31心が先か、身体が先か | i am in the vortex

i am in the vortex

ヴォルテックスに入って「自分の夢を実現する」奇跡の体験をつづります

立春をすぎて新しい年の流れがはじまっているのを感じています。

 

「中華系ポルトガル人」という名の

中国大陸を横断しようと思っていたけれど、

新型ウイルスの拡大と呼応するかのように

ついに自分の身体に異変が起きてきました。

 

後頭部が痛い。

のどがしめつけられる。

眠れない。

 

今週に入り

ついには、集中力が散漫になって

未来を想ったり

イメージする気力がまったくなくなっていました。

 

 

どうしたんだろう。

またもとに戻ってしまったんだろうか、

不安がやってきます。

もとあった思考がよみがえってくるようでした。

 

自分のなかにある痛み、違和感を

身体のすみずみにまで感じてみました。

そして、

あっこの感覚いつか感じたことがある、

と思い出したのです。

 

 

昨年の11月、前にやっていた仕事を辞めたあとのこと、

https://ameblo.jp/iaminthevortex/entry-12547335442.html​​​​​​​

 

それまで自分のなかに押し殺していたものが

身体からいっきょに噴き出されたように

声がでなくなり

咳で眠れなくなりました。

あのときの頭の重さと同じだ、と。

 

自分のなかに抱えてしまっていたものを

ようやく痛みとして感じられたあのとき。

 

整体師のさとう兄弟にほぐしてもらったのに

自分はまた同じことしてしまったんだと気づく。

 

さとう兄弟がいうには

わたしの場合、

威圧的な人の前で、すべてを押し殺してしまうところがある。

すると胸を閉じて、息ができてない状態になる、

胸が閉じられているので

頭だけで考えるようになり

頭がフル回転状態になる。

後頭部が痛くなる。

のどに言えないすべてをためることになるので

しめつけられるような感覚になる、

という癖みたいなのがある、とのことでした。

 

それまで気づくこともなかった

自分の癖をようやく自覚できたのかもしれないのです。

自分が無意識に持っていた波動というのでしょうか。

 

「抑圧的な人の前で恐怖から自分を押し殺してしまう」

「苦しいことを苦しいと気づけない」

「お金の不安からか、そこから抜け出せない」

 

お金に対しても

 

「楽しいことしてお金は稼げない」

「お金をいっぱいもらってはいけないんだ」

「自分を生かして、自分の意見を言うことなんてしてはいけない」

 

そういうものがずっとあったということに気づきました。

 

これまで会う会う人、

抑圧的な人が多く、

最後ボロボロになるまで気づかない、

このパターンを繰り返してきました。

 

今、思い出すだけでも四人くらいの顔が浮かんできます。

 

終わっていいんだ、これ。

そう思った瞬間

ようやく自分の感覚に蘇り繋がってきました。

 

中華系ポルトガル人はその最後の人。

 

こりかたまった頭をマッサージしてほぐしはじめる。

すると、頭だけではなく

身体のあちこちが痛いことに気づく。

腰、背中。

ずっとずっと痛かったんだ。

 

 

心が痛みを持ったとき

身体をゆがめて自分を一生懸命守ろうとしてくれます。

そうして身体のゆがみが

限界となり悲鳴をあげたとき

人はそれをはじめて「病気」として認識することになるのかもしれないです。

病気になってようやく人は

自分の奥にあった心の痛みに気ずくことになるのかもしれないです。

 

身体がどんどんゆがんでいくと

そのゆがみは、

また心に戻って

影響を及ぼしはじめます。

 

ずっとずっとワクワクしてきたのに

なぜかすべてがどうでもよくなっていました。

 

波動を高く保つ?!

未来を想う?

イメージする?

 

すべてが面倒に感じるようになっていました。

 

自分だけがどうしてこんな目にあうんだ、

と自分で自分を責めていました。

 

 

ホッとするはずの心が

ワクワクするはずの心がゆがみで押しつぶされていました。

 

 

前世で悪い大地主にこき使われていた記憶でもあるのでしょうか。

代官様にいじめられていた記憶でもあるのでしょうか。

 

そのような人たちから

逃れられないのは

いつもお金の不安からでした。

 

「お主も悪よのお」といってニヒニヒと笑っている

越後屋と悪代官の顔が浮かびます。

 

 

「わたしは心穏やかな人たちといたいんだ」

「わたしはほんとうに自分がやりたいことをやりたいんだ」

 

という心の声。

 

「お金も大丈夫なんだ」

「楽しいことしてお金稼いでもいいんだ」

「自分のやりたいことやってお金いっぱい稼いでいいんだ」

 

という思い。

 

お金についてもずっとずっと心配してきました。

 

「はたらけどはたらけど

なお我がくらし楽にならざり、

ぢいと手をみる」石川啄木さんの気持ちでした。

 

どうやったらいっぱい手に入るのかわかりませんでした。

今ある少ないお金をいかに守るか、そのことだけを考えてきました。

 

この数ヶ月、ヴォルテックスを感じたり

本を読んだりしながら、思ったのは

「お金」とは道で配ってるティッシュみたいなものなのかもしれません。

ティッシュが欲しいなと思ったら

道で配ってるティッシュが、ふっと差しだされる。

「ちょうど今、欲しかったところです。

ありがとうございます」

と心でいって受け取ります。

 

お金もそういうもののなのかな、と。

 

世の中に出まわってるお金がある。

お金が欲しいな、と思ったら

ほい、と

どこから差し出される、

そういうものなのかもしれないなと思うのです。

 

だから心配しなくてもいいんだ。

お金欲しいなと思ったらまわってくる。

そういうものなのかもしれないです。

 

そんな気持ちでお金とむきあってみようと思います。

 

 

身体からのサインをようやくしっかりと受け止めることができたのかもしれません。

自分のなかに残っていた癖に気づくことができたのかもしれません。

 

改めて未来へのイメージを描きはじめることにしました。

 

すべてはイメージから

未来を想う気持ちからはじまります。

 

もう大丈夫だよって。

 

 

新型ウィルスが大変なことになっています。

今、この時に広がったのも

なにかのメッセージかと感じながら。

 

大陸横断はべつの機会に

もっと楽しい形でやりたいと思います。

 

 

「中華系ポルトガル人との仕事を終わりにします」

 

立春を迎え

大きな決断をすることができました。

 

そして自分の心の声に、身体の声に一番に耳を傾けてあげること。

 

(このまま行くと中国大陸横断日記になりそうだったので

ちょうど良かったのかもしれないです。)