道しるべ
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ヘンゼルとグレーテルは道しるべに、
パンの耳を落としていきました。
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パンがないからケーキにしよう。
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ケーキは耳がない。
マァなんでもいいんですけれども。
・「潔癖なガラスの部屋」について。
□海・仮面・ブタの頭
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10370077392.html
「ガラスの部屋」を何度か言い換えてますね。
それは、イメージが純粋なものじゃなくて、
ブレたり、束のように感じられるからですね。
01:議論の席
02:交渉の場
03:全てが0と1で構成された無味無臭の、潔癖なガラスの部屋
04:打ち捨てられた「舞台」
05:純粋な政治の空間
06:「微睡みから覚めた微睡み」
07:絶対的孤絶
08:暗い夜の<海>
01、02はまあ、そのまま。
03は「0と1」から、Webの空間、ってとこです。
04の「舞台」から、それは、「公共圏」をイメージ。
ハンナ・アーレント。
それと、僕も、マクルーハンからは学ぶことが多いと思います。
もちろん、マクルーハン理論が図体だけでかいポンコツ・ビークル
だということをちゃんと押さえた上で、ということですが。
05はぼんやりイメージしたのは国際政治で、
「一度だけならば、君という裏切り者がここに暴力を持ち込んで、
他の演者を殴り飛ばすことは可能だ。」っていうのは、
言ってしまえば日本国憲法9条です。
で、「一発殴られるのを我慢する」のを平和ボケという人は、
国際政治というものを侮っていると、僕は思います。
クラウゼヴィッツは、
「戦争とは政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続に
ほかならない」と言いましたが、僕たちはそれを、
「政治とは戦争におけるとは異なる手段をもってする戦争の
継続にほかならない」と転倒させたのでした。
無傷のままで「全き異質な他者」と交渉なんぞできるわきゃねーだろ
アホンダラ!って思います。平和ボケはどっちだっての。
先制防衛論とか絡んでくると、僕は全く門外漢なのでよくわかんない
んですけれども、人類学的に言って、「信じてもらうためには信じる必要が
ある」、というテーゼはたぶん真であるだろうと思います。
06の、「微睡みから覚めた微睡み」とは、「人間」のことに他なりません。
僕は、君がゲームから降りるというのなら、一緒に人間やめてあげるって
言ってるわけです。その動機は、君という存在への信仰から来るものです。
07はちょいと怪しい…。
「必要なのはスタンドプレーの結果として生じるチームワークだけだ」って
ことでしょうか。
「協調は個の上に創発せず」、また、「組織は要素に還元できない」のだった
ことを思い出してください。
この空間「以後」は、分配的正義なんて存在しないわけです。
ここでは全ての個は強い個と見なされ、差別は一切存在しません。
08の<海>は、意味の大地から離れ、意味の星座の布置も失われ、
灯台の光の柱も、太陽も昇ることのない、夜の<海>。
□張り詰めたあの意味の星々と夜の海の航海
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10267752513.html
どろどろのぐずぐずのぽろっぽろの渦の中ってことですね。
<海>のもう少し厚みの部分については、初回の「道しるべ」の
海の項を参照してください。
□「道しるべ。」[←火星][→鳥の国]
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10342393789.html
もう少し足しておくと、「部屋」の中で行われるのは、
たぶんこんな感じです。
□I am the eggman, they are the eggman
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10142583679.html
反って、僕も君も、なくなっちゃうのかもしれないです。
あれ、そうすると、絶対的個絶の外部は、「語りえないもの」に
なっちゃうのかな?
それから、ここでの「部屋」という言葉の原型は、
□たとえば、フェアな部屋の、厚みのある横棒に半円を被せた
黒ベタ塗りのシンプルな影のイラストについて
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10275261366.html
□Re-drive to the next reality
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10281019364.html
この辺です。
「仮面」については、「つるつるとしたもの」なんだけれども、
うーん…また探しときます。
□子どもたちはかげふみのようなことをして
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10278641176.html
最後の、「考える」ということは、もちろん、
□来る
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10101491699.html
この「考える」、です。
・「ブログテーマ」について。
「明日の神話」
「1-1=0」
「二千年の守護精霊」
「木曜日の夜、火星の井戸の底で。」
「ミサイルと朱塗りの橋と鳥の国」←今ここ。
これらについては、最近のものほど、なんとなーく、
「エントリ群」として、雰囲気をまとってます。
個々のエントリに還元できない余剰が、「ブログテーマ」の
組織にあるんじゃないかなーって思うので、
ケータイで読んでくれてる人も、パソコンで来てくれたら
うれしいかなーって。
ちなみに、いつテーマが変わるかってのは、決定的なことが
書けた、と僕が感じたときだったりします。割とアバウトです。