大阪移住2年 | りゅーき@釣行日和

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【設立2013年03月】シーバス釣行記ですが日常の徒然も。【更新2021年12月】故郷横浜を離れ大阪に移住。


横浜から大阪に移住して、丸2年になりました。早いもんですねぇ。もう2年になるのかと。家族は半年先に既に大阪で生活を始めましたので、その間、僕は単身赴任をしてました。

当時、住んでた横浜から勤務先の千葉に引越をして『やっと生活リズムが掴めたかな?』と思ったら今度は大阪に転勤と。あの頃は慌ただしかったですね。

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単身赴任は僅か半年でしたが、それでも家族と離れた生活は味気なく寂しいもんでした。家族と暮らせるのはいつだろうと、漠然と考えてたら突然の転勤。大誤算でしたが、嬉しかったですね。

あれから2年。当時は新鮮だった家族との日常も、今では当たりに感じて。少しづつですが、感謝や感動の気持ちが薄れてるように思います。『初心忘れるべからず』じゃないですが、気を付けたいですね。


自分のブログを振り返ってたら、大阪に移住して1年経った頃のものがありました。今読み返しても、ホントに単身赴任がつまらなかったんだなと、我ながら豆腐メンタルに苦笑します。

ブログの中で『大阪2年目を〜』という意気込みを書き留めてました。さて、この1年を振り返って何かパワーアップしたかな?と考えました。

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自分でも意外だったのが、地域社会との交わりです。当初は、そう簡単に地域社会には馴染めんだろうと。ましてや、ご近所付き合いとか子供を通じたパパ友とか、そんなのは自分には無理だろうと。

ところが、我が子たちの活動から徐々に地域社会への参加となり、思った以上の交流が生まれました。さすがにパパ友とはいきませんが、それでも立ち話をする間柄になりましたんで。

長男はイベント事に積極的に参加します。思えば小さい頃からそうで、今でもPTAや学校行事に喜んで参加します。今年7月に参加したキックベース大会もそうで、小4〜小6が参加資格の地域小学校の対抗イベントでした。

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我が子たちがこの大会に参加した事で、僕も練習に参加するようになりました。そこから少年野球団の子供たちや父兄との交流も生まれ、近所で顔馴染みが増えました。

ちなみに、キックベースには次男を無理矢理参加させました。次男は小3なので参加資格はないものの、興味を持っていたからお手伝だけでもと思いまして。

結果的にこの参加が功を奏して、我が子たちと少年野球の上級生との交流が生まれ、野球への関心が高まった訳です。そう考えると、我が子たちを野球に向かわせた主犯は僕なのかもしれませんね。

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2年前の兄弟
次男小1 / 長男小3

1年前の兄弟
長男小4 / 次男小2

今年の兄弟
長男小5 / 次男小3

何も分からないままの1年目は、何処か観光気分もあったのかなと。奥さんの実家が大阪とはいえ、家族で大阪観光なんていう機会は少なかったですから。とにかく満喫しよう的なところがあったと思います。

観光ブームが一巡したところでの2年目。課題に考えてたのが人間関係です。関東人の僕には、大阪に友人はいませんので何かないかなぁと。釣り関係や奥さん絡みで交流という線がどうかなぁと。

それが、まさかの子供を通じた学校関係とは驚きです。まずないだろうと思ってましたので。もちろん、積極的な交流がある訳じゃないですが、知り合いがこうもできるとは思いませんでしたね。


我が子たちの友達関係も把握しやすくなりました。何せ友達の両親を知ってる訳ですから、安心感がありますよね。学校行事に参加しても、誰となく『長男君が◯◯してるよ』とか『もうすぐ次男君の出番だよ』と声を掛けてくれます。

1年生から6年生まで顔見知りの子供がいますから、ある意味、地域社会で子供の面倒をみてる感じになるんでしょうか。何か昭和の地域みたいに思えて、ノスタルジックになりますね。

この先、いい面ばかりじゃないとは思いますが、できる限りいい環境であればなと。そうなると、色々と学校行事などにも積極的にならないとダメでしょうし、それはそれで大変でしょうね。


大阪移住2年目は、予想しなかった展開となりました。ただ、考えてみれば家族の主役が子供に移りつつありますから、子供発の人間関係ってのは当然の流れなんでしょう。

となると、家族の存在はやはり大きいですね。日常が忙しいんで些細な感謝を忘れがちですが、単身赴任の頃を思うと家族はかけがえのない存在です。なかなか綺麗ごとばかりじゃないですけど。

さて、大阪移住3年目です。長男は6年生になりますから、ライフイベント的にもひとつの節目を迎えます。どんな3年目になりますかねぇ(笑)。