぜか店の中にいる人たちに

そんなことを言われているような

感覚がありました。

 

「なんだろう?」

と思いながら、わたしのその扉をそっと開きました。

 

扉を開いた向こうに立っていたのは

V6の森田剛さんでした。

 

そのかたわらには宮沢りえさんが椅子に座っていました。

 

ちいさなお店には、ふたりとお店の人だけでした。

 

わたしは、あっ、そういうことか、と思いました。

プライベートで楽しいひとときを過していたんだ、と。

 

なんだか小さな小部屋の別の世界に迷いこんだみたいでした。

 

扉を開けてしまい

なんだか申し訳ない気持ちになりました。

 

 

わたしはぜんぜん気づいてませんよ、

おふたりの時間を楽しんでください、というふりをして

お店の靴を見ていました。

 

そして

ふたりはお店の方と楽しげにお話をしたあと帰っていきました。

 

 

ふたりともとくにファンというわけではありません。

会いたいと願っていたということもまったくありません。

最近テレビで観たとか、雑誌とかで見かけた、ということもありません。

 

現実は自分の波動を映し出したもの。

 

はて、

この現実は、

自分が今

どんな波動の状態になってきているとお知らせしてくれてるのか。

 

自分の引き寄せた現実にちょっと可笑しくなってきました。

 

この現実の意味を

読み解くことはさっぱりできないのですが、

なんだか、うれしいはうれしかったのです。

 

1月21日の午後

自分は、たまたまこの店にきて

この瞬間に扉をあけた。

 

地球の上のある一点に

グリッドが合うように集まった人と時間。

 

 

 

これまでやってきたこと、

そうそう間違ってないですよ、

と言われているような、気持ちになったのです。

 

 

 

そして今日2020年1月22日は

「一粒万倍」「天赦日」「甲子」が重なった

トリプルラッキーな日ということ。

 

 

「一粒の種から万倍のお米が実りますように」

 

かつては人がその日に種を撒いたように

なにかをはじめるには、

とても良い日だそうです。

 

https://sweetie-pie.net/archives/7495

 

 

新しいノートを買いにいってこようと思います。

「不安はよろこびにかえる」強化週間をやっています。

 

不安のような波動を感じたら

息をいっぱい吸いこんで

身体のまんなかあたりを意識して

そこによろこびの思いを乗せて波動を変換するというものです。

 

これをやるとすごいうれしくなります。

ただ

やりすぎたのか

なぜか胸のドキドキが止まりません。

なんなのでしょうか。

ここ数日なんだかドキドキしています。

 

独自に編み出した療法で

わたし自身による人体実験中です。

 

あまりにもドキドキするので

朝、20分ほど気持ちが良いので

瞑想をするようにしています。

 

オレンジ

黄いろ

身体のなかの

第1チャクラから第3チャクラまでばかりを意識していたことに気づき

 

今日からは

第3チャクラから4、5、6そして第7チャクラへ

 

きみどり

ピンク

みずいろ

感じながら螺旋の階段を昇っていくように

体内をぐるぐるとまわりながら頭頂部へ抜けていく、

 

というのをやってみました。

 

 

 

 

 

2020年に入ってから

なぜか

人との繋がりにとても大きな変化を感じています。

 

自分のなかにすこしでも「?」を感じていながら

意味なく続いていた人たちとの関係が

つぎつぎに終わりへと向かっています。

 

自分ではまったく意図していないことなので

その都度、起こることに

驚いて動揺してしまうときもあります。

 

あの人も

この人も

へーっあの人ともこうなるんだ、と。

 

前の自分だったら、

そういう自分を責めていたと思います。

自分がなにか悪いことをしたのではないかと

とりつくろっていたと思います。

このままでも友だちいなくなる、と。

 

でも

 

そういうのは一切やめました。

へーっと、なるべく傍観するようにしています。

傍観するように努めています。

 

 

 

引き寄せについて改めてはじめて二ヶ月ほど。

Vortexやエイブラハムさんについて読み返し

それに合わせるかのように

目醒めや統合について知ることになりました。

自分に起こったことについて

感情に振り回されることのないように努め(あくまでも努め)

自分の波動が今この瞬間にどうなっているかを感じて

実践してきました。

 

「目醒めるときめた人」と「目醒めないときめた人」

 

ここ数年は宇宙とか見えない存在から

目醒めるときめた人へのあと押しがされている時だそうです。

2020年の春分までに目醒めへとむかっていくゲートがぐっと閉ざされるのだそうです。

 

ふむ。

 

目醒めたからえらいとか、どちらが上だ、下だということはありません。

 

ただ

 

わたしはどうもそちらに行くと決めたようです。

なんだか楽しそうなので。

 

目の前に起きる現実に対して

要らないものを取り出して変換して

要らない気持ちを取り出して変換して

なるべく楽しいほうへうれしいほうへ心を向けて

そんなふうに暮らしてきました。

 

人間関係の変化。

 

その人がどうとか、

自分がどうということではなく

目醒めるために

必要のない波動はおろしていきなさい。

要らない感情はもうここで置いていきなさい。

繋がれていた鎖は切っていきなさい。

 

そういうことなのでしょうか?

 

 

このように

目醒めとか、統合とか、

実践をされている方がいたら聞いてみたいのです。

 

みなさまはどうでしょうか?

2020年はじまりました。

なにかがすごい変わってるような気がするのですが。

これがいわゆる加速する、ということなのか。

 

 

自分からでる波動が、周波数が

変わってきている、ということなのでしょうか?

現実はまだあまり変化がないので

自分の波動について、周波数についての変化は良くわかりません。

 

(ひとつ変わったかもと思うのは

これまで書いてきた

中華系ポルトガル人が嘘のように

今のところ...すごいご機嫌になっています。

ある意味、これも奇跡が起きたということだろうか)

 

 

同じような体験をされている方がいたら聞いてみたいです。

 

実践されてすでに目醒めている方に聞いてみたいのです。

 

人間関係の変化。

そういうことありましたか?

 

と。

 

さあ。

もうひとこえ、なのかな。

いかにどの瞬間も楽しくいられるか、

 

時計を見たら

1月11日11時11分。

今日は新しい年はじめての満月。

 

体質改善ならぬ思考回路改善、波動改善をはじめて1ヶ月半。

 

身体は元気

エネルギーがありあまってる感じ

現実、はて、そう変わりはない

こういう時間が増えてくると

どうも不安がモコモコとわきだす。

えっ、何も変わらないじゃん

この先も、何も変わらなかったらどうしよう

 

 

不安がどんどん膨らんでくる。

 

「目を醒す」と決めてから

「完全に目が醒める」を待っているあいだ、というのでしょうか。

 

 

 

不安を感じているのは

自分の行きたい未来を見ていないあらわれですよ、

という記事を見つけました。

 

https://ameblo.jp/whoaretime/entry-12440357604.html

 

不安の波動は大きい、

ドックンドックン

 

波動は広がって

いつのまにか自分の身体や心を支配してしまう。

 

この波動の大きさを利用して、

その波にそっとワクワクを乗せてみる

うれしいを乗せてみる

自分のたどり着きたい未来を乗せてみる

 

エイブラハムさんがいう17秒、そして68秒、

 

せっかく不安がでてきたんだもん、

この大きな波動を使って

うれしいに替えていこう。

「今、この瞬間」にうれしい波動を出すことを意識しよう。

 

後ろを振り返ると以前に出会った人たちがいる

その人たちは、楽しそうに暮らしている

なんだかすべてがうまくいってるように暮らしている

でも自分は、

その人たちとは違う生きかたをしたいんだ、と

思ってそこを出た。

 

だとしたら、

どうあっても前を向いて歩いていくしかないんだ。

 

その人たちについて思うこと、感じることは

すべてどうでもいいんだ。

 

それよりも

「その生きかたをやめる」

「新しい生きかたをする」

そういう選択をした自分を信じてあげたいと思う。

自分の直観を信じてあげたいと思う。

 

 

 

 

ぼんやりテレビを観ていたら

とても面白い番組の再放送がありました。

 

「人類誕生 未来編」

https://www.nhk.or.jp/special/jinrui/archive.html#onair3

 

第三回シリーズの三回目でその前のふたつを観てないので

どういう流れなのかわからないのですが、

その回では、

わたしたちの祖、ホモサピエンス、

つまりは人類が

どうやって世界中に広がっていったのか

ということがやっていました。

 

果てしない距離を

どうやって人は次の地へとたどりついたか

どうやって海を渡ったのか、

 

日本に人がやってきたルートには三つあるそうです。

○韓国などから日本に渡ってきたルール

○ロジアなどから日本に渡ってきたルート

○台湾から与那国島、沖縄へと渡ってきたルート

 

昨年、沖縄の布をめぐって旅をさせてもらいました。

記事を書きながら

沖縄、そしてそのまわりの島々を経由して

さまざまなものが日本、大和へ入ってきていることを感じました。

沖縄には、日本、大和の源流のようなものがあるのを感じました。

 

そしてその流れをつくっていたのが「黒潮」

 

黒潮は、東南アジアのほうから台湾、沖縄、本島へと流れこむ。

海流の流れがもし反対を向いていたら

日本は、まったく違う様相を帯びていたのかもしれない。

中国大陸からの、東南アジアからの文化が多く流れこんできました。

そしてもともとは、人そのものも「黒潮」の流れで入ってきていた、

 

といいます。

 

 

番組のなかでは、

台湾から最初の経由地である与那国島へ

どのようにして人が海を渡ってきたのか

それをたどる実験が行われていました。

 

当時あったと思われる道具だけを使い

そこに生息する植物だけを使い舟を作ります。

 

道具はすべて石です。

はじめは草をかり、乾かし、叩き、舟にしていきます。

人びと総出の作業です。

 

草では波の抵抗を受けてしまい

当時使っていた道具として見つかったのと

まったく同じ石斧をつくり竹を割ります。

 

すべての人たちが、

思い合い、助け合い作業が進んでいくのがわかります。

そこには、他人へのそねみ、ねたみは一切感じられません。

 

みんな目を輝かせて、生き生きと。

 

当時の人口から予測すると

渡った地で「人」というものを繁栄させるには

最低男女五組がその舟に乗り込むことが必要とされていました。

 

しかも

普段、台湾から与那国島は見えない、といいます。

 

何もない広大な海原に人びとは、舟をこぎだしたのでしょうか。

 

そんななか、台湾の高台に上った地で

これまでに二回だけ与那国島の影をみた

という写真家がでてきます。

 

その人が映した写真のなかに

海のむこうにかすみのように与那国島の姿が見えています。

 

人びとは、

かすかに見える島のおぼろな影だけを見て、

あの大きな海を渡っていったのだと思いました。

 

わずかな食料と水だけをもって。

 

それは

植物の種が舞いながら、

新しい地へたどりつき

より多くの種の保存をしていくのにとても似ているように感じます。

 

 

人も本来は、

恐怖とか不安とかいった思いを持ち合わせ

いなかったのかもしれない、そんな思いがよぎりました。

 

人はもっと動物的であり、もっと植物的であった。

 

 

並木良和さんの本の中で

人は「みんな誰もが神様だった」といっています。

しかし恐怖や不安や嫉妬、ねたみといった

重いものを自分のなかに持つことで神々と分離して、

「できない」ことを味わうことにしたんだ、と。

そして眠りに入っていった。

 

今、わたしたちは、

「目を醒す」ために

自分のなかにある

恐怖や不安をひとつひとつ一生懸命取り外す作業をしています。

 

それは

本来自分のなかにある

原始に近づいていくことなにかもしれないです。

 

 

映像のなかで、

新しい島へ渡る人たちを見送るひとたちがいました。

腰に草を撒いて

顔や身体は日に焼けて黒い。

日本に縄文がやってくる、その前の人びと。

 

人びとは歌を唄い、舞い、舟出する人びとを見送っています。

 

もう二度と会えないかもしれない、

海の上でなにかが起こるかもしれない、

 

見送る人たちのなかに、

そんな不安な思いはみじんも感じられません。

新しい地へ赴く人びとへのほこりだけがただ伝わってきます。

 

そして

 

海に出る人びとは、舟をこぎだします。

かすみのように見えた島の影を目指して。

ほんとうにあるかもわからない新しい地を目指して。

 

舟をこぎながらうれしくて仕方なかったのではないかと思います。

 

 

そして

いつの頃からか

人は他人と自分を比べたり、

縄張りをつくって戦ったり、することになります。

恐怖や不安、嫉妬、ねたみ、そういうものをつくりだしていきます。

 

でも、

 

本来、そんなもの、この世界にはなかったんだ。

 

 

 

 

 

海のむこうに

行きたい未来がかすみのようにでも見えているのだとしたら、

ひとつひとつ櫂をこいで、

 

 

 

未知の世界へむかっていくよろこびだけを感じて。

 

新しい地へこぎだし

上陸した人たちみたいに

わたしも大海原へと進んでいきたいなと思います。

 

舟出するうれしさだけを胸に。

 

 

あけましておめでとうございます。

 

新しい年がはじまりました。

 

みなさまは年末年始いかがお過しでしたか?

 

年末は、とても穏やかに過すことができました。

自分の波動を意識して

そこからブレないように、と思いながら暮らしていました。

 

年を越えて

家族の家で過したり

知人と会ったり

そのうち

自分の波動とか

これまで取り組んできたこととか

意識しなくなってしまい

だんだんと流されるようになっていました。

 

 

年が明けて数日、

使っていたiPhoneがとつぜん発熱しはじめました。

持つこともできないほどになり

ついに爆破するように壊れてしまいました。

 

そのあとは、

 

携帯電話会社の店頭を走りまわりました。

Appleストアにかけこみ、

iPhoneの修理屋にもいきました。

 

どういう自分がこのような現実を引き寄せた?

神様は、わたしに何が伝えたいんだろう?

だんだんとわけがわからなくなってきました。

 

 

二日ほど前に家に帰り

ようやく自分の時間に戻ってきたところです。

 

自分のなかにイライラや不安みたいな波動が

どっくんどっくん動いているようで

どうも落ち着きません。

 

なんでこうなったのかいろいろ思いを巡らしてみました。

自分の軸がぶれているような感覚を感じています。

 

家族といると自分というものを一切消してしまい

無意識に「自分の軸」を「他人の軸」に

すりかえてしまうところがあるようで

はじめ意識していた自分の波動が消えていってしまったようです。

 

普通、家族といるとリラックスして

より自分らしくいられる、そんな人が多いように思うのですが、

みなさんはどうなのでしょうか?

 

我が家の場合なのか、わたしの場合なのか

家族それぞれの影響が強く

それらのあいだに入って

顔色をうかがうように

その場つなぎのようなことをしてしまう自分がいます。

 

自分が今、何をしているのか、

自分がやりたくてやっていることなのか、

自分は心地良い状態にいるのか、

そんなことすらわからなくなるほど

自分自身のことを感じられなくなってしまいます。

 

へとへとになりました。

自分の代替のように携帯が壊れました。

バックアップとかまったく取ってなかったので

2018年冬より後のデータがぜんぶなくなりました。

 

2019年の

茅野の旅

諏訪の旅

800メートル地帯の想い出

1185メートルの山頂

 

 

「神様、わたしお金ないのに。。。」

 

 

いろいろな試みをはじめて51日目。

 

自分の波動をしっかりとだすこと

だれにも影響の受けない自分になること

そう試みてきたけれど

自分の筋肉や新しい回路は

まだまだ生まれたてのほやほやだったのかもしれないです。

 

まだしっかりと確立していない新しい回路と

古い回路が混在して、混乱して、

携帯が身代わりになってくれたのかもしれません。

(修理屋さんには、

基盤にある回路がスパークして発熱したようです、

というようなことを言われました)

 

あるいは

鍛えてつくった筋肉も

寝正月でぐーたら過していたら

そげ落ちた、

そんな感じなのでしょうか。

 

自分の新しい回路をしっかりと確立するまで

きちんと意識してあげなくちゃいけないんだと思いました。

 

新しい年を迎えるにあたって

いただいた大きな学びなのかもしれません。

もう一度、自分の試みに意識を戻していこうと思います。

 

まっさらになってまたはじめます。

 

「自分を大切にする」こと

「自分を楽しませよろこばせる」こと

「どんなときも自分の軸を感じる」こと

たどりつきたい未来を

夜の海をともす灯台の光のように目印にして

強い気持ちで進んでいきたいと改めて感じています。

 

新しい年がはじまります。

今年もどうぞよろしくお願いします。