三河人大学生の一言

Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 最初次のページへ >>

バイオハザードⅢ

バイオハザードⅢの試写会に行ってきました!その感想を書きます。


自分は、Ⅰ、Ⅱを見ていなかったので、理解できるか心配でしたが


「そんなのカンケーない」って感じでした。


もちろん、前作からの引き続きの部分もありますが、この映画の醍醐味は


ミラ扮するアリスがゾンビをバッサバッサと切っていく、撃っていく爽快感だと


思うので。


あと、迫力も相当ありましたよ。映像はもちろんですが、音が迫力と恐怖感を


増長させてくれます。なので、ぜひ映画館で見てほしいと思いますね。




故郷が故郷でなくなる日

 

いつもと同じ愛知の風景だった。豊橋のホームに下りると、いつも通り少し肌寒さを感じた。ヒートアイランド現象のせいなのか、いつもそう感じる。いつもと同じ名鉄の電車とバスを乗り継ぎ、家に帰る。翌朝の朝食の味噌汁は赤味噌、これもいつもの愛知。満腹になると中日新聞を広げる。



 しかし、そこにはいつもと違う愛知があった。かにの形をした愛知県の全体図、その甲羅の大部分が切り抜かれ、豊田市の文字。同時に、足助町など周辺6町村の名が地図から消しさられた。



 2006年5月現在、いわゆる「平成の大合併」が一段落し、1999年3月末に全国で3232あった市町村は、1820にまで減少した。確かに市町村合併にはいくつかのメリットがある、しかしそのデメリットは十分検討されたと言えるだろうか。



 政府の地方制度調査会によると、合併のメリットは①各種サービスの享受や公共施設の利用等が広域的に可能となり住民の利便性が向上する②広域的な視点に立った街作りが可能となる③行政組織の合理化、などである。確かに、財政の合理化や、行政サービスの充実は地方分権を進めていく上で重要な要素であることは間違いない、だからといって地方分権=市町村合併というのはあまりに短絡的だ。



 そもそも地方分権の本質は、画一的で集権的な行政の時代に終わりを告げ、地域の裁量で住民が欲することを行うことである。つまり、行政がいかに合理化されようとも、住民が参加した「住民自治」でなければ、その本質は達成されない。市町村合併はその大前提を見逃してはいないか。



 自治体合併により地方分権を促進させた成功例としてデンマークが挙げられるが、住民数との対比で見れば、自治体の数はまだまだ多いといえる。デンマークの人口は千葉県のそれとほぼ同じであるが、デンマークの自治体の数は千葉県の3.5倍であり、そのほとんどの人口が2万以下である。しかし、豊田市の人口は今回の合併により約50万人となった。はたして住民自治を目指すのに、この数が適切であるのか疑問だ。



 かつての2回の大合併(~1889、~1961)により、住民の地元に対する愛着が薄くなったといってもよいが、それが中央政府の狙いでもあった。とりわけ明治中期の大合併は、住民を市町村の意思決定の場から遠ざけることを大きな目的としていた。今回政府にこのような意図はないにしても、この歴史を繰り返してはいけない。



 旧足助町に住む友人に、豊田になって何か変わったか尋ねると、「何も変わらない」と、どこか物寂しげに答えた。足助といえばこの地区一番の紅葉の名所だがその名は地図から消えた。地域の歴史や文化への愛着、地域の連帯感が薄まれば、自らの地域の行政に参加していこうという意識も希薄になろうことは言うまでもない。



 岡崎城の天主に久々に上った。家康が見ていたのと同じ景色だ。そこにはいつもの岡崎市が広がる。はたしてこの街はどのように変わり、またどのように変わらないでいてくれるのだろうか。







山椒魚

 山椒魚がマイブームだ。別に飼おうとか思っているわけではない。最近本をよく読むのだが城山三郎の経済小説が面白い。「毎日が日曜日」、「官僚たちの夏」が特に有名だが、短編コラムも面白い。以下はその一説。

 山椒魚は両生類の中でも最古の部類に入る。動きは鈍く、肉は白身でおいしい(らしい)。ところが、ほかの両生類はあとから発生したハ虫類の餌食になって絶滅していったのに、格好の餌食であるはずの山椒魚は絶滅を免れた▼なぜか。それは、山椒魚の産卵期が他の生物と全く異なり、真冬だったからだそうだ。真冬は子育てするには厳しい時期だが、同時に天敵の活動しない時期でもある。「自分だけの時計」を持っていた山椒魚はこうして絶滅することなく、現在に至っている(「打たれ強く生きる」城山三郎著、新潮文庫より)▼

 

 さらに、山椒魚といえば井伏鱒二の「山椒魚」を連想されるかたも多いだろう。

山椒魚は悲しんだで始まるこの小説の内容は、ある日居心地のよい岩屋を見つけ、2年間その中で過ごす。しかし、成長した山椒魚は頭がつかえここから出れなくなってしまった。


 2つの作品から言えることは「今やらなければいけない」ということ。「自分の時計」を持ち、人のやらない今だからやること。さもなくば、岩屋に挟まり手遅れになってしまうのだ。

甲府戦観戦記2

 結局、甲府と清水のファンの比は6対4ほど。当日地元紙に折り込まれていた青い紙を掲げ、スタジアムを青く染める甲府。

清水も負けずに声援を送る。



 いつものでかいJALユニホームが出てこないなあ。鈴与にかわったから?それとも単に狭くて広げられないのかな?


 試合開始!


 試合は終止甲府ペースで進むが、13分ジェジンが山西のロングフィードに抜け出し、角度の無い所から強烈なシュートを決め先制。


 ジェジンゴール ジェジンゴール ジェジンゴーーーーール ららららーららららららー


 しかし、清水はミスが目立ちそれ以外は全く決定機を作れぬまま前半終了。


 後半も甲府がぺースをにぎり、攻勢をかけるが、清水の守備陣がギリギリのところで体を張ったディフェンスで失点を防ぐ。


 そして81分リスクを負って攻めてきた甲府の薄くなった守備をカウンターで破り、枝村のゴール。


 その後西部のか神掛り的なセーブを繰り返し、何とか2-0で終了。



 開幕戦を勝利で飾れて、まあ一安心ですね。ただ内容を見る限り5位以上という目標には黄色信号が灯ったように思える。一方甲府は敗れたものの、今年の躍進に期待が持てる内容であった。


 甲府はバレーが徹底してサイドに流れながらの裏への飛び出し、ボールをキープすると、1.5列目の長谷川、宇留野がその周りを動き回り、守備陣をかく乱してチャンスを作った。90分間それを繰り返した。


 一方の清水には攻撃に一貫した意図が見られなかった。ジェジンが引いてボールを受け、マルキが走るというのが基本系になるとは思うが、それが徹底されておらず、中盤と前線のパスの繋がなかった。その結果、決定機は3度ほどしか作れなかった。


 しかし、評価できる部分もある。まずは甲府の猛攻をしのぎきった守備陣と西野。そして少ない決定機を確実に得点につなげたこと。



まあ、今年の清水に期待できるかどうかは次節次第といったところでしょうか。



がんばれエスパルス!


オーオオオオ 名古屋を倒せ  オーオオオオ 名古屋を倒せ!!



甲府戦観戦記1

 甲府対清水の試合に行ってきました!


 現在僕は横浜に住んでいるのですが、甲府って以外に近いんですね。横浜から乗り換えの時間を含め約3時間。横浜駅から特急「はまかいじ」に乗れば乗り換えなしで2時間です。もしかしたら日本平より近いかも。


 


 線路沿いには雪がたくさん残っており、また車内はスキーのストックを持った人が多くまだまだ甲府は寒いのかと不安になりました。しかし、それは杞憂に終わりました。暖かいこと暖かいこと。寒いのは山間部だけで甲府盆地内はかなり暖かい。そういえば日本での最高気温を記録したのは山形盆地だったっけ?勉強不足ですね。


 

 

 甲府の街は今日の試合を待ちわびてましたぁ、って雰囲気。ヴァンフォーレ一色。朝昼兼の食事を駅前のマックで済ましたんですが、今日甲府が勝つと200円引きらしい。でも残念今日は清水が勝つモーン。


 すこし余裕があったので、武田神社で必勝祈願。しっかり二礼、二泊、一礼。ここは武田信玄の館があった場所。でもそもそも、ヴァンフォーレは仏語で風と森という意味で、信玄の風林火山の旗に由来するらしい。はたして、信玄にお願いして効果あるんか?


 その語シャトルバスを待っているとNHKのカメラが近づいてくるではないか。となりで待ってたエスパサポの人が取材されてました。セーフ~。まあとにかくメディアの注目度も高いんですね。


 そして、開門前にスタジアムに到着。すでに長蛇の列が。しまった~武田神社言ってる場合じゃなかった。まあ何とか席は確保できましたが、チケット完売だけあって清水側は立ち見も出るほど。甲府側の自由席より人入ってるんじゃないの?入場者数は1万4千とほぼ満員。


 山梨のみなさんはなかなかの商売上手で、地酒、地ワインを売店で売っており、試合前からほろ酔いのエスパサポ。まさか敵の策略?


 いよいよ試合開始が迫ってきました。スタメン発表!「FW  チョ、ジェジュン」    

っておいおい。ジェジュンって……   まだまだJ1にも慣れてないみたいだな。ぶーぶーいってるエスパサポ。


 肝心の試合内容は、また書きます!


 





やるべきことは

 堀江氏のメール問題など、4点セットが完全に腰砕けになってしまった民主党。前原氏は自らの果たすべき役割は何か再考すべきだ。


 今回民主党はメール問題、耐震偽造問題といったスキャンダラスな問題で野党を批判する作戦をとった。これは万年野党であった社会党をほうふつとさせ、前原氏らしくないといわざるを得ない。


 前原氏は代表就任当初、対案路線と、改革で一致する部分では自民とも協力するという、2つのスタンスが国民の期待を集めた。それらはどこにいってしまったのか。


 前原民主が信頼を回復するためには、もう一度初心にもどる必要がある。幸いなことに、残りの会期には、国民投票法案や教育基本法改正、行革推進法など改革へ向け重要な課題が山積みである。自民案に単に反対するだけでなく、対案を提示し、議論を戦わせることで、国民の信頼を取り戻して欲しい。


 


 

フィリピンはピープルパワーを脱却せよ

 フィリピンで反アロヨの大規模なデモが起こった。フィリピンでは過去に二回この種の反政権デモが無血クーデターにつながる、いわゆるピープルパワー革命が起こっている。ただ今回は過去二回のように政権転覆につながるような事態にはならなかった。


 この背景として、反アロヨの指導者達のなかからは、成熟した民主主義国家を目指すフィリピンにとってこのような超法規的な方法はふさわしくなく、法的に正当な手続きで政権交代が行われるべきであるという、ピープルパワー慎重論が出ていたことがある。


 首の皮一枚でつながつたアロヨ氏だが、これを幸いにとばかりに反政権派の弾圧を強化するようでは本末転倒だ。ラモス元大統領が主張するように議院内閣制を導入するなど、法的な手続きをとおしアロヨ派と反アロヨ派が民主主義的な形で戦えるようにすべきである。フィリピンが成熟した民主主義国家になれるかどうかはアロヨ氏の手にかかっている。

そうだ甲府へ行こう

今週末は甲府へ行きます。なぜなら待ちに待ったJリーグの開幕だから~

会場は小瀬陸上競技場。ヴァンフォーレのJ1初戦なおかつ小倉選手の引退セレモニーということもあってホーム側の席は売り切れ続出。少し不安だったがなんとかアウェー側の自由席のチケットを確保。


どうやら芝生席らしい。まだまだ甲府盆地は寒そうだ。

まあ温泉でも入って帰ってこようかな。


元旦の雪辱からはや3ヶ月。

オーオオオオー 甲府を倒せ オーオオオオー 甲府を倒せ!!


また観戦記でも書きます。

憲法九条改正 賛成?反対?   thinkアメーバより

  憲法改正に賛成だ。反対派の主張は「非武装中立、戦争放棄の憲法の理念が戦後60年間の日本の発展と安全を保障した」というものだ。


 では反対派の方に尋ねたい。果たしていつ日本が非武装中立であったであろうか。表面的に見ても自衛隊という組織が存在している。そのうえ日本は経済、技術大国であるうえ、日米同盟という大きな後ろ盾を持っており潜在的な軍事大国であったと言っても過言ではない。さらに、日本は冷戦構造の中で西側陣営に明確に所属しており中立でもなかった。


 現在でも日本は潜在的軍事大国であることは変わりなく、現行憲法は現状と乖離しているといえる。例えば、憲法前文には「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。憲法公布当時にはわざわざ荒廃した日本の安全を脅かす国家は無く、公正と信義に信頼していればよかった。しかし、現在ではわが国の周辺にはたくさんの脅威が存在している。金正日政権を信頼だけしてみても、わが国の安全は確保できないことは言うまでもない。


 憲法改正は日本を戦争に行ける国にすることだと考える方がいるかもしれないが、決してそうではない。現実と乖離した憲法と現実との整合性を取る作業にすぎない。もちろん完璧な非武装と戦争放棄は究極の理想ではある。しかし国の最高法規である憲法が理想だけを掲げ現実を無視していては大いに困ってしまう。メディア等に煽られて、憲法改正を恐怖と認識することは全くのナンセンスだ。

自由と責任

 自由には責任が伴う、そんなことは言うまでも無い。しかし、自由の意味を何か取り違えていないかと思うようなことが最近よくある。


 ムハンマドの風刺画問題もそのひとつだ。確かに表現の自由は民主主義を健全な形で機能させていくためには必要不可欠なものではあるが、他の自由権同様大きな責任を伴うものである。この問題のように表現の自由を盾に無責任かつ悪意ある報道を行えば、人々の間に表現の自由への不信感が高まり、これを制限しようという動きにつながることを想像するのは容易い。つまり、メディアがみだりに表現の自由を振りかざせば、自らその価値をおとしめることとなる。

 国内においては、文藝春秋が田中真紀子議員の長女のプライバシーを侵害したとして出版指し止めの仮処分を受け、春秋側は表現の自由の侵害だと反発したことは記憶に新しいが、これも同様なことがいえる。


 さらに、近年ではこの種の問題では、メディアの敗訴率が高まっている。これは国民の間にプライバシー

の意識が高まっているためだと考えられる。このような状況の中ではメディアはなおさらに軽率な報道を控えるべきだ。


 今回の事件では欧州のメディアが次々と風刺画を転載した中、日本のメディアがそうしなかったことは高く評価できる。今後も責任ある報道で、報道の自由の価値を守っていってほしいものだ。


1 | 2 | 3 | 4 | 最初次のページへ >>