羽田を夜の9時から10時30分くらいの間に離陸し、北太平洋上で夜明けを迎えて到着するアラスカのアンカレッジ国際空港は、6時間ほど前に飛び立った東京に比べれば何とものどかなで広々とした佇まいでした。30年~40年前の東京も羽田空港も今と比べれば随分とゆったりと時間が流れていたような気がしますが、それでもアンカレッジに着くと別世界の静けさがありました。

 ここで小一時間給油した後は、北極を横断するフライトが始まります。空港で買った新聞を広げ売店で買ったチョコレートをほおばると、今いたところは合衆国だったのだと改めて気づきます。コペンハーゲン行きなどはほぼ極点の上を通過しまいたが、ロンドン行きなどはグリーンランド寄りに飛行したかと思います。下は一面北極の氷の世界で、ヘッドセットでクラシック音楽などを聞いていると幻想的な気分になれたものです。当時の機内のヘッドセットは空気の振動を耳に直接伝える仕組みのビニール製チューブのような作りでした。

 到着は決まった明け方です。ヨーロッパ特有の朝もやの中をアプローチして、いつしか車輪が滑走路に着いた振動が伝わってきます。寝不足で少々ぼーとした心身をゆり動かして、静かな空港内で入国検査を終えてタクシーが待つ車寄せへ。市街に向かう車中ではすっかり夜が明けて、自分がヨーロッパにいることを実感したものです。


 かつてコンベア880というジェット機が活躍した時代がありました。身近なところでは、日本航空が国内線と近距離国際線の機材として運行していました。ターボファンエンジンの音がやかましく、黒煙を引きながらアプローチする姿が忘れられません。
 当時の国際線花形旅客機のボーイング707とダグラスDCー8の良いところを合体させるような狙いがあったと聞きますが、凝り過ぎた設計と離着陸性能が余り良くなく、結局世界で65機しか製造されませんでした。日本航空機も訓練中に大きな事故を起こし、犠牲者を出しています。SAKURA,KIKYOといった花の名前がにつけられていました。
 日本以外ではキャセイ航空が主力機として使っていて、昭和40年代の羽田ではよく見かける機体でした。
 コンベア880はボーイングとダグラスの旅客機に押されて商業的には成功しませんでしたが、私のような飛行機好きには忘れられない異色の旅客機です。
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 ボーイング727といえば、私の子供時代から青年期まで、中短距離ジェット旅客機の花形でした。全日空が最初に導入し、続いて日本航空、後に東亜国内航空など、日本の空でも大いに活躍しました。
 3発のエンジンを機体後部に配置し、T字翼と鋭い後退角の主翼を持つ得々の外観も注目の的でした。
 就航当初はアメリカで事故が相次ぎ、日本でも昭和41年に全日空機が羽田沖で墜落ました。事故原因はさまざまで、未だに謎に包まれた事故もありますが、戦闘機のような俊敏な飛行性能に、プロペラ機から移行したパイロットが当初ついてゆくのが難しかったのが事故の1要因ではないかとの話もあります。
 日本では80年代後半に早々と退役しましたが、アメリカなどではその後も現役で、私は90年代後半に南アフリカで搭乗したのが最後です。
 日本にはかつて国際線として飛来したボーイング727もありました。私が覚えている範囲では、エアーベトナムや大韓航空のルートがありました。 私にとって、ボーイング727は今や憧れと郷愁が交錯した思い出の旅客機です。
 
全日空商事 1/500 B727-200 モヒカン 昭和53年/全日空商事
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