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i am in the vortex

ヴォルテックスに入って「自分の夢を実現する」奇跡の体験をつづります

細野晴臣さんのライブ素晴らしかったです。

途中で細野さんが

「これからダンスタイム。はい。降りてきて」

というので、見上げると

ステージの上から巨大なミラーボールが降りてくる。

 

細野さんの音楽とともに

ミラーボールがくるくるとまわりながら

会場に光を散りばめる。

キラキラとキラキラと。

 

それはまるで宇宙空間に観客みんなで飛んで

宇宙空間から遠くに浮かぶ地球を眺めているようだった。

まわりには、小さな星が光り瞬いている。

 

外から見る地球に

「こんなにも美しい星だったんだ」と思ってる。

 

成層圏をちょっと出たあたり。

光る地球が浮かんでる。

 

9月23日の秋分に11時11分に行った並木良和さんのワークを思い出す。

その日、地球にはスペースシップがやってきていて

そのエネルギーによって自分たちの意識を上昇させる、というもの。

 

シフト!と唱えながら

地球から螺旋階段のようなものがのびていき

自分の意識も上へ上へと上昇していく。

 

そこでみた光景ととても似ている。

 

地球を上がっていったところから

地球を見下ろしているような感覚。

足の下のほうに地球が浮かんでた。

 

「秋分のワーク」

https://oneness831.hateblo.jp/entry/2019/09/23/103406

 

宇宙空間みたいに広がる会場に

細野さんの音が流れていく。

 

その空間に漂っていると、

目の前に扉が現れる。

その扉をあけたむこうには自分が行きたい未来がある。

わたしは、扉をあける。

光にあふれる場所。

 

扉をしめシャッターをおろすように扉を消して足を踏みだす。

新しい世界。

もっと先へ進んでいこう、という思っている自分がいる。

 

そして消えてなくなった扉のあちらがわの世界に

もう戻ることはないとわかってる自分がいる。

 

それは自分がこれまでいた世界。

消えてなくなった扉のあったあたりにむかって会釈をしてる自分がいる。

「ありがとうございました」

 

ああ、もうあの世界から離れることができるんだと思ったら

うれしさが込みあげてきた。

もといた世界にただ感謝の思いだけがあふれてきた。

 

ものすごいしあわせな時間だった。

その波動を、そこにいた気持ち良さを

身体に入れていこう、と思った。

 

成層圏からちょっとでたあたり、

その光かがやく風景のなかにたたずんでいた。

 

 

細野晴臣さん。

音楽だけでなく、スピリチャルという言葉がでてくる前に

見えない世界のことを教えてくれた人。

 

細野晴臣さんの本「観光」には

各地に置かれた神社をたどりながら

日本の地底に流れる神脈について書かれてあった。

 

その他にも

ドンファンの教え

民族のこと

沖縄のユタのことを知ったのも細野さんからだった。

 

「観光」

細野晴臣さんと中沢新一さんの対談集。

今もまったく色あせることのない内容とデザイン。

装丁は奥村 靫正さん。

https://www.amazon.co.jp/観光―日本霊地巡礼-ちくま文庫-中沢-新一/dp/4480023801

 

そして横尾忠則さん。

二人の本には、不思議な話があふれていた。

 

あたり前のように天使の話が書かれてあって

さらには、ベンチに座ってUFOをコンタクトする話が書かれていた。

「今日もコンタクトを試みる」そんな感じで。

 

自分もUFOが見てみたくて同じことを何度もやった。

まったくうまくいかないのだけど。

 

こちらからコンタクトにはまったく無反応な感じ。

ただとつぜん飛んできたUFOと思われるものに遭遇したのは二回。

(と思ってる)

 

すごい面白い体験だったので

そちらについても、またいつか書いてみたいと思います。

 

昨晩、一緒にご飯を食べた人たちとも

それぞれが見たことがあるUFOの話になる。

(あやしい話ばかりで。。。すみません)

 

夢に興味を持ったのも横尾さんの本からだった。

 

絵やデザインなどでの印象が強い横尾さんだけど

横尾さんのエッセイがほんとうに面白い。

 

「私と直観と宇宙人」

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167297046

 

喉の手術をするときに

病室に持っていったのも

細野さんの音楽(スケッチショー)と横尾さんの本だった。

 

手術を終えて、

意識がもどってきたつぎの日

開いて読んだ横尾さんの本があまりにもぶっとんでいたので

可笑しくなって、

手術したばかりで喉が痛くて

「痛い痛い」とこらえながら笑っていたのを思い出す。

 

こっちになにかありそうだよ、と

先を行きながら、教えてくれたのが細野さんと横尾さんだった。

素晴らしい大人たち。

 

(50周年のライブにはテレビカメラが入っていたので

おそらくNHKで放送されるのではないかと思います)

 

ライブが終わったあと

余韻に浸ってひとりふらふら歩いていると

同じライブを観にきていていた知人と

偶然ばったり交差点で会った。

そしてそのあとご飯を食べにいかせてもらった。

 

「細野さんありがとう」

大丈夫だよ、という感覚がよみがえってくる。

自分の軸を人にあけわたさないで、感じること。

自分で感じること、

自分がやるんだ、ということ。

 

これまでの人生めちゃくちゃだった。

仕事も続かないし、

収入もままならない。

自分の思考の癖で、

なにかを成し遂げている人に会うと

「自分なんて」とか

「自分は何をやってるんだ」

「この先どうしたらいいんだろう」と焦り

自分自身を責め続けてきた。

すごく苦しかった。

 

焦りからいろんな行動をしてきた。

思い出してもはずかしいことばかり。

焦りからくるものなので、結局たどりつくのは嫌な場ばかりだった。

すべてがふさがれていた気持ちだった。

 

今朝起きて、自分をもっと楽しませてあげたいと思った。

どこか出かけなくちゃと思った。

でもワクワクしなかった、そわそわしてる自分に気づく。

この根底にあるものはなんだろう、と思ったらそこにあるのは焦りだった。

 

ここ二日すごいいっぱい落ち込んだ。

その癖を思い出していた。

深く呼吸をした。

出かけるとか出かけないの前にこの思いとむきあってあげないと、と。

そしてその癖に、その思いに、その思いを感じている身体の部分に光をあてた。

 

どのくらいの時間が経ったかわからないけれど、

ようやく自分がとても心地よい場所にいるのを感じた。

これがVORTEXなのかなと思う。

その時間は数秒くらい。

そのとき感じた感覚をきちんと覚えておきたいと思う。

 

何度もぶり返しがあるけれど

必ずたどりつけるから、という言葉が流れ着く。

 

 

またべつの南インドカレー屋さんにいく。

すごい可愛い店。

インド人らしき人が可愛い白いエプロンをつけている。

わからないメニューについて

いろんなことを丁寧に教えてくれる。

 

最後にその人はネパール人だということがわかる。

「南インドにはまだ行ったことありません」と片言の日本語で。

 

なるほど。

南インドそしてネパール。

旅はつづく。

 

やさしいきもち。

温かなきもち。

 

じたばたしないで自分にむきあう時間。

 

楽しみながら旅をつづけよう。

やられた。

かなりやられた。

行く前に、ぼんやり行ってしまったからか。

 

すごい圧力でものを言ってくる人に

それは違うんです、とわかってるのに

言いたいことを言えない。

 

自分というのに気づく。

 

とくに、強い主張をする人に。

それが違うな、と思うことを言われてもそれを言うことができない。

 

表むきはいい人。

場所も

来る人にも

楽しげにやってればやってるほどイライラしてくる。

最後にはグッタリ落ちこんでくる。

 

これまで何度も会ってきた人のパターン。

ずっとやってきたパターン。

心おだやかになることなんてなかったかもしれない。

 

今までは、何も言い返せなくて

そのことすら無意識のなかで

結局、どこか身体に支障をきたし

ほとんどがなんだか象徴的に喉をやられてた。

病気になるほど気がつかないほどに押し黙って。

そのことすら気づかずに。

 

昨日、また同じ場面があった。

自分がやったことではないのに

すごい剣幕で迫られて

「すみません」と言ってる自分がいた。

 

ここまでくると笑い話なのだけど。

あまりに恐いので震えてくる。

恐怖で失敗してしまう、悪循環。

このままいくとポルトガルという言葉を聞いただけで

震えてしまいそう。

海外の人が大嫌いになってしまいそう。

 

なんで自分はこんな体験してるんだ?

なんでここから抜けだせないんだ?

どうしたらここから抜けだせるんだ?

結局、なにも変わってないのか?

 

またぐったりと落ちこんだ。

止まっていたはずの咳が出はじめた。

たまたま誘ってくれた友人の家に帰りに寄る。

その子の家のこたつに入って、

その子のお母さんとか、近所のお友達とかとみかんを食べながら

今日の恐怖体験を話す。

ちょっと笑えてきた。

滝修行。白装束を着ての滝修行。

 

笑ったら、

ああ言いたいこと言えなかったね、と気づく。

そうしたら、だんだんと自分のなかに怒りがわくことを知った

それがすごいマグマみたいな。

どうしようもない怒り。

 

こういうのが身体のなかに無意識のまま残って

それが病気になっていくのかな、とあとから冷静になってから思ったこと。

 

冷静になるまで、半日くらいかかった。

 

ひとしきり落ちこむ。

エイブラハムさんのいう流れに完全に抵抗してる。

がむしゃらに手足をばたばたさせて

上流から流れてくる水の流れにむかって泳ごうとしてる。

いろんな声に耳を傾けてみる。

 

自分の軸を完全に明け渡してるのがわかる

自分のなかに苦労する、どうしても苦しむ、というのがあるなって。

 

そして

 

自分の感性を感じてみる

自分の感性で動いてみる楽しさを味わうこと、信じること

 

豊かな人たちと温かな人たちと

生き生きと自分の感性をつかってお仕事をしてる自分

そのお仕事で稼いでる自分

苦労は終わり

大好きな人たちといる自分

自分の感性を信じて

 

そんなことを思って心が解けてくる。

力強いエネルギーが流れてくるのを感じる。

これがボルテックスのなかにいるということかな。

 

はじめたばかり

波動がまだうまくできてないこともある。

強い波動に消されてしまうこともある。

その波動に乗っ取られない

自分の波動を感じる

行きたい波動に自分を合わせる

 

しばらくしたら次の展開がやってくる。

 

新しい回路をつくってるところ。

古いパターンからスイッチをきりかえたところ。

 

今日は、夕方から細野晴臣さんのライブへいく。

音楽活動50周年記念のライブ。

 

細野さんは神社とか民族とかそういう同じ世界にありながら

もうひとつ別の扉のむこうに広がっているものを教えてくれた人。

エイプリルフールというバンドからはっぴいえんど、

YMO、スケッチショーどの音もいつもそばにあった。

 

友人がチケット取ったのだけど一枚余ったから行かないと

友人のさらに友人のような方から買わせてもらったもの。

 

情報とかぜんぜん追いかけたりしないけど

むこうからやってきてくれた、そんな流れがうれしい。

 

あまりにも好きだった頃は

街でお茶をしている姿を見かける。

普通に暮らしているんだ、と思ってびっくりした。

 

自分の好きなもののなかに身をおいて

感じる波動をしっかり自分のなかに入れてきたいな。

 

 

それでいいんだ。

そうやって行きたい道を確認すること。

そうやって自分の波動を調整していくこと。

 

それでいいんだよって。

昨日は新月でした。

 

新月のお願いをする、関連の本を読んだのは十年以上前。

お願いをし続けて何年経つか。

新月のお願いをして叶ったという感覚があまりない。

書いても叶わないんじゃないか、と恐れすら感じるようになってた。

でもなんだか

その日になると「今日は新月ですよ」と人が教えてくれるので

やり続けている。願い続けてきた。

 

地球のまわりをまわってる月の位置と

太陽の位置が重なる日の月のことを新月といいます。

 

月は太陽の光を反射することでその存在が見える。

新月の日には、

太陽と地球、月の位置がまっすぐになるので月が見えなくなる。

それをはじまりの月として新月と呼んでいる。

 

見えないけれど月はある。

 

月の光が差しこんでこないので

新月の夜には星がよく見えます。

月の光が強くて、ふだんは見えない星も見えてきます。

 

見えてないだけでいつもある星。

 

https://rika-net.com/contents/cp0320a/contents/chishiki/answer04/index.html

 

地球も月も重力を持っていて

お互いに引っ張りあっている。

地球の表面に広がる海の水の満干は

月に引っ張られることによって起こる現象です。

 

地球の上に暮らす人間。

人間の身体には多くの水を含んでいるといいます。

月の重力にあんなに大量の海水を動かすほどの力があるのなら

私たちらの身体の中にある水も、

そして私たち自身も

月から相当の影響を受けているのではないかなと思うのです。

 

見えないだけで。

 

自分の身体の水が海の水のように

月に引っ張られてユラユラとゆられているのを感じます。

 

月と地球がまっすぐにならぶ新月の日と満月の日には

その力がまっすぐに人の身体に入ってくるのかなと思うのです。

 

満月の日には、その力が地球全体に降り注ぎ浸透し

新月の日には、私たちを上に持ち上げてくれる。

 

昔から新月の日に種を撒くといいと言われてきたそうです。

新月に撒かれた種は、上へ上へ芽を伸ばす。

 

家に使う木材

香りに使う草花

 

新月の日に刈りとられたものを使うといいます。

 

すべてはイメージすることからはじまるのかなと思う。

 

見えないものを思う。

 

月からの力。

 

 

 

そしていろんな本に出てくる

 

天使様のお話、

龍神様のお話、

自分に注がれているエネルギーとかハイヤーセルフさまとか、

 

量子力学的にいってもそれは存在するのではないかと自分では思っています。

 

信じる。信じない。ではなくて

いる、とか、いない、

観える、観えない

 

ではなくて、自分がイメージして感じたらいいのかな、って。

 

自分に今、ピンクのエネルギーが注がれている、とか。

龍神様が、自分のまわりを飛んでくれている、とか。

天使様が、近くにいる、とか。

 

そう思い、そう感じことで

心が解放されたらそれでいいのではないかな、って。

 

 

引き寄せの法則も同じように。

 

すべてのものは波動。

その波動によって引き寄せられる、という法則。

 

自分がこうなりたい、という未来

鮮明に、ありありと、そこに観えたら叶います。

 

本当にそうだと思う。

そう思うのに

なかなかイメージできなかった。

 

本当に叶えたいものであればあるほど

イメージはぼんやりとしてしまっていた。

どうしたら明確に観えるのか。

滝に打たれる修行僧のように

眉間にしわを寄せてイメージしてた。

 

ぐるりとひとまわりして今。

 

なんとなく感じる。

なんとなく観える。

 

そんなところからはじまるでいいんじゃないかなって思った。

 

そこから小さな波動が生まれる。

 

そしてそれを感じるすこしの瞬間

うれしくなって

ニヤニヤして

ワクワクして

そんなことが大切なのかな、と思うようになった。

 

まずは思ってみる。

感じてみる。

 

今日は、新月のつぎの日。

月からのすごい力が引きあげてくれている。

 

見えないだけで、

昼のあいだにも、無数の星が空に浮かんでる、って

 

雲のむこうにあるものを思ってみる。

いろんなものが、自分の内側から出たあと

今日からまたワクワクその気になったりしながら

自分のたどりつきたい未来へむかっていこうと思います。

 

ポルトガルで労働をし

そして南インドのケララのカレーを堪能し

昨晩は中国のお茶会へ。

 

中国での季節の数えに二十四節気というのがあるそうで

今は、初冬の「小雪」を迎えたところ。

近所の大学の構内で

中国の留学生が中国のお茶を紹介してくれるらしい。

中国茶、台湾茶をいただく機会が何度かあり

とても面白かったので行ってみる。

 

「小雪」のあとに行うお茶会を

「小雪茶会」と呼ぶそうで

お茶によって身体を温め

冬に備えるというのがあるそうです。

 

集まっていたのは、近所のおじさま、近所のおばさまたち。

 

中国の東北からきたという女の子が

片言の日本語で

中国でのお茶文化の歴史、葉の種類、入れかたなど教えてくれる。

 

焙煎や発酵の順に

 

緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶

 

というのがあり

それらを順にふるまってくれる。

それぞれの小さな杯のお茶にいれてまわしてくれる。

 

一度お湯をいれたら終わりではなく

急須のようなお椀にまたお湯を足して

一煎目、二煎目、三煎目と味の変化を楽しんでいく。

 

一煎目は香りが高く

二煎目は甘みがでてくる。

 

また飲むだけではなく

煎じたときに使う蓋についた香りも味わう。

 

煎じるごとに香りも変化していく。

 

とても繊細な違いだけど

それらを感じることで自分の感性が研ぎすまされていく、

いつも使ってない回路が開いていくような感覚がある。

 

香りをかぐことを「聞香」といい

日本にも同じものがあるそうだ。

 

香りを聞く。

 

すばらしい言葉だ。

 

一緒のテーブルに座っていたおばさまの話によると

仏教では「香り」とは「ブッタからの言葉」を意味し

お香などによって匂いをかぐ

「香聞」によって

ブッタからの言葉を聞く、

ブッタからの言葉に耳をすます。

 

それは言語という枠を越えたブッタからの香りによる言葉。

 

脳の回路が解放していくのを感じる。

 

香りをかぐということ、

それ自体が脳へとダイレクトに繋がっているような感覚がある。

 

 

 

どこの部分の芽をとるか。

いつの季節のものをとるか。

栽培された地。

採った葉を揉むのか、押すのか、

それによって大きく味がかわってくるそうです。

 

植物のすごさ。

その植物を生む土のすごさ。

 

会場では、大きなスクリーンのなかで

お茶の産地、雲南省の風景の映像が流れていた。

 

民族衣裳のようなものに身を包んだ人たちが、

山一面に広がる茶畑で茶葉を摘んでいる。

 

心が雲南へ飛んでいく。

 

知らぬ間にとなりのおじさまやおばさまと楽しく話してる自分がいる。

 

中国でのお茶会とは、

小さな杯でお茶を何杯も飲みながら

何時間もかけてお話をし、人と交わること、

「お茶の縁」を大切にする時間なんだ、と。

 

異国のものに触れたとき

自分の凝り固まった概念や思考がバコンと外れるのを感じる。

 

南インドのカレー

そこにはいっているスパイスの数々

 

そういうものを見ると心がウキウキする。

窮屈になった心を解き放してくれる。

心が自由になる。

魅かれる。

 

国を越えて人と繋がること。

 

異国というのは、自分にとってとても大切な要素なんだなと感じる。

 

(中国茶会でお話した東北からきた女の子と

中華系ポルトガル人の気質があまりにも違うので笑ってしまう

同じ中華系なのに、中国はやっぱり広大だ)

 

身体だけでなく心の奥深くから温まり

感性が戻されたような感覚

 

「小雪」

冬をむかえる心の準備ができました。

 

なんだかイライラしてる。

昨日のわーいわーいわーいから一転イライラへ。

 

昨日はよく眠れなくてうなってた。

 

起きがけにみた夢では、

母親がとつぜん走り出して

そんなに走って大丈夫かな、と思ってると

やっぱりこける。

なんでそんな走りだすのかわからない。

そんな転びかたして大丈夫なのか、と思う。

 

現実では、

去年の7月に嫁いでいった妹が遊びにきていたので

お昼ご飯を外に食べに行くことになる。

店はランチどき。混み合っている。

そこで荷物を落とし、

かけたコートを隣の席の人に落とされる。

なんかすごくイライラしてくる。

 

大好きな南インド、ケララのカレーなのに

気持ちが沈んでまったく美味しく感じられない。

 

帰りは、妹は会社へ。私は歩いて家へ。母親はバスに乗って。

ということになり

べつべつの方へ別れていく。

 

しばらくして家に着いたのに

母親が帰ってない。

先に帰ってるはずなのに?

どうしたんだろう?

バス停まで送っていったのに。

 

それからだいぶして母親が家に帰ってくる。

乗るはずのバスに乗れなかったらしく

ひとりで歩いて帰ってきたらしい。

 

なんだかすごいイライラしてくる。

 

「怒り」

だれにむけてとも言えない静かな「怒り」

 

自分の気持ちを書きだす。

ホッとするところまでいけるか。

「なんだろう。この怒り」

「そんな日もあるよ」

「自分のなかに過剰に心配してしまうところがあるよね」

「それが巨大な落とし穴みたいにいっぱい埋めこまれてる感じ」

 

今、わたしは母親とふたりで暮らしている。

東京で生まれ小学生のときに名古屋に引越しそこで育つ。

大学で東京にでてきた。

さきに東京にでていた姉と二人で暮らしていたときもある。

そのあいだに、父親が家を離れ

名古屋に残っていた母と妹が東京のわたしのところにやってきた。

 

小さなころから

父親と母親は、しょっちゅうけんかしてた。

だからいつも二人の顔いろをうかがってた。

「今日は大丈夫かな?」って。

「どうか怒らないで」って。

 

「あなたたちは聞かなくていい」

姉が泣いてるわたしと妹の耳をふさいで

とかかえてくれてたことをよく覚えている。

 

母親はよくとつぜんのヒステリックに怒りだした。

自分で処理できないこと。

思うようにいかなかったこと。

疲れ、そのはけぐちのように。

 

そしてすべてをネガティブにねじ曲げられた。

「今日は天気が良くて気持ちがいいね」というと

「午後からは雨が降る」

「天気予報で言ってたの?」というと

そうじゃない、という。

 

子どもたちは母親に学校でのことを話さなくなった。

楽しいこともうれしいこともすべてねじ曲げられる、と。

 

家系的な問題かもしれない。

母親の姉妹はさらに酷く、ちいさいながらに狂ってると思った。

 

母親がもし自らを顧みて「気づく」ということができたら

母親本人も、そのまわりにいる人間もどれだけ救われたかと思う。

「だれのせいでもない、すべては自分なんだ」と気づくこと。

「気づく」ことがどれだけ大切なことなのかと感じる。

 

今でもだれかが言い争いをしてる言葉を聞くのが怖い。

だれかがとつぜん怒鳴り声をあげるのに恐怖を感じる。

 

けんかばかりしてる二人の関係。

その二人の関係の象徴であるような自分はいったい何なんだ?と。

そうやって自分を責め続けてきた。

 

自分が家を離れたら両親の関係は終わる

だから自分は地元以外の大学を受験することはできない、と思っていた。

だれにもいえなかったことをはじめて先生に伝えた。

「だとしたら、絶対に外に出ないとだめた」といわれた。

高校に生物の先生だった。

その言葉に心から救われた。

あの言葉がなかったら自分はどうなっていたか。

今でもとても感謝してる。

 

わたしが東京に出たあいだに

父親は家を離れることになった。

やっと終われる、そう思ったのを覚えている。

 

父親が家を出ていった日のこともよく覚えている。

小さな頃、父親と母親が神様みたいな存在だった。

だけど、怒りくるったり、泣きわめいたりする姿をみて

父親も母親も普通の人間なんだ、と思った。

神様の座から二人をおろしてあげた。

 

ただ長年この環境にいたため

自分の思考や感情の回路が

両親の言動に取ってかわっていたような感じがする。

自分のことを考える思考回路が消えて

自分のことを感じる心が封印された。

自分のしたいこと、やりたいことがわからなくなった。

 

自分は痛いとか苦しいとか

お腹すいた、とかのぞがかわいた、というのを感じられないところがある。

自分の魂なのか、心なのか、インナーチャイルドなのか

もう苦しいよー、痛いよーと泣き叫んでいても

その声が聞こえない。

身体にためてしまう。

そういうことが病気につながっていくんだ、と。

実際に、七年前にのどの手術を受けている。

 

社会にでても同じような人を引き寄せてきた。

とつぜん理不尽に怒りだす人。

表と裏で顔がちがう人。

支配的な人。

 

静かな「怒り」が

つぎにはなんとも言えない「哀しさ」に変わっていく。

 

「もういいよ。もう心配しなくていいんだよ」

「そこから新しい回路を作りはじめてるんだよ」

「もっと自由でいいんだよ」

「人にはそれぞれ人生がある」

「すべて解けないことがあってそれでいいんだよ」

「そろそろ自分のことを全開でいこうね」

「自分のことで大笑いできたらいいね」

「うん」

 

「そうなるよ」

 

なぜ今日このような気持ちがでてきたのかはわからない。

こういう仕組みを意識できるようになったから?

 

思いが掘り起こされることによって過去を見直すきっかけになる。

 

父親に、もういいよって。

母親に、もういいよって。

 

きっと「許す」気持ちがわいてくる。

二人ともなんとかうまくやろうと一生懸命がんばったんだもん、と。

 

自分にも、もういいよ。

 

過去世からもってきたものなのか

現世のなかでのことなのかはわからないけれど

そういうものをつくりあげてしまった自分のなかにあるすべてに

ようやく終われるよ。

よくがんばった、って。

 

そのさきへ。

 

 

本日は、中華系ポルトガル人との対峙の日。

 

強烈な波動をだす人。

波動で負けないように

自分のなかから、

ポンプみたいに波動をだすイメージで向かう。

だったら同じくらい強くて愛あふれる波動を出そう、と。

 

読んでいた本のなかに

 

「人間の意識は、焦点を当てたものを拡大する作用をもっている」

 

という文がある。

 

なるほど。

 

そこで

 

「中華系ポルトガル人(女子)は、じつは、やさしい人なんだ」

 

(ほんとうに根はやさしい、ただ言うことが強烈)

 

という部分に焦点をあててみる、という試みをする。

 

 

 

なんとまあ。

 

おだやかに一日が過ぎる。

すごい心やさしい気持ちで帰ってこれた。

 

中華系ポルトガル人とうまくやることが

自分の最終目的ではなく

自分のたどりつきたい未来へつづく線路みたいに

脳なのか、思考なのか

新しい回路をトントンカンカン作っている

そんな気持ちでいます。

 

何事も笑い飛ばすくらいの強さをもとうと思います。

軽ーく軽ーく。

 

おだやかに一日が終わる。

わーい、わーい、わーい。

 

昨日の夜、思ってホッとしたこと。

 

「決別するんだ」ということ

「自分がやるんだ」ということ

 

「生まれ変わるみたいに」

ぼーっとしてる自分の顔が鏡に映っているのを不意に見てしまうことがある。

ぎょっとしてしまう。

すごいへの字口になってる。

眉間のしわをぐーっとよせてるときもある。

 

なんだろう。

自分の顔、身体すべてがいつも緊張してる、という感じなのかな

自分をゆるませてあげよう、と思う。

ニヤニヤしてしまうくらい楽しいことを思い。うれしいことを思い。

そんな自分をイメージする。

 

ゆっくり。ゆっくり。

 

自分が今、抱いている夢は壮大です。

ファンタジーといってもいいくらいです。

 

意識を変えて二週間。

ここにそれを叶えるまでの奇跡を書き出そうと思って一週間。

今のところ大きなことは起こってません。

 

ただ奇跡はいつも思いもかけない時に、思いもかけない形で

彗星のようにやってくる、そう思っています。

 

なので今は、ゆっくり。ゆっくり。

 

夢と直接関係ないことで言えば

 

◎山登りしたい、したいと思っていたら、行けることになった。

帰りに温泉入って気持ちよかった。

◎さとう兄弟に再会した

◎そうそう、細野晴臣さんのライブに行けることになった。

◎昨日、忘年会なるものに誘われた。

 

ひとつひとつが大切な体験で、

自分の気持ちがすごい変わっているのは感じます。

 

 

 

朝起きて、昨日の不安がすこしやわらいでいました。

 

起きがけに見た夢の中で、自分は掃除をしていました。

掃除をしていた場所も象徴的なのですが、

今年の春まで二年働いていたギャラリーみたいなところ。

そこの掃除をしている。

 

この話もまた書きたいと思っているのですが、

そこでの大きな気づきとそこを離れられたことが、

今の自分に繋がっている。

白だと思っていた場所や人が、

黒に変わったことで、

そこにならんでいた

オセロの白いコマがすべてひっくりかえってまっ黒になっていく、

そんな体験をした。

とても大変な経験だった。

けれど、そのことによって自分は、大きな気づきを得ることができた。

 

夢にこの場所がでてきたのははじめて。

夢の中でも、

「やっぱりここはひどいところだ」

とわかっている。自覚できていた。

 

そう思いながら、

自分はなぜか掃除をはじめる。

箒とちりとり持って。

横にいたおじさんみたいな人が、手伝ってゴミを集めてくれる。

 

夢の本によると

掃除をする夢は「不安と対峙しようとしている」と書かれている。

うまく掃除ができれば、新しいことがはじまると。

 

ゴミがうまく集まらないところもあって

うまく掃除ができたか、と言われると、

よくわからないのだけど

自分はそこと向き合おうとしてる、ということはわかった。

 

なるほど。。。

 

 

昨日行った雨の大嘗宮は、映画かなにかのロケ地跡を見てるようだった。

聖なるものは、すでにそこにはなく、

ただここでなにか「すごいこと」が行われたんだ、

ということだけはわかった。

 

うそみたいだけど、ほんとうにあったんだよ、そんな感じ。

 

天皇という制度によって

日本の宿る神を守り続けているんだ、と思った。

 

これまでつづく歴史の中で

家康だって、そしてアメリカだって、

天皇という制度をなくすこともできたはずだ。

 

でも守られた。

それは、天皇というものの奥にある

霊的なものがそうさせているのではないかと感じる。

 

それは諸外国のいわゆる「王室」とは、

まったく異質のもののような気がする。

 

 

「鏡」「剣」「玉」という三つの神器がある。

 

そのなかのひとつ「鏡」は、伊勢神宮にある。

 

何度か訪れたが、

最近、伊勢神宮は人に開きすぎて霊力が落ちている、

という話を聞いたりしていた。

 

そんななか、中学高校と育った名古屋に10年ぶりくらいに帰ることがあり

どこか行くところはないかと探していて

「剣」が、名古屋の熱田神宮にあることを知った。

 

そんなすごいものが置いてあるのに

全国的にあまり知られていない熱田神宮。

名古屋に住んでいるときでも一度行ったことがあるくらい。

名古屋にいる人のなかにも行ったことがない人がいるくらい。

 

この熱田神宮がすごかった。

あまり開かないことでなにかを守っているのかもしれない、とも感じた。

 

本宮もすばらしく、

さらには横の細い道から入っていく

「こころの小径」というところがあり

そこから一之御前神社というところへ通じる。

瀬織津姫との関係があるという。

そこはずっと立ち入りを禁止されていたところだったようで

2012年の12月にようやく一般への解放が許されたところ。

撮影なども禁止されている。

御社へつづく道には、小屋があり、

やさしそうな警備員のおじさんが様子を伺っている。

 

一之御前神社の正面に立つと

小さな四角い窓のようなところが開いていて

そこから清らかな霊気のようなものが漂ってくるようだった。

 

さらにまわっていくと、龍神様が宿っているといわれる池がある。

 

思いもかけずすごい場所で

3時間くらい熱田神宮のなかをうろついた。

 

 

そして最後の「玉」は皇居のなかに祀られている。

 

さらに

天皇家には「鏡」「剣」の形代(神霊が依り憑く依り代)があり

今回の一連の儀式の報道のなかで

それらが一緒に運ばれているのを見た。

 

どちらも箱のなかに入っていた。

誰も見ることができない、らしい。

 

 

儀式のなかで

「鏡」「剣」の形代が

皇居内にある「玉」が祀られているところへ運ばれて

それら三つがひとつになった。

 

これってもしかしてすごいことなのではないか、と思ったのです。

 

令和になる前の頃、これから大きな節目がやってくる、といわれた。

 

菊理姫のところにいって

よい縁をくくり、わるい縁を切るよう

祈ってくるといい、

こんな話が流れてきて

家の近くにある菊理姫がいるという白山神社に行ったのを覚えている。

 

(こういうことを書くと

なんだかすごいスピリチャルな人のように思われるかもしれないけど

わたしは、まったくそういう人ではないです。

ただ自分に入ってくる話をへぇーって聞いて

面白そうだなって思うと動くそんな感じです)

 

祈った数ヶ月後の春、

ギャラリーを辞めることができた。

 

なにかが大きく変わろうとしているのかなと思う。

 

世界は二極化していく、と、どこかで聞いたけれど

ほんとうにそうなるのではないかと感じるのです。

 

波動が高い世界と波動が低い世界

今まではそれがぐちゃぐちゃに混在していたけれど

波動が高い世界はより高く

波動が低い世界はそれなりに

混じり合うことなく二極化していくと。

 

銀河鉄道のように

星から出発した列車が二つにきれいに分かれていく

そんな風景を思い浮かべる。

 

もしほんとうにそうであるならば

足を引っ張りあい

お互いのエネルギーを奪い合うような

これまでいたような場ではなく

楽しいほうへ、愛にあふれるほうへ行きたいと思うのです。

 

今、この期間に

これから自分はどこへ行きたいのか

どうしたいのか

その方向を定めようとしているのかもしれないよ、

 

と自分自身に声をかける。

 

日本の神様とこれからの世界

 

本日は、そんなことを思う日になりました。

 

ひとまず

ニヤニヤして

眉間をゆるませて。

 

生まれ変わるような気持ちで。

今日も雨が降っています。

 

昨日、起きるときに

今日の日のはじまりをワクワクして起きよう、と思ったのに

なんだかどんよりしてた。

このどんよりは、なんだろう、と、うとうとしながら思いをめぐらす。

 

あー不安だなと思う。

この不安がなかなか取れない。

それでずっとずっと自分を責めてきた。

何も成し遂げてない、自分、と責めてきた。

 

夢でもしょっちゅううなされた。

授業に間に合わない

テストに間に合わない

道にまよってたどり着けない

卒業できない

 

今日の起きがけにみたのは、

なぜか一番最初に入った会社の同期がつぎつぎでてくる。

名前さえ思い出せないし、普段思い返すこともない。

 

夢で、へーさっきは○○さんと会ったんだよー

今度みんなでまた会いましょーとか話してる。

その人たちと話していて

ふと時計を見る。

あっ遅刻だ、と思う。

5時33分と書かれた紙があって、

この時間に行けば間に合う、という時刻だと自覚してる。

一緒に旅に行こうとしていた人たちの姿はなくなってる。

私が話している間に、先に行ったのか?!

時計を見る。何度見ても6時半ちかくなっている。

なぜか空港に向かうことになってる。

間に合うのか、と思考をぐるぐるまわしているところで目が覚める。

 

なぜか学校がらみが多い。

勉強ばかりやっていて、

きっと学校名をいったらへーと感心される大学に入った。

女子も一割にも満たないような学部に入った。

一生懸命勉強したのに、

入ってからの落ち込みがすごかった。

ここで学びたいと思える学校ではなかった。

今からまた別のところに行く、という選択はなかった。

 

そんな思いが今の不安と重なってでてくるのか。

 

夢の本もいろいろ読んだ。

河合隼雄さんとか、大好きな夢の本もある。

これについてもまたいつか書きたいな、と思います。

 

で、今日は、この不安と向き合ってみた。

 

「不安だ。慢性的不安」

「仕事もしてなくて、どこにもでかけないし。

友人もいない。行きたいなと思うところもなくて」

「昨日は何やってたっけ?」

 

これまでずっと思ってきたこと。

 

「そりゃー不安になるよ」

 

とひとこえかける。

 

「ここを越えられたら、どんなときでも不安と向き合えるんじゃないか」

 

という思いがわいてくる。

 

前に読んだ記事を思い出す。

すごい借金を抱えても

好きな旅にでて、そこで仲間と出会い、

最終的には自分のやりたいことを成し遂げる人の話を。

 

「どうあってもやりたいこと、自分がワクワクすることに目を向けよう」

 

ここまで持ってきたけど

それでもちょっと重いものが残ってた。

 

何をしたらワクワクするのかよくわからないし

したいこともよくわからない、という思いがあるのかもしれない。

 

ふと12年くらい前に

お話したことがあるアーティストのことを思い出す。

 

https://newfavebooks.com/interview-yb.html

 

探したらこんな記事があって。

 

会ったときも素敵な写真を撮ってる人だった。

 

その人がつくったという本が記事に載っていて見てたら

 

「あー素敵な本をつくりたいなー」

 

という思いがわいてくる。希望みたいな思い。

 

今の生活からどうやったらそこにたどりつくか

そんな夢みたいなことどうやったらできるんだ

 

とか

 

そんなこと関係なく、

ただただそう思った。

 

そしたらすごい元気がでてきた。

 

好きなもの、大好きなものを見て、感じる。

 

そういうものだけをまわりに置いておく。

 

前にこのエイブラハムさんから続く話で

HAPPYちゃんなる人の動画を見た。

(今はもうHAPPYちゃんではないらしい)

 

自分の好きなことだけしよう、と思ったんです。

 

大好きなコーヒー飲んで

カフェの大好きな席に座って

大好きな宇宙やエイブラハムさんの本を読む

わたしがやったのはそれだけです。

そういう時間を作ったんです。

そこで波動を調整していったんです。

 

といった内容だった。

 

あーこういうことなのかなと思った。

 

大好きなものを感じる。

ホッとする時間をつくる。

 

意識がようやく自分にもどれた。

 

不安がでてきたら

自分のなかに不安があるよ、と教えてくれている。

 

それをどうやってホッとにもっていけるか。

何度でもまたやってみようと思う。

 

今日も一日、雨みたいだけど、

外に出ようと思い立つ。

 

先日行われた大嘗祭でつかわれた大嘗宮が

12月はじめまで一般公開されていることを知る。

 

令和になって

いろんな儀式が行われて

それを見るたびに、

皇居という場に宿る神々みたいなものを感じていた。

三種の神器が置いてあったり。

 

だれも見てはいけない、とか。

 

大嘗祭は、人が神になるための儀式である、のようにも受け取れた。

 

受け継がれてきた霊魂みたいなものを、

新しい天皇にいれかえる、みたいな。

 

千年以上日本に守られてきたもの。

 

晴耕雨読に反して

今日は、大嘗宮を見てこようと思います。

 

すごい並んでるらしい。

寒そう。

いろんな人がいろんな罠みたいなのを仕掛けてくる。

いらない情報を平気でほいほい持ちこんでくる。

 

強い気持ちを持ってないと

大切なものがスルリとすり抜けていってしまう。

 

だからこそ何にも影響を受けない自分を作りあげることの大切さを感じる。

 

それらを笑い飛ばす力を

自分にとって大切なものを見極めて

しっかりとこの手に握っておくことを。

 

 

 

 

 

咳がピタリと止まる。

喉につまっていたいろんなものが抜けたということでしょうか。

 

さとう兄弟、ほんとうにありがとう。

いつか恩返しができるように、と思います。

 

自分のたどりつきたい未来への奇跡を起こすために今がある。過去がある。未来がある。

 

エイブラハムさんの言葉でいうと

こちらの願望のロケットを打ち上げたところ。

 

エイブラハムさんの本には

今、ホッとすること、それがVortexのなかにいることなんだ、と書かれています。

 

ホッとして楽しくあること。

うれしくあること。

 

昔は、自分の波動が上がってウキウキすると

そのあとズドーンと落ちることが多くて

ウキウキするのが怖かった。

 

今は、いつだってウキウキしていいんだ、

という気持ちにようやくたどりつくことができた。

 

十年以上かかった。

 

現実がどう動くのかを楽しみにしていたい。

 

今日も昨日も、なーんにも、予定も、なーんにもない。

前なら焦って不安で、自分を責めて、ぐーっと落ち込んでたけど

今は、わーい、おだやかな日々だーとうれしくなってる自分がいる。

 

朝起きて、

「残りは中華系ポルトガル人。

彼女を克服できたら、

自分は無敵じゃないか!」と思い立つ。

 

中華系ポルトガル人とは、今、週一日、二日だけ働いているところの人。

 

そう思って

中華系ポルトガル人のことを思い出したら

急に恐ろしくなって、凍りついた。

やだー。仕事に行きたくないなーって。

 

つぎに仕事に行くのはまだまだ数日後なのに。

 

で考えた。

 

エイブラハムさん(人ではないのだけど)のお話では

ホッとするとき、人はVortexのなかにいて

その流れのなかにいたら、すべてのことはうまく流れていく、とある。

 

今が、うまくいってなくても

ホッとする気持ちに自分をもっていく、それが大切だと。

 

中華系ポルトガル人への恐怖をホッに持っていくにはどうしたらいいか。

 

自分の気持ちをたどってみる。

 

「あまりに恐ろしいからもうやめたい」

「でも、微々たる金額でも入ってくるお金が一切なくなる」

 

不安にのみこまれそう。

 

「人の波動に乗らない!という練習なんだよ」

「このことには、自分が克服する何かが含まれているんじゃないか?」

 

そんなのわかってるけど

恐ろしいんだよー。

 

「その人の出す波動が強いなら、自分の出す波動をその人くらいに大きくしたらいいんじゃないか」

 

「相当強烈な人ばかりといた、ということは、自分がそれに対応できるくらいの大きな波動を出すことができる、ということじゃないか」

 

という思いにいたったところで

ちょっとホッがでてくる。

そっか。そっか。そっかーって。

 

「そうだとしたら自分の出す波動はおだやかで愛にあふれる、

ちょっとユーモアに包まれた波動をだしたい」

 

気持ちが軽くなった。

つぎに行くときは、そんな気持ちで挑んでみようと思います。

 

無敵を目指して。

 

 

昨日の夜、ボーッとテレビを見てたら

海外からやってきた

日本女子チームのバレーボールコーチが

日本の子どもたちにレッスンをする、

という番組がやってる。

 

「奇跡のレッスン」

 

そのなかで、コーチが子どもたちに一番はじめに話した言葉

 

I am unique. I am special.

I don't compare myself with the others.

I am trying to be my BEST VERSION.

 

そして

 

朝起きたとき、

今日がはじまったことをワクワクして

明日のレッスンにきてください、

 

という。

 

なんだか今の自分に送られた言葉のような気持ちになる。

 

自分はとてもおもしろいんだよ。

自分は特別な人間なんだ。

だれかと比べたりしない。

いつでも自分の一番であるように、挑んでいるんだ。

 

時々、

 

こうやって

 

自分を励ましてくれる言葉を見かけるときがある。

 

すこし前には

電車のなかで見た

 

「love yourself」

 

自分へのメッセージだーとか

いやいやそうじゃないでしょーとかは

 

どうでもよくて

 

なによりもその言葉によってうれしくなることに感謝して

 

朝、今日のはじまりにワクワクして起きてみました。

 

そうだ。

 

眠るときもワクワクして寝てみよう。

 

図書館から予約していた本が届いたというお知らせ。

並木良和さん、という人の本。

名前はずっと見ていたけれど、

知ったのは、2019年の秋分。

たまたま人に教えてもらう。

 

これからの世界は二極化が起こるということ、

どちらの列車に乗るかを決めるのに、今がとても大切だ、ということ。

などなど。

 

これも自分に届いたメッセージなのか

そうじゃないのか、

というよりも

二極化、そうなったらとてもおもしろいので、いろいろ調べはじめた。

 

秋分の日には、

地球に宇宙からの使者がいっぱい乗った船がやってきている、とのことで

並木さんが唱えるシフト!のワークをやる。

 

シフト!シフト!シフト!って

 

これについてはまた別の機会に。

 

世界は不思議で満ちている。

 

今日は朝から冷たい雨が降っている。

しとしとしとしと。

 

晴耕雨読ということで。

今日は家で静かに本を読もうと思います。