やはり茶杓は難しい
先日、東京美術倶楽部の正札市に行ったおりのことです。 なじみの道具屋さんに会ったので、「何か珍しい物はあるかね?」と言ったら。「これと言ってありませんが。明治の頃の大徳寺の茶杓があります」という返事。「明治の頃って牧宗?」。大徳寺も幕末までは、宙宝とか大綱とか茶の湯好きな和尚さんが茶杓を削っていますが、明治に入って茶の湯が衰えると、茶杓を削る人もなくなり、大正時代の伝衣老師が作るまで、茶杓は見たことがありません。唯一、明治初期の二代管長で、茶の湯好きだった牧宗和尚に茶杓があると聞いた覚えがあるだけです。「いえ、もう少し後の人で。とにかくご覧になって下さい」。見てみると、大道宗安という人の作です。全く知らない坊さんですが、大徳寺の四百七十二代住職で、明治三十一年に亡くなった人だという。「ご承知のように、この時代の大徳寺の茶杓は全く珍しいんです。有名な人でもなし、贋作ということはあり得ません」。その通りですが、さて、珍品といっても、果たして使えるか。大体、茶杓は銘が大切とされます。銘によって、使いどころは、季節や趣向で決まるわけで、うまく嵌れば、客もあっと感心するわけですが、同時に作者も大切です。利休、遠州なら勿論、名のある茶人、風流人だと「おう、あの人が作ったのか」と感心もするし、感慨もひとしおとなるわけですが、誰だかよくわからない人の作では、銘でも気が利いていないと、どうしても値打ちが下がって見えてしまうのが世の常です。この茶杓、銘は「山家」と、ひどく使いにくくもなさそうですが、いかんせん、作者が大徳寺住職というブランドはあっても、あまりに無名。古いといっても百三十年ほど前というのも、茶の湯では中途半端。珍品といっても、要するに茶道退廃期だからという理由。十年前の私だったら、手を出したかもしれませんが、もう茶会も開かぬ身では、やはり手が出ませんでした。 「円能斎の茶杓が、二十二万で出ている」と、同行の知人が言うので、相場よりかなり安いなと思ったら、銘が「祇園会」。これでは、あまりに使う季節が限られます。逆に、七月に釜を掛けることがあれば、大受けでしょうが、そんな機会が一生の内、どれだけあるか。そう思えば、円能斎といえども安価な筈です。 安価と言えば、益田鈍翁の茶杓が、やはり22万で出ていました。これも随分安いと思ったら、表千家原叟の茶杓「花折」の写しだというのですね。つまり、鈍翁といえども、オリジナルではなく、写しということが安価の原因なのでしょう。原叟の写しとなると、表千家流以外では使いにくいと、流儀茶道では思われるのかもしれません。私にしても、どうせ大金を出すなら、鈍翁のオリジナルを欲しがりそうです。 不見斎の茶杓が、これも相場より安く感じる値で出ていましたが、銘が「つらら」という、この気候では、極寒の時期限定の感じ。やはり、銘からのことでしょうが、安値といっても微妙な範囲なので、これも手を出す人は、そういないのじゃないでしょうか。 銘により、値が左右するとはいえ、あまり汎用性に富んでいても、平凡や詰まらなさに通じるし、作者によるといっても、流儀や人などで価値観が違う。こう考えて行くと、やはり茶杓は難しく、面倒な物です。 萍亭主