東京は、今年も異常気象というか、梅雨らしい空に覆われることがあまりないうちに、六月も25日を過ぎると、酷暑の状態となり、気象庁の宣言はなくても、梅雨が明けた感じ。この暑さじゃ、ますます茶の湯どころじゃありません。
娘が京都出張の土産に、水無月を買って来たので、とりあえずは、それで一服し、年中行事の夏越の祝いは、今年も終えた気分にはなりました。五条大和大路の外郎(ういろう)屋「五建外良」のもので、外郎屋の製だけあって、普通のものよりムッチリして歯応えがあり、なかなか美味。
しかし気がついて見れば、今年も半分が過ぎ去ったわけで、それだけ老いは深まるばかりで、嫌になりますが、仕方ありません。直射日光で暑くなるのを恐れ、茶室は雨戸を閉めっぱなしで、昼なお暗い状態です。茶事をするわけでもなし、ほったらかしでもいい筈なのですが、私の先代は、素床(床の間に軸を掛けないこと)が嫌いで、小間はともあれ、広間は、茶の湯の客でなくとも通すことがあるのだから、必ず時候の軸を掛けるようにと、入院する時も言い残していったくらいなので、軸を掛け替えるのは、習慣にはなりました。生活環境の変化で、茶の湯と縁がない客は、リビングに通すようになり、茶の湯がなければ、素床でもいいじゃないかという理屈になるわけですが、まあ留守番掛け程度の軸でも掛け換えると何となく気分転換にはなります。気がつけば七月で、七夕も間近、例年掛ける「臥見牽牛織女星」(円覚寺の別峰老師の書)を掛けることに。
もっとも、このところ、高い天袋から軸を出したりすることも億劫になり、高校生の孫を、顎で使って、軸を換えさせるようにしています。ついでに、孫の勉強にもなるかと、有り合わせのそれらしい道具を出して、飾り付けをさせて見ました。花入は竹の蛇籠、香合は埋もれ木で作った蓋裏に天の川を描いた四方形、水指は春慶塗の釣瓶、薄器は露笹蒔絵棗、茶碗は、黒赤一双の馬盤の楽茶碗、蓋置は色絵の糸巻き、風炉釜は、娘が灰形の稽古に出し放しの切合わせなど、適当な感じ。 ところで、今の若い子は、どうも日本の古い習慣や、故事、諺や暦、そもそも日本の古典や歴史に弱く、ちょっと難しい漢字も読めない。少なくとも我が家の孫は、その傾向が強く、大学生の孫でも、こんなことも知らんのかと、呆れることもあります。それでも、高校生でも、流石に七夕の概要は知っているらしく、糸巻きの蓋置を出しながら、「ふーん、織姫だからかァ」と呟いていたので、流石に七夕のことは多少知ってはいるなと思うと同時に、こう分かりやすい趣向というのも、いかがなものなのかと、独り苦笑しました。
思い出してみると、このブログで、五年前の2020年7月7日、コロナ禍の最中、徒然なるままに「七夕で薄茶一服」の題で、お見せしたものと、軸も同じで、他もそれほど変わってもいません。思いつくことが、そう変わらないのは、進歩もないのか、それが茶の湯なのか、手持ちの道具の限界か。まあ、あまり考えるのはやめて、お見せする程の道具でもありませんが、幾つか並べておしまいにします。
蓋置は二代伊東陶山の作。大正時代のもの。
茶碗は、先代が師匠から頂いたもの。60年ほど前の松楽のようです。
お粗末さまでした。
萍亭主



