茶の湯文化学会の東京例会の講演の中で、私がショックを受けた言葉がありました。
下村先生が講演の中で語られた一言です。講演の本題とは関係がない話なのですが、それはこういう言葉です。「武野紹鴎と千利休が、師弟関係にあったという話は、近年の研究では否定されていますけれど」。
「えっ」という感じです。近年、私は、老齢と視力低下で、本を読まなくなり、ニュースや情報にも疎く、昔の知識だけで生きていますから、茶の湯の学問の最新情報に疎いのは当然としても、これだけ従来の定説を否定する大きな話なら、どこかで耳にしそうなものですが。他の聴衆も別にそれほどのリアクションがなかったようにも思えて、とすると、これは私が時代遅れで、今の常識を知らない?しかし、古典も含め、茶の湯の歴史を説いた本で、「利休は茶の湯を武野紹鴎と北向道陳から学んだ」とさんざん叩き込まれた身には、なかなか理解出来ません。確かに利休自身が「自分は紹鷗の弟子だ」と書いた文献はないと思いますが。まあ、定説というものも、いつか覆ることはあるもので、もっとも顕著な例は、南方録でしょうか。七十年前くらいまでは、ほとんど疑問なく通用した著者南坊宗啓の実在は否定され、利休時代に書かれた実録でなく、フィクション(創作)であるというのが、新しい定説になりました。もっとも新しい定説が行き渡るまで二十年くらいかかったかと思いますが。珠光が足利義政に召し出された、関係があったという説は否定されるとか、茶人引拙の姓は「鳥居」と、我々は教わったものですが、今はそれは間違いで、姓不明が真実だとか、いろいろな通説で近年否定されるような例はまだあるようです。旧来の説を否定することが新説の基礎になる場合が多いので、学問の世界では当然なのかも知れません。もう十五年ほど前になりますか、茶の湯文化学会の古参の方から、「茶の湯の歴史を書き換えると意気込むグループもある」という話を伺ったことがありますが、いろいろな研究が続けられているのでしょう。しかし、伝承で成り立ってきた面も多いと思われる茶の湯の歴史が、実証主義という手法(確証がなければ駄目という)で変わってしまうのも、何かロマンがないような。珠光と義政は関係ないと言われると、あの「山上宗ニ記」の名文は何なんだという気分になってしまうのですが、そこがアマチュアであるということでしょうか。
ともあれ、講演の本筋の話ではないので、「それはどういうことですか」と、質問するわけにもゆかず、これから、それについて勉強する気力もなく、モヤモヤしたままです。簡便に誰かに教えてもらうのがいいのでしょうが、さて、どなたか解説していただけないでしょうか。
萍亭主