自由と責任 | 三河人大学生の一言

自由と責任

 自由には責任が伴う、そんなことは言うまでも無い。しかし、自由の意味を何か取り違えていないかと思うようなことが最近よくある。


 ムハンマドの風刺画問題もそのひとつだ。確かに表現の自由は民主主義を健全な形で機能させていくためには必要不可欠なものではあるが、他の自由権同様大きな責任を伴うものである。この問題のように表現の自由を盾に無責任かつ悪意ある報道を行えば、人々の間に表現の自由への不信感が高まり、これを制限しようという動きにつながることを想像するのは容易い。つまり、メディアがみだりに表現の自由を振りかざせば、自らその価値をおとしめることとなる。

 国内においては、文藝春秋が田中真紀子議員の長女のプライバシーを侵害したとして出版指し止めの仮処分を受け、春秋側は表現の自由の侵害だと反発したことは記憶に新しいが、これも同様なことがいえる。


 さらに、近年ではこの種の問題では、メディアの敗訴率が高まっている。これは国民の間にプライバシー

の意識が高まっているためだと考えられる。このような状況の中ではメディアはなおさらに軽率な報道を控えるべきだ。


 今回の事件では欧州のメディアが次々と風刺画を転載した中、日本のメディアがそうしなかったことは高く評価できる。今後も責任ある報道で、報道の自由の価値を守っていってほしいものだ。