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i am in the vortex

ヴォルテックスに入って「自分の夢を実現する」奇跡の体験をつづります

冬至が過ぎました。

 

クリスマスを迎え

そして12月26日には、

2019年最後の新月を迎えました。

 

メリークリスマス。

遅くなりましたが、

イエスさまお誕生日おめでとうございます。

 

10年程前に読んだエイブラハムさんの本。

そのエイブラハムさんの本を読み直し

改めて自分の人生を見つめはじめて1ヶ月と10日。

 

途中、

現実にのみこまれ過ぎて

これではまずいと、

さらに新たな実験を追加して取り組んで15日。

(実験については「21」に書かせていただきました)

 

 

驚くほどに

とても気分が良くなっています。

 

 

目の前に広がる現実には変化はありません。

ただ自分の心の持ち方

そして未来への意識の向け方が、

とても変化したように感じます。

 

最初の1ヶ月取り組んできたことは

どうあっても自分の感情をホッにさせる、

そういう努力をする、ということでした。

 

 

心配、不安、恐れ、嫉妬

ネガティブな考えかたをしてしまう回路が

自分の中にぐちゃぐちゃになってからまっている、

ということに気づき

 

まず

そのような感情が生まれたら

「そりゃそうだよ」

「それでもいいよ」

という許しの新しい回路をつくっていきました。

 

つぎに

「そうかもしれないけど、

でももしかしたらいいことあるかもよ」

という希望の回路をつくっていくようにしました。

 

トントンカンカン

自分の建て直し、

体質改善をしていたような日々でした。

 

もがきました。

毎日、毎日、

いってはもどり、いってはもどりの日々でした。

 

転んでは起き

転んでは起き

まさに「立つんだ」「立つんだジョー」

あしたのジョーの気持ちでした。

 

 

「立つんだジョー」

 

 

 

 

 

それでも

これでもか、これでもかと

目の前に立ち現れる過酷な現実に

何か画期的な方法で取り組まないといけないと思い

呼吸と自分の身体、チャクラを見直した

あやしい実験をはじめました。

 

呼吸、自分の場合は、特に吸うことを意識して

第三チャクラ(たぶん横隔膜のあたり)に

自分のいきたい未来を感じながら

楽しい気持ち、うれしい気持ちを乗せる、という実験をはじめました。

 

朝、20分ほど瞑想をして

そのときに、第一チャクラから第七チャクラまで

時計回りに光を通すようにイメージして回転をさせました。

第三チャクラを黄いろの光で活性化するようなイメージをしました。

喉がつまっていると感じたときは青の光を通すイメージをしました。

 

中華系ポルトガル人という姿をした

とくに強い波動を出す人の前にいるときは

強く意識して

その人に波動に飲みこまれないほどの

強い波動を自分から出すことを意識しました。

 

うれしい気分でいても

もって2時間。

目の前に広がる現実のひどさに打ちのめされてぐったりすることもありました。

「そんな夢叶うわけがない」と思いはじめて

朝、悶々とすることもありました。

 

ひとしきり落ちこんだあと、

さあもう一度、と

出てきた感情をひとつひとつ拾いあげ変換し

新しい回路をつくり、

波動を調整しました。

 

もうすぐ冬至がやってくる。

どうあっても

自分の中から出てきた不要なものと向き合い

取り除こうと決めました。

 

そう決めたからか、

実験をはじめたからか、

そういう星のめぐりの中にいたからか、

冬至に向けて

人との関係を一掃するようなことが起きはじめました。

 

絡み合っていた人間関係の中から

スーッと一本の糸がほどけるように

「ああ、この人とはもう終わりになるんだ」

という気持ちになっていったのです。

 

 

自分が出している波動も

もって2時間だったのが

4時間になり、

6時間になり、

すごい気持ちが楽になってきました。

 

 

ひどいこといわれても

いちいち受け止めるのではなく

一掃する回路が生まれてきたように感じます。

 

 

やっていて思ったのは、

エイブラハムさんがいう「Vortexの中にいる」ことと

並木良和さんがいう「目醒める」「統合する」ことは

同じことなのではないか、ということでした。

 

どちらも

ネガティブに考えてしまう考えかたをホッとする考えかたに直し

自分の中の重たい感情を外す。

そして自分の波動を高めていくこと。

軽くなること。

光になること。

そうすることで

本来の自分そのものの波動、周波数が生みだす現実の中で生きることができる。

 

そこには愛があふれていて

だれがどう、あの人がこうとかそんなこともなく

困った人がいたら助け合い

それぞれが心から楽しむ

そんな世界が広がっているのかなと思うのです。

 

それが可能なように

星まわりや宇宙の存在が背中を押してくれている。

 

 

2019年秋分の日の一週間前に知った並木良和さん。

(秋分の日のワークというのをやることになりました)

 

並木さんは、

2020年春分にその生き方の分かれ道となるゲートが

大きく閉じはじめる、といっています。

(本の中で)

 

(目醒める、統合したいと望んだ場合は)

2019年がその大きな意味合いを持つ年になるといっています。

(本の中で)

 

『目醒めへのパスポート』

 

 

 

「目醒める」と意識する、しないに関わらず

知らず知らずのうちに

自分は、そのような道を歩んできたのかもしれない、と思いました。

 

ここまできたら「目醒めよう」と思います。

 

2019年は自分にとってとても大切な年になりました。

 

 

 

 

2020年がやってこようとしています。

東京にオリンピックがやってこようとしています。

 

 

目の前には、まだ中華系ポルトガル人がいます。

お金も入ってきていません。

でも気持ちはとても良いです。

 

行きたいところに行き

会いたい人たちに会うには、

自分の波動を上げて

たどり着きたい未来に

自分の周波数を合わせていくしかないのかもしれないです。

 

 

どんな人たちと出会えるんだろう

どんな風景に出会えるんだろう、と楽しみにしながら。

 

実験は年を越して続きます。

 

 

2020年が

みなさまにとって

自分にとって良い年でありますように。

 

22日の冬至に向けて

 

「感情をつかさどる

第三チャクラを呼吸によって意識化し

自分の感情を楽しい、うれしい状態にする。

そこを自分の波動の源泉にして

出てくる波動に自分のたどりつきたい未来を意識をして乗せていく」

 

という実験をしています。

(実験の内容については「21」に書いております)

 

はじめて、ちょうど一週間が経ちました。

 

気持ちの変化などを自分なりに記していきたいと思います。

 

まず

 

◎夢のなかでの変化

ある夢を観ました。

路地のような通路を歩いています。

(歩いているような飛んでいるような)

角をまがりつぎの道へいくうちに

そこはどんどん海外のスラム街のような様子になっていきます。

わたしは心のなかで、

「まずい、このまま行くとさらにひどくなる」と思っています。

 

で、次の入り口のような路地へ差しかかったところで

この場を自分で変えなくては、と意識しはじめます。

自分の身体は、次の場へ入っていっていて

「この空間を自分で変えられる」という思いを抱いています。

「もう大丈夫だ」

そう思ったところで目が覚めます。

 

夢については

これまでいくつかの本を読んできました。

改めてまた書けたらなと思っていますが、

 

夢というのは、

自分の無意識が、

そのまま現れた舞台のような場だと思っています。

コントロールするのは、とても難しです。

まず夢を夢として覚えて持って帰るのもとても大変です。

(これについても結構鍛えました)

 

無意識の夢の中でそれを夢だと意識をして

さらには自分の意志で変えようとすること

それは、自分が無意識に何かを働きかけていて

それが「届いているよ」という証のような気がしています。

 

そんな夢を観た日は

とても元気な気持ちで過すことができました。

 

 

◎気持ちの変化

これまで記したもののなかに出てくる

「中華系ポルトガル人」。

これは「中華系ポルトガル人」という姿をした

わたしがむきあうものだと思っています。

 

(言葉や態度で大きな波動を出す威圧的な人。

そのような人に波動に同調してしまう自分がいるように感じています。

そしてそういう人がいても何の影響も受けない自分をつくりたいと思っている、

その現れとしてわたしの目の前に現れてきたのではないかと思っています)

 

実験のように

第三チャクラを意識して「中華系ポルトガル人」のところに行く。

前は、数分いるだけで暗い気持ちになっていたのが

その後、二時間くらいは保てる自分となり

実験により

四時間くらいは保てるようになったような気がする。

 

ただ自分の意識は外れてしまうときは

簡単に打ちのめされてしまい

打たれた後は、やはりダメージが残る。

ものによって

半日から一日くらいかけて取り除いているという状態です。

 

ただ

 

自分が人の波動にのみこまれてしまうとき、

どうも息が完全に止まっているか

あるいは吐き出しばかりを続けていることに気づく。

そうすることで、自分の感情を押し殺している、ような気がします。

 

なので、

 

身体いっぱいに息を吸いこみます。

そうすることで

第三チャクラなのか

横隔膜を膨らませます。

 

すると

 

自分の感情がどっくんどっくんと

動き出すようなところがあるように感じています。

 

そのどっくんどっくんに

よろこび、たのしさ、希望、みたいなものを乗せていく、

というのを意識してやっていきます。

 

実験はまだまだ途中段階なので、

わからないのですが。

それらのことをすることで

だいぶ自分に戻れるような感じがしています。

 

 

あと咳が出たり

声が出にくいときは

自分の中に、伝えられない想い

自分を押し殺しているものがあるのかもしれない、と思って、

青い光源の第五チャクラがある喉に

イメージによって白い光をあててみるというのをやっています。

 

 

身体の地となる第一チャクラから

天と繋がる第七チャクラまで

螺旋の階段を昇るように

光を通していきます。

 

そして

呼吸を使って身体を意識して

感情をワクワクさせて波動を起こす。

そしてそこに自分の行きたい未来を乗せていく。

 

 

実験はまだまだ続きます。

 

 

 

◎実験生活をしている中で起こったうれしいこと。

 

矢野顕子さんの鎌倉でのピアノコンサートに行ってきました。

もともとこのコンサートに行けることになったのも

先月の終わりにあった細野晴臣さんのライブで

たまたまお会いした知人がチケットを手配してくれたものでした。

(自力で探していても、

どこも完売で

手に入れることができませんでした)

 

鎌倉の会場はとても小さく

それによってとても近い距離の中で

矢野さんのピアノの音を聞くことができました。

 

そして最後に、

矢野さんに握手をしていただくことができました。

 

なぜでしょう。

なぜこんなにうれしいことがあったのでしょうか。

 

一年の最後の最後にご褒美をもらったような一日でした。

 

10年前にラフォーレの前で

隣に立っていた人。

(もしよかったら

 「18 隣に立っている人」をご覧ください)

 

10年越しで

今度はきちんと正面を向き合い握手をすることができました。

 

あの時、まるで星から降ってきた人と出会ったような時間を持った。

時間が止まったような。

 

10年前の自分に言ってあげたい。

あなたは、10年後、今、隣に立っている人と向かいあい

お話することができるよ、って。

 

がんばって。がんばって。がんばって。

 

 

 

ピアノの音というのはわたしにとって特別なものです。

小さい頃、小学校の低学年まで

わたしは裏に住む同じ年のいとこと

ほぼ毎日を遊んですごしていたように思います。

 

いとこは、小さい頃からピアノを本格的に習っていて

いとこと遊びたいときは、

まずピアノの練習を終わらせてからというのがありました。

いとこが毎日1時間以上練習する横で

わたしは、その音を聞きながら幼少期を過しました。

 

今、わたしのピアノの音を聞くと

心の内部、奥のほうまで入ることができる、

というのがあります。

(みなさんもそうかもしれませんが)

 

いとこが弾いていた楽曲が、

わたしの原風景のように

身体のなかに残っていて

その部分と呼応しているのかなと思うことがあります。

自分の中の子どもと呼応するように。

 

それは

自分の感覚をゆれ動かすとても大切な部分のような気もしています。

 

 

 

「SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女。」

 

 

すごいです。

 

 

 

 

追記

◎自分の希望のひとつを発見

 

前に関わっていた人

もう遠く離れた人が

自分がやろう、やりたいと思っていたことをしているのを知る。

SNSというのは不用意にそういう情報が入ってきます。

 

なんだかなーと思う。

心が揺さぶられる。

自分にあったうれしことがいっぺんに泡となって消えてしまうような気持ち。

古い回路へ流れていく感じ。

 

身体いっぱいに息を吹きこむ。

身体を膨らませる。

「この悔しさをよろこびに代えよう」という思い。

そしてふと、

「だったら自分で叶えたらいいよ」と声がする。

 

もっともっとワクワクする思いに代える。

 

自分の形で

自分のやりかたで。

 

そのことをはっきりと意識するために

やってきた情報かもしれないよ。

 

それは、もともと自分の中にあった願望なんだもん。

 

自分の叶えたい夢のひとつを打ち上げる。

 

 

必ず叶えてあげよう。

 

自分の形で

自分のやりかたで。

その夢を実現させてあげよう。

 

ほかの誰かが叶えるんじゃないんだ。

自分がやるんだ。

自分が叶えるんだ。

 

 

 

『「わたしは前進する。そして多様性に即発されて、ある考えが浮かぶ。考えが浮かんだら、それに集中的に関心を注ごう」わたしたちが話してきたのも同じことではありませんでしたか。新しく生まれた願望に集中的に関心を注ぎなさい。願望が生まれるベースとなった現実は気にしなくてよろしい。』

「お金と引き寄せの法則」

エスターヒックス、ジェリーヒックス

より

 

 

 

「今」いる瞬間を感じて

良い気分でいることを意識してすごしています。

 

NHKの番組で国連難民高等弁務官であり

10月に92歳で亡くなった緒方貞子さんの特集を観ました。

 

そこには、先頭に立って現場におもむき、

真摯に向きあい

声に耳を傾ける姿がそこにありました。

 

いつも心の中心にあったのは

「命を守ること、生きてもらうこと」

 

そして

「難局は乗り越えるもの」と。

 

自分がこれまでしてきたことについて

 

自分がやったということではなく

 

「それは時代がそうさせたんだ。私はその時代の要請に従ったにすぎない。誰がトップに立っても、同じような判断をしたと思います」

と答えていたといいます。

 

どんなことをしていても

どんな場面であっても

心の奥に「愛」を感じていたいと思いました。

 

「緒方さんの番組」

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4362/index.html

 

 

 

 

昨日の晩、寝る前に

たまたまミャンマーからの難民として

少数民族のロヒンギャという人たちがいることを知りました。

国の狭間で宗教の違いから迫害を受けいてきた人たち。

 

そしたら今日観た

緒方さんのテレビの中に

難民キャンプで暮らすロヒンギャの人たちの姿がありました。

 

「この人たちがロヒンギャなのか」と思いました。

 

そして

 

大好きなポテトチップスを買いに外に出ました。

何味にするか、何袋買うか、

そればかり考えていました。

 

すると

自転車の後ろに乗せられた子どもが

「ポテトチップスー」と叫んで

横を通りすぎていきました。

 

 

「これが引き寄せなのか」と思いました。

 

 

自分が無意識にも意識的にも発する波動で描かれる現実は

自分を知るスクリーンみたいなんだと感じました。

 

自分がこんなところに反応していたんだ、とか。

こんなことを望んでいるんだ、も含めて。

そういうものが、

緒方さんのテレビを見せてくれたり、

ポテトチップーを食べさせてくれたり、

しているのかもしれないな、と思うのです。

 

一方的に観せられるだけでなく

スクリーンの中に

自分の描きたい世界をつくりだしていく。

ということに

今、自分は取り組んでいるんだなと思います。

 

これまでは観客であったのが

自分でその風景をつくっていく。

それは新しく生まれ変わるくらいすごい変化のような気がしています。

 

 

 

 

そんなことを思っていたら

目の前を「Uber Eates」のリュックを背負った人が歩いていました。

 

 

NYで見かけたタクシーを呼ぶシステム「Uber(ウーバー)」

日本で最近「Uber Eates」と書かれた

DJの人とかが持ってるような

四角いカッコいいリュックを背負って自転車に乗ってる配達員の方を見かけます。

(NYのそれと一緒なのかわからないのですが)

それがデリバリーフードのサービスだということを知ったのはついです。


目の前の

そのUber Eatsのリュックを背負っていたのは

おじいさんでした。

 

70歳に近い感じでしょうか。

 

ゆっくり。

ゆっくり。

 

おじいさんは歩いていきます。

背負ったリュックにはどんな料理が入っているでしょうか。

それをどこに運ぼうとしているのでしょうか。

 

登山でもしているかのように

おじいさんは、一歩一歩踏みしめて歩いていきます。

 

いまここにいる東京の街が、山道のように感じくらい。

 

ゆっくりとゆっくりと。

 

それは、なぜかわたしをしあわせな気持ちにさせてくれる風景でした。

わたしのなかにある何かがこの風景を見せてくれたのか。

 

 

 

 

最近、たまたま知ってよく聴いてる曲があります。

 

ジョンレノンの曲を

リンゴスターが唄い、

ポールマッカートニーが演奏し

間奏には、ジョージハリソンの演奏がそっと挿まれているといいます。

ビートルズの四人が久しぶりにそろった歌です。

 

この一週間くらい聴き続けていました。

そしたら

12月8日がジョンレノンの命日であることを知りました。

 

 

「Grow Old With Me」

 

 

 

 

小さな小さな連なり。

 

どんな形でも

どんな状況にあっても。

その連なりから生まれるもの。

 

今晩は、2019年最後の満月の日です。

今年最後のまんまるのお月様を見上げてみようと思います。

 

こんな現実を引き寄せました。

なんとこんなものまで、と書き出したいところなのですが、

昨日もぐったりとして帰ってきました。

 

中華系が悪いわけでも

ポルトガル人が悪いわけでもなく

わたしがいつか出した波動が

なぜか「中華系ポルトガル人」という姿かたちになって目の前に現れて

わたしに襲いかかってきます。

 

のちのちには、笑い話にするのが

今のわたしの夢のひとつです。

 

このままでは

中華系ポルトガル人との対峙をつづる記になってしまいそうで、

改めて自分自身を感じるというのをやってみることにしました。

ここに書きはじめたときの気持ちを思い出していました。

そしてそれに対して

自分なりにいろいろ実験してみようと思い立ちました。

 

[現状]

すこし前には、

自分が至福の気持ちになるような場にたどりつけていたのが

ここ数日、うまくそこにたどりつけない。

 

現実へのいらだち。

逃げ出せないような感覚。

八方塞がれた感じ。

そして自分のなかにある猛烈な「不安」みたいなのに気がつく。

 

 

[考察]

これって、もしかしたらなのですが、

すこし元気になってきた、ということなのかな、と。

 

4月にギャラリーを辞めたあと

10月まで半年くらいやっていた仕事によって

くさりのように縛りつけていたものが

(これも自分でつけたんだと思います)

ようやくほどけて

新しいことをはじめたいという気持ちがわいてきてる、ということかな。

(「5」に書いたのですが、

さとう兄弟なる人たちが現れて

青空の下、ほぐしてくれました)

 

でも今、ある現実は、

家で本を読んでるか、中華系ポルトガル人にやれているか、の毎日で、

その現実を見て「不安」が大きくなってきているのかもしれない。

 

だったらすぐに辞めて

新しいところ探せばいいじゃない、となると思うのですが、

不安から動く、というのはこれまでずっとしてきたこともあるし

その前に、何をどう動くか、という案がぜんぜん浮かんでこなくて、

まず自分の心、土台を見直してみようと思いはじめて

今にいたっています。

 

自分が「心地よい」状態にないのは、

川の流れに「抵抗」しているということ。

さて、この「不安」とどう向き合うか。

 

 

[試み]

まず、瞑想をして呼吸をはじめてみました。

 

前に、よく読んでいたのが、

スポーツ選手が、試合というある一点の「時」を設定して

自分の最大の力を発揮する

いわゆるゾーンに入るために何をしているか、という本でした。

 

「ゾーン」とは

https://zone-management.jimdo.com/ゾーンとは/

 

アイススケート選手だった清水宏保さんがテレビで

「交感神経と副交感神経をコントロールすることで

いわゆるゾーンに入れるようにするんです」

といったようなことをいっていたのを思い出す。

 

交換神経は、身体全体に緊張を促す神経で、

それにより最大限の活動を行うことができる。

「ライオンがきた!危険です!」という信号がやってきて

全速力で逃げることができた、というのがこれにあたります。

「火事場の馬鹿力」とかもそうだと思います。

 

副交感神経は、リラックスを促す神経で、

このリラックスした状態にありながら

緊張感を保つことで

最高のパフォーマンスを生み出す

上のサイトの図にある、ゾーンの領域に自分を置く訓練をしている、と。

 

 

そして

それに対して

腹式呼吸によって息を「吸い」「はく」ことで横隔膜が動かし

「吸う」ことで交感神経を

「はく」ことで副交感神経のコントロールすることができるそうなのです。

 

エイブラハムさんのいうVortexも

この領域に自分を置く、ということをいってるのではないかなと思うのです。

 

まず

自分が心地よいと思う形で呼吸をはじめる。

 

吸いこむことで、

お腹のみぞおちあたりが膨らんでくる。

 

むかし読んだ絵本のカエルが、

身体いっぱいにこれでもかこれでもかと

空気を吸いこんで膨らませてたみたいに。

(「おろかなカエル」)

 

なんだか気持ちがいいので、

どんどんどんどん膨らませていく。

(お母さんカエルは、そのあと、パンッと破裂してしまうのだけど)

 

するとその奥のほうから

「どっくん、どっくん」という気配を感じはじめる。

 

その「どっくん、どっくん」から

なにか「不安」「緊張」みたいなものを感じはじめる。

しまいには、

これまで言えなかった思い、

これまであったことがつぎつぎにあふれてきて

「怒り」みたいなのがでてきたりもする。

 

この「どっくん、どっくん」は感情の源なのかなと思いはじめる。

その「どっくん」に今度は「うれしい」「楽しい」というのを乗せてみる。

自分の「希望」みたいなのを乗せてみる。

「不安」を「期待」に代えてみる。

 

あまりあがりすぎると

舞い上がってきてドキドキしてくるので、

そこでゆっくりと息を吐きだした。

 

何度かそれを繰り返す。

 

すると心が穏やかになってくる。

身体が軽くなってくる。

 

その状態で自分の「希望」を改めて感じてみた。

自分が描く「五つの希望」みたい映が生まれてきた。

 

自分が「どっくん、どっくん」を感じた場所が

横隔膜なのかな、と思ったりしている。

 

みぞおちのあたり。

ここは、第三チャクラと呼ばれているところ。

 

チャクラとは、

身体の上から七つの場所に

歯車のようなものが並んでいて

人の身体と見えない世界を繋げる通路になっている場所といわれているもので

下から赤、オレンジ、黄色、グリーン、青、紫、白色の

オーラのようなものを発しています。

 

色に周波数があるように

チャクラの場所によって固有の振動数を持っていて

その周波数を持つ音を聞くことで

それぞれに合ったチャクラを活性化させることができるという

ソルフェジオというものもあります。

(こちらについては、また書けたらなと思います)

 

呼吸をしていて感じた第三チャクラについて調べてみたら

自分の自信や感情と繋がる場所である、と書かれていて

自分が感じたことは

そうそう間違ってもいないのかな、と思いはじめました。

 

第三チャクラについて

http://spi-con.com/third-chakra/

 

 

すごく長くなってしまったのですが、

そんなこんなで

第三チャクラにあると思われる

「どっくん、どっくん」で

自分の描く「五つの未来」を感じる、というのを

一週間やってみようと思います。

 

楽しんでやってみようと思います。

 

長い文をここまで読んでくださり

おつきあいくださり

ありがとうございます。

 

 

[追記]

あと自分をよろこばせることとして

◎真夜中、布団のなかで

ポテトチップスを食べながら映画を観る、というのをやりました。

ひとり暮らしをしていた時以来。

味はサワークリームオニオン。厚切りタイプ。

 

◎いちごのお菓子を買ってきました。

(いちごワッフル)

 

 

うれしかったこと

◎大好きな詩人のかたからメッセージが届きました。

「彦根に降り立ち

冬の美しい空気を感じている」とのことで

わたしもなんだかうれしくなりました。

満月に届いたメッセージ。

 

 

またいつか実験の結果がお知らせできるように、と思っています。

 

思い立って部屋の掃除をはじめた。

1袋弱のゴミと、

手のひらいっぱいのほこりを捨てる

捨てるものはまだまだありそう。

気になっていた窓をふき。

 

22日の冬至にむけて

見つけたら

不要なものは捨てていこう。

 

(と思っていたら

掃除をはじめた12月8日は、

「事八日」というそうで

なにか事をはじめたり、納めたりするのに良い日だそうです、

年神さまをお迎えするのに

正月行事の準備をはじめる日でもあるようで

年末の大掃除などをはじめるのにはとてもよい日だそうです。

知らない間に、自分がそれをしていたようで

ちょっとうれしくなりました)

 

 

ただいま、自分の思考回路を新しく作り直したり

波動を調整中したりしています。

 

いろんなことにだいぶ振り回されなくなってる自分を感じています。

中華系ポルトガル人にやられて

むかしだったら2,3日ぐったりしていたようなところも

1時間くらいで回復してる。

理不尽なこと言われても100分の1くらい

言い返せるようになった。

 

ただやっぱりつぎにいきたいなという思いはある。

目の前に広がる現実を見て

「なんで自分はここで何してるんだろう」などと思いはじめて

心がストーンと落ちていく。

「それはいつかわかること」

「そんな中でもいい気分でいることを見つけられたら

もう最強だよ。無敵だよ。どこに行っても大丈夫だよ」

と自分に声をかける。

 

 

 

最近、瞑想というのか妄想のような

(はっきりとまだ映像が見えない)ビジュアライゼーションをしていると

今、Vortexらしきものに入ってるのかな、と感じられる感覚がある。

「そう、それがVortexです」

という答えがないのでよくわからないのですが、

その状態にいるときは

「すべて可能」という気持ちになって

へぇーほんとにーと思いながらニヤニヤとしてくる。

至福の感じがある。

 

我にかえったあとも

その余韻の中で

何を見てもしあわせな感謝の気持ちであふれてくる。

道で寝てる黒猫に心で話しかけてしまったりもする。

黒猫には、じっとこちらを見つめてから

ぷぃとあちらをむいてしまうのだけど

そんなの構わずうれしくなってしまう。

 

 

よし、今日も入ろう!と思って、

目をつむったりするのだけど、

それがどうもうまくいかない日がある。

モヨモヨと彷徨って結局たどりつけなかったり

あの桃源郷はいったいどこにあったんだろう、と

霧の中でそのむこうにある地が幻のように感じることもある。

自分はほんとうに一度でもあの地にたどりつけたんだろうか、と。

 

一昨日見た夢の中では、

真夜中の入り組んだ高速道路の下みたいなところを

自転車で走っていた。

立体交差になっていて、

どの道を行けば

つぎの道にでるのかよくわからない。

階段のような道もある。

必死にスマフォの地図を検索しようとするのだけど

充電が切れそう、になっていて

わたしはとうとう泣き出した。

 

ふむ。

 

わからない道を彷徨う夢。

これまでしょっちゅう見ていた。

新しい思考回路と古い思考回路

いったりきたりしてるのかな。

 

あの天国みたいな地にまたたどりつきたいな。

 

 

自分を楽しませてあげようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

近所のお豆腐屋さんが、

今日、閉店する。

90年続いたお豆腐屋さん。

 

近くにいくつかあったお豆腐屋さんのなかでも

最後の一軒になっていた。

 

ひとつ減り。

ひとつ減り。

 

ついになくなってしまう。

 

お豆腐屋さんのおじさんたちは、

どの人もみんな70代から80代になっていた。

 

生揚げの形がすこしゆがみだして

まだらに焦げが見えるようになって

いつかこういう日がくるとは思っていたけれど。

ずっとずっと先であって欲しいと思っていた。

 

おつりをもらうときの

おじさんの手はどの人も

冷たい水にさらされてか、とてもぶあつかった。

 

作業をする台の高さなのか、

やっぱりみんな同じ高さで腰が曲がっていた。

 

子どもたちには継がなくていいよ、といったんだよ、と

どのおじさんたちも同じことをいって笑った。

 

閉めてもやることないでしょ、

そういって

そろりそろりと作業場をいきかいながらお仕事してるおじさんがいた。

 

嫌な気持ちになったとき。

行くところがどこもないとき。

このお豆腐屋さんに行った。

 

小さな古いたてものの上がり間口をあがっていくと

そこに

きぬ

もめん

生揚げ

京がんも

と書かれた紙が貼ってある。

 

「お豆腐ください」と叫ぶ。

家へと続いている部屋の奥のほうから

声がしておじさん(ときどきおばさん)がでてくる。

店は開いてるのに

お昼寝でもしてるのか、だれも出てこないときもあった。

 

店に小鳥が飛んできて鳴いてるときもあった。

 

 

お豆腐をもらってたわいもない話をする。

 

「雨があがったね」とか

「寒くなったね」とか

 

それだけでうれしい気持ちになって帰ってきた。

ホッとするとはこういうことなのかなと思う。

いつのまにか、おじさんは、83歳になっていた。

 

 

「わたしはね、婿なんだよ。

19のときにお母さんと出会ってから

それからずっとお豆腐つくってきたよ」

 

「お母さんに、もういいかなって、聞いたら。

もういいよって」

 

 

地球という星が、太陽のまわりをぐるぐるまわりながら時がめぐっていく。

おそらく、しばらくすると

お豆腐屋さんがあったたてものは、べつの新しいビルに建てかわる。

 

そこにあたりまえのようにあったものが

あったことすら忘れてしまうくらい

静かに消えてなくなっていく。

 

そういうかつてあったいろいろな風景が、

この空間の見えないところに地層のように降り積もっているのかもしれない。

 

いつまでも覚えておきたい風景。

 

9月の秋分の日に「シフト!」をした人がいたら

どんな変化があったか聞いてみたい。

 

「シフト!シフト!シフト!」について

https://oneness831.hateblo.jp/entry/2019/09/23/103406

 

 

わたしは、人といて

「これからも一緒にいる人」

「ここからべつの道を歩む人」

 

について

瞬時に気づくような出来事が起こるようになった。

 

そんなことぜんぜん意図してないのに。

 

 

 

朝受け取ったある人から届いたメッセージ。

なにか違和感を感じる。

なんだろう、と立ち止まってみる。

 

しばらくの期間

いろいろなことを分かち合ってきた人。

 

この春、わたしは、ある場所からぬけだした。

それは、いってみたら、新興宗教団体みたいなところだった。

(おもてむきは、普通の?ギャラリー)

 

「なにかおかしい」と気づくのに2年もかかった。

 

その子は、そこで働いていた人のひとりだった。

 

グルみたいなオーナーに気づかれないように

その子と二人、時間差を取りながらとにかく静かに退社した。

そこにあったのは、簡単にいえばマインドコントロールだった。

 

大袈裟ないいかたかもしれないけれど、

まさに命がけでそこから抜けだした。

 

 

その子がいたことで、わたしはとても助けられた。

 

それは、裸の王様みたいなことだった。

「あの人、裸だ!」と気づく。

それをまわりの人にいうと、

「なにいってるの?

あなた頭がおかしくなったんじゃないの?」

と、こちらが悪者になる。

強いては仲間から外される。

 

 

「あなたは間違ってませんよ。

あの人は裸です」

「本人は、きらびやかな服を着ていると思ってるかもしれないけど。

あの人、どう見ても裸です」

 

そう答えてくれたただひとりの人だった。

わたしは間違ってないんだと思うことができた。

 

その子がいてくれたことで、どれだけ救われたか。

そういい合える人がいることが、どれだけ救いになったか。

 

そして山に籠って修行したりしてる山伏みたいな人に

自分が感じたことを伝えた。

その人は、その場も、オーナーのことも知っていたから。

 

答えは「大正解」だった。

 

わたしは確信した。

ここにいたら自分のすべてがつぶされる、と。

わたしたちふたりは、そこから飛びだした。

 

 

オセロの盤にコマが並んでいる。

そのなかのひとつの白いコマを黒にひっくりかえしたとたん

まわりにあったすべての白いコマが

ぱたぱたと黒にひっくりかえる、そんな経験だった。

 

人からは素晴らしい人、癒しの空間といわれていた。

そんな場所をやめるわたしは、精神がおかしくなった、

狂ったということにされた。

 

細野晴臣さんに教えてもらった

ドンファンの教えでいう

黒魔術だと思った。

 

 

 

その子とは、そういう繋がりの、いわゆる同士だった。

 

それから半年。

そこを出たことによって

自分が居た場所を外側から見ることもできた。

いろんなことを学んだ。

エイブラハムさんとも改めて出会うことになった。

 

自分が大きく変わっていくなかで、

その子との波動の合わなさを感じはじめてきていた。

 

その子とのやりとりに

自分の弱さが入っていることに気づく。

 

この人との繋がりがなくなったら

友人がいなくなるんじゃないか、とか。

(もともとぜんぜんいないので

その人がいなくなったところでそう変わらないのだけど)

あのときの気持ちを共有できるのはこの人だけだ、とか。

 

なのに

 

会うと、いつも心のどこかに「?」が生まれたり

傷つけられているのを感じた。

操られてる感覚もある。

 

この子といて楽しい?ワクワクする?と聞くと

自分は小さく「ノー」と答える。

 

 

あるひととき助け合った人。

大切に感じていたけれど、

ここからべつの道を行くのかなと思いはじめている。

 

わたしとその子のどちらが良い、悪い。

どちらが正しい、間違ってる。

どちらが高い、低い、ということではなく。

 

「最後の砦を抜け出すのに力になってくれた人。

それ以上でもそれ以下でもない」

 

「目の前に現れる人は、

今、自分の波動がどんな状態かをお知らせしてくれているだけ。

心地良かったら、その波動にとどまればいい。

居心地が悪かったら、

自分の波動を居心地のよい波動に合わせていけばいい」

 

「人から送られたメッセージのひとつひとつに傷ついたりしなくていいんだよ」

 

「そういうことにも振り回されない強い自分を作ること」

 

「助けてくれてありがとう。

これまでのことを感謝して、さきへ進もう」

 

今、思う。

自分の弱さがあったから

マインドをコントロールされるようなことになった。

その弱さを深く学ぶことができた。

 

あとは自分の波動を自分本来のものに合わせて

その波動に引き寄せられた現実を楽しめばいいだけ。

 

人を恨んだり、憎んだり、嫌悪したりする必要はないんだよ。

 

 

何度も離れよう、として

そしたら友人だれもいなくなるよと思って

くっつこうとして、

そしてまた傷つけられる。

 

この繰り返し。

なんだか恋人みたいだった。

 

ほんものの関係は、もっと愛に包まれている。

ほんものの関係は、お互いを高め合い

時間を共にし、繋がるだけで、よろこびにあふれるもの。

ただ心から安心し、信じ合える人たち。

 

そういう関係が気づける人との出会いを望めばいい。

自分の波動を「本来の自分」に調整して

それに引き寄せられて

自分が心地よいと思う人たちと出会ってみたい。

 

 

すっきりした。

 

秋分以降、

人間関係のなかで、

このようなことがかなり明確に起こるようになってる。

シフト!の影響だろうかと思ったりしてる。

 

12月22日には冬至を迎える。

今、とても大切なとき。

自分の波動を下げると感じるものは、もう要らないかもしれない。

不要なものや、重いものは自分のなかから取り去らないといけないのかもしれない。

部屋を片付けるように。

 

 

無理に別れを告げて離れなくてもいい。

自然の流れに任せていけばいい。

 

そのことにようやく気づくことができました。

 

 

 

心の片付けによって生まれた願望は、

 

「心から笑いあい、信じ合い、高め合う

感性の同じ友人、仲間とめぐりあいたい」

 

そこへむかっていこう。

 

 

 

現実にも

 

年末の部屋の大掃除。

見渡せば、捨てるものがいっぱい。

そういえば...

 

10年以上くらい前のこと、

あれは何時頃だったんだろう。

夜が深くなっていくような時間。

わたしは、ラフォーレの前で人を待っていた。

普段だったらたくさんの人でにぎわっている街のはずなのに、

その日は、人がぜんぜんいなくてなんだか静まりかえっていた。

 

ふと隣に立っている人がかける電話の声が聞こえてくる。

まず「あれ?」と思った。

この声に聞き覚えがある。

 

待ち合せの相手と話しているのか

その人は、また話しはじめた。

 

「え!」と思った。

 

「間違いない」

 

 

「矢野顕子さんだ」と。

 

矢野さんの音楽も聞きだしたのは、

細野晴臣さんの音楽

エイプリルフール、はっぴいえんど、YMOを聞き出すのと同じくらい。

 

ドキドキした。

なぜこんなところにいるんだ。

NYで矢野さんが歩いているのを見かけたら、

100歩ゆずって、信じるかもしれない。

 

東京のどまんなかで、原宿で、

ラフォーレの前で。

 

矢野さんが自分の日常に溶けこむように歩いている

こんなところにいるはずない。

 

ドキドキした。

 

まるで、世界に自分と矢野さんのふたりきりでいるみたいだった。

 

 

その場をずっと味わっていたい気持ちだった。

 

しばらくして

そんな空気を割るように

わたしの待ち合せの相手が現れた。

 

立っている矢野さんを残して

わたしは歩きだした。

 

まだドキドキしていた。

 

待ち合せた相手に

「隣に立っていた人

矢野顕子さんだと思います」

と伝えると

「えーどうして話しかけないの?」

と言われた

「好きすぎて、そんなことできません」と

呆然としたまま答えた。

 

「ならば、わたしが行ってきます」とその人はふり返って走っていった。

 

待ち合せの相手から連絡がきたのか

矢野さんは、ラフォーレの前から歩きだし

交差点の信号を渡ろうとしていた。

 

「あの、矢野さんですか?」と声をかけると

「はい」

「よくわかったわねえ」と笑われたという。

そして

「サインいただけますか?」

と差し出したノートに

歩きながらサインをしてもらったらしい。

 

わたしはと言えば放心状態で、突っ立ってた。

 

やっぱり矢野さんだったんだ、と。

 

 

矢野さんとふたりラフォーレの前で立っていた時間。

それは、自分がUFOを見たときに感じた空気感と同じだった。

 

(すごい怪しい人みたいだけど。

わたしは二回だけUFOを見たことがある。

こちらについてはまた書きたいと思います)

 

すべてが静まり返り、

音がなにも聞こえないような。

そこだけ、すべての時が止まったような場になる。

一瞬が永遠にのびて、

永遠が一瞬に閉じこめられていくような感覚。

 

 

矢野顕子さん。

どこかべつの星からやってきたような人。

 

「JAPANESE GIRL」

 

そんな矢野顕子さんが

年末に鎌倉でやるライブに行かせてもらえることになりました。

矢野顕子さん。鎌倉。

素晴らしい響き。

 

 

夢の中ではあいかわらず

はいていた靴の底が、急にベロンと取れたり。

乗ろうとしたバスが動き出して置いていかれそうになったり。

乗り込んだバスのなかで、仲間はずれにされたり。

 

自分の心のなかにはまだ

落とし穴みたいなのがいっぱりある感じ

楽しいことを最後の最後でグネッとねじ曲げるところがある感じ。

 

大丈夫だよと日々、どんな時も、できるだけ

ウキウキと笑っている自分をつくってあげることなのかな、と思う。

 

最後にねじ曲げてしまう回路から新しい回路につなぐように。

楽しい夢をみられるように。

 

 

自分の「これがしたい」を書き出してみる。

自分の行きたい未来を書き出してみる。

 

 

決めること、

定めること、

現実に一喜一憂しないで

決めたらそこへ意識をむけること。

 

 

奇跡はとつぜん流星のようにやってくる。

隣に矢野さんがふいに立っているように。

きっと

ある日とつぜんびっくりするような人が隣に立っている。

 

 

 

今日は、詩人のかたにご招待いただいた演奏会に行ってきます。

 

詩人のかたについても

またいつか書けたらなと思います。

ただいま月収5万もいかない生活を送っている。

 

自分が本当に楽しそうと思わないところは行かないことにした。

というよりも

金欠中なので行けない。

 

「1時間に20万稼ぐなんてね、

はっきりいって簡単なことなんですよ。

だから、中途半端は企画に乗るつもりはまったくないんですよ。

 

15時から打合せで...」

 

目の前に座った女の人の会話が聞こえてくる。

 

そうなんだー

1時間で20万。

どうやってやるのー

私の場合、20万稼ぐのに4ヶ月以上かかるよー

 

と心で思う。

 

まったく違う世界に生きてる感じ。

 

すこし前だったら

そういう人を前に

「自分はいったい何をやってるんだ」

「どうして私だけこうなんだ」

 

出口が見つからない自分の生活に対して

自分を責め続けて

卑下して

うらやんで

最後には、焦って動きだして

わけのわからない仕事をはじめる。

その繰り返しだったように思う。

 

自分を追い立てて、

苦しめて、

ムチ打ってきたような気がする。

 

 

 

自分の思うこと、感じることを意識するようになって

今、ようやく大丈夫だ、という気持ちにたどりついたような気がする。

 

大丈夫という感覚。

 

普通に考えたら、

それでよくそんなふうにいられますね、と思うかもしれない。

 

 

何かすごいこと起こりましたか?

何かやってきましたか?

 

って。

 

そう言われると

「いえ、まだ...」と答えるしかない。

 

ただ

何よりもすごい穏やかな自分がいる。

今は、この気持ちにたどりつけたことがとてもうれしい。

 

 

 

現実は、といえば

現在の唯一の収入源である

古い友人の紹介で週1日2日行ってる

ポルトガル人の店がなぜかテレビで放映されることになった。

 

放送後10分もしないで人が押し寄せてきた。

ものすごい人が。

いまどきテレビなんて見る人いるのか、と思って

影響なんてそうないと思ってたけど。

遠く九州からも連絡が入る。

 

本当なら別の人が入るはずの日。

その子がでられなくて私が代わりに仕事に入った。

嵐のようだった。

ポルトガル人がパニックになって怒鳴りつけてくる。

 

苦しくて、ジタバタともがきそうになった。

「なんで自分だけこうなるんだ」

「思考を変えたった自分の人生ぜんぜん変わらないじゃない」

 

と思ったところで

心を立て直した。

荒れ狂う状況のなかで

自分の生きたい未来を一心に思ってみた。

念仏のように、文言みたいに未来を心で唱えてみた。

 

すると

心のまんなかにそっと穏やかな場所ができはじめる。

台風の目のなかにいるみたいに。

 

風が通りぬけていくような。

日だまりみたいな。

やさしい気持ちが生まれてくる。

 

ああ、ここにいればいいだ、と思った。

 

クサクサすることを言われる。

そのたびに、

何度もそこに戻る、努力をする。

 

嵐のなかに灯る灯台の光のように。

 

まさに筋トレ。ここはトレーニングジムなんだ、と思う。

 

だれにもふりまわされない自分をつくるための。

新しい回路をつくり、そこから自分の波動をだすための。

 

俯瞰して見てみると

これも自分が引き寄せた現実の一部なのか、

と思ったらちょっと可笑しくなってくる。

 

 

 

トレーニングジムが終わる。

ヘトヘトになって帰ってくる。

 

すっかり日も暮れた帰り道。

 

「自分の好きなことを仕事にして

それでお金をたくさんもらおうよ」

と自分に語りかける。

「そうだよ。そうだよ」

と答える。

 

 

 

嵐のまっただ中にメッセージが届いていた。

 

矢野顕子さんのライブに行きませんか、と。

 

細野晴臣さんのライブの帰りに偶然会った人に

矢野顕子さんのライブがあることを聞いた。

矢野さんがお気に入りのピアノが鎌倉の会場にあるんだ、と。

 

行きたいなと思って、

ネットでチケットを探したけれど

どこも完売だった。

 

そうだよな。

日も迫ってるし、無理だよね、と思ってあきらめた。

 

でも「行きたいな」とちょっと思ってみた。

「難しいよな」と思いながら、

それでも「行きたいな」と思ってみた。

 

そしたら

夢みたいなメッセージが届いていた。

 

うれしいな。

うれしいな。

がんばった先にたどりついたご褒美みたいだ、と思った。

 

ありがとうございます。

 

ウキウキしてきた。

大丈夫。

 

自分のいきたいところを定めること。

自分のいきたいところを決めること。

ちょっと油断した。

現実に振り回されてちょっとぐったり。

 

ただいま波動調整中。

いろんな人が、最後、ここちょっと大変です。

といってたけれど

 

たしかに。

 

筋トレみたいに

新しい波動をだす新しい回路をむきむきつくっています。

強い波動をだす回路をつくってます。

楽しいうれしい波動をだす回路をとんとんかんかんつくってます。

 

人のことを「いいな」と思ってる自分。

「ふん、なんだよあんな人たち嫌い」とふてくされたり

それでも気持ちはくさくさしてる。

 

なんだか自分だけ仲間はずれの気持ち。

 

これは自分のなかの古い古い回路。

こびりついた回路。

 

さてどうしよう。

この気持ちをどうやってホッにするか。

 

そりゃそうだよ。

これまで自分の人生をきちんと歩めなかった。

誰のせいでもなく。

なんだかそうなってしまった。

いいんだよ。

 

この回路を外してちがう回路をつくってあげたいね。

 

自分のやりたいはなんだろう?

自分のうれしいはなんだろう?

 

「生き生きと生きてる自分」

「大好きな人たちといる自分」

「うらやましい」という気持ちから

心から「おめでとう」「よかったね」といえること。

 

さあもう一度。

 

ここを越えよう。

楽しんで越えよう。

 

 

 

10年くらい前に知って大好きになった詩人の方から郵便物が届く。

 

10年前に自分にいってあげたい。

とても苦しかったときの自分に。

 

「あなたはね。10年後、その大好きな詩人の方に会うんだよ

すごい偶然出会うことになる。

そしてその人とお話をするんだよ。

やっぱりとっても素敵な人。

あの素晴らしい言葉を紡ぎだす人に。

そしてその方から郵便物が届くんだ」

 

「地球はまあるい」

https://www.amazon.co.jp/地球はまあるい-ガートルード-スタイン/dp/487995148X

 

今日の自分にもいってあげたい。

「昨日ね、とっても素敵な郵便物が届いたよ

今日のあなたはちょっと疲れているかもしれない。

それはね。今いるところが最終地ではないんだよというお知らせなんだ。

自分の大好きなところ、行きたいところに向かって進んでいこう。

それを再確認するための日だよ」

 

家の横を通る小さな坂道。

子どもが「やっほー」っと叫びながら自転車でかけおりていく声が聞こえてくる。

ほほえましくてホッとする。

 

ホッ。

 

 

何かがようやくひらいたみたい。

 

今日はポルトガルの日だった。

 

行く前に、何度も自分の中心軸を確認した。

自分の中心から波動を出しているんだ、と強く意識する。

 

仕事場では、

目の前にいる中華系ポルトガル人にむかって

心のなかで、(怖くてあまり直視できないけど)

「この人はほんとうはいい人なんだ。やさしい人なんだ」

と念じた。


作業しながら、

引き寄せの法則を唱えるエイブラハムさんのいう

VORTEXのなかに自分はいるんだ、というイメージをする。

 

まさに瞑想状態。

 

https://www.amazon.co.jp/エイブラハムの教えビギニング――「引き寄せの法則」で人生が変わる-エスター・ヒックス-ebook/dp/B0756WMCJP

 

今、ここ。

 

今、ここという感覚は仏教でもいわれている。

 

今、ここにある光。

 

いってることは同じなのかなと思う。

 

自分の行きたい未来を一心に感じた。

 

だんだんとうれしい気持ちになってくる。

自分がわくわくしてくる感覚が生まれる。

ようやく、ようやくひらける、何度もそう思った。

自分の人生を歩ける。

 

そして

中華系ポルトガル人も

自分も

すべてがおだやかに終わった。

 

 

 

これまでいろんな人に助けをもとめてきた。

「トラウマがとれる」という人

(電話をかけて話しながら、

「ああ何歳のトラウマ取ってきますね」

シーン

しばらくして戻ってきて

「はい。外してきました」という人)

 

「みゃくしん」の人

みゃくをとりながら

わたしの性質を言ってくれる

そのあとオイルマッサージをしてくれる

アーユルベーダみたいな。

 

「ボイス」の人

自分のちょっと斜め後ろくらいを見て

わたしが一番必要とする言葉をいってくれるという人。

 

その他に

 

山伏みたいな人

陰陽師みたいな人

 

いっぱいいっぱい

 

そんなのいんちきでしょ、という人たちもいるし。

信じている人たちもいる。

 

わたしは信じるも信じないもなく、ただただ助けて欲しかった。

ずっとずっと暗闇のなかにいるみたいだったから。

 

そういう人がいる、と聞けば、でかけていった。

 

(こちらの方々については、また書けたら...)

 

今、思うのは、

最後の扉をひらくのに必要なのは

自分が気づくことなのかなと思う。

深いところで気づくこと。

 

それらの何人かにいわれたのは

「自分を生きなさい」ということだった。

他の人はもういいから。

自分のことだけを考えて。自分の人生を生きなさい。

影響を受けない自分をつくりなさい。

 

と。

 

そう言われ続けた。

 

自分のことだけを考えて生きなさい。

 

そうしてるつもりだったけど

それがどういうことなのか、

どういう感覚なのかよくわかっていなかった。

 

家族のこと。他にもいろいろなことがあった。

どこか他人に同調してしまうところがある自分。

他人の波動に流されてしまうところがある。

嫌といえない。

 

そういう自分にも気づいていなかった。

 

自分からの波動が一切でていなかったのではないかと思う。

 

波動に、振動によってものごとは引き寄せられる、という。

でも自分主導の波動ではないから

なにかねじ曲がった

苦しいものばかりを引き寄せてきた。

 

今、ようやく

小さな波動を自分からだしはじめたところ。

 

ようやくわかってきたような気がする。

自分の波動を感じる、というのがどういうことなのか。

自分の内部がうれしくなる波動がどういうものなのか。

 

それを感じることが

自分の望みを叶える一番の近道であり

大切な家族のしあわせにも繋がるんだ、ということが

わかってきたような気がする。

 

はじまったばかり。

 

自分から発信する波動を感じること、

その実践がようやくはじまったのかもしれない。

 

その波動に引き寄せられて

何がやってくるか。

 

今日、ひらいた本に書かれていた言葉

 

「貧困や十分にお金がないことに抵抗して一生懸命働くのではなく、リラックスして自分の自然な豊かさを許容・可能にするのだ。

自分が何を望んでいるかを突き止め、期待を持って嬉々としてそれが現実化するのを見守るのだ。

闘いも緊張もこれ以上必要ない。落胆も敗北も必要ない。喜びに満ちた着実な「なる」プロセスがあるだけなのだ」

 

 

 

本日わたしのところにやってきたうれしかった現実。

 

◎雨があんなに降っていたのに

外にでたときは、雨がやんでいた。

 

◎すごくうれしい郵便物が届いていた。

苦しくて一番どん底にいた10年くらい前の自分に伝えてあげたい。

 

 

(明日開けるので、またそのときこの郵便物について書けたら...)

 

 

明日も楽しく生きられますように。