故郷が故郷でなくなる日 | 三河人大学生の一言

故郷が故郷でなくなる日

 

いつもと同じ愛知の風景だった。豊橋のホームに下りると、いつも通り少し肌寒さを感じた。ヒートアイランド現象のせいなのか、いつもそう感じる。いつもと同じ名鉄の電車とバスを乗り継ぎ、家に帰る。翌朝の朝食の味噌汁は赤味噌、これもいつもの愛知。満腹になると中日新聞を広げる。



 しかし、そこにはいつもと違う愛知があった。かにの形をした愛知県の全体図、その甲羅の大部分が切り抜かれ、豊田市の文字。同時に、足助町など周辺6町村の名が地図から消しさられた。



 2006年5月現在、いわゆる「平成の大合併」が一段落し、1999年3月末に全国で3232あった市町村は、1820にまで減少した。確かに市町村合併にはいくつかのメリットがある、しかしそのデメリットは十分検討されたと言えるだろうか。



 政府の地方制度調査会によると、合併のメリットは①各種サービスの享受や公共施設の利用等が広域的に可能となり住民の利便性が向上する②広域的な視点に立った街作りが可能となる③行政組織の合理化、などである。確かに、財政の合理化や、行政サービスの充実は地方分権を進めていく上で重要な要素であることは間違いない、だからといって地方分権=市町村合併というのはあまりに短絡的だ。



 そもそも地方分権の本質は、画一的で集権的な行政の時代に終わりを告げ、地域の裁量で住民が欲することを行うことである。つまり、行政がいかに合理化されようとも、住民が参加した「住民自治」でなければ、その本質は達成されない。市町村合併はその大前提を見逃してはいないか。



 自治体合併により地方分権を促進させた成功例としてデンマークが挙げられるが、住民数との対比で見れば、自治体の数はまだまだ多いといえる。デンマークの人口は千葉県のそれとほぼ同じであるが、デンマークの自治体の数は千葉県の3.5倍であり、そのほとんどの人口が2万以下である。しかし、豊田市の人口は今回の合併により約50万人となった。はたして住民自治を目指すのに、この数が適切であるのか疑問だ。



 かつての2回の大合併(~1889、~1961)により、住民の地元に対する愛着が薄くなったといってもよいが、それが中央政府の狙いでもあった。とりわけ明治中期の大合併は、住民を市町村の意思決定の場から遠ざけることを大きな目的としていた。今回政府にこのような意図はないにしても、この歴史を繰り返してはいけない。



 旧足助町に住む友人に、豊田になって何か変わったか尋ねると、「何も変わらない」と、どこか物寂しげに答えた。足助といえばこの地区一番の紅葉の名所だがその名は地図から消えた。地域の歴史や文化への愛着、地域の連帯感が薄まれば、自らの地域の行政に参加していこうという意識も希薄になろうことは言うまでもない。



 岡崎城の天主に久々に上った。家康が見ていたのと同じ景色だ。そこにはいつもの岡崎市が広がる。はたしてこの街はどのように変わり、またどのように変わらないでいてくれるのだろうか。